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まあ、馬鹿馬鹿しいとお思いでしょうが、人生笑いが何よりもの精神の安定剤です。さて、皆さんの中に人を恨んでいらっしゃる方がおりましたら、早めにぜひ次のビデオをご覧になりその恨みを解消してくださいね。観るだけではだめですよ私の声に唱和して恨みを消し去るのです!さあ、はじめましょう!●Windows Live ムービー メーカーは、超・面白い!どうです?少しは楽になったでしょう?それでは、次に名曲を聴きながら瞑想に入りましょう!●Bach作 「 G線上のアリア」それでは、今日も一日明るく元気で!いってらっしゃい!
Jan 29, 2014

卵型になりかけの天体 posted by (C)nemochinエンリケ・バリオスの『魔法の学校』を今読んでいるのだが、これが結構面白い。ニーチェの思想と重なり合うところが多々あって、興味深く読んでいる。神は外部に存在するのではなく、それぞれの人の内部に存在する。ニーチェが主張した如く、キリスト教ではなくキリストその人をを求めることこそが超人への道だという考えと、非常に似通っている。時間も空間も現実には存在せず、それらは円環を成している。すべては永劫回帰を繰り返している。しかも我々の本体は自分だけではなく、周囲を含めあらゆる場所に存在している。あらゆる場所で、昨日の、先週の、去年の、数年先のあなたが同時に存在しているのだ。それらが輪を成して永遠に同じ動きを繰り返している。ニーチェは、その輪から抜け出る能力を備えた者を超人と呼んだが、これは仏教の悟りの境地に近いものだろう。●1、ニーチエはソクラテスから始る知性偏重主義こそが、ヨ-ロッパ2000年の歴史を築き、それにより発達した科学が将来世界破滅を導くことを憂い、「徳は知である」という命題に呪縛された人々を解放する必要があると考えた。彼の論理は、ソクラテスはプラトンという高級詐欺師が作り上げた作品---虚像であるとし、知性偏重主義に陥っていた同時代人の知的基盤である立脚点を破壊する。●2、次ぎに彼は、存在の根源の探求の為に、キリスト教を否定する必要性を実感した。これは、十字架の上で死んだ単なる人間にすぎないキリストを、パウロがまさにプラトン的演出によって、選民意識(弱者の怨念)を内包した弱者の象徴的神=作品として作り上げた者に過ぎないと考えた。この本質は世俗化されたプラトン主義にすぎず、そこからキリスト教的奴隷道徳が生まれてくることを明瞭にし、人々の心的基盤をも破壊したのだ。このアンチキリストの視点の基盤となるものは、第一にキリスト教が<此岸>から<彼岸>に人間の生の重心を移行させてしまい、この信仰が現在の生を無意味化し、生を充実させる人々の努力の否定となること。第二に神の前での平等という考え方は、人間が本来有する<偉大者>と<大衆>の間の<距離のパトス>(位階)の否定につながるという人間の特権の無視にあった。この二つの現象の否定の目的は、人間を規定していた価値観から人間を解放することで、自らが無規定性の闇の中で人生を真摯に考え、己の可能な力、充実した生命力を蘇らすという<ディオニュソス的意識>=<生の根源に潜む懊悩する意志>を喚起することにあった。これらは当時の虚飾の繁栄に酔いつぶれる人々に対する激しいアンチテーゼであったのだ。単純化してみよう。まず<プラトン>と<ソクラテス>の関係=<パウロ>と<キリスト>の関係。つまり<製作者>と<作品>という図式が成立する。次にこのふたつの関係を否定することで、最高の価値が価値を失するという価値の転換が生じる。ここに、至高の価値がその価値を剥奪され、一般人の地平まで転落することから権威の失墜に伴い<ニヒリズム>が生じる訳だ。この<ニヒリズム>は2側面をもつ。精神の上昇・成長としての<能動的ニヒリズム>と疲労衰弱した<受動的ニヒリズム>である。前者は、絶対的価値の否定を乗り越え、新たな価値を創出する為に、積極的に人生に働きかけるものであり、ニーチェが求めたものである。後者は、キリスト教や仏教のように既存の価値に呪縛されたものと考えられた。また、ニーチェは人々は目標も意味も見出せない日常に埋没し、無への終局も持たない、ただ不可避的に回帰する虚無の車輪の中に囚われた存在であると考えた。ここに存在が無規定の闇の中で無意味に繰返される日常に蹂躙される<ニヒリズム>の極限的形式<永遠回帰>が生まれるのだ。すなわち無(無意味なもの)が円環の中で永遠に悪魔的循環を繰返す。この循環を断絶する為に彼は、実存的な自己超越性の具象化として<超人>の概念を生み出すのだ。ここで彼は、人間は神の前で平等であるというキリスト教的道徳観にとどまるのではなく、より高次の自己と単独者の倫理を創造していくことが必要であると考える。そして<超人>と呼ばれる新しい人間の理想像に近づくことこそが、神なき世界を生きる人間の本質的姿であると見なしたのだ。彼は、この<超人>に近づく為には、人間はキリスト教の<隣人愛>に対立する概念として彼により生み出された概念である<遠人愛>に立脚する必要があると説いた。隣人に向ける愛よりもまだ誕生しない遠人に向けた愛の方が、遥かに偉大だという彼の考えは、未来に愛の視座を投げかけて現代を照射する、より深い人類に対する愛と呼べるだろう。人々は<遠人愛>に立脚し自己超克へ向けての日々飽くことなき闘いにより、いつか<超人>を生む。例え本人が<超人>にはなれずとも<超人>の親となることは、可能かもしれない。この考えの根底に横たわる思想は、人類に対する深い慈悲と愛。そして現実を客観的に見据える鋭い視点が中枢を成す。ニーチェは天才特有の鋭い直感力で、当時の時代の病理を見抜いていた。だからこそ彼の真摯に生と向かい合う姿勢は、彼を時代から隔離せざるを得なかった。まず彼は拝火教の教祖、ゾロアスターを地の底から呼び覚まし蘇らせ、同時代人から超然とした地点に立脚した。そして絶対的な孤独の中で遠く幻視の世界を漂泊しながらも「時代という怪物」と闘かい、ゾロアスターに語らせることで自らの思想を表現した。しかし彼は、長い間孤独の深淵を覗き込んでいるうちに、反対にその深淵に魅入られてしまった。彼の精神は、こなごなに破壊されたのだ。こうしてみれば、彼こそがまさに噴火獣ーーー(破壊者)であったことは間違いないだろう。*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*深い地の底から垂直軸にそって湧き起こる声が、虚空に木霊する。「おお、ツァラトゥストラよ。知恵の石、石弓の石、星の破壊者よ。おまえ自身をおまえはこれ程高く投げ上げたーーーしかし投げ上げられた石は全てーーー落ちざるを得ないのだ。」 ■参考文献:「ニーチェ全集」新潮社●Let's turn on the light.●形而上学的作品では。
Jan 26, 2014

