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◇ 1月18日(日曜日); 旧師走二十三日 癸亥(みずのと い); 下弦の月、初観音1月13日のブログに巣鴨のカレーうどんに触れたので、続きを書いてみる。今年のお正月の2日に地蔵詣でを兼ねて食べに行ったのだが、この日は早稲田の穴八幡宮に先ず詣でた。一陽来復のお札をいただいた後、思い立って早稲田から都電に乗って行った。多分穴八幡宮から刺抜き地蔵に行くには都電で行くのが一番便利だと思う。そこで、先ず都電について書いてみよう。東京の都電は、明治15年(1882)に新橋~日本橋間に鉄道馬車が走るようになったのを起源とする。その後地面に軌道が敷設され、路面電車となったのが明治36年(1903)。明治28年(1895)にわが国最初の路面電車が走った京都市に遅れること8年だった。その後都電(当時は東京市だったから、正しくは市電)はどんどん路線を拡張して、漱石の没年(大正五年=1916)の頃には営業キロ数は130キロを超え、東京の街中を縦横に走っていたようだ。時代が下るにつれ、道路の渋滞を酷くするとか、架線が美観を損なうし邪魔だ、採算が取れない、などと散々邪険にされるようになって、どんどん廃止の憂き目に会ったのは、日本の他の町と同様である。とうとう昭和47年(1972)に、荒川線のみを残して東京の町からは路面電車が消えた。現在は早稲田から三ノ輪橋までの12.2キロメートル、一路線だけが残っている。都電の魅力の第一は、その駅名だ。駅じゃないな、路面電車の場合には停留所と云わなければ。早稲田→面影橋→学習院下→鬼子母神前→都電雑司が谷→東池袋4丁目→向原→大塚→巣鴨新田→庚申塚→新庚申塚→西ヶ原4丁目→滝野川1丁目→飛鳥山→王子駅前→栄町→梶原→荒川車庫前→荒川遊園地前→小台→宮ノ前→熊野前→東尾久3丁目→町屋2丁目→町屋駅前→荒川7丁目→荒川2丁目→荒川区役所前→荒川一中前→三ノ輪橋、と30もの停留所がある。つまりは、停留所の平均間隔は420メートルほどだ。普通に歩いても苦にならないところに次の停留所があるのだから、本当に「足代わりに乗れる」事が良くわかる。停留所も今のような車社会になる前に、ちょっと用があって人々が良く出かける先を基準にして、設置されたのであろう。以前の庶民の生活が忍ばれて風情が有るのだ。もう一つの魅力はその料金だ。全線一律大人160円(小人はその半額)の均一料金なのだ。都電には一日乗車券というのも有って、その日の内ならば、大人400円で何度でも好きな停留所で乗り降りできる。よそ様が暮らしていらっしゃる家の軒をかすめるようにゴトゴト走って行くのは心地よいものだし、何より廉い。乗っている人もゆったりしていて、何となく気さくに声をかけられそうな雰囲気だ。郷里の岐阜市にもかつては市電が有って、徹明町、千手堂前、稲葉、長住町、忠節橋、鵜飼屋、神田町、柳ヶ瀬、北一色など、母などは待ち合わせの場所の目印を停留所にしていた。これらの懐かしい名前は未だ頭に残っているが、岐阜の市電は平成17年(2005)に、惜しいことに全廃されてしまった。今はエコ社会がはやりということで、路面電車のような地域密着型の公共交通機関が見直されている。特にドイツでは力を入れていて、数多くの町で路面電車を見る(乗る)事ができる。ひょいと乗れて、適当に思い付いたところでひょいと降りられる気軽さは何処でも同じだ。ちょっと思い付いて調べてみたら、わが国では北は札幌市から南は鹿児島市に至るまで、21地区62路線の路面電車が健在である。もう片手の指に余る程度の町にしか残っていないかと思っていたが、意外に多くて嬉しくなった。わが国でも、エコロジーを口実にしても、大義名分にしても良いから、今走っている路面電車は残して欲しいし、願わくば高齢者対策としても新路線を増やして貰いたいものだ。その際には是非均一料金や、一日乗車券なども採用してもらうとともに、停留所の名前も昔から暮らしている人達に懐かしいものにして欲しいと思う。さて、巣鴨のカレーうどん。穴八幡から早稲田大学図書館の脇を抜けて、新目白通に出るともうすぐ其処が都電の早稲田停留所だ。都電は日中5~6分おきに走っているから、発車時刻など特に気にする必要は無い。やってきた電車に乗って入り口で160円也を払う。電車が走り出せば九つ目の停留所が庚申塚である。乗っている時間は高々17分。庚申塚停留所で降りて進行方向すぐの踏切を右へ折れれば、巣鴨地蔵商店街筋に入る。これは旧中山道だ。この町筋を道なりに歩いていけばやがて白山通りに出て巣鴨駅に出られる。とげ抜き地蔵は、その途中の左手にある。正式には萬頂山高岩寺といい、曹洞宗のお寺だ。ご本尊は延命地蔵尊である。とげ抜き地蔵という名の由来は、昔毛利大名家の女中が誤って縫い針を呑み込んでしまったのを、このお地蔵様の御影(地蔵尊を描いた紙切れ)を呑んだら針が出てきたという話にあるという。境内に入ると左手の露天に仏像があって、大勢の人々がこれに柄杓ですくった水をかけている。これは洗い観音といって、観音様の体の、自分の体の具合の悪いところと同じ場所に水をかけたり、濡れ手拭でこすったりすると、それが治るのだそうだ。僕が行った時には、ご本尊の鎮座する本堂より観音様の方が人気で、大変な行列だった。どうもこれをとげ抜き地蔵だと勘違いされていらっしゃる方が多いようだ。ご本尊のお地蔵様は秘仏として本堂の奥に隠れて姿をお見せにならない。さて、件のおうどん屋さんは、庚申塚から来ると高岩寺の手前、お寺の築地塀に沿った路地を左手に入ったすぐの鮨屋の隣にある。時分時だと行列ができるほど人気がある店だからすぐに分かる。屋号は古奈屋。近年改装したようで、随分小奇麗な感じになった。手狭な店で十数人がカウンターに並べばもう満員である。人気がある店だから行列ができる。それがお寺の塀沿いにずらっと並んで、お行儀良く順番にお待ちになっている。それが目印になる。メニューは基本的にカレーうどん一品(今回行ったらカレー雑炊などというのも有ったが)。それに天ぷらや揚げ餅などを注文でトッピングする。基本となるカレー(素)うどんは一杯1050円で、天ぷらなどを乗せると1500円とか1600円位になるから、うどんとしては決して廉いとは云えない。うどんには、甘酢生姜と発芽玄米ご飯の小さな塊りが付いて来る。ご飯は「うどんを食べ終わったら最後に丼に入れて雑炊として召し上がってください。」という。カレーは柔らかな味でうどんに良く合い美味しい。うどんも細めで、全体として中々上品な感じだ。見ていると注文が入るたびに、大鍋から人数分のカレールーを小鍋に移しては味を調えて作っている。天ぷらもその都度揚げている。量も適当で、お客は皆押しなべて黙々と食べでは、外の行列に並んだ人と入れ替わって帰って行く。平均滞留時間は恐らく20分以内。中々の繁盛で、ご同慶の至りだ。以前はこの巣鴨のお店だけだったのが、今では池袋の東武デパート、横浜のランドマークタワー、六本木ヒルズ、神楽坂などにも支店を出しているそうだ。この秋には兵庫県西ノ宮の阪急デパートにも出店の予定だそうだ。カレーうどんもB級グルメ食品に分類したい食べ物だから、六本木ヒルズに相応しいかどうかちょっと疑問があるが、うどんの本場でうるさ方の大勢いらっしゃる関西の地で古奈屋のカレーうどんが、その味と値段でどう受け止められるかは興味がある。何れにしろ、「とげ抜き地蔵脇のカレーうどん」は知る人ぞ知る名物だし、美味しいのは間違いは無いから、地蔵詣での折には一度はいらしてもよろしいと思う。
2009.01.18
