全9件 (9件中 1-9件目)
1

前日の大雨、今日のどんより雨。雨の日と雨の日に挟まれた秋晴れのきのう、夫は38日間の入院を終えて退院しましたーーーやーー、長かったーーレスパイトはうれしいけどここまで長いと夫は当然だけど、私もかなり参ります。短時間の日もあったけど、今回は皆勤賞で病院通い。主治医が変わりインシュリンを打つようになりまた変化の起きてしまった入院。でも主治医が女先生に代わってよかった。いやな思いをすることないレスパイトだった。昨日は、電車とバスを使って病院まで行った。退院準備をしていると何人かの看護師さんが現れて『○○さーん、退院よかったですねー。』と最後のご挨拶。夫は病棟一の悪たれ患者かも、と思っていた私はかなりうれしかった。夫もにやにや・・・サザエさんはその中にいなかったけどね(にやり・・)避暑地の出来事はその後どうなったのか?サザエさんが夜勤でない限りは夫にかかわることはないのでまあ、残念ながら夫のワンサイドラブでありましょう。。。イッヒヒその夜わたくしは夫の為に美しくなろうと決意しアミノエッセンスマスクなるものでお顔のケアをいたしました どや!!悪乗りと思うことなかれ!私はいたってマジメです。これは、同病者のご家族であるY子さんからいただいたもの。彼女のご主人とレスパイトの時期がたまたま一緒になったので久ーしぶりに9月初旬にお会いできた。Y子さんは夫が呼吸器を着けて不安になっているとき紹介してもらった恩人さん。メラチューブとかいろいろ教えていただいた。エステティシャンでもあるので(松本のお姉さまと一緒!)いつもお肌つるつる、きりりとしている。介護している人とは思えない美しい奥様。。。ご主人にもフェイスマッサージとかしてあげるんだって。ご主人、幸せ者だなー。・・・という訳じゃないけど、私も夫にさらに退院を喜んでもらおうと、この顔で手首のマッサージなどしてみましたが嫌われました・・・・夫の顔は引きつっていました。血糖値がまたあがりそうなのですぐやめましたが・・・娘も見ていてあきれていました。しかし、けさの血糖値はナント144mg初計測にしてこの数値はうれしー。病院では決してここまで下がらなかったし、この数値がでていたらとっくに退院していたと思う。やっぱりウチがいいんだねー、おとーさん!!・・・と、自画自賛のノリでまた私たちの自宅療養生活は始まりました。
2010.09.30
コメント(10)
やっと退院できそうです。29日の午後1時に、あの水撒き上手な介護タクシーのおじさんが迎えに来てくれます。おじさんとは、たぶんこれが最後のおつきあいでしょう。わたしのNOAHは7日に納車です。 ちょっと遅れてる・・・今日の夕方の血糖値は160mgまだ正常値ではないけど100mg台前半が目標なので女先生から退院のお許しがいただけました。ホタルノヒカリもゲゲゲも終わっちゃったけどクライマックスは一緒に見れるね。お父さん、よくがんばったよーー明日は9時までに病院へ行って血糖値の測り方とインスリン注射の打ち方のおさらいをします。金曜日にも9時に行って教えてもらったのだ。覚えてるかな・・・お部屋の掃除もしなくっちゃ。アーー、時間がない、あせるーー呼吸器の外部バッテリーを充電して万能つぼとセッシ(吸引時に使う一式)を煮沸消毒しなくちゃ。吸引カテーテルがなくなっていたわ、クリニックへもらいにいかなくちゃ。長ーーいレスパイトだったのに退院準備であたふたしている。久しぶりの家での介護だから腕が鳴る??いやー--心配だーー。1ヶ月間、ずっと夜更かししてた。ダンナがいないとだらしなくなってしまう私。退院決まってうれしーよーん。とにかく明日の朝は忙しいから、もう寝ますああっせっかく買ったエアコン使えない・・・
2010.09.26
コメント(12)
