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さて、そんなだんながたまの休みの日というのに、久しぶりに私を食事に連れて行ってくれることになった。新しいレストランを試すのはいつだってドキドキ、ちょっとしたスリルがある。なぜかと言うと私達が、あまり人の言うことを信用しないからだ。だいたい、新しいレストランが開くと大抵ローカルレストラン評論家などが大絶賛するかマーケティングが上手いレストランのどちらかで、そういう意見やマーケティングを鵜呑みにしただけの知人が私達に勧めることのなんと多いことか。だから、私達は誰が何と言おうと「おいしいか、そうでないかは自分の舌で確かめる」と決めているので、どのレストランに行っても「イチカバチ」なわけである。そして、悲しい事にデンバーには私達が思う「アタリ」なお店が本当に少ないので、年々私達が何回も行きたい、と思わせてくれるレストランが減りつつもある。そして私はだんなが「ケビンテーラー」で働いてしまったがために私の口(体も)までもが肥えてしまったと、全責任を押し付けることにしている。さて、私達は「1515」という未知なるレストランへとやって来た。ラウンジが一階で、レストランは2階になっていたので、最初お店に入った瞬間、クラブにでも間違えて入ってしまったのかと思った。(そう感じた自分の年を再認識せずにいられなかった。。。)ホストのお姉さんが私達を2階のレストランに案内してくれて、ちょっとホッとした。店内は落ち着いた感じのする、おしゃれな内装になっていたし、ナイフやフォークがしっかりとしたもので、メーカーの名前が1つずつに書かれていたし、ワインリストは豊富で、メニューもさっと見ただけだったが、まぁまぁ、かな、と思えたからだ。ウェイトレスのお姉さんも丁寧で、質問にきちんと答えられる人だったし、とりあえず私もだんなもマティーニとアペタイザーを何品か頼むことにした。まずは魚介類のアペタイザーから始まって, まぐろのタルタル、そして帆立貝のソテーを頼んだ。だんなは初っ端から手厳しかった。「まぐろのタルタルについているアボカドが凍っている!」とか、「このソースだって、マンゴの味がしないじゃないか!」とか憤慨されていた。私は私で帆立貝を口にしながらも「これくらいの味なら、あなたがしょっちゅう家で作ってくれるから、そんなに大してすごい、って思えないわね~」とか、言いたい放題である。最初の2品で、だんながお店に行く前に口にした「あんまり期待しすぎちゃいけないよ」が私の頭の中でグルグルと回り始めていた。気を取り直して私達はさらにもう2品アペタイザーから、今度は肉類の「和牛ビーフ石焼き風」と「フォアグラ」を頼んだ。この2品は「おぉぉっ!!!」と思わせてくれた、なかなかの品だったので、だんなも私も少し機嫌が良くなり、会話も弾み、やっとデートらしく(?)なってきたのだった。さて、本当はメインコースを頼むはずだったのだが、二人ともお腹が一杯になり始めていた。そんな時私達は、よくアペタイザー食べ三昧で終わる時がある。そう、今回も私達はあともう2品アペタイザーから何か頼めばお腹一杯になり満足できるだろう、とアペタイザーだけで終わることにした。私は「お肉のカパッチョ」彼は「チーズ各種」を頼み、それに合ったワインも一緒に頼んだ。ワインが先に届き、私達も楽しく一時を過ごしていた。あの、「チーズ各種」が運ばれるまでは。。。。私達のウエイトレスではなく、たまたま、違うウエイターが最後の2品を運んできてくれた。そして、静々と「お肉のカパッチョでございます。」と私のテーブルに置き、「チーズ各種でございます。」と彼のテーブルに置き、そのウェイターさんはお気遣いよろしく、その「チーズ各種」の名前をそれぞれ教えてくださっていたのだ。 そして、そこまでは誰が見たって、ごく普通に行われるウェイターとお客さんの自然な状況だったのだ。ところが。。。。ウェイターさんが1つのチーズを指し、「これがマンチェゴチーズでございます。」と言うや否や、我がだんながそのウェイターの目をしっかり見つめ、「いや、こっちがマンチェゴだよ。」。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。(この瞬間の空気を私の稚文から皆様に読んでいただくことができるでしょうか。)と別のチーズを指さして訂正したのであった。。。。そのウェイターさん、少したじろぎながらも「い、いえ、旦那様、こちらのほうこそが、マンチェゴチーズでございます。」と、丁寧ではあったが、彼もだんなの目を見据えて(?)応対したのだった。だんなとそのウェイターさんはその後2度ほど同じ押し問答をくりかえしたのだが、それでも退かず遂にだんなが、「いや、こっちがマンチェゴ、君にはこの線(←ウェイターさん、キョロキョロ、「ど、どの線の事を言ってるんだ!?」と少々焦り気味)が見えるかい?」とチーズのワックスに付けられている線を指さして、そのウェイターさんに「こっちの線はストライプだろ?で、君の言ってるチーズは網状になってる、網状になってるほうはブルーチーズ系だよ。だから、そこで違いがわかるんだよ。マンチェゴはいつだってストライプなんだ。覚えていたほうがいいよ。」とマンチェゴと別のチーズ(何と言っても別のチーズが何なのかもわかっていた彼に私は脱帽する。)の違いを事細かに延々と説明しはじめたのだった!!!熱心にずっと説明するだんな、一生懸命聞き入るウェイターさん。。。ウェイターさんは自分のプライドを傷つけた上、説明までするこの男は一体なんのつもりでこのレストランに来たのかと不思議でならなかったに違いない。。。。その様子を私は必死に笑いをかみ殺しながら見届けていた。どれ位の時間が経ったであろう、やっとの思いで(?)その場を離れることができたウェイターさんはさぞかしホッとしただろうな、と思う。ケラケラ笑い始めた私を見てだんなが「何がおかしいの?」と聞いてきたので私は「どうしても、彼にこっちのチーズがマンチェゴなんだって、伝えたかったのね。」と答えた。彼は「そうだよ、それの、何がおかしいんだい?」と、真面目に、また聞いてきたので私は「普通のお客さんはね、ウェイターさんに教えを説かないわよ」と言うか言い終わらないかで私もまた、ケタケタ笑いが止まらなかった。彼がさらに真面目に「だって、間違ったことをお客さんに言うのはよくないよ」と真剣に言えば言うほど私はおかしくなって、笑い続けながら彼にわかるように答えてみた。「確かにそうだけど、間違いを認めさせた上、どこが間違ってるのか証明してみせて、そしてそれを延々と説明し続けるお客っていうのもなかなかいないものよ。」と。彼はやっと自分が(働いてもいない)レストランで(しかもデート中)何をしでかしたのか、わかったようだった。 皆さんにご想像がつくだろうか?何も知らない、と思っていたお客さんにいきなり「チーズのワックスの切り口を指差されて」「この線が見えるかい?」なんて聞かれちゃうことなんて。。。帰り道、彼はずっと「料理のことになるとつい。。。」と照れ笑いしていた。そして、そんなクソがついてもおかしくないくらい真面目なだんなだから、私は彼の、料理に対する姿勢を尊敬することができ、その真面目さに憧れのようなものさえ抱いてしまうのだろう。。。(って、結局はまたノロケ話だったわけです。ちゃんちゃん。)(久しぶりのテオだわ~↓)
2010年07月24日
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さて、だんながキラキラと生き生きと輝きながらケビンのお店でエスタージュを始めた頃、私もちょっと真剣に考えていたことがあった。-もし、だんなに「僕はレストランの仕事に戻るから君も明日から働いてくれ」と頼まれたら。私はどんな仕事に就くのだろう?明日から、というのなら、多分レストランのウェートレスが一番早く見つけられるだろう。スーパーのレジのおばちゃんだって、できるだろう。でも、もし、彼にも時間的な余裕があって、私にも選択権があるというのなら、どんな職種に就きたいのだろう。。。? そんな時だった。ガストンが末期がんで最期の1ヶ月半を一緒に過ごさせてくれるために大活躍した大河ドラマ「新撰組!」(↓このドラマのおかげで今やすっかり明治維新ファン。と、オダジョーファン。その話はまた今度) のビデオを貸してくれた、ピチピチの日本男児Nさんが子犬を飼いたい、と言い出した。このピチピチ日本男児Nさんと出会ったのはキックボクシングを通じてだったが、今では道場以外の場でも親しくしていただいている。ちなみに、この「ピチピチの日本男児」と「日本語」で言ったのは、何を隠そう、うちの旦那なのだ。Nさんと初めて会った時に受けた印象から出てきた言葉で、しかもそれは、Nさんにピッタリ当てはまっていた。Nさんは子供の頃から極真空手の内弟子だったこともあり、今時では珍しいんじゃないかと思うくらい真っ直ぐで、お辞儀をするにも斜め45度ピッタリ、両手は太ももにピッタリ、呼べば「おすっ!」と返事をするような、そんな印象を与える人なのだ。(極真を極める大山さん↓) さて、そんな彼から相談を受け、私は大喜びで子犬探しを始めた。1月の下旬だったろうか、彼は自分が人に与える印象とは全くかけ離れた、かわいいラットテリアとチワワのミックスを救助グループから引き取ったのだった。その時私は「躾のことなら多少知っているから、ぜひトレーニングさせて欲しい」と何を思ったのか口走っていた。超日本男児Nさんは多少戸惑いながらも「んじゃ、トレーニングのほう、よろしくっす。」と答えてくれ、私と彼は週に一度彼のお家で「清兵衛さん」と名付けた子犬のトレーニングをすることになった。 8週間のトレーニングが過ぎ、私は彼に「やっぱり動物と接することって楽しいよね~」と言うと、彼は「The Avs Girlさんって、こういうの向いてるんじゃないですかね~」とくったくなく答えてくれた。私はその時、そういえば子供の頃、テレビで見た警察犬のドラマに首っ丈で、そんなワンちゃんをたくさん育てられたら楽しいだろうな~なんておもってたのよね~と一緒になって笑うと、彼はちょっと真面目になって「やってみたらいいじゃないですか?」と言った。私は「え?」と言うと「やりたい、と思うことがあるんだったら、やるべきですよ。」と清兵衛さんと戯れながら、そう言った。。。家に帰ってそのことを旦那に言うと彼は「今だから出来る事、っていうのもあるんだよ。必要に迫られてだと、自分の本当にしたいことよりもまず、お給料がいくらで勤務時間はどれくらいで、っていうことを優先しちゃうだろ?でも、今の君はじっくり見据えることができる。もし、専業主婦でいたいのなら僕はそれでも構わない。でも君が仕事をしたい、というのなら、僕はそれも大歓迎だよ。」と。そして、彼はこうも付け加えた。「10年前なら僕だって、エスタージュをすることなんて、考えられなかったことを、今ではできるようになったんだから。」と。動物愛護や動物シェルターから身を引いてもう、10年くらいになってしまう。。。私に、できるだろうか、また、同じ過ちを繰り返さないだろうか。。。?いや、でも、犬の訓練士になる、というのはシェルターで働く、ということではないから、と自分に言い聞かせ、だんなのように「見習い」という形で入ってみよう、と。そして、犬訓練士の免許を持つスーという女性に連絡し「見習い」として受け入れてもらうことも決まった。 そんな時、私はシェルターの仕事を辞めて以来メールも電話もしていなかったフォスター課で一緒に働いていた(ボスでもあった)へザーからチェーンメールが届いた。「元気?」と一言だけ添えて。私はそのメールを何度も、何度も読み返し考えた。こんな妙にタイミングのいいことなんて、おかしすぎる、と。気がつけば、私は彼女に返信を送っていた。「また、ボランティアとしてシェルターで働きたいんだけれど、私はもうブラックリストに載っちゃったかしら?」と冗談を込めて。。。 彼女から返ってきたメールは大喜びの言葉が並んでいた。私は電話を取り、彼女の働くシェルターにボランティアの資料とアプリケーションを送って欲しい、と伝えた。そして、遂に私はシェルターのボランティアとして復活し、へザーとまた、一緒に仕事をすることになった。彼女は10年前の頃とまるで変わらず、満面の笑みで私を迎えてくれた。ボランティアを始めた当初はきちんとした犬訓練士になるには、と技術的なものや知識などに重点を置いていたのでスーとの時間を最優先していたのだが、シェルターでボランティアをするうちに私はたくさんの疑問も持ち始めていた。虐待され続けた動物や全くと言っていい程人間との接触がなかったような動物達に「名犬ラッシー」のようになれ!と求めるのには無理があるのではないか、と。そして、シェルターに連れてこられてしまった境遇があるからこそ、多少のことは目をつぶってくれるだけの余裕がある飼い主さんにもらわれていくほうが幸せなんじゃないかとまでも思い始めていた。犬訓練士スーのもとにはブリーダーからもらわれてきた、生後8週間の純血統の子達がほとんどだから、訓練士にとってはやりやすい子達ばかりが来るのだ。私はお母さんの存在さえも知らないような子犬達や、ハイウェイでうろたえながら、なんとか保護された子達のトラウマを全く知らない、無垢なままの子犬たちと接するのは、とても楽しかったのだが同時に私の「本当にしたいこと」というのは犬を「訓練」することだけじゃない、ということに気づき始めていた。。。 (↑ ボクも誰かおうちに連れて帰ってくれないかな~)
2010年07月20日
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そんなある日、ケビンのお店から帰ってきた彼はまたもや「相談」を持ちかけてきた。ケビンがラインコックの皆 に、彼のお店のお得意さんが専用シェフを探している、誰かその仕事に興味がないか、と聞いていた、と。私は「それで、あなたはなんて答えたの?」と 聞いてみた。彼は「僕はバーもあるし、無理だって答えたんだ。」私はふと、聞 いてみた。「あなた、ラインコックの中では最年長さんなんでしょ?」だんなは不思議そうに「そうだけど?」と答えた。あのね、私が思うには、よ。ケビンはあなたのこと、随分長い間、知ってるわけでしょ?10年前にも働いたことがあって、今でも ケビンのやってることをあなたは尊敬していて、エスタージュの時だって、パートタイムになってからだって、お仕事は真面目にきちんとやってる、そんなあな たの姿をずっと見てきてるわけでしょ?しかも、その専用シェフの仕事って、彼のお得意さんから来てるってことはケビンだって、よっぽど誰か信頼のお ける人にしか、その仕事をしてもらいたくないはずよ。今でこそ、レストラン業や、お料理界はテレビのお料理チャンネルやらで華々しいものに見えるけれど、 実際働くと華々しいどころか、長時間、暑い所で立ちっ放しの上、お給料も安くて、しかもあなたの働くような高級レストランなんかになるとラインコックから、スーシェフに昇格なんて、一体いつできるのかわからないから20歳くらいの、どこの誰だかわかんないような若手の子は、実情を知るとすぐ辞めちゃうわけじゃない?そんな子達にケビンがそんな大切な仕事を任せるにはいかないんじゃないのかな?それに比べてあなたはレストランのいい面も、嫌な面も、全 部知った上でケビンの元へと戻ったわけだし、年は確かに取っちゃったかもしれないけれど、それだけあなたは料理に対して真剣だということも証明していると 思うの。ケビンがあなたにしてあげれることはラインコックとしてパートタイムで雇ってあげるのが精一杯だったけど、今こうして、お得意さんから「あなたに とって」いい話がきたから、ケビンは何気なく、あなたにその仕事をするべきだと促しているんじゃないかしら?だんなは、しばらくの間考えてから「そうだなぁ~。そうなのかな~。。。まぁ、バーのほうも働いてるっていったって週2.3日の何時間だから な~。。。パーソナルシェフの仕事ったって、採用してもらえるかどうかだってわからないし、よしっ、面接を受けるだけでも受けてみるとするか。相談してよかったよ。ありがとう。」と微笑みながら答え、ちょっと目が輝いた。次の日、彼はとても明るい顔をして仕事へ出かけていった。そしてお昼過ぎ、「ケビンと話したよ。彼も推薦状を書いてくれると言ってくれ たんだ。」そう、弾んだ声が携帯の向こう側から聞こえてきた。。。その後はとんとん拍子で事が運ばれた。専用シェフのインタビューとあって、彼はとても緊張していた。ケビンのお得意さんは、とんでもなくお金持ちの石油会社の オーナーで、ハミルトンさんといった。どのくらいお金持ちって、自家用 ジェットが あって、美術館に自分の名前のついた建物を何ミリオンダラーも寄付して作り、魚釣りに行くと言えば、自家用ジェットに乗ってアラスカまで行き、お年は召されていても各自在宅パーソナルトレーナーがついていてお庭にはテニスコートが2つインサイドプールが1つあり運 動は欠かさない。相当の美術好きで、モネやピカソの原画が埋まるほど彼らの図書室の壁にかかっている。そしてなんと、ご招待なし では入れないフィッ シャーアイランドという島の一角をお持ちでゴルフと 言えばその島でするという(これがフィッシャーアイランドの一角↓) (コネチカットからフェリーに乗ってたどり着く。↓) とにかくの大金持ちだった。そんなハミルトンさんご夫妻と1時間に及ぶ面接を無事済ませ、(もちろん、入り口ではセキュリティ係りが彼を止め、ハミルトンさんからの承諾を得てからしかパーキング場までたどり着けなかった。そして、家の前では執事さんが彼を向かえ入れた。)彼は私に電話をしてきた。「とりあえず、3回料理を試しに作ってくれだってさ。1つめのテーマはあひる、2つめの テーマはバッファロー、で、3つめは僕が決めていいんだってさ。」私は「よかったね、まるで‘料理の達人’みたい。」と笑うと、彼も緊張がほぐれたのか、 くすっと笑った。そして、3回のお試し料理も無事終え、ハミルトンさんは「3ヶ月、仮採用」とおっしゃり、だんなも私も大喜びした。そしてその仮採用の3ヶ月はあっという間に過ぎ、彼は毎日のように彼らが喜びそうな味を求めああでもない、こうでもない、と久しぶりに料理の本に没頭する日が続いた。ハミルトンさんのお好みのお料理とは、だんなが好きなケビンのお店ようなテクニックをあまり要さないシンプルな家庭的なものが多いので、そういった分野での経験がまだ少なかった彼にとって新たな挑戦でもあった。ただ、レストランと違って、働く時間も短く(彼は夕食だけ作る。朝食と昼食は在宅お手伝いさんの仕事らしい。)待機時間のほうが長いので彼は一品ずつ(夕食はいつも3コース食されるらしい。う、うらやましい。。。)じっくり心を込めて作ることができるし、家に帰ってくるのも早く、週末はもちろん、ハミルトンさん夫妻が旅行やお出かけになるとお休みだし、何と言ってもさすがにお給料がレストランのラインコックからはかけ離れていた、というのも私達を喜ばせた。そして、彼らは今週、10日間ほど恒例の「別荘でご招待オンリーのゴルフ会」をすることになり、だんなは20人あまりの人々に、たった一人でお料理を出すことになった。私はフィッシャーアイランドに発つ準備をしているだんなに冗談っぽく聞いてみ た。「ねぇ、あれからもう、半年以上経つんだけど、ハミルトンさん、あなたに何も言ってこないわよね。まだ本採用にはならないの?」と。だんなは肩をすく め、シェフコートをスーツケースに入れながら私にこう言ってウィンクした。「仮採用のわりには待遇いいよな」彼が出張で家にいなくて寂しくなる反面、真面目にこつこつと働いてきた彼をケビンが認めてくれたおかげで、こんな新たな道へと彼が進み始めたことを、今ちょっと誇らしく思う。。。。(彼が愛情込めて作ったPierogi。サワークリームとカーメライズドオニオンで頂く。中身はチーズとポテトが入っている。↓)
2010年07月16日
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あれは、2年前の暮れだったろうか。。。彼は彼の兄達と一緒に経営しているヒッピーなバーで仕事をしているが、最近はほとんど書類整理やアカウントなどのマネージメントだけで、週に2,3回仕事場に 行って手続きをすませれば後は信頼できる人達が働いてくれるようになっていて、もう朝の4時まで仕事をせずにすんでいるのだ。バーの仕事が安定期に入ったということであろうか、でも、そうなると、ちょっとつまらなくなってきた、と彼がこぼしはじめていた頃だった。もし仕事をやめて別のことをするなら全サポートするよ、と私達は話し合っていたことがあった。ちょうどその頃、自分達で小さなサンドイッチ屋さんのようなものでも持てると楽しいだろうね、と夢を描いては、なかなかそう簡単にできない現実とのギャップにため息をついていた頃でもあった。ところが彼の友人がさっさとその夢(彼の友人もコックさんだった。)を果たしてしまい、1年もしないうちにそのサンドイッチ屋さんは大流行りになっていたのが、彼をちょっと落ち込ませてしまったのか、焦らせてしまったのかもしれない。普段、彼はあまり愚痴を言う人でもないし、相談もあまりしてくれないのだが(彼が言うには私を心配させたくないらしい。)ある日、滅多にないその、「相談」を持ちかけられたのだ。「僕はやっぱり料理がしたい。」と。。。ただ、自分ももう、20歳やそこらじゃない、年も取って、長時間暑いキッチンで立ち続ける事に不安があるし、本当にそれが自分のしたいことなのか、ただ単にバーでの仕事が嫌になってるだけなのかを見極めたいから、昔、お世話になった今も尊敬しているケビンテーラーのところでエスタージュ(お給料をもらわない見習いのこと。)をしたい、と。お給料も入らず、君との時間も減っちゃうことに君がどう思うかわからないから、ケビンに相談する前に君にきちんと了解を得たかった、とも。私にはずぅっと前からわかりきっていたことだった。彼が本当に情熱を持っていること、心から愛してやまないもの。それが、料理だっていうこと。だから、私は「がんばって、自分が本当に望んでいることを見極めることができるといいね。」と喜んで送りだしたのだった。(ケビンのお店はシアターディストリクトにあるホテル内のお店。↓) そうして、彼は新しい第一歩をまた踏み始めた。最初の一週間は久しぶりの長い立ち仕事で家へ帰ると、まるで日本の中年のおっさんのように「ふろ、酒、寝る」の3拍子だったのだが、それでも少しずつエスタージュの感覚に慣れ始め、しばしば彼は苦笑いと共に楽しそうにレストランでの様子を伝えてくれた。「包丁のスピードが落ちちゃって、スローモーションのように感じるよ。」とか、「ラインコックの中では僕が最年長なんだ、なんか、時代を感じちゃうね。」とか、「ケビンの息子、覚えてる?僕が最初にケビンの元で働いてた時、彼は、まだ8つか9つだったんだよ、それが今じゃ、スーシェフ(シェフと同等、またはそれと同じくらいの地位)になっててさ、まだ赤ちゃんのような顔してるくせに、さすがに才能あるヤツだよ、僕の知らないテクニックを使って、見事な料理を提供してるんだ。」と、毎日、毎日、活気立っている彼を見るのが私はとてもうれしかったし、久しぶりの彼のシェフコート姿がとても格好良く似合っていて、まぶしいくらいだった。(毎夜、毎夜、このお店では、こんなものや↓)(こんなもの ↓ が「これでもか!」という位出てくる。。。) 3ヶ月エスタージュを続け、彼はとうとうパートタイムではあるが、ケビンの元で仕事として働き出した。週に2,3回の夜、彼はラインコックとして一生懸命働いた。全てが彼にとって納得できることらしいかった。キッチンの暑さ、時間の長さ、スピード、忙しくなった時のアドレナリン、キッチンでは1人1人が別の仕事をしているように映るが、本当はチームワークなしでは成り立たないということ、仕事を終えた後の充実感。。。どれだけ忙しくても、彼はその古巣-自分の本当の居場所-に戻れた事がうれしくて仕方ないという風だった。そして、去年の秋、彼はまたもや「相談」を持ちかけてきた。「僕はやっぱり料理することが好きだ。」と。。。ただ、レストランで働くなら、自分はケビンのお店より格が下がるお店で働くのは嫌なんだ。コロラドではケビンのお店は最高級のお店だし僕はパートタイムであっても、そんな彼のお店で働くことに誇りが持てる。ただ、彼の息子がスーシェフである限り、自分はラインコックでしかなり得ない。あのレストランで感じる、アドレナリンは最高のものだと思う。でも、やっぱり自分はラインコックでは終わりたくない、と。と、なると、やっぱり自分でレストランを開ける、ってこと?と私が聞くと彼は「多分本当に自分がしたいことって、小さなレストランを持つことなんだろうけど。。。」彼はため息と共に続けた。今のような最悪な景気の中で、資金もそれほどない上、レストランってビジネスは一番失敗しやすいんだ。だから、ローンもなかなか組めない。それに、バーを初めからやってきた僕としては、また一からの出発って言うのに自信がないんだ。10年働いたバーの半分以上は一日12時間以上働いてきただろう、それを繰り返さなきゃいけないのかと思うと今はまだ、憂鬱にさえもなるんだよ。自分のお店を開ける時って、バーをきっぱりやめて、しばらく休暇を取ってからにしたいし、家のローンとかのメドがついてからにしたいんだ、と。私は ここまで真剣に家のことや将来の事をしっかり考えている彼を見て、なんと言ってあげればいいのか言葉につまった。私は何度も同じことを繰り返して言うけれど、バーを辞めてレストランで働くというのや、お店を持ちたいと言う事で金銭的にあなたにプレッシャーがかかるのなら、私もまた仕事を見つけるから、夢を捨てるのだけはやめてね、とだけ伝えた。。。 (愛情いっぱい、心を込めて一つ一つ作る彼の手つきはまるで赤ちゃんの頬を撫でるように優しい。ちなみにこれはポーランドのぺロギ(Pierogi)と呼ばれる餃子のようなもの↓)
2010年07月15日
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我が家では動物達の誕生日は、我が家でその子を引き取った日である。ほぼ確実に私達はシェルターから譲渡してくるので、その子達の本当の生年月日などわかるはずがないし、シェルター側もだいたいこの位の年齢と、予測でしか言えないので、例えばミドリを引き取った時、彼女がすでに生後6ヶ月であったとしても、我が家ではその日が彼女の誕生日ということになる。7月11日はガストンのお誕生日だった。彼が虹の橋を渡って、もう、1年を迎えてしまった。。。 去年の年明け辺りから、ガストンが少し痩せたように思えたのと、鼻先がかぶれているような症状が続いていたのが心配でいつも行く、獣医さんに連れて行ったのが、2月だったか、3月だった。獣医さんは鼻先のかぶれのほうが気になったらしく気の毒そうに私を見つめてこう言った。「白い猫に特に起こりやすいんだけれど、皮膚がんの可能性があるわ、それに、お腹にも何かあるみたいなの。。。」 私の頭が真っ白になった。獣医さんは私に、それでも初期のガンなら、いろんな対処策があるから、と私を落ち着かせようとしてくださった。でも、何日か経って、帰ってきた結果は悲惨なもので、彼のガンはもう末期にまで進行しており、体中ガンに蝕まれていたことだけがわかった。先生は、漢方薬で症状を遅らせることくらいしか、もう、なす術はない、とおっしゃった。私もだんなも、ガストンにある、自然治癒力に賭けてみることにした。お別れの日が近づいていることを、彼は感じていたのだろうか、それからも、彼はずっと私やだんなに甘えまくり、いつでもすぐ側にいて離れようとしなかった。元気な頃は気ままにべったりの甘えたさんだったのに、彼は自分だけのお気に入りのバスケットを2つほど見つけ、一人で寝ることが増え、ミドリやサクラ、気ままやレイチャールズがいつもいる2階の部屋よりも、地下の部屋にいることのほうが増えた。それでも調子のいい日はご飯も自分で食べることもできたし、少しくらいなら遊ぶこともできたから、私は騙し騙しでも彼が側にいてくれることを望み、できるだけ元気に声をかけ、心配するであろうから、涙もぐっとこらえていた。 当時、私はかなりの浦島太郎子で、日本で流行っていることや起こっていることにあまり感心がなく、それを心配(?)したコロラドに住んでいる日本人(その人はピチピチの日本男児でもある。)のNさんが2004年に流行った大河ドラマ「新撰組!」の全ビデオを貸してくれていた。どちらかというと、歴史物のテレビや映画にはあまり興味がなかったのだが、ガストンと、まったりする時間を少しでも多く作りたかったので超大作のこのドラマは、その時間を作ってくれる最大の友となった。(そして私はズッポリ今や大河ドラマ狂に染まってしまっている。)毎晩、用事を済ませ、一息ついたら洗濯物をたたみながら「新撰組!」を地下にあるテレビで見始める。すると、あの、いつものちょっとヌケた声でガストンが「みゃうわうわ~」と言って私の座っているカウチにやってくる。時にはヌクヌクの洗濯物の上でグルグル言いながら寝ていたり、時には私に赤ちゃん抱っこ(彼はそうされるのが大好きだった。)をされながら、「新撰組!」はガストンと私にとって、欠かせないものとなっていた。そして、思わず、そんな日がずっと、これからも続くような錯覚さえも覚えた。 でも、ガストンは確実に弱っていた。もう、遊びもしないし、あんなに大好きだったマタタビにも見向きもしなくなり、ご飯の食べる量も減っていった。私は自分では覚悟を決めてたつもりだったが、(そんなこと、できるわけないのも、わかってはいたのだが。)脳裏に浮かぶ「その日」は何度も、何度も私を苦しめた。ある日、私がおトイレに入るとガストンも一緒に中に入ってきた。我が家のトイレには猫じゃらしが何本か置いてあり、トイレも猫との和み用部屋になっていたので、もう遊ばないというのがわかっていながらも猫じゃらしを取り出し、ガストンに「遊ぶ?」と聞いてみた。すると、ガストンは「みゃみゃみゃっ」と言って、遊ぶ体制に入り、かなりの時間、私と彼は小さなトイレ室で遊んでいた。どれだけの時間が経っただろう、私は彼が無邪気に遊ぶ姿を見て、急に涙が溢れ出て止まらなくなってしまった。なぜだろう、その時私ははっきりと感じ取ったのだ。ガストンが「おかあしゃぁん、お遊びはこれが最期だからね~。ボク一杯遊ぶけど、そろそろ行かなきゃいけないみたいだよ~」と、体で彼は伝えてきたことを。私は「いやだ、いやだ、そんなこと、まだ考えなくてもいいよっ!」と自分の考えを打ち払おうとしてみたけれど、どうしても、このお遊びが、ガストンと戯れる最期になると確信を持って感じられた。次の夜、私はいつものように地下の部屋で「新撰組!」を見るため、ガストンを呼んだ。「ガストン~はじまるよ~、一緒に見よう?」いつもなら、あの、かわいく、でもちょっと情けない声で、「みゃうわうわ~」と鳴きながらやってくるのが、その日の彼は、どこか私と一線を引いたような態度でバスケットから出ようとしなかった。私はお腹に鉛がはいっているような、重い、重い気持ちになった。そして、その気持ちは主水の時にも、困るの時にも感じたのと全く同じものだった。ガストンはグルグルも言わず、窓辺で空を見上げながら、もう、自分はここに存在していない、というような態度でその夜を過ごした。。。次の朝、私は皆にご飯をあげ、お腹に鉛のようなものが入っている気持ちのまま、ガストンにも朝食をあげたのだが、私の気持ちと反して、彼は朝食をほぼ完食したので、私は少しだけ胸を撫で下ろした。そして、漢方薬とビタミン剤をキッチンから取り出して、地下へ行ったその瞬間。。。。ガストンはフロアにへたり込んだようにうずくまり、目を大きく見開き、息ができないっ!という風に私に叫びながら訴えていた。。。彼の瞳孔は開き、足はふらつき、息も荒く、2,3歩歩いただけで、すぐにうずくまってしまう。私は急いで病院に電話をした。。。。 そして、青空の広がる、コロラドで私の最も愛する季節の春、2009年5月16日のお昼過ぎに彼は永眠した。。。 ガストンは名の通り(私の大好きな作家遠藤周作の「おバカさん」という本の主人公の名前。詳しくはこちら)ちょっとどこか抜けてて、でも人一倍のお人よしで、人を笑いで一杯に包んでくれるのが大の得意だった。病気がちで生まれてきた最初の一年は獣医通いの毎日だったが、その後は大きな病気も怪我もなく、たったの9年だけど、私達にたくさんの幸せと微笑みを与え続けてきてくれた。毎日、毎日。。。。9年前、動物シェルターで、目やにと鼻水と脱水症状がひどくて、もうこの子は無理だろう、と言われ安楽死室へ連れて行かれる直前だった。1日でも、2日でも生きてくれるのなら、私がシェルターではなく、家の生活をさせてあげてから逝かせてあげたい、そう思って引き取った子。。。そんな子が9年も生きてくれて、私達に笑いと愛を与え続けてきてくれ、大切なことを教え続けてきてくれた。「おかあしゃぁん、元気にしてくれて、ありがとね。ボクお返しに「愛」というものを時間が許す限りお届けするね。」と、あのかわいくも、情けない声で、ちょっぴりオドオドしながらも、グルグルと頭突き攻撃で体当たりしながら。階段で転んだり、困るならスッと上れるくらいのカウンターにも上れずに爪をガリガリ言わせながらズルズルとおっこちちゃったり、おもちゃのボールを犬のようにくわえて持ってきたり、キャットニップの蓋を開けたら目を大きくして必死の形相で走ってやって来たね。水植えしている竹の植木鉢から水を飲むのが大好きだったね。テレビでホッケーを見るのが好きだったね。人間のご飯にはあまり興味を示さなかったけれど、ベイビーフードの、しかもなぜか「マックアンドチーズ」味が大好きで、お誕生日にはそれさえあげれば幸せそうに舌なめずりしながら食べてたね。フリースが大好きなくせに、布団の中で寝るのは気ままがいる時だけだったね。 ガストン、たくさんの幸せと愛情をありがとう。生きていたら10歳になってたガストン、今頃は虹の橋で、また、困るに追いかけられて「みゃうわうわ~」と情けない声を出しながら元気に走り回っているのだろうか。。。
2010年07月14日
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しかしながら、このブログを放置して、かれこれもう、1年半ほど経ってしまった。。。そして、その間にも我が家ではいろんなドラマが繰り広げられていた。。。ガストンが末期がんで虹の橋を渡り、もう一周忌を迎えたこと。。。だんなが、自分の本当の夢、「料理」をまた真面目に受け止め始めたこと。。。私が自分でビジネスを持とうと活動をし始めたこと。。。 ミドリがK9Good Citizenの試験にパスしたこと。。。 サクラの問題行動で再確認した、「あること」。。。 気ままの21歳で迎えた大往生。。。 たかが一年や二年で、何がどうなることでもないが、今、ブログ再開に向け、過去を振り返って、やはり思う。人生には無駄がなく、私のこの、のらりくらりとした人生でさえも私に問うてくること、教えてくれること、そして考えさせられることというのは、どれをとっても、とても貴重だということ。その一つ一つを、こうしてブログとして残していくというのは、実を言うと本当はとても素敵なことなんじゃないか、そんな風に、また思えるし、ブランクのある過去2年ほどの出来事も、やっぱり残しておきたいから、ブログを続けていこうと思う。(さて、この向上心はいつまで続くのか。。。)それはともかく、私はどちらかというと社交的に映るようで、友人からも、つきあいが多そうね、と言われることが、しばしばなのだが、実を言うと片手で数える程度の「友達」しかいない。それは多分、二十歳前半でアメリカに渡ったことも大きな原因だと思われる。その当時電話代はバカ高く、(コロラドに来てすぐに日本の友達と電話で2時間以上しゃべった後、400ドルくらいの請求書がやって来てだんなに国外線をキャンセルされたこともあったっけ。)インターネットやコンピューターのない時代(年代がバレるじゃないか。。。)だったので手書きの手紙で日本の友人と連絡を取り合っていた。それでも日本との繋がりを絶ちたくなかった私は(当時)たくさんいた(と思われた)友人一人一人に近況を伝えることを欠かさないようにしていた。アメリカに来た当初は親戚関係からも手紙をもらえる状況だったのが、一年経ち、二年経ち、、、としていくうちに親戚関係はもちろん、友人からの連絡も、どんどん減っていった。コロラドに住んで18年の間に日本へは3回帰ったが、その度に「会いたい」と思う友達が減ったこともある。それは私がアメリカで変わってしまったのか、日本で生活しているうちに相手が変わってしまったのかは、わからない。けれど、友人(と思っていた)の価値観が受け入れられなくなってしまった自分を発見したり、共通点があると思っていたのに実はなかったことを確認してしまったことが何度かあって、そんな人達とはもう長い間音信不通になってしまった。今でこそ、「友達」と呼び合い、お付き合いしてくださる人もこれまた少数ではあるが、コロラドにも何人かできたけれど、最初の4,5年の間は英語という壁があったため、すぐに友人を作ることができなかった。だからこそ、よけいに「友達とは、家族とは」ということを、自分の心に整理をつけるため、真剣に考えていたのかもしれない。それから最近になって、アメリカでの生活にも随分慣れ、英語を使っての日常生活も困らなくなり、仕事上や、だんなとだんなの兄ちゃんがバーを経営していることから私を慕ってくれる人たちもかなり増えた。でも、それは「友達」とはまた違う。。。 では、私はどこで「友達」と「知人」をわけているのだろう?昔、「人」と言う漢字はヒトとヒトが支えあっているように書かれているところから来ている、というようなことを聞いたことがあるが、私にとって「友達」とは、どれだけ筆不精であっても、どれだけ連絡が途絶えていても、一旦電話をしちゃえば、大笑いをしながら、まるでしゃべったのはつい昨日のことのように感じさせてくれる、そんな関係が「友達」に当てはまる。「え~と、最後に会ったのは去年の今頃ね~、元気?(ええ~と、次何話そうか?)」とかって考えなきゃいけないような関係は「知人」なのである。実を言うと私もだんなも、大勢の人が集まるイベントやホームパーティが大の苦手である。例えば、仕事でしかお付き合いのないAさんからホームパーティに招待されたとしよう。それでなくともあまりよく知らないAさんがホスト役であり、そのパーティに来るのはAさんの家族や友人なのである。それが大勢であればあるほど私達はどうしていいのかわからないのだ。だいたい、ホスト役の人はいつも接待やお料理などで忙しいので、Aさんは私達がAさんなしでも楽しめるようにとBさんやCさんを紹介してくれるわけだ。で、Aさんは「一緒に働いているThe Avs Girlさんと、そのだんなさんよ。」とBさんやCさんに伝え、私達には「幼馴染みのBさんとCさんよ」と言って、その場を離れる。すると、残された私達だけで、紹介された以上はなんらかの会話を進めなければならない。一応自己紹介くらいはするが、そんな短い時間でどうやって相手を知ることができるだろう?しかも、それほど知り合いたい、と思って話をしているわけではない。ということは無難な話、天気や出身地や仕事の話だけで、「友達のように」会話を続けなければいけない。私達はそういった、その場限りの会話というのが苦痛にしか思えず、よっぽど行かなければいけないイベントやパーティ以外は一切行かないし、行ったとしても、1時間もいればいいところで、そそくさと帰ってしまうのがオチだ。結局のところ、私もだんなも「友達」とはお互いを「吟味」しあって、心から「理解」と「信頼」をしあえて、ちょっと嫌なところがあったとしても、まだなお「大切」に思える人のことのように思える。だから私達は「知人」は多いが、「友達」と呼べるのは本当に少ない。そんな私が、つい最近、日本にいる数少ない素敵な友達と久しぶりに会話が弾んだ。声を聞くのは日本に最後に帰って以来なので5年ぶりだった。でも、彼女達はやっぱり声を聞いた瞬間、くったくなく笑い、冗談を言い、距離感の全くない会話をし、血こそ繋がってはいないが、今も家族以上の存在で在り続けてくれていた。そして、それはどんな素晴らしい本や、おいしい ご飯にも勝る元気を私に与えてくれたのだった。たくさんの「知人」を「友達」と思い違えてるよりも、ほんの一握りだけであっても、生涯を通じて付き合える「本当」の「友達」がいるほうが、ずっと幸せだと思う。そして、私はそんな「友達」が片手で数える程も、いることに感謝している。。。。
2010年07月10日
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戻ってきてみた。。。。友人の鉄平ママさんに昨日電話で話した時「ブログくらい続けてくれてたら、電話がなくとも、ああ、元気なんやな、ってわかるのに」と、言われて、ちょっとうれしくなって、やる気がでたのかもしれない。一応コメントの荒しだけは削除して、さぁ、どうしたもんだか。何から書けばいいのやら。。。とりあえず、復帰するかも、ということなのかな、これって。。。
2010年07月09日
