一年前の3月11日。
私は夜になるまで宮城に津波が来ていたことを全く知りませんでした。
頭上が安全な広い場所を探し、車で小学校の校庭に入ったのは夜になってからでした。
節約のためガソリンを使わないようにエンジンを止めて休んでいたのですがあまりにも寒いので暖をとろうとエンジンをかけました。
するとカーナビに巨大な黒い波が海岸沿いの地区を飲みこんでいる画像が写りました。
「ああ!」友の名を叫び隣で休んでいた夫を「津波が来ている!津波が来たんだ!」と揺さぶりました。
畑や家を飲みこんでどんどん進んでゆく津波。300人ほどの遺体があるとアナウンサーは語っていました。
私は両手を合わせて親友が生きているように祈りました。
(どうか、助けてください。助けてください。連れてかないでください)
誰に向かって祈っているのか分からなかったけど祈るしかありませんでした。
夫は津波の映像を見ながら私に「覚悟しておいた方がいいぞ」と。
私が取り乱さないように先に心づもりをしておくように話したのだろう。そんなこと言わないで、なんて言えませんでした。
涙をぽろぽろ流しながら「助けてください、助けてください」と必死で祈りました。
苦しい、長い、夜だったな。
あれから一年。親友は家族共に無事で仮設住宅で生活しています。
昨年の私の一番よかったことは親友が助かったことでした。
小学校と中学時代の同級生はみんな生存が確認されました。
それも救いです。
震災の夜は雲一つない空で細い月が浮かんでいて星が美しくきらめいていました。
仙台なのにオリオン座や北斗七星がくっきり見えました。月の明りがありがたかった。自然に襲われ、自然に助けられる。そんなこと思いながら夫と道を歩きました。
そんな星のきれいな夜にたくさんの方々が天に召されていったのですね。
亡くなった方々のご冥福をお祈りいたします。
家族と離れ離れになって見つかっていない方々が早く大切な方の元に戻ることができますように。
遺族のみなさんが心穏やかに過ごすことができますように。
眠れるようになりますように。
未来に希望が持てますように。
・・・先に行っただけで遠くにいったんじゃない。ふすまの向こう側にいると思いなさい。
高校生の時に父を亡くして悲しんでいる私に和尚さんがお葬式の時に話して下さった言葉です。
いずれまた大切な人と一緒になれますから。迎えにきてくれますから。
笑ったり美味しいものを食べて生活をしてください。生きているって残酷だと17歳の時に私は思いました。苦しくても悲しくても腹は減るし笑いたくなる時がある。
食べて笑っていいんです。
ご遺族の方々が心穏やかに過せるようになりますようお祈りをいたします。
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