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さてタイトルどおりのお話であります。といっても23日日曜日の体験でかなり日数が経ってしまいましたが…これは今通っているアビリティーガーデンの職業訓練で世話になった講師からの紹介によるものです。担当する別のクラスの受講生がそのイベントの主催者の1人であるところの、1日だけの限定イベントとしての「メイド喫茶」を営業する事となった由。是非行ってやれとの事で、渋谷に出かけたものです。さて、行ってみた限りでは…やはり自分の居場所ではなかった…です。いえけっして、お店のサービスが悪かったわけではありません。応対は丁寧でした。しかし…「お帰りなさいませご主人様」…と如何に丁寧に迎え入れられても、否、迎え入れられればられるほど言いようのない気まずさ・気詰まりが募るのです。やはり私は「ご主人様」と呼ぶ立場にはなれても、「ご主人様」と呼ばれる立場にはなり得ない人間である所為でしょうか?それともう一つ…メイド喫茶のサービス、献身的なサービスや様々なイベントは良いとして、果たしてそれは喫茶店として必要不可欠なものなのか?そのサービスを提供するのに喫茶店の形態を取るべき必然性はあるのか?ということです。メイドさん達のトークショーやバイオリンの生演奏、オムライスにケチャップでハートマーク…何も頭ごなしに否定するわけではありません。ただ…一体私はどこにいるのだろう?ココは喫茶店なのか?ライブハウスなのか?オーダーしたアイスカフェオレが運ばれてくる間に、段々と違和感が涌いてきました。メイド喫茶を否定するつもりはありません。少なくとも、怪しげな(女性を誘うのが憚られるような)形態のお店ではないのは間違いありませんが、やっぱり喫茶店は静かで落ち着いた風情が一番だと思うのであります。元々喫茶店に限らずウエイトレスさんのスタイルはメイドさんのスタイルルーツは同じでは?単にウエイトレスさんがメイド風のユニフォーム着ているだけで十分じゃないのかな?と思ってしまったのでありました。やっぱり画像がないのは寂しいので、メイドさんのイラスト入れておきます。(あれほど否定的なこと抜かしてこんな絵つけるんかい!>ぢぶん)因みに、23日に行ったお店のメイド服とは違いますです。言うまでもなくネコ耳もシッポもありません。(ネコ耳はともかく、シッポ付けたら却って動きにくそう)(^^);色も緑じゃありませんし、勿論、誰かに似せてもいません(似せて描ける程の腕もありませんが)(^^);この手のサービスはドンドン新しい形態のものが出てきます。巷間とうとう「ツンデレ」喫茶なるものまで出来た由。そこまでやるか?(爆)
2006年07月31日
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しつこくて済みません。やっと終章です。兄さまが駅弁を買って下さいました。朝ごはんとしておいしくいただきました。(当時も特急列車の停車時間は一般に短いのですが、SL時代は主要駅では給水の必要があったりしたため拠点駅では結構停車時間があるところもありました。もっとも「あさかぜ」の場合、水が切れる前に広島でカマが交代しますのでゆっくり駅弁を買えそうな駅となると広島か下関ぐらいでしょうか?しかし、いくらテンダの水容量の大きいC62やC59だったとはいえ、京都~広島間、広島~下関間のロングランは大変だったのではないかと想像します)専用の銀色の電気機関車に牽かれ、関門トンネルを抜けました。いよいよ九州です。(後のEF30やEF81-300などは最初からステンレス車体ですが、当時のEF10にもステンレス車体のものがいました。唯無塗装で銀色に輝いていたのは24号機のみだった由。さて、車体は金属地肌の銀色で良いとしてヘッドライトの本体は何色だったのでしょう?黒?茶色?銀色?この当時のカラー写真を見たことがないのでわかりかねます。イラストでは適当に処理していますが…)門司・小倉・戸畑・八幡…この界隈は我が国屈指の工業地帯、高い煙突からもくもくと煙を吐いています。博多まではもう一息。(京浜・中京・阪神そして北九州工業地帯。日本の四大工業地帯とその昔習いました。当時と今とでは産業構造も大きく変わりましたが、この頃の北九州工業地帯は八幡製鉄=後の新日本製鉄=を頂点とする鉄鋼業、そして筑豊の炭田を後背地に持つこともあって石炭産業も盛んでした。その分工場街に立ち並ぶ夥しい煙突から吐き出される煙で空はよどみ、建物も鉄色!