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スプリングブレークが終わるまで出待ちを避けていたのだが、プレイオフになると、もう、練習も公にしないし、 サインをもらえる確率も俄然減ってしまうので、私はなんとか、ねぐせ君とじゅんぞうさんとクマのツーショットに各自クマからサインをしてもらいたく、また、日課(?)である出待ちを始めた。さすがに学校が始まると週末ならともかく、平日は確実に出待ちファンが少ない。その日も私と20人くらい、そしてその半数はもう、出待ち常連なので、前回の喧々とした刺々しさはなく、和気合い合いとした雰囲気だった。アバランチの装備係りのアーチという人が黒幕ゲート前にやってきて、みんなに聞こえるかのようにアナウンスした。「ピーターがサインする、と言っている。が、絶対彼の車に触らない、サインは一人1枚、という条件付きだ。守れるか?」 もちろん、出待ち常連は、スプリングブレークにしか来ない”アマチュア”出待ちファンじゃない。そんなの、当然だ、というような顔をして「お願いしま~すっ!」と応じた。しばらくして、ピッカピカのポルシェが黒幕ゲートから出てきた。ピーターだっ!!!その瞬間、さすがの常連出待ちファンもざわめいたが、約束は約束だ。ファン同士で「一列に並んで、それから、車に触っちゃだめだよ」と口々に言い合いながら順序良く、行儀良く、自分の番が来るまでドキドキしながら待ったのだった。クマは、ファンがおとなしく礼儀正しくして待っていることがわかると、初めて会った時のニコニコ顔になり、みんなに挨拶し、写真を撮り、サインをし始めたのだった。私も洩れずに列に入った。今回、残念ながらサインは1枚だけ、ここはどうしてもじゅんぞうさんとのツーショット写真にサインをしてもらいたい。私は高鳴る鼓動を抑えながら、順番を待った。やがて、私の番がやってきた。私はいつもよく使うテ(!?)で、じゅんぞうさんとのツーショット写真(しかも8x10)を差し出し、何気に彼に言ってみた。「ハロー、これ私の友達で、日本にいる、あなたの大ファンのためなの。」すると、どうしたことであろう。。。ピーターは。。。クマは。。。じゅんぞうさんとのツーショットをしばら~く見つめ、私の顔をチラリ、チラリ、と見つめ、またツーショットに目を移した後、突然。。。、、、、、、、、、、、、、、おおお~~~、、、、、、、、、、、、、、、、、、見たぜ、見たぜ、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、お前ら、テレビに、、、、、、、、、、、、、 、、、、、、、、、、、、、、え~~っと、なんだっけ、、、アルティチュードの、、、ほら、え~~と、、、、僕もたまに出演するんだっけ、、、、なんだっけかな、、、、アルティチュ-ドの、、、、、、、、、、、、、 急にあの、みんなが言う「シャイ」なはずの「嫌なヤツ」なはずの「むっつり」なはずのクマが、まるでラッピーやライルズのノリになっているではないか!混乱しまくっている私も私でえ?クマが?いや、まさか???テレビ、しかも、、、、、、、、、、、、、、、ファンが見て楽しむ 「アバランチアラート」、見てた????、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、うひょ~うきゃ~、、、、、、、、、 、、、、、、、、、 マジっすか~私の頭は完璧にフリーズしてしまったのだが、ここでがんばらねば浪速の女が廃る。「み、見てくれてたの??彼女、きっと喜ぶわ。毎年ね、20時間もかけて、あなたに会いに、8年も通い続けていたのよ。」と答えた。(が、頭の中ではさらに「マジっすか~」が空回りしていたのは言うまでもない。)彼はニコニコ顔で大きくサインを書き、なんと、彼自身から聞いてきてくれたことがあった。「で?彼女の名前は?スペル、助けてくれる?」おおおお~~選手からパーソナライズをしよう、と聞いてくれた選手はラッピー、アービーの2人くらいしか、私は知らない。しかも、今、このスウェーデンのプリンス、ピーターザクマが、「じゅんぞうさん」を個人的に意識し喜んで自ら彼女の名前も書こうじゃないか、と仰ったのだ!これは、もう、本当の奇跡としか思えなかった。私はゆっくり彼女のスペルを彼に伝えた。彼も、1語1語、丁寧に彼女の名前を書きとめてくれた。私はうれしくて、うれしくて、涙が出そうだった。そして、じゅんぞうさんが、その場にいないことが、本当に悔やまれた。私は「本当にありがとう。彼女、とっても素敵な思い出ができた、って喜んでたの。このサイン、明日にでも送らなきゃ。」と、にっこり微笑んでるピーターに、やっとの思いで伝えると、彼は「あの特集、よくできたね、って伝えておいてよ。」とまで言ってくれたのだった。。。アービーに会いに、モントリオールに行って、ハグまでしてもらった日の事。セオドーに、刺青の本をあげた時、「くれるの?」と聞かれ「いえ、来週までに返して下さい」と冗談を言って笑った日の事。ラッピーにお昼ゴハンでも、一緒にしない?と何気に聞いてみて「いやぁ、今日の午後はアーニーの誕生日パーティがあるんだよ」となんだか真面目に、友人のような会話をした事。ライルズに好きなキャンディをあげたら、次の日に「キャンディありがとう、おいしかったよ。」と言ってもらえて舞い上がった日の事。サレイに肩を抱かれてツーショットした写真がまるでマフィア夫婦のように映っていた日の事。スバトスに、「結婚、おめでとう!」と聞いた時「わ、知ってるの?ありがとう!」と答えてもらい、ツーショットする前に「奥さん、怒らないかな?」と彼に冗談を言った日。テレビ出演までして、アバランチファンだということを宣伝した事。そして。。。クマに、8年もかかっちゃったけれど、ようやく日本から毎年コロラドに足を運んでくれる熱狂ファンの存在を知らせることができた事。。。まったく、こっ恥ずかしい事ばかりしてるじゃないか、大の大人が、と私でも時々そう思うことがある。でも、ああ、こんなファンもいるんだ、って覚えてもらえて、いつか、彼らがリタイヤした日やゴルフしてる時、フッと思い出して、笑みを提供できるファンになれたとしたら、けっこうすごい事かも、とも思う。いつか、選手同士で「あの、クレージージャパニーズファン、覚えてる?」とかって、酒の場が盛り上がってくれるといいな、とも思う。クマが、あの日、テレビで見たよ、と、言ってくれた時、じゅんぞうさんを覚えてくれてたんだ、と知った時、モントリオールでナンシーやサラに「泣くほど会いたかったんだね。」と言ってもらえた事を思い出して同じ切ない気持ちになれたんだと思う。じゅんぞうさんの、ラブストーリーが、こんな素敵な結末を迎えることができただなんて、誰が思ったことだろう。。。クマが、アービーやラッピーのような、全然お高く止まらない、本当のホッケープレーヤーで、ごく普通の好青年だったこと、そして、こんなに夢を与え続けてくれるホッケー選手達に笑いを提供できるファンに、、、乾杯。。。
2008年11月23日
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私達は大満足だったのだ。。。これが、ほんとに最後の最後に見れるピーターザクマかもしれない彼に(彼は怪我が多く毎年リタイヤを噂されている)会えて、話せて、サインももらえて、写真も一緒に撮ってもらった。ねぐせ君も、じゅんぞうさんも、これ以上の土産話はない、と大喜びだったのだ。 、、、、、、、、、、 そう、私も含めて、3人ともこれ以上に何かが起こるなど、これっぽっちも予想していなかったのだ。それなのに。。。。翌日はアバランチのデイゲームがあったので、これまた早起きをしなければならなかった。なぜなら、アルティチュード番組のジュリアさんが、もう一度、ゲームのある、ペプシセンターでインタビューをしたい、とおっしゃっていたからだ。もちろん、私達もウォームアップを見たかったし、またインタビューを受けるのかと思うとちょっぴりワクワクしてしまう、なんならこの際思いっきり目立っちゃおう!と今回初めて、ガラス越しに張り付いて選手達にメッセージを送るため、ダンボール紙にそれぞれの願いを書きとめてもみた。準備万端、いざ、ペプシセンターへ。会場にはまだ、そんなにたくさんのファン達は来ていなかったが、私達は席を確認し、選手のウォームアップを見ることにした。ラッピーはすっかりねぐせ君が気に入ったらしく(?)パックをガラス越しに打って挨拶をしてくれた上、ダンボール紙に書いたメッセージを一生懸命読んでもみてくれた。(今度はもっと大きなダンボール紙を用意しませう)他の選手もチラリ、チラリと私達をチラ見し、私達のテンションがますます高鳴っていった時だった。「The Avs Girlさん?」振り向くと、ジュリアさんがカメラマンと一緒に微笑んでいた。私達がそれぞれ挨拶をした後、ジュリアさんから聞いてこられた。「で?昨日はどんな選手達からサインをもらったの?」私は大喜びで、セオドーや、仏陀、ラッピーの名を言い、大きく息を吸った後、「なんと、フォレスバーグからも頂けた上、写真まで撮ってもらえたんですっ!」と彼女に言った。ジュリアさんは目を丸くして、「うわ~、念願がかなったわね~」と一緒になって喜んでくださったので、私はいかにじゅんぞうさんが彼を愛し続け、求め続け失敗し続けていたことを(じゅんぞうさん、ごめんよ~)彼女に伝えたのだ。すると。。。今までにこやかに微笑んでいたジュリアさんの表情が急に引き締まって、「その話、使えるわっ!」と言うや、私に「カメラを回すから、今私に言ってくれたこと、全部カメラに向かって話してちょうだい!」とすっかりレポーターの彼女になって言ってきた。だから、私は頼りない英語だったけど、一生懸命カメラに向かって訴えた。じゅんぞうさんが、8年も想い続けたのに彼に直接会って、サインをもらえたことがなかったこと、今回やっとピーターザクマに会えて、話もできて写真もサインも頂けた事。とても、素晴らしい経験と思い出ができたこと。。。ジュリアさんはにっこり微笑んで、「ありがとう、よく出来てたわ。さぁ、ウォームアップ、後もう少しだから、見過ごさないで。」とおっしゃった。試合は残念ながら負けちゃった上、とうとうピーターザクマが出場している場面には出会えなかったものの、じゅんぞうさんもねぐせ君の顔にも、「コロラドにまた来てよかった。」 という表情がありありで、私はそんな彼らを見ることが出来てとてもうれしかったのだ。。。あっと言う間にこの、ねぐせ君とじゅんぞうさんの弾丸3泊4日ローラーコースター旅行は終わってしまったけれど、私達はその後もメールやチャットでアバランチを応援し続けていた。そんなある日。。。 私はいつも通り毎週水曜日に放送される「アバランチアラート」という番組を見ていたのだ。それは、アルティチュード局が放送する番組で、アバランチの試合結果やアナライズ、そしてちょっとだけ、アバランチの選手の普段の顔を見せるかのような構成になっている。私はその特集が大好きだったし、ねぐせ君やじゅんぞうさんにも滅多に見れない選手の素顔を見てもらいたく、毎週DVRに落としていた。コマーシャルが終わって、いつもの私の好きな特集だ、と思って見ていると。。。司会者がロッカールームに立ち、今日のテーマを伝えている。「NHLのホッケー選手はたくさん、違った国からやって来てひとつのチームを作ります。例えばヘジュークはチェコ、ウォルスキーはポーランド、、、今回のテーマはチームだけでなく、ファンも各国からやって来ている事をご紹介しましょう!」私達の事じゃん~~~!!!テレビの前にはまさしく、じゅんぞうさん、ねぐせ君、そして私が練習を見ているではないか!!!私の声がインタビューの通訳として流れている、そして、その間にもじゅんぞうさんとねぐせ君の一生懸命練習を見ている姿が映し出され、パトリックワーの大活躍も映像に流れた。最後はあの、ペプシセンターでジュリアさんに話した「じゅんぞうさんのやっと叶ったラブストーリー」で締めくくられていた。。。うひょ~~~すごいぢゃ~んと、思うか思わないかと同時に私の携帯がジャンジャン鳴り出した。「どうして言ってくれなかったのよ~、テレビに今映ってたわよ~、ビデオ撮り逃しちゃったじゃない~」こ、抗議の電話だった。。。しかし、そうは言われても私自身、何の連絡も受けていなかったのだ。一応おもしろそうな話だから撮っておくけど使うか使わないかはテレビ局が決めることだし、ポシャッていても仕方のない私の英語力だったのだから。。。しかも、撮影後、ジュリアさんは確かに言った。「放送前にはちゃんとメールでお知らせしますよ、それに、感謝の気持ちを込めて、その放送もDVDで2枚送りますから。」と。。。DVDも来ていない、メールも届いていない、だからポシャった、と思ったほうが賢明だ、と私は思っていたのだ。びっくりして、ジュリアさんに早速メールを送った。すると、彼女からはやっぱり、仕事が忙しくて事前にメールを送れなかったこと、見ることができてよかった、とのこと、そして、DVDは必ず送る、との事だった。。。。そして、この「アバランチアラート」が、とんでもない大役を果たすことになるなんて、一体あの日、誰が思ったことだろう。。。。、、、、、、、、、、、、、、テレビ出演までもしてしまった私達だったが、その日以降も私は、ほぼ毎日のように(←これを本業ストーカーと言わずなんと言おう?)飽きもせず練習を見に行っては出待ちして、だんなを放ったらかしにしていた。スプリングブレーク(学校がお休みになる期間)中に、ピーターザクマはなんと、100人以上ものファン相手にサインをしようともしてくれた。ファンはそれこそアバランチ(雪崩)のように彼に殺到してしまったがために、クマは嫌気が指してしまい半数以上ものファンはサインをもらえず、「嫌なやつだ」「誰のおかげでメシが食えると思ってる!ファンなしでお前は存在しないんだ」(←これを極論と言わずなんと言おう?)と口々に悪態をついているファンを私は目撃してしまい、憂鬱になってしまった。クマはファンが殺到する前から、殺到し始めてからも、ずっと「サインは一人1枚だけだよ」と言っていたではないか。それなのに、欲の深い馬鹿親達は哀れにも自分の子供(しかも3歳、5歳、といったクマの名前さえきちんといえないような幼児を、だ!)をダシにして、自分が家族や友人に自慢したいがために何枚もサインをもらおうとしていたのを、私は知っている。哀れな子供達は、その馬鹿親どもを喜ばせたいがためにクマの前に立つが、一体、クマが誰なのかもわからず、しかも、馬鹿親だからサインをもらった後「ありがとう、と言った?」のフォローさえもない、だから子供は逃げるかのようにクマの前を去っていくだけだ。クマだって、それくらい、お見通しだったはず。きっと、何年もこうしてファンからリスペクトのない対応をされてきたのだろう。「サインは一人1枚だよ」といった、本当に簡単な約束さえ守れないファンにどうしてクマだって穏やかでいられるだろう?クマだって、もっとたくさんのファンに触れてツーショットもいっぱい撮って、サインだってしてあげたいと、思っていたのかも知れない。彼だって、コロラドの地で、ファンと触れ合えるのがこれが最後だと頭の片隅で思っていたのかもしれないじゃないか。ファンなら、自分の後ろでドキドキしながら待っているファンのためにも、この機会をお互い分かち合うべきではないのか?せっかく、2度目のクマと出会うチャンスではあったが、この日はサインだけ、なんとか頂き、なんだか気の重い気分で出待ちを後にしたのだった。
2008年11月21日
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あっと言う間に楽しい時間は過ぎ、出待ちしているファンも少なくなり、ピーターザクマは出てこないんじゃないか、という空気がどんどん流れる中、たった一人、ねぐせ君は何度かゲートにかかっている黒幕の隙間をのぞいては「あの、Audiが怪しい」(←ピーターザクマが乗っているかもしれない車)とブツブツ言いながらソワソワしていた。(黒幕ゲート↓)じゅんぞうさんはいたって平静とされながら、かばんの中をゴソゴソしていた。(しかもアメリカ人にはなかなか真似できない、うXこ座りをされておられた。)すると。。。ベースボールキャップをかぶった選手がふらり~と出てきた。私は前にいた女の子が言った言葉を聞き逃さなかった。「Mr.フォレスバーグ、サインしてもらえますか~?」しかも。。。彼の答えは、小さい声だったが、紛れもなく、「オーケー」 だった!!!言葉を失っていた私の前に、ねぐせ君が何事か叫びながら走ってきた。(ねぐせ君にしてはかなりハイだったように覚えている。) 「大変だ~!来るぞ~!!クマが来るぞ~!!!」(それにしても、これ、日本語だったからよかったものの、英語だったら本人前にして「クマ」はいかがなもんでしょう。)おおお!そうだった!!!じゅんぞうさんの、8年もの長い長い、片想いが今、やっと実るのだっ!「準備万端にしてっ!クマがっ!クマがっ!サインするって言ったのよっ!」私も口早に、うXこ座りしながらかばんをガサガサしてる彼女に叫んだ。じゅんぞうさんは、信じられない、といった顔を私に向け、たった一言、「クマ....?」 と、 言ったかと思うや、まるで、吸い込まれるかのように、すっと、クマを待つ人ごみの中へと入っていった。その敏速さは、今までのじゅんぞうさんからは想像が つかないくらいだった。私はまたもや、アービーと、再会できた、あの、モントリオールを思い出していた。ねぐせ君はじゅんぞうさんに人ごみの後ろのほうから、「子供も押しのけていけよ~」(夫らしき言葉重き、です。)「逃げられるなよ~」「日本から来たって言うんだぞ~」と、一生懸命じゅんぞうさんを応援し、私には、いつもあんなにクールなじゅんぞうさんが、熱くなっているのが新鮮で、彼女の胸のときめきが、私にまで響いてくるかのように思えた。クマはご機嫌よろしくサインをして、ツーショットにもニコニコ顔で応じていた。クマファンに押しつ、押されつされながらも、やっと、じゅんぞうさんに夢のその瞬間が回ってきた!|じゅんぞうさんは、もう、ねぐせ君と私の応援も、聞こえていないかのように、自分から、はっきり、しっかり、クマに堂々とあいさつした。「ハロー、日本から、応援に来たのよ。」と。(そして私は彼女のそのけなげさに涙ぐんでいたのだった。。。)クマは、じゅんぞうさんが差し出したジャージーの背番号21のところに、大きく、のびのびサインを書き込みながら、彼女を見て、にっこり微笑み、「ほんとかい!?」と 応えてくれた。しかも、じゅんぞうさんは、その一言を、きっと心臓が口から飛び出そうな気分で言ったにもかかわらず、続けて、「一緒に写真も撮ってもらえますか?」と、さらに言葉を、はっきり、しっかり、堂々とMr.クマに言い放ったのだった。すると、彼は満面の笑顔のまま、「もちろんだよ!」と、快く応えてくれ、8年間も 想い続け、叶わぬ夢だと、半分あきらめかけていた、この、スウェーデンのプリンス、Mr.ピーターザクマとの念願のツーショットがついに叶った瞬間を私は 目撃することができたのだ。しかも、ねぐせ君も、私もサインとツーショットをしてもらって、私達にとってはその日の出待ちは大成功で、大喜びをしながら家路についたのだった。いろんなファンや、クマに会ったことがある、と言う人達から彼のことを聞いたことが幾度かあったが、それぞれ言うことが違っていた。ある人は「シャイだ」と言い、ある人は「むっつりしてるね」と言ったり、またある人は「嫌なヤツだ」と言うこともあった。私は、その日、人の言うことはあんまり当てにならない、と言うことを知った。特に有名人やアスリートの場合、ファンが時と場所を選ばずに駆け寄ることもあるし、プライベートの時間を家族と過ごしている時に、いきなりサインをねだられ たりすると、さすがにムッともするだろうし、飛行場や、ホテルのような、公な所でサインをし始めたら、そこで働いている人たちに迷惑がかかるから、小走り に出て行く事だってあるだろう。そんな時の彼らが本当の彼等だと思うファンが多いのにも驚いてしまう。特にアバランチのような、練習場の駐車場での出待ちが可能なチームなら、なおさら彼らのプライベートはできるだけ、そっとしてあげるべきだとも思う。今回、クマが駐車場に出てきてくれたのは奇跡でもあったのだが、彼はとても愛想のいい、ごく普通の好青年に思えた。それはやはり、私達ファンが、きちんと挨拶も し、丁寧にサインをお願いし、彼を尊重した上で、彼自身にも時間に余裕があり、ファンサービスができるという、全然、切羽詰った状況ではないからこそ、 リラックスした彼本人でいることができたんじゃないだろうか、と思う。。。それにしても、彼の笑顔は本当に素敵だった。じゅんぞうさんが、彼以外にそんなに熱くなれない気持ちがちょびっとわかったような気がした。。。
2008年11月07日
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インタビューに備えて、しっかり前日に仮インタビュー練習をし、翌日、いざ、アバランチの練習場へとちょっぴり緊張気味で3人は向かった。ジュリアさんは残念ながら他のシュートがあるので来れないが、代わりにピーターラットゲイザーという人が インタビューをする、と言うことだった。私達はテレビでよく見る彼を見つけるため急ぎ足で歩いていると、向こうのほうからカメラとマイクを持った人と、 ピーターらしき人が私達に向かって歩いてきた。「ええと、The Avs Girlさんですか?」私はすぐにそうだ、と答え、じゅんぞうさんとねぐせ君を紹介した。私はてっきり彼等を紹介した後、打ち合わせのようなものをしてから、シュートするものだとばかり思っていたのだが、ピーターと、そのカメラマンは忙しげにスケート場にと私達を促した。なんと、インタビューは行き当たりばったり、まったくの土壇場インタビューだったのだ。いつもなら2階からでしかアバランチの練習は見れないのに、その日はガラス越し、しかもパックがガラスにバンバン当たる中、私達はいきなりマイクを向けられてしまった。しかも、「これこれこうだから、はい、どうぞ」って感じだったので通訳係りだった私が実は一番しっかり応対しなければならなく、昨日の仮練習はなんの役にも立たなかった。私 はさすがに緊張しまくり、自分でも「。。。。アンド。。。。アンド。。。」と、何度も1センテンスを言うのに「アンド」を言ってるのが嫌になるくらいだった。すると、カメラマンのおじさんが、ピキピキに緊張している私達に気づいたのか、気をほぐそうとしてくださったのか、いきなり、「Let's go Avalancheって、日本語でどういうんだい?」と、聞いてきた。私達は顔を見合わせて「がんばれ、アバランチ、ですね。」と答えたら、カメラマンのおじさんは、「じゃ、元気よく、Let's go Avalanche、って日本語でみんなで言ってみて。」と、言ってきた。私達は「1、2、の3」と、調子を合わせて3人で元気いっぱい「がんばれ、アバ ランチ!」と、叫んでみた。カメラマンのおじさんは大喜びで、「もう一回!」と、その後も何回か、この「がんばれ、アバランチ!」を言わされたのだった。インタビューと言っても、ほんの数分の出来事だったが、私達にとって、それは丸1日分のエキサイトメント、と言っても過言ではなかった。さて、そのインタビューも無事終わり、私達はアバランチの練習を見ることになったのだが、その間もカメラマンはずっと私達を撮っていたので気になりつつも、私達は3人で久しぶりに見るピーターザクマに目が釘付けになっていた。しばらくして、ほっそりとした女の人が「The Avs Girlさん?」と声をかけてきた。そうですよ、と答えると、彼女は「アルティチュードの、ジュリアです。今日のインタビューに来れずにごめんなさいね。 うまくいきましたか?」と聞いてきた。私達はニコニコ顔で無事に済んだことを伝え、この後、駐車場で出待ちして、出てきてくれる選手達からサインをもらう 予定だ、と言う事を話した。彼女は「フォレスバーグからもサインがもらえるといいわね。グッドラック!」と言って下さった。彼女が立ち去ってから、私達は 「な~んだ、ロッカールームに呼んでくれる、ってわけじゃないのか」、などと冗談を言いながら最後の最後まで一人だけになってもまだスケートしているピー ターザクマを見つめていた。。。ずいぶん長い間、ピーターはスティックを替えたり、 スケートの調子を見ながら残っていたが、やっと納得できたのか、ロッカールームへと向かっていった。「相変わらず、完ぺき主義だね~」と彼の練習姿を見終わった 私達は口々にそう言いながら、いざ、駐車場へと向かっていった。駐車場には、常連の(?)ライルズや、ラッピーはもちろん、その日はなんと、ゴーリーのセオドーまで出待ちに応じてくれ、 ねぐせ君はラッピーとなにやら話し込んだり、ブダァイ(もう一人のゴーリー)には日本からの車カタログを車キチな彼にあげて、かなりガッチリ握手してもらったり、となかなか微笑 ましいものがあった。じゅんぞうさんもそれなりに楽しんでおられるようにも見えたが、彼女のクールさはセオドーに会った時も変わらず、私がわざわざ、「日本から来たのよ、彼らは「あなたの」大ファンだって!」と彼らを紹介しているその横で「彼が。」と、なんと、ねぐせ君を指してセオドーのファンはねぐせ君だけで、じゅんぞうさんではない、と主張をするかのような行動も取っておられたのだった。。。。私にはこの時点で、じゅんぞうさんが、このクールさを失うことなど、とてもじゃないが、考えられないことだったのだ。そう、少なくとも、あの、瞬間を目撃するまでは。。。。
2008年11月03日
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ええ~と、、、、ですね、、、アラシの皆様いつもご足労、ご苦労でございました。、、、、きゃ~ハリセンが~ (華文字ご師匠、お変わりありませんか?) ええ~とですね、、、アラシ以外の皆様、まだ遊びに来てくれるのでしょうか?、、、、、きゃ~ハリセンが~(華文字ご師匠、覚悟してます。)許して~~~これからはもうちょっとマメに~、、、マメに~更新したいと思っております。 、、、、、 はぁ~やれやれ、、、、 やっと2008年にまでこぎつけたぞ。(←2008年終わりに近づいてるぞ。汗)それにしても私のブログは季節号プラス時差どころか年間ブログであったのか。。。来年の目標として、せめて時差なし季節号なブログにしてみたいものだ。。。(←あんまり向上心なし。)さて、セントルイスから帰って来てからは(って、いつの話やねん。)、あっという間にホリデーシーズン突入で、何もしない我が家でさえも、落ち着きがなくなっていった。そして私はクリスマスの他にもカウントダウンをし始めた事があった。それは。。。じゅんぞうさん、ねぐせ君の恒例デンバーご帰省オフ会であった。、、、、、。。。。と、ここまで書いて、私のキックボクシングの師匠からまたもや試合の話が出され、このブログを書き始めた2月初旬から3月初旬まで、またもや「ガチンコトレーニング」が再開され、私はしごきにしごかれまくった挙句、試合一週間前にまたもや相手側の都合により試合がキャンセルされてしまい、気が抜けてしまったのか、滅多に引かない大風邪を引いてしまった。。。。ので、年末年始のねぐせ君とじゅんぞうさんの日記はこちらをどうぞ→(と、言って手抜きするのだった。。。)きゃ~ハリセンが~せんせい日記、デンバー遠征その1、せんせい日記、デンバー遠征その2そんなこんなで、年末年始も、怒涛のごとく過ぎ去り、猛烈ガチンコトレーニングにも終止符を打ち、滅多に引かない大風邪でウンウンうなされていた時、風邪をもぶっ飛ばすような衝撃特大ニュースが、この、デンバーコロラドに舞い込んで来た。3年前、ロックアウト後のNHLはサラリーキャップを導入してしまったおかげで、我がコロラドアバランチも、もれなく犠牲者となり、次々と選手をトレードに出さなければならなくなってしまった。その中でも、我がアバランチが誇るスウェーデンの選手、ピーターフォレスバーグはフランチャイスのオリジナルメンバーでもあり、1995年、2001年の両方の優勝にも大活躍し、言葉では言い表せない天才的なプレイを見せる素晴らしい選手で私達ファンを魅了したのだった。 かっこよすぎるピーター(↓)その彼がトレードされてからというものの、練習場に訪れるファンも激少、試合会場も10年間売り切れ状態が続いたのがウソだったかのように空席が目立ち、なによりもチームに迫力が欠けてしまい、去年はついにアバランチフランチャイス初めてプレイオフを見逃す結果にまでもなってしまった。今年のアバランチも去年と同じく、前半あまり調子が良くなかった上、怪我次ぐ怪我で、今までエリート選手勢ぞろいばかりを見てきたファンとしては辛いものがあった。そして、私とねぐせ君はいつの間にかピーターのことを「クマ」とあだ名付けて(2人のディフェンスにサンドイッチされつつ、パックを失わないでスコアできるだけの体力を持つのはクマ並みだ、というところからだったように思う。)不調なアバランチを助けるため、またコロラドに戻ってきてくれる事を切望していたのだった。その、彼がなんと、トレードデッドライン一日前、という、押し詰まった日にコロラドに本当に帰って来たのだった!!!しかも、その次の日には、もう一人のトレードされてしまっていたオリジナルメンバー、アバランチのディフェンス、と言えばこの方、アダムフットまでもが帰って来たので私は歓喜感動でねぐせ君の掲示板に書き込みをしたのだった。私はじゅんぞうさんがピーターをこよなく愛しているのは知っていたので、冗談半分、本気半分で「これがほんとに見納めになるかもしれないよ~。仮病使って見においで~」と誘ってみたら、なんとほんとに彼らは弾丸4日ツアーを3月中旬にする、とメールを送ってきた。私は大喜びで、だんなにその事を伝えると、だんなもうれしそうに「ピーターに会えるといいな。」と言ってくれた。さぁ、その後の私はアバランチの練習、出待ち、ついでに彼らの好きなキャンディを持って行ったり、パンツズリズリゴーリー、ジョ~ゼィセオドーからも私の誕生日に「ハッピーハッピーバースデー」と言ってもらってから急激に肩入れ度が高くなっていたり新しくトレードされてきたディフェンスのルスランサレイに一緒に写真を撮ってもらった時グッと肩に手を回され、舞い上がってしまったり、とそれはもう、アバランチフィーバーだったものだから、ねぐせ君とじゅんぞうさんのご帰省がこんなにも早く実現するということは、さらに私のアバランチフィーバーに火をつけるようなものだった。(そういうわけでブログは、、きゃ~ハリセンが~)3月に入ってからのカウントダウンはあっと言う間で、私はいつもより少し遅めに到着する彼らの飛行機をまだか、まだか、と待ったのである。じゅんぞうさんは、今回なんと、お仕事での会議を終わらせた後、早退して直接成田空港へ直行し、ねぐせ君と合流されたそうだった。さすがにお疲れモードではおられたが、夕食をして、ビールを飲みながら楽しく話が弾みだすと、なんの、なんの、私達3人は朝の3時ごろまでケッケ、ケッケと笑いながら眠るのが惜しいかのように話続けたのだった。。。。さて、私は今回彼らがやって来られる前に、とあることをしていた。こんなに毎年、毎年、LAやNYなどの大都会でもないコロラドにホッケーを、それもコロラドアバランチ「だけ」を応援しに来てくださる彼らをコロラドにいるアバランチファンに知ってもらいたい、できればメディアを通して紹介してもらいたい、ついでに言っちゃうとアバランチの選手達にも知ってもらいたい(お近づきになりたいっ!)という気持ちに拍車がかかって、いくつかのテレビ局、ラジオ局、新聞社にメールを送っていたのだった。ところが、いいニュースになると思っていたのは私だけだったのか、結局、どこの局からも声をかけてもらえずにいたので、ちょっぴり残念に思いながら、翌日は試合日だったので朝はちょっぴりゆっくり目に起きてコーヒーをすすりながら、私達は寝ぼけまなこで朝の準備を始めたところだったのだ。見覚えのない電話番号が私の携帯に呼び出しがかかった。どうせ、また間違い電話だろう、と放っておいたら、なんと、メッセージが残った。こんな朝早く(と言っても、もう9時は過ぎていただろう。)一体誰だろう?と思ってボイスメールにかけてみた。すると。。。「こちらはアルティチュード局、ジュリアと言います、日本からのお友達の件でメールをいただいたのですが、もう少し、お話をお聞きしたいと思い、お電話しました。よろしければ、こちらの番号にかけていただけますか?」あまり突然の事だったので、私は椅子に座り込んで何回か聞きなおしてから、やっとの思いで「じゅんぞうさん~ねぐちゃん(私は短縮して彼をこう呼んでいる。)大変、大変よ~~!!!」と、彼らに大声で叫んでいた。こっちの大変さにピンとこないのか、いつものマイペースな彼等の反応なのか、わからないが、ねぐせ君は「はいはい、なんでしょう?」とやって来た。事を彼等にやっと伝えることができ、私は早速ジュリアさんに電話をしてみた。彼女はすぐに応対してくださり、私のメールを読み、とても関心を持った、彼らのスケジュールはどうなっているのか、できれば翌日にでもインタビューをしたい、と仰り、私も明日はアバランチの練習を見た後は出待ちをするから、練習場で会いましょう、と答え電話を切った。さぁ、もう、その後は試合が始まるまで私達は明日のインタビューをファンタジー化するので頭がいっぱいであった。誰に会えるんだろう?ピーターに直々会わせてもらえて、食事なんかできちゃうかもね、いっそのこと、インタビューはピーターのおうちだったりしてね、いやいや、試合後、ロッカールームで上半身裸のピーターと(きゃ~)とのインタビューかもね、、、、膨らむ、膨らむ、夢と妄想はどこまでも、いつまでも。。。。しかも試合は圧勝の5-1、残念ながらピーターは怪我で試合には出れなかったのだが、私達のアバランチフィーバーはどんどん熱くなり、ピークに達していたのだった。。。。
2008年02月05日
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マダムHさんはちょっとがっかりした声で「やっぱりダメですかね~」と何度かつぶやいた。つぶやくのも当然、カリヤは選手の誰よりも早くロッカールームに戻った。選手(らしき)キッドの写真を撮ってる間にちゃっかり出て行ってしまったという可能性もある。ギリギリまで待った挙句、もう帰ろうか、となったその時だった。駐車場を見つめていたマダムHさんが「あれって、カリヤ?」と指差したのだった。お~そうだ~あれはカリヤだ~!! はっ! ここの駐車場もアバランチの駐車場と同様、前後2つゲートが開くようになっている。待っているほうのゲートに来なければさっさと逃げられてしまう!一瞬にして、あの、モントリオールでアービーが来てくれた瞬間を思い出していた。 車、車を止めなきゃっ! 私はスニーカーでもないひたすら重い靴を履いていたにも関わらず大急ぎで ......................... ......................... ......................... 亀のようなスプリントをした。 ............................... ............................... そして、彼の止めてある車のすぐ近くまで猛ダッシュした。カリヤは車に乗る直前で、私が大声で「待って!!!」と叫ぶ前にちょっとビビッた表情で大急ぎで車に乗り込んでしまった。 よっぽどスゴイ形相(↓)をしていたのだろう。。。 (ねぐせ君に言わせると「引き売りのお豆腐屋さんをおいかけている人のようだ」。「待って~、今晩のお味噌汁が~~」)しかも、カリヤは私が今走ってきたその方向へと車を出したのだ。もうあか~ん、と一瞬ひるんでしまったが、ゲートを通るには絶対車をスローダウンさせなければならない。え~っ、また走るんですか~と考える余裕もなく、私は重い靴を引きずりながら、、、 ..................................... ....................................... ....................................... 往復スプリントした。。。。(キックボクシング、していてよかった。。。)私はマダムHさんに聞こえるように「車を止めてぇ~~~!」と走りながら叫んだが、彼女は私の狂気のスプリントにフリーズしてしまい、走る気配さえ見れない。そして、ついに車が、ゲートからゆっくり出てきた!追いつかなきゃっ! 最後の最後で亀は亀なりの ..................................... ...................................... 猛ダッシュをした。。。。 私は息を整えられず、ぜぃぜぃはーはー言いながら、車の窓を下げてもらえるのを願いながら(そして携帯から警察に連絡をしていない事を祈りながら。)数秒待った。(その数秒は何十分にも思えた。)すると、怪訝そうな顔をして、(迷惑そうな、とも思えた。苦笑)彼はしぶしぶ(?)窓を下げてくれたのだっ!私は、それはもう、精一杯丁寧に彼にお願いした。「ご迷惑な事とは承知しておりますが、あの、ゲート前に立っている方はあなたの大ファンで、日本からわざわざあなたのチームを応援しにやって来られました。どうか、彼女にサインと写真を一緒に撮っていただけないでしょうか?」私はペコリと頭を下げた。(こういうことになるなんてアバランチの駐車場では考えられないことだ。「ハロ~!サインちょうだ~い!」で事済むのだから。。。)すると、彼は「なんだ、そんなことだったのか」というような顔になって、 「もちろんだよ。」と静かに答えてくれた。私は大喜びでゲート前でまだ立ち尽くしているマダムHさんを呼んだ。その間、カリヤは「息、整えるんだよ。」と私に向かって笑ってくれた。彼はマダムHさんにも「日本のどこから来たの?」など、とても素敵な笑顔で聞いてくれたり、写真にも、ちゃっかり肩に手をのばしてくれたり、とファンサービスをしてくれたのだった。全ての事がたった数秒の事だったのに、私はそれがとてつもなく長く感じられた。「ありがとう、明日のゲーム、がんばってください」と言うと、カリヤは「ありがとう」と答えて静かに去っていった。。。私達は大喜び、マダムHさんはまだ実感が沸いて来なかったのか、しばらく呆然としていた。よかった~、とにかく、悔いの残らない旅行にすることだけはできたよね~と私は自分のこの度胸に少し驚きながら(グロッサリーストアで働いていた時、選手に会うと言葉一つ見つけることさえできなかった、あの、私が、だ。)胸を撫で下ろした。。。次の日の試合はマダムHさんにとって、最後のNHL観戦になるかもしれない試合だった。Mr.アンパンマンがシャットアウトを決めて、3-0と圧勝した。私達はまた、彼女のホテルのバーで乾杯しながら、あっという間に時は流れ、お別れの時になった。「今度、いつ来れるかもわからないけれど、また会えて、よかったです」カリヤと会えて、話も少しだけどできて、サインも、写真も撮ってもらえた。彼女の顔は来た時よりもすがすがしそうに見えた。次の日、私とだんなはデンバーに戻った。そういえば、今年のアバランチの練習、まだ一回も見ていないことに気が付いた。私は自他共に認めるミーハーなのだから、ミーハーはミーハーなりにかけがえのない思い出をもっと作らなきゃ、よぉ~し、ホッケーママ、次のアバランチの練習、見に行くぞ~。。。そんなふうに思えたセントルイス旅行だった。。。亀スプリントでやっとゲットしたカリヤのサイン入りパック(↓)
2008年01月31日
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アバランチの練習場の駐車場には必ずと言っていいほど10数人のファンが選手が出てくるのをひたすら待っている。待っていたって、A級スター、ジョーサキックやライアンスミスが出てくる確率のほうが少ないのだが、0.1パーセントの確率を信じてファンはサインや写真をもらえるように、寒さにこらえ1時間、2時間と駐車場の前で待ち続けるのだ。 アバランチ側もファンがいることを認識し、セキュリティーの親父が駐車場の中にいるし、出口は2つあり、一つはサインしたくない選手がスッと出て行けるようにファンは立ち入り禁止になっているゲートと、黒い幕が張られていて、どの選手がでてくるか、なかなかわからないようにしてあるゲートがある。私達はこの、黒幕ゲート前でただひたすらお気に入り選手が出てきてくれるのを祈りながら今か、今かと、興奮を高めるのだった。それに、何度も行くとセキュリティーの人と顔なじみになって、いろんな裏話も聞けたりするのでファンは寒い出待ちも苦にならなくなったりする。 黒幕付きゲート(↓) そんなファン同士が顔見知りにもなって、仲良く和みながら前日の試合の話やお気に入りの選手の話に花が咲くのもなかなか楽しいものなのだ。 車の中にいるのは、滅多にお目にかかれないであろう選手、ライアンスミス(↓) ほとんどいつも出てきてくれる、JMライルズ(↓)コロラド以外で出待ちなんかしたことのない私はセントルイスも同じようなものなのだろう、と高を括っていた。私とマダムH さんはソワソワしながら駐車場のほうへと向かった。ところが、さすがにゲートすらあれど、黒幕など張っていず、丸見え状態。駐車場の中にセキュリティらしき親父もいない。しかも、何がすごいって、、、 ファンが人っ子一人待っていない!! 私達はその駐車場のゲートを動物園にいるおサルさんのごとく行ったり来たりしながら、なぜ、ファンが出待ちしていないのか不思議でならなかった。そして、こうして出待ちしている私達のほうがヘンなんじゃないか、と思わずにいられなかった。しばらくすると、アウトレットモールのセキュリティが車で駐車場の周りを見回っているのに気付いた。とりあえず、出待ちしてもいいのかいけないのかだけでも彼女なら知っているだろうから聞いてみよう、ということになり、私はゆっくり巡回しているその車に近寄って尋ねてみる事にした。「すみませ~ん、ここでセントルイスブルースの選手を出待ちしててもいいんでしょうか?」そのおばちゃんは気のよさげな笑顔すら見せてくれたものの、「さぁ~ね~」と首をかしげただけでその場を去っていったのだった。(仕事しろ~おばちゃ~ん、、、汗)「さぁ~ね~」と言われただけで、やっぱり待っていていいのかよくないのかわからないまま、私達はそのゲートを行き来しながら時間を潰した。と、すると、向こうのほうから親父が2人、駐車場に向かってくるではないかっ!やっぱりっ!出待ちはセントルイスでもやってるんだ!私達はやっとファンらしきその親父達と出待ちできることを喜んだ。(?)私はその親父に近寄り、「ここで選手を待っていたらサインとか、写真とか撮れるんですよね?」と聞いてみた。そのうちの一人の親父が「サイン?お前、サインが欲しいのか?お~そんなのいつだってくれるぜ~ぃ」と答えた。その答え方といい、そのアクセントのある話し方といい、一瞬、モントリオールの「イェ~イェ~バス、ゴー、ディス、ホテ~ル」のおばちゃんを彷彿さたのでちょっと怪しいかも~とは思ったものの、どうやら出待ちはしてもオーケーらしい、と言う事はとりあえずわかったのでマダムHさんとも胸を撫で下ろして選手を待つ事ができた。しばらくして、誰やら選手らしきヒトが出てきた。親父は急に私達に優しく大声で「ほら、こいつはルーキーなんだぜ、お前達、サインがいるんだろ?え?サイン?」...私もマダムHさんも戸惑うしかなかった。。。。それもその筈、私はこのチームの選手(カリヤとハイノ以外)は顔だけ見たって誰が誰なのかさっぱりわからないからだ。さすがに大好きなアバランチの選手はプログラムやメディアガイドなどを舐めるように見渡して顔も名前も番号も覚えようと努力はするが、セントルイスに来るにあたって、そういう下調べ(?)すらもしていなかった。選手を目の前にさすがに「いや、どこのどなたかわからないアナタからサインは要りません」とは言えないので仕方なく、「じゃあ、写真だけ、撮らせて下さい」とお願いして、彼の写真だけ撮ることにした。その選手(らしき)キッドははにかみながら写真に応じてくれ、「ありがとう」と私が言ったその時だった。ファンだと信じていた、その親父二人は堂々とその選手(らしき)キッドの車の中に入り、なんと、 一緒に帰って行ったのだった!!! あっけに取られた私達は仕方ないので(?)その親父は選手(らしき)キッドの家族かなんかだということにしておくことにした。 選手らしきキッド(↓) 、、、、と、いうことは、やっぱり出待ちは私達二人だけ、となる。(涙)私「これって、毎日誰もサイン貰いに来ないんだろうか?」マダム Hさん「どうなんでしょうね~」私「今まで両手に花だったハイノにとっちゃ~哀しくて仕方ない光景だよね~」マダムHさん「トレードされた次の日、これからはセントルイスのガールズをゲットするぜ~って張り切って駐車場に出てみたらこれだった、って唖然としたでしょうね~」私「もしハイノが出てきたら、言ってやろうか~?今やコロラドではライルズが全ガールズをあなたのかわりに制覇してますよ~って。」マダムHさん「泣き崩れるでしょうね~きっと」 と、大笑いしたものの、本気で私はこの出待ちが成功するのか心配になってきた。なんだかだ出待ちを始めてかなり時間も経っていた。。。。
2008年01月31日