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◇ 1月13日(火曜日); 旧師走十八日 戊午; 三りんぼうこの楽天のブログで時々ご厚誼をいただいている釈迦楽さんという方が、糸井重里氏の最近のブログを引いて、「最近は飽きるまでお餅を食べることが無くなった」と慨嘆(というほどでもないが)されていた。僕は、「それはお餅をコンビニやスーパーで簡単に買えるようになった所為ですよ。」とコメントさせていただいた。左様に、「便利になる」というのは、ありがたさが薄れるということと裏腹である。釈迦楽さんは名古屋の大学で教鞭をとっておられる先生だが、文化系の先生には珍しく(失礼!)中々洒脱な文章で、手際よくバサバサと身近な世相をお切りになる。特に食には中々通じておられ、ご立派なB級グルメでいらっしゃるとかねがね感じてきた。B級グルメと云ったって決して馬鹿にして申し上げるのではない。A級グルメ、つまりはワインや高級料理に薀蓄を傾ける輩よりは、僕は(自分もそうだから)B級グルメに、より愛着と尊敬の念を持つものである。大体が、高級なもの、つまりは高いお金を払っていただく料理などは美味しいのが当たり前。不味ければ職人の腕が悪いか、店がインチキをしているのだ。つまりはA級グルメを自認される方々は、常に自分の舌が試されているのではないか、職人や店に騙されているのではないか、そういう強迫観念に囚われているわけで、その根底には見栄や虚栄がある。お気の毒なことである。それはともあれ、釈迦楽さんのブログでは件のブログに関して、「磯部巻きは甘辛醤油派か生醤油派か」というやり取りがあった。釈迦楽さんは、「ワタクシは、断然、生醤油派。ワタクシ、甘いものは甘く、辛いものは辛く、という嗜好の持ち主で、甘辛、というものの価値をいま一つ解さないんですよね~。」とおっしゃる。まことにその通り!僕も砂糖醤油で焼いたお餅など嫌いだ。生醤油でいただく餅のみを認めている。時々は鰹節の削りくずなどを醤油にまぶせば、これはささやかな贅沢となる。所沢には「焼き団子」というB級名物がある。これは米の団子を串にさして焼き、生醤油に浸し、遠火で乾かしたものだ。これを売る店は遠くからでも、生醤油の立てる香ばしい匂いで分かる。生醤油の焼き団子はお隣の川越にもあるようだ。しかし、それ以外の他所では余り見たためしが無い。他所で見るのは「みたらし団子」といって、甘ったるい砂糖醤油を滴らせた、全く似て非なるおぞましいものばかりである。同じ甘いのなら、鶯団子、きな粉団子、ゴマ餡団子だったら、いっそ潔い。しかし僕は甘い焼き団子はどうも好きではない。此方に出てきて所沢に住むようになってもう三十年以上になるが、所沢から引っ越す気持ちになれない理由の一つは、生醤油だけで焼いた焼き団子のある所為かもしれない。生醤油ついでに、B級の話をもう一つ。巣鴨の刺抜き地蔵に続く商店街は、俗に「オバアチャンの原宿」といわれるように、中高年の女性向けのファッションの店が軒を連ねている。それも皆廉い!暖かそうなフリースのズボン(無論オバチャン向け)が驚くような値段で売られている。何故か同年代の男性向けの服飾店が圧倒的に少ない。これは、明らかにその年代の男女の力関係の差だ。他には漬物屋や和菓子屋など、やはりそれらしい店も並んでいる。この町筋では、こ洒落た喫茶店や高級洋菓子店は探しても先ず見つからない。巣鴨駅から地蔵通り商店街の筋に入るとすぐの右手に雷神堂というお煎餅屋さんがある。現在は新築工事中で、少し先に行った右手のファミリーマートの筋向いの路地を入ったところに仮店舗が構えられている。この雷神堂には生醤油のお煎餅を焼きながら売っている。原型は直径30センチ程にもなろうという大きさを適当な大きさに割り砕いた、割れ煎餅である。お煎餅を焼いている火鉢の脇には一抱えほどの大きさの陶製の甕が置いてあって、中には生醤油(だろうと思う。とにかく甘辛くはない。)がたっぷり入っている。お煎餅が焼きあがるとトングで何片かをはさみ上げて、この甕にジャブンと浸す。それをかじりながら通りを歩くのが此処のファッションなのだ。ちゃんと「食べ歩きセット」というのが有って、袋に五片入って確か2百円だったと思う。原宿だとソフトクリームかクレープだろう。此処では生醤油の焼きたてのお煎餅だ。焼きたての温かさに醤油の香りが立って、ところどころ沁みた醤油が乾ききらずにしっとり湿っている。巣鴨に行ったときの僕のお目当ての一つである。このお煎餅には「醤油二度付け」、「三度付け」というオプションもある。刺抜き地蔵の脇には、人も知るカレーうどんだけを食べさせる店もあって、大いに流行っている。又刺抜き地蔵を通り過ぎると、やがて庚申塚商店街と名前が変わり、都電荒川線の庚申塚停留所に至る。この辺は中々風情があるのだが、これは又いつかご紹介することにしよう。
2009.01.13
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◇ 8月16日(木曜日) 旧文月四日、壬午。 京都五山送り火、箱根大文字焼き、三嶋大社祭、松島灯籠流し。最近はまともに昼食や夕食を摂る機会が少なくなって、コンビニでおにぎりやサンドイッチを買ったり、いわゆる「ホカ弁」を買って慌しく済ませてしまうことが多い。元来グルメ(とはいえ、B級)の僕としては、「一生の食事の回数は限られているのだから、一回ごとの食事をおろそかにしてはいけない。」などと思っていたのだが、慣れてしまえば最近売っているお弁当は中々美味しいのだ。それに何より廉い。コンビニのおにぎりは殆ど百円台の前半で買える。これを二つほど購入して、お湯を注ぐカップ味噌汁を添えれば、一回の食事に5百円玉でおつりが来る。当社の辺りはオフィスが多く、昼には「昼食難民」が出るせいで、ホカ弁のお店も数多く出ており、競争が激しいせいかもしれないが、最近など温かいご飯におかずが三品ほどついて390円などというのまで出てきた。コンビニの「おにぎり昼食」より廉いのである。無論「ホカ弁」だから、ご飯は温かいのが売りだし、一食に付きふりかけか味噌汁のパックがひとつ付いてくる。廉いからといって、栄養価に変わりはあるわけでもないし、いただけばちゃんと空腹は癒され、午後の仕事に向かうだけのエネルギーも得られる。先日など、新しくできたファーストフードレストランで、「ポークカレー290円」という看板を見て驚いた。若布入りお味噌汁も一椀付いてくる。もうこうなるとホカ弁も脱帽である。この店はテイクアウトもできるけれど、店内でカウンター沿いに椅子に腰掛けて食べることもできる。いつも必ず客が入っているから、味も悪くないのだろう。一方で、同じ商店街の筋には、「ステーキランチ880円」、「掻揚げ丼1,350円」とか、「中華ランチ1,050円」などという「普通の」クラスの食事どころもあるし、「うな重松4,000円」などという店も平気で軒を並べている。先日、テレビを観ていたら「トリュフの炊き込みご飯、ランチコース」というのがあって、これは3人前が一まとまりでセットされ、一人前が2万8千円なのだそうだ。上記の「ポークカレーランチ」とは実に百倍近くもの懸隔がある。こうなると、ちょっと考え込んでしまう。「ポークカレー290円」(男爵コロッケを付けると350円になる)で養われる命と、「トリュフの炊き込みご飯ランチ」で養われる命とには、どういう差別化ができるのであろうか?まさか数時間後に体外に出てくるモノによって差別化をするわけにもいかんだろうに。百倍のコストをかけた食事で生きている人間が、百倍も優れた仕事をしているわけなどないし、百倍も長生きすることもない。毎日高価な美食を繰り返していれば、逆に290円で賄われている命より早く終わってしまうだろう。金を費やして、不健康と早死にを購う・・・か?或いは単なる無駄か?はたまた、多額の消費による社会貢献なのか?・・・・どうもよく分からない。食事といえば、日本人の場合は大抵「主食」として米を食う。主食に対するものは「おかず」であるが、この「おかず」に相当する英語はない。「おかず」を和英辞典で引いても出てくるのは、「food」か「dish」である。海外に行けば、「鱈の塩竈焼きを、グラス一杯の白ワインで流し込む」。それで終わり。