というイメージがありました。工場の排煙が公害と騒がれだすのはもうしばらくしてからのこと。当時は「七色の煙」だの「繁盛の煙」だのと言われていました。今思うと空恐ろしくなりますね)(^^);博多駅に到着しました。ごきげんよう お父さまはい、父さん。母さんから頼まれていたものです。有難う、お前達も遠路はるばる疲れただろう。さあ、久々に一緒に食事でもしようか?(今では空路で2時間とかからず、鉄路においても新幹線なら5時間弱の東京~博多間ですが、この当時急行列車で一番速いものでも20時間40分程度、特急乗り継ぎをしようにも、「つばめ」「はと」と「かもめ」とは接続が取られていたわけでもなく概ね一昼夜の行程でした。「あさかぜ」の17時間25分は当時の人々には驚異的に映った由。夕方発車して翌朝午前中には到着するダイヤはビジネス客に重宝されたと聞き及んでいます)発売と同時に瞬殺完売、乗りたくても乗れない、乗れたらそれだけで自慢できる存在だった「あさかぜ」。20系時代にあっても居並ぶ九州特急群の中でも一頭抜きん出た威厳と格式=博多「あさかぜ」専用の個室寝台ナロネ20があったり、長く唯一のロザを挟んでいたり、一時期15両編成中ロネロザ併せて7両と、ハネよりロネロザのほうが多く組成されていたり、上り列車は途中東京圏内においても先行列車を2本追い抜いたりで俗に「殿様あさかぜ」と呼ばれていた程=を持った列車でした。沿線の寒村に育った私には、まだ見果てぬ大都会への憧れを掻き立てる、一種の故郷列車でした。初めて利用できたのは1976(昭和51)年3月。中学卒業後の一種の卒業旅行の時、名古屋~徳山間でした。既に山陽新幹線は博多まで伸び、ナロネ20もナロ20も外され、ナロネ22も3両あったものが2両に減車された後でしたが、それは感激したものです。大学受験で上京する時など、しばしば寝台特急を利用しましたが一番利用頻度が高かったのがこの「博多あさかぜ」でした。同じ「あさかぜ」でも下関発着の列車は、博多「あさかぜ」が取れなかった時に利用する程度でした。やはり食堂車の有無は大きい(爆)。車窓に流れる町の明かりを愛でながら陶器の皿に盛り付けられた出来立ての料理を味わうのは至福の一時でした。時は移り世情も変わり今では夜行列車にかつての賑わいはありません。慣れ親しんだ多くの列車たちもその使命を終え、列車名も当時の車輌たちも、かなりのものが既に鬼籍に入っています。「あさかぜ」も廃止されました。頭では理解しています。しかし、今でもその事実を素直に受け容れられないのもまた事実です結局8日分お目汚し失礼いたしましたm(_ _)m
2006年12月09日
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例によって例の如くなネタで申し訳ないのですが…m(_ _)m今回はこの日のものです。上越線越後中里駅側で、スキー場の休憩施設として利用されている在来一般型客車を観察するため訪問したものです。越後中里駅の発車時刻表です。運転本数の少なさに愕然としました。スハ43・スハフ42・オハ47つかまえて何処がブルートレインだ?とほざくのは「鉄もの」ぐらいなものでしょうか?(12系客車はブルトレじゃない!と言って果たして「堅気の衆」には通じるでしょうか?)(^^);塗装が現役時代の面影を色濃く残していますので、遠目に見ると側線に留置中のようにも見えます。オハ47の履いていたTR-23H台車です。D・E・Hなどの末尾記号がありますが、何処がどう違うのか?浅学菲才な私には判りません(コロ軸受け化改造車らしいのですがその先が判りません)越後中里駅を発車して行く115系電車です。
2008年05月03日
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新金谷駅で出番に備えて待機するC11190とスハフ42以下旧国鉄制式在来一般型客車編成です。新金谷駅午前10時。財団プロパティーマネージャーY氏を始め、この日の参加者が揃いました。久々にお会いした方、最近アクティブに参加されだした方、ほぼ毎回参加する方、人生経験のキャリアの長い人から未就学児童まで!老若男女混成チームです。まずふっケツ確認を含めたミーティングを行い、大井川鉄道のスタッフ氏の先導で、新金谷駅側線に停まっている客車に移動します。(構内活線を横断する形になるので、大鉄スタッフさん立会いが条件なのです。