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さて、翌日、約束どおりマダムHさんとホテルのロビーで待ち合わせをし、車に乗り込んでセントルイスブルースの練習場へと向かった。練習場はなんと、アウトレットモールの中にあった。アバランチでは考えられないな~と思いながら入っていくと、さすがに祝日だというだけあって、練習を見に来ているファンはかなりいた。しかも、アバランチの練習場とはちがい、なんと、グラス越しに練習を見れるのでファンとしてはたまらない。(その昔、アバランチもコロラドスプリング(我が家から車で1時間半。涙)にある、オリンピックアイスを使っていた時はちゃんとグラス越しに見れたのだが、今は「選手の迷惑にならないように」と2階からしか拝めない。(涙)だから、写真もこんなもの(↓)しか撮れない日もある。(←それはカメラマンの腕がないだけ?)私はイソイソとカメラを取り出して早速昨日見たバックアップゴーリーをカメラに収めようと撮り始めた。お~なかなかいいポジションしてるじゃん~お~なかなかよろしいな~なんて思っていたのも束の間、彼は急に偉そうな格好をしたり、練習なんて嫌だ~と駄々をこねる子供のような素振りをし始めた。 バックアップにしては偉そうな態度、なんか、これって昔の我がパトリックワーを彷彿させる姿だわ~などマダムHさんとも話していたのだが、横にいた気のよさそうなおばさんも私達に「怠けゴーリーよね~」なんて微笑んできたので、やっぱり私達の思い過ごしじゃないのか、そんな態度取っててコーチに怒られないか余計な心配もしたのだった。そんな時だった、パックが私の耳元にバーンッとグラスに当たったのだった。思わず亀が首をすくめるような格好をしてしまった私の後ろで笑い声が聞こえた。なんと、その怠けゴーリーが笑っているではないか。近寄ってきた時思わず写真を撮ろうとしたら、ファンサービスも旺盛でニッコリ微笑んだのでますます私はうれしくなってしまった。元アバランチの選手でセントルイスにいるのはカリヤともう一人、超男前ハイノがいる。さすがに彼の写真は何枚も撮ってしまった。彼はファンにとても優しく、コロラドではレディースキラーというあだ名を付けられるほど女のファンをメロメロにしたのだった。練習が終わるとルーキーでもないのに毎回必ずサインに応じてくれたり、写真を喜んで一緒に撮ってくれたりしたのも彼だった。彼がトレードされた時アバランチ、特に女性ファンのハートは壊れてしまい泣き崩れた例も少なくないと聞いている。男前ハイノ (↓)さて、ここのスターターゴーリー、レガシーは元デトロイトレッドウィングス、宿敵中の宿敵のゴーリーだったこともあり、そんなにかわいくもないので(←とっても失礼!マダムHさんがアンパンマンと名付けたくらいだ。)ま、一応彼の写真も撮っておこうかね~とたまたまレガシーとバックアップが2人並んだ時に写真を撮ったのだが、そこで大発見したのだった。なんと、レガシーがつけているマスクの後ろがスヌーピーとブタちゃんっ!かっ!かわいいっ!!!スヌーピーは私の大好きなキャラクター。それがゴーリーマスクの後ろについてあるっ!うわっ、レガシーって結構かわいい一面があったのねっ!(←宿敵中の宿敵だったんじゃなかったのか?)と、一挙に人気度アップ~(←単純~)ところが、その後のゲーム、カルグリー戦でわかったことなのだが、実は私がバックアップと思って写真を撮り続けていたのは実はレガシー、そして、スヌーピーマスクは私の本命(!?)バックアップだったのだ。ちなみにレガシーのマスクの後ろは「Breast Cancer Awareness」のピンクのリボンだった。よくは知らないが、その真ん中に「Mom」と書かれてあるので、多分レガシーのお母さんが乳がんで戦われておられるのか、亡くなられたのか、なのだと思う。そんなマスクを見てしまうと、ちょっぴりしんみりしてしまう。。。でも、なるほど、レガシーが偉そうな態度を取って、ファンサービスも旺盛だったのか、と納得がいった。ちょっと人気度が上がってしまっていたから引き返すこともできず(?)今や「Mr.アンパンマン」と、それなりに好きなほうゴーリーに入れてあげることにした。(ちなみに嫌いなほうゴーリーはハシェック、ベルホァ~などなど)バックアップキッドはトゥイブネンという子で、まだまだ27歳、ピチピチボーイだった。名前から察するところフィンランドの子らしい。う~かわいいんだってば。セントルイスにもマイフェイバレットができたところで、そろそろ練習も終わりのほうになった。カリヤは誰よりも早く練習予定時間15分前にはもうロッカールームへと引き上げていた。私達も、サインもらえるようにパックだけでも買っておくか、と練習場の中にあるお店でパックを手に入れ、本来の目的である、出待ちへと心を引き締め(?)外へ出たのだった。。。
2008年01月30日
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10月はそんなこんなで、山あり谷ありだったが、私の周りは妙に浮き足立っていた。それもそのはず、いっつも最下位のコロラドロッキーズが、なんと歴史上初のファイナル12試合のうち、11試合全勝、成績が同じだったサンディエゴとのワイルドカード「1デイプレイオフ」(15年アメリカで住んでいるが、1デイプレイオフを見たのはこれが初めて。)で、なんと勝ってしまい1995年以来のコロラドプレイオフ突入となったからである。こんな時、私はこの街がもっと好きになってしまう。昨日まで、挨拶さえ交わさなかったような人とでさえ、「今年のロッキーズは。。。」とまるで昔からの友人かのように話す事ができたり、ロッキーズの旗やステッカーを貼った車が通るとクラクションを鳴らして「レッツゴーロッキーズ!」と応対したり、コミュニティが急に大接近するのだ。いつもなら、物静かな私の大好きな獣医さんでさえ、このときばかりは身振り手振りで、いかにショートスタッフのトゥロスキーが素晴らしいキャッチをしたかを説明してくれたくらいである。(気ままの鍼治療にも関わらず、私達は気ままの話はすっかりそっちのけだった。大汗)そんな時、一通のメールが日本から届いた。メールはしょっちゅう交換していたが、4年も会っていなかった、マダムHさんからだった。マダムHさんはホッケー選手で、たった一年だったが、我がコロラドアバランチにも所属した、「ポールカリヤ」を愛してやまない人だった。彼は半分日本人で、とってもきゃしゃな選手だが、とにかくスケートが信じられないくらい早く、しかも素晴らしいパックハンドリングとリストショットをする選手だ。マダムHさんは当時コロラドに所属していた彼を追って、デンバーに来られた時に私と知り合った。これがマダムHさんのハートを掴んだポールカリヤ(↓)メールには「突然ですが、来月にSTLに観戦旅行に行こうかと考えています。休みがあまり取れないので、11月23日と25日の2試合を観戦する3泊5日の強行軍です。もし、よろしければ、セントルイスでの観戦旅行にお付き合いいただけないでしょうか?」とあった。私はしばらくそのメールをぼんやり見つめながら、会えないかもしれないアービーに会いにモントリオールに行った事を思い出していた。。。幸いにもミズーリ州、セントルイスにはだんなの大親友RDが住んでいる。私はだんなの機嫌のいい日を選んでちょっと聞いてみた。「ねぇ、サンクスギビングの後、RDに会いに行かない?」と。だんなは「急に、どうしたんだ?祝日は何もかも高いし、めちゃ混みだから旅行はしない、って言ってたのは君だったじゃないか?」と問い返してきた。だから、素直に言った。マダムHさんの事情、そして、彼女にとって、これはもしかして、最後のチャンスでカリヤに会えるかもしれないこと。だんなが私をモントリオールに行かせてくれたおかげで、とてつもない思い出を得ることができたこと。。。サンクスギビングでターキーをたらふく食べた翌日明朝、私達は飛行場へとむかった。飛行機は時間通りに発ち、私達は無事セントルイスに辿り着いた。だんなは以前に来た事があるが、私には初めてのセントルイスだった。私達はその時点ですでに空腹だったのでホテルに着いたらまず何か食べようと決めていた。ところが、ホテルに着き、チェックインしようとしたが、前にいたおばちゃんがどうやら文句を言っていて、マネージャーとフロント係りはそのおばちゃんの対処に必死になっていた。私もだんなも「またくだらないことでキーキー言ってるんだろうね~」と最初は思っていたのだが、これがまたしつこい。5分経ち、まだそのおばちゃんはギャ-ギャー言っている。これはマネージャーの対応が下手なんだ、と私達は思い始める。10分経ち、そのおばちゃんと家族らしき人達が群がって家族会議を始める。私たちのお腹はグルグルキューキュー言っている。15分経ち、ついにそのおばちゃんと一同が立ち去った。私達がやっと何か食べれる、とうれしくなった、その時だった。どこから現れたのか、2人の男性がスッとフロント係りに抜け駆けしたのだ!!!しかも、フロント係りは私たちがずっと並んで待っていたというのを絶対知っていたはずだというのに!!!だんなはキレた。私のお腹もキレた。2人とも寡黙になっていた。ついに私たちがチェックインすることになり、だんなは開口一言、フロント係りに聞こえるように「次回は違うホテルに泊まろう。」と私に言った。フロント係りは真っ青になってだんなに泣きすがった(?)が、彼は「カギだけくれればいいから」と言って取り次がなかった。(ちなみにこんな態度をとるのは私はしょっちゅうだが、彼は滅多にしない。)ー今日の教訓ー「お腹をすかせたお客様を怒らせないべし」ムスっとした顔をした2人は部屋に入り、服を着替えてやっとご飯を食べる所までこぎつけた。ところが。。。ダウンタウンと言えど、セントルイスはコロラドに比べ、とても小さかった。レストランもポツン、ポツンとしかなかった。私はもう、泣きそうになっていた。何ブロックか歩いたところでやっと、バーベキューのお店を見つけた。カンサスに行った時、バーベキューがやたらおいしかったのを思い出し、2人同意の上そのお店に入った。お店はどちらかと言うとファーストフードっぽいお店で、メニューを見ても、あんまり大したことないのかな、と思わせるような雰囲気だった。お店の姉ちゃんは私たちににこやかに挨拶をし、飲み物のオーダーを取った。セントルイスと言えばバドワイザー。(バドワイザーを作った最初の州)私はまずは到着祝いに、とバドライトを頼んだが、姉ちゃんは「ごめんね~、このお店、オープンしたばかりでお酒のライセンス、今取ろうとしてるの。」と申し訳なさそうに答えた。がっくりしながら、私はレモネード、だんなはアイスティーを頼んだ。リブ、ソーセージ、ハム、ビーンズ、ダーティライス、コールスローと、さすがファストフードっぽさのあるこのお店、あっという間にテーブルは食べ物で一杯になった。しかも、味はとびきりおいしく、だんなも私も有頂天になりながらむさぼりついた。お店の姉ちゃんは飲み物のお代わりを持ってきてくれ味はどうかと聞いてきた。私達は口いっぱいに食べ物をほおばりながら「んまい、んまい」と答えた。やっとお腹が一杯になって、初めて気が付いた。私達は4人前くらいオーダーしていたことに。。。(大汗)私達は残りをホテルに持って帰ろうと姉ちゃんを呼び止め、ボックスをもらうと、「お腹、空いてたのね~」と笑ったのでだんなが自分達はコロラドから来て、早朝から何も食べていなかったこと、ホテルのチェックインに手間取ってしまった事などを彼女に話した。(が、もうその時点でおいしいものを食べれた彼はとてもフレンドリーに、おもしろおかしく伝えていた。)ー今日の教訓ー「怒っているお客様には手早くおいしいものを食べさせるべし」お店のお姉ちゃんはチェックを持ってくるため、またレジに戻った。するとなんと私たちの席に店長らしき人がやってきた。「バドライト、用意できなくてすみません、お味はいかがでしたか?」と聞いてきたのでまた、「んまかった、んまかった」とお腹をたたいて見せた。何も、店長が出てきて誤らなくてもいいのにね~とか話していると姉ちゃんは「せっかくコロラドから来てくれた早々、大変だったわね。これ、店長からよ。」とチェックをくれた。チェックには飲み物が代償された上、20パーセントもディスカウントされた金額が載っていた。だんなも私も大喜びでお礼を言うと「この後のセントルイスでの滞在が素晴らしいものになりますように。」と言ってくれた。ー今日の教訓ー「レストランは見た目で判断しないべし」ホテルへ戻りながら、だんなは以前来た時に彼の友人RDから聞いた色々なセントルイス話をしてくれた。ホテル前にある大きなアーチはセントルイスがアメリカのゲートウェイを象徴するものだとか、ミシシッピーリバーを超えるとイリノイ州になる、など。。。有名なアーチ(↓)その中でもおもしろかったのが、昔、セントルイス市民がカジノを作りたかったが州の法律上が地上にはカジノを作ってはいけないことになっていた。そこで市民は考えた。ミシシッピーリバー沿いに船を作り、その船を岸に乗せ、船の中にカジノを作ったのだった。地上ではなく、海上だから、文句なし、ってことだ。そしてその船を囲んでホテルを作り、立派なカジノエリアができた、というわけ。めでたくできた海上カジノとホテル(↓)またアメリカのミッドウェストーミズーリ、カンサス、サウスダコタ、イリノイ、アイオワ、ノースダコタ、ミネソタ、ミシガン等ーはコロラド(ウェストコースト)と違い、何代も家族が住み着いている、いわゆるルーツ(根)型である。(コロラドはゴールドラッシュ時代に夢の州と言われ、人々が一攫千金を求めてやってきていた名残からか、今もまだ、第二のチャンスを求めて様々な州から移り住む人が多い。)だから、「どこそこの、誰々さんとこのじぃちゃんとうちのばぁちゃんが、あの時こんなことがあった」とかっていう話は日常茶飯事ならしい。ミッドウェストに住む人々がとても人懐こく、気さくで優しいのはそこから来ているのだろう、とのことだった。私はその話を聞いて、昔、住んでいた大阪の下町を思い出していた。ホテルに戻り、マダムHさんから電話が入ったのは試合が始まる30分くらい前のことだった。久しぶりに聞く彼女の声は長旅にも負けず、元気そうで安心した。私とだんなは歩いてそんなに遠くない彼女のホテルに向かって歩き始めたが、コロラドと違い、ミシシッピーリバーがすぐ近くにある州なだけあって、凍てつくような寒さを感じ、歩く速度も速まった。ロビーに着くとすぐに、私はマダムHさんにバッタリ出会った。二人とも、声を合わせて「あ」とだけ言ってしばらく言葉が続かなかった。とりあえず軽く挨拶だけしてから早速試合を見に行かなければと、3人で揃ってアリーナへと向かった。ホッケー観戦はセントルイスでは私もだんなも初めての事だったが、私はマダムHさんと話しながら楽しく過ごせたし、私達の後ろに座っていたおばちゃんが大のファンで、シーズンチケットホルダーでもあり、数々のファンならではの楽しいお話を聞かせてくださったので、みんなの気持ちを和ませてくれた。相手チームはバンクーバーカヌックス、アバランチファンの私としては宿敵チームなので、心置きなくセントルイスブルースを応援することができた。日本からわざわざセントルイスまで駆けつけたマダムHさんの応援が届いたのか、大好きなカリヤがファーストピリオドでゴールを決めたのをはじめ、その日のセントルイスはとてもいい試合をして私達を喜ばせた。しかも、ゴーリー好きの私にはうれしくなった理由もあった。バンクーバーのゴーリーは今やNHLでは最強と言われているゴーリーなのに対し、セントルイスはバックアップゴーリーを使ったのだ。しかも、そのゴーリーは見事に1点しかスコアさせずにチームを勝利へと導いたのだった。いい試合が見れたね~と大喜びでマダムHさんのホテルにあるバーで私はすっかり酔っ払い、元気に明日は練習を見に行く事を約束してだんなとフラリフラリと自分達のホテルへと帰ったのだった。。。。
2008年01月14日
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10月の末、怪我をして以来初めて、私の大好きな生徒の一人、セスのアマチュア試合を見に行った。(試合前のウォーミングアップ。オスカー(右)と。↓) 彼は私が毎日練習するのをずっと見てくれていた人だった。私がスランプで落ち込んでいた時、みんなに聞こえるように私のパンチは誰よりも早いと褒めてくれた人だった。メールでお礼をしたら、「男ばっかりのクラスで女のお前がトレーニングするのが、どれだけ大変なことなのか、よくわかってるよ。」と答えてくれるような人で、その後も一緒に走ろう、と誘ってくれたり、パートナーになってくれたり、いろんな意味で彼はオスカーとはまた違う、私にとって素晴らしい先輩に、いつしかなっていた人だった。だから、愚痴愚痴していても、彼の試合だけは絶対見ておきたかったのだ。彼の、マーシャルアートに対する姿勢と情熱と真剣さは誰にも負けていなかった。いっつも真剣だから他の生徒から「厳しすぎることばかり言う」と、煙たがられていた存在でもあった。彼は避けられる事や煙たがられる事を承知で怠ける生徒を律した。そのかわり、下手っぴでも一生懸命している生徒にはとても優しく接する人だった。いつも励まされ、元気づけられてきた私は感謝とお礼を込めて、精一杯の声援を送るため会場へと急いだ。彼の試合は素晴らしいものだった。なんと、ファーストラウンドの1分30秒で相手を倒したのだ。(クレイジーな生徒たちに囲まれて。↓ 向かって右前にいるのがセス)私は大喜びで彼の控え室へと走った。おめでとうが言いたくて。セスはオスカーや他の生徒に取り囲まれていたが私を見るなり「よく来てくれたな。」と逆にお礼を言ってくれた。私は大きくハグをして(彼は女性にハグされると、いつも戸惑う。それを承知で私はハグをしたのだ。)「すっごく格好良かったわ。おめでとう、勝って当然よね、あれ程毎日トレーニングに励んだもの。」と肩を叩くと彼はとてもうれしそうな顔をして「ありがとう。」と答えた。その後、たくさんの人が次々とおめでとうを言いに来たので私はその場をそっと立ち去り、残りの試合を見ることにした。1時間くらい経っただろうか、セスが私の座っている席にわざわざやって来てくれた。横にはとてもきれいな奥さんと14ヶ月になるかわいい男の子が一緒に微笑んでいた。「子供を寝かせなきゃなんないから、もう帰ろうと思って、さよならを言いに来た。」と、いつもの堂々とした感じではなく、ちょっとはにかんでいる様子が、それだけを言いに来たんじゃないというのがわかったが、私も「あら、ほんとだ、もうこんな時間になってたわ。本当に誇らしく思える試合を見せてくれてありがとう。」と答えた。すると彼はちょっと寂しげな顔をして、「いつんなったらこいつのトレーニングを始めてくれるんだい?」と奥さんを指指して聞いてきた。奥さんは子育てと学校で忙しく、ムエタイをするどころじゃないのは私も彼も知っている。それは、彼なりの「お前がジムにいないのは寂しい」と言う意味を込めていたのだと思う。そんな事、絶対言えないから、奥さんを引き出したんだというのはすぐにわかった。私はちょっとうれしくて「何言ってるの、彼女が私をトレーニングするんでしょう?」と冗談を言ってみた。奥さんはその間、ずっと彼を見上げて誇らしげに微笑んでいた。その時だった。頭をガツーンと殴られたような気がしたのは。トレーニング中、もっと大切なものを見失っていたのに気が付いたのだ。彼は私がトレーニングに必死になっていた時、ずっと黙ってくれていた。家中が、犬と猫の毛と、埃で埋まっていても。キッチンのシンクが汚れたお皿や鍋で山盛りになっていても。私が彼とよりもジムの生徒達とのほうに多く時間をかけていても。私が「今日はどんな日だったの?」と聞くことさえ忘れていても。自分のことで精一杯になってしまってすっかり忘れてしまっていた、私の人生にとって一番大切なもの。彼は私のすぐ横で、一緒に戦ってくれていた。私の目標を達する為に。静かに、誠実に、地に足をしっかりとつけて、私がする事に、それがなんであれ、いつも、いつもサポートをしてくれていた。自分がしたと思っていた以上に私は犠牲にしたものが大きかった事にその時やっと、気が付いたのだった。今回の怪我は神様が「ちょっと、ちょっと、ゆっくりしなさい、もうちょっと、周りを見渡して御覧なさい、何か忘れちゃいませんか?」と私に問いかけてくださったのかもしれない。私にはとっても強い見方がいた。付き合ってから約17年間、ずっとずっと私を支えてくれていた人がいた。家に帰ると、だんなはいつものようにテレビを見ていた。なんだか、随分長い間、会っていなかったような気がしたのと、急に安堵感が沸いてきて、彼の横顔をしばらくぼんやり眺めていた。彼は「どうした?なんかあったのか?」と不思議がって聞いてきた。私は素直に「今までごめんなさい。ありがとう。」とだけ答えた。私がなんでそんなことを言ったのか、彼はちょっと戸惑いながら「大丈夫さ。」とだけ答えただけで、私達はしばらくセスの試合や他の事を話していたが、ふと思い出したかのように彼がポツンとつぶやいた。「試合に出れなくて、残念だったけど、出場していても、していなくても、僕から見るとお前はいつだってファイターだったよ。」と。私はちょっと照れくさくて「そんな~、こんな泣き虫の、弱虫の、怠け者の、あかんたれプーが~?」と聞きなおすと彼は真面目な顔をしてこう言った。「19の時に両親に次々と亡くなられたにも関わらず、こんなにがんばってきた女なんて、お前以外に知らないよ。お前はずっとファイターだったんだよ。」と。私の顔から、照れ笑いが消え、大粒の涙だけが流れていた。だんなはにっこり笑いながら付け足した。「泣き虫の、弱虫の、怠け者の、あかんたれプーだけどね。」と。今では怪我をして、よかった、と心から思える。怪我をしたお陰で、今まで当然と思っていたものが本当はとっても希少稀なものだったことに気付かせてくれた。健康、家族、そして愛。。。この怪我をした事でわがまま勝手な自分を再発見でき、それに真正面と向かい合うことができた。こうして今回は試合もできず怪我までしてしまったという結果に終わってしまったが、もし、次になんらかの機会が私にまたやってきたら、きっとあの、どぎついトレーニングを自分から進んで始めるだろう。今までやってきたことを無駄に終わらせる事はできない。この状況からきっと這い上がって、次に賭けよう。ムエタイは私の体だけでなく、精神まで鍛えてくれ、今や私の人生の道案内にまでなってしまった。そして、その道案内は一つだけの道を指しているのではなく、幾通りも幾通りも違う方向を指していた。。。。
2007年12月07日
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結婚15周年記念の小旅行の日記を書く暇もなくブログを半閉鎖状態にしてしまい、まことに申し訳ございませんでした。。。。といつもの言い訳から始まるのだが。。。(汗汗汗)今回、本当に理由があったのだ。(と、これもいつもの言い訳なのだが。。。汗汗汗)どうしよう、、、もう、誰も私の言い訳なんて聞く耳も暇も持たんわいって言われたら。。。。う~。。。まぁ、覚悟を決めて書かなければなるまい(?)実は結婚記念旅行が始まる1週間前に事件(?)はすでに起こっていたのだ。私はその事件(?)から逃れる事ができなかった。どちらかと言うと自分からその事件(?)へ向かっていっていたようにも思える。しかも、その事件(?)は旅行から帰って来てからどんどん、大きくなっていってしまったのだった。。。。。。。って、ええかげん、もったいぶらんと、はよ~言い訳せぃ~~って、華文字ご師匠からハリセンが飛んできそうなので。。。(きゃ~~~華先生、許して~~~)実はこの約2ヶ月の間、以前にも話した事がある、ムエタイキックボクシングのバキバキトレーニングを受けていたのである。。。旅行が始まる2週間ほど前の事だろうか? 私の先生、オスカー(私は彼をボスと呼んでいるが。)がテキストを打ってきた。そこには短く「10月20日、12オンスのグラブ、ヘッドギア、マウスピース、シンガード、オマハ市、ネブラスカ。やってみるか?」とだけ書かれてあった。私はそれが試合なのだと言う事がすぐにわかり、オスカーにテキストを打ち返した。「私に?それともこれは何か悪い冗談なの?」オスカーが、また短いテキストを打ってきた。「本気だよ。するのかしないのかは君次第だ。」と。私の胸はバクバク鳴っていた。。。確かにこの約2年、私は憑かれたように、このムエタイの練習をしてきた。試合になんて、出れなくて当然だとも思っていた。(ううう~~呪うわよ、この年齢。。。爆涙)でも、スパーリングも何度かし始め、何人かの友人が試合をするごと応援に行くと、チラッと私の脳裏にも浮かんでいた事は事実だった。試合に出る、ってどんな気分なんだろう。。。。この年で格好悪いんじゃないの?という疑問も確かにあったのだが、私はそれよりも、チャンスはあったのに取り逃がして、後悔しないかと言う事のほうが大切に思えた。私は黙って練習を続けた。朝早めにジムに向かいジムの側にある公園を走ってウォームアップした。トレーニングが終わればみんなが帰った後ジムを掃除して、その後に筋トレを一人でした。体重もオスカーが言った体重にできるだけ近づくよう、きっちりダイエットしはじめた。いつか、もし、オスカーが声をかけてくれても大丈夫なように。そして、その「いつか、もし」がこんなにも急に起こるなんて思っても見なかった事が実際に起こったのだった。次の日の朝、私はいつものように公園を走った後、ジムに向かった。オスカーはもう、すでにジムにいたが、生徒は私一人だった。縄跳びをしながら私はオスカーに話しかけた。本当に私が試合になんて出れるのか、オスカーは私に対して自信を持ってくれているのか。彼は微笑みながら、でも、しっかりと言ってくれた。「大丈夫、君は準備ができている。毎朝トレーニングの前に走ってる生徒は君くらいだよ。」と。私は「よろしくお願いします。」とだけ答えた。彼は知っていたんだ。私が走っていた事を。彼はウィンクしながら「その代わり、トレーニングは今よりも2倍は厳しくなる。ついてくる覚悟はあるかい?」と聞いてきた。私は「精一杯がんばります。」と答えた。今回の試合は「スモーカー」と言ってジム同士でのトーナメントなのでレコードにも残らない、いわゆるアマチュア戦前の試合と言ったところだろうか。それでもオスカーのジムからは約10名が出場することになり、あとはネブラスカのジムから6人、ミネソタから3人、くらいが出場することになっていた。そうして、それからのトレーニングは本当に厳しく、私は何度も何度もくじけそうにもなった。けれど、これが最初で最後のチャンスかもしれない、と思いなおし、トレーニングで冴えなかった日の次の日にはまた心を新たにオスカーの要求に応えられるようにと朝一番に走った。(恐怖のレッドロックス階段走り。正直、キツイっす。顔はご勘弁~↓) 朝、8時から9時まで走り、9時半から11時半までトレーニング、それが終わると筋トレでまた30分トレーニングをした後、夜に、また1時間のトレーニングをした。食事には極力気をつけてお酒も絶った。私は生まれて初めて真剣に何か一つの事に集中して取り掛かった。オスカーに、ジムのみんなに、そして私自身に、恥をかかせたくなかった。子供の時から運動大っ嫌いだったから、傍目から見たらきっと私のスプリントなんて亀が走っているように映っていただろう。でも、腕立て伏せが赤ちゃんのハイハイのように映っていたとしても、パンチが猫パンチのようであったにしても、キックは犬が消火栓に向けて足を上げておしっこをするような格好であったとしても、私は自分なりの120パーセントの努力をした。毎日。毎日。私はこの2ヶ月間、自分自身と戦っていた。いつもなら、こんな困難な事に耐えられない、と簡単にさじを投げていた私が、生まれて初めて自分で自分をポジティブに考えられるように仕向けた。オスカーがいつも言う、「できない、と言うのが一番最初の失敗だ」を信じて。私は自分との戦いでもう一人の自分自身に出会うことができた。自分を応援してあげれる、もう一人の私。。。試合一週間前、オスカーがとっても申し訳なさそうな顔をして私を呼び止めた。私の対戦相手が見つからなかった、と言って。。。私は意外にも笑顔で彼に言った。「ボス、大丈夫っすよ、私。すっごくいい経験ができましたから。」と。私の心はすがすがしかった程だった。確かに試合にでれなかったのは残念だが、私は本当に貴重な体験をした。「できない」を「できる」ことに成功した。私は自分自身のデーモンと戦い続け、勝てたことのほうがうれしかった。なによりも、オスカーの元で、ムエタイを通して、私にその強さがあったということを発見できたことが私にはとても、とても大切な事なのだった。。。。ところが、ネブラスカに行く数日前、私はきちんと治していなかった古傷をまた故障してしまった。このダブルパンチはかなり堪えた。しかも先生は完治に6週間から8週間かかるという。今まであれほどがんばって鍛えた筋肉や持久力やテクニックを失ってしまう。完治したとしても、復活するのに2倍の努力をして持っていたものを取り返さなければならない。私は絶望の底にいた。怒りに狂った。試合に出れる他の生徒達が羨ましくて仕方なかった。人生って不公平だ。。。心の底からそう思った。私はヤケ食いヤケ飲みをし、毎日走る事すら許されないこの体を呪った。ネブラスカでとっても楽しい思いをしているオスカーや生徒達を妬ましく思いながら。私は完璧に悲劇の女王と化し、嘆き、哀しみ、そして、憤りながら何週間も、過ごした。。。
2007年12月01日
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すっかりブログを怠けて早一ヶ月過ぎようかとしております。(汗)え~と。。。(汗汗汗)言い訳、ではないのですが。。。。(汗汗汗汗)この機に及んでさらにまた1週間ほどブログをサボる事になりますのです。。。(汗汗)結婚記念日15周年を迎え、毎年恒例の小旅行を9月18日から9月25日までしてくることになりました。(汗汗汗汗)皆様、いつも、こんなブログに足を運んで下さって、本当に、本当に、本当にありがとうございます。どうか、いつまでたってもぐうたらな私を、お許しくださいませ~(きゃ~!華先生のハリセンが~~!!爆爆爆)(↑)ママの怠け癖がミドリにも移ってしまいました~。爆
2007年09月19日
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そんなわけで、サクラも新加入し、私は彼女のしつけ、どんな事があっても「休めない」キックボクシングと毎日てんやわんや(大阪以外の人でもこの言葉はご存知なのでしょうか?苦笑)だった。にも関わらず、ある日、だんなが「そろそろ、キッチンのペンキ塗りでも始めてもらえないだろうか?」と要求してきたのだった。専業主婦って、朝昼晩御飯付き、おやつ付き、昼寝付きじゃなかったの?という涙の訴えは軽くあしらわれ、私は次の日から、早速ペンキ塗りババァと化し、ホームセンターへと向かった。道中、いろんな事を思い出していた。この家のペンキを塗るのはこれで、何度目だろう、と。。。。(爆涙)引っ越してきて、最初の3年ほどは赤貧(今時この言葉を使うことってあるんだろうか?苦笑)で、仕事ばかりしていた私達が、やっと家の修理などの事を考えられるようになったのは、いつ頃だったんだろう?ペンキを塗るのは一労働だが、塗った直後の真新しい匂いが好きなので苦というほどのものではなかった。ただ、以前、キッチンとベッド&バスルームのペンキを塗った時、初めて「ウォールペーパー」と戦って、エライ目に遭ったのだけはよく覚えている。だいたい、水気や油気の多いバスルームやキッチンに、なんですぐに剥がれてくるような陳腐な壁紙をつけたんだろう?そんな疑問を抱きながらモクモクと壁紙剥がしババァに化していたこともあった。その間、だんなは車の修理とキャビネット作りのクラスを専門学校で取り、車をいじる事も、キャビネットを作る事も習得した。私は生まれて初めて、ミシンなど買ってもらい、慣れない手つきで一直線を縫う事に喜びを感じていた。だんなも初めはモタモタしながら、教科書とニラメッコし、木を切ったり、ひっつけたりしていたが、遂に宣戦布告したのだった。「俺、この家のキャビネット自分で作る!」おおおおおおお~~~~~素晴らしいじゃないですか。でも。その前に、我が家をどう改造するのか、決めなくっちゃならないと思わない?そうして、私達は何度も何度も新築のモデルホームへと出向き、ピカピカの豪華な家を歩き回り、溜息をついて我が家へ戻っては悲しくなったのだった。そんな中、ある日だんなが彼の頭の中で構造した我が家を延々と話し出してきたので、私は慌ててペンと紙を手に取り彼の言っている事をきちんと図解できるように描いてみた。書き終わった後、私と彼は見詰め合って、にんまり笑った。「なかなか、ええ考えやん!」改造前(ブループリントその1.) 改造後 (ブループリントその2.) 珍しく2人が同時に同意したので、彼はますますやる気満々になり、私達は遂に我が家の大改造に着手することになったのだ。まずは、地下から始める事にした。地下は前住人が住んでいた頃、子供部屋と、奥にはティーンエイジャーの子が住んでいたと思われる部屋があった。カーペットはあまりにグロテスク(汗)だったので、私達が引越ししてすぐに私が地下のカーペットは取り外した。大改造をする前、私達はそこにウエイトマシーンを置いていたのだがジムの会員になった途端、そのマシーンは埃が被るだけだった。だんなはその部屋をリビングルームにしたい、と言ったのだった。埃しか溜まらない地下(苦笑)(↓)刑務所のような窓。。。(↓) ティーンネイジャーが住んでいたと思われる部屋(↓) コロラドの夏は乾燥していて、暑い。しかも我が家のリビングなる所は西日が強く、当時エアコンのなかった我が家に地下があると言うのはラッキーなくらいだったのだ。なぜなら、地下は西日の当たるリビングより遥かに涼しいからだ。私は彼のアイデアに大賛成し、古ぼけた窓を新しく取り変え、だんなは買ったばかりの大型テレビの周りにおけるエンターティメントキャビネットを作る事に専念していた。私は奥にある、ティーンエイジャーが住んでいたと思われる部屋を私のオフィス兼クラフトルームにする事が決まったとたん、イソイソとコーディネーションを始めたのだった。幸い、私にはインテリアデザイナーの仕事に就きたい、と一生懸命勉強している友人がいたので、彼女にかなり助けてもらった。地下のコンクリートに引っ付いているいろんな物質をきれいに剥ぎ取り、毎日毎日そうじし、だんなは着々とエンターティメントキャビネット作りに取り掛かっていった。何度も「お~い、ちょっと手伝ってくれないか?」と声をかけられ、その度、私がしていたことは放っておかなければならなかった事もあったが、やっとの思いで彼は無事完成させたのだった。彼の言う、「3ヶ月もあれば、地下の大改造は終わるだろう。」と予測した時間を遥かに越え、ほぼ1年半くらいかかったプロジェクトであった。(涙)ほぼ完成、エンターティメントキャビネット!!!(↓) 今年に入って、彼はさらにソファの土台とバー兼彼のオフィス机を作り、ソファは本当につい最近、できあがった。私のミシンではとても縫うことができない量と素材(ビニール素材とプラスチック素材を使った。)だったのだが、幸いにも彼のお客さんでビジネス用のミシンを持っている方が仕事の合間に作ってくれると言って引き受けてくださったのだ。大好きヤンキーズソファ(↓) バー兼だんなのオフィス、ヤンキーズ一色!!!(↓)カーテンは私のオリジナル(笑) 私は自分の部屋を大好きなアバランチ、スヌーピー、そして日本の友人達が送ってくれる、日本チックな小物で飾り立てた。大改造後、初めて訪れた私の友達はみんな「独身女性の部屋そのものや~!!」と声を上げて大笑いしたが、それと同時に「自分の思うようにできる部屋ができてよかったね。」と一緒に喜んでくれた。私はその部屋で少ないが思い出深い、クラフトをいくつか作り、その部屋でアービーにさよならのメールを送り涙し、その部屋で彼のグラブを受け取ったのだった。アバランチ!!!!(↓) スヌーピーコレクション!!!(↓)クラフトショップ(↓)遠藤周作の名作「沈黙」より(↓)アービーのグラブも無事フレームの中に納まりました(笑)(↓) だんなは地下でテレビを見るのが大好きである。私はミドリやサクラの寝息を聞きながら彼のオフィスデスクでメールをチェックしたり、彼のシャツから取れてしまったボタンをつけたりしながら夜を過ごす。そんな時、だんながうれしげに私に言うのだった。「俺達っぽくなってきたな。」と。私は彼の笑顔を誇らしく見つめながら「私達の、家にするんだもんね。」と答えるのがクセになった。「私達の、家」。。。。3ヶ月で終わるどころか1年半もかかっちゃったけれど、出来上がりは新築モデルルームほど立派ではないけれど、どう見てもオリジナリティがあって、私は大満足なのだった。。。
2007年08月20日
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アービーとの再会熱も冷めやらぬまま、私は2月中旬まだまだウキウキし、心を弾ませていたものがあった。覚えていらっしゃるだろうか、アービーへ会いに行くと決めた時、だんなが「思いがけない大発言」したのだが今は書けない、とブログで書いたのを。当時かなりのストレスを溜めながら毎日を過ごしていた彼が、いつものように仕事から帰ってきて一杯飲みながら機嫌よく話していたのだ。大変な時期なのに機嫌が良いという事はいい事だ、と話に便乗していたら、猫達を相手に遊んでいた彼が突然言ってきた。「そろそろ、新加入してもいい頃じゃないかな。」と。直感で、新しい動物を飼う事だと感じた私は驚いて「え?」とだけ答えた。彼はにっこり微笑んで、「困るがいなくなってから、なんだかみんな落ち着いちゃったっていうか、困るがパワフルな子だったから、もの寂しくなってきてさ。」と言った。私は何がなんだかわからなくて、ただただ、びっくりしてしまった。と、言うのも、たいがい新加入してくる動物は私を通してだったからだ。我が家の子達は「私」が欲しくて頼み込んだか、泣きついたか、意地を張り通したか、根競べで勝ったかで、だんなから言い出したことは結婚して15年目になろうとするが一度もなかったのだ。先立ってしまった困るの時だけ、2人ともが彼女に惹きつけられたのだったが、その彼女がいなくなってしまってからは新加入の話なんて全くせず、私にまで「新加入の話はするな」と言うような話し振りだったのだ。だから私はうれしくてたまらなかったが、2人ともお酒も入って勢いついてるだけかも知れないから2、3日ゆっくり考えてみよう、と提案してその日は終わった。そんな提案を「私」がするなんていうことも稀だったのだが、それだけ今回は立場がいつもと逆転していたのだ。それでもその2,3日は瞬く間に過ぎ、お酒抜きで話し合いを続け私達は遂に新加入追加を決定したのだった。幸い私は以前シェルターで働いていた事があったこと、そして当時一緒に仕事をしていた友人のカトリーナがまだ働いている事もあって、彼女にまず聞いてみることにした。翌日、早速ミドリと一緒に彼女の働いているシェルターへと向かった。彼女は大きなハグをしてくれ、「久しぶりに連絡が入ったと思ったら子犬を飼うなんて言うじゃない、どういう心境の変化よ?」と聞いてきた。私は「今回は私が言いだしっぺじゃないってことだけはお伝えしておくわ。」と笑った。彼女はじゃあ早速、と私を促して犬舎へと連れて行ってくれた。みんな私達が通路を通ると尻尾を振ったり、ワンワンと吼えたりしているのを見て私の心は急速に落ち込んだ。 全員連れて帰ってあげたい。。。シェルターで働いていた時、ずっと、ずっとそう思いながら、涙ながらに哀しい決断を下し安楽死させられていった子達の事を思い出していた。だけど、今日、私はこの子達を安楽死させるために来たのじゃない、たった一匹だけだけど、一緒に幸せに暮らせるために来たんだ、と自分に言い聞かせて通路を歩いた。途中、途中でカトリーナは犬の紹介をしてくれた。私は瞬間にしてボクサーミックスの、まだ乳飲み子のような顔をした子達と、バセットハウンドの悲しそうな垂れ目に惹きつけられた。もう少しで出口、と言うところでカトリーナの足が止まり、思い出したかのように「ああ、それから、この子。昨日まではいなかったんだけど、今朝来たらいたのよ。捨て犬、オーストラリアンシェパードミックス、5ヶ月、女の子。」その時、私の心はかなりボクサーミックスとバセットに揺れ動いていたので真っ黒の、痩せこけた子犬にあんまり興味が持てずに「あ、そう」という感じで彼女の顔を伺った。その瞬間ー彼女はお座りをした状態で首を片方にちょびっと傾けたのだった。かっ。。。。。かわいいっ~~!!足が一瞬金縛りにあったような気がしたが、カトリーナの「じゃ、行こうか?」という声で我に戻ったのだった。譲度するにもそれなりのプロセスが必要となる。「この子が欲しい」「じゃあどうぞ」とはいかないのだ。イギリスなどに比べるとまだまだ発展途上国のアメリカだが、動物愛護に関しては日本より数段厳しい面があると思う。私も他に漏れず、譲度可能不可能を決めるカウンセラーの部屋へと入った。彼女はキムと言った。私はリストアップしてあった、ボクサーやバセット、シェパードミックス、ラブなどの性格、経歴、向き不向きなど相談したが、どうもしっくり来る子がいない。手元のリストもどんどん減って、遂にオーストラリアンシェパードミックスはどうだろうか、と聞いてみた。キムは彼女の経歴をさっと見てくれたのだが、「この子も問題の多い子ですね。」と言った。私はため息をつきながら、「多少の問題行動は覚悟しています。彼女の経歴を教えてください。」と聞いた。キムは彼女が捨て犬だったこと、2ヶ月前にこのシェルターに来たのだが、すぐに譲度に出せなかったのにはシェルターに来た当日、獣医さんが彼女の頭をなでようとした時に噛み付こうとしたので行動テストなどしなければならなかったと言う事だった。私は、お座りして、ちょびっと首をかしげた、あのかわいい子からそんな凶暴性があるとは思えなかった。まがりなりにも以前シェルターで働いたこともあったので、咄嗟に頭に浮かんだのが「バカな獣医だ。ずっと捨てられて、どこだかわからない所を歩き続けた挙句、拾われた、と思ってやって来たのがたくさんの匂いや音のするシェルターで、きっと不安だらけだったはずなのに、いきなりでかい手がケージからニュッと出てきたらどんな子だって噛み付いちゃうわよ。」だった。つい、私は図に乗って「で?噛まれた獣医さんというのはどなたですか?」と聞いてしまっていた。すると彼女は「Dr.XXさんですが?ご存知ですか?」と聞き返してきたのだが私はすでに大笑いしていた。どおりで噛まれるはずだ。そのDr.XXさんというのは私が働いていた時から知っていた獣医だったが、私は一度だって信用した獣医ではなかったのだ。シェルターにいる動物の心理など全然わからないかのような態度でいつも接していた。少しでもその動物が唸ろうものならすぐに「問題児」のレッテルを貼り、譲度するのをためらった。私でもわかるような病気をわざと難しい病気のように考えて処置しようとしたりするのも私は気に入らなかったものだ。だから思わず、噛み付こうとしたその子犬に「よくやった!」と褒めたくなって笑ってしまったのだ。私はその子に合わせて欲しいと頼んだ。彼女はなぜ私が笑っているのか不思議がったが、子犬を連れてくる事に同意して下さった。子犬は尻尾を360度クルクル回転させながら興味津々で部屋を歩き回り、私の匂いを嗅ぎ、また尻尾を360度クルクル回した。私は持っていたクッキーを彼女の鼻元に近づけ、「お座り、できる?」と聞いてみた。彼女は「お~!クッキー!できる、できる、できますともっ!」といった感じでお座りをきっちりし、フロアの上で尻尾をパタパタ振り続けた。私は「よくできたわね~、いい子ね~」と褒めて彼女にそのクッキーを差し出した。彼女がクッキーをほうばっていると、キムが「どう思われますか?」と聞いてきた。私は「ぜひうちの犬と引き合わせて相性を見てみたいと思います。」と答えた。彼女はうれしそうにうなずき、私は車の中でおとなしく待ってくれていたミドリを連れ、外にある犬の遊び場へと向かった。2匹は軽く挨拶をかわし、遊び場の匂いを嗅ぎ様子を見た。子犬は遊び相手がいるというのを悟り大喜びでミドリを誘い、ミドリも少し戸惑いながらも同意し、走り出した。途中何度か、ミドリがガルル~と子犬にルールを教えた事はあったが、納得のいく相性であるようにみえた。私はキムに断りを入れて、だんなに電話をした。私の声は弾み、だんなもすぐに子犬のことだということがわかったらしかった。[どんな子?]開口一言目だった。私は「とっても人懐っこい子なの。ミドリともすぐに仲良くなれてね、かわいいのよ。毛並みはミドリより少し長くて、真っ黒よ。だからぺロリと出した舌のピンク色が妙に冴えるの。ふふふ。」と笑うとだんなは「その子がいいの?」と聞いてきた。私はもう一度ふふふ、と笑った。彼は「じゃあ、明日、その子に会えるのが楽しみだ。」と言って電話を切った。譲度が決まったからと言ってすぐに連れて帰れない。避妊、去勢が必要だからだ。私は「こんにちは。明日から、よろしくね。」と彼女の頭を撫でた。子犬は尻尾を360度振り回しながら、またちょびっと首をかしげた。子犬は犬舎へと戻り、私は譲度の書類に手をつけた。キムが「おめでとうございます。」と言ってくれ私は、うれしくて仕方なかった。また、新しい出会い。これからのアドベンチャー。私はこの子犬から、どんなことを教わるのだろう?翌日の朝から私はソワソワと落ち着きがなかった。夕方、彼女を引き取りにと車を走らせたが子犬はまだ、麻酔が完全に覚めてない様で昨日に比べてかなりおとなしかった。私はそのほうがいい、と思った。初日はおとなしく寝て、ゆっくり休めばいい。そして、次の朝から新しいアドベンチャーを一緒に始めればいい。家に帰るとだんなはすでに仕事から帰っていた。彼はにっこり笑って「お、かわいいな。よろしく。」と頭を撫でた。ミドリも「あら?昨日の子だわ?なんでうちにいるのかしらね?」と不思議がってはいたものの唸る事もなく、友達ができたことが逆にうれしそうだった。猫達は幾分不機嫌ではあったが、ケージの中でぐっすりと眠りこけるその子犬と私を見比べながら「お母はん、またヘンなもん連れて帰って来たな~」と呆れ返った顔をしていた。次の朝、聞き慣れない音で目が覚めた。パッタパッタとフロアと壁を叩く360度回転する子犬の尻尾の音で。。2月の下旬、まだ雪の降る日が多い中、その子犬は私達に一足早い春を連れてきてくれたように思えた。いろんな候補はあったものの、彼女の名前は春を代表するにふさわしい名前になった。「サクラ」と。。。(真新しい御飯用ボールとクッキー入れ ↓)(雪の中でもヘッチャラ、一杯かけっこ ↓) (雪まみれ、ミドリ ↓)(良い子は寝る子 ↓)(ドライブにもかなり慣れました。↓)(お姉ちゃんに負けないよう、しつけのお勉強もがんばってる。つもりです。↓)