神の掌 posted by (C)nemochin実は月は地球から分離したものではなく、また地球よりも遙かに古いものであり、それは太陽系の外で誕生しうまく地球の重力を利用して現在の場所に存在している、そんなことを主張する人間もいる。その上、月には人工物が幾らも存在し、空飛ぶ円盤が離着陸しているという。これが本当のことかは定かではないが、私も天体望遠鏡で月を眺めていると、月面から幾つもの発光体が観察されることがある。それが空飛ぶ円盤なのか未確認飛行物体なのか、プラズマなのか断言は出来ないが、何ものかが月には存在しているのではないかと疑わざるを得ない。しかし考えてみれば、我々人類は宇宙に人を送るまでに科学的には発展したが、宇宙生成の正確なことも神のことも、まだまだ分からないことが沢山残っている。我々の物質的世界を離れれば、時間など存在しないかもしれないのだ。宇宙がビックバンから始まったとしても、ならば空虚で暗黒空間であった初期宇宙でのた打ち回った蛇は、何が原因で静寂を打ち破ったのだろうか?宇宙は霊で満ち溢れている。そしてその霊は、地上に日夜降り注いでいる。が我々には、事実は何も分からないのだ。今も神の掌から飛び立つことが出来ずにいる。●法律がある為に人々は罪人になり、道徳がある為に人々は不道徳になった。------------老子---------------
Jan 25, 2014

永遠の美しさを! posted by (C)nemochin現代は情報が飛び回り、絶えず周囲が目まぐるしく変化し、その変化の波に乗り遅れると取り残されてしまう、非常に忙しい時代だ。しかし私は、全く変化の乏しい田舎町で野鳥と戯れて暮らしている。巷では変化することは成長することだと勘違いされやすいが、必ずしも前向きな姿勢だけが成長ではない。変化という言葉を<真似る>という言葉に置き換えてみれば、現代がよく見えてくる。最近の若者を見ていて感じることは、みんなよく似ているということだ。流行のファッションで身を固め、似たようなヘアースタイルで似たような動作をする。流行の芸能人に感化されているのだろうが、洗練されすぎていて怖い位だ。テレビでも「実社会では外見が大切だ」などと就職戦線に立つ学生のファッションについて触れていたが、本当に見た目が大切ならば就職の為の整形手術など当たり前のことなのだろう。私は有難いことに二枚目と呼ばれて、もてすぎて困っている位なので整形など全く興味が無いが、勝ち残りの為にそれが有利と言われれば、こぞって親から受け継いだ貌にメスを入れることも厭わない、その健気さは分からなくはない。が私は問題は、外見で判断するしか脳の無い面接者自体にあると言っておこう。今までは、外見で人を判断してもたいしたことはなかったかもしれないが、これからの時代はそうはいかない。人の中身を見抜く能力無き面接者など、早くゴミ箱に捨ててしまえ!
Jan 24, 2014