所謂洋食、つまりは狩猟(漁)民族の食事はそんなものだ。主食などという概念はないから、洋食の世界では「米のご飯」は野菜に分類されているのである。「主食というならパンがあるじゃないか。」といわれるかもしれないが、彼らはパンを「主食」という感覚では食べていない。炭水化物を摂取するなら、穀類でなくとも、芋でもトウモロコシでも豆でも何でもいいし、実際そういう感覚である。その点日本人の場合には、どうも米の飯がなければ落ち着かない。僕の知り合いの女性は日本人だが大変パンがお好きなようで、殆ど毎食といって良いほどパンを食されているそうだ。それも、聞けばどうも「主食」の感覚で召し上がっているらしい。その彼女にしてからが、二日に一度は「お米のご飯」を召し上がらないと落ち着かないとおっしゃる。日本人の大半は無論農耕民族である。だからお米が無いとどうも落ち着かない。「銀しゃり」がお茶碗に盛られてきて、初めて「食事」という体裁が整う。そういう根源的な感覚があるようである。今ではもはや死語の部類なんだろうが、子供の頃うどんやパン、素麺や蕎麦が食事として出てくるときは、母親は「今日は代用食だから」と云っていた。その云い様には若干忸怩たる匂いが有った。代用食というものは、何の代用かといえば、それはやはり「銀しゃり」の代用だったのである。そう思うと、日本人は米の飯を食い、それを「主食」とすることで、獣肉や魚肉などを主体とする「おかず」の地位を貶め、自らの獣性を糊塗しているのかもしれない。
2007.08.16
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◇ 2月24日(土曜日) 旧睦月七日、己丑、旧七草、上弦の月。食は毒でもある。実は前の週末以来、酷い風邪にやられての実感である。先ず定番どおりに悪寒から始まった風邪は、発熱、倦怠感の増進と悪化し、二日目にはもう枕が上がらなくなってしまった。無論運動機能に障害があるわけではないから、起き上がって歩くことも出来るが、持続性が全く無くなり、無理をすれば覿面に体調に跳ね返って、熱が更に上がり病状が酷くなってしまう。その内咳も出るようになって、確実ではないが潜血反応も出ていたようにも思う。とにかく三日間は、殆ど「死んだような」状態だった。部屋の戸や窓を全て閉め切って、二六時中ファンヒーターを回し続け(テレビの音を絞って寝ていたら、時々東京ガスの回し者が出てきて小声で叱られたから、換気には否応無く注意させられた)、ポットの蓋を開放して湿気を立て、薬を飲み、ただひたすら寝ていた。普段からすれば異常と言えるほどの長時間を眠って過ごしたのだ。四日目に入ると薬を服用した後で発汗するようになった。それまでは汗腺が閉塞したような気分で汗も出なかったのだ。一旦出始めると、汗はどんどん出る。「これは直り始めたぞ!」と嬉しかった。汗をだらだら流しながら喜ぶなんて、マラソンで無事ゴールできた刹那か、風邪を引いた時くらいしかない。五日目になってかなり回復したものの、翌日又一時的に高熱を発した。しかしその後は順調に復調し始め、現在は咳だけが残っている。まるまる一週間は風邪に全面降伏状態にあったことになるが、こんなに長く世間から物理的に遠ざかっていたのは初めてである。しかし、携帯電話とインターネットのお蔭で、人様に風邪をお裾分けする憂い無しに、肝要な部分では色々「動く」事ができたのは、全く文明の利器のご利益である。この間、自分の食の嗜好は大幅に変化したのには驚いた。先ず風邪の初期には、全く食欲が無くなった。寝てばかりいるからといって、体は色々な分野でエネルギーは消費しているから腹は減る。脳は間歇的に空腹感を伝えてくるが、「あれを食べな」とは一向にアドバイスしてくれない。それで結局二日半、口を通過したのは水やお茶と薬だけで、それ以外の固形物には縁がなかった。欲しいとも思わなかった。三日目になって、これでは体が持たないぞという「理」の声が勝った。家人がお粥を作ったというので、相変わらず食欲は無かったけれど、ありがたくいただくこととした。ところが舌が調味料を受け付けない。僕は普段もお粥は嫌いではなくて、時々作ったりもする。薄味ではあるけれど、出汁や醤油で味を付ける。熱々のところに卵を割りほぐして「卵かけお粥」としていただくこともある。今回も半ば習慣で醤油を垂らしたのだが、これがもう駄目である。不味いというより異様な味がするのだ。醤油の香りも、むっとくる。結局白粥に取り替えて、細切りの夷布(えびすめ)を少し散らしただけで、なんとか茶碗六分目のお粥をいただくことが出来た。この状態は五日目一杯まで続いた。六日目になって、錦糸卵(味付けなし)や、寿司海老(生ではなく茹でて開いたもの)に醤油を垂らして、粥に添えていただいても「平気」になった。所謂獣肉などや油モノには一向に食指が動かなかった。要するに、味の濃いもの、油モノ、獣肉など、僕が普段むしろ好きなものが押しなべてダメなのだ。その代わり、果物や、酢の物、そして果物などは比較的病気の早い頃から食べられるようになったし、食べたいとも思った。可笑しかったのは、左党の僕としては、普段は馬鹿にして食べない甘いものを食べたいと思うようになったことだ。とは言えショートケーキや、チョコレートケーキなどはやはりダメで、ごく単純なスポンジケーキやメープルラウンドなどに、「こんなに美味しかったのか!」と感動した。風邪のような、特定の何処が悪いともいえない病にやられて、衰弱した状態では、我々の体はどんどん本来の動物に戻っていくように思う。そうなると、凝った調味料や化学調味料、複雑なソースなどはダメになる。加工度の低い、原始日本人としてご先祖が普通に召し上がっていたもので、しかも内臓に負担をかけない消化の良いものしか受け付けなくなる。いわば、「縄文・弥生食」。つまり、先祖がえりである。そうだと思う。病院食は不味いというのは健常人の偏見であって、僕はかつて暫く入院した時には大変美味しくいただいた。毎日三度三度時間通りに配膳していただける。そして出てくるものは、今思えば上記の法則にちゃんと沿っているようだ。病んでいても空腹感はあるから、空腹感も優れた自然の調味料である。また、折角我口中にご到来願った食材には、なるべく長く逗留いただけるように、時間をかけ丁寧に何度もかみ締めることになる。何といっても病院食は、よほど空腹でもお代わりは出来ないのだ。酒を飲みながら、だらだら食べ続けるなど論外だ。他の患者の方々とほぼ前後して食べ終える必要もある。但しこれは病院の強制でなく、いうならば自発的同調性の発露である。こういう生活を送って暫くすると、実感として体の中に停滞していた毒素が、徐々に体外に抜けて行くような気持ちになってくる。体は到来の食物から滋養分を吸収しつくそうと努めるから、大量の「う×こ」を排泄する快感など、過日の別世界での良い思い出になってしまう。そう、要するに普段我々が、当たり前に食しているものは、「毒」を含んでいるのである。特にグルメだとかヘルシーだとか、能書きが付くものには毒が多そうだ。考えてみればわざわざ大枚を費やして、より高濃縮の毒を求めるのだからおかしな話である。しかし、やはりそれでも「毒」は美味しいのだ!少しずつ体調が復して来ると、あれほど美味しく慈しみすら感じて、それまでの食生活をこの機に改めようとまで、決心しかかっていた「縄文・弥生食」も魅力を失い始めた。そして、次第に味の濃い、複雑なものを食べたいと思い始めた。とはいえ、未だ炊き込みご飯や、茶碗蒸しの程度だが、それでも病のピークの時には、茶碗蒸しだって食べたいとは露ほども思わなかった。ましてや炊き込みご飯においてをやである。そうなると、今回のように拘束されざる身としては、どうしても欲求に屈してしまう。こうして我が身もまた、動物としての感覚の鋭敏さや、ナイーブさを再び失い、徐々に鈍磨し、麻痺しながら、雑菌と毒と魑魅魍魎に満ちた人間の現実と云うものに戻っていくことになる。東北地方出身の新進の作家である伊坂幸太郎君の最新の短編集、「フィッシュストーリー」の中に、「人間の悪いところは、動物にないところ全てである」という言葉があった。まことにその通り。わざとやってみるのは、中々お勧めしないが、時にこうして風邪でも引いて、先祖がえりしてみるのは大いに貴重な体験になると思う。若し上の仮説が正しいとするのなら、「病院食体験コース」というのを有料で開設し、希望者には最低でも一週間、あたかも入院しているのと同じ条件の管理下で暮らさせてみるのはどうだろう。結構なビジネスになるかも知れない。なにしろ、これは単なるダイエットを遥かに凌駕すると思う。そのためには、需要調査と併行して、例えば刑務所の入所時と出所時における身体に関する各数値を調べ(多分皆以前より健康になって出てくるはずだ)、根拠資料として整備しておくのが良いだろう。こんなことを考え始めたのは、昔なじみの「毒」が僕のところにどんどん戻ってきているせいだと思う。面白いことに、この一週間体重は殆ど見るべき変化を示していないのに、体脂肪率は時に10ポイントも乱高下したことである。これは何故だか、未だちゃんと考えていない。