以前はもっと融通が利いたのですが、昨今の諸般の事情で段々窮屈になっています)スタッフのベースになっているオハニ367に集まり再度出欠確認と本日の注意事項等伝達のミーティング、早速各自分かれて作業に入ります。オハニの荷物室にはそれに備えて清掃用具その他の七つ道具が積み込んであります。この荷物室はこういう時に頗る便利で重宝しています。具体的な作業風景は、以下をご覧下さい↓2005(平成17)年04月23日2005(平成17)年05月28日2006(平成18)年04月15日いずれも、トラストトレインボランティアメンバーであられるS氏が記録されたもので、氏も私も同時に参加した回の画像記録です。故に、カマや客車の清掃作業をしている面々の中に私もいます。(え?ネコ耳の生えたおにゃのこなんて何処にもいないぞ?当たり前です。あれはあくまでネット上の、弊ブログ上の、いってみればアバターみたいな架空キャラクターです。リアルはただのおっさんですから…)(^^);以前は客車の清掃が終わった後カマのプレート磨きも行っていて、私などこれが楽しみでもありました。一所懸命力と愛情をこめて磨いてやると段々プレートが輝き始めるところが何とも愛おしくちっとも苦労も疲れも感じません。しかし昨今はこの作業は行っていないとの事。色々と所謂[大人の事情]とやらがある模様とだけ申し上げておきます。作業が終わると、デッキ保安要員として残る3人を除いて、他のメンバーは一旦下車します。私は2号車スハフ432のデッキに立ち、E102の先導で列車と共に金谷駅に向かいます。この日の編成は前よりC11227-オハフ33215[7]‐オハ35459[6]‐オハ3522[5]‐オハ35559[4]+スハフ433[3]+スハフ432[2]+オハニ367[1]-E102。客車7両の最大長編成でした。金谷駅到着、早速ドアを開けお客さんを車内に迎え入れます。金谷駅のホームは短く、編成後部3両しかホームにかかりません。4号車オハ35559から前の客車に指定席を取っていたお客さんには車内を通って移動してもらうよう案内します。皆さんにパンフレットを配るのですが大勢さんが一斉に手を伸ばしてくるので手渡すのも一苦労です(^^);やがて発車時刻。汽笛一声金谷駅早や我が汽車は離れたり以下 次号(笑)
2008年12月08日
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こちらでもUPしたネタですが…本日3月3日は桃の節句、雛祭りの日です。男兄弟で育った身には直接の縁は無かったイベントですが…職場で使えるか?と思ってこんなものが出来ました(^^);ご覧のとおりの塗り絵素材です。職場で何に使うのか?はい、介護施設で利用者さんのRehabilitationのためです。塗り絵或いは貼り絵の素材として活用して貰いました。因みにこれはColorVersion(^^);思いっきり単純な線画ですが、御高齢の利用者さんには却ってその方が扱い易い様です。もっとも…Realisticなものが描ける腕を持ち合わせていないという切実な理由もありますが…orzそう言えば3月3日は「耳の日」でもありましたね(^^);…ってこんな耳生えた少女が実在したら大騒ぎですが2次元世界では何でもアリです(爆)
2014年03月03日
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はい、タイトルだけで済んでしまいそうですが…弊ブログページで紹介しています画像が多くなり、フォトアルバム容量の上限に近付きましたので、去る2006(平成18)年07月01日付けで紹介しました日記(同年06月24日のトラストトレインボランティアレポート)に添付しました画像データを一旦削除しました。尚、当該画像をリサイズしたものをこちらに紹介します。トラストトレイン千頭駅到着の図です。C12164はATSの関係で登板出来ません。元発言では以下のように紹介した写真です。大井川鉄道新金谷駅側線にいた同社籍の旧型客車。元国鉄否、鉄道省オハ3522以下5連。但し、正調オハ35シリーズは手前の2両のみ。後ろの3両(青帯の2両はお座敷車、白帯の1両は展望車)は、残念ながら古い電車を改装したものです。「堅気の衆」にはどうでもいいような事でしょうが、我ら「鉄」ものには極めて大きな違いです(^^);そしてこのカットです。5月に紹介した時とは逆側サイドを紹介します。
2008年01月08日
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