気管切開~人口呼吸器装着まで私が執念深く前の主治医をさいあく・・・と思っているのは夫の気管切開の時期が本当に正しかったのかという疑いが今でも晴れないからだ。ALSと診断されて1ヶ月たったばかり、胃ろうの手術をするつもりで入院したのに、さっさとのどを切開されてしまった。このタイミングってありですか??あの時、一度退院して戦略を練り直して参戦するべきだった。あの頃、夫は食べることとしゃべることはかなり怪しかったけどまだ、普通に歩けたし右手で字も書けたし呼吸苦は感じていなかった。咽(むせ)がひどいので胃ろう手術で胃カメラを飲むことに自信がなかっただけ。pO2、pCO2、SpO2はどういう意味なのか知らなかった。もし当時この数値の意味をちゃんとわかっていてそれなりの判断ができていたら今こんなにモヤモヤしていないと思う。同病の人の話を聞くとか気管切開した人に会わせてもらうとかもっと具体的な現実的な情報を得なければいけなかった。あのころはブログの世界に踏み込むのを躊躇していた時期でALSの方が作っているホームページ、たったひとつだけを毎日毎日ながめていた。そのとき聞きかじったバイパップというものも医者に軽くスルーされてしまいバイパップを使う人は限られたごく一部の人なんだと思い込んで(込まされて?)いた。気管切開した日の夫は異常だった。『声が出ない』『息の仕方がわからない』目に涙をいっぱい浮かべてパニック状態。もし、夫がこの病気の成り行きをもっとよく熟知していたらこれほど慌てはしなかっただろう。無知で無防備の入院、手術だった。そして次に待っていたのは介護保険制度というこれまたよくわからないものだった。ALS協会の人からケアマネしだいで良好な自宅療養ができますよ!という指導をいただいていたけどまったくアテがなく結局、病院内の相談室のようなところで紹介してもらった。病院の紹介だからこの難病に関して完璧な知識をもったケアマネだと思ったらケアマネ歴数ヶ月(たぶんうちがはじめての利用者)の人だった。気管切開、胃ろう手術をして在宅療養までこぎつけたのは、年明けの7日。介護保険の申請をして要介護5、身体障害者手帳も1級の診断も下った。この時のスケジュールは(月)訪問看護(火)ヘルパー4h(水)訪問看護(木)ナシ(金)訪問看護(土)ヘルパー4h今よりずっとシンプル。幸い、訪看さんもヘルパーさんもALSをよく知る人達だったので、心強かった。吸引も移乗もトイレ介助も、ヘルパーさんにコツをずいぶんと教わった。入浴は訪看さんに助けてもらった。コミュニケーションは文字盤を指して行った。このころの記録によると夫のSpO2は95~96%血圧は122/88心拍数91季節柄、部屋が乾燥していてネブライザーをしょっちゅう使っていた。長い入院で体重が55キロに減少(健康時68キロ、入院前60キロ)したので鶏がらスープを食管水の代わりにいれることもあった。栄養は、胃ろう注入により気分が悪くなりラコールをやめてツインライン、エレンタールと何種類か試した。昼間は、リビングのマッサージチェアやソファーにいることが多くたまにパソコンでメールを書いていたようだ。メール以外はそれほど積極的にやっていなかったと思う。動き回れたので注入時間短縮のためかんてんで栄養を固めてシャンプーボトルで注入していた。野菜とお米のミキサー食を50ccのシリンジで注入することもあった。夫はやせてしまったことと、空腹がつらかったのでお米を胃に入れたがっていた。エレンタールを一日1200cc摂取しているのに鶏がらスープは入れるわ、ミキサー食は入れるわと空腹を訴える夫に、カロリー計算なぞまったく無視で食物を与えていた時期だった。夜は夫は介護ベッド。私はその横で畳に布団を敷いて寝た。その頃、メラチューブの存在を同病者の方から教えてもらい夜ずっと唾液を吸引していた。ぐっすり寝ているときは唾液も出ないようだ。ジューー、と音がすると『ああ、起きているんだな、眠れないのかな』と思った。ベッドの真下で寝ているので、ちょっとの音でも目が覚めた。唾液のジュー、と気切部のゴロっという痰の音がするとナースコールより先に体が起きた。夜中、5回起こされるともう限界。私はイライラをぶつけることもよくあり、言葉を返せない夫はシュンとなっていたけど、回数はそれほど変わらなかった。あっという間に1ヶ月は過ぎ、2月も過ぎようとしている頃、夫は呼吸苦を訴えだした。いつものようにマサージチェアーに座っていても寒い日なのに部屋のドアはあけておいて欲しいと訴えた。口腔ケアをするのも辛がった。SpO2が90%~91%に下がったころから訪看さんは入院して呼吸器を着けたらどうか、、、という話をするようになった。夫も私もまだ大丈夫と抵抗したが2月26日、SpO2が85%におちて、ついに観念した。2月28日、救急車を呼び再入院。即、呼吸器装着となった。気管切開してから86日しか経っていなかった。