2007年07月22日
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ロジャーが一息つき、満面の笑顔で言った。「夕食は一緒にできないが、少しだけ時間を作れるから、このバーに来ると言った。」ええええええ~~~!!ファン一同、ヤンヤヤンヤと喜び、マリオのバーは大騒ぎとなった。私はまだ実感がわかなくて、頭の中で「会える。。。会える。。。」と何度も自分に言い聞かせる事しかできなかった。アービーが来るまでの間、私はどう過ごしたのかよく覚えていない。ただ、彼がバーに入ってきた時、まるで全ての騒音が消し去り、彼以外の全ての人がビデオで一時停止したような瞬間だった。アービーだ。。。。本物の、アービーだ。。。アービーと新妻アレクサンドラはファンの皆に握手しながら挨拶をしていた。さすがにまずはスイス軍のファンからだったが彼は私達のほうにもきちんとやって来て挨拶をしてくれ、そして私の番にきてしまった。彼はすらりと細い手を差し出してきてくれ、「来てくれてありがとう。」と挨拶をして、私の目を見つめた。私はやっとの思いでその手を握り返す事ができ、「また会えてよかったわ。いい試合だったわね。」とだけ答えられた。彼は私を見つめながら「あ、なんか見たことあるおばちゃんだな。」という顔つきになって「スーパーボール、始まったか知ってる?」と突然聞いてきた。私はまだ彼に話しかけられている、と言う事が信じられないまま、「えとね、今始まったばかりだけど、試合じゃないわ。プリゲーム。」と答えた。彼は「オーケー。ありがとう、じゃあまだ少し時間がありそうだ。」とつぶやいた。その時、スイス軍のファンから声がかかり、彼はそのまま、彼らの要求に答え写真を一緒に撮り、サインをしてたりして忙そうだった。私は今さっき、アービーと交わした会話を反芻しては、まだ夢じゃないかと信じられなかった。ロジャーもニコニコ顔でスイス軍に加わっていたが、「ああ、そうだった、このヘンなニホンジンは明日コロラドに帰るんだった」とでも思い出したのだろうか、急にアービーに向かってなにやら囁いた。すると、どうだろう、なんと彼と奥様は私たちのテーブルに向かってやって来た!しかも、私の目の前にあるイスに腰掛けてしまった~~!!私は頭から噴水が出るんじゃないかとおもうくらい、汗ばんでしまった自分に気が付き、しかも、顔はマッカッカ、心臓は口からいつ飛び出してきてもおかしくない状態になってしまった。ロジャーはそんな私の横に座り、なにやらスイス語で私のことを説明しているようだった。こいつが、2泊3日でコロラドから来て、明日帰るんだとか、お前が送ったグラブの持ち主はこいつだとか言っていたのだと思う。というのもロジャーがアービーに話している間、彼は私から視線をそらさなかったのだ。ロジャーと話が一旦終わると、一番最初に聞いてきたのが「明日帰るのが、君だね?」と念を押すように私に聞いてきた。私は頷く事しかできなくて、ナンシーが「たったの2泊3日であなたに会いに来たのよ、彼女。」と微笑んで助け舟を出してくれた。私はアービーの視線をバンバン感じながらガチガチに固まってしまっていた。ロジャーに「ジャージーに、サインしてもらいたかったんじゃなかったのか?」と言われて初めて私は持ち歩いていたアービーのジャージーを思い出し、あわててかばんの中から取り出した。その瞬間、彼の視線がやっとそれたので一言言う事ができた。「背番号、まちがわないで、ちゃんと1番、って書いてね。」彼の今の背番号が30番だから冗談で言ったのだが、彼も奥様も、ファンも、思わず噴出してしまった。サインをしてもらったジャージーを受け取りながら「ナンバー1のゴーリーはあなただけなんだから。」と言うと、彼はとっても素敵な笑顔で「ありがとう」と答えてくれた。「デンバーにあなたがいなくて寂しいわ。」とポツリとこぼすと彼はちょっと悲しそうな顔をして「残念だけどそればっかりは仕方がないよ。」と言い、「でもモントリオールもなかなかいい街だと思うよ。」とポジティブな面を見せてくれたので私も少し元気よく「そうね、今日の試合もほんっとに楽しかったもの。」と応じた。アービーはまだ私から視線を外さず「デンバーより、会場が賑やかだよね?」と会話を続け私もテーブルにいたみんなも「凄かった!」とそれぞれ言ったがロジャーは「今日はファンクラブの声援のほうが大きかった!」とすっかり嗄れ声になった声で言ったのでみんなはまた大笑いした。笑いが一段落した時、アービーは私に「飛行機はデンバーから直行便が出てたはずだよね?」と聞いてきた。私は「うん。でも私はシカゴで乗り換えてきたの。」と答えると「何も問題なかったの?」と聞き返してきたので「全くなくて、時間通りにデンバーからも、シカゴからも来れたわ。」と、今まであった、哀しみの玉子焼き事件や「香港へ行くんでしょう?」事件は一切なかったような顔をして答えた。何も知らないアービーは笑顔で「それは良かったよ。」と言い、「それで?ホテルはロジャーたちと同じなの?」とまた私の顔をしっかり見つめて聞いてきた。サラが冗談交じりに「この子ったら、昨日もホテルの名前が覚えられない、ってぼやいてた位だから、聞いても無駄よ。」と笑った。アービーも口元は微笑んでいたが目線はまだ私に向けられたままだったので私は一生懸命発音を正確に言おうとしながら「ミラタイムプラザホテル、って英語だと言うんだろうけど・・・ごめんね、フランス語ではなんと言うのか覚えれなくて。」と言った。ロジャーが擦れた声で「ミリティムだな。」と言ったその瞬間、アービーの顔がパッと明るくなって「あ、あの、セイントキャサリーン通りの?」と言った。私はえ?え?え?とか思いながら「そうだと思う。向かいの通りがギーストリートで、ホテルの窓から。。。」「ベルセンターが見えるんだよね!」と私とアービーは声を揃えて言っていた!私はなんだかとってもうれしくて「どうしてそのホテルのこと、よく知ってるの?」と聞いてみた。アービーは「トレードされた時、そのホテルでしばらく住んでいたんだ。」と答えてくれた。ミーハーな私は思わず「何階だったか、覚えてる?」と聞いてみたがアービーは「そこまでは覚えてないよ、いろんなホテルを移動毎に使うからね」と微笑んだ。奥様が腕時計を見て彼の耳元で何か囁いた。アービーは彼女の顔を見て、私達を見回し「そろそろ行かなきゃ。」とちょっと寂しそうに言った。みんな座っていた椅子から立ち上がった。ロジャーが「来てくれてありがとう、また電話するよ。」と言いながらアービーにHug(ハグ)(軽く抱きしめる?日本語ではどう表現すればいいのでしょう?)をした。するとナンシーもサラもブリットニーも次々とアービーにHugしながらお別れを言っているではないか!!げげげ~~!!ってことは私もHugするの~~!!マジっすか~~!!あっという間に私の番が回ってきたものの、ワタシ、ヘンナニホンジン~アメリカ在住歴15年、いかにHug慣れしてても、相手は有名アスリートですぜぃ~ガチガチになってしまっていたら、ロジャーが面倒見切れないよ、と言うような顔をして「ホラよ」と私の背中を押したので、つんのめりそうな状態で片方の肩が突き出してしまった。するとアービーが、なんと、その突き出た肩をグッと自分のほうに引き寄せてくれHugが成立(?)してしまった~!!!Hug!Hug!!Hug!!!あんなに会いたかった、アービーに、今、Hugされている~~!!私はすっかり10代に戻った気ですっぽり包まれていた。やっとの思いで「わざわざ時間を割いて来てくれてありがとう、いい思い出になるわ。」と言う事ができた。アービーは私の肩をポンポン、っと叩きながら「こちらこそ、デンバーからわざわざ応援してくれてありがとう、気をつけて帰るんだよ」と言ってくれた。彼のつけているコロンの匂いをふんわり感じながら、私も彼の背中をポンポンっと叩き「ちょっと早いけどお誕生日も、おめでとう。それからグラブ、本当にありがとう。」と言った。アービーは「こちらこそ、素敵なファンレターをありがとう。」と微笑んだ。アービーと奥様は来た時と同じようにスイス軍のファン達一人一人にお別れをしてから去って行った。私は突っ立ったまま、去っていく彼らの後姿を見つめていた。私はたったの15分か20分ほどだったのに、今起こった出来事がまるで映画のように頭の中で流れていた。会えて、よかった。。。。突然、私の目から涙がボロボロっとでてしまった。それに気が付いたナンシーが「どうしたの!?何があったの!?」と、今までヘラヘラ笑っていた私が急に泣き出したことにびっくりしてしまった。おかげでみんなの視線は私に向けられた。私は泣き笑いしながら言った。「会えて、よかったな、と思ったらなんだか感きわまっちゃって。」ナンシーは子供を見つめる優しい目をしながら私の肩を抱き、「ほんっとに会いたかったのね。」と言い、サラもブリットニーもニコニコして「泣くほど会いたかったんだね。」とそれぞれ言うとロジャーが出ない声を振り絞って「オレも何だか泣きたくなっちゃうぜ」と冗談を言ったのでまたもや大笑いした。夜も更けてきた。ロジャーたちとのパーティも今日が最後。みんなとメールアドレスを交換して、それぞれハグをした。口々に「また絶対会おうね。」と言いながら。次の朝、私はモントリオールを後にした。スーツケースに入りきらないくらいの思い出と一緒に。。。涙の再会(↑)顔写真だけはご勘弁くだせぃ~
2007年04月28日
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だんなが急にキッチンのリモデルなんてものを始めてしまったので私も手伝う羽目になって、コンピューターもネットも触れない状態で今日に至り、せっかくのアービー恋物語も、こんなに遅くになってしまった。皆様、ごめんなさい。長らくお待たせをいたしました。(え?待ってなんかないって?涙)ささ、くつろいで、よってらっしゃい、見てらっしゃい~日曜日。。。ついにやって来た。この試合を見るためにデンバーから来たんだと思うと胸がキュンとなる。私はいつもならベッドの中でグダグダするのに、この日だけはさっさとシャワーを浴び、ゲームに備え、アービーのスカーフ、ジャージー、チケット、カメラ、電池、お金、など準備したのを確かめ、朝ごはんを食べるためにロビーのレストランに寄った。出来立てのコーヒーをすすり、1時までの時間をどう使おうかと思ったものの、モントリオールの街はもうすでに雪が降り始めており、まず地上で何かするには寒すぎることを察知、またもや巨大地下街でウロウロすることにする。それにしても、私は本当に衣に関してまったくと言っていいほど興味がないのか、アービーの試合日でそれどころではなかったのか、今日に至っても私はあの地下街で何を見ていたのかあんまりよく思い出せない。(汗)12時を過ぎた頃、昨日のチケット販売のお姉さん、いてるかな、なんて思いながら地下鉄の駅へと向かった。残念ながら彼女はいなかったが、今回はもう、すっかり慣れたものである。トントン拍子でベルセンターへと向かった。会場に着き、席へと急いだ。1時まだ少し前だっただろうか。席へ行くとロジャーもトーマスもすでにいた。「グラッパの用意はいいかい?」とロジャーが聞いた。私は「アービーがセーブをきめるごとに1ショットよ!」と冗談で言い返し、3人でまた大笑いした。トーマスが「昨日はよく眠れたかい?」と聞いてきてくれた。私は「今日のゲームの事を考え始めてなかなか寝付けなかったけど、大丈夫。準備、完璧オーケーよ。」と応えた。そんなこんなしているうちにナンシー、サラ、ブリットニーがやってきた。私達は同じ列の隣通しの席でなんとアービーを応援する大きなバナーを持たなければならないらしい。(役目があったとは知らなかったゾ。)ナンシーと私は試合前にこれだけ緊張するのは久しぶりだと話し合っているうち、ウォームアップが始まった。今日はアービーが先発なんだ。。。久しぶりに見る、彼のゲーム。。。。横でナンシーやサラが話しかけてきてくれるのだが、私はもう、ウォームアップをしているアービーを見ているだけですっかり上の空になってしまった。会場が暗くなる。ジャンボトロンに数々の歴史上に残る、モントリオールの選手達が映し出される。これだけでも、充分歴史の重みを感じられる。それから、現在の選手達が映し出され、会場が大騒ぎになる。アイスリンクにはカナディアンズのロゴが入った旗を振りかざし、スケートをする子供がいるか、と思った瞬間、選手達が現れた。ゴーリーである、アービーはもちろん、一番初めに出てきたのだった。 ジャンボトロンに映し出されたアービー(↑)私達ファンクラブは総立ちでバナーやスイスの旗を振りかざし、口々に「アービー!!!」「最高の試合を頼むよ!!」「シャットアウトだ!!」などと叫び、私はすっかり舞い上がってしまった。カナダの国歌とアメリカの国歌を歌い終え、やっと試合が始まった。ちょっと自信のなさそうな試合ぶりでスタートを切ったが、ファンクラブの私達はおかまいなしで声援を送り続け、アービーがセーブを決める度「アービーコール」を絶やさなかった。久しぶりに私も大声でアービーコールに参加し、3年前、彼が初めてスターターゴーリーとして試合をし、シャットアウトをした日を思い出しながら涙が出そうになった。ところが、ファーストピリオド中盤でカナディアンズがなんと2選手もペナルティを食らい、5オン3 と相手チーム、ピッツバーグペンギンズにもってこいのチャンスを与えてしまい、先点を入れられてしまった。あぅ~~。。。アービー。。。がんばれ~~~。ペンギンズは攻撃を繰り返し、なんとファーストピリオドだけでショットオンゴール(ゴーリー(アービー)が止めていなければスコアされているというチャンス)が15という数字を出しピリオドは終了した。(モントリオールはたったの7だった。)私達はモントリオールのオフェンスの不甲斐なさ、ペナルティくらいまくり、ペナルティキルの弱さに文句を言いまくって休憩を過ごした。セカンドピリオドが始まって5分ほど経過した頃、やっとカナディアンズがスコアし、同点に持っていった。会場は割れんばかりの声援で埋もれた。私はまるでプレイオフの試合を見ているような気になって心臓もバクバクし、試合に見入った。が、またしてもカナディアンズがペナルティを食らいペンギンズが点数を入れ、2-1とリードされてしまった。全く統率が取れてない!私はペナルティを取り続けるカナディアンズに憤慨した。しかもショットオンゴールはまたしてもペンギンズが有利で11である。休憩中、私はナンシー相手にブーブー息巻き、ナンシーもロジャーも一緒になってブーブー言い合った。サードピリオドでやっとペンギンズの攻撃が弱まり、ペナルティを食らったおかげでカナディアンズにチャンスが回ってき、2点獲得、試合上初めて3-2と有利に立ったので会場はまたもや大騒ぎ、カナダ特有の「オーレーオレオレー」のチャントが会場に響き渡った。ところが試合終了なんと後3分弱という時に来てまたもやカナディアンズがペナルティを食らいペンギンズが点数を入れ同点となってしまった。これじゃ~アービーがかわいそうすぎるじゃないかっ!すっかりホッケーママに化した私はナンシーに「コーチに文句言って来てやる~~!!!」と叫んでいた。ピリオドが終了し、なんとこの試合はオーバータイム、サドンデス(どちらかが点数を入れるとその場で試合終了)となった。オーバータイムはたったの5分だ。私の心臓は破裂するかと思うくらい高鳴り、拳を握り締めながら試合を食いつくように見入った。ペンギンズの攻撃に対し、アービーは見事なセーブを決めカナディアンズにチャンスを与えた。私達は精一杯の声援を送り続けた。ペンギンズのキャプテン、クロスビーがオーバープレイし、カナディアンズが彼からパックを奪いブレークアウェイで2オン1(オフェンス選手2人に対し相手チームのディフェンスは一人)という最高のチャンスで相手チームのゾーンへと入って行った。すごいスピードだ!プレカニックがソウレィにパックを見事にパスしソウレィもそれに応えパックを思いっきりゴールへと放った。スコア!!!!!!会場は割れんばかりの大声援、オーレオレオレーのチャント、誰もが肩を叩きあって喜んだ。アービーのセイブ数は34とかなりの数だったが、私は期待通りの彼の試合を見ることができ大満足だった。会場はいつまでもムンムンと熱気で包まれ、ファンは会場を出るまでオレーチャントを続けていた。私達もなんとか会場を出て、約束の待ち合わせ場所でスイス軍アービーファンと落ち合った。私はこれから何が起こるのか、全く知らないまま、彼らと勝利を喜んでいた。ロジャーの声はすっかり枯れてしまっていたが、彼は「アービーに勝利を与えることができるなら声が潰れたってかまわない」とすっかり満足げだった。私達はワイワイ賑やかに駅に向かって歩き始めたので私はまた、飲み会で盛り上がるんだろうとばっかり思っていたのだ。(それは間違いではなかったのだが。)私はナンシーに「どこで飲み会するのかな?」と聞いたら彼女も「マリオ(すっかり仲良くなったバーテンダー)のいる、ロジャーのホテルでしょう?」と答えながら笑った。ロジャー達はスイス軍のファン達と電車の中でもかなり盛り上がっていたので私はナンシー達アメリカ軍と一緒に盛り上がっていた。ホテルに着き、マリオのいるバーにみんなで駆け込み、各自ショットを頼んだ。マリオは忙しそうに全て用意し、ロジャーが出ない声を振り絞って「サルー!」とグラスをあげ、皆もそれに応えて「サルー!」「チアーズ!」とグラスを合わせた。一息ついてロジャーがニコニコしてアナウンスし始めた。「今さっき、アービーと連絡を取った。」私はゴクリと生唾を飲み込んだ。。。。
2007年04月25日
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チケットオフィスに行くとそこにはまばらにファンクラブのスカーフを巻いた人たちがいたが、ロジャーが見当たらない。また同じ事の繰り返しだ。彼らに自己紹介して、ロジャーがどこにいるか聞く。聞いているうちに遠くから私の名前を呼ぶ声が聞こえた。ロジャーだ!走って駆け寄って、12月ぶりだね、とハグをした。ロジャーもうれしそうに「よく来たね。」と言ってくれ、待ちに待ったチケットをやっとの思いで確保する事ができた。今日座った席とさほどかわらない位置だったが、少しだけ、下の階だった。近況を話し合っているうち3人の女性がアービーのスイスジャージーやスカーフをつけて現れた。ロジャーが「彼らもデンバーから来てるんだよ。」と言い、私はとてもうれしくなって自己紹介をすぐさました。彼女達もとても喜んでくれ、あっという間に話は弾んだ。彼女達の名前はナンシー、サラ、そしてブリットニーだった。ナンシーとサラは母娘、ブリットニーはサラのベストフレンドだということだった。ロジャーはすぐに仲良くなれた私達をうれしそうに眺め、「夕食でも食べに行こうか。」と歩き始めたので私達も後を追った。電車に乗って、ダウンタウンのほうへと向かい、かわいいイタリアレストランに辿り着いた。ロジャー、トーマス、ナンシー、サラ、ブリットニー、そして私は同じテーブルに座り、スイスから来たファン達はそれぞれの席に着き、飲み物をそれぞれ注文した。ウェィターが各飲み物をテーブルに置き、乾杯をした。一息ついてから、ロジャーが言った。「明日、アービーは先発ゴーリーだと決まった。」みんな、そこでワンヤワンヤと勢いづいた。しかし、ロジャーは私の顔を申し訳なさそうに見つめながら続けた。「ただ。。。明日のディナーは中止になった。」 え~~~っ!!! ここにきて、そんな。。。なんでやねん。。。神様はほんまにイヂワルや。。。アービーにはやっぱり、もう会えない運命なのか。。。 爆涙。。。。でも、アービーの試合だけでも見れるんだ。本来、それが目的だったんだ。一つの目的でもかなうんならそれでいいじゃないか。。。それにしても。。。。 残念だ~~~。。。。。爆涙。。。。 なんとか気を取り直して食事を頼み、みんなと和みながら話はアービーで盛りに盛り上がった。ロジャーが皆、スムーズに会話に入れるように細心の気を配っているのを見て私は彼をますます好きになった。ロジャーの片腕とも思われるトーマスはとにかく人を笑わす事に余念がない。しかもロジャーがそれに便乗すると回りはまるで漫才でも見ているかのように笑いに包まれる。食事中、私たちは何度も手を止めて笑いをこらえる事ができなかった。来てよかった。。。。。そんな人たちに囲まれて食事をしているうちにアービーに会えないのは残念だけど、後悔はしないな、と思った。食事が終わる頃、ロジャーがいきなり、「グラッパを飲もう!!」と言い出した。私は「グラッパって何?」と、興味津々で聞いてみた。トーマスが「この店にあるかないか、わからないんだし、聞いてみてからにしよう。」とウェイターを呼んだ。ウェイターはそんな飲み物を知っているのか、とうれしそうな顔をして「もちろん、ございます。おいくつご用意しましょうか?」と聞き、ロジャーも大喜びで頭数を数え始め「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。。。」私の顔を見て、指が止まった。私はまだ一体その「グラッパ」とは何か全くわからなかったので、ロジャーにもう一度「だから、グラッパって何よ?」と聞くと彼はニヤっと笑ったまま 「5つだ!」とバーテンダーに注文し、私に「心配するな、お前なら飲めるよ」と言ったきりグラッパについて何一つ教えてくれなかった。「グラッパ」にはエスプレッソが付いてきた。ウェイターが一つ一つ、丁寧に運びロジャーは上機嫌で「グラッパ」の入っているショットグラスを高々と揚げ、「サルー!(乾杯)」と言いみんな後について「サルー!」「チアーズ(英語での乾杯)!」とそれぞれ口にした。私も後にもれず「チアーズ!!」とは言ってみたものの「グラッパ」が何かわからない飲み物だから一気飲みするのに躊躇してしまい、ほんの少し出遅れてしまった。彼らはあっという間に「グラッパ」を飲み干し、わはははは、と笑った。ロジャーはまだ飲み干していない私を見て、「なんだ、意気地なし(?)」というような顔をして「2杯目を頼むんだから、早く飲みなよ」と、またニヤっとした。えええええいいいっっっっ!!!!大和ナデシコ、売られたケンカ(?)は堂々と受けて立つべし。(旅の恥はカキステ、とも言う。)ジャックダニエルのショットを平気で飲める私だ。恐れるものは何もない。「グラッパ」の入っているショットグラスを眺め、おもしろがって私を見ているロジャーを睨みつけ、興味津々でテーブルを離れてやってくるスイス人達を見回し、もう一度「グラッパ」を眺めなおし、手に取った。グビッ!!!!!次の瞬間、鉄砲玉が私の喉元を通り胃に達したのかと思うほど、センセーショナルな衝撃が体の中で起こった。私は口から突いて出る、言葉にならない奇声を発することしかできなかった。私たちの行動を見ていなかった他のテーブルに座っている人たちも私の奇声が一体何を物語っているのか興味を持ち、みんなの目が私達の座っているテーブルに集中している。ロジャーとトーマスは大笑いしながら「大成功!」と言わんばかりに手と手を叩きあって喜んでいる。私の顔はマッカッカ、味覚はなくなり、ひたすら声にならない「み。。。みず。。。みず。。。。」を繰り返すのみだった。(デンバーに帰ってからだんなに聞いて初めて判った事だが、この「グラッパ」とはワインを作る時に使いようにならない葡萄や茎などをかき集めて作ったトンでもないシロモノだったのだ。。。。) だが、このグラッパ事件(?)を通し、ロジャー、トーマス、それから何人かのスイス人達は「おもしろい東洋人」として私を見るようになり、もともと私もカワイコぶるような素質もないただのおばちゃんなので「それなら」と本来の大阪人として(?)おもしろくしてやろうじゃないか、と逆に元気付けられたような気がした。食事も無事終わり、ロジャーは先ほどの「グラッパ」で勢いづいたのか「俺達の泊まってるホテルのバーで飲み会をしようぜ!」とみんなを促し、そんなに遠くないホテルまで、スイス人軍と少数アメリカ人、そして一人だけ、ヘンな東洋人という奇妙なグループは嬉々として夜のモントリオールを歩いたのだった。ホテルに着き、もう一度ロジャー達はグラッパを飲みたかったらしかったが、あいにくそのバーにはそんなトンでもないシロモノは置いてなく、(助かった。苦笑)彼らはとても残念がったが、気を取り直してみんなでそれぞれショットを頼み、「サルー!」「チアーズ!!」の合唱でバーが一杯になった。ロジャーもトーマスも姿顔立ちはスイス人(らしい)がどう見てもこのキャラクターは私が子供の時から見て育ってきた、大阪にいる猛烈阪神タイガースファンのおっさん達にしか見えない。 酔えば女の子達が逃げてしまうような超お下劣な会話を好み、がはははははと大声で笑い、でも案外面倒見はよく、気に入られると、トコトンかわいがってもらえる、そんな性格のようだった。だからか、私は彼らの言動にスッと入っていく事ができ、お下劣な会話も受けて立つ事までしてしまい、(とてもじゃないが、その内容をここで書くことはできないが、おかげで涙が出るほど笑ってしまったこともあった。)彼らとは、もちろんアービーが大好きなのは共通しているが、それ以前にすっかり意気投合してしまった。私達はグラスを重ねるごとに大笑いをし、時間はあっという間に過ぎていった。ロジャーが「明日のためにも万全の体制にしなければならないから、そろそろベッドタイムだな。」と12時をすっかり回った時計を見て言った。トーマスも「今スイスじゃ朝の4時だぜ~。」と私達を見渡してぼやいた。コロラドタイムでは、まだ夜の10時過ぎだったので、私は「これからやん~」と思ったのだが、楽しい飲み会はこれでおひらき、となった。「じゃ、明日だね。楽しみ、楽しみ~~」とそれぞれ言いながらスイス人軍は部屋へと少数アメリカ人もホテルへと向かい、私もタクシーを拾って楽しかった一日が終わった。明日、だね、アービー。がんばって、皆を喜ばせるような試合をしてね。大声援の中、素晴らしいセーブをきめているアービーの勇姿を目に浮かべながら、私はなかなか寝付く事ができなかった。。。。
2007年03月07日
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ロジャーとは1時にグッズショップ前で待ち合わせだったが、とにかく驚くほどの人並みで私はとりあえず、ダフ屋からチケットを買って、彼らの座っているセクションで会うことができればいいか、と思いダフ屋を探した。ロジャーの言うようにダフ屋はすぐ見つかったのですぐに英語で聞いてみた。「いくらで売ってるの?」彼は英語を話せるダフ屋だった。「どんな席がいいんだい?」と聞き返してきた。私「じゃ一番安いのでいくら?」彼「100ドルで、どうだい?」私「チケット見せて。」私は彼の持っているチケットの番号を見た。300台だ。それで100ドルなんて高すぎる。「高すぎるわよ」彼「マドモゼールのためだ、85ドルでいいよ。」私「85ドル?冗談じゃない、そのチケット、普通なら30ドル程度でしょ、倍額が限界よ。」ダフ屋は私をマジマジと見つめ、ニヤっと笑って「マドモゼール、あなたはタフだ。」と言って60ドルにまで下げてくれた上、「これ、ボクのビジネスカードだよ。毎日ここで働いているから、チケットがいるんならいつでも来てくれ」と照れくさそうに手渡してくれた。私はなんだかおかしくなって「メルシー、ムッシュー」と言うと、彼はなんと、私の手を取って、映画に出てくるフランス紳士がよくやるようなしぐさで「メルシーボクー、マドモゼール」と膝を軽く折って会釈したのだった。大笑いしたいのをグッとこらえながら私はついにベルセンターの中へと入っていった。ベルセンターの中は熱気と人ごみでムンムンしていた。隙間もないくらいの人ごみでグッズショップや売店でビールを買えるような雰囲気ではない。私はグッズショップの中にロジャーがいないか見渡してみた。すると。。。あ、いた!ファンクラブの人たちが持ってるアービーのスカーフを首に巻いた人たちが何人か。彼らに聞いてみたら何かわかるだろうか?私は「あの、ロジャー、どこにいるか知らない?」とスカーフを巻いた男の人に聞いてみた。彼は私を見て「なんでロジャーを知ってるんだ?なんだ、このアジアのおばちゃんは」というな顔をしたので「私、コロラドから来たのよ!」(そう言うとアービーファンだという事がわかるだろうという安直な考えだった。)と言ってみたら彼は「へぇ~、ロジャー達とは別行動なんだ。どこにいるのかわからないよ。」とちょっと突き放すような返事をした。私はがっくりして、じゃ、またね、と言い残し自分の席まで、とりあえず行くことにした。自分の席に着き、アリーナを見渡した。アービーの新しいアリーナ。。。ちょびっと寂しく思いながら私は自分で自分を勢いつけるためにも(?)ビールを買うことにした。ロビーに出てみると、またアービーのファンクラブスカーフをつけている人たちが何人かいたのでメゲずにもう一度、声をかけてみることにした。彼らもロジャーがどこにいるかわからない、とは言ったものの私の席や名前などを聞いてくれ、連絡を取れるようにしようとしてくれた。そのうちの一人が「ロジャーとはどういうお付き合いで?」と聞いてきて、初めて私はまだアービーのジャージーを着ていなかったこと、スカーフを巻いていない事に気がついたのだった。(そりゃ~みんな、怪訝な顔するはずだわ。汗)「あ、そうだった!ちょっと待ってね。」と言って慌ててかばんの中からスカーフを取り出し、「コロラドから来たの。アービーの大ファンなのよ!」と胸を張って答えたら彼らはとってもうれしそうな顔をして「オ~~!」と感嘆文を連発し、拍手してくれた。私達はしばらく自己紹介も交えながら話し合っていたが、そろそろウォームアップが始まる頃だ、と誰かが言ったのでみんなそれぞれの席に座る事にした。私も他にもれず、ビールだけ買って今来た道を引き返しウォームアップを見ることにした。しばらくして、モントリオールカナディアンのチームがリンクに出てきた。私の目はもう、他の誰でもない、アービーの背番号だけを追っていた。「アービー!!」 彼がリンクに出てきた時思わず叫んでしまった。丸1年、会うことがなかったね。最後にお別れの手紙を書いて、あなたからグラブを貰ってチャットして以来だね。胸が熱くなった。遠くから見るアービーだったが、それは紛れもなく私が恋焦がれたアービーだった。私は無我夢中でカメラのシャッターを押した。初めてマイナーリーグから這い上がってきて、スプリングトレーニングをアバランチと一緒にしていたあの日から、今までの事が走馬灯のように駆け抜けて行った。久しぶりだね。。。。胸がキュッと痛み、目頭がほんのり熱くなった。あいにくその日は、ユーエーが先発ゴーリーでアービーの登場はなかったが、試合中、隣に座ったおじさん達が話しかけてきた。彼らはトロント出身だというのにモントリオールカナディアンズのファンだと言う。これってボストン出身の人がヤンキーズファンだと言うに等しいことだ。私はもちろん、コロラドから遊びに来たこと、アービーの大ファンなこと、モントリオールのアリーナで試合が見たかったことなどを述べた。彼らはホテルのフロントデスクマン達と同じくパトリックワーの話題に取り掛かり、私も楽しくその会話に便乗しながら試合を見た。アリーナは、とにかくファンの声援で大盛り上がりだった。マスコットのヤウピー(ユーピー?)( ↓ ) はもちろんの事、スポンサーのビール会社(モルソン)からはモルソンマン ( ↓ )なるスーパーマンフィギュアーに似たムキムキマンを登場させ、私が座ったアッパーの席には各セクション毎にきれいな姉ちゃん達(プロモガール)がタンバリンを持って観客を煽りまくる。しかも、それだけではない。ペナルティキルは普通2分だが、最終10秒を切るとジャンボトロンに大きく数字が出て、観客はカウントダウンし、チームを応援する。それに会場が煽らなくともファンはファンで勝手にウェーブを始めたり、レフリーにブーイングしている。おおおおお、すごい。。。。コロラドのファンってやっぱりおとなし過ぎる。。。。これはやはりヤンキースタジアムに行った時の盛り上がりと同じ、またはそれ以上のようにも思える。コロラドの、レギュラーシーズンホッケーでこれだけ盛り上がるのはデトロイト戦か、プレイオフ争いになる試合くらいじゃないだろうか?それでもこんなに騒ぐだろうか?会場は割れんばかりの声援に包まれていた。ホッケーのメッカ。モントリオール。。。本当だった。。。残念ながら試合には負けてしまったが、私はとなりのおじさん達と楽しく会話ができたこと、ホッケーのメッカを生で見れたこと、そしてファンの声援を感じられたので充分満喫することができた。試合が終わり、これはもう後はなんとしてでもロジャーを探し出さなくてはいけなくなってしまった。明日のチケットは彼が持っているからだ。片っ端からファンクラブのスカーフを巻いている人たちを見つけ出してはロジャーがどこにいるか聞いてみた。その度に「デンバー、コロラドから来た、アービーの大ファンなの、ロジャーが明日のチケットを持っているんだけどどこにいるか、ご存じない?」と訪ね、その度ほとんどのファンクラブの人達は手助けをしようと試みてくれたか、話しかけてきてくれた。「ごめんね、ドイツ語もフランス語もしゃべれなくて。英語と日本語だけなのよ。」と言うと大概みんな「僕達は日本語しゃべれないよ、残念だけど」と笑って答えてくれた。そうこうしているうちに、やっとファンクラブの中の女性がテキストメッセージをロジャーと交わすことができたらしく、私に向かって「チケットオフィス、下の階にいる、って今ロジャーから連絡が着たわ。すぐ行きなさい。」と促してくれた。私は何度もありがとう、と言い、また後で会おうね、と約束してその場を離れた。。。。
2007年03月02日
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土曜日の朝、さすがに前々日睡眠時間1時間半だったのでゆっくり目に起き、シャワーを浴びて試合までの時間をどうしようか考えながらメールのチェックをしたら、ファンクラブのロジャーからメールが入っていた。彼からは「無事に着いたと聞いて安心したよ、今日のチケットは試合前にダフ屋からすぐに手に入るよ。そしたらグッズのショップ前で1時に待ち合わせよう、それで会えなかったら僕達のいる席へ来てくれ、それでも会えなかったら試合後また、ショップ前で会おう」との事だった。1時まで、まだ2時間ほどある。モントリオールはダブルデッカーシティと言われるようにアンダーグラウンドにも何やら一杯ショッピングモールやレストランなどがあるらしい。しかも外は雪だ。よし、アンダーグラウンドシティに行って、食事をしよう。フロントデスクに、そこまでの行き方を聞いて、外へ出た。さっぶ~~い~~!!コロラドの冬でかなり鍛えられたと思っていたが、モントリオールの寒さはコロラドのそれとは似つかない。とにかく冷たいのだ。耳が痛い。唇が乾く。手がかじかむ。。。何度もコロラドの冬について、この日記に書いてきたが、コロラドは気温がコロコロ変わるので冬でもTシャツでオーケーな日もあるくらいだ。モントリオールとなると日中でもマイナスゼロで、しかもそれがずっと続き、夜や風のある日だと目を開けて歩けないんじゃないかと思うくらい寒いと思った。私は地図を片手に、早くアンダーグラウンドシティへ潜りたいと痛切に感じながら足早に歩き始めた。それは私の故郷、大阪の難波、心斎橋、梅田にある地下街を思い出させた。懐かしいな、と思いながらアンダーグラウンドシティの地図を開けてぶっ飛んでしまった。で、で~か~い。。。。これは1日では把握できないんじゃないか、と思われるくらい大規模な地下街なのだ。私は時計を見ながら、少しだけショッピングしてからアリーナに行こう、と決めた。どうしても衣食住の中では食住衣の順番なのでどこへ旅行に行ってもショッピングはほとんどしない上、今回のこれは観光というよりもホテルから出て、寒くなくて試合までの間、それなりに有意義に(?)時間を潰せる所としてだけの目的だったのかもしれない。(汗汗汗)さて、12時を少し過ぎた。アリーナへと向かわなければ。地下街だから地下鉄までも行けるはずだ。グルグルグルグル。。。(目印はあるものの、私には役立たずとしか思えなかった。汗)何度か同じ所を歩いて、やっとの思いで地下鉄の入り口まで来れた。(地下鉄の入り口を探すのに20分はかかったであろうか。。。汗)自動販売機があるのかと思ったが、そういうのは全然なくボックスで座っている切符売りのお姉さんからチケットを買わなければいけないらしい。 (↓)私はチケット販売しているお姉さんに聞こえるように「ベルセンター行きのチケット下さい」と言ったが、返ってきた言葉はやはり 「アァ~~~ン????」だった。。。(なんでやねん。。。爆涙。土佐犬さん、覚悟できてます。爆爆)慌てて、即効ブロークン英語に変えて、「チケット、ベルセンター、ワン!」(切符、(会場名)、一枚!)と言ってみた。おばちゃんは怪訝そうな顔をしながら「アン?ドゥー?」と何回も聞き返してくる。「アンドゥートロワー」(1.2.3)くらいのフランス語は知っていたはずなのに焦る私をさらに焦らせた。あぅ~あぅ~あぅ~~~。。。。仕方がないのでもう一度、英語で「チケット、ワン、ベルセンター」と言うと彼女は半ばイライラした態度で「2ドル75セント!」と言った。のに、それさえも聞き取れなくて「ハウマッチ?」(いくら?)と私は聞き返さなければならず、さらにおばちゃんはイラついて「2ドル75セント!」と怒鳴るような勢いで答えた。私は半泣きになりそうになるのをぐっとこらえながら(この程度の英語でひっかかるのは15年ぶりだ。涙)コインをかき集めおばちゃんに渡した。そこで人行きが増えてきたので彼らにしばらく道を譲り、私はどうしてももう一度、このおばちゃんと対決しなければならないことがあるのを確認し、コブシを握り締めたのだった。「エクスキューズミー」ちょっと弱気な出方だったが、また怒られたくないから仕方ない。おばちゃんは「またお前さんかい」と呆れたような、怒ったような顔をしたが、それにもメゲず、私はもう一度、ブロークン英語を使ってみた。「ハウ、ベルセンター、ゴー?モントリオールカナディアンズ?(←それとなく(ビビってたので。汗)この言葉だけ過剰に力を込めてみた。)」おばちゃんはフゥッとため息をついて、フランス語の駅名を言い並べ始めたので、すかさず私は持っていた小さな駅マップとペンとを渡し、「ウェア?」(どこ?)と聞いて駅マップにマークしてもらうことにした。おばちゃんもそのほうが伝えやすい、と思ったのだろう、3箇所、今いる駅、乗り換える駅、降りる駅、にペンでマークし、窓口から身を乗り出して「こっちの電車に乗って」と駅マップを見せ、彼女が記した乗換駅の名前を言い、「ここで乗り換えて、こっち行きの電車でここで降りるのよ。」と急に優しく説明してくれたのだった。(Mcgillという駅から搭乗。↓ 駅の壁にあった、大きなマップ) (で、こちら行き ↓ の電車に乗る。)なぜ、急に優しくしてくれたのか、わからない。母性本能が動いたのだろうか、冷たくした事に罪悪感を感じたからだろうか、モントリオールカナディアンと言ったことがうれしかったのだろうか、私にはわからない。ただ、その説明だけはとても、とても、わかりやすく、私は感動して「サンキューベリーマッチフォーユアヘルプ」と答えた後、生まれて初めて「メルシーボクー」と言ってみた。彼女は私を見つめ、とってもうれしそうにフランス語で「どういたしまして。」と言った(と思う。汗)後、「ユーアーウエルカム」とフランス訛りの英語で答え、初めてニッコリ微笑んでくれた。私はこんな時、幸せになれる。言葉が通じなくて、諦めそうになる。でも、諦めずに何度もトライする。相手が胡散臭そうに、邪険に取り扱っても、それが彼らの習慣なんだ、と思うようにする。そして、やっと分かり合え、お互いが微笑みあう事ができる。人間ってまだ、捨てたもんじゃないのかな、こんな時、そう、信じられるような気がするから。私は寒い中、心だけはポカポカ温かくなるのを感じながらおばちゃんに言われたとおり電車を待ち、おばちゃんの記してくれたマークを目印に乗り換え (↓)乗り換えを待っている間には駅の中にある大型スクリーンで、天気予報や後何分で電車が来るかわかるようにもなっている。しかも、昨日のホッケーの試合結果なども見れる!さすが! ↓ そして降りるべき駅で降りる事ができた。(↓) 電車を降りるとモントリオールカナディアンズのロゴが駅にあり迷うことなくアリーナへと到着した。(ベルセンターへはこちらへ。 ↓ ) (ホッケーのメッカとでも書いてあるのかな?↓)(駅からアリーナへと続く通路にはカナディアンズの選手達が描かれたパネルがズラリ ↓ )ただ、トレードされちゃった選手なんかはこうやって塗りつぶされる運命らしい?どうせ塗りつぶすんだったら、ちゃんと顔まで塗りつぶしてあげたらどうだろう?かわいそう、だなんて思ってしまったのは私くらい?爆。(元選手?↓ )そうして、やっとの思いでベルセンターに到着~~(↓) それにしても。。。ごめんなさい、まだまだ続くんです。。。たった2泊3日の旅行なのに。。。(汗汗汗)
