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月島を夕方歩いた。西仲商店街 この町は、もんじゃ屋さんがどんどん増殖して増えている。運悪くこの町で飲み屋を探そうとしても、もんじゃ屋さんばかりで食傷気味だ。 こんな路地がこの町の特徴とされている。周りには高層マンションがどんどん建っていって、路地は残っているもののだんだん魅力が失せていく気がする。もんじゃ屋さんばかりでは商店街も魅力が少ない。 今でも使われているのでしょうか?この井戸は。 屋形船は夕刻の出番を待っている。ここからお台場に向かい、隅田川の清洲橋を回って戻ってくるのだ。夕刻17時、表通りに出てなんの期待もしていなかった。むむ!?古い酒屋で、立ち飲み客は2人。そのうち1人は、外人さんだ。外人さんが立ち飲み!?「こんな明るいうちから、飲んじゃいけない」という気持ちでいったん通り過ぎた。でも、「今日は車じゃなく歩きだから、ま、いいか」と吸い込まれてしまった。まずは缶ビール1本!ほぼ同時に入った人に先に声をかけられてしまった。「ボクも!」一緒に入った人と意気投合してずっとお話しした。いつの間にやら暗くなって、外には外人さんが3人に。話はほとんどしなかったけど、どうやらここの常連さんらしい。楽しそうに笑いながら飲んでいた。最近、新らしく参入した立飲み屋さんが増えているけど、こんな古いお店が生き残っているのがうれしい。「お店開けていても、お酒買いに来る人はほとんどいない」 って、おかみさんは正直だ。でも、夕方からこんなに人が集まるのはいいなあ。この日はテレビ局の取材が来たが、その前に退散!常連にはなれないかもしれないけど、たまにまた寄ってみたい。枝村酒店3-29-4
2007年05月09日
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仮面博物館前の道路に出る。どこにもバス停らしい標識はない。次に来たバスは停まらなかったのでちょっとあせる。(反対方向行きだった)やがて路線バスが来た。安東に行きますか?OKのようで、900ウオンで乗り込んだ。どうやら、これがおばあちゃんの言っていたバスのようだ。バスは安東に向かっているようだ、、、その調子だ。と、安心する。と、三叉路で、思っていた方向と逆へ曲がる。「路線バスだからな」 と一人納得。んんん、、、なに~!バスは、すれ違いもできそうにない山道を登る。路線バスだからな と 無理矢理納得しようとする。山道経由で 安東へ行くんだよね。すれ違いの車が来ると、たいていは相手の車がバックする。こんな道通って、安東に行くんだ。やがて、ちょっと広くなったところで、バスはUターン気味に変なところへバックする。 乗客は全員降りる。残ったのは運転手と、ボクら2人。むむ。ひらめいた! あの、おばあちゃんの謎の言葉、、、「 走ったら停まる、そこで目を大きく広げてみる。」運転手に聞きに行った。時計を示して、何分に出発するの?果たして、思った通り15分くらい先の時間を示す。ここが おばあちゃんの言っていた、目を大きく拡げる場所なのだ。Cは初めてのことで、目を白黒させている。さあ、降りるぞ!この日は 9月にもかかわらず、とても暑かった。ボクは 観光の案内板を見て、それからなだらかな坂道を上った。ここは、屏山書院 ビョンサンOO だった。小さなお寺みたいな建物があった。書院と言うからには学問所のたぐいのようだ。建物の下をくぐって上ると、建物の板の間の上に多くの学生たちが講話みたいなものを聞いているようだ。ここの環境は学問にもいいのかもしれない。隣に一軒の家があるだけで、ほかに何もなさそうだ。山に囲まれて、なんとものんびりした場所だ。屏風書院 は、日本統治の時代に取り壊されるはずのところを誰かさんが意見して、この場所に移設して残したものだそうだ。Cは?どこ行ったんだろ?もう少しこの場にとどまっていたかったが、バスに戻る。そこにCは居た。水飲み場に運転手さんと一緒に行って、おいしい水を確保したという。「荷物置いていっていいよ」 と言われたようだけど、ここに居た。「まだ時間があるから、5分 見て来たら?」 と勧めた。15分以上待って、乗客が全部は戻ってこないことを確認して、バスは出発した。同じ道を下って、あの三叉路を、またも河廻村方向へ進む。おばあちゃんの予言通りだった。河廻村入口のインフォメーション前で、Uターンして停まる。数人の客を追加して、バスは素早く出発した。今度は、あの三叉路を左に折れて、 ようやく安東へ向かった。バスは、高速バスターミナルのすぐ近くに停まった。おばあちゃんの言うとおりだった! 運転手さんも正しかった!あは!
2007年11月19日
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かっぱ橋本通り 下町七夕祭り2007 (3)かっぱ橋本通り かっぱ橋道具街 のかっぱの由来は?かっぱ橋道具街 http://www.kappabashi.or.jp/home/history.html のHPでは 以下のように記載されていました。<合羽橋名前の由来>河童が居たから"かっぱ橋"?実は、名前の由来には2つの説があります。1つめは、金竜小学校跡地辺りにその昔伊予新谷の城主の下屋敷があり、小身の侍や足軽が内職で作った雨合羽を、天気の良い日に近くの橋にズラリと干していたという、「雨合羽」説。もう1つは、お待ちかね「河童」説。曹源寺通称"かっぱ寺"に墓所がある合羽屋喜八のお話しです。今から約180年前の文化年間、合羽川太郎(本名合羽屋喜八)は、この辺りの水はけが悪く少しの雨ですぐ洪水になってしまうのを見かね、私財を投げ出して掘割工事を始めました。なかなか捗らない工事の様子を見ていた隅田川の河童達は、川太郎の善行に感動して夜な夜な工事を手伝ったそうです。そして、なぜか河童を見た人は運が開け、商売も繁盛したといいます。・・・さて、どちらの説がお気に召しました?ですって。かっぱ伝説の方 が なんだかイメージですね。かっぱ橋道具街には かっぱの河太郎の像ができていました。かっぱ橋本通りの 曹源寺は かっぱ寺と通称されています。かっぱ堂には かっぱの手のミイラがあると、みんなで並んで拝観します。川太郎の 工事風景です意外とかわいい かっぱの手のミイラです。全国他にも、いくつかあるみたいです。図鑑も並んでいました。 ※※「下町七夕祭り2007」 に協賛した 東京電力の「テプコ浅草館」には、下町七夕祭りの 萩原楽一による かっぱ 原画展も行われていました。かわいいかっぱたちですね。 もう20枚もあるって訳ですか。そう言えば、 今年の夏公開映画「河童のクゥと夏休み」 見てみたいです。 ET みたいな感じの 楽しそうな映画です。かわいいクゥが 七夕の短冊でさりげなく 下町七夕祭り に参加していました。
2007年07月15日
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