2010.09.24
コメント(14)
夫の退院が延びている。インスリンの量や種類をあれこれ変えているけど、なかなか血糖値が下がらないようだ。目標は血糖値100mg~199mg悪くても200mg前半。実際は、良くても230mg。300mg近い時が多い、多すぎ、、、一日に3度打てば、もう少し下がるのだろうけど本人がどうしても1日に1回にしてほしいというのでむずかしいようだ。私が介護するのに手間が増えるという事を考えてならば大丈夫だから!!と言っている。本人は、家に帰れば絶対今より下がると思っている。ことしの3月は血糖値184mg ヘモグロビンA1cも5.7だったもんなー。私たちの間では週明けの休日の次の日が退院のつもりできのう、夫は散髪!小ぎれいになってすっかりその気になっていたのだけど女先生からの残念な通告。先生も夫の頭を見たらさらに申し分けなさそうだった。最近、女先生とはとてもいい雰囲気で話ができるようになった。先生は笑顔を時折見せながらも、きびしい話を淡々としてくれる。媚もせず、高圧的でもなく、おだやかな様子は先生の真剣さがとても伝わってくる。医者はこーーでなくっちゃと思います、、、ほんとに。夫は、たぶんがっかりしているのだろうけどあまり顔にはださない。最近、看護師さんも夫の無愛想に慣れたみたい。ところが夕方、メラチューブが古くなってきて唾液が流れにくくなり新しいのに変えてもらいにナースステーションへ行ったら夫のお気に入りの看護師さんがいて彼女にメラを持ってきてもらった。看護師さんを見るやいなや夫は入院して一番の超級笑顔恥ずかしい位のでれでれモンですよーー『おとーさん、タイプ変わった?』と私。目を横にきょろきょろさせる夫。夫のタイプといえば、がさつは大嫌い女性っぽくて、早口じゃなく、馴れ馴れしいのもダメ。女優でいえば石田ゆりのような感じ、、だと思ってたんだけど。でも、今回お気に入りの看護師さんは、どー見ても『サザエさん』だなー。私だって張り合える 年齢ははるかに負けるけど。。気さく、、がいいと思うようになったかな。夕方ナースステーションでひとりでパソコンをいじっていた看護師さん!夫の担当チームではないけどたまには夫に、声掛けてあげてね。。 たのんます
2010.09.18
コメント(12)

chienblancさんんのリクエストにお答えしてばね指を公開させていただきますー。決して美しいものでないのでお食事中の方と心臓の丈夫でない方はご遠慮くださいませ。。頑張った証です これは、抜糸前。黒い糸がまるでハエの足に似ていますtama梅さん、手相チェックはナシですよん♪そして、抜糸後・・・(そろそろご気分の悪くなった方は、もう少し楽しいブログへ遠慮なくお移りください) 傷口は皮がコチコチに固まっています。こんなに短くメスを入れて、あの衝撃的なガリガリグイグイはいったいどんなことをしていたのかいまだに気になっていて先生に聞こうと思っていたのだけど、あっという間の抜糸であっという間に診察室の外へ出されていたので何もわかりません今度、うちにくる訪看さんが詳しいことを知っていそうなので聞いてみます。100%戻ったわけじゃないけど日常生活でできないことはなくなり、ありがたいです。携帯も親指一本で打てちゃうでも、あまり酷使しないように気をつけます。。。
2010.09.15
コメント(3)
2週間の予定が、今回もまた延びている。ひとつは、血糖値をさげるためにインスリンを投与しはじめていてまだ数値が落ち着かない。一日一度だけの投与では300台以下にならないので、薬を変えて様子をみることになっている。これで変わらなかったら、一日3回の投与とするため、また延びそうだ。夫のわき腹には注射痕のような肌が変色した形跡がみられる。自宅では、私がインスリンを投与する。できるのかな。看護師さんがこんな変色させてるんでは、私はどうなるのか、、心配。そろそろ投与の仕方を教えてくれてもよさそうなのに。何もないなあ。退院延期の理由のもうひとつは左の無気肺がさらに悪化しているとのこと。