2007.02.24
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◇ 10月19日(木曜日):旧葉月二十八日(辛巳);東京日本橋べったら市、京都建勲神社舟岡祭。このブログの以前には、「二十四気便り」と題し、折々の雑感を文章にして、インターネット上のお知り合いや友人にお送りしていた。二十四気とは、普通には「二十四節気」といわれることが多いが、要するに、啓蟄とか寒露、夏至などといった季節の節目の事である。その所為で結構季節や暦に係る古くからの話題に触れることが出来た。会社を始めて、大いに急がしくなってしまった所為で、プッシュ型の「二十四気便り」の継続が困難になり、このブログを始めたわけだ。しかし、やはり暦や季節感を示す出来事には相変らず関心があり、いつも冒頭には旧暦や、我国のあちこちの伝統行事を並べている。明日の20日はえびす講である。10月は別名神無月といい、日本中の神様が年一回のキックオフ・ミーティングの為に出雲に出張される月である。そうすると巷には神様が居なくなってしまうので無用心だ。しかしそこは神様の事、抜かりの無いようにちゃんと留守番役の神様を置いていかれる。七福神の一人で、商売繁盛の神様であるえびす様も、留守番役のお一人である。それで民草は、神無月の20日には留守神としての恵比寿様をねぎらい、民の竈(かまど)の一年間の無事を感謝申し上げる行事を執り行うのである。これがえびす講である。出雲で行われている神々の集まりが公式全体会議であるとすれば、えびす講はカジュアルな秋祭りを兼ねた民間行事というわけだ。さて、今日の暦の「日本橋べったら市」は、このえびす講の前日に行われるのである。この市の元締めは、東京は日本橋の宝田神社である。この神社は徳川家康以来の由緒ある神社で、この界隈の鎮守様として四百数十年の歴史を持っている。祭神は家康入府の際に賜ったというえびす様なのだ。べったら漬は大根の浅漬けで、皮を剥いた大根を、砂糖と塩を混ぜた甘酒の麹に漬け込む。この皮を剥くというのが東京のべったら漬の必須工程である。甘辛の麹に漬け込まれた大根は、数日もすれば食べごろになる。真っ白な大根の肌と、甘いコリコリした食感は、庶民のお祭の雰囲気にはぴったり合ったのであろう。今日と明日の2日間は、日本橋の宝田神社(日本橋本町)を中心に、近隣の小伝馬町、大伝馬町、人形町界隈の通りにべったら市が開かれて賑わう。散々人手にいじられて、都市化してしまったように思える東京でも、昔の地名や行事はこうして未だ残されているのである。明日あたりは、お近くの方々は、日本橋までえびす様に参詣に出かけ、お土産にべったら漬をお買いになっては如何だろうか?こういう古来の行事だって、訪れる人がいればこそ続いていくのであるから。♪♪今回の厚木語辞書♪♪『引く手余った』 - 「引く手」が「受け手」より多くなって、受け手が足りなくなり、余ってしまう事。転じて、あるもの(人)に大いに人気があること。【対応する日本語】 - 引く手数多。
2006.10.19
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◇ 10月14日(土曜日):旧葉月二十三日(丙子);鉄道の日、釜石船曳祭。最寄の駅を降りて、踏み切りを渡り家に向う道は、日中は途切れることなく車が往来し随分賑やかだ。先日夜遅くに帰宅する途中、ここでタヌキを見かけた。人気の無い道を歩いていると、何やら近くに生き物の気配がして目を向けると、普通の犬位の生き物が並んでこちらを見ている。直ぐに狸君だと分かった。「へぇー、こんなところにも居るんだ。」と思った。黒っぽい、丸い体つきで、お尻の辺りがなんだかプリプリして愛嬌がある。二匹揃ってこちらを見ている様子は、猫のように狷介で無く、犬のようにへつらう雰囲気も無い。ただいきなり出会ってしまって、挨拶をしたものかどうか戸惑っている雰囲気である。家の直ぐ近くで狸を見かけても特に仰天することも無かったのは、とぼけたようなその様子のせいだったろう。暫くしたら、向こう様も興味をなくしたのか、二匹揃って家と家の間の闇にそそくさと消えていった。僕の父方曽祖父は群馬県の館林の辺りの出身だと、ずっと昔に父親から聞いた記憶がある。館林と言えば茂林寺。これは曹洞宗のお寺で、茂林寺は文福茶釜の伝説のあるお寺だ。つまりはだから、僕自身狸君とは何処かで血縁である可能性もあるのだ。狸と言えばタヌキ汁を思い出す。タヌキ汁は童話などではごく普通に出てくるが、恐らくはこれを食べた事がある人となると殆ど居ないのではなかろうか。無論僕自身も食べた経験が無い。ところが、このタヌキ汁を食べられるところがあって、それは奈良の宝蔵院という槍術で有名な、日蓮宗のお寺である。しかし、狸君の肉は非常に獣臭く、そのままではとても食べられたものではないそうだ。臭みを消すために肉を稲藁で包んで1週間ほど土中に埋め、その後掘り出した肉を更に2時間ほど流水に晒す必要がある。更に更に、料理の段階でも、酒で煮たり、生姜や大蒜を使ったりと色々工夫しなければならない。タヌキ汁も臭みを消すため、味噌味にするのである。地方によっては「タヌキ」といえば、アナグマのことを指す。アナグマはネコ目イタチ科の動物である。アナグマを「タヌキ」と呼ぶ地方では、イヌ科の狸のことは「ムジナ」と呼ぶのだそうだ。栃木県のある猟師が、偶然狸が獲れたので、土地の老人にタヌキ汁の作り方を聞いて作ってみたが非常に不味い。翌日老人に文句を言ったところ、「これは『ムジナ』でねえか。タヌキ汁は『タヌキ』の肉で作らんと、食えるわけねぇべ!」と言われたという話がある。つまり、どうも「美味しいタヌキ汁」は実は「アナグマ汁」であるようなのだ。しかし、この飽食の時代に、手間隙かけて無理してタヌキやアナグマの肉など食べることもない。奈良の「宝蔵院流タヌキ汁」も、昔は狸肉(アナグマ肉?)を使用していたけれど、やがて歯ごたえが似ている(??)蒟蒻を狸肉に見たて、野菜などを入れて味噌仕立ての精進料理へと変化したそうだ。つまりは、「タヌキ汁」は「コンニャク汁」に化けてしまったのだ。まぁ、そういうことで先ほど見かけた狸君も、うっかり人間に食われてしまう気遣いは無いのである。狸君は、一度配偶者と出会うと、終生一緒に暮らすという見上げた倫理観の律義者なのだそうだ。件の狸君も二匹が一緒だった。東京のベッドタウンに居を構えた狸夫妻には、何となく「頑張れよ」と云ってやりたい気持ちである。♪♪今回の厚木語辞書♪♪『産まず弛(たる)まず』 -出産は女性にとって大変な事業であり、どうしても事後体形に影響が出てしまう。それを避けるために、出産することなく、のみならず加齢しても体の諸方が重力に屈服して弛まないように、様々な不断の努力を重ねること。その後、女性だけでなく男性についても、努力を継続することをこう云うようになった。【対応する日本語】 - 倦まず弛(たゆ)まず。