2007年02月24日
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モントリオールでの入管での列で初めて私は実感した。ここはフレンチカナディアンの土地なんだ、と。並んでいるほぼ全ての人がフランス語らしき(私はフランス語と他の国の言葉の違いがわからない。爆)言葉で話している。アジア人は数数えるほどしか並んでいない。しかも、私は女一人旅だ。ちょびっと不安になりながら入国管理人のところへ行った。彼はやはり「ボンジュワール」と始めたが、私は「ハロー」と答えた。入管の人はまるでお経を読むように単調に質問してきた。「アメリカの、どこから?」「何年アメリカに住んでるの?」「モントリオールではどこに泊まるの?」など、ごく一般のことを聞いてきたので私も真面目に答えていたのだが「今回の旅行目的は?」と聞かれた時、すかさず、「モントリオールカナディアンの試合を見に!!」と息つく暇もなく答えたら、今まで単調に質問していた彼の顔つきがパッと明るくなったような気がしたかと思ったらポンポンポンっとはんこを押して「よい旅を。マドモゼール」とお尻の痒くなる言葉をまた発したのであった。。。こうして無事、入国ができたものの、空港から降りるや、もうそこはフランスと言っておかしくないくらいフランス語が立ちはだかっていた。(汗)そう、カナダと言えどコベック州の人達の主用言語はフランス語なのだ。ただ、観光客に慣れているような、ホテルやレストランなどは英語でも大体通じる、と聞いていたので私はまずシャトルバスの往復券を買おうと売店へと向かった。「往復券を2枚ください。」この程度の英語なら私もかなりフツーに慣れたもんでペララと言う事ができる。それなのに、おばちゃんが返してきた言葉は「アァ~~~ン???」だった。。。(汗)(↑土佐犬さん、何度もすみません。汗)い、今の英語、間違ってないよね???と咄嗟に下手な英語を反芻してみたが、やっぱりどう考えても間違えていないように思う。(もうここで私の今まで持っていた自信が崩れたことは言うまでもない。) さっきよりも幾分緊張しながらもう一度、はっきりと「往復券を下さい。」と区切り区切り言ってみたら、やっとおばちゃんは私がフランス語を喋れないことを悟ったのか(香港へ行くという間違った予測はできてもアジア人だからフランス語が通じないという間違わないかもしれない予測はできないのだろうか?)「22ドル50セントだよ~」と答え、私は換金したばっかりの50ドル札を払った。おばちゃんは20ドル札と何やらコインをくれた。思わず「おばちゃん、計算間違ってるよ」と言いそうになったが、よく見ると1ドル、2ドルはお札ではなくコインだった。(何も言わなくてよかった。汗)シャトルバスの往復券を買ってしまったものの、そのバスが私の行きたいホテルへ行くのかどうか、急に不安になってしまい、またおばちゃんの所へ戻り、今度はプリントアウトしてあったホテル名と住所を差し出し、身振り手振りで片言の英語を続けてみた。「バス、ゴー、ディス、ホテル?」 (バス、行く、この、ホテル?)そうするとおばちゃんは「イェーイェー、バス、ゴー、ホテル」ブロークン英語のほうが通じやすいのね。。。。(汗)やっとの思いでバスに乗り込み、ホッと一息をつきながら感慨深くモントリオールに来た事を思った。が。情緒に浸っている間はほんのわずかだった。と、いうのもそのバスは大きなバス停のようなところで止まり、乗客全員ワヤワヤとそのバスから出て行くではないか。。。私は何が起こっているのかもわからず、それでもそのバスからは降りなければならないことだけは察したので一応降りて、事の成り行きを見守っていたが、どうやら乗り換えが必要ならしい。.............汗............おばちゃんの嘘つき。(大涙)「イェーイェー、バス、ゴー、ホテル」って言ったから、おばちゃんを、信じちまったじゃない。乗換えが必要だ、なんて、言ってくれなかったじゃないの。ぶーぶー。。。心でそう思いつつ、バスから荷物を運び出すおじさんに聞いてみた。「このホテルに行きたいんですけど次はどのバスに乗ればいいんですか?」おじさんはプリントアウトした紙を見て、いとも簡単そうに「あ~、このバスに乗ればいいよ」と比較的小さなシャトルバスを指差した。先ほどの「イェーイェー」おばさんで不信感を持ってしまった私は「ほんまかいな」と不安は隠せなかったが、とりあえず、おじさんの言われるままにその小さなバスに乗り込んだ。シャトルバスは私達を乗せて、どんどん市内へと向かっていった事は街並みを見ているだけでわかった。古い建物、教会が立ち並んでいた。そのどれもが美術的で、さすがにフランス系の住む街だと圧倒された。空は少し曇り始め、本当にカナダと言えど違う国へ来た気分はぬぐえなかった。バスの運転手のお兄ちゃんが「ここが君のホテルだよ」と言ってふと我に戻った。ホテルは質素な感じだった。(一番安かった。涙)フロントデスクに2人の男の人がいて、私を見てニッコリ微笑んだ。そして、やはり「ボンジュワール、マドモゼール」と、その時にはもう、慣れっこになってしまった言葉が出てきた。チェックインを済ませたら、何か食べなきゃな~なんて考えながらフロントに突っ立っていたのだがフロントデスクの人が「たったの2日、滞在なんですね。お友達に会われるのですか?」と聞いてきたので思わず「いえ、モントリオールカナディアンを見に来たんです!!!」と鼻息を荒らしながら答えてしまった。どうも「モントリオール」と言う言葉に力がこもってしまって困る。彼らは顔を見合わせて、「しかも、お一人で?」と聞くので、そうだ、と言うと、もう一人のフロントデスクマンが「本物のファンですな」と言う。心の中で私は(いや、アービーを見に来たのだ)と叫んでいたのだが、この際好かれるほうが何かと特かもしれないと思い(?)、ニヤニヤして交わしてしまったら(汗)、今度は「どこから来たのか?」と聞かれたのでこれまた胸を張って「デンバー、コロラド!」と鼻息をまくと二人のデスクマンは顔をまた見合わせ、交互に、こう言い放ったのだ。「デンバーにはえらく高くつくバックアップゴーリーがいるねぇ~。」「うちには2人も先発ゴーリーがいるのにね~。」間違いなく、彼らはアービーの代わりにモントリオールからトレードされたジョーゼィテオドーの事を言っているのだ。テオドーはコロラドにトレードされてきたものの、(私はコーチングが悪いせいだと思っているが。)全然期待していたような成果を出す事ができず、今やバックアップゴーリーだったはずのピーターブダイに先発ゴーリーの仕事を取られてしまったかのような状態で、しかも5.5ミリオンという莫大なお給料をもらっているがために、(サラリーキャップが導入されてしまった現在のNHLでは)トレードに出したとしても、誰も使えないゴーリーに5ミリオンという金額を払おうとは思わない。モントリオールでの最後のシーズンではかなりブーイングされていたテオドーだから、現在の彼も不調だということはモントリオールの人達にとって愉快で仕方ないらしい。 年配のほうのデスクマンが「いや~、これは復讐だよ、モントリオールからの。君達は僕達の最高のゴーリーを10年前に奪っているからね。」と言った。これはもちろん、あの、我がパトリックワーの事を指しているのだ。そこで私はニヤっと笑うのを隠せなかった。「そうね、ただデンバーは最高のゴーリーを奪ったわけじゃないわ。彼はモントリオールを自ら“辞。め。た。”の、あなた達は彼の扱い方を知らなかったから失っただけよ。そして、デンバーは彼のおかげで2つもスタンレーカップを頂いたしね。」(↓感動の95-96年優勝、パトリックとスタンリーカップ)(感動の2000-2001年優勝、左からレイボーク、コーチハートリー、パトリックワー、ジョーサキック↓)と、言い返してやった。(痛快。笑。)しかし、この写真と上の写真を比べるとますますテオドーが哀れに思われる。。。(苦笑)デスクマン達は私がそこまで知っている、という事を知らなかったのか、予期していなかったのかわからないが、少しだけ、くやしそうな顔をして苦笑いした。若い方のデスクマンが部屋の鍵を用意して「ようこそ、モントリオールへ。」と言って、やっと私は部屋へ通されたのだった。それにしてもホッケーのメッカというのはウソではないらしい。コロラドだと、まずこんな会話は入管やホテルロビーで成り立たないんじゃないか、と思う。コロラドはやっぱりまだまだフットボールタウンだ。もし、誰かが「デンバーブロンコスを見に来た」と言うならば大概の人は大歓迎するだろうし、チームの話で花が咲くかもしれないが、アバランチはまだまだ歴史が始まったばかりだし、浸透しきっていないし、コロラドのホッケーファンの、ホッケーに対する知識というのがあまりないし、(人のことは私もあまり言えないが。汗)どちらかというとカジュアルファン(ハードコアファンに対して)が多いように思う。そうして、部屋でシャワーを浴び、とてもじゃないが、レストランで何か食べる元気もなかったので近くにあるグロッサリーストアで食料とワイン、それからもちろんジャックダニエルだけ買いこんで金曜日は雪と共に終えたのであった。。。。(あ!もちろん、こんなにたくさん買い込んだのではありませぬ!これは、だんなが仕事場で頂いたものを写真に収めただけであります!!↓)
2007年02月14日
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いつものように旅行前になるとなんにも手をつけられない私だが、今回は空港で乗り換えもあることだし、お弁当だけは持って行こうと、玉子焼きとから揚げ、おにぎり、それから大好きなポテサラを作っておいた。空港のセキュリティーが厳しくなった事も、モントリオール行きは身軽旅行を好む私にはちょっと苦手な大荷物旅行(モントリオールはコロラドより、もっと寒いので冬服がかさばるのだ。)になることもあってお弁当はジップロックの袋にそれぞれ入れ、学校へ子供たちがランチを持っていくようなブラウンバッグにまとめておいた。いつものように、バタバタとパッキングを済ませた上、空港へは5時半には着いていないといかず、しかも前日は友達と一緒にアバランチのタダ券(しかもクラブレベル!だんな、ありがとう)が手に入ったので睡眠時間は約1時間半だった。空港へ着いてまずしないといけない事はチェックイン。デンバーインターナショナルではセルフチェックインが多い上、朝早い旅だったのでカウンターで働いている人もまだ数少ない。セルフチェックインのマシーンの前でクレジットカードを入れ、事をさっさと済ませてゲート入りしちゃおう,と考えていた私は1時間半の睡眠プラス前日飲んだジャックダニエルがまだ頭の中をグルグルし、しかもアービーのことばかり、この数日考えていて正味頭の中は真っ白か空っぽ状態だったのだ。ピーッ。パスポートが読み込めませんピーッ。パスポートが読み込めませんピーッ。アシスタントをお呼びください。なんだってこんな時に。。。。まったくツイてないな~すぐ側で普段チェックインする時にいるカウンターの人に聞けど、その人はアジア系の人で英語もままならない上、「もう一回やってみろ」と言ってはその場を立ち去ってしまう。何度かやったが、ダメだったので、そろそろ怒り虫がバタバタしはじめ、そのカウンターの人らしき人にもう一度きちんと言ったらうるさがるような態度で「あ~、じゃ~アシスタント呼んでやるよ」と答えた。最初っからそう言えばいいじゃない、まったく、朝からツイてない。ところがアシストも早朝の人手不足で私の手前まで来ては誰かに呼び止められ応対しなくてはならず、隅っこのマシーンを使った自分を恨んだ。やっとのことでアシスタントが現れ、私はちょっと怒りをおさえながらもふてぶてしく「読み取れないってマシーンが言うんですよ。」とぶっきらぼうに言うと彼はにっこり笑って「このパスポート、古いから読み取り機がついてないんですよ、あちらのカウンターをお使いください」といつの間にかおばちゃんがニコニコしながら応対しているカウンターがあるではないか。お礼だけは言ったものの、「最初っからあのおばちゃんがいる、って言ってくれればセルフチェックインなんてしなかったのに。」とブツブツいいながらその場を去った。自分が古いパスポートを持っていてセルフチェックインができない事をすっかり忘れていた事は棚において、だ。(苦笑) おばちゃんはニコヤカに「どちらまでですか?」と聞いた。私は「カナダです。カナダの、モントリオールまで。」鼻息をまく勢いで、「モントリオール」と言う言葉に力が入る。それなのにおばちゃんはふんともすんとも言わず、モクモクと仕事をしただけだったので勢いついてしまった自分がちょっとおかしかった。おばちゃんにチェックインしてもらってから、(モントリオール、と言う言葉を口に出してから)私の頭はまたアービーで一杯になっていた。セキュリティーを通る時、チケットを確認するおばちゃんが「あ、あなたはあちらに並んでね。」とパスン、パスンと風の吹く超最新のセキュリティーゲートを通るように言ったのだ。あ~もう、ったくツイてないわよ、なんてったって、今日みたいな心浮き立つ日に限って。でも文句は言えないので黙って列に加わった。パスン、パスンと言いながらその超最新セキュリティーガードは人々を通していった。私を除いて、だ。私の番になって、パスン、パスンはすぐさま通れたのだが、バッグチェックもする「選択」された乗客になっていた。「あ~、その人、セレクトだぜ~」「念入りに、頼むよ~」と、それぞれのセキュリティーガードが口にする。私は半ばヤケになって、「はいはい、私です、大型爆弾とアンスラックスを所持してるのは。」と心の中で思ってはいたものの、さすがに口に出すわけにはいかず、なすがままにされていた。親父が手荷物を開け、ピンセットにはさんだガーゼのようなものをかばんの中でゴゾゴゾする。私の心は穏やかではなかった。なぜならその手荷物にはアービーのオーセンティックジャージーが2枚、私用とねぐせ君用のを忍ばせていたのでシミでもつけられたら困る、とそればかり考えていたのだ。やっとの思いでセキュリティーを無事通過することができ、ゲートへと続く電車に飛び乗った。後は飛行機を待つのみだがそんなこんなであまり時間はなく、フライトもオンタイムだったため、ゲートへと直行した。ありがたいことに搭乗にはまだあと30分ほどある。やれやれ。。。。ぐぅ~きゅるる~~~~。。。。あ、お腹すいた。お弁当でも食べ。。。。。ない~~~~~!!!せっかく作った、お弁当が~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!セルフチェックインでムカつきながらピーッ、ピーッやってる間、お弁当のブラウンバッグはマシーンの上に置いていて、「あちらのカウンターで」と促された時、すっかりお弁当の事を忘れていたんだ!!!!あぅ~~~~~~おにぎり、おっきいの、作ったのに。。。。から揚げだって、たくさん、ジップロックに入りきらないくらい入れたのに。↑哀しみのから揚げ。 鉄平ママさんから授伝したポテサラだって作っておいたのに。(写真がなかったわん。涙)しょうゆを利かせた玉子焼き。。。。。 ↑哀しみの玉子焼き。ツイテナイ。。。。。とっても悲しくなりながら近くのマクドナルドで5ドルもするエッグマックマフィンをふて腐れた顔をしながら食べたのであった。。。。ところが、飛行機に乗ってから今までのツイテナイ私に月が回ってきたようだった。なんと、シカゴ行きまでの飛行機の中、私の隣に誰も座らなかったのだ!こんなことはメッタにないので悠々と、まるでファーストクラスに乗っているかのように足を伸ばし、よだれを垂らしながらシカゴまで約2時間快適な飛行となり、時間通り出発、時間通り着陸、そして私は乗り換えのゲートはどこかと探した。が、シカゴの飛行場はこれが初めてである。どこに何があるのかわからないのでゲート越しにいるおばちゃんに聞いてみることにした。ところがおばちゃん、私の顔を見るなり何を思ったか、「香港へ行くんでしょう?」と聞いてきた。「はぁ??」↑土佐犬さんからお借りしました。土佐犬さん、不都合でしたらご連絡くださいませ。と、聞き返す間もなく彼女は「あら、ちがうの?」という言葉を残したままどこかへ去っていってしまった。去るか、おい?香港に、アービー、いるのかぃ、エイ?(←カナダ人が必ず語尾につける音。例:)アービーイズキュート、エイ?(Abby is cute, aye(スペルは定かじゃないんだけど。汗)i?英語で言う“right?”とか“hun?”と言ったところだと思うがアメリカ人が必ずカナダ人を笑う時に指摘することでもある。) まったく。。。。はっ!そうだった、ゲートを探さなければ。待ち時間はたったの45分、乗り遅れてしまったらエライ事になる。たまたま案内係のような人がいたのでその人に聞いてなんとかモントリオール行きのゲートを見つけ、ホッとしたのだった。表示板にピカピカと他の地名よりも輝いて見えた、「Montreal」。よかった。間に合った上、まだ多少時間もあるわ。。。。。そうだ、今のうち、記念に。。。しゃ、写真が撮りたい。この、表示板の。。。。撮っていいんだろうか?セキュリティーが厳しくなった今、そんなことして、捕まってコロラドに連れ戻されるのだけは勘弁だ。ふと見るとゲート係りのお兄さんがいるのに気がついた。私はその人に聞いてみよう、と思い、彼の前に立ったら、いきなり彼から出てきた言葉が「ボンジョワ~ル、マドモゼール」ひえっ!すでにフランス語!咄嗟におしりが痒くなってしまった。「あの~ここで写真は撮ってもいいんですか?」と、なんのかわいげもない英語で聞き返した。彼はとてもかわいい笑顔を浮かべ「もちろんですよ、お撮りいたしましょうか?」と答えた。私は「いえいえ、この表示だけ、撮りたいんです。ありがとう。」と言うと彼は「どういたしまして、マダ~ム」と会釈したので私はおしりだけでなく背中までもボリボリ掻きたくなってしまうくらいこそばゆい思いをしてしまった。「マダ~ム」だぜぃ~。。。。グロッサリーストアやなんかでたま~に丁寧に物を「言える」人に出くわして「サンキュー、ミス」と言われたりしてうれしくなったことはあったが、「マダ~ム」だぜぃ~。。。。。。うはは~~~~。顔はデレデレ状態で表示板を写真に撮った。モントリオール行きの搭乗が始まった。かなり小さい飛行機だったが、なんと、ここでも私の隣には誰も座らなかったのでファーストクラス気分で「ツイテルじゃん」とつぶやいた。まったく単純な私である。↑デレデレしながら撮った表示板この飛行機も時間通り出発した。しかも1時間半ほどで着くと言う。機内についてあるテレビで新しいTVショーの「Hero's」をやっていた。なかなかおもしろかったのであっと言う間にモントリオールは近づいてしまった。アナウンスが入った。「あと、15分ほどで到着予定です。」窓をそっと開けてみた。モントリオールの街並みが空から眺められる。本当に、来ちゃったよ、アービー。会えるといいね、アービー。変わってないかな、アービー。そうして私はモントリオールの地へと足を下ろしたのだった。。。↑飛行機から撮ったモントリオールの街
2007年02月09日
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ブリザードオブ2006の後、ねぐせ君とじゅんぞうさんが2度目にやって来たブリザードと共に日本から、年末にご帰省された。実は今回そのことを書くつもりだったのだが我が家に異変が起きたので(?)そちらのほうから日記を書いていきたいと思う。(と、言うか、書きたくてしょうがない。爆)ねぐせ君達がご帰省中,実はアービーのファンクラブもコロラドに遊びにやって来た。実を言うと今回初めて私はファンクラブと合流したのだが、アービーがいない分やっぱりちょっと静かだった。年末の試合を見た後、私達は彼らと共に食事をしたのだが、その時に爆弾情報を手に入れてしまったのだ。と、いうのは、ファンクラブが2007年モントリオールツアーを計画していること、しかもヨーロッパ人だから休暇も多く、おおよそ2週間に及ぶツアー、モントリオールだけでなくオタワやフィラデルフィアと言った相手チームのアリーナにも行くという。それだけで、もう私はすっかり羨ましくなっているというのになんと彼らはその間にアービーと一緒に夕食をする、というではないか!!!実を言うとアービーがモントリオールに行ってから彼らの試合はよく見るようになったのだが、そのたびに「ホッケーのメッカ」と言われているこのチームを本場で見たくなっていたのだ。テレビで中継を見るたび彼らの声援の大きさに驚き、彼らのサイトを見るたび古いチームならでは(モントリオールはオリジナル6と言ってNHLが作られた一番最初からあるチーム。その他はトロントメイプルリーフ、ニューヨークランジャース、デトロイトレッドウィングス、ボストンブルーィンズ、シカゴブラックホークス)の歴史の長さ、代々から受け継がれてきたファン層に興味を持ってしまったのだった。それでなくとも行きたかった場所の上、アービーと食事付きとなると、毎夜のようにモントリオールに行っている自分を夢で見ては溜息をついた。会いたいな~。アービーに、もう一度。見たいな~。アービーの勇姿。「ホッケーのメッカ」を満喫してみたい。。。。それからしばらく、だんなに事あればモントリオールに行かないか、誘うようになった。「フレンチカナディアンだもん、おいしいもん、いっぱいあるで~」「フレンチカナディアンだもん、かわいい姉ちゃんもいてるで~」「フォワグラ、食べに行こうよ」だんなは私を横目で見ながらコホン、と空咳をして痛いところを突っついた。「どうせ、アービーの試合が見たいだけだろ?」間髪を入れず、咄嗟に私は「ちがう!一緒に食事したいだけ!!!」。。。。。。。。。。。。。重い沈黙。。。。。。。。。。。。。。。「しまった!!!」とは思ったものの、後の祭り。だんなはまだ私を横目で睨みつけたままだ。「ち、ちがう!ほ、ホッケーのメッカを本場で見たい、って言いたかったのよ!!!」。。。。。あぅあぅ~~~。。。。カラカラまわる虚しい言い訳。。。。(爆涙)その会話があって以来、私はしばらくモントリオール行きの話を避けるようになってしまった。(汗)いくらなんでも公にこうも堂々と別の男と一緒に食事がしたいなんて言われてしまった、16,7年生活を共にしてきただんなが哀れである。まるで「私は浮気がしたいのよ!」と言うのとさほど変わらないではないか。。。。(涙)そうして私はテレビで映るモントリオールのアリーナを見ては溜息をつき、ウェブで安く飛行機とホテルのチケットが売っていないかサーフするだけだったのだ。行きたい気持ちは山々だったのだが、さすがにだんなに申し訳なく、半ば諦めていた時、ファンクラブからメールが届いた。その内容は「アービーとの夕食はどうやら4日、デイゲームの後になりそうだ。ただ、確認がとれないままなので9日になってしまうかもしれない。」う~む。。。。。だから、諦めてたんだってば。。。。涙をこらえながら私はトレードの噂が消えないアービーの事だ、もっと近くにトレードされてから会いに行こう、そうまで思っていたのに。。。。。こうしてファンクラブからメールが届くとやっぱりソワソワして落ち着かない。そんな中、だんなとだんなの家族の間でゴタゴタが起こった。だんなのストレス度は測りきれず、私はこの状態でモントリオールのことなんか切り出せる度胸も神経もなかったので放っておいたのだった。ところが、ゴタゴタの続くそんなある日、だんなが仕事から帰っていつものように一杯飲んでいた。私はその横でテレビを見ていた。だんなはやけに機嫌がよく思いがけない事を言った。(その思いがけない事も書いてしまいたいのだが、かなりの一大事なので次回におあずけ。笑)だが、私はちょっとホロ酔ってるし、明日になれば覚えていないかもしれないから、と思い、「もう2、3日、考えてみよう。」と言ってその夜を越した。次の朝、私がコーヒーを入れているとだんなが元気な顔をして「行っておいで、モントリオール。楽しんでくればいい。」昨晩、ホロ酔って言った一言を繰り返し、ニッコリ微笑んだ。マジ~~~!!!!ウソ~~~~!!!!うは~~~~!!!!うきゃ~~~~!!!言葉にならない言葉を並べ続け、私はだんなに抱きついた。アービーに会えるんだ。また、あの大好きなアービーに。ホッケーのメッカで。夕食はあるかないかわからないけど。私はだんなになぜ急にそんな事を言ったのか聞いてみた。彼はただ、ポツリと「やりたい事をやりたい時にできるんならやったほうがいい、と思って。お前にとってモントリオールに行くというのにはとても意義があることなんだし。」と言った。私はもう、ベレベレラブラブ状態に陥ってしまった。金曜日の朝早く、私はコロラドを発った。だんなが見送り場で「いっぱい楽しんでこい。」と抱きしめてくれて、私はちょっぴり切なくなったが「一杯お土産話、持って帰るね、行かせてくれてありがとう。」と答え、彼のほっぺにキスをして空港の中へと入っていった。これからの珍道中など、予期もせず。。。。
2007年02月04日
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サンクスギビングデーから、クリスマス、正月と3大ホリデーを向かえた後、年を越して一週間目に私の誕生日、そしてその5日後にはだんなの誕生日があるので、我が家のパーティモードは1月中旬までノンストップなわけだ。しかもまた、12月末には待望のじゅんぞうさんとねぐせ君がはるばる日本からご帰省され、ホッケーモードも重なりお祭り度が倍増してしまった。(汗)これからは12月初旬から1月下旬は「冬眠する」という口実(?)を作って、公認パーティ期間とすることにした。(爆)さてさて、相変わらずの言い訳は置いておいて。(苦笑)「冬眠」中にもなんだか話の種はたくさんあったが、やはりコロラドに住んでいる以上、12月にあった、豪雪の事で日記再開を祝いたい(?)と思う。2006年12月20日、水曜日。水曜日はだんなの仕事が休みなのでちょっとゆっくり目に起きてから朝ごはん(昼ごはん?)を食べに行くことになっている。大好きなベトナム料理、ビーフヌードルスープを食べにでかけたのが確か11時過ぎだった。「今日は寒いね~」「雪も降りそうだな」なんて会話をしながら午後にはホームセンターとグロッサリーストアへ行く事など話していた。食事を済ませ、ホームセンターへ行く頃には既に雪が降り出した。その時点でも私はまだ「こういう日にキックボクシングへ行くと人が少ないから師匠に叩き込んでもらえるわ~」なんて暢気な事を言っていた。ホームセンターで買い物を終わらせた後、だんなの運転する車の中であった会話は「食料をしこんでおかなきゃ、こりゃ~大雪になるな」だった。ホームセンターでの買い物時間約30分ほどだった、と付け加えておこう。そう、これがコロラド。天気は驚く間にコロコロ変わる。ここに引っ越した頃の3年くらいはこの気候の変わり方になかなか適応できなかったのだが、今ではもう慣れっこになって、多少の事では動じなくなるくらい逞しく(?)なってしまった。グロッサリーストアへ着いた頃にはかなりの勢いで雪が降り出し人の通りがあまりない道沿いなどにはすでに雪が積もり始めるくらいだった。グロッサリーストアでの買い物を終えた後は吹雪に近くなっていて、私達は家路に着く途中、何台もの車がスピンしたのを目撃した。家に着いてテレビのニュースを付けて初めてわかった。「コロラドにブリザードが来ています。今晩から明日にかけて2フィート位積もるでしょう」うひゃ~(2フィートと言えば60センチくらいだとねぐせ君が教えてくれた。)食料買っておいてよかったね~とだんなと胸を撫で下ろした。しんしんと雪は降り続いた。寝るまでの間、テレビで大雪の情報を見ながら何度も何度も窓越しから降り続ける雪を見つめた。2003年、2005年の初春にも同じようなブリザードがあったのだが、私は幸運な事にその両方を日本に一時帰国していて見逃していた。(2003年のブリザードでは何件かのお店の屋根が古くて雪の重さに耐えれずに落ちてしまったと言う事もあった。)だから今回のブリザードは私にとって1998年のブリザード以来と言う事になる。だんなは子供のようにはしゃいで「ブリザードの時には家で飲むに限る!」と言い、張り切って(?)誰かから無言の承諾を得たかのように堂々と、まだ夕方の5時か6時だというのにテレビの前を陣取ってお酒を片手に、毛布を片手にとって居座ってしまった。雪を好きになり始めたのはいつ頃のことだったんだろう。。。15年も住んじゃうとコロラドの気候の厳しさをも受け入れられるようになるんだろうか?雪はせかせか、いらいらしている人間をスローダウンしてくれる。道路を運転する車だってスピーディングはできないし、雪溝にはまって出せない車があれば助けを求めなくとも誰かが必ず自分の車を止めて一緒にはまってしまった車を押してくれる。お店もほとんど閉まってしまい、学校もないから本当に静かになる。みんな自分の家で、家族と一緒にいる。クリスマス前でその何日か前まで狂っているんじゃないかと思うくらいの買い物客が車を飛ばしあっていたことがウソのようだ。ブリザードのほうが、クリスマスのスピリットを持っているようで、なんだかおかしい。我が家の猫達はみんなひとつに丸くなってベッドの上で、ブリザードなんておかまいなしのように寝ている。ミドリもこんな日はさすがに外に出ようとせず、家の中で静かに寝ている。私は家の中があったまる様にビーフシチューをコトコト煮ながら幸せだった。(次の朝、その幸せは吹っ飛んでしまったのだが。汗)朝、起きてカーテンを開けた。周りは真っ白だった。 お迎えの車は完璧に埋もれてしまった。あわてて我が家のガレージを開けようにも自動では動かなく手動でしか開けれなかった。そして開けてびっくり。 (↑)雪がガレージに入り込み始めていた。。。。(汗)しかも我が家のガレージはだんなのウッドショップになっているから車を入れられない。私のかわいそうなシェビーキャバリアーも見事に埋もれてしまって、一瞬車の雪だるまかと思ったくらいだった。(涙) (↓) 玄関を開けて見ようとしたら誰かが向こう側で押し返しているのかと思った。 (↓) こうなると、もう私達に残された道はただ一つ。シャベルじゃ~雪かきじゃ~~肉体労働じゃ~~~幸いなことにコロラドの雪はシカゴやニューヨークのように重くない。スキーヤーにもっとも喜ばれる雪ということで有名なくらいだ。パウダースノーと言われるくらいサラサラしている。雪かきをするなら、降った直後、まだ誰も歩いたり運転したりしていない状態(一度歩いたりすると雪が固まってしまって重くなる。)の時にするのがベストなわけだ。さぁ、みんな、手袋、帽子、ダウンジャケットにスノーブーツ、パッチ、腹巻、なんでもござれの防寒具を見に付け、ホッケーの試合のインターミッションでよく見かけるブクブクの相撲ギアを着てエンターテイメントするような気分になりながらシャベルをかつぎ、雪かきが始まった。しかし、モクモクと雪かきをしているうち、なぜか私はこんなことを夏にしてなかったっけかな、とふと思った。ふと思うのも無理はない。なぜなら夏にも確かにしていた。10トンの土を運んだではないか。。。。(涙)このままではいずれ私はロッキーのような素晴らしい体型になれるんじゃないか、なんてくだらないことを考えながら雪かきは続いた。頼りになるはずのだんなは4ウィールのトラックを持ってるもんだから「道を均してくる」という言い訳をしては何度か雪かきの刑から逃れるし、逆に私はキックボクシングで耐久性ができてしまったのか、だんなの倍以上雪かきをしたような気分だった。やっと雪かきを終えて家に入って時計を見たら。。。なんとあっという間に2時間半という時間が過ぎていた。。。(汗)熱いコーヒーを入れ、体を温めながら、日本にいた頃には考えられない事をしたもんだと一人苦笑いしてしまった。。。 (↑)僕はロッキー、筋肉モリモリ、雪かきしたよ。。。。ケモノ道~(爆)
2007年01月24日
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12月に入って急に大掃除やパーティが重なる上、キックボクシングだけはひたすら行き続け、しかもホッケーモード全開の私はまたもや自分のHPを野放し状態にしたまんまである。(汗)できるだけ早く復活したいと思っておりますが、皆様、ご訪問、いつもありがとう、そして皆さんのHPに遊びになかなか行けなくてごめんなさい~~~!!!時間をなんとか作ってHPのアップを計りたいと思いますが、ちょびっと休憩中、お許しくださいませ~
2006年12月08日
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わーい!またもやバトンが回ってきた~!ペートルさん、ありがとう~~!!ではでは早速始まり始まり~~~■1. まわす人を最初に書いておく(5人)リンク先の方々他テーマで興味を持った方々は是非■2. お名前は?The Avs Girl、ホッケーチームのColoradoAvalancheが大好きで仕事をしていた時Tシャツやイヤリングやネックレス、全てアバランチ武装にして行ったら友人に「おやまぁyou must be the avs girl」と言われたのがきっかけ。(チームの名を省略すると「The Avs」)■3. おいくつですか?アービーの背番号(コロラド時代)+ジョーサキックの背番号+リチャードソンの背番号+クラークの背番号■4. ご職業は?ずぼら専業主婦■5. ご趣味は?キックボクシング、追っかけミーハーホッケー観戦、スヌーピーコレクション、音楽鑑賞、ジャックダニエル、料理、庭いじり、クラフト作り■6.好きな異性のタイプは?芯は強くてもそれを表に出さない人。Down to the Earthな人。不器用な人。■7. 特技は?大きな声で笑い、大きな声で怒り、大きな声で泣き、大きな声で歌う。■8. 資格等、何か持ってますか?運転免許書と結婚認定書と戸籍謄本くらいかな。■9. 悩みが何かありますか?一日どうあがいても24時間しかない。■10. お好きな食べ物とお嫌いな食べ物は?・好き ⇒ だんなが作るものならなんでも。(笑)・嫌い ⇒ 納豆(どれだけがんばっても食べれない。)豆類、甘すぎてギトギトしてるもの(アメリカでは超多い。)■11. あなたが愛する人へ一言幸せは2倍に、悲しみは半分に。■12. 回す人5人の紹介をお願いします華文字さん、すみぞさん、土佐犬さん、鉄砲Tamalesさん、Mayugeさん。お暇でやる気があれば、よろしくお願いします。■13.このバトンを回してきた人に一言韓国旅行、楽しそうでしたね~満喫ですね~おいしそうでしたね~■14.今、所属してるものColorado Muay Thai Kickboxing■15.今のテンション3日続けて飲み会があったのでかなり低いですね~■16.最近で1番「アツかった出来事」アービーからの贈り物、アービーとのチャット、アービーのシャットアウト、アービーのシュートアウト勝ち、アバランチの選手と会ってサインと写真を撮ったこと、チャリティランチョンでジョーサキックに私の質問が当たったこと。■17.おとといの晩御飯は?フレンチフライ(だから飲み会だったんだってば~汗汗汗)■18.好きな感触は?ムニュムニュ■19.占い信じますか?いいことだけ、少しだけ。■20.自分を色で表すと?アバランチ色■21.明日の自分を予想してくださいキックボクシングでスパーリングだから、またボコボコにされる■22.今まで見た夢で一番強烈だった夢は?Jon Bon Joviとキスする直前に目覚めた夢おいしそうなケーキを口に入れる直前に目覚めた夢アービーに会いにモントリオールへ行ってゲームを見る夢(もう3回見た。)■23.今一番行きたい国は?スイス、イタリア、フランス、オランダ、スウェーデンヨーロッパ系だね~■24.今日の服装は?アバランチのパジャマ(起きたばっかり~)■25.お勧めの映画は?シンデレラマン、ミリオンダラーベイビー、ミラクル、ミステリーアラスカ、プライドオブザヤンキー、ありすぎて。。。。困ります。■26.好きなアーティストは?聞かなくてももうおわかりなんじゃありません?(苦笑)誰になんと言われても不滅のBONJOVIです。(爆)他にもたくさんいるんだけど、多すぎて。。。。困ります。■27.好きな季節は?春、夏秋、冬、どれもそれぞれに個性があって好きですね。■28.win? mac?win■29.生まれ変わるなら、どんな生き物?神様(爆爆)そうしたら私の力で世の中をもっといいものにしてあげれる。そしてアバランチを毎年優勝させてあげられる、自分の好きな選手は必ずアバランチでリタイヤさせてあげられる。(爆爆)■30.最近読んだ本「Tao Teh Ching」「Muay Thai Unleashed」■31.好きな天気は?私も晴天!■32.今日1日過ごして、1つ学んだ事は何?まだ始まったばかりです。(汗)飲みすぎには気をつけましょう。■33.今日はコーヒーを飲みましたか?今飲んでるところです。■34.今ハマってることは?相変わらずキックボクシングです。■35.好きな芸人を一人アルパチーノ、ロビンウィリアムス、ラッスルクロウ、ショーンペン、クリントイーストウッド、ロバートレッドフォード、ポールニューマン。。。だから一人っつうのは困るんですけど。。。(汗汗汗)■36.どんな人生を歩みたいですか?平凡でもいいから愛情たっぷり、幸せたっぷり、いつまでもホノボノカップルでだんなと一緒に人生を過ごしたいですね。■37.座右の銘は?石の上にも3年継続こそ力なり■38.好きなブランドは?リーバイス、アンテイラー。。。あんまりこだわらないですね~■39.幸せを感じる瞬間は??だんなと一緒に笑ってる時、だんながおいしいもの作ってくれる時、だんなとHugする時、ミドリが公園で走り回ってる時、猫達がまどろんでる時、空がきれいな時、星がきれいな時、月がきれいな時、気の合う友達と大笑いする時、アバランチが勝つ時、アービーがいい試合した時、好きな音楽を聴いてる時、感動できる本を見つけた時、日本の友達から連絡が入る時。。。結構単純なことで幸せになれます。(苦笑)■40.自分の命と引き換えに、どんな願いも叶うとすれば何を望む?い、いや。。。命は欲しいです。。。けっこう欲深い女ですから。。。(爆)
2006年11月21日