肺の下側に膿が溜まっているようだとCTをみながら説明された。左の肺は真っ白だ。たまに微熱がある(37,1~3℃)のは軽い肺炎をおこしているから。これをたたく抗生剤もいれた。無気肺を今後ひどくさせないためにはどうしたらいいか、検討中。カフアシストを提案してみたが看護師も主治医もその存在すら知らなかった。夫は先週から耳が聞こえないといいだしていた。耳鼻科の先生に診てもらう予約をいれたら2週間後の金曜日(9月17日)。本人はその週の頭には退院するつもりだったので私が耳掃除をしたら、もう聞こえるようになったと言い、だから17日はキャンセルしてほしいと訴えてきた。病院生活は『たまらん』のだそうだ。お風呂も、あれこれ理由をつけて断ってしまう。トイレも呼ばずに、紙おむつのなかで何回もしてしまう。嫌いな病院の中でひそかにひそかに抵抗してる。耳鼻科の先生をキャンセルしても、その週は退院できないことがわかって今日あたり、やっと諦めがついたようだ。私は予定の2週間でやることはだいたいやった。エアコンは付けた。ばね指の手術も終わった。来週は抜糸!父の墓参りに静岡へ帰った。会いたい友達と全部会えた。焼き鳥屋へ行った。焼肉も食べた。生ビールもジョッキで飲んだ。ピエゾの申請も今日、やった。カフアシストもちょっとだけ働きかけている。家の裏の草取りをして砂利をまいた。玄関先の延び放題のアカシアをばっさりと丸坊主にした。そして、そして、今日、車をついにGET!!!TOYOTAのNOAH、色はパールホワイト4年落ちで6万キロ(←多い?)何より気に入ったのが、CDプレーヤー付きでナビ付き!!(イエーーイ、ナビ、万歳!)しめて、170まんえんざます。。。私、これでもがんばったんよ、うーーん、涙、涙。。もう、何もいらないわ。と思いつつ、お風呂のガス給湯器を忘れていたことに気が付いた。わーー、もー無理っすパソコンも相変わらず調子悪いし・・・このパソコンでYAHOOのブログ読めないです。ブログまでたどりつけるのだけどそれ以上クリックすると消えます・・・・やっぱり直ってなかたのかなー。楽天ブログで十分楽しめるからいいんだーー当分、これでがんばるんだーー (イジイジ・・・)
2010.09.09
コメント(15)
8月(メモより) 千葉大付属病院で筋電図により再検査したが、診断の結果出ず。 一ヵ月半後に再々検査するとのこと (発症時から6ヶ月以上経過しないとはっきりとした症状がでないと説明される)7月の後半からろれつの悪さがかなり進んできていた。8月には夫の実家(山口県)へ墓参りの為2人で帰省した。認知症が進みつつある義母とその介護に忙しい義兄たちを心配させるのではないかと思い、行くべきか悩んだが決行した。義母は、もう私たちのことがすっかりわからずうまくしゃべれない夫をニコニコしながら『あんたー、がんばりーや。』と言って励ましていた。夫は料理上手なお義姉さんの食事をむせずに食べることにかなり苦労したようだ。お酒はちょっとだけ飲んだ。いつもの酒量の半分以下だったのに、病気についてはあまり話題にしなかった。お義兄さんたちはそんな深刻なことが起こっているのに気がついていないし、気も使ってくれていたんだと思う。でも誰れより私が一番わかっておらず重い荷物を持たせたり、市内を散策したりつらい思いをしているだろう夫を振り回していた。8月終わりに、娘たちと宮崎駿の背景画を描いている男鹿和雄の作品展に行った。その後、夫と都内の居酒屋で合流。お酒を飲めるようになった娘たちと初めての居酒屋。私はうれしさでノリノリ。夫はビールを1杯チビリチビリ飲んだだけだが、けっこう上機嫌。娘も大学生のノリでしゃべりまくった。このころ、飲み込みはかなり悪くなっていて会社でお昼ご飯を食べるのはいつもひとり。食べている途中でむせはじめ、あわてて洗面所へかけこんで戻ってきたらもう、お皿が片付けられていたということもしょっちゅうだったようだ。なにより深刻だったのは大事な会議でうまくしゃべれなくて、仕事に支障がでてきたことだった。でも、毎朝6時台の電車で千葉の田舎から東京までがんばって通勤した。夫が気切するぎりぎりまで通勤できたのは足に進行が及んでいなかったから。そして、生活費を一日でも長く稼ぐという大黒柱の意地のようなものから。