2006.10.14
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◇ 9月28日(木曜日):旧葉月七日(庚申)マーボ豆腐は自分で作れるのだ!テレビに『試して合点』という番組がある。安物の週刊誌の見出しのように、題名にほだされて実際に観てみると、途中から竜頭蛇尾の傾向が明らかになって、結局『So What!?』で終わってしまうことが多い。しかし、ごくたまに最後まで「なるほど」と思えるものもある。だから、一応面白そうかなと思うのは、DVDに録画する。先日の麻婆豆腐のコツというのは、この数少ない例外の一つだった。麻婆豆腐は、日本人に最も好まれる中国料理の一つではあるが、家で作るときは大抵はレトルトの出来合いのものを買ってきて済ませてしまっている。僕もそうだった。(実は僕は人も知るWeek End Cookである。料理とは極めて知的で、非線形的な作業であり、大いに気分転換になるのだ。)ところが、豆板醤と甜面醤(どちらも、スーパーマーケットで今では普通に買える)を使えば自分で出来てしまうのだ。麻婆豆腐の作り方は簡単である。(1) ひき肉を炒める。(2) 調味料と豆腐を入れて煮る。(3) 水溶き片栗粉を入れてとろ味をつける。以上でオシマイ。しかし、大抵の場合、出来上がりは余り美味しくない。ちゃんとした中国料理店で戴く麻婆豆腐にははるかに及ばないのが普通である。しかし、以下の「四つのコツ」を実行すると、これが驚くほど美味しくなるのである。(1) ひき肉を炒める←ここでは「肉を充分すぎる」と思うまで炒めるのが最初のコツだ。目安は、染み出した肉汁(最初は白く濁っている)が透明になるまで炒めること。これは、スープにコクをつけるためにきわめて重要なのだ。(2) そこで、みじん切りの生姜とニンニクを入れて炒め、豆板醤と甜面醤を適量合わせる。(このバランスで甘辛が決まる。)(3) 鶏がらスープを注ぎ、醤油、砂糖、酒で味を調え、豆腐を入れる。小口切りした長葱も入れる。(4) 賽の目にした豆腐を入れて煮る。←豆腐は一貫して「優しく」取り扱うこと。崩してしまっては豆腐の触感が損なわれるし、第一見た目にもみっともない。(第二のコツ)(5) 豆腐を入れたら、すぐに少量の油(胡麻油だと香りも良い)をかけまわす。←これは「飾り油」といって、中国料理では普通のことらしい。スープの表面を油の皮膜が覆うことで、沸点が120度くらいに高くなり、この高温が豆腐のたんぱく質の網目構造を壊し、「プルプル触感」の美味しい豆腐に変身させるのだ。(第三のコツ)(6) 水溶き片栗粉を均等に入れたら、静かにひと混ぜした後煮込む。鍋の縁が少し焦げるくらいまで煮込むのが第四のコツである。こうすることで片栗粉の「糊化」が一様に完璧になり、滑らかな触感が実現できる。後は器に移して食べれば宜しい。これだけの事だけれど、嘘のように美味しい麻婆豆腐ができるのである。是非トライしてご覧じろ。麻婆豆腐は中国では「焼く」料理に分類されているのだそうである。なるほど!♪♪今回の厚木語辞書♪♪『ウンチ苦を語る』 - 長い間の宿便を脱して大変な思いで排便した苦労話をすること。転じて、自らの苦労話や経験を他人に綿々と語ること。余り便々(!)とやりすぎると嫌われたり無視されたりするので注意が必要である。【対応する日本語】 - 薀蓄を傾ける 『オカマを起こす』 - 商売に励み、身代を形成すること。オカマの働くのは普通人が眠る夜である。オカマが寝てしまっては商売にならない。オカマは、眠いのを押して起きて仕事に励まなければならないのだ。【対応する日本語】 - お釜を興す
2006.09.28
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◇ 9月24日(日曜日):旧葉月三日(丙辰)『法律はソーセージのようなものだ。それが何から出来ているのか、見ないほうが賢明である。』僕は自分のメールの署名欄に、何かから取ってきたアフォリズム(警句)で、ちょっと小洒落たと自分が思うものを引用している。これを始めた頃は、「そんなふざけた文句を社長ともあろう役目の人間がメールの後にくっつけて!」と文句も出たが、文句が出たのは社内だけで、外からは何の反応もなかった(それも寂しい!)ので、めげずにずっと続けている。上のは現在使用中のもので、これはかつて鉄血宰相と称えられた、19世紀後半のドイツの初代首相、オットー・フォン・ビスマルクが云った言葉だそうだ。泣く子も黙る(だったはずだ)ドイツ帝国の鉄血宰相が、ソーセージの中身を思い描いてこんなことを云っていたと思うと可笑しい。僕等の世代で「ソーセージ」と言えば「魚肉ソーセージ」と決まっていた。筒状のビニール(?)の中に魚肉由来の、つまりは鮮やかなピンク色のかまぼこの材料のようなものが詰まっていて、両端がアルミの太目の針金で留めてある。あの、ビニール樣の容れ物は、ちっとも綺麗に剥けない厄介もので嫌いだった。その内、「ウインナソーセージ」というものが出てきて、初めて食べた時はそれまでと違う肉の味に感動したものだ。当時は、学校に持っていくお弁当に入れるのが流行った。鮮やかな赤い「皮」を纏っていたから、半分に切って火を通すと小さな蛸のような形になったのである。(余談だけど、当時名古屋の喫茶店で「ウィンナコーヒー」を頼んだら、厨房で暫くもめた後に普通のブレンドコーヒーにウインナソーセージが付いて来たという話があった。多分、意地悪な「東京人」がナゴヤを馬鹿にしての捏造であろうと思うが、本当のところ真偽の程は分からない。こういうことは、実際にあったほうが楽しい。)あの当時であれば、上の警句には何の感慨も無かった、というより意味するところがはっきり分からなかったのじゃないかと思う。今では、そこいらのスーパーでも色々なソーセージが買えるようになったが、それでも元来が農業国である我国は、肉料理に関しては未だにナイーブで、例えば「血のソーセージ」などは、殆ど手に入らない。これは、ドイツへ行けばごく普通に売られていて、中に入っている「血」も固いのから柔らかいのまで、色々ある。多分ビスマルク君は、この「血のソーセージ」を念頭に置いて、上の警句をひねり出したのだろうと思う。確かに、法律なんて「血のソーセージ」のように、おどろおどろしい面を持ってはいるな。♪♪今回の厚木語辞書♪♪『遺髪を継ぐ』 - 亡き人の遺髪を受け継いで、生前の業績を偲ぶこと。転じて、先人の事業などを継承すること。従ってハゲた人の事業は対象になりにくい。【対応する日本語】 - 衣鉢を継ぐ 『浮き輪足立つ』 - 浮き輪を着けて海に入っても、ぎりぎり足が立つような深さでは、却ってふらふらして不安定である。これから転じて、落ち着かない様子。そわそわして逃げ腰になることを云う。【対応する日本語】 - 浮き足立つ。
2006.09.24