異次元の世界 posted by (C)nemochin●twitterをやってみると分かるが、情報が洪水のように押し寄せてくる。ただ流れるままに放っておいても新たな情報が続々と押し寄せてくるものだから、ついつい気になるものに目が行ってしまう。最先端の世界の情報が無料で手に入るのだから、これは貴重な道具であることは確かだ。やらない手は無い。しかし、情報の入手となると、その選択がなかなか難しい。元々、情報とは生命力の乏しい生き物みたいなもので、時代に応じて着替える流行の衣装のようなものだ。私は趣味的見地から世界の先端の美術作品に興味を覚えるが、見ていて驚かされるのはどれも技術的に非常に質が高い。特に私が驚嘆するのは、描くテクニックは言うまでもないが、最先端のツールを巧みに使い分け今までに無い技法を駆使し制作している点だ。CGがここまで進化していたとは・・・驚くばかりだ!但し、それらの作品が果たして時代を超えて生き残ってゆくのか?そこには、正直言って疑問が残る。私が追い求めるものは、Metaphysics(形而上学)なものなのだが、これは心の深淵にまで深く入り込まないとなかなか表現できない。夢の世界を綺麗に描き出せば、それで完成というものではないのだ。私がnetで観る作品は、(技量は私など比べ物にならない高いレベルだ。)どれもこれも綺麗に仕上がり過ぎている。芸術作品が綺麗なことは良いことなのだろうが、画質に固執するあまり肝心の情念が薄れている。観る者に噛み付いてくるような迫力が乏しいのだ。斬新な暴力的表現が無い、と置き換えてもよい。これは職人技によく見られる傾向なのだが、綺麗過ぎる。悪く言えば完璧すぎるのだ。夢の世界は、もっともっと怨念や情念が渦巻いていてどろどろ汚れている筈なのだ。職人は、そのような世界も綺麗に仕上げることが出来る技を持っている。彼らの技法は完成の域にあるのだから、似たような作品なら幾らでも再生産可能なのである。職人芸を芸術作品と呼ぶべきか否かは、それぞれの人が判断すればよいことだが、私には何かが違うという思いが残るのである。私にとって芸術とは自らに巣食う悪魔を呼び起こさなければならない。その為の闘争なのだ。
Jan 22, 2014

『女の一生』『脂肪の塊』等で有名なフランスの自然主義の作家ギ・ド・モーパッサンは、1877年から先天的梅毒による神経系の異常が現れ出し1891年に発狂し、1892年自殺未遂事件の後、精神病院に収容される。そして1893年43歳の時にそこで没している。そんなモーパッサンは、1887年の短編作品『オルラ』(Le Horla)の中では、目に見えない存在について言及している。小説の中では目に見えない何者かが、夜毎彼の元に訪れてくる。しかし、その存在が何者なのかが解らない。彼は不眠症に苦しめられ医師の処方を受ける。そこで、モーパッサンは「人間の時代が終わり『オルラ』の時代が来ることを予言する。」人間の後にやってきて人間を家畜のように使い人間を食い我が物顔で地球を支配する大地が待ち望んでいた存在----それこそが『オルラ』というミュータントだという。・・・・が、実はこの存在はモーパッサンの幻覚なのではなく、実際に存在するのである。夢や無意識の世界を表現した画家であるオディロン・ルドン(Odilon Redon, 1840年4月20日 - 1916年7月6日)の作品に『笑う蜘蛛 』 1881年オルセー美術館(パリ)があるが、私はこの蜘蛛をこの目ではっきりと見たことがある。直径5センチ位のこの蜘蛛は、早朝私のベッドに現れたのだ。その頃、私は体調を崩し夜も寝れない日が続いていた。何か重力の違う星に投げ込まれたようで体が地にのめり込む様な重圧的な感覚に蝕まれていたある朝、奴が現れたのだ。私は、この蜘蛛がルドンの想像から産まれた存在ではなく実在することに驚いた。またこの存在ははっきりした意識を持っていることが明らかだった。蜘蛛は、私に発見されたと気がつくや否や全身から恐怖を漂わせた。次の瞬間、あっという間に地の中に垂直に逃げ込んでしまったのだ。その速さといったら、言葉で表現できぬくらいだ。奴は、明らかに垂直軸の方向から地を通り抜け、この次元にやってきている訪問者なのだ。中空の恋人 posted by (C)nemochin
Jan 20, 2014
おい、おい、おい!YouTube で人気が抜群だった「紅白歌合戦 あまちゃん メドレー GMT、アメ横女学園、潮騒のメモリー」が、「この動画には NHK さんのコンテンツが含まれているため、著作権上の問題で権利所有者によりブロックされています。」ということで、観れなくなってしまったんだぞい!毎日、楽しみに観ていたのに、それはないじゃあ~~~りませんか! NHK さん。みんな楽しみにしているんだから、堅いことは抜きにしてブロックを外してちょんまげ結った。
Jan 3, 2014
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