何よりも、働いて社会とつながっていたいという本能のようなものがあったからだと思う。9月に入り、朝ごはんも満足に食べられずヨタヨタと出て行く夫が心配になり駅まで車で送るようになる。このころの朝ごはんはおかゆとのりの佃煮。カレーライスのようなものも食べ易いと言ってよく食べた。9月は私も仕事が忙しかった。その頃子供教室では100人以上の生徒を担当していた。11月には会員補充をすることになっていてその準備もしなければならなかったし来年度のクラス編成準備も始まっていた。ハロウィーン、クリスマス会、参観日などの準備もいつも以上にやらなければならなくて夫の状態は気になっていたけど夫にかまっている時間は正直なかった。10月(メモより)千葉大付属病院で筋電図で再々検査。ALSの可能性が高いと診断。千葉大では治療できないとのことで、○○病院(現在入院中)を紹介される。夫のメモはここでおしまい。再々検査の結果を聞くために夫は私を誘った。どうして私も行くの?という不思議な気持ち。ALSだと思います、、とつらそうな表情で宣告する医者。まさかこの日に、そんな告知があるとは思ってもいなかった。夫はついに11月1日で退社を決意。19日に○○病院に入院の予約をする。入院までの数日間、順天堂病院、東大病院、そして吉野医院と良いといわれる病院を彷徨うように、ALS以外の病名を求め歩いたがどこも、「○○病院がそういうのなら、残念ですが・・・」と言われてどんどん希望を失っていった。夫が半年前から掛かっていた免疫学を研究しているという都内の診療所の医者は何万円もする薬代をブン捕っておきながら、はっきりとした診断を下さなかった。もう、夫が体力的に行けなかったので代わりに夫の全身写真を持って診察した。写真での診察は、はっきりいって、あやしかった。でも、藁にもすがる思いというのは、こういう事なんだなと、ぼんやり感じながら言われるままに代金を払って薬の束を持って帰った。私の気持ちと生活も一変。ハロウィーンも、クリスマスもどうでもいいという感じ。12月末の退社を悶々として待ち続けた。来年成人式を迎える次女の振袖姿を前撮りして家族写真も撮った。夫はまっすぐ立つこともむずかしく唾液もうまく飲み込めないので、ハンカチで口元を押さえながらやっとの思いで撮影した。11月19日、ついに入院。病気に関することが少しずつわかってきても何をしたらいいのか先へ進めなかった。昔の職場の知り合いに無性に会いたくなりたどりついた九十九里浜では2,3ヶ月前に子供を連れて実家へ帰ったといういじわるそうな姑の言葉に号泣してしまった。帰りの車の中で、泣いて泣いて泣きまくった。なんでこんな辺鄙な所までやってきて、バカみたい・・・と思うともう、大声で泣くしかなかった。私がその後、あまりメソメソしなくなったのはこの日にすべてが吹っ切れたからだと思う。気管切開・胃ろう造設夫が入院したのは、嚥下障害がひどくて体重減少を食い止めたかったから。胃ろうをつくるのが一番の目的だった。しかし、医者の考えは大きく違った。肺活量が低下しているせいなのか、よくわからないがモロモロの数値が悪くて胃ろうの手術は、気切をしないとできないと言われた。気管切開という言葉を始めて聞いた時だった。本人じゃないから正しくないかもしれないけど夫が息が苦しいとか、訴えることは一度もなかった。気管切開がどういうものか、どんな人がしなければならないかよくわかっていないけど医者の言葉が信じられず本当に気切したほうがいいのか私たちはとても悩んだ。結局、気切→胃ろうの順で手術することに決めた。同部屋の70歳代の男性が気切前に胃ろうの手術をして一週間後に亡くなってしまったからだ。体の異変に気がついてからわずか10ヶ月で夫は完全に声を失った。
2010.09.05
コメント(8)