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◇ 4月17日(月曜日)晴れ;旧弥生二十日 丙子、春の土用昔は日常的に身の回りにあったのに、今はもう殆ど見かけなくなったものが幾つかある。水屋や蚊帳、卓袱台などがそうだが、鰹節削り器もその仲間だ。昔は鰹節を削らせてもらえるようになると、ちょっと大人に近づいたような気持ちがしたものだ。厚手の木で組み立てられた鰹節削り器の端を叩いて、鰹節が薄板状にくるくる出てくるように刃の出方を調整するのには、ちょっとしたコツがあって、妹が面白がって近づいてきても決してやらせることはなかった。それが、最近ではとんと見ない。恐らくはどの家でも一個はあるけれど、使われずにどこかにしまわれているのであろう。我が家でもそうである。昔流の鰹節削り器は刃が欠けやすく、どうかするとすぐに削れなくなってしまいがちである。それに削っている最中に刃が欠けるということは、欠けた刃が何処に行ってしまったのか心配になる。削った鰹節に混じってしまったかと思えば不安になる。それに、段々鰹節が小さくなっていくと、手まで一緒に削ってしまいそうで心配だ。僕は、鰹節は自ら削って使うものだと思っているが、このような理由でいつのまにか削り器を使わなくなってしまった。ところが、知人の紹介で、ハンドルを回すだけで鰹節が削れる鰹節削り器があると聞いて俄然欲しくなり、とうとうこれを買ってしまった。「株式会社枕崎市かつお公社」という鹿児島県のメーカーが作っていて「おかか7号」という名前で売られている。(URL: http://www.rakuten.co.jp/katuo/)メカニズムとしては何らけれんみがあるものではない。昔のカキ氷を作る機械と機構は殆ど変わらない。水平の丸板に120度毎に刃がつけられてあって、この板の上に鰹節をあてがい、板の中央につけられたハンドルを回すと、削れた細片が下の容器に溜まるのである。単純な機構である。鰹を動かさず、ハンドルを以って刃を回転させることで鰹節を削るようにした。細かくギザギザに刃をつけたストッパーで鰹節を固定するから、小さくなっても手まで削ってしまう心配はない刃は一枚の大幅な鋼をでこぼこに切り抜いて、幅5ミリ程度の何枚もの小さな刃で鰹節を削るようにしてある。幅の広い刃だと、削るには大きな力が必要になるし、刃も欠けやすくなる。恐らくは「おかか1号」から7号に至るまでには、こういった様々な細かい工夫が凝らされてきたのであろう。削ってみると、最初は粉が出てくる。粉が出るのは、刃が鰹節にしっくりと噛みあうまでの間だからしょうがない。その内すぐに細く長い桃色の薄片状に削れるようになる。そうなると面白いものだから、どんどんハンドルを回す。出来上がるのはやや幅広だが所謂「糸削り」である。僕は幅広に削ったのも大好きなのだが、これは機構上の制限だからしょうがない。ハンドルを回しながら削っていくと、プラスチックの受け皿が削り片で一杯になるのは、瞬く間である。削りたての鰹は本当にいい香りがする。このところ週末ごとに、鰹節を削って、豆腐や焼き茄子、おひたしなどに使っている。特に今の季節は、熱々のご飯の中央に釜揚げのしらすを盛り、その周囲を鰹節で覆って、生醤油をかけ巡らして食べると、本当に美味しい。ところで、世の中には、「鰹削りぶし」と「鰹節削りぶし」というのが有って、それぞれ厳然とした違いが有る事をご存知であろうか?生の鰹から、鰹節が出来上がるまでには無慮20工程ほどの手間がかけられる。基本的には、煮る→乾かす→かび付けというサイクルだが。各工程が更に細かい工程に分けられているから、最終的に鰹節が出来上がるまでには、随分の手間がかけられているのだ。鰹を煮た後、骨を抜き去って乾燥させ、水分が25%程度までになったものを「荒節」という。この荒節を削ったものが「鰹削りぶし」なのだ。荒節は、更にカビを付けられて、鰹節になっていく。カビも、付けては乾かし、その後カビを取り去ったあとに再びカビ付けしと、この工程が三回から、最大六回まで繰り返される。三回までカビ付けしたものを「枯れ節」、四回以上カビ付けしたものを「本枯れ節」という。この枯れ節を削ったものを、「鰹節削りぶし」と呼ぶのである。名古屋名物きしめんに山ほどかけられて、身をねじってもだえているのは荒節を削った「鰹削りぶし」である。「鰹削りぶし」は、「花かつお」として袋詰して売られている。こういう辺りは意外と知らない事なので、覚えておくと結構知ったかぶりが出来るものだ。それにしても、春野菜の出回る頃、ちょっと工夫をして削りたての鰹節をふんだんにかけて美味しくいただけるのは、おかか7号のおかげ様々である。
2006.04.17
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◇ 4月16日(日曜日)曇り肌寒い。;旧弥生十九日 乙亥、復活祭今日はキリスト教の復活祭。ゴルゴダの丘の上で磔刑に処されたキリストは、死後三日して生き返ったのだそうで、それを祝う祝日である。この日はEaster Sundayといって、「春分の後の最初の満月の後に来る日曜日」、とややこしい設定が為されている。「移動祝日」といって、最近は日本でも増えてきたが、復活祭がなぜこんな決め方がされたのか、その由来は知らない。復活祭前の一週間はHoly Weekといって、日曜日の「枝の主日」に始まり、「復活徹夜祭」、「聖木曜日」、「聖金曜日」と、かの国々ではキリストの受難と復活を記念する様々の行事が行なわれる。そして復活祭には彩色した卵を食べるのだけれど、これも何故だか僕は知らない。彩色してどこかに隠した卵を見つけ出して(そうするのだと、以前人に聞いたことがある)食べるなどという手続きをわざわざ踏んでどんな意味があるのか?そもそもお絵かき卵と磔刑になったキリストとどう繋がるのか?よく分からん。しかし、アチラ様からすれば、お稲荷さんの祠に大真面目で油揚げを供えている日本人は、奇妙奇天烈に見えることだろう。何にしても、およそ宗教には、信者ならざる者の目には奇妙な風習やしきたりが伴うものである。長々と咲き残った染井吉野の花も流石にもう散りきって、今は御茶ノ水から会社の事務所のある神田錦町に抜ける横道沿いには、山桜の花が美しい。山桜は開花の頃には若葉も芽吹いている。若葉の芽吹きは蝶の羽化に似ている。まだ開ききらない薄緑の小さな葉群れと、ほの白い花が交じり合って風に揺れている眺めは、染井吉野の爛漫の開花とは違い、いっそしとやかな風情があって良いものである。こうなると美味しいお酒を戴きたくなるものだ。山桜並木の直ぐ傍、住所は神田小川町に、「鷹ばん」(03-5281-4544)という屋号の料理屋がある。事務所が近くに引っ越した時に初めて暖簾をくぐって以来結構気に入っている。カウンターとテーブル席のみのお店だが、僕はカウンターに座るのが好みだ。料理はコースでも頼める。一品はどれも小ぶりの盛りで美味しいが、自家製のさつま揚げと、柔らかく炙った熱々の「鮭とば」が程よい塩加減で特に気に入っていて、暖簾をくぐる度にこの二品は必ず頼むことにしている。今の季節は桜海老のさつま揚げが出される。席に着くと目の前の黒塗りの八寸に、細切りの塩昆布が客待ち顔に用意されているのも好みだ。しかし、このお店の本分は無論お酒にある。「鷹ばん」には常時日本酒が数十種類用意されている。近頃の日本酒は、以前とは比べものにならないほど種類が多く、土地ごと、季節ごとに「旬の酒」がある。僕などは自分で色々勉強しようなどとは思わないものぐさ者で、そのお店の人にひたすら頼ることにしている。こういう時、何だか高みから見下ろすように、聞きたくもない御託を長々と述べる店が少なくないが、「鷹ばん」は「日本酒のソムリエ」とでも云うべき人が居て、料理が変り、こちらの酔いが進むほどに、一番美味しくいただけるお酒を、それも押し付けがましくなくガイドしてくれる。飲み食いにお金を払うのは、こういうサービスがあればこそである。もう一つ、最近知人に連れて行ってもらった店がある。虎ノ門に酒造会館というビルがある。我国の各都道府県には酒造組合連合会と言うのがあって、その元締めが酒造組合中央会という。この中央会が入っているビルが酒造会館なのである。云うならば、日本の造り酒屋さんの大元締めである。このビルの地階に「ともえ」というお店(03-3295-7284)がある。「登萌絵」という、万葉仮名のような漢字を充てる。酒造組合の経営する店だから、日本酒の種類が豊富な事は容易に想像できるが、それにしても常時60種類ほども用意されていると言うのだから、半端ではない。肴も毎月単位でその季節の美味しいものを仕入れて料理として出してくれる。ビルの地下の店なのに昔ながらの飲み屋の雰囲気を保っている。聞けばもう40年ほども造作をいじっていないのだそうだ。後から思い出すと、三和土たたきの上にテーブルとビニール張りのスチールの椅子を無造作に並べた様子が浮かんでくる。実際には無論違うのに、そういう記憶が残るような雰囲気の店なのである。この店では、日本酒に氷を浮かべて飲ませる。いわば日本酒のオンザロックである。折角の日本酒に氷を浮かべて呑むなんて、味が薄くなってしまうだろうと思ってびっくりしたのだが、こういう呑み方もあるのだそうだ。利き酒などでは、こうして氷を浮かべて呑んだりもするそうである。「酔い過ぎないから良いんですよ。」とオカミはおっしゃる。ちょっと耳新しい事を聞いたり新しいことを覚えたりすると、すぐに方々でやりたくなるタチで、行きつけの店でも「ほら、こういう呑み方があるんだよ。」と見せびらかしてみた。当然こういう時は、氷も水道水を凍らせたのでは駄目だから、近くのコンビニでオンザロック用の氷を買っていったのである。中々美味しくて、「これなら深酔いしなくて良いや」とやっている内に普段より沢山量を呑んでしまった。薄める事で、却って量を過ごしてしまうのだから、この呑み方はむしろ体に悪いかもしれない。