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さて、とうとう試合当日になった。昼間にミドリの散歩へ行き、犬公園で走りまくるミドリを新しく買ったカメラで撮る練習をした。ねぐせ君が教えてくれたとおり使ってみた。私の代わりに彼がボールを投げ、走ってボールを持って帰ってくるミドリをカシャン、カシャンとカメラに収める。お~すごい。ブレなく、きちんと瞬時のミドリがそこに写っている。素晴らしい。私はうれしくて仕方がない。 ミドリがこんなに上手に撮れるのなら、今日の試合なんかも今までになかったくらいきれいに撮れるはずだ、じゅんぞうさんにもそう話しているうちに試合が待ちきれなくなってきた。家に帰り、一息ついて、いざ出陣。今回は彼らが私の分までチケットを確保してくださったので(ありがと~涙)今回は3人そろってゲーム観戦、しかも前から3列目、向かい側には我がアバランチのベンチ、左横にはペナルティボックス、と素晴らしい席ときている。しかも新品カメラお持込み、と勢ぞろい、これが楽しくないわけがない。試合1時間前だったかに選手達は(相手チームも。)ウォームアップをする。ストレッチをしたり、パックを打ったり、スケートしたり、と約30分ほどだと思うが、これが写真を撮るには絶好のチャンスなのである。私もイソイソと真新しいカメラを手に取り選手達を追った。お~、撮れる、撮れる。実によく撮れる。うれしくて仕方がない。すっかりストーカーになりきってしまい、キャプテンのジョーサキックばかり追ってしまう。彼はウォームアップの間はヘルメットをかぶらないのだ。(それがまた格好よくて、格好よくて。) (ジョー(ヘルメットをかぶってない真ん中の選手)の右横にいるのがデンバー大学で活躍していたポールスタスニー、左はアーナソン)バシャバシャシャッターを切っていたのだが、いきなりすっごい大きなバァ~ンッ!!!という音がすぐ近くでしたので「な、何だ?」とカメラから目を離して見ると、なんとスケートしていたラッピーがホッケースティックで私達のいるすぐ側のボードを叩いたのだ!それはファンに「君がいるのを、知ってるよ」というホッケー選手の挨拶なのだ!そう、ラッピーは日本からわざわざやって来ている(私まで多分そう思われているだろう。汗)ファンがいるのを覚えていて、わざわざ近くまでスケートしてきて挨拶してくれたのだ!じゅんぞうさんもねぐせ君も大喜びだった。興奮冷めやらぬまま、試合が始まった。ゴーリーはアービーがトレードされた時にモントリオールからやってきたジョゼイテオドーだった。試合は、どんどん進んでいたのだが私は妙なことに気が付いた。テオ(テオドーのあだ名)の妙な行動だった。クセのあるゴーリーはたくさんいる。パトリックワーがゴーリーとして登場した頃、先輩ゴーリーは彼の首をかしげるようなクセを笑ったものだった。アービーはあんまりクセらしいものはなかったが、テオのはクセなのかなんなのかがわからない。何度見ても相手側のゴーリーはしていないし、アービーもパトリックもテオがするようなことはあったかもしれないが、そんな頻繁ではなかったはずだ。不思議に思って横にいたじゅんぞうさんに耳打ちした。「ねぇ、テオをよ~く見ててね。パンツを引き上げるから。」パンツといってもかなりパッドの入っているものだが、彼はそれを事ある毎に引き上げるのだ。まるでローレイズのジーンズに慣れない人が気持ち悪くてどうしても引き上げてしまうように。じゅんぞうさんはしばらく変な顔をして私を見たが、私は構わずテオを指差し「いいから見てて。」としばらく二人で試合そっちのけでテオ観戦した。すると間もなくその瞬間はやってきた。テオがパンツの横を引き上げ、パンツの後ろを引き上げた。 私はじゅんぞうさんを見て「ねっ!?」と笑うとじゅんぞうさんは「なんだろ~?変ね~」と言いながらもしばらくテオの様子を見守っていたが、二人とも「あ、ほら、またやった。」「ほら、まただ!」と言い合い、試合どころではなくなるくらい大笑いしてしまった。テオはホッケー選手として、かなりちっちゃい。パトリックも小さいほうだったが、初めてテオを見た時子供かと思ったくらいの小ささだったのだ。と言ってもディフェンスなんて今は200パウンドは普通サイズだからパトリックやテオがそんな連中の間にいると小さく映ってしまうのは仕方がない事なのだが、それでもパトリックは体が小さくとも彼独特の生意気さと雰囲気で充分大きく見させることに成功していたものだった。アービーはさすがに現代っ子なのか、スラッと背も高く、ホッケーギアをつけているとそれだけで充分大きく見えていた。テオにはパトリックのような生意気さや雰囲気も、アービーのような身長もなくて、なんとなく状況に馴染めない子供がつけ慣れないギアをつけてゴーリーネットの前に突っ立っているように見えて仕方ない。しかも彼はモントリオールで2001年、2年と続けてハートトロフィー(NHLで最も価値ある選手が受ける賞)を受賞しているのにも関わらず、彼の親戚関係のゴタゴタや、トリノオリンピックでカナディアンチームに抜擢されていたのにドーピング発見で出場できなかったり、そのドーピングと言うのも養毛剤関係だったらしく(毛はフサフサしているというのに、だ。)ホッケーファンからは嘲笑されてしまったり、挙句の果てには自宅の雪かきをしていた時に足を滑らせてかかとの骨だったかを折ってしまいスターターとしての仕事もできずじまい(ホッケープレイヤーだというのに氷の上で足を滑らせた、ということはモントリオールファンからさらに嘲笑を買ってしまった。)で、アービーとトレードされる直前はモントリオールのファンからはブーイングされ続けるしで、ほぼ追い出されるかのような形でアバランチにやってきたようなものだったのだ。モントリオールと言えば、10年前、アバランチのジェネラルマネージャーがすっごいトレードをしたことがある。我が、パトリックワーである。(詳しくは最強ゴーリー、パトリックへ。)パトリックは当時、もうすでに2回、モントリオールの選手としてスタンレーカップを手にしていた。ところが1995年のデトロイト戦で、8点だったか9点だったか、ボコボコに点数を入れられているというのにコーチはゴーリー交代をしなかった。根性の据わっている(?)パトリックはブッ切れながらベンチにいるコーチに歩み寄り「F」言葉を並べた上、すぐ後ろに座っていたジェネラルマネージャーにツカツカと歩み寄り「モントリオールのジャージーを着るのは今日で最後だ!」と捨て台詞を吐き、確かロッカールームに戻り、その試合が終わるまで戻らなかったと聞いている。自分で自分をクビ(?)にする事も彼だからこそできたワケだとは思うが、コーチやGMに食って掛かり自分の意思を通せる選手なんて、一体これから先出てくるんだろうかと思ってしまう。そんなワケで職なしになってしまったパトリックだったが、このニュースを聞いたアバランチのGM(元はパトリックのエージェントでもあった。)はすぐトレードを決め、アバランチがコロラドのチームとして結成された年の1995-96年シーズンで、なんとモントリオールからやってきた、この個性の強いゴーリーは見事にチームをスタンレーカップへと導いたうえ優勝させ、後にも2001年、感動の優勝に大活躍したのも他ならぬ彼だったのである。同じモントリオールカナディアンからトレードされてきたゴーリーだというのに、この違い。。。テオって。。。おもっきり格好悪りぃ~。。。。しかも、パンツを一生懸命引き上げすぎたせいか、試合も残念ながら負け試合。。。じゅんぞうさんはじゅんぞうさんでテオは足が短いから足につけてるパッドで普通なら見えてる太もも辺りが隠れて見えないだとか言いながら私を笑わせてくれるし、ねぐせ君もパンツのサイズが合ってたら試合に勝てたかもとか言うし、ホッケー選手の中でも特にゴーリーが好きだった私はこの情けない(?)テオの試合振りを見ながら考え込んでしまった。確かにアービーがトレードされてしまってからは、もう2度とあんなに一個人の選手に思いを入れるのはやめる決心はしたものの、テオの事はどう思えばいいんだ???好きでもない嫌いでもない選手、というのは確かに今までもいたし、いくらアバランチの選手だからってブラッドメイはやっぱり嫌いだ。コーチなんて、もっと嫌いだ。でも、テオはそういうのとはちょっと違う。アービーの代わりにトレードされてきたからといって、彼がそのトレードを選んだんじゃないし、確かに2001年のモントリオールカナディアンとしての彼の活躍も覚えているし、アバランチが優勝したものの、テオドーはすごいよ、とだんなに言っていたのも覚えている。どちらかというと、好きなほうの選手だったのだ。しかも、アバランチの選手となって間もない頃、私は彼から偶然サインを貰うことができてもいたし、その時彼はムスッともしてなかったし、快くサインもしてくれたのだから、応援してあげなければ、とは思う。思うのだが。。。。なんか惨め~で情けな~くて頼りな~い、このゴーリーを見るとため息ばかりでてしまう。。。(汗汗汗)私は「あんまりみっともなくて格好悪いから、私だけでも愛してあげなくちゃだめかな~なんて思っちゃうのよね~。」とこぼすと、ねぐせ君も「汝隣人を愛せよ、の気分ですかね~」と頷いた。私は「いや~、もっとこう、誰にも貰われ手のないような不恰好で不器用な犬や猫を見た時、ああ、私が引き取らなくっちゃ、と思う気分なのかも~」と言って3人で昨日行ったペットショップで話していたことを思い出し大笑いしたのだが、テオを見る私の心情は相変わらず「格好悪りぃ~」と「しょうがない、愛してやらねば」を行き来し、それでも彼が勝つと「あああ、やれやれ、勝つこともあるのね~」と胸を撫で下ろし、負けると「やっぱ、テオだからね~」と開き直る(?)ようになってしまった。私にとって、こんなゴーリー体験も珍しい。モントリオールでアービーが大活躍をしてチームが勝つのを見ると「アービーなんだもん。当然でしょ。」と思えるのに、だ。パンツを引き上げるクセがなくなったら、この妙な愛情も変わるのかな~なんて思いながら私達は家路に着いたのであった。翌日、空はまだ暗いというのにじゅんぞうさん達はサンフランシスコへと旅立たれた。空港まで送り、相変わらず涙も抱擁もなく、あっさりと「じゃぁ、また年末にね~」と手を振ってめくるめくエモーショナルジェットコースターの4泊5日滞在、コロラドローカルオフ会は幕を閉じたのだった。。。空港からの帰り道、私は12月には、またやって来られるじゅんぞうさん達をすでに待ち遠しく思っていた。。。。
2006年11月11日
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その日の午後はお買い物の予定だった(と言っても彼らのお買い物というのはかなりローカルなお買い物である。汗)ので早速ペットショップへ行ってつい最近飼い始めた猫のメインクーンの王子ブリックスちゃん ↓のために何かあるか物色したのだが、そこでは犬や猫は売られていない。(確かペットショップでの動物発売は動物の増加速度を速めることや手入れがきちんとされないことなどから禁止されたように思う。鳥や金魚などは売られてもいいことになっているが。)その代わり、動物シェルターから送られてきた、引き取り手がない子達が6つくらいのケージに分かれてペットショップに来るお客さんが彼らに気づき、引き取ってもらえることを願って待っている。もちろん譲度手続きのお金も取られるし、譲度にふさわしい人かどうかという面接も行われる。猫も犬も生後8週間以上で純血統の子なんてまずいない。ただ、やはりアメリカ(大部分の)は動物シェルターの活躍ぶりは周知の通りで、お客さんも「この子を助けたい」という意思を持って飼うことを決断する人達がほとんどである。私達はそこにいた、ちょっとブリックスちゃん似の猫を見つけたのだが、この子がまた無愛想というか、呼んでみてもこちらを伺うこともしない。つい、昔シェルターで働いていたことも手伝って「こういう無愛想な子や怖がりの子が一番貰い手を見つけられないのよね~」とこぼしてしまったら、じゅんぞうさんは「あ~、そういう子って、ねぐせ君が連れて帰るタイプだわ~」と微笑んだ。ねぐせ君は「ついかわいそうだ~とか、僕が引き取らなきゃ誰が引き取るんだろうとかって考えちゃうんですよね」と付け足した。私も笑いながら「ミドリを見つけた時、私もそう思ったの。不器用すぎた彼女があんまりにも哀れで。ガストンの時なんてひどく情けない顔してるから、だったもんね。」と言って3人で笑った。結局、じゅんぞうさんは猫のフードが安い、安い、とぼやきながらも、日本には持って帰れないので泣く泣くペットショップを後にした。それから日本からわざわざ会員カードを持ってこられていたのでCostcoに行って物色。私もうろうろしていると、ねぐせ君がやって来て、「ほらほら。」と大型テレビのあるところまで私を連れて行った。ふと、スクリーンを見ると映画の「ミラクル」をやっているではないか。(1980年のオリンピックでアメリカのアマチュア大学ホッケー選手が強敵ロシアを負かせ、ゴールドメダルを勝ち取った、感動物語)食い入るようにスクリーンを見て、私はやっぱり最後のシーンで公共の場所だというのにホロリとし、しかもそうしているうちにどこだかからか、ねぐせ君はそのDVDを見つけてきてしまい、結局ここでも地元民の私が買い物してしまうハメになってしまった。汗。(断っておくが彼らは一度だって買え、と強制しているわけではない。)その後、またもや自己流フランス語が大流行(?)だったので一度はフランス語の勉強ソフトまで手を伸ばすところだった。アブナイ、アブナイ。(汗汗)その後さらに電化製品店へ行き、私はヤ○ーチャットのソフトをダウンロードしたのでヘッドセットさえ買えば電話をせずとも日本の友達と会話ができる、と思いヘッドセットだけを買う予定だったのだ。それなのに。。。私はねぐせ君達がデンバー帰省されるたびにうらやましくて仕方がないことがあったのだ。それは。。。カメラ。(汗汗汗)彼らの持っているカメラはいつだって最新のカメラで選手を撮るにも、いろんな機能がついていて彼らの撮る写真はみんなプロ並みに見えるのだ。私もやっとの思いで3年ほど前にデジカメを買ってはいたが、機能もあるにはあるが全然役に立たなくて、しかも、停止しているものであってもブレることが多々あり、プロのホッケー選手のスケートしている写真なんて撮ろうと思うほうが間違っている、とカメラに笑われているような気がするようなカメラだったのだ。しかも、アメリカでこういった電化製品店で働いている人は実を言うとあんまり何も知らない人が多く、ただ口の達者なセールスマンなんかに捕まるとやたら値段は高いのにたいした物じゃなかった、というようなものを買わされることがあるので要注意なわけだ。そんな中、ねぐせ君達は電化製品に詳しく、(しかも日本語で説明してくださる。笑)お手頃なものであれば、買い換えようかな、と言うと早速相談に乗ってきてくださったのだ。ねぐせ君は彼が今持っているカメラの紹介をし、その前に持っていたカメラと何が違うか説明してくださった。お値段もお手頃だ。ところが、その前の前に持っていたカメラというのを紹介してくれた時、実を言うと私は一目ボレ(!)してしまった。と、いうのも、ズームがとにかく利いていて、これなら練習中のホッケー選手もよく撮れる事間違いなしだったのだ。難を言えば大きくて荷物になる、ということくらいか。ただ、お値段もさすがに利いていて、ちょっと考え込んでしまった。でも欲しい。これさえあれば、練習へ行く楽しみがまた増える。いつ、試合を見に行っても新聞に載っているような写真が撮れる。来年の2月にはモントリオールまでアービーに会いに行こうかとも考えている。これさえあれば、アービーの姿をブレることなくシャッターに収めることができる。。。(悪魔の囁きがここで堂々と私の頭の中で広がったのは言うまでもない。)「よし。買うわ。」思い切って声に出してみたらすぐ横にいたじゅんぞうさんが私の顔を心配そうに伺いながら「か、買うのね??」と聞き返してきた。私は頭の中で今使っているカメラをオークションに出したら少しでも儲けることはできるだろうし、とかなんとか考えながら、しかし本当は「ま、なんとかなるだろう」とヤケッパチだったのかもしれない。(いや、アービーのためなら、だったのかも。。。汗)ついに新しいカメラを購入した(で、本来の目的だったヘッドセットは買わずじまい。汗)私はワクワクしながらこれでミドリが元気良く走っている姿とかもバッチリ撮れるのか~と散歩さえももっと楽しくなるような気がしたのだった。家に帰り何度か試し撮りをして、その環境のよさに感動した後、やっぱり地元民だけが買い物していた事実を目の当たりにして一日が終わったのだった。。。。
2006年11月11日
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さて、その次の日はアバランチのチャリティ昼食会である。申し込み期間もギリギリでチケットも手元になく、私は少なからずも焦っていた。じゅんぞうさんもねぐせ君も、アバランチの選手と一緒に昼食を、という歌い文句であるそのチャリティに参加するのを楽しみにされている。なのに何度も連絡をしたにも関わらず相手からはナシのつぶてだったのでこれまた、行くだけ行ってみなければわからない、という前日と同じ状況で、私は少し怒りながら車を飛ばした。会場のホテルに着き、エスカレーターを降りるとすぐにアバランチのロゴのついた大きなバナーが目に付き、その横には受付があった。3人で「な~んだ、やっぱり当日チケット受け渡しだったんだ~」と一安心し、私もやっとイライラしていた気分からアバランチモードに切り替えることができた。チケット3枚、各自に名前が書かれてあり、テーブルは104番ですよ、と言われたのでその方向に向かったのだが、なんと私達が座るはずであったテーブルがどれだけ探してもないのだ。あわてて主催側に問い合わせ、ここでまたイライライライラ。。。やっぱりこの主催者はきちんと仕事ができていないなぁ~とブツブツぼやきながらも、じゅんぞうさんは目ざとくアバランチのプレジデント、ピエールラクワーを発見、待たされながらもワクワク感はぬぐなえなかった。やっとの思いで代わりの席に通してもらい座ったはいいが、さっそく隣のオバサンから声をかけられた。「ワタクシは○○会社を通してこのイベントに参加しております××という名前ですの。で、隣にいるのが助手の△△さんですの。アナタは?」と、どこぞの金持ちババァが見るからに見下したような言い方をしたので早口でだんなのバーの名前を言い、そこを通して来ている、(大嘘。爆)そして自分の名前を伝え、じゅんぞうさん達は日本から来ていると胸を張って彼らの名前を伝えた。するとそのオバサン「そんな名前は覚えられないからナンシーとポールとでもしておくわ。」と言い放ったのだ。その時喉元のすぐまで来ていた言葉があったのだが、友人を前に、しかもアバランチのイベントでケンカするのもどうだかな、と思い直し(今でもよくそこまで冷静に考えられたと自分でも感心するのだが。汗)グッとこらえて後は完璧無視を通すことにした。だって覚えようとも、習おうともせずに勝手に名前をアメリカ名になんてしてもらいたくない。聞いてきたからにはそれ相応の反応(会話を続ける意思表示)をするべきだし、かなり失礼な態度だ、と思ったので「私もあなたの名前なんて覚えられないから花子さんとでもしておくわ。」と言ってやりたかったのだ。とにかく少しムクレテはいたのだが、気を取り直して日本語でペチャクチャしゃべり続けた。(そうしておけば、花子さんは会話に入れないのが確実だから。笑)ようやくアナウンスが入り、アバランチの選手の紹介がされた。一人一人、試合の時と同じアナウンサーが名前を呼び、ステージに選手が現れた。そこには黒い背広を着た選手がズラリと並んで私とじゅんぞうさんは「ホッケー選手って背広着せるとなんであんなにかっこいいの~~っ!!!」と叫び続けた。やがて全員の選手が揃い、「ではみんなで食事を始めましょう。」という一言で選手はなんとゾロゾロとそれぞれのテーブルについていくのであった!そう、大手コーポレーションの席には、もちろん大物サキックなどが一人一テーブル、という形で座っていくのだ。私とじゅんぞうさんは新人のリチャードソンが私達のテーブル後ろを通過して隣のテーブルに座るのを見た時、泡を吹くかと思うほど興奮したと思う。完璧ストーカーモードに入ってしまったねぐせ君は食事中のリチャードソンの写真を撮っては私達を煽るのだった。テレビでよく見るアナウンサーがジョンマイケルライルズにインタビューしていた。私達は「読んでもらえるといいね~」と言いながら受付にあった「選手に質問しませんか?」コーナーにおいてあった質問用紙のことを囁きあった。私はサキック宛に、ねぐせ君はゴーリーのテオドォ宛に、じゅんぞうさんはライルズ宛に、とそれぞれ普段あまり聞くことができないような質問を書いて、しかもじゅんぞうさん達の名前の横にはしっかり「フロムジャパン!」と大きく書いて目立つようにしておいたから期待もかなり大きかったのだ。集められた用紙はバスケットに入れられ、選手がそのバスケットから一枚の質問用紙をピックアップし、その質問に答える、という風になっていた。残念ながらライルズはじゅんぞうさんの質問した紙をピックしなかったが、他の誰かが、という期待はまだぬぐえなかった。それから次にそのアナウンサーは我がキャプテン、ジョーサキックのところへ行きインタビューを始めた。ホッケー以外のスポーツで好きなアスリートは誰かと聞かれたサキックはしばらく考えて、一言、「イチローだな。マリナーズの。」と答え、私は驚いてイチローファンのじゅんぞうさんの顔を見ると、彼女もうれしそうに「そうなのよ~サキックはずっとイチロー、イチロー、って、好きなアスリートと聞かれたら必ずイチローって言うのよ。」と答えた。まんざらでもなく、私はチラッと花子さんの顔を見て、ニヤリと笑っておいた。それからアナウンサーがバスケットから一枚、質問をピックするように促し、サキックが手に取った質問は。。。。なんと、私が書いた質問だったのだ~~~~~~っっっっ!!!!!アナウンサーが私の名前も言い、質問を読んでいる間、私は発狂するかと思うくらい、自分の心臓の音が頭に響いたかと思った。まさか、自分のが読まれるなんて!本当はじゅんぞうさんか、ねぐせ君のが読まれて、「フロムジャパン」をメディアに強調することができると、企みはそこにあったのに。。。じゅんぞうさんもねぐせ君も一緒になって喜んでくれるから驚きと喜びが倍増した。さて、問題の質問なのだが、私は彼に「もしホッケー選手でなかったらどんな仕事を取りますか?」と聞いてみた。ここから少し英語を説明しないといけないのだが、実際に書いたのは'What kind of job will you TAKE if you are not hockey player?'で、みんなに笑いを買った後、サキックが聞き返した。'Will I TAKE, or will I DO? I'll take anything if they offer me a job.'この「TAKE」と「DO」のちがいを彼は冗談で聞き返したのだ。日本語にすると、「どの仕事を引き受けるか、それとも僕がしたい仕事のことなのかい?そりゃ~もし雇ってくれるんなら、どんな仕事でも引き受けるよ(Take)。」と笑った。私はもう、その段階で、ひぇ~~~ひぇ~~~状態だったのだが、それでも彼はしばらく真剣に考えてくれ「う~ん。。。全くわかんないよ。」と何回か繰り返した。アナウンサーが「ゴルフの選手では?」と助け舟を出したが、それでもサキックは「いや、そんなにうまくないからメシは食っていけないだろうね。う~ん。。。やっぱりわかんないよ。」と苦笑いしてインタビューが終わり、会場は拍手でいっぱいになった。私はうれしくて、うれしくて、地元民なのにさらに一人で舞い上がってしまい、運ばれてきたチキンサラダも喉を通らなくなってしまった。インタビューはその後も続き、ラッピーもブルーネットも楽しげに応答し、新人のスタスニーもインタビュー慣れしていないのか、言葉につまりながらも応対していた。さて、そのチャリティも無事終わり、私達は見つけられる選手に向かってさらにサインをしてもらえるよう、ペンとブツを持ってイソイソと歩いた。アンドリューブルーネットとデンバー大学から引っこ抜かれたポールスタスニ-が隣同士でいたので、サインをしてもらうことにした。ブルーネットは快くサインをしてくれ、私はいつも言うように「今シーズンもがんばってください。」と一言付け加えて感謝すると、とっても優しい笑顔で「ありがとう。」と答えてくれた。(その後私はこっそりブルーネットの大ファンでもある。)それからスタスニーの所へ行って、サインを求めた。彼は本当にまだお坊ちゃんで(たったの20歳!)、話し方もおどけなく、それがまた初々しいと思ってしまうホッケーママであった。私は「デンバー大学の頃から応援してたのよ。アバランチに来たって聞いた時は本当にうれしかったの。」と話しかけてみたら彼はホッケー選手らしく(?)パックが当たったのか、スティックが当たったのか折れてしまった2本ほどの歯の隙間を見せながら、とってもうれしそうに「本当に?わー、うれしいな~。ありがとう。」と答えた。さすがホッケーママ、本当に自分の子供にしてもおかしくない年齢の選手にはどうやら堂々と話せるらしく、私は調子に乗って「で?今のルームメートは誰なの?」と探り(?)を入れてみた。彼は「まだドーム(学校の寮)にいるよ。パイオニアーズ(大学ホッケーのクラブの名前。)のゴーリーと一緒にね。」と答えてくれた。(と、いうことは学校にはまだ在学しているということなのだろう。)ついでに写真も撮ってもらったが後で見たらその写真、本当に親子のように(!?)写っていて、私は妙な気分を隠すことができなかった。さて、他に、もっと他に選手はいないのか、と駆けずり回っていたら、さきほどインタビューしていたアナウンサーが目に留まった。私はここに来てやっと宣伝ができると思い、思い切って声をかけてみた。始めのうち彼は私の試みがきちんと読めていなくてただのミーハーファンだろうと思ったのだろう、(実際そうなのだが。汗)「どの選手のファンなんだい?」と選手に引き合わせて自分は逃げようとしていた。私は「もちろんサキックなんだけど~」(話はそんなことじゃなくて~というニュアンスも入れたつもりだったのだが。)と言うと「サキックね~、サキックは~、あ~、もう帰っちゃったね~」と辺りを見渡すフリをしたかと思ったら通りすがりだったラッピーを引き止め、「じゃ、ラッピーじゃどうだい?」と、まるでおもちゃ屋さんで欲しいバービー人形がなくて泣き止まない子供をあやすかのように「代理」のおもちゃ(?)を与え、トンズラしようとまでした。ところが、ラッピーは私達の顔を見るなりとってもフレンドリーに「ヘェ~イ、昨日も会ったよね~!明日のゲームには来るのかい?」とまるで昔から知ってる人のように対応してくれたので私達も「もちろん、明日は見に行くからね~!がんばってね~」と答えて別れると今度はアナウンサーのほうが驚いて、やっとのことで私が言いたい肝心のところを聞こうじゃないか、という姿勢になってくれた。私はじゅんぞうさんとねぐせ君がどれだけアバランチを愛しているかを一生懸命話した後、「おもしろいネタだと思うなら使ってはどうかしら?」とさりげなく聞いてみた。彼もやっとその気にはなってくれたのだが、見に行くオープニングゲームは彼が所属しているテレビ会社が放送しない、唯一と言ってもいいくらい試合だったのだ。。。(爆涙)それでも一応、「試合の合間に君達の席まで行くことができるなら、行って軽くインタビューしてあげるよ。」と口約束だけはしてもらった。残念ながら実現はしなかったのだが、いつか、必ずデンバー市民にこんなに熱烈に私達のチームを愛する日本人がいることを知ってもらおう、と心に固く誓うのだった。(そしてついでに便乗して一緒にサキックに会う魂胆でもある、コズルイホッケーママでもあった。汗)名残惜しい気持ちを引きずりながら会場を出て、ホテルのロビーでバレーパーキングした車が出てくるのを待っていると、なんと、ひょっこり私の大好きなオッシーバーナナンがロビーに出てきた。私は大喜びでサインと、写真を撮ってもらい、じゅんぞうさんと「いや~、今日はもう、エモーショナルジェットコースターだったわね~」と興奮冷めやらぬまま車に乗り込んだのだった。。。背広姿のかっこよすぎるホッケー選手達(↓)
2006年11月06日
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次の日、コーヒーだけ飲んで、早速ペプシセンターへと車を飛ばした。。。。にも関わらず私達がこんなにも必要迫られている(?)というのにメディアガイドは販売されていなかったのだった。。。。(涙)シーズン初日にメディアガイド発売はどうやら時間が足りなかったらしい。私達はがっくりしながらも、それぞれ、ステッカーやキーホルダーなど、気に入ったものを買い込んだ。地元民なのに私までもが浮き足立ってたくさん買ってしまったが、その中でもオフィシャルのパックはねぐせ君も買って「これに誰からサインをしてもらおうかな~」とミーハーな話で盛り上がり、練習場までまたもや大急ぎで車を飛ばした。ところが。。。練習が見れるアイスリンクが立ち入り禁止状態になっている。そ。。。そんな。。練習も、終わってしまっているかのようだ。あわてて店員さんに明日も練習があるのか聞いてみた。というのも明日のお昼にはアバランチが主催するチャリティがダウンタウンであるのだ。店員さんは「一応スケジュールには10時半から12時まで、ってなってるけど、練習するのかどうかはわからないのよね~」と答えてくれた。ううう。そんなあいまいな。。。でも、来た時、駐車場は選手の車でいっぱいだった。(ちゃんとチェックしていたところがねぐせ君たちのスゴイところ。笑)もしかして、もしかする。ないとは言い切れない可能性がミーハー達の心を奮い立たせ、駐車場へと急がせた。練習が見れなかったことで、いつもよりファンも少ない。もしかして、もしかする。スーパースターのジョーサキックやミラーンへジュークが駐車場に現れてサインをしてくれるかもしれない。私達は練習が見れなかったことを悔やむ暇もなく我慢の子を通して待つことにした。さすがにファンが私達を含め10人いるかいないかだったのでいつものワイワイした雰囲気はなく、私達も3人で密かにハジケていた。駐車場には2箇所、選手達が出入りするゲートがあり、私達が待っているほうのゲートには黒い布でカバーされていて、隙間を覗かなければ誰が駐車場にいるのかわからないようになっている。そして、もうひとつのゲートはサインをしたがらない大物の選手などがファンにまどわされずに出て行くゲートになっていて、ファンもそこで待つことは禁止させられている。私達はゲートのまん前で待ちながら、こっそり隙間を覗いては誰かこないかと、すっかりミーハーを通り越してストーカー状態になっていた。しばらくして、そのゲートはゆっくり開けられた。誰かが来るのだ、サインしにっ!が。。。その車はあっけなく私達を無視(!)して出て行ってしまった。。。あーあ、勢いついてたのにね~なんて言いながら根気戦を続けた。すると、今度はほんとに、誰かが出てきたっ!お~、ブレイク様がいなくなってしまってからというものの、ディフェンス中のディフェンス、シュクラスティンだっ!これはサインを頂かなければ。。。と、私は持ってきた去年の試合プログラムをめくり、彼の写真を見つけ「ハロ~」と声をかけた。ディフェンスと言えば、過去にいたアダムフットやデレックモリスなんかは普段からしてなんかいつもすぐ怒りそうな雰囲気があったのに、シュクラスティンはとっても穏やかで、落ち着いた感じの人だった。私はサインをもらった後、「ありがとう。今シーズンもがんばってね。」と言ったら彼はちょびっと笑って「サンキュー」と言い返してくれた。ねぐせ君もじゅんぞうさんもサインをもらえ、3人で次に誰かが出てくるまでの会話はシュクラスティンで盛り上がった。それから少ししてからかっこいい車に乗った選手がやってきた。だ、誰だ?誰だ?お~イアンラピエールだ!この人もフレンチカナディアンでクセのある英語を話すが、冗談の言い方や口調がどことなく、我がパトリックワーを思わせるので大好きな選手だ。私は、じゃあ、彼に今さっき買ったパックにサインしてもらおう、と銀のペンと黒くて小さな多分1キロもあるかないかのこのゴムでできているパックをを握り締め彼の車の傍へと寄っていった。元気よくあいさつをしラピエールもニコニコご機嫌だったので、握り締めていたパックとペンを渡した。ところが。。。このペン、ラッピー(彼のあだ名。)がブンブンシャカシャカ振っても振ってもインクがでない~(涙)パックがツルツルしているからか、と慌てて持っていたプログラムの彼の写真が載っているページを差し出したら、彼も「そうそう、それだよ、うんうん、よろしい。」と納得してだか、その銀のペンでサインをしようとしたが。。。またしてもインクがでない。。。(爆涙)ブンブンシャカシャカ、「君のこのペンは一体どうしちゃったんだ!?」とラッピーには呆れ返られるし、あわわわわ状態の私に天使の救い、じゅんぞうさんが黒のちゃんとインクのでるペンを貸してくれ、やっとの思いでラッピーは私のプログラムにサインをすることができたのだった。。(感謝)私は「ありがと~、あの~ついでに写真もいいですか?」と聞くとペン事件(?)のことはすっかり忘れたのか、またもや機嫌よく「もちろんっ!」と一緒にツーショットもしてもらったのだった。「今シーズンもがんばってくださいね」と最後に言うと彼は元気よく「おぅ、ありがとな」と言い残し、さわやかにその場を去っていったのだった。私達は今度はシュクラスティンからラッピーファンへと大変身(?)、ラッピーの話で花が咲き、ねぐせ君は「今年のジャージー番号はラッピーにしようかな~」とまで言っていた。(ねぐせ君は好きな選手のジャージー、しかもオーセンティックで買って、それにサインをもらいコレクションにする趣味もある。)すっかりホッケーモードに火がついた私達は次は誰かな~、なんてワクワクしながらゲートの隙間を覗き込んでいると、バイカーっぽい格好をした定年退職したくらいの年齢の親父が選手とゲートを行き来していて、それがガードの人だとはわかっていたが、過去に見たことのないガードの人だな~なんて思っていると親父から声をかけてきた。「誰を待ってるんだい?」「誰って。。。サインしてくれる選手なんだけど。。。」「ふぅ~ん、一番好きな選手は誰だい?」「もちろん、キャプテンのジョーサキックに決まってるじゃない。」と私は着ていたサキックのジャージーの後ろを見せてから、しばらく話が弾んだ。それから、時機を見て彼に少し宣伝してみた。「あのね、この2人、私の友達なんだけど、わざわざ、はるばる、東の国はジャパンから飛行機20時間も乗って、アバランチの選手に会いに、そして試合を見に来てるのよ!すごいでしょう?」すると彼は自分も日本に行ったことがある、自分の嫁さんは4分の1日本人だ、と日本の思い出をなにやら語ってくれていたが、選手がまた来るようなのでゲートが開いた。何人かの選手が一台の車に乗り合わせていたが、新人選手達だった。ライクロフト、リチャードソン、ラークソネン、レオポルドだった(と思う。。汗)新人選手の写真が手元にないため、(ううう、メディアガイドよ、この恨み、大きいわよ。)ラッキーチャームのスヌーピーのぬいぐるみ、通称「駐在君」用に作ったアバランチの小ジャージーにサインをしてもらう。みんな若くてイキが良くてピッチピチ、かわいい。かわいすぎる~~~っ!!!といい年したおばちゃんはキャピキャピ騒ぎ、もうすっかりアバホーリック(アバランチホーリックの略)のホッケーママ復活だったのだ。じゅんぞうさんはそんな私を見て「あああ、日本から来てまた火をつけちゃった。」と苦笑いしていたが、彼女もそれぞれの選手からサインをもらい、満足げだった。ねぐせ君は静かに(?)メラメラしていて、声もなんとなく上ずっていたように思う。そんな中、バイカーのガードの親父が戻ってきて、「日本から来てるからってサインしてもらえるようにたのんでやるからな。」と言い残し選手らしき人と駐車場で話をしていた。それからしばらくしてちょっとむっつりした選手がやって来た。オフシーズン中にトレードされてきたタイラーアーナソンだった。にっこりともせず、さっさとサインだけして引き上げてしまったが私達も彼のことをあんまりよく知らないから無理もないかと思う。それからしばらくして、ブリズボワーがでてきた。サインをもらって最後に「サンキュー、フランス語でなんていうのか知らなくってごめんね。」と冗談で言ってみたら真面目にフレンチ訛りの英語で彼は「フレンチ~?アーン?メルシー、だね~」とおしりが痒くなりそうな発音で答えてくれた。それからは私達の間で妙な自己流フランス語で盛り上がり、笑いすぎて涙が止まらなかったのは言うまでもない。バックアップのブダーイが出てきてくれた時も、スバトスが出てきてくれた時も地元民だというのに私が一番舞い上がっていたように思う。両方の選手からサインと写真を撮って貰ったのだが、写真を撮った時、両方の選手に肩を抱かれて舞い上がってしまうにも拍車がかかってしまったのだった。最後の最後にマクリーンがやってきた。いつものように「ハーイ!」と駆け寄ると、なんと、彼のほうから「日本から来たって言うのは君達なんだね~」と話しかけてくれたのだった。(ええヤツやん~)私たちのことを宣伝してくれた、心優しいバイカーの親父は「まだ中にヘジュークとライルズがいるけど、あいつらは後3時間くらいトレーニングするだろうから、諦めたほうがいいよ。んじゃね~」と言ってバイクにまたがりブルンブルンと勢い良くアクセルを吹いて、さっさと家路へと向かってしまった。そう言われても待ちたかったのは山々だったのだが、私の腹空き虫が泣き止まないので泣く泣く食事にいくことにした。食事中はもちろん先ほど起こったサイン会で話は盛り上がり、その調子で私達はスポーツ、エンターテイメントのコレクション(サイン付き写真やグッズが売ってあるところ)のお店に行くことにした。私達のアバランチ熱はどんどん熱くなり、ブレーキの利かない車のように進行するのだった。。。。ラッキーチャーム、「駐在君」と苦心の後にやっともらえたラッピーのサイン ↓
2006年10月29日
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ニューヨークから帰ってきて、(しかも帰りの飛行機も、「また」2時間半遅れたのであった。汗)バタバタしながらも私の心は浮き足立っていた。なぜなら。。。。熱狂アバランチファン、ねぐせ君とじゅんぞうさんが日本からデンバーにたったの4泊5日ではあるが「帰省」されるからであった。今回は私が強引に我が家でお泊りするように要請したこともあったのでワクワクしながら飛行場までお迎えに行った。ねぐせ君たちの飛行機は私達がニューヨークへ行った時の飛行機とはちがい、ほぼ時間通り、ぴったりやって来られた。荷物を取りに行っている間、私は「疲れたでしょう?帰ってシャワーでも浴びてゆっくりされます?」と聞いてみた。じゅんぞうさんは「それでもいいですけど。。。。」と言いながらチラっとねぐせ君の顔を伺った。ねぐせ君は静かに、何か考えられているかのように落ち着いて、だが、はっきり言った。「アバランチのメディアガイドはもう売り出されているのかな~?」私は呆気にとられて彼の顔をマジマジと見つめてしまった。20時間の飛行の後、彼は早速にでもアバランチのアリーナ、ダウンタウンにある、ペプシセンターのアバランチグッズ販売店へ行きたい、と言うのだ。約1年ぶりの帰省で私は彼らのパワーをすっかり忘れていたようだ。ねぐせ君は「メディアガイドがあると~明日の練習行った時に新加入のプレイヤー達からもサインもらいやすいし~」、みたいなことをブツブツ言っていたのを私は聞き逃さなかった。そういえば、そうだ。(そこで何の問題もなく納得する私も私なのだが。汗)新しいシーズン、しかもサラリーキャップのせいで私達が馴染んでいたたくさんの選手達はちがうチームにトレードされてしまい(ああ。。。ブレイク様、タンゲイちゃん、ハイノ君。。。)新しく加入した選手の顔や名前をろくに把握できずにいる時、このメディアガイドなるものがあればとても心強いのである。それは毎年シーズンが始まると選手(各選手の写真、身長体重、生まれ故郷、NHLキャリア歴、記録、以前いたチームの名前、などなど)、コーチ、オーナーと、アバランチを紹介をしているいわゆる子雑誌といったところか。それを持っているとなぜ心強いか、というと、例えば練習の終わった後、サインをもらおうと待つことにする、ファンはさすがに私達だけではなくだいたいは20人くらい(平日で)暑さに負けず、風にも負けず、雪にもまけず、雨にも負けず、ジッと我慢の待つ子になって駐車場で待つ。で、特に新加入の選手やルーキーの選手なんかはベテランの選手達などからも「行け、行け」と言われているのであろう、ちょびっと照れたような、慣れない笑顔を作ってはファンにサービスをするため、この駐車場に出てきてくれるのである。その時、なのである。このメディアガイドなるものが大活躍するのは。ズラ~と並んだファンの群れにまぎれ、あんまり見覚えのない選手にサインをお願いするのは少し大変だ。だが、たいていの場合、もっと度胸のある(?)子供たちが「ね、あなたの背番号は何番なの?」と大声で選手達に聞いてくれるのである。(大好きなアービーなんか、まだルーキーだった頃、「君は誰だい?」とぶしつけにも、しかも大の大人が聞いていたと言う。失礼な。。。汗。それでもにっこり微笑んで自己紹介しながらみんなにサインしていたアービーは、やっぱり天然かかっている、とじゅんぞうさんは笑うのだった。)さてさて、その、子供達が聞いた背番号を聞き逃してはいけない。背番号を聞いた瞬間からメディアガイドを必死にめくってその番号を見つけ出し、選手の名前も顔も一致させることができ、間一髪、といったところで彼らを目の前にして「は~い、ミスター○○」と挨拶が出来て「サインと、写真も一緒にとってもらえますか?」と聞き出す事に成功できるのである。しかも、それぞれに、ペン、メディアガイド、カメラ、その他もろもろを所持しているものだから、この作業はマルチタスクが可能な人でしか難しいかもしれない。(本当か?)そんなわけだからねぐせ君は明日の練習見学に備えて、メディアガイドを取得したかったのだった。時間はもう4時辺り、日曜日ときている。お店が開いているか確かめようにも留守電のオートメッセージ、開いてるかもしれない、閉まっているかもしれない。それならば実際行ってみて確認するほうが納得できる、ということではるばる日本からやってきたこのお二人はスーツケースをひっさげたまま(ま、車の中に入れてはあったが。)ペプシセンターのグッズ販売店へと直行する事にした。残念ながら、あいにくグッズ販売店は閉まっていたのでしぶしぶ(?)あきらめて、明日の朝、練習前にまた寄ってメディアガイドを入手して練習場へと直行することを決め、とりあえず軽く何か食べていこう、ということになった。入った店は私の大好きなお店「Jax」、そこで生牡蠣を何種類か、殻つきのエビ(ピールアンドイートという。)を頼み、ワインで乾杯した。私達の話はもちろんホッケーの話で終わることなく弾み、楽しくひと時を過ごした。ふと外を見渡すと、もう薄暗くなっていた。私はミドリの散歩が気にかかり始め、みんなを促し家路へと向かった。じゅんぞうさんもねぐせ君も大の動物好きで過去に我が家に来られた時、人間恐怖症だったミドリが唯一安心して寄っていくことができたのも彼らだったのだ。じゅんぞうさんもねぐせ君も私がミドリの散歩を気にしていることがわかるやいなや、早速「お散歩モード」に切り替わって下さった。それにしても、何度考えても不思議なのだが、日本からはるばる20時間の飛行機でデンバーへ到着即効ペプシセンター、はたまた家人に同調して犬の散歩に行く、というこの旅行の仕方がおかしくてたまらない。でも私はこういった旅行客のほうが大好きだ。確かに有名な博物館や跡などを訪ねるのも有意義な旅行だが、あれもこれも、と欲張りになっているうちにせっかく「休暇」で「遊び」に来た未知の国の本当の「らしさ」を味わえずにかえってグッタリしてしまっている旅行者をよく見かける中、じゅんぞうさん達のように「アバランチの試合と、練習と、ペプシセンターさえ行けたら後は自由行動」という本当に自分達が見たいものだけを厳選してからコロラドという土地に馴染んでくださる方々は(地元民が知らなかったことまで知っていたりするので油断ならないが。汗)「あぁ、深呼吸できる旅行だな。」と思わせてくれて頼もしい。そんなわけで、ダウンタウンから約40分くらいの我が家へと車を飛ばし、ようやく家に着いた時はもうすっかり日も暮れてしまっていた。私は「残念だけど、今日はもう、暗くなっちゃったし、お散歩は明日にでもしようか?」と言うと、じゅんぞうさんもねぐせ君もニコニコしながら「いやいや、だからこそとっておきのがあるんですよ~」とスーツケースを開け、ごそごそしたかと思ったら「あった、あった、はい、これ、ミドリちゃんに。」と差し出してきた。私は大笑いしてしまった。と、いうのもその中身がミドリ用の名前と電話番号が書いてある迷子札、しかも電池が入っていて、それをオンにするとピカピカ七色に光るのだった。「この間来た時、犬公園でこういうの付けてた犬がいて、いいな~って言ってたでしょう?」とじゅんぞうさんは笑う。私は覚えていてくれたんだ~、と感動しながら早速ミドリの首輪に付けてみた。光る、光る、ピカピカ光る。これなら夜の散歩でもミドリがどこにいるのかすぐわかる。準備もオーケー、お試しに一番早い散歩コース(犬公園ではない。)を歩いてみることにした。ミドリはお客さんと一緒に散歩できるのがうれしくて仕方ないらしい、いつもならリーシュをひっぱらない子なのに、ガンガン歩いてねぐせ君を困らせている。まるで、「公園は、こっちなのよ」と見せびらかすのを待ちきれないかのように。迷子札はピカピカしているので、公園についてすぐ、ちょっとだけ、リーシュを外して見ようか、ということになった。ドキドキしながらリーシュを外すと、ミドリは「待ってましたっ!」と言わんばかりに走る、走る、元気に走り回っている。迷子札も負けじと光る光る、ピカピカ光る。その風景が滑稽で、私達3人はまたもや大笑いしてしまった。走り回ってグッタリしたミドリと猫達に晩御飯をあげ、私とじゅんぞうさんはビールで乾杯し、ねぐせ君はその間にだんながどういうわけか手に入れたラップトップのネットワークの接続をし(ねぐせ君はデンバーに帰省される度我が家の電化製品の接続やらアップデートやらをして下さるので頭が下がる。)だんなも加わって和やかに初日を過ごしたのだった。私も、じゅんぞうさんも、ねぐせ君も明日から待ち受けるアバランチを夢見ながら眠りについたのだった。。。。ミドリの迷子札。。。わかるかな?ピカピカ光ってるんだけど~。。。↓
2006年10月27日