毎日毎日忙しい・・・今日は、ばね指の消毒のために朝一で通院。傷口はちくちく痛むけど、きれい。かなりよくなっているー。親指の力が戻っている。洗濯ばさみがつまめるーー2週間後に抜糸です。その後、福祉自動車のオークション会場へお義姉さんを誘って行った。次女が春に購入した中古自動車屋さんの紹介で個人では入れない会場へ特別に連れて行ってもらった。車種はトヨタのノア。5年落ち(だったかな)黄色。スロープ式。走行距離12000キロ(少ない!)このノア同じようなものが今回3台セリに掛けられるという。お値段は、150万~170万円 安い?高い?ノアの福祉自動車をはじめてよく見たけど中は広い!外観もでかい!うーーん、普通車しか運転したことない私にこれは操れるのか・・・車屋さんのお兄さんは車高が高いだけで幅や長さは今の車と同じです、、と言っている。うちの車1600ccなんですけどー。ノアは2000ccなんですけどー。でも同じなんだって。車についてよくわかっていない私は????です。午後2時、オークション終了。携帯に電話があり、私の指し値では落とせなかったそうだどの車も車検等込み込みで170まんえん也~私?ウフフ、内緒・・も少し出しておけばよかったかな。黄色だったしなー・・・今日の夫・・・ゆうべはナースコール鳴りっぱなしで一睡もできなかったそうで、すっかり狼少年、いや『狼おやじ』となってしまったようだ。文字の入力だけはスムーズにできるためか『すみませんでした』のひとことが画面に保存されていた。普段めったにそんな言葉を書かないのでやっぱり本人の希望通り、もとの感度の悪いスィッチに全とっかえした。。。ザンネン・・家ではナースコールを気にせずにピエゾ使ってもらおう。外国語が一気に上手になった人みたいに新兵器を使うとペラペラなんだから。
2010.09.02
コメント(17)
夫の伝の心のスィッチは病院内でも手を焼かせるもらしい。家で貼るテープの何倍も厳重にくくりつけられている。その割には、看護師さんとのコミュニケーションはたいしたことない。大リーグを見たいためにテレビをつけてほしいとかイヤホーンやメラチューブの位置を変えてほしいとかそれぐらい。。。あとは、OK(目をパチパチ・口をパクパク),NG(目をキョロキョロ)だけで足りているみたい。やっぱり赤色センサーでのスィッチは不安定。なんとかならないかと思っていたらALS協会千葉支部の重鎮N氏が、ひょっこり顔を出してくれた。おまけにうちのヘルパーステーションの所長さんも一緒だ。N氏は夫のスィッチを最初からずっと見てきてくれている。足が使えるころに作ってくれたスィッチはベニヤ板とビニールクッションを駆使した力作で大工仕事が得意だった父を思わず思い出してしまった。それからおでこのスィッチに変わったときも、N氏にはずいぶん助けてもらった。すっかり親戚のおじさんのような気分でいるので何でも遠慮なく言ってしまう。『ピエゾって千葉で使っている人いないんですかー?』とか。N氏曰く『いるよー、○○さんも今度試してみるかい?』って。で、話はあれよあれよと言う間に進み今日、トライアル!同病のひかたんさんやゆんゆんさんのブログでおなじみのピエゾ!初めて見た!あれと同じだーー(←当たり前だっつーの)でも、感激夫はあごがよく動くのでそこへピタッすると、初めてなのに文字がどんどんでるでるおしゃべりしているようにタッタカタッタカ・・・『どーだい』とN氏の得意そうな顔。『すごい(^0^)』と久しぶりの顔文字入りの言葉を入力する夫なぜだか偶然通りがかり、また立ち寄ったあのヘルパー長さんまで目をウルウルさせて『ピエゾっていいですねー、みんなにこの感激を言わなくちゃ』と興奮している。夫の顔がパッっと明るくなった。病院でこんな顔をするのを始めて見たわ。今まで、感度が悪いことを仕方がないこととあきらめていた。たった一文字入力するのに何度失敗しても顔色ひとつ変えず、淡々と該当する文字を待ち続けて文章を作った。もっと早く変えてあげればよかったーーさっそくオーダーすることにしようところで、ピエゾでのナースコールは3回連続打法。3回続けてあごを動かすと反応してナースコールが鳴る。あくびをしたり、唾液を飲み込んだり、笑ったときも、むせたときも3回続けてのサインに切り替わってしまう。夫はこれをとても気にしている。前のスィッチにもどしてほしいとまで言い出してなだめるのに大変だった。感度を下げると3回連続入力できなくなる。これに対しての対策、なにかありますか?ピエゾを使っていらっしゃる皆さんにお知恵をいただきたく思いますm(__)m
2010.09.01
コメント(6)
全9件 (9件中 1-9件目)
1