2006.04.16
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◇2月4日(土曜日)晴れ; 旧睦月七日 甲子; 立春、旧七草、水沢黒石寺裸祭節分の夜が明けて立春になったら途端に寒くなった。予報によると今日は東京も冬日だという。何しろ風が強い。家を出るときも、近くの欅の頂きを揺らせて風の渡るごうごうという音が聞こえた。「立春っていったって、あまくは無いぞ。本当は今が冬のピークなんだぞ。」と釘をさされたようなお天気だ。「根岸の里のわび住まい」という俳句の台座のような言葉がある。この言葉の上に、適当な五音をくっつければ、それなりの俳句が出来上がってしまうのだ。「初雪や 根岸の里のわび住まい」、「草芽吹く 根岸の里のわび住まい」、「初節句 根岸の里のわび住まい」、「鳥啼くや 根岸の里のわび住まい」・・・と何でもござれである。根岸といえば、上野公園の北の端、科学博物館や都立美術館を通り過ぎてどん詰まりの国立博物館の裏手辺りの一体である。谷中の墓地や入谷の鬼子母神などがご近所にある町だ。今では面影も無いが昔は、江戸近郊では有数の米作地であった。又、首都の中心からさほどの距離でも無いところに広がる長閑な農村風景が好まれた所為か、文人墨客の仮寓居も多くあったそうだ。さてそこにビジネスのシーズが生じる。農家は出荷できない割れ米や粉米(こごめ)を使って、餅を作り、餡をくるんで菓子とする。文人墨客はこれを街中の係累や友人への手土産にする。それで、根岸の里には餅菓子の老舗が多いのである。今日は、大学時代の友人が何人か夕方に集まる事になっている。折りしも立春だ。ただ集まって呑んだくれるだけでは芸が無いから、風流人としては、春の菓子でも手土産にぶら下げていこうと、根岸の里の竹隆庵岡埜に桜餅を買いに行ったのである。さりとて本店に行くのは億劫だったから、秋葉原にある支店である。それなら会社に出るにもさほどの寄り道にならない。こし餡と味噌餡の桜餅を適当に混ぜて人数分。それからこのお店の名物のこごめ大福を二個追加。これは、本来お休みなのに、我々だけのために不承不承ながらもお店を明けて下さる小料理屋の女主人への懐柔策である。二個というとけち臭いようだが、この大福は、大人のこぶしほどの大きさがあって、中々食べ甲斐があるから、二個以上買うと「太らせるつもりでしょう」と責められて逆効果になる。岡埜のこごめ大福は餡の甘味も癖が無くてあっさりしているから、どんどん食べられるのだ。白状すると僕自身は甘いものが苦手で、昔から餡子を食べると頭痛がしてくる性質である。それが「おいしい」と思えるのだから、中々のものだと思うのだ。それでもこの大きさでは、茶席には下品で向かないだろうな。桜餅は、東京では向島の長命寺が有名だ。ここの桜餅は、一個のお餅を三枚の桜の葉っぱで包む。餅そのものではなく妙なところに贅沢をするものだと思っていたら、好きな人は葉っぱをむしゃむしゃ食べてしまうのだそうだから、それなら納得はできる。岡埜の桜餅は、一枚の葉っぱしか使わないからごく普通の姿をしている。しかし、餡はこし餡の他に味噌餡もある。この味噌餡は、元々は関東独特のものらしく、以前父親が久しぶりに上京した折、湯島天神下の和菓子屋の店先に味噌餡の柏餅を見つけて、無闇と喜んでいた事を覚えている。さてさて今夕は、春の香りの桜餅をぶら下げて、「花餅や 根岸の里のわび住まい」などと洒落てみよう。それに、のっけに甘いものを食わせてしまえば、呑み代も廉く上げられるかもしれない。
2006.02.04
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◇2月3日(金曜日); 旧睦月六日 癸亥; 節分せつぶんと入力して漢字変換したら、先ず最初に「拙文」が出てきた。失敬なパソコンだ。今日は本来四つある節分の生き残り、「春の節分」である。東洋の暦では、明日から春ということになるが、西洋では冬至を冬の始めとし、春分までを冬とする。つまり立春は冬の極まるところだと考えるのだ。体感上はむしろ西洋の考え方の方が実際に有っているのだが、それでも立春と聞くと何やらほっとした気持ちになるのは、我々東洋の民族は季節の移ろいを微分の感覚でとらえるからである。この何日か恵方巻きという幟を、コンビニやスーパーでやたら目にする。一体なんだろうと思ったら、海苔巻きの太いの、つまり太巻きだ。これを節分の日に恵方(今年は南南東だそうだ)を向いて食べると、良いことに恵まれるのだという。大坂や中部地方の習慣だということだが、岐阜出身の僕自身、そんな変な習慣など聞いた事がない。バレンタインのチョコと同じく、どうせどこかの商工組合か何かの陰謀だろう。そういえば春の節分は、方々の神社で華やかに鬼打ち豆をまいて賑やかではあるけれど、この日に食べるのは炒り豆くらいで、春分にまつわる料理というものは特にない。炒り豆だけでは乾物屋さんくらいしか繁盛しないから、そこに目をつけて太巻きを売り込めば、海苔を商う乾物屋さん以外にも、お米屋さん、お酢屋さん(?)、卵屋さん、魚屋さんなど幅広く需要を喚起できる。なるほど、そういう作戦だったのか・・・・というのは考えすぎだろうな。昔関西(大阪?)の色町で、この日芸者が願掛けして太巻きを食べたら願いが叶った、というのがどうも恵方巻きのルーツらしい。そういう極めてニッチな風習が、どうして急に方々に広まったのかは謎だ。僕などは、今年になるまで全く知らなかった。この辺に何者かの商魂が見え隠れする。それにしても、今年は東京では恵方巻きの幟やポスターをイヤというほど目にするのだから、我が日本人の流行りもの好きも大したものである。この恵方巻きは切らずに、巻き簾で巻いた太長いのを、そのまま丸かじりするのだそうだ。それも食べ始めから食べきるまで、ものも言わずにひたすらかじり続けるのが正式の「作法」だという。色町の芸者がルーツであるにしては甚だ下品だ。今夕日本全国津々浦々で大勢の人間が、無言のまま同じ方向を向いて太巻きを丸かじりしている図を想像すると、なにやら不気味である。こんな風習、これからも根付いて続くのだろうか?しかし、考えてみればこうして食べ物と絡ませることで、季節の節目が忘失されるのを防げるのなら、それはそれで結構なことだ。それならいっそ他の三つの節分にも復活願って、それぞれに因んだ食べ物絡みの習慣を作ってしまってはどうか?夏の節分は、こどもの日とカブルからちょっと新工夫は難しいかもしれない。秋の節分は夏の盛りだから、恵方を向いての「素麺の一気食い」だな。そして冬の節分はやはり恵方を向いての「焼芋の丸かじり」、或いは「秋刀魚の一本食い」・・・・なんだかどうも芸がないな。とても流行りそうにない。誰か流行りそうなアイデアを考えないものだろうか?