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ともあれ、ニューヨークへ着いて、グッタリしてシャトルバスに乗り込んだ。外はかなりの雨で飛行機がなかなか飛べなかったのもその時やっと納得できたのだが、それでも疲れてしまった私達は早くホテルに着いて一息入れたかった。私達と一緒に乗り込んだ人達はそれぞれの目的でニューヨークへと来ていた。グッタリしていても耳だけはダンボなこの夫婦、聞くともなく後ろにいた2人のおばちゃんの会話が耳に入ってきた。おばちゃん達はとっても元気だった。きっとフライトも時間通りで、前日に睡眠も充分とっておられるのだろう、ケタケタ笑われる。ちょっとうらやましいなぁ、なんて思っていたのだが、話はどんどん盛り上がり、その周りにいた人が聞き上手でこれまたうまく話を引き出してくれ私にはちょうどいいエンターテイメントであった。彼女達はニューヨーク出身なのだが、結婚してからそれぞれ違う州で生活していたらしい。で、聞き上手の人が「じゃ、今回は里帰りですか?」と聞くと、2人はうれしそうに「同窓会があるのよ、この日曜日に。」「50周年記念の、ね。」と答えた。す。すばらしい。。。(汗)。。。げ、元気なはずだわ、こりゃ。もう片方のおばちゃんが「こんな私と60年以上も友人でいてくれるのなんて、この人くらいしかいないわよ。ほほほほほ。」と笑った。そんなおばちゃんを私はとっても微笑ましく思えた。私にも、60年経って、一緒に笑える友人はどれくらいいるんだろう、とふと思った。おばちゃん達はまだ、日曜日に着て行く服や靴の話で花が咲いていた。皺がたくさんできていても、赤いリップを塗って、かわいい服を一緒に選んで、あーでもない、こーでもないとヘアドライヤーで髪をいじり、うれしげに同窓会へ向かうであろうこのおばちゃん達の心はきっと当時のまま若く、元気でおられるのだろうな、私もこんなかわいいおばちゃんになれたらいいな(でもイヂワルばあさんにも憧れる(!?))と心底思った。思い出はセピア色、いろんなことを一緒に通り過ぎてきても、まだケタケタ笑えるだんなや友人がいる、ちょっとの幸せで気持ちがいっぱいになれる、そんな人生を送れるようになりたい、と少し感傷的になりながらふとだんなのほうを見ると、おばちゃん達の会話がとにかくおかしく聞こえるらしい、顔を真っ赤にしながら必死で笑いをこらえていた。感傷的からはほど遠いだんなを目の当たりにしながら私はため息をついた。。。次の朝、私はホテルにあるジムで一汗かいて部屋へ戻ると、だんなは朝ご飯を作るんだと勇んでいた。と、いうのもこのホテル、小さなかわいいキッチン付きなのだ。しかも、個人経営のグロッサリーストアがホテルのすぐ傍で夜遅くまで開いているので旅行者としてではなく、現地市民になったような気分にもしてくれる。コロラドでは見かけないこの、グロッサリーストアは街角にたくさんの切花をおいている。その花たちの匂いのいいこと、いいこと。グロッサリーストアを通り過ぎるたび新鮮な花の匂いを嗅ぐのが私のクセにもなっていた。だんなはうれしそうに卵やハムやパンなどを買い込んで帰って来た。なんか、映画のワンシーンみたい、ニューヨークの高級マンションでお金持ちであろう彼が朝ごはんを用意している。。。。なんてニヤニヤ想像しながら私はシャワーを浴びて一日の用意をし始めていた時だった。「ビーッ!ビーッ!ビーッ!ビーッ!」非常サイレンかとびっくりしてリビングの部屋(私達の部屋はとても大きくてベッドルームとリビングルームが分かれていた。)へ飛び出ていくと、そこにはイスの上に仁王立ちになって天井をイジル情けないだんなの姿が。。。。(汗)恐る恐る、だんなに「何してるん?」と聞きながら、同じように見上げてみると、だんなは煙探知機(というのか?スモークデテクターというやつ。)のスイッチをなんとか切ろうと必死になっていたのだった。家のキッチンと同じように料理をしていて、換気扇をつけるのを忘れていたらしい。やっとの思いでスイッチを切り、窓を開けた時、電話がなった。「ハロー?」私が答えるとフロントからだった。。。。。(汗汗汗)あわててだんなに電話を代わってもらい、内容を説明してもらった。後で聞くとフロントの人はハッハッハッと笑って電話を切ったそうだ。。。。(は、恥ずかしぃ~~っ!!!)ニューヨークの高級マンションでお金持ちであろう彼が朝ごはんを用意している、なんてことはやっぱり映画のワンシーンでしかないという現実だけ私の前に現れたのであった。。。それでもさすが、我がシェフ、朝ご飯はニューヨークのレストランに負けず劣らず、すっかり今さっき起こった煙探知機事件(?)なんてことは忘れて2人ともご機嫌モードで外へと繰り出した。日曜日の夜はヤンキーズの試合、月曜日の夜は愛しのレストラン「ダニエルズ」、と予定は詰まって(これが私達流の予定が詰まっている、である。苦笑)いたのだが、土曜日は別段何の予定も立てていなかったのでタイムズスクエアへ行って、何かいいショーはないか探すことにした。実は前回私だけでニューヨークへ行った時、「オペラ座の怪人」「シカゴ」と立て続けに観てすっかりハマってしまったので、あんまり興味のなさそうなだんなにもなんとか一度だけも見ておいてもらおうという魂胆だったのだ。タイムズスクエアへ行くと。。。。ある、ある、ある。。。いっぱいある。ブロードウェイ、オフブロードウェイ、私はインフォメーションセンターで、キャンディ売り場で目を輝かしているような子供のように「あれも見たい、これも見たい。」とあっち、こっちのチラシを眺めていた。すると、なんとなくつまらさそうにチラシやガイドを見ていただんなが一言「これ。。。」と言って見たいと思われるチラシを持ってきた。そこには「Stomp」と書いてあり、男の人がドラム缶の上で踊っているような写真が載っていた。私は前に来た時、テレビか何かで宣伝していたのを思い出して、即「オーケー、じゃ、これにしよう。」といってチケットを2枚手に入れた。それからしばらくタイムズスクエアを歩き回っていたのだが2人ともちょっとくたびれはじめ、グランドセントラルステーションにある、有名な生牡蠣のお店、その名も「オイスターバー」(そのままやんけ。汗)(東京にもお店ができた、とじゅんぞうさんから聞いたときはかなりびっくりしたが。)へ行くことにした。テーブルには座らずにバーで注文するのが私達流で、この日もいつものように適当に空いている席を見つけてよっこらしょ、と腰をかけた。しばらくして、親子と思われる、2人の女性が私達の席のとなりに腰掛けた。母親らしき女の人はもう、70歳後半のように見える。娘の方は50歳後半あたりだと思う。バーの中で働いている親父はメニューこそくれたが一向に私達の注文を取りに来る気配がない。それでも私達はタイムズスクエアのインフォメーションでもらってきたガイドなどをめくりながら「この店はいつもこうだよねぇ~」と暢気にかまえていたのだった。すると。。。隣にいた母親らしきおばちゃんが、なんと、スプーンでテーブルをガンガン叩きながら、「ヘイ、ヘイッ!ちょっと注文とって頂戴よっ!」と叫び始めたのだった。私とだんなは顔を見合わせて「いくらなんでもスプーンでガンガンはないでしょぉ~」とヒソヒソ声でつぶやきあった。しかし、オイスターバーの親父も負けてはいない。おばちゃんの顔をチラっと横目で睨み、「忙しいんだよ、ったく、待ってなよ、すぐ行くからよ!」と叫びかえしながら全くのマイペースである。私は魔のヤンキースタジアムのホットイタリアンソーセージ事件(?)を思い出しながらメニューに目をやった。おばちゃんが叫んでから、それでも5分か10分は経っていたと思う。やっとのことで親父が注文を取りにやってきた。順序からして、もちろん私達のほうが先にいたのだから注文を取るのが当たり前だし、親父もそれくらいのことはどうやらわかっていたらしく、しかも「長い間、待たせてすまなかったな、飲み物は何にしますっかね?」となかなか丁寧な口調だったのに、彼がそう、言い終わらないうちにスプーンのおばちゃんは横で「ヘイ、ヘイッ!」攻撃を始めた。ちなみに、アメリカではこういった飲食店で働くウェイターやバーテンダーにも偉そうにしてはいけない。物を頼む時は必ず「プリーズ」を最低付け加えるし、ウェイター達のアテンションを引く時も必ず「エクスキューズミー?」と静かに尋ねるのが常だ。親父は私達の注文を取りながらしばらく我慢していたようだが、ついにキレてしまった。「ちょっとぉ~、ばぁさんよぅ~、今この人達の注文取ってんだよ、わかるかい?しかも、スプーンでテーブル叩いたり、人を何だと思ってやがるんだ、ちょっとはここにいる若い衆を見習って礼儀正しく待ってみな!この人達はあんたたちより長いこと待ってるってのに、この礼儀正しさだ、まったく、年寄りも情けなくなったもんだぜ!」お~。。。。自分のことは棚においても人を正そうとするこの姿勢。。。すごい。。。さすがニューヨーク。こんなのコロラドじゃ考えられないわ。。。おばちゃんも娘もしばらく静かになり、親父は私達の注文を取り、やっと(シブシブ)おばちゃん達の注文も取って姿を消した。しばらくしておばちゃんの注文したものは生牡蠣ではなかったのですぐに運ばれた。(生牡蠣は注文が入ってから殻を割るので時間がかかる。)それからやっと、私達が注文したクラムチャウダーと生牡蠣が運ばれてきた。私達は何種類か違った生牡蠣を頼んでいたので親父は気に入った客にはそれなりのサービスもするらしく、「この生牡蠣は○○だ、で、こっちは××」と説明してくれていた時だった。スプーンおばちゃんはまたもや口をはさんできた。「お会計ね、ちょっと、あんた、お会計して頂戴なっ!」お~。。。。このおばちゃん、戦う気かしら?ご機嫌に生牡蠣の名前を私達に教えていた矢先にこれだ。親父はしばらく黙り込んだ後、エプロンのポケットから鷲掴みするような格好でおばちゃんの伝票を見つけ出し、投げつけるかのようにおばちゃんに伝票を渡し、「サッサと払って、トットと出て行っちまえっ!」と大声で怒鳴った後、何事かもなかったかのように私達の前にやってきて、生牡蠣の名前の続きをボソボソと始めたのだった。。。。お、親父、その切り替えの速さはプロだわよ。。。。(大汗)。。。スプーン親子が出て行った後、ふと思ったことは映画の「ドライビングミスデイジー」だった。白人のおばあちゃんが黒人の個人運転手を見下し、言う事も聞かず、数々の騒動を起し、ケンカもするのだが最後にはこの運転手だけが彼女の人生最愛の友人となる。。。涙なくしては見れない映画なのだが、そのおばあちゃんとこのスプーンおばちゃんがなんとなく重なってしまった。きっと、このスプーンおばちゃんはこのご時世でまだ、人種が違うことだけで優位、劣位を決めているのだ。しかも、「人種差別」とかっていうような意識なんて持ってやいない。スプーンでガンガンテーブルを叩くしかこんな野蛮人は相手にできない、というような間違った観念を信じているだけなのだ。ちょっとかわいそうかな、とも思う。もし、このおばちゃんが、映画の黒人個人運転手のような人に出会えていたら、スプーンガンガンなんてこと、きっとしなかったはずなのに。それにしても。。。。シャトルバスで見たかわいいおばさんと、生牡蠣バーで見たこのおばさん達を見て思ったこと。。。。かわいいだけじゃつまらない。喧々だけじゃくだらない。いくつになっても女はシトヤカで、コケティッシュ、そして時々イヂワルに。そう、あって欲しい。そう、ありたい。。。
2006年10月10日
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旅行へ行くとなると私はまるで遠足前の子供になった気分で前日はほぼ眠れない、と言っていいくらいだ。去年、サンフランシスコへ行った時もそうだったが(詳しくは「サンフランシスコ。」へ。)、今回は自分ではちゃんと予定を立てて、ノルマをこなしているつもりでいた。それなのに前日が来ると、やっぱり「あぁ、あれもしないと、これもしないと。」としなければいけないこと(←わたしにとっては。だんなに言わせるとしなくてもいいようなこと、らしい。)がどんどん増えてしまってやっぱりほぼ眠れずに朝を迎えてしまった。何をそんなにバタバタしなければならないのか、と不思議に思われるかもしれないが、我が家の猫3匹のペットシッター兼ハウスシッターのために、やっぱり家をきれいにしておきたい、そうすると最近していなかった天井のダストバニーが気になり、焦げ付いてしまったコンロが気になる。しかも、荷造りしたはずのものを忘れ物がないか、何度も確認せずにはいられない。そう、極度の心配性なのだ。そのわりにはギリギリ前日にもキックボクシングだけは行っているのだから、本当に心配しているのかどうかも怪しい。だんなは「空港へは朝の6時には行かなきゃいけないんだから、今日は夜、12時には寝るように。」と何度も私に忠告していたのだが、結局寝たのは小一時間くらい。さすがに私も年を取ってきた。お肌の荒れが気になりつつも猫達に朝ご飯を与え(ミドリは前日にデイケアに預けた。)猫砂をそうじしたが、やっぱりバタバタなんだか様子が変だったのだろう、猫達もソワソワしながら朝ごはんを食べたように思えた。だんなに押さえ込まれるような形で車に乗り空港へと向かった。空港について、初めてネットでチェックインするのを忘れていたことを思い出した。すでに6時に家出発の予定が6時半になっていたので(いくら空港近くに住んでいるといえど、車で約20分はかかるし、車を降りてからターミナルまで行くにもかなりの時間が要する)それでなくてもセキュリティがどれくらいの待ち時間なのかもわからないし、私達が乗る飛行機はユナイテッドで8時半出発予定だったものだから、かなりピリピリしながらユナイテッドのチェックインへと急いだ。ユナイテッドのチェックインは。。。。。。列がコンコースまで行っちゃうんじゃないかと言うくらいの長蛇の列だった。。。。(汗)こんなじゃ絶対乗り遅れるよ、いくらか払わなきゃいけないけれどチェックインエクスプレスを使おう!とだんなは大急ぎで今来たばっかりの道を引き返しはじめた。私もだんなに追いつくように一生懸命、この短い足をできるだけ早く動かしながらチェックインエクスプレスへと向かった。チェックインエクスプレスは。。。これまたズラリな列だった。。。。(涙)ああ、もうあかん、完璧に乗り遅れた。。。。と思いながらも列に参加し、言葉少なく私とだんなのイライラ度は高まっていった。しかし!さすがエクスプレスと言うだけあって、チェックインをしている親父はフル回転で仕事をこなしていたのでなんとかセキュリティへは7時半くらいに行くことができた。エスカレーターの下を見下ろして私達は愕然とした。セキュリティは。。。。これまたすんごい長蛇の列だった。。。(なんでやねん。。。涙)ああ、ほんまにもうあかん。。。。そう、肩を落とした時だった。エスカレーターの前に立っていたスーツを着たおばちゃんが「もうひとつ、向こうにセキュリティチェックインがあるよ、そっちのほうが空いてるはずよ。」と指差してくれた。(ああ、彼女はきっと困った旅行者を助けるエンジェルだったのね。涙。)私達は感謝の言葉もそこそこに大急ぎでもうひとつのセキュリティチェックインへと向かった。ほとんど、「走った」と言っても過言ではないくらいのダッシュをかけて、2人は急いだ。途中、なんかヤバイ行動をしているからって捕まらないかな、なんて変なことも考えていた。ぜぃぜぃ、はぁはぁ。。。。キックボクシングへは行けないけれど、今日の運動はした、ということにしておこう。。。。。それでも、おばちゃんの言葉どおり、走った先のセキュリティはとっても空いていて私達も20分くらいでコンコースへと向かうことができた。ああ、よかった。どうやら乗り遅れずには済みそうだ。。。。コンコースへ向かい、出発時刻を確かめ、そこにも時間通り出発予定とあったので、2人とも「あぁ~やれやれ、ちょっとしたスリルだったね。」「油断は禁物だ、もうファーストクラスの人達なんて乗り始めてるかもしれないんだから。」なんて言いながら、出発場所へとまた、小走りした。その時点で時刻はもう8時だった。出発場所に着いて、猛烈にお腹が空いていたことを確認。しかもいつもなら朝起きて一番に飲むコーヒーも飲んでいない。とりあえず一番近くにある売店まで行ったのだが、ここにもまた。。。列。。。。。(涙。涙。)でも、飛行機の中ではたいした食べ物もでないんだし、もし搭乗が始まっていたらコーヒーは飲めないけれど食べ物は持ち入りができるから、ということで列に並んだ。だんな、私、各サンドイッチ一つとコーヒー、それからボトルのお水。25ドルなり~~~!高いっ!しかも、まずいっ!だんなも私も朝っぱらから、もうこれ以上文句は言いたくなかったからか、ダッシュをかけて走って疲れちゃったからか、空腹が勝ったのか、ただ、ひたすらにモクモクとまずいサンドイッチを食べたのだった。食べ終えてからまだ誰も搭乗していないことを不思議に思っただんなが近くの人になにやら聞いていた。私が「どうしたの?」と聞くと「サンドイッチ買いに行ってたときにアナウンスが入ったんだって。」「僕達が乗るニューヨーク行きの飛行機は30分から40分ほど遅れるって。。。。」い、今まで急ぎに急いでここまで漕ぎつけた、っちゅうのに。。。。。それはないやろぅ~~~~(爆涙)2人とも、もう、ぐったりしながら搭乗時間をなんとかしのいだ。私達の前に同じようなカップルがヨチヨチ歩きの子供をあやしながら待っているのが目に入った。だんなに「赤ちゃんがいると、旅行も大変よねぇ~。」なんて言っていたらやっと搭乗できることになった。ゾロゾロとみんなが入っていくのにならって、私達もようやくニューヨーク行きを楽しめるかと思った時だった。私達の席が一番後ろのリクライナーのない席だというのがわかったのは。しかも、超窮屈。だんなはムーっとしてるが、どうしようもない。私は早速読みたかった本を手に取り、だんなはヘッドフォンをしてテレビを見る準備をしていた。通路をはさんだお隣さんたちが座った。お隣さんは、先ほどヨチヨチ歩きの子供をあやしていたカップルだった。全員搭乗した、と思われた時、パイロットさんからアナウンスが入った。てっきり「今日はユナイテッドをご利用くださり、誠にありがとうございます。ただ今より出発いたします。」と言うんだろうと思っていたら。。。。「現在、ニューヨークは悪天候のため、着陸用のゲートを空港が閉めておりますので出発することができません。今しばらくお待ちください。」って。。。。。まだ遅れるんかいっ!!!ま、でも、天気が悪いんならしょうがないわね。だんなはもうすっかりグレてしまわれて私となんか話す気もないかのようにプリプリ怒っていたが、待ってる間にテレビでフードネットワークが見れたらしくそれで少し機嫌を治されたようだった。私は小一時間しか眠っていないこともあって、ちょっとウツラ、ウツラしはじめた時だった。「うぎゃぁぁぁぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っっっっ!!!!!!!!!!」隣の子供がグズリ始めたのだった。飛行機の中で、行動範囲も小さくて、抱かれたくもないのに何度もお父さんやお母さんに抱かれて、嫌気がさすのはわかる。しかも、パイロットさんのアナウンスからもうすでに45分は経過していたであろう。お母さんが一生懸命あやし始めたが、子供も必死だ。泣く、泣く。ひたすら泣く。私達夫婦は結婚してから何度も子供について語り合った。その結果、「いらない。」という意見で一致した。私は子供が嫌いではないのだが、どちらかと言えば苦手なほうなのだ。だんななんかになると苦手を通り越して「キライ」なんて問題発言もするくらいだし、動物達で手一杯ということと、私達がまだまだ子供気分から抜けきれそうにないというのがだいたいの理由なのだが、現在を持ってこの選択は間違っていたとは思わない。友人やだんなの兄夫婦には子供が2人いるから、全く関わらない、というわけでもないが、だからといって進んでベイビーシッターをするワケでもない。(できない、と思う。)誰かの子供と一緒にいる時間はそれでも最小限なんだろうな、とは思うが。さて、この子供と接する時間最小限夫婦と初めての赤ちゃんを持つホヤホヤ夫婦が隣り合わせに座った、ということなのだ。ここに問題がないと思う人は少ないだろう。。。。その子供が泣き叫んでいるのも関わらず、私達を乗せた飛行機は、やっと重いおしりを持ち上げ離陸したのであった。離陸して、加速度が増すのと比例してその子供は泣き叫んだ。きっと耳が痛いんだろう、かわいそうに。。。。そうは思うが、私も小一時間しか寝ていない。しかも走りまくった朝であった。しんどい。ちょっとゆっくりしたい。。。。だんなはヘッドフォンをしているにもかかわらず耳をふさぎこんでしまった。ワガママな子供気分なこの夫婦にとって、この、状況で、この環境にある、というのは苦痛以外の何物でもなかったのだった。。。ホヤホヤ夫婦も必死で子供をあやしているのだが、子供も子供で自分は今、異様な状況にいる、と察したのか、泣き止まない。。。。ニューヨークへ着いて、失礼とは思いつつ、やっと、この泣き声からも逃れられると喜んだ矢先、パイロットさんからアナウンスが入った。「悪天候のため、ゲートが混雑しております。今しばらくお待ちください。」。。。。。。。。。爆涙。。。。。。。。マジかぃ?天気が悪い、っつうのはしょうがないって、わかってるけど。。。。わかってるけど。。。。(涙涙涙涙)デンバー発ニューヨークは朝8時半出発でニューヨーク時間の2時に到着予定だった。飛行時間は3時間20分だったかのはずだったのだ。それが、2時間半ズレて4時半、シャトルバスをとって、ホテルに行くにもまた一時間くらいかかるであろう。ホテルに着くのは6時過ぎ、と言う事か。朝、あわててコーヒーと一緒に押し流したかのように食べたサンドイッチも消化されつくされ、お腹はグルグルキューキューなっている。しかも、子供は泣き止まない。。。前途多難。。。。私はこれが最初で最後のエライ目であって欲しいと願わずにいられなかった。。。。
2006年09月29日
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9月5日、6日、7日とミズーリ州カンサスシティへ行ってきた。理由はもちろんヤンキーズ対カンサスシティロイヤルズの試合を見に、だ。5日の夜に飛行機で発って、6日の夜に野球観戦、そして7日の朝にはカンサスシティを出発してデンバーへ到着、という、見た限りではかなりハードなスケジュールなのだが、飛行機は私の大好きなフロンティア(いろんな動物の写真が飛行機の尾についていて、それぞれの動物に名前がある。でもって、コマーシャルでこの動物達を登場させ、それがまたかわいくっておかしいのだ。)で、時間通りに出発、何の問題もなく時間通りにカンサスに到着。カンサスに着いてからシャトルバスが到着するのに少し時間がかかったが、ホテルはきれいな(出来立てホヤホヤだったらしい。)ウェスティンホテル、受付嬢はにこやかに迎え入れてくださり、部屋へ入って(しかも、きれいで大きな部屋だった。シャワーだけはイマイチだったが。)ルームサービスで軽く食べてあっと言う間に眠りに入った。6日、野球観戦日には少しだけでも観光をしておこうとホテルの近くにある、イタリアンレストランへお昼ご飯時に入った。「Lydia」というお店で広々とした、洒落たお店だった。私達は席に付き、とりあえずメニューを見たら「パスタ3品お試しランチ、食べ放題」というのがあった。私は食い意地が張っているから、すぐさまそのランチにすることにし、だんなはベークドカナロニーを頼んだ。ウェイトレスの女の子も愛想良く、キビキビ動いて私たちの飲み物もパンもさっさと用意してくれた。だんなと食事後にダウンタウンを見てみよう、ということで意見が一致し、その後はずっと野球話に花が咲いた。しばらくしてだんなの頼んだ食事が出てきた。普通、アメリカのレストランではお客さんが2人だと、2人分同時に食事を出すのに、おかしいな、とだんなに言いかけたときだった。シェフコートを着た男の人が私の横に来て、「スパゲティカボナーラでございます、お試しされますか?」とホカホカのスパゲティが入っている、大きなフライパンを持って聞いてきたのであわてて、それが自分の頼んだ「お試しランチ」だったことを悟り「では、いただきます。」と、その男の人にお願いした。それからすぐ後にまたもやシェフコートを来た男の人が同じように大きなフライパンを持って「ニョッキのペスト和えでございます。」「ホームメイドのフラットパスタ(ラザニアに使うような大きなパスタだった。)とソーセージトマトソースでございます。」と各自やってきては私も、「はいはい、いただきます。」と満面に笑みをたたえながら答えたのであった。私達はアツアツのスパゲティが入っている大きなフライパンで食事を出すアイディアがとっても気に入ってしまった。しかも、パスタも茹ですぎていず、アルデンテだったことも私を大喜びさせたのだった。お腹満腹、ご機嫌でそのお店を出てダウンタウンに向かった。ところが。。。。カンサスシティと言えば、「オズの魔法使い」くらいしか出てこないのには理由があった。。。カンサスシティへ行く、と言えば大体の人が「なんでまたそんなとこへ行くんだい?」と聞いてくるには(これはニュージャージーへ行く時もよくあることだ。)理由があった。。。カンサスシティへ行くんだよ、と言う人がいれば、その人が今ひとつ浮かない顔をするにも、理由があったのだった。。。。なぜならカンサスシティには。。。。観光するものがダウンタウンに何もない。のだった。。。。だんなとも、最初のうちは会話もはずんでいたのだが、この、寂しいダウンタウンを歩いているうちに言葉数もどんどん減り、ホテルに向かいながら歩き始める頃には「ねぇ~、何にもないね。」「う~ん。何にもないな。」を何度繰り返し2人でつぶやいたことだろう、それくらい、何にもなかったのだった。。。(汗)しょうがないのでホテルに戻るとホテル内にはなんとモールらしきものが付属していることを発見。(おいおい。。。汗。なんのためのダウンタウン徘徊だったんだ。。。)私は早速、気を取り直して「なぁ~んだ、あるじゃん、観光できる(?)ところがぁ~」とだんなの手を引っ張ってモールの中へと入っていった。ところが。。。。そのモールも、3階建てで、1階はフードコート、2階、3階はショッピングエリア、しかも、ショッピングといっても、店舗数がひたすら。。。。少ない。。。。。(爆涙)どれだけがんばっても1時間もすれば隈なくモールを把握することができ、しかも収穫といえば、ペットシッター兼ハウスシッターをしてくださっているお友達にお土産を見つけることができたのと、後は歩き疲れただけだったのだ。。。だんなはさっさと観光する事をやめて1階のフードコートで見つけたバーでチビチビ飲んでいたので私も仕方なく彼に合流する事にした。しばらくチビチビ飲んだ後、試合前に晩御飯を食べておこうと(結局何もする事がないから食べる事で時間が潰せるだろうという考えだった。)言う事で意見が一致し、「Lydia」の近くにあったバーベキュー屋さんへ行く事にした。カンサスシティにも一応有名なものがあって、一つはプロのフットボールチームとそのファン、もう一つは先述したが「オズの魔法使い」、それからこの、バーベキューなのだ。だんなはカンサスに行く前からバーベキューソース、バーベキューソース、と楽しみにしていたから、そのお店ででてきた上出来のバーベキュー達を「おいしい、おいしい」と、とっても喜んで2人でこれまた、たらふく食べて大満足なのだった。さて、その大満足のバーベキューの後はメインの野球観戦である。だんなと私は大のスポーツファンで、だんなは小さい頃からメジャーリーグのある州全てを旅して各州のスタジアムが見たい、ヤンキーズの試合を相手チームのスタジアムで見たい、という夢があったらしい。私はホッケーにのめり込んでから、だんなと同じく、違う州のホッケーアリーナでアバランチが見たい、という夢を持っているので、旅行にはスポーツが付き物な夫婦なのである。カンサスシティロイヤルズの球場はこじんまりとした、昔風な建物だった。80年代、カンサスシティロイヤルズはヤンキーズをいっつも負かしていたので、その頃の宿敵はボストンレッドソックスではなく、ロイヤルズだったんだよ、とだんなが教えてくれた。カンサスファンの人は熱心に応援していたのだが、ヤンキーズファンもたくさんいて、ポサダ(ヤンキーズのキャッチャー。)が2回も3ランホームランを打った時は「レッツゴーヤンキーズ!!」の合唱で球場が囲まれた。ロイヤルズもあきらめずにがんばったので試合はとってもいい試合だった。私達の席もアレックスロドリガズとジッターのすぐ近くだったし、なんと言っても相手チームの球場で勝利を見れたのはうれしい限りだった。だんなも私も子供に返ったかのように大声援を送り、これまた大満足な結果で浮き足立ってホテルへ帰った。次の朝、ホテルをチェックアウトした後、空港へと向かった。帰りもフロンティアで時間通り、ぴったりだった。行きは狼の「ロボ」ちゃんの飛行機、帰りはヘラジカの「モンタナ」ちゃんの飛行機だった。飛行機の中で私達は間近で見れたヤンキーズ(しかも勝った。)の話で花が咲き、「ニューヨークはもうすぐだね、楽しみだね!」「この旅行も楽しかったな、こんなのなら近いうちにまたできそうだ。」と飛行機大っ嫌いの夫婦2人が、これから何が起こるのかも知らずにニコニコと、あっと言う間の1時間半ほどの飛行時間を潰してニューヨークへの思いは募っていたのだった。そうして私達のニューヨーク珍旅行物語は始まる事になる。。。。
2006年09月25日
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皆様、こんな拙いHPにいつも足を運んでくださって、本当にありがとうございます。なんだか9月になって急に旅行が増えてしまって、なかなか更新できずにいます。先週、2泊3日でカンサスまで行ってきました。理由は。。。。もちろん(?)ニューヨークヤンキーズ対カンサスロイヤルズ!!!の試合を見に、です。で、一週間もしないうちに、今度は本場ニューヨークへ行くことになりました。理由は。。。。もちろん(?)ニューヨークヤンキーズ対ボストンレッドソックス!!!の試合を見に、です。いやいや、建前は一応結婚14周年記念、ということなんですが、ね。(苦笑)と、いうわけで、HPの更新がいつもより一層拍車がかからなくなっちゃうわけです。(涙)それでなくとも何のトリエもないこのHPが、またもや野放し状態になる、ということなのですが、ニューヨークから戻ってきたらカンサスでの思い出と共にゆっくり再開したいと思っていますので。。。。皆様、見放さないでくださいましぃ~~~~!!!(涙涙涙涙涙)ニューヨークへは15日の金曜日に発ち、デンバーへは19日の火曜日に帰ってきます。きっとまた大都会ニューヨークのことです、何か必ず楽しいお話をお伝えできることと思います。だから、気長にお待ちくださいませ。。。ねっ、ねっ、ねっ!(←と、しがみついている。苦笑)
2006年09月14日
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アービーがコロラドを去って、彼の練習用のグラブを受け取ってから、もうずいぶん経った。(詳しくは「バイバイラブ、バイバイ、アービー」と「アービーからの贈り物」へ。)ホッケーのシーズンは9月末まで始まらないし、アービーはスイスに帰って練習しているし、ホッケーシーズンが始まっても彼はカナダのモントリオールにいるから、あんなに身近な存在だった彼が急に遠のいてしまい私にとって寂しいオフシーズンになってしまった。ところが、8月の中旬、アービーのファンクラブから会員へのお知らせが入った。そこにはアービーがモントリオールと1年契約を組んだこと、スイスで練習していることなど会員でなくとも知っているような事が綴ってあったのだが、一つだけ、会員しか入手できないニュースがあった。彼がなんと、土曜日の朝、8時半からの一時間だけだが、ファンとのチャットに加わるという事だった。ミーハーな私は何日も前から、チャットで何を聞こうか、私を覚えてくれているだろうか、とソワソワしながら、久しぶりに私の知っている、ファン思いのアービーと一時を過ごす事ができることに大喜びしていた。当日の土曜日が来た。私はいつもなら朝寝坊なのに7時には目を覚まし、別に会うわけでもないのにお化粧さえはしなかったがサッサとシャワーを浴びて、煎り立てのコーヒーをすすりながらコンピューターの前を陣取り、今か、今かと8時半になるのを待った。8時32分、アービーがチャットルームに入室してスイスジャーマン、ドイツ語、フランス語、英語の4ヶ国語で「ファンのみんな、おはよう」と言い、ファンも各自「アービー、おはよう!」と入室し、ドキドキワクワクのチャットが始まった。私も他のファンにもれず英語で「おはよう、アービー」とタイプを打った。アービーは、「じゃ、早速始めようか?」とファンを促し、ファンはそれぞれ、聞きたいことを聞き始めた。アービーは一つ、一つの質問にきちんと答えていた。私もドキドキ、まるで、彼がすぐ目の前にいるかのようにしながら震える指で「練習はいつも通り?それとも何か違ったことをしているの?」と打ってみた。アービーは私より先に質問していたファンに応対した後、「練習はいつも通り、スイスでコーチと一緒だよ。」と答えてくれた。 私の心臓は爆発するかと思うくらいときめいた。昔、健康食品店でレジのおばちゃんとして働いていて、初めて彼と出会って話すことができた時もそうだった。「練習はまだなの?」と私が聞いて、彼が「いや、実はもう始まってるんだよ。」と答えてくれたんだっけ。。。訛りのある英語が妙に甘くって、くすぐられたような気分になった、あの日。(詳しくは「アビシャーとの恋物語」へ。)あれから、もう随分経ったのに彼はまだこうしてファンと交流を深めている。そんな事をついおセンチになって思っていたのだが、チャットは一時間だけ。聞きたいことは山ほどある。ところが。。。。チャットルームに入室してきたファンの99.8パーセントくらいはスイスジャーマン語か、フランス語か、ドイツ語かでアービーに質問している。しかも、どんどん、どんどん、私のわからない言葉でチャットが進んでいて、私はなんだか気後れがしてしまった。どうしよう、他の国の言葉で同じ質問をもうすでに聞かれているかもしれないし、英語でチャットしている人が私を含め2人くらいしかいないようだし、何を、どう聞けばいいのかわからなくなってしまって、ただ漠然と順調に進んでいるように見えるチャットを眺めていた。確かに何人ものファンがいるんだし、聞きたかったことの一つは聞けたし、答えてももらったし、もういいか。。。と諦めかけた時。なんと、アービー自身からファンに質問を投げかけた。「英語での質問はないのかな?」私は0.2パーセントしかいない英語圏のファンに気を使ってくれるアービーを、またもや大好きになり、大喜びの大急ぎでその質問に答えた。「なんだか違う国へ来たような気分になって、ちょっとびっくりしちゃって質問ができなかったの。」すると。。。。「The Avs Girl,心配しないで、英語で質問してくれていいからね。」アービーはわざわざ、私のチャットネームを書きおいてから答えてくれたのだっ!どひゃ~~~っ!うはぁ~~っ!!私に向けて、答えてくれたっ!!!高鳴る動悸を抑えながら、目の前にいるわけじゃないのに真っ赤になりながら、ブルブル震える指先で、「安心したわ。じゃあ、早速。今年のシーズン、あなたはモントリオ-ルのゴーリーとして活躍することになるわけですが、ヒュエットもモントリオールと契約しましたね。と、言う事はまた、スターターゴーリーが二人という形になりましたが、どれくらいの試合数にあなたがスターターとして始めることができると思いますか?」と、聞いてみた。しばらくしてアービーからの返事があった。「ヒュエットも僕も全力でスターターの地位を勝ち取らなければならないから、いい刺激になると思うよ。どれくらいの試合数をこなすことができるかはコーチ次第だけれど、いい試合さえすれば試合数はどんどん増えると信じたいね。」あの、魔のトレード以来、私はアービーがどれだけ辛い思いをしているのかと思うと胸が痛み、ボロボロにされてしまった自信を取り戻せたかどうか、とても心配だったから、前向きにこの質問に答えてくれたことで少し安心することができた。「コロラドから、ずっと応援しています。練習、がんばってくださいね。ところで10月の下旬にはアバランチがモントリオールへやってきますね。試合には出場できると思いますか?」「ありがとう。そうだね、アバランチとの対戦ではぜひ、僕がスターターとして出場したいと願っているよ!」まだまだ、聞きたいことがたくさんあったのに、これが最後の応答になってしまった。あっという間の1時間だった。アービーは「今日は楽しかったよ、応援をありがとう。またね。」と言ってチャットルームを退室し、私達ファンも「がんばってね、アービー!」「またね、アービー」とそれぞれに退室していき、いつもの静かな朝が私に戻ってきた。ホッケーのない夏と、遠のいてしまった私の恋を、またもや新鮮に蘇らせてくれたアービーに感謝。。。それにしても、こんな選手も稀だなぁ~と思う。ファンが、「あなたのファンクラブを作りたいんだが?」と聞いてきて、「誰も来ないよぉ~」と言いながらも快く承諾し、できたファンクラブ。そのファンクラブの会員にはバックアップゴーリーやマイナーだった頃はほぼ毎月のように彼自身がファンにニュースを送り、スターターとなってからでも年に3,4回、ニュースを送ってくれている。彼自身だというのがわかるのはちょっとした文法のまちがいだったり、ミススペリングだったりするのが、これまた親近感をもたらす。練習後のサインも彼は惜しみなく与え、街角でファンと会えばきさくに会話をし、ファンクラブが頼めばファンレターに感謝状と贈り物まで与え、ファンクラブが行う一年に一回のミーティングにも参加する。。。。熱狂アバランチファンのじゅんぞうさんやねぐせ君(彼らのHPはこちら)は「ちょっと天然かかってるかもぉ~」と言っていたが、私はそれでもいい、このまま、ファンにマメ(!)な選手でずっといて欲しいと祈るばかりだ。9月にも入り、前述のじゅんぞうさん、ねぐせ君のコロラド遠征日も決まり、アービーともチャットができた。今年はアバランチだけじゃなく、モントリオールも見なくちゃいけないものね。ああ、アービーの練習を見ることができないのが辛い。アービーの試合を、そう簡単に見に行けなくなったことが悲しい。だからこそ、もっと応援してあげなければ。ホッケーママは健在だ。秋の足音と共に私のホッケー熱もどんどん近づいてきている。。。。
2006年09月04日
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書きたいことはたくさんあるのに、ゆっくり腰をおろして日記が書けない。子供もいない(4本足の子供はたくさんいるのだが。汗。)、仕事もしてない、家事も半分放任主義化し、まったくもって、ぐーたら主婦の道をまっしぐらな私なのに、いやはや、日記さえもが放置状態。いかん。これではいかん。と、日記を書くつもりで背筋を伸ばし、キーボードに手を当て。。。。ZZZZZZZZZZZ.........す、睡魔が。。。。「The Avs Girl, お前、また、コンピューターの前で寝てるっ!」だんなの叱咤で飛び起きるのだが、あう~~。。。ヨ、ヨダレまで垂れてる。。。。「寝てない、寝てない、ただ目を休めてただけなのよっ!」などと、くだらない言い訳をしながらも、学生時代の自分と全く同じ事をしていることに気づく。学生時代(ああ、この言葉にさえ初々しさを感じてしまう。。。)、私は深夜遅くまでバンド仲間と一緒にワイワイしたり、宿題をするフリをしながら大好きな深夜ラジオ番組を聞きながら夜更かしをしていたものだった。学校へ行くのは苦痛以外の何者でもなかったから、サボら(れ)ない日には休憩時間以外、前日に充分取れなかった睡眠をとにかく取る事に専念したものであった。授業中に寝るのはかなりの技術がいる。本を立てて、机にうつ伏せて寝るのは初級。肘付きながら、コックリ、コックリ、でも、先生に当てられると、キチンと質問に答えられるのは中級。背筋をまっすぐ伸ばし、いかにも先生のおっしゃる事に同意を示すような態度で、真剣に先生の言葉をノートに書きとどめているかのように見せかけて実は爆睡中、というのは上級。私はこの、中級と上級の間くらいで、肘を付きながら、でも、時折先生の顔色を伺い、ノートに書き止めるように見せかけては爆睡していた。だから、授業が終わった後なんて、ノートには不気味な(?)呪文のような、どこか違う国の言葉のような、わけのわからない言葉がズラリと、ミミズが這ったように並んでいたことはしばしばあった。自慢なのかどうかはわからないが、私は枕が変わっても、結構すんなり眠れるほうである。ただ困ることが、この、眠れる、というのが、妙に変わった時間である、と言う事。消灯時間(!?)が来て、「じゃ、お休みなさい。」とベッドに横たわると眠れない。キックボクシングを始めてから、本当に生まれて初めて熟睡できるようになったが、寝付きはまだまだ悪く、ベッドに入ってから軽く1時間くらいはモゾモゾしている。ところが、だんなとドライブなんかすると、この睡魔は急にやってくる。素敵な景色なんてそっちのけでZZZZ...朝、キックボクシングを終え、シャワーを浴び、本当ならここで「さぁ~今日もがんばろぉ~~」と意欲満々になるはずなのに、レイチャールズがベッドで気持ちよさそうに丸くなって寝ているのを見ると、「ちょ、ちょっとだけね。」と言い訳をしながらZZZ...おもしろくない映画をみているとZZZ...小難しい本を読むとZZZ...書くことが思い浮かばずにコンピューターの前で日記とニラメッコをし始めるとZZZ...「書くこと一杯あるんだけど、今日は書きたくないなぁ~」なんて怠け太郎の私が出てくるとZZZ...そこでっ!!!今日は怠け太郎の私をも寄せ付けない名案が浮かんだのだった。バトン。ついに(?)回ってきたバトン。お友達のカフェ。すみぞさんから、送られてきた、この、うれし、楽し、のバトン。これをやろうじゃあ~りませんかっ!そして、この日記にちょっと活気を与えようじゃ、あ~りませんかっ!と、前置きが長くなってしまいましたが。(汗)カフェ。すみぞさん、救ってくださってありがとう。(涙)ではでは、始まり、始まりぃ~~。カフェ.すみぞさんからもらったバトン ルール・・・・・1.まわしてくれた人の3つの質問に答える 2.まわしてくれた人へメッセージを 3.次の人への質問を3つ考える 4.バトンをまわす人を3人決める<カフェ.すみぞさんからの質問>・ズバリ!心に残る初恋は何時でしたか?うはぁ~~っ!(汗汗汗)それはもちろん、小学生1年生の同級生、ムトウ君であります。爪を噛む癖があった(ある)私は給食の牛乳瓶のフタ(当時は厚紙だった。)を開けれなかったんです。すると、隣の席だった彼は頼んでもいないのに私の牛乳瓶をスッと取ってフタを開け、何も言わず私に渡してくれたんです。懐かしいなぁ~。今頃、彼、どうしてるんだろう???思い起して胸がキュンっとしましたです。初恋、だったんですね。(笑)・あなたの青春のメロディーは何ですか?1つ教えて下さい。 もちろん、BonJoviの「Livin' on a prayer」(爆)オリジナル、B-sideに入っていたリッチーとのアコースティック、Prayer 96',Olivia d'Aboとのデュェット、どれにも泣かされました。(爆)でも、コンサートで聞く、ギターソロが終わった後の“Oh, We half way there, Livin' on a prayer"、あの音、あの声、あの大合唱に勝るものはありません。・最近のあなたを動物にたとえるとしたら何ですか? わはははははははは。。。おもしろい質問ですね。 なんだろう???えーと。。。 ライオンやトラに憧れるダチョウ、かな。(爆) ・理由もあったらどうぞ。 キックボクシングで師匠がすること全てに憧れるから。(爆)<まわしてくれた人へメッセージ>こんな私にバトンを渡してくださって、本当にありがとうございました。救われた私は今後毎日欠かさず日記を。。。。と、言いたいところですが、グータラ、怠け太郎はワタクシの本質なようなので。(汗汗汗汗汗)<次の人への質問3つ> 1.感動して涙した本、言葉、映画、音楽のどれかを教えてください。2.なぜ、その(本/言葉/映画/音楽)で感動したのか、教えてください。3.自分の中で一番好きな部分(身体、精神、性格、どれでもいいです。)を教えてください。<バトンを回す人> こんなことくらいでは自分のHPをアップデートするわけないであろう(でも、してくれたらうれしいな。苦笑)怠け太郎同盟の友人M,こと「まゆげ」さん。 いつもクールな、でも結構暖かい人柄の「ペーログ」さん。(いつもありがとう。) こんな大人の女になりたい、といつも思わせて下さる「華文字さん」。 不都合でなければ、遊んでやってくださいませ。よろしくね。ZZZZZ.....