2006.02.03
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◇ 1月29日(日曜日);旧睦月朔 戊午; 旧正月元日、出雲大社福神祭あれよあれよと言う間に一月も終わりになってしまった。今日は旧正月。海の向こうの漢字の母の国では、家族が打ち揃い「恭禮發財!」などと声を掛け合って、新年を言祝いでいらっしゃることだろう。我が民族は、「謹賀新年」とか、「明けましておめでとう」などと、抽象的かつ哲学的な祝詞を交換するのに較べて、かの国では「今年もしっかり儲けまひょうで!」というのが新年の挨拶なのだから即物的・実際的で面白い。だから「謹賀新年」の日本語にはやはり大阪弁が良く似合う。尤も、上のような挨拶を交わすのは、中国と言っても広東省とか香港の辺りだ。北京辺りでは、日本と同様余りあからさまにお金のことを言うのは憚られるようである。別に旧正月とは無関係だが、最近無闇と味噌煮込みうどんを食べたかった。お店に入るとふわっと暖かく鼻を包み込む、鰹出汁の香り。味噌の煮える香ばしい匂い。ふつふつと未だ沸騰しているうちに卓に運ばれる土鍋。独特の腰の強い麺。名古屋の食の名物は、味噌カツとか、海老フリャァ(フライ)とか、色々云われるけれど、僕にとっての名古屋名物は味噌煮込みうどんにとどめをさす。煮込みうどんの類には、カレー煮込みうどん(巣鴨のとげぬき地蔵尊の脇においしい店がある)、うどんすき(これはやはり「みみう」が一番美味しいな)など、どれも美味しい。しかし、これらはどちらも、類似のメニューを他所で見つけるのは、こだわりさえしなければ余り苦労しない。しかし、名古屋のあの味噌煮込みうどんは別格である。あの、味噌と出汁と麺の絶妙なトリオは、ちょっと他所で見つけることは出来ないのだ。あぁ、食べたい!そこでもしやと調べてみたら、会社の近くに名古屋の老舗のうどん屋の出店があることを発見した。東京と言う町は、こういうところが凄い。大抵思いついた店は、探せば殆どどこかにあるものである。そうなるともう矢も盾もたまらず、さっそく食べに行ってしまった。行った先は、神田和泉町。むしろ秋葉原と言った方が分かり易い。電気街とは反対側の、昭和通から狭い路地を入って、三井記念病院に向けて暫く歩いた先に有る。意外なほど小さな店であった。ドアを押すと、あの懐かしい暖かい香りに包まれる。「あぁ、この香りこの香り!」お店は拍子抜けするほど空いていたけれど、2階のテーブル席ではなく、あえて調理場のあるカウンターに寄り付いて、先ずはビールをいただく。肴は、枝豆、板わさ、名古屋風味噌おでんだけ。酒の肴が簡単なものばかりで、種類が少ないところは江戸の昔ながらの蕎麦屋に共通する。つまりは、「当店はうどんを食わせるのが主で、酒呑みの長っ尻はお断り!」という姿勢なのだ。そして、待望の味噌煮込みうどん!先ずは東京での初お目見えだから、最高級(!)の「親子煮込み」をいただくことにした。つまりは、かしわ(鶏肉)を入れ、生卵を落として煮込んであるのだ。やがて、一人宛の小ぶりの土鍋が鍋敷きに乗って運ばれてくる。蓋を取ると味噌出汁の表面にはいたるところにあぶくが盛大にフツフツ立っている。「あぁこれこれ。これでなくちゃ!」鍋の蓋を取り皿代わりに、麺を取り分けて出汁も少しかける。フゥフゥ冷まして、口に運ぶ。「あぁ、この味この味!美味しいなぁ。」名古屋の味噌煮込みうどんは、鍋焼きうどんなどと違って具沢山ではない。麺の他は長葱(中部地方は葱の青い部分を使う)と蒲鉾位である。これにかしわや卵が入ったりするが、あくまでもこれらはオプションである。油揚げや椎茸や何やかや、色々なものを入れると微妙に味が崩れていくようである。うどんの他には、せいぜい薬研掘を振るくらいにしておくのがよろしい。僕はかつてこの味の再現を何度か試したことがあるが、これはもう不可能であることが分かった。八丁味噌を代表格とする中部地方の赤味噌は豆味噌で、豆味噌は煮込んでも味が落ちない。ところが、赤味噌は出汁をとるのが難しいし、それだけでは微妙な苦味が舌に残ってしまう。食べ始めは良いが、食べ進むにつれて、この苦味が気になるのである。老舗の味噌煮込みうどんに使用する味噌は、赤味噌だけでなく白味噌も調合して、更には他にも何か隠し味が入っている。だから、苦味は感じないし、出汁は最後まで飲んでしまっても美味しいのである。この辺は、やはり門外不出、秘伝なのだろう。随分久しぶりの、しかも東京での本格的な味噌煮込みうどんは、どぇりゃぁうみゃぁでかんわ!ところで、名古屋で有名な味噌煮込みうどんの店は、二つある。「○×△総本家」と「○×△本店」と、屋号は同じだからややこしい。総本家は、麺打ちに蕎麦粉を使うが、本店は使わない。本店は、季節によって牡蠣を入れたり、他の食材を乗せたりと相対的にメニューは豊富だが、総本家は、いわば「す」の味噌煮込みと、「かしわ入り」、「卵入り」、「親子」と四種類しかない。総本家は、多店舗展開戦略のようで、東京にも神田和泉町と浅草田原町に出店しているが、本店の方は名古屋と岐阜に数箇所しかお店を出していないようだ。そして、多店舗展開の総本家をやんわり批判している。一方の総本家は、「紛らわしい屋号の店にご注意ください」と、本店を牽制する。昔は同根だったのか、何となく近親同士の意地の張り合いのようだ。まぁしかし、以前は帰省したり出張のついででもなければ口に出来なかった、「あの味あの味!」が極近くで味わえるようになったのは、嬉しい限りである。
2006.01.29
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◇1月4日(水曜日);旧師走五日 癸巳; 初巳、天一天上当たり障りのない世間話をするには、先ずお天気を話題に取り上げるのが定番だ。何しろ、これは一年中使えるネタだから、便利この上ない。次に盛り上がって差し障りのない話題は、世代によって異なるのだろうけれど、僕の年代の場合だと、血糖値とか、中性脂肪値とか、ガンマGTPとかいう、所謂病気の話だな。それから、サプリメントの話題だ。これは、大体がもうどこかしら故障を起こしている身体の持ち主ばかりだから、やむを得ない。以前には、ノコギリヤシとセサミンの併用が、頻尿や残尿感の緩和に効果があるという話題で、一時間以上盛り上がることが出来たから、考えてみれば情けない話ではある。お正月のこの時期に、季節限定で使えるのは、お雑煮の話題である。お雑煮の分類法は、概ね四つくらいのカテゴリーから構成される。先ずは、御餅は切り餅か丸餅かに始まり、次に焼餅か煮餅か。そしてすまし仕立てか、味噌仕立てか、そして中には何を入れるのか。そういった類の分類法である。これが地方によって随分の変化がある。鶏が入ったり入らなかったりというのは基本だが、ところによっては鮭とイクラが入ったり、ブリが入ったりすることもある。中には小豆仕立てというお雑煮もあるそうだが、これはちょっと想像するだけにしておきたい。(要するにお汁粉の亜流みたいなものなんだろう?)僕の場合は、父親が東京出身だった所為で、元旦はすまし仕立てに焼餅を入れて、具としては鶏肉、大根、人参、里芋、それに蒲鉾が入り、青みとしては小松菜。これに削り鰹を盛っていただくのが慣例だ。