2006年08月26日
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ニューヨークのツインタワーが襲われた、あの日の事を思い出す。あの時だって、だんなが「しばらくは新聞も、ウェブもテレビも見ちゃだめだ。」と私に何度も言い聞かせた。だんなは、私が自分自身に起こった事のように感じ、苦しくなって悪夢ばっかり見るのを知っていたからだ。ニュースに映る、荒れ果てたニューヨークは私にはあまりにも近すぎた。それは、祖母達が話してくれたことを再現するには充分だったから。同時テロで数々の亡くなった人々の写真がニュースで映し出される。みんな、素敵な笑顔で微笑みながら。祖母の言っていた事が蘇る。「ええか、忘れたらあかんやで。あんたらや、あんたらの子供たちには絶対、おんなじこと、したらあかんねんで。」祖母の願いを叶えて上げられなかった。。。。。蓋をしていた傷口がうずんだ。時が流れ、同時テロから1年は経っていただろうか、私は大好きなブルーススプリングスティーンが新作を発表し、ツアーをする、ということを聞いたので早速CDを買って聴いてみた。涙が、止まらなかった。彼は昨日まで元気だった愛する者たちが急に姿を消してしまった時の、取り返すことのできない日常を歌い、そして冥福を祈り、再び起き上がれるようにと願った。その中でも私が未だに泣いてしまう曲のひとつを今日は紹介したいと思う。「Into the fire」。この曲の中で彼はニューヨークの消防隊員達が自分の命を投げ打ってでもビルの中にいる人たちを助けようとしながら命を落とされたことを歌っている。下手糞な直訳だが、内容だけわかっていただければありがたいと思う。戦争やテロで命を落とすのは本当に何の罪もなく関係もない、毎日を日々凡々と過ごす事で幸せを感じられる、か弱きものでしかないのだから。一人でも多くがブルースと同じように願えるように、切望して。こんな拙いHPで小さな声でしか「戦争絶対反対」としか言えないけれど。ひとつひとつの声がどれだけ小さくても、みんなが集まればその囁きだって叫びに変わるということを、信じながら。。。。 「Into the fire」 By Bruce Springsteen, Album from The RisingThe sky was falling and streaked with blood I heard you calling me then you disappeared into the dust Up the stairs, into the fire Up the stairs, into the fire I need your kiss, but love and duty called you someplace higher Somewhere up the stairs into the fireMay your strength give us strength May your faith give us faithMay your hope give us hopeMay your love give us loveMay your strength give us strengthMay your faith give us faithMay your hope give us hopeMay your love give us loveYou gave your love to see in fields of red and autumn brown You gave your love to me and lay your young body down Up the stairs, into the fireUp the stairs, into the fireI need you near but love and duty called you someplace higherSomewhere up the stairs into the fireMay your strength give us strengthMay your faith give us faithMay your hope give us hopeMay your love give us loveMay your strength give us strengthMay your faith give us faithMay your hope give us hopeMay your love give us loveMay your strength give us strengthMay your faith give us faithMay your hope give us hopeMay your love give us loveIt was dark, too dark to see, you held me in the light you gaveYou lay your hand on meThen walked into the darkness of your smoky graveSomewhere up the stairs into the fireSomewhere up the stairs into the fireI need your kiss, but love and duty called you someplace higherSomewhere up the stairs into the fireMay your strength give us strengthMay your faith give us faithMay your hope give us hopeMay your love give us loveMay your strength give us strengthMay your faith give us faithMay your hope give us hopeMay your love give us loveMay your strength give us strengthMay your faith give us faithMay your hope give us hopeMay your love give us loveMay your strength give us strengthMay your faith give us faithMay your hope give us hopeMay your love give us loveMay your love give us love真っ赤な血を流し空が朽ち落ちていた。あなたが私を呼んだのを聞くと同時にあなたは煙の中へと消えていった。階段の上へ。炎のなかへ。階段の上へ。炎のなかへ。あなたのキスが欲しかったのに、愛と任務があなたを呼んだ。もっと高く神聖な所へ。階段のどこか、炎の中へ。貴方の強さが私達に強さを与えてくださいますように。貴方の信念が私達に信念を与えてくださいますように。貴方の希望が私達に希望を与えてくださいますように。貴方の愛が、私達に愛を与えてくださいますように。貴方の強さが私達に強さを与えてくださいますように。貴方の信念が私達に信念を与えてくださいますように。貴方の希望が私達に希望を与えてくださいますように。貴方の愛が、私達に愛を与えてくださいますように。あなたは愛に、その赤く燃え上がる秋の戦場を見せた。あなたは私に愛を与え、その若い体を永遠に眠らせた。階段の上へ。炎の中へ。階段の上へ。炎の中へ。あなたに傍にいてほしかったのに、愛と任務が貴方を呼んだ。もっと高く、神聖な所へ。階段のどこか、炎の中へ。貴方の強さが私達に強さを与えてくださいますように。貴方の信念が私達に信念を与えてくださいますように。貴方の希望が私達に希望を与えてくださいますように。貴方の愛が、私達に愛を与えてくださいますように。貴方の強さが私達に強さを与えてくださいますように。貴方の信念が私達に信念を与えてくださいますように。貴方の希望が私達に希望を与えてくださいますように。貴方の愛が、私達に愛を与えてくださいますように。貴方の強さが私達に強さを与えてくださいますように。貴方の信念が私達に信念を与えてくださいますように。貴方の希望が私達に希望を与えてくださいますように。貴方の愛が、私達に愛を与えてくださいますように。それは暗く、暗すぎて見えない。あなたは与えてくれた光の中で私を抱きしめ、私に手を重ねた。そして、煙の墓がある暗闇へと向かって歩き始めた。階段の上へ。炎のなかへ。階段の上へ。炎のなかへ。あなたのキスが欲しかったのに、愛と任務があなたを呼んだ。もっと高く神聖な所へ。階段のどこか、炎の中へ。貴方の強さが私達に強さを与えてくださいますように。貴方の信念が私達に信念を与えてくださいますように。貴方の希望が私達に希望を与えてくださいますように。貴方の愛が、私達に愛を与えてくださいますように。貴方の強さが私達に強さを与えてくださいますように。貴方の信念が私達に信念を与えてくださいますように。貴方の希望が私達に希望を与えてくださいますように。貴方の愛が、私達に愛を与えてくださいますように。貴方の強さが私達に強さを与えてくださいますように。貴方の信念が私達に信念を与えてくださいますように。貴方の希望が私達に希望を与えてくださいますように。貴方の愛が、私達に愛を与えてくださいますように。貴方の強さが私達に強さを与えてくださいますように。貴方の信念が私達に信念を与えてくださいますように。貴方の希望が私達に希望を与えてくださいますように。貴方の愛が、私達に愛を与えてくださいますように。貴方の愛が私達に愛を与えてくださいますように。。。。。。
2006年08月16日
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日本はお盆と終戦記念日が重なって、多くの人が戦争について考えるというのに、私が住むアメリカは、そんな過去のことよりも飛行機に乗せる赤ちゃん用のミルクや女の人の口紅をチェックすることのほうで忙しいらしい。まったく、うんざりしてしまう。私は戦争映画なるものは見れない。それが、どれだけ素晴らしい内容であろうが、見れないのだ。そうは言ってもだんながその手の映画を結構見たがるので何度か見たことがある。トムハンクス主演の「ファインディングプライベートライアン」、「シェンダラーズリスト」、ショーンペン主演の「シンレッドライン」など見てはいたが、どの戦争映画も見た後は必ず気分が悪くなってしまう。だんなや友人は「感情移入がよくできるからだ。」とか「想像力が豊かなのね。」とか口々に言うし、言葉にすると、どうも自分でもしっくりしないのだが、とにかく「自分はあの時代をどこかで生きたんじゃないか。」というようなゾッとするような気分になるのだ。それでないと、なんで自分は映画を映画として見れないのか説明がつかないじゃないか、と思ってしまう。前回の日記で「なんにでも泣く」ことを書いたが、これとはちょっと質がちがう。ホラー映画だと、怖くて泣いてしまうが戦争映画は怖くて泣くわけではない。胸がむかついて、苦しくなるから、泣くことしかできない-そんな感じ。私は数々の戦争映画を見る、ずっと前から戦争についての観念はできあがっていたのかもしれない。私がまだ、小さかった頃、戦争を経験された方はまだたくさんいらっしゃった。小学校の社会の時間だったかの時、被爆されたおばさんやおじさんがクラスに来て話を何度もされたことを覚えているし、何かにつけ私の祖母が平和になった、この時代に感謝するように、と口癖のように私たち、孫達に説いていたことも覚えている。私の祖母は吹っ飛ばされたトタン屋根の寝室で、子供五人を抱きしめながら空からこぼれる月の明かりをぼんやり眺め、泣くつもりでなくとも涙が次から、次からこぼれてくやしかった、と話してくれたことがある。「なんで、こんなエライ目にあわんとあかんのやろなぁ、思うてな。この子らは一体、どないなるんやろう、ひもじい思いばっかりさせて。怖い思いばっかりさせて。」と。私はその時、涙を流しながら語ってくれた祖母の背中をさすりながら、まるで自分も破れたトタン屋根からこぼれる月の明かりを眺めているような気になった。母が祖母に続く。「あの頃は芋づるのお吸い物だけでも食べれるだけ、幸せやったんやで。調味料も、味もなんもあらへん。せやけどな、食べられんと死んでしもうた人達の事を思うと文句なんて、言うてられへんし、私らかって生きやんとあかんかったんやで。」と目を赤くした。母も祖母も広島や長崎に住んでおられた人達からは比べられないくらいマシな生活をしていたはずなのに、それでも私には悲惨さしか思い浮かべることができなかった。父からは防空壕に入ろうとしたら、そこにはもう、動かない人々が重なり合って亡くなっていたことを教えてもらった。祖母は「ええか、忘れたらあかんやで。あんたらや、あんたらの子供たちには絶対、おんなじこと、したらあかんねんで。」と言いながら私の頭を撫でてくれた。学校で被爆された方々のお話を聞くたび想像を超える、目に見えない恐怖を感じ取り、私は何かにしがみつきたくてしようがなかった。何年か前に日本一時帰国をした際、私は怠け者太郎同盟の友人Mに無理を言って長崎に連れて行ってもらった。長崎から少し離れた外海町という小さな町に私の大好きな作家、遠藤周作さんの記念碑ができたと言う事を聞いていたので、どうしても見ておきたかったのだ。この旅行ではたくさんの楽しい思い出ができたのだが、長崎に来た以上、私は見ないわけにはいかなかった。-長崎平和公園、原爆資料館-祖母や、母や、父、そして被爆されたおばさん、おじさんが、辛い思い出だというのに、それを振り切って、勇気を出して語ってくれた話を思い出していた。破れたトタン屋根、溶けてしまってアスファルトにひっついてしまったガラス瓶、真っ黒な川。。。。。私と友人Mは重い気分を引きずって旅館に向かった。旅館に着き、テレビをつけたその瞬間、アメリカがユナイテッドネーションの言う事なんか聞く耳持たずでイラク相手に戦争を始めた。「テロとの戦い」とくだらない名目を持って。私はそんなことをしている暇があるなら、どうして一度でも広島や長崎の、この資料館を訪れ、平和を説いていかないんだろう、情けない大統領たち。そう、ひとりごちていた。。。
2006年08月16日
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先週の土曜日、久しぶりにコロラド在住の日本人のお友達と食事をした。食事先は最近できたばかりの韓国料理のレストラン。出てくるたくさんの惣菜をつまみながら話がはずんだ。友人は先日、会社からの健康診断でコレストロールが高いと診断され、少しばかりしょげていた。「先生にねぇ~、サプリメントを採るように、って言われちゃったの。食事も揚げ物や脂っこいのを避けて低脂肪、低カロリーのものを食べなさい、だってぇ~~。」そう言いながら、キムチをほうばる彼女を見ながら、私は「適度の運動もいいって、聞いたわよぉ~。」などと応対しながら、ふと、自分達が健康について語り合う世代になってしまったか、なんてことを考えていた。そんな話だったから、つい、私もしんみりと「私も最近なんだか、以前よりも涙もろくなったような気がするわ。」と言っていた。彼女は私の顔をマジマジと見ながら「更年期に入るには、ちょっとまだ若すぎるわよ。」と答えた。若い、と言われても、私ももう、アービーの背番号+サキックの背番号+ハイノの背番号+ブレイクの背番号になってしまった。(ここで私の年齢がすぐわかる人はアバランチ狂だけであって欲しい、と願う私。汗。)そう、彼女に言うと、「そうねぇ~、早い人は早い、って言うけどねぇ~。で?どんな時に泣くの?」私はナムルをほう張りながら、「そうねぇ~、本や、音楽、映画やテレビ、あと、コマーシャルとか。」と答えると彼女はおおげさに、「え~~っ!?コマーシャルゥ~ッ!?」と目を大きくし、さらに「どのコマーシャルで泣くのよ?え?コマーシャルって、たかだか、1分、2分なのよ?」と挑んで(?)きた。私はそのうちの2つのコマーシャルを例えに出した。一つは、保険だったか、なんだったかのコマーシャルで、道行く見ず知らずの人々がちょっとした親切をして、その連鎖反応でどんどん親切が広がっていく、というもの。このコマーシャルを見るたび「あああ、本当に、なぜにゆえに人間はこういった小さな親切を忘れてしまって自分勝手で、自分のことばかり先走るようになってしまったんだろう。こんなちょっとの親切をみんながしていたら、殺人や暴力なんて、なくなってしまえるだろうに。」と涙する。もう一つは、動物シェルターのコマーシャルで、バックグラウンドで歌っているのがボニ-レイットで、「少しの愛を、マイフレンド」と唱え、シェルターに収容されている動物達が、新たな里親を見つけ、第二のチャンスを掴み、幸せにしている風景が映る。それで、私は「ほんとよねぇ~、少しの愛で、この子達は救われるのよね。少しでも多くの人々が、ちょっとの愛を分かち合えることができるなら、シェルターなんて、ほんとは要らないのよね。」と涙する。。。私の友人は呆れ返って言葉を忘れてしまったかのようだった。「あなた、ほんとにそれで涙するわけ?」とやっと口にすることができた彼女は出されてきた冷麺にパクついた。だから、私も「そうなのよぉ~、ねぇ~、変でしょう?」と答えてホカホカのブルゴキを摘んだ。友人は心配している、というよりも、おもしろがって、と言う感じで「で?テレビや映画って?」と聞いてきた。私は昼間にやっている、「ジャッジングエイミー」というテレビドラマでは最終的に絶対泣くことを話した。このドラマの最後は必ず、いざこざの起こるこの家族がなんらかの処置をとって不完全ながらも家族として、また強く築きあげていくことができるのである。私の友人は笑いをこらえていたように思うが、私は真剣だ。このドラマはいつだって、「ええ話やおまへんかぁ~。」と言いたくなる、言ってみれば「虎さんシリーズ」のようなものなのだから。映画となると、ちょっとやそっとの数では収まらない。ここで書いていくとページ数が足りなく(?)なってしまいそうなので、掻い摘んで綴ってみよう。とりあえず、動物、子供が出ている映画なら、まず泣く。確実に、泣く。どんなつまらないものであったとしても、泣く。しかも、「号泣」するのだ。日本映画で最近見た映画では「菊次郎の夏」「誰も知らない」、宮崎駿のアニメは今まで見たものは全て泣いた、と言っても過言ではない。アメリカに住んでいるのでなかなか日本の映画を観るチャンスがなくて残念なのだが、「シャルウィダンス?」は今でも私のお気に入り映画で、見るたびに涙する。米映画となると、見る数も多いだけに泣く数も多くなるもので、動物、子供が出ている映画はもちろん、今度は「スポーツもの」が加わって、これまた涙する。「フィールドオブザドリーム」(お父さんが、「ここは天国ですか?」と聞き、ケビンコスナーが、「いや、アイオアなんだけど。天国ってあるのかな?」と問いかける。そうすると、お父さんが「あるとも。天国は、夢がかなうところだよ。」と答えケビンコスナーが、「じゃぁ、ここが天国なのかもしれません。」とつぶやくラストシーンは涙なしでは見れない。)「ルーディ」「フォーザラブオブザゲーム」「シンデレラマン」(映画の半分以上は泣いていた。)「ミリオンダラーベイビー」(まさかこんな展開になるなんて、と思い悔やみながら泣き続けた。)「ミラクル」(アナウンサーが、「キャンユービリーブミラクルッ!?」と叫ぶシーンは嗚咽が止まらない。)「ミステリーアラスカ」「プライドオブザヤンキーズ」(ルーギャレックが病に伏してからの奥様のけなげな看護が。。。爆涙。これはスポーツ映画というよりもラブストーリーと言ったほうがいいのかも。しかも、あの、名スピーチ。「ハッピエストマンインザフェイスオブアース」ぅぅぅ。書いているだけで涙が。。。これは絶対、声を出して泣いてしまう。)みぃんな、スポーツがらみの映画で、どれもこれも、私を号泣いたしめる。子供、動物ものなんて、ディズニーものならまず泣く。「ダンボ」「バンビ」はもちろんのこと、「フォックスアンドハウンド」「レイディアンドトランプ」、もう、なんでもこいで泣いてしまう。「ザワイルドソーンベリー」なんか、映画を見終わってからでも泣いていた。ジャンルにとらわれない、となるとますます泣く幅は大きくなる。「エドワードシザーハンズ」「グラディエイター」「アウトサイダーズ」(ああ、懐かしい。)「ヤングガンズ1&2」「アンフォギビング」「デッドマンウォーキング」「ファインディングネバーランド」(日本に一時帰国した時、飛行機の中でこの映画を見ながら一人号泣した。しかもその後日本に到着するまで3回続けて見ては泣いた。静かに鼻を噛もうとするのは大変だった。)「ブロンクステール」「パッチアダムス」「セントオブウーマン」(アルパチーノが、「I'm just warming up!」と叫び、名演説をするシーン。号泣。)「アップサイドオブザアンガー」「グッドウィルハンティング」「ドラッグストアカウボーイ」「クラッシュ」「ゴースト」「シェンダラーズリスト」(これで泣かない人はいるのだろうか?)そして、リストは続く。。。友人は本当に呆れ返って「どこで泣くのよっ!?」と聞いてきたが、アクション映画でも私は泣く。例えば、「アルマゲドン」「ターミネーター2」「リーサルウェポン」などは一例に過ぎない。「アルマゲドン」では、かのスティーブンタイラー(エアロスミスのボーカル)の娘(信じられないくらいビューティフル。)が、ブルースウィルス(父親役)相手に最期のお別れを言わなければならないシーンで、スクリーンに手を当てた彼女が涙ボロボロこぼしながら「ダディ。。。。」とつぶやく。はい、お涙一丁。「ターミネーター2」では(これを言うと、みんな笑うのだが。)ターミネーターが、最期に「アスタラビスタ、ベイビー」と親指を立てながらブクブク湧き出る溶けた鉄の中に自身を沈めていくシーン。子供が、「行かないでっ!!!」と叫ぶと、つい、彼と一緒になって「行かないでっ!」と言いたくなってしまう。はい、お涙一丁。「リーサルウェポン」ではメルギブソンが拳銃をあごに突き刺したまま、死ぬに死に切れなくて涙するシーン。誰でもきっと泣くはずだ、と思っているのに私の友人は、笑いをこらえきれずにゲラゲラ笑いはじめた。だが、こんなのは氷山の一角にすぎないのだ。音楽なんかになると、大変だ。一曲、だけでなく、CD一枚聴いて泣けるものがあったりするからだ。最近のだと二ールヤングの「リビングウィズウォー」、ブルーススプリングスティーンの「ザライジング」「ウィシャルオーバーカム」、泣きます、泣きます。車の中だろうが、料理中だろうが、こうして日記を更新中だろうが。ボンジョビは定番で、「リビングオンアプレイヤー」、「ディーズデイズ」、「ワン」「ボーントゥビーマイベイビー」(アコースティックバージョン)、「アイキャンチェンジザワールド」「ディスエイントアラブソング」。。。とリストは続く。しかも、ジョンボンジョビのソロでだって、泣く。「サンタフェ」、「バングアドラム」、「アグリー」「エブリワードワズピースオブマイハート」。。。言い出したらキリがない。本だと、遠藤周作が一番困る。「おバカさん」「沈黙」「私が、棄てた、女」「彼の生きかた」(←ぜひお読みください。)「砂の城」「悲しみの歌」「海と毒薬」。。。。リストは続く。漫画でさえも泣く。「みかん絵日記」は全巻泣く。また、これも友人に呆気に取られたうちのひとつであるが、○ハペットフード創立10周年記念で、できたCMをご存知だろうか?「民子」という猫としがない作家の話なのだが、これが、本になっているということを。浅田次郎作の、この本「民子」にはCMになった「民子」はもちろん、他にも短編で、「もうひとつの民子」が2編納められている。そして、どれを読んでも涙が止まらないのだ。私達は「更年期」を前提に私がなぜこれほどまでに泣くのかを半分冗談、半分真面目に話し合い、大笑いも時にはし、検索好きな彼女は「更年期について、なにかいいサイトを見つけたら、またメールするわ。」と言い、私達は楽しい食事をおひらきした。家路につく途中、車の中で何度か「更年期」と言う言葉が頭によぎり少し不安になって、自分も家に帰ったらちょっとグーグルってみよう、と思っていた。家に着くとキッチンでテレビを見ていただんなが「今日は楽しんできたかい?」と聞いてきた。私は友人と話した事をおおざっぱに話してから、ふと尋ねた。「こういう話をしてたんだけど、やっぱり更年期なのかしらねぇ~?」だんなは大好きなお酒を注ぎながら私を不思議そうに眺め、しかも、流暢な大阪弁で(彼はれっき(?)としたアメリカ人。)こう言ってのけた。「ほんなら、お前のコーネンキっちゅうのは少なくとも15年、続いてるんやぁ~。」私「?????」彼「もう、過去にそんなん何回も見てきてるからお前が急に変わったとか思わへんわ。」そう言ってグビッと一口、おいしそうにお酒をなめ、ニコニコ笑っていた。。。なんかちょっと勘違い???それとも勘違いしているのは私なのだろうか???更年期って、二十代前半から始まって15年も続くのでしょうか?どなたかご存知のお方はおられますか????相変わらずラブリーなだんなを持つ私は更年期ではなく能天気なだけなのかもしれない。。。畑で取れたなすびを使ってピリカラなすびを作りました。畑で取れたきゅうりを使ってたことわかめできゅうりもみを作りました。
2006年08月06日
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土曜日の朝はキックボクシングへ行く前に庭掃除を少しすることにしている。と言っても、裏庭は改造予定が再来年あたりになるだろうと思われるので雑草がノビノビと育ち、芝生の代わりとして役立ってくれている(?)。だから、前庭の芝生刈りと、家の中の植木と、畑の野菜達に栄養剤をあげて、畑の周りの雑草取りをするだけのことなのだ。蚊よけのスプレーを体中にまきつけ、いざ、出陣!というところまで行ったのに、なんと我が家のコードレス雑草刈り機の電池がきちんと充電されていなく、私の予定は大幅に狂い、畑仕事にだけ精を出すことになった。栄養剤を与え、虫がついていないかチェックし、周りにでている雑草を小さいうちから摘み取って、水のシステムがきちんと機能しているかを確かめ、使わなくなった部分の(レタスなどの季節がほぼ終わってしまったのだ。)水を止め、と作業は進んだ。そして私は元気に実を付けてくれている野菜達を眺めては新たな発見をしていた。「あ、ここにもキュウリが。」「あ、とうもろこしができている。」「ピーマンも、なかなかいい調子ねぇ~。」「なすびはどうやっていただこうかしら。もう、これで何本収穫したかしら?」どこかで読んだことなのだが、「花や植物にも感情があり、毎日話しかけて水をやったりするとそれに応対しようとたくさんの花を咲かせ、逆に話しかけず、いきなりちぎったりすると、それに対して否定的な行動-つぼみをつけなかったり、枯れてしまったり-を取るようである。」というような事が書かれてあって、妙に納得したことを覚えていたから、今回畑を作った時、毎日のように水をやりながら「元気にスクスク育って、おいしいもの、たくさんつけてね。」と話かけ、かわいい実をつけているものには「ありがとう。」と礼を言っていた。それでなのか、たまたま、いい土と環境に恵まれたからだけなのかわからないが、初心者のこの私が、こんなに簡単に野菜を収穫できていたことに本当に感謝していた。それにしても、かなりの量の野菜が収穫時のようだ。私ははさみを取りに家の中へ入ったら、ちょうど起きたばかりのだんながコーヒーをすすりながら私のしていることに興味を持ったので、私は元気良く「大収穫かもしれないの。手伝ってくれる?」と聞いた。だんなは「仕方ないなぁ~」というような素振りさえはしていたが、本当はちょっとウキウキしていたみたいで、早速ダンボール箱を手に畑へ出てきてくれた。だんなは畑は私の管轄下だと思っているから、あんまりチェックしない。まぁ、私が毎日畑では何が起こっているのかを事細かく話してしまうのでチェックする必要がないと思っているのかもしれないが、今回は「収穫」と聞いたから全ての野菜達をゆっくり見渡しながら逆に彼が私に「あれもできてる、これもできてる!」と、私がもう、すっかり知っていることを報告してくれた。まずはキュウリから。。。ガサゴソ、ガサゴソ。。。。「あ、ここにもあった。」を何度か繰り返し、5,6本は収穫できたと思う。ピクルス用のキュウリも、それはそれは大きな実が何個も収穫できた。とうもろこしは4,5本、なすびも同じくらい、ズッキーニは3本、スクワッシュは2本、ピーマンは7,8個は収穫できただろうか?それにもまして、ハラピニオより、少し辛さのきつい、と言われているサラノペパーは4,5回は軽く私の手を一杯にしてくれた。気がつけば、だんなが用意してくれた段ボール箱はすっかり一杯になっていて、私もだんなも上機嫌で家に入った。「なんだかお腹空いちゃったね。」と私が言うと、だんなは早速「今もぎ取ってきた野菜を使って、何か作るよ。」とキッチンで腕をならし始めた。私はその間に友人2人に連絡を取り、大収穫の事を伝え、おすそわけすることを約束した。私は2つの袋に小分けにした野菜と我々用の野菜とに分け、そのうちのきゅうりとピーマンを手に取り、冷たいお水でさっと洗って、半分に切り、種を取ってからガブリ、と口にしてみた。きゅうりはみずみずしく、しゃりっという歯ごたえを私に与え、一瞬、夏の暑さを忘れさせてくれたような気がした。ピーマンも外側はピチピチしているが、口の中へ入れるとこれまたしゃりっという歯ごたえを与え、しかも、甘い。とにかく甘い。おいしい~~~~のだ。お店で売っているピーマンを実はその前日に食べたのだが、甘いどころか酸っぱかったのだ。「スィートペパー」と呼ばれるくらいのものなのに、だ。塩も、何もつけず、私はひたすら、この甘いピーマンを噛み締め、口の中に広がる、優しい甘い香りを楽しんだ。だんなが、「食事ができたよ。」と言ったので食卓についた。相変わらず、彼のお料理はシンプルな時でさえ「おぉぉぉぉ~~」と思わせる。全く、彼にはかなわない。彼はえびを茹でたのと、ピーマンのとうもろこし詰めを作った。ほんのりとメキシコ風のスパイスを利かせたとうもろこしは、そのスパイスととうもろこし自身の持つ素晴らしい甘みを調和させていた。私はキックボクシングに行けなかったことなんてすっかり忘れて満面の笑みでだんなとこの素敵な昼下がりを過ごしたのだった。。。ダンボール箱一杯の野菜達その1.段ボール箱一杯の野菜達その2.ダンボール箱一杯の野菜達その3.巨大ズッキーニ。45センチ高、胴回りは約28センチ!!!だんなの作ったランチ。んんんん~~。んまいっ!
2006年07月25日
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日曜日、月曜日と続けてコンサートに行ってきた。ひとつは80年バリバリのビッグヘアーヘビーメタル。ポイズンとシンデレラ。ポイズンは最近VH1などにもちょくちょく出ているし新しくアルバムも出したようだがシンデレラは80年代に出した2枚か3枚のアルバムだけをひっさげてのコンサートだった。私の大好きなボンジョビも同時期に大成功したバンドだが、彼らの勢力は衰えるどころか年々また新しいファンを獲得しているように思える。別にポイズンやシンデレラがよくない、とは言わない。(だって、大好きだったんだもん。苦笑)コンサートも楽しく、友人とも「懐かしいねぇ~~~。」と叫びながらのショーだったので悪くはなかったのだ。ただ、今回、過去の栄光にしがみついてツアーをしているバンドと30年以上も音楽を続けながら、過去を振り返らず今を歌い続けているバンドを続けて見てしまったものだから、大好きなバンド達とは言え、日記に記しておくのは翌日に行ったコンサートのことになる。月曜日、コンサートは私の大好きなレッドロックス で行われた。(赤い岩に囲まれた野外コンサート場)ツアータイトルは「フリーダムオブスピーチ」(言論の自由)。そして、このツアーを行っているのが「Crosby, Stills,Nush and Young」(クロスビー、スティルズ、ナッシュ、アンド ヤング)。くどいバンド名(!)なのでほとんどの人が「CSN&Y」(シーエスエヌアンドワイ)と頭文字だけをとって短縮して呼ぶこのバンド、活動はかれこれもう、少なくとも30年以上にさかのぼる。私はこのバンドの曲といえばラジオのクラッシックロックステーションでかかる曲くらいしか知らなかったがヤング(二ールヤング)のソロアルバムは何枚か持っているくらい好きなアーティストだったし、「CSN」のツアーは何度か過去にもあったが、「CSN&Y」のツアーは滅多にないらしく、しかも、だんなのコネのおかげでただのチケットが手に入ったこともあったので喜んでこのショーを見に行くことにした。だんなと、だんなの兄のフィル、そして彼らのバーで働いてくれているケンドルの4人でレッドロックスに向かった。相変わらずコロラドの気候はコロコロ変わる。レッドロックスに着く頃にはカラッカラの真夏のような気候から、どんよりとした雲が広がり、風が強く吹き荒れていた。私たちはもう、何度も夏のレッドロックスでのコンサートを体験しているから、おかまいなしだ。みんな、ちゃんとバックパックをぶら下げ、(バックパックの中にはタオルや着替え、ビニール袋、雨合羽などがぎっしり入っている。)モクモクとコンサート場へと向かった。みんな、心の中では「どうか、ひどい雨になりませんように。」と祈ってはいたのだが。ショーは時間より少し遅れて始まった。私はニールヤングが新しいアルバムを作っていたことなんて、知らなかったのだ。オープニングの曲は「Flag of Freedom」。ステージに立っている「CSN&Y」は少なくとも、もう、60歳中頃だと言うのにこの4人が奏でるギターやコーラスはそんじょそこらの若造グループなんかが立ち向かえるものではない。ショーはどんどん進んでいき、「Living with war」と言う曲を彼らが演奏し始めた時、後ろのスクリーンに映し出された映像を私もだんなはもちろん、観客の全てがきっと、吸い込まれたかのように見つめたことだと思う。スクリーンにはCNN(アメリカの政治ニュース番組)をもじり、代わりに「Living with War」の頭文字をとってLWWとロゴが入り、CNNが放送するような「いかにアメリカが大切な戦争をしているのか。」といった現像ではなく「2006年6月までに何人のアメリカ人が戦争で命を落としたのか。」という、反戦を強調した映像だったのである。60年後半に生まれたこのバンドのことだから、多少はメッセージ色の強いコンサートであろうとは思っていたが、このスクリーンには驚かされた。しかも、このメッセージ色はショーが進むと同時にどんどん強まっていったのである。ファーストセットが終わる前に彼らが演奏した「Families」ではスクリーンに戦争で命を落としていった数々の兵隊達の写真が映され、曲の素晴らしさも手伝って、みんな涙ぐんでしまうほどだったのだ。「Deja vu」で一旦幕が下り、ナッシュが「次はアコースティックだよ!」と叫んで立ち去った。私たちは「彼らも年だし、セカンドセットはやっぱりちょっとゆっくりしたいのかな。」なんて失礼なことを言いながらも、ファーストセットの素晴らしさを語り合ってセカンドセットが始まるのを待った。「Helplessly hoping」の見事なコーラスでセカンドセットは幕を開けた。ナッシュが言ったとおり、きれいなバラードが続く。「Our House」でニールヤングが切なく、けれど美しく歌う。“僕達の家-2匹の猫が庭にいるとっても、とっても素敵な家だ。人生って辛い事ばかりだった。今は全てがうまくいっている。「君」のおかげで。。。。”だんなが私の肩を抱き、そっとこの歌詞を口ずさんでくれた時、涙がポロポロこぼれ落ちた。「Milky way」が終わったあたりから彼らはまた、ファーストセットと同じくらい、もしくはもっとパワフルな演奏を続けることになる。ニールヤングは、怒っていた。彼のアルバム「Living With War」は今現在起こっている、無駄な戦争と大統領に対する反戦歌だった。特に観客の目を釘付けにしたのが「Let's impeach the president」(大統領を弾刻しよう)だった。左右のスクリーンにはこの曲の歌詞が現れ、真ん中のスクリーンにはブッシュ大統領が言った数々の嘘が流れた。“嘘をつく大統領を弾刻しよう。迷った戦争へとこの国を導き我々が彼に与えた全ての権力を悪用し、我々の金を全て無駄に使いきってしまう、この大統領を。”うへぇ~~、すっごい事言ってるよ、こんなこと言うのはパンクロックくらいかと思っていたのに。すっごい度胸。。。。私はこんな反戦歌、反大統領の歌を歌っている、この、老人ロックをかっこよく思った。彼らは怒っていた。自分達の政治がボロボロになっていくことに。自分達の国が、ボロボロになっていくことに。こうしているうちにも、無意味に命がなくなっていくことに。そして、その「命」はアメリカ人だけのものではなく、イラクに住む、か弱い女、子供、そして、真面目に生活を営もうとする「命」でもあるということに。そして、彼らはもっと怒っていた。その国の誰一人としてミュージシャンが立ち上がることもなく、今の政治をファンに問いかけようともしていないことに。若いミュージシャン達はみんな、リアリティーショーだのなんだのにおおわらわで、音楽に隠されたパワフルなメッセージを疎んじるようなこの時代に。「どうしてみんな、黙ってるんだ?どうして誰も立ち上がらないんだ?一体君達はそれでいいのかい?」ビール腹をかかえた、4人の初老達が叫ぶ。「大統領を弾刻しよう。」それだけではない。「平和」を求め、「愛」を歌う。素晴らしい。凄すぎる。こんなバンドがまだ、この世の中に堂々と胸を張ってコンサートを行っているだなんて。レッドロックスは曲ごとに気候を変えた。「Families」を歌っていた頃、ポツリ、ポツリと少し雨が降った。私には亡くなっていった兵隊さん達がこの曲を聞きながら無念の涙を流しているように思えた。「Let's impeach the president」では力強い風が吹き、この曲を応援しているかのようだった。翌日、私はレコード屋さんへと向かい、早速ニールヤングの「Living with war」のCDを手にし、ついでにブルーススプリングスティーンの新作も買うことにした。久しぶりに、音楽を買いたい、と思わせてくれた、音楽の強さを再確認できた夜だった。「言論の自由」ツアーのタイトルはこれだった。ニールヤングとCSNはミサイルや銃を使わずに、言葉ひとつだけで戦いに挑んだ。私も少しながら参加したい、とCDを片手に次に私ができることを考え始めている。。。(参照:http://www.neilyoung.com/lwwtoday/index.html http://www.neilyoung.com/lwwtoday/lwwvideomenu.html )
2006年07月20日
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アメリカに移住して、もう14年になろうとしているから、すっかりカブレていることはわかっているが、今日はちょっとだんなののろけ話じゃなく、「アメリカのろけ話」になってしまうかもしれない。実を言うと私は子供の頃からアメリカに憧れて育った。私の母方の叔母が、戦争花嫁さんとして、第二次世界大戦が終わった時、アメリカはミシガン州に移住したことが大きなきっかけだと思う。私が6歳か、7歳だった頃、彼女はティーンエージャーの子供を連れて日本に一時帰国したことがあった。ハーフのその子はデボラと言う、チャキチャキのアメリカの子だった。元気よく、なんにでも興味を持ち、大きな声で笑い、人生を謳歌していた。私はそんなデボラが大好きになって毎日、彼女達が滞在中、学校から帰ると「デビ、デビ」と彼女を追いかけた。彼女も私を気に入ってくれ、いっつも頬に軽くキスをして英語で何か私にしゃべりかけてくれたのだった。その時、初めて、日本語以外にも言葉があることを知ったのはカルチャーショックに近いものがあったんだろう、と今になってそう思う。ある日、私の母、祖母、このミシガンの叔母とデボラ、そして私の5人で銭湯へ行った。みんながのぼせたから、と続々と着替え室へと移った。デボラは長い髪の毛をバシャバシャ洗いながら出て行くみんなに「バイバイ」とだけ言ってシャワーに専念していた。私も顔を真っ赤にしながらみんなについて行くと、急にミシガンの叔母が「あ、着替え室の鍵を忘れたわ。」と言い、すぐ後ろにいた私に「デビにね、“キー”と言って手を差し出してきて。」と言うではないか。私はこんな大役に当たったことがなかったのでびっくりしてボー然としていると、その叔母はせかすように私の背中をトンっと押して、「早く、早く。」とおいやった。まだ髪の毛をていねいに洗っているデボラの前で私はしばらく突っ立っていると彼女はすぐに私の存在に気づき、いつもの柔らかな笑顔で「ハイ?」と言った。私はモジモジしながらも、鍵をもらわなければこの場を去れないこともわかっていたので思い切って「キーッ!」と言って手を差し出した。デボラは「あ、なんだ、そんなことだったの。」というような素振りで、私がどれだけ緊張して、この一言を発したのかも気にも止めずチャラっという音を立てて、私の小さな手に着替え室の鍵を落としたのだった。。。。子供心に、これは私にとって大きな事件だった。初めて英語をしゃべって通じたのだから。叔母とデボラがミシガンへ去ってからも、私は父が買ってくれた単語と絵が乗っている英語の本を手にし、自分の好きな単語を見つけてはそれを英語でなんていうのかを父と眺めたり、叔母から電話がかかってくると母に無理を言ってデボラと話そうとしたり(これは無謀だったのだが。汗。)しばらくの間かなり、この、「新しい言葉」に興味を持っていたように思う。中学、高校へと進学しているうちにいろんな洋楽と洋画を見るようになり、ますます私はアメリカ、という国に興味を持った。好きなアーティストのインタビューなどを雑誌で見る度、「個人」というものを強調するアメリカが不思議だった。俳優でも、いつもいつもピッカピカの美貌持ちばかりが映画にでているのでもない。「個性のある」顔をした俳優や女優が大活躍している。可能性のある国。私にはいつもそういう風に移っていた。ところがどういうわけだか、アメリカ人と結婚することになって、初めてアメリカに移住してからの3年くらいはこの国に馴染めなかった。言葉もわからない、テレビを見ても新聞を読もうとしても全てが英語。多少興味があった程度の英語ではとてもかなわなかった。大きな国だから起こりうる問題や政治や事件も私をショゲさせた。だけど、その期間が過ぎ、アメリカに慣れてきてからは子供だった頃、憧れていたアメリカをいろんな所で感じることができるようになった。私が、私のままでいて、いい、と言うことを学んだ。ネバーギブアップ、あきらめるな、というようなことも。そして、人をありのままで受け入れる、ということも。子供の頃に映っていたアメリカ像「可能性のある国」は本当だった、ということも。その多くを私は彼らの作る音楽によって教えられた。広大なアメリカの空気を吸い、カーボーイ達が「今よりもいい生活を。」と、土と埃の匂いがする野道を希望と不安を胸に、馬と共に歩みながら。長い奴隷生活の中、黒人達が「哀しみ」を表現する手段として。ヨーロッパから移ってきた人達はそれぞれの民謡を取り入れながら。アメリカ人はいろんな音楽を通じて人生や愛や哀しみを表現した。フォーク、カントリー、ジャズ、ブルース。。。。そしてエルビスプレスリーが現れ、ロックが始まった。今やロックは限りなく小枝が広がり様々に形を変えながら今日に至っている。ポップロック、ジャズロック、リズムアンドブルース、カントリーロック、ブルーグラス、フュージョン、グランジ、ヘビーメタル、インディロック。ただ、残念なことにこの何年間は音楽業界が金儲け主義に徹してしまい、今やロックは「主張」や「アテチュ-ド」、「何かをくつがえして新しいものを築く」ということをしなくなってしまったか、できなくなってしまったかのようになってしまった。少年、少女、青年、大人、じいちゃん、ばあちゃん、誰もが楽しく聞ける音楽が主流になってしまった。私も少し老いてしまったのか、最近の音楽はよっぽどでないと聴かなくなってしまった。月曜日、仕事中のだんなから、電話が入った。「今夜、トムペティのコンサート、見に行こうか?」私は大喜びで賛成した。トムペティと言えば、「Mary Jane's last dance」や「I wont back down」など、数々の名曲を歌い続け、ボブディラン、と言われると「トムペティ」とだいたい、次にくる。それぐらいの大物なのに私は一度もライブで見たことがなかったから、ワクワクした。しかも、前座にグランジの大物「パールジャム」とある。これは一石二鳥だ。7時半、少し過ぎてから、パールジャムのショーが始まった。荒っぽくて、怒りを秘めた音をたて、ボーカルは叫び、ファンはそれに呼応する。私はこの荒っぽく激しいバンドの音に身を任せ久しぶりに聞くハードロックに酔った。そして、いよいよ、トムペティとハートブレイカーズの登場だ。照明だけの、飾り気が全くないステージセッテング、バンド、そしてトム自身。「Listen to Her heart」で幕があがり、「You don't know how it feels」と続き、私の大好きな2曲が立て続けに続いた。「I won't back down」と「Free fallin'」だ。「I won't back down」は私の大好きなBon Joviがカバーしていたこともあったし、この曲を聴くたび、落ち込んだ時なんか特に勇気をもらえるような気がするからだ。「Free fallin'」は憎めない男像が目に浮かぶ。女を泣かせながらも、自由を求め続け、どこまでも転がり続ける男。女を泣かせることに後ろめたさを感じながらも「自分にとっての」本当の自由を夢見る男。そんな曲。中盤ではヴァンモリソンの「グロリア」を、セクシーにかつ、元気いっぱいにカバーした。そしてアンコールではボブディランの「Rainy Day Women」をパールジャムと一緒にカバーして幕が下りた。彼がそういったカバーを奏でる度、私は今までにコンサートで見た、数々の偉大なるロッカーを思い出していた。ボブディラン、ブルーススプリングスティーン、ヴァンモリソン、グレイトフルデッド、ローリングストーンズ、AC/DC,デビットリンドリー、ドゥビーブラザーズ、ジミークリフ、二ールヤング、そして。。。ごめんなさい、ファンの完璧な独り言です。ボンジョビ。。。土と埃の匂いのする、アメリカの本当の音楽を久しぶりに聴いたような気がした夜だった。
2006年07月08日
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困るがいなくなってしまってから、我が家には3匹の猫と1匹の犬、そして人間2人、と少し寂しい(?)数になったのだが、相変わらずなかなかの個性持ち揃いである。気ままがどのくらい強い個性持ちかについては、この日記にも何度か書いたのでお分かりの方も多いと思うが、ガストン(参照:「困るマルマル子ちゃん」と「困るの失踪とおバカさん」 )とレイチャールズについてはあんまり何も書いていないことに気がついたので早速気ままと張り合おうと頑張るレイチャールズについて、書いてみたいと思う。レイチャールズは生まれつき片目が白内障で見えない。その上、これも生まれつき、腰から下の神経が少し麻痺していて、歩くと右へ、左へ、時にはよろつき、それでも、まるでモンローウォークのように腰をひねらせて、彼自身は全く不自由だとか思っている節がない。しかも、彼は肝臓の値が少し高く、まだ、たった3歳くらいの時には結石が見つかって(参照:レイチャールズの病気と誠実な獣医さん )大変だったこともあるほど、彼の持病は多いのに、彼の精神面はいたって健康で、私はそれを頼もしく、いとおしく思う。さて、そんなレイチャールズ、なかなかの腕白坊やである。もし彼が人間の男の子だったら、今頃日焼して真っ黒になり、私が「宿題したの!?」と言うような野暮な質問をしたら舌を出して「じゃ、今から僕、泳ぎに行くからっ!」とそそくさと交わし、家を飛び出て夜遅くまで帰ってこない。帰ってきたら帰ってきたで、「ただいま」もなく、ドアをばぁ~んっと開けるやいなや「腹減ったぁ~~っ、メシッ、メシッ」と私を呆れかえさせるような子だと思う。ガキ大将で、ケンカもするが、意外に弱い。でもメゲない、泣かない、あきらめない。必ず「後で覚えてろよ。」とかなんとかうそぶいては「ちぇっ、擦りむいちゃった。」と言いながら膝小僧をなめていそうな、そんな子。女の子もいじめるが実際目の前で大声で泣かれたりなんかすると急に気弱になり「ちぇっ、だからやなんだよ、女の子ってさ。」とか言いながら、一人気まずくなったり、病気になった女の子が心配でこっそり家までいってはその子のお母さんに容態を聞いてホッとしているような、照れ屋で、でも本当はとっても、とっても優しい子。そういう男の子は私の好みだから(!?)私はレイチャールズにかなり甘い。(だんな曰く、私は全ての動物に甘いのにだんなにだけは辛いらしい。←うそだぁ~~~~っ!!!)レイチャールズがモンローウォークしながら私に擦り寄ってくるともう私の顔はデレデレになってしまう。あまりにも愛くるしいのだ。私は彼をたまに「Nap Buddy(昼寝仲間)」と呼ぶ。なぜかと言うと、私は家事を済ませた後、ベッドでごろんっと横たわる時があるのだが、レイチャールズはどういうわけか、私がベッドで横たわると決まってどこからか現れ、私のすぐ横でとっても幸せそうに、とにかく大きな、大きなグルグルをのど元で鳴らすのだ。そして、それはまるで「母ちゃん、昼寝?昼寝するの?僕、昼寝の上手な仕方、知ってるで。教えたろか?」と言っているように思えるのだ。その様子があまりにもかわいいので彼の頭を撫でながら、つい、する気がなくても30分くらいうつら、うつらしてしまうこともある。そんな時、昼寝から目覚めると、彼はまた、大きく喉元を鳴らし「どや?気持ちよかったやろ?」と自信満々で私を見つめるのだからお手上げだ。しかも、かなりの回数で私は彼のこの誘惑に引っかかってしまっている。レイチャールズは「魅惑の昼寝術」を使っては私を虜にし、しっかり点数を稼いでいるつもりでいるらしい。だが、レイチャールズも猫の子。やはり天使と悪魔の両方を備えている。上記に記したのは全て彼の「天使」の部分だと言う事がおわかりであろう。では、彼の「悪魔」の部分とは???ごはん時。彼は「小悪魔」に変身するのだ。気ままが糖尿病だということが判明してから、私はカリカリのごはんを朝から晩までおいておくことができなくなってしまった。と、いうのも、レイチャールズは過去に結石があり、気ままの糖尿病用のカリカリは食べさせてはいけないからだった。だから、朝にカリカリのご飯を与え、お昼過ぎに少しまたカリカリを与え、夜に猫缶を与える、という風に、一日3食と小分けにわけている。猫は好きなときに好きなだけカリカリを食べるのが好きだというのは知っていたが、(そして今までそうしてきていたが。)私は気ままがレイチャールズのご飯を食べて血糖値をあげてもらいたくないし、レイチャールズが気ままのご飯を食べてまた結石を作ってもらいたくもないのだから、仕方がない。ここは猫たちに我慢してもらおう。と、だんなに打ち明けた時、彼は珍しく「あーあ、僕、知ぃらないっ。」とだけ言った。私は何よぉ、そんな言い方しなくても、とか思っていたが、たいして気にしていたわけでもなかった。ところが。。。。この一日3食方法を取り入れてから一ヶ月もした頃だろうか、妙な音で目覚めるようになった。最初のうちはミドリが外へ行きたくてドアを引っかいているのだろうと思っていたのだが、そうではなかった。レイチャールズの「小悪魔」が目覚めていたのだった。。。。。。私は朝8時から8時半までの間で起きるようにしている。そして9時にはキックボクシングへと向かっている。キックボクシングへ行く前にみんなにご飯を与え、自分自身もコーヒーと、少し何か食べる、というのが日課である。私はレイチャールズが腹時計を持っているだなんて、知らなかったのだ。そう、一日3食方法にしてから、気になっていた妙な音とはレイチャールズが私を起こそうとする手段だったのだ。彼はベッドの下に落ちている雑誌やビニール袋など、ありとあらゆるものを、まるで猫砂をひっかくかのようにシャッシャッ、シャッシャッ、引っかくのである。それでも私が起きないでいると、今度はベッドサイドにおいてあるヘアバンドやめがねを片っ端から落としていく。それでもだめなら今度は壁を爪とぎ用にして使う。ところが壁はツルツルしているから本当の爪とぎ用のように引っかからない。その代わり、すっごい嫌な音がするのだ。思わず、耳をふさいでしまいたくなるような、背筋がゾッとしてしまうような、細い、シャープな、「キーッ」という音が。これで起きないのは多分うちのだんなくらいであろう。私の神経は彼よりも細かいらしく(!?)これをやられると我慢ならずガバッと起き上がってしまう。そうするとレイチャールズはスッと「小悪魔」の角を隠して「天使」にサッと変身し、「母ちゃん、起きたん?ちょうどよかったわ、僕腹空いてペコペコやねん。」と大げさにグルグル鳴らしながら言い寄ってくるのだ。そのタイミングというのが凄い。決まって8時5分から8時15分のうちに始まるのだ。毎日毎日。。。。。夜もだいたい8時半くらいに晩御飯を与えるのだが、8時過ぎると私は自分がやっていたこと全て放棄しなければならない。コンピューターをいじっていると、机の上へ上りありとあらゆるものに「シャッシャッ」攻撃。時にはモニターの前に「でんっ」と陣取り(しかも彼のおしりは私にむけられている。)、ストライキ。そしてそれでも私の腰が上がらないようだと悟ると、今度は違う部屋にある、ありとあらゆるものを落とし、その音にびっくりして私が立ち上がり、様子を見に行くと「あ、なんや、母ちゃん、台所におるやん、ちょうどよかったわ。僕、腹ペコやねん。」。。。。。。これを腹時計と言わず、なんと言うのであろうか???。。。。。だんなにそう話すと「レイチャールズは大食いだから、絶対そうなる、って思ったんだ。やっぱり僕の直感は正しかった。」と、自信満々で答えた。それならば、なぜ、あの時「僕、知ぃらないっ!」とだけ言って逃げたのか。そう思う、となぜ言ってくれなかったんだ。私は反発した。すると、彼は涼しい顔をしてこう言った。「どうせ、そんなことを言ったらお前はレイチャールズをかばって、僕の言うことなんか聞かなかっただろうからね。」う。う~む。こ、これからはだんなにも多少甘くしなければならない。図星だったから、私は言葉を返すことができなかった。。。。レイチャールズはグルグル言いながら、おいしそうにご飯を食べ終えると、いつものモンローウォークをしながら「ああ、腹いっぱい。母ちゃん、ご馳走様っ!」と幸せそうな顔をする。そして気まま相手に、また負けることがわかっているのに柔術をはじめ、(参照:ボス気まま )やっぱり負けるとその腹いせにガストンを追いかけ、疲れきってベッドでグルグル言いながら「あ~あ、今日もよぅ遊んで、よぅ食ったわ。母ちゃん、お休みな。」と丸くなり、私はやっぱりデレデレしながら一緒に眠りにつくのだった。次の朝日が昇り、「小悪魔」レイチャールズが「シャッシャッ」攻撃を始めるまでは。。。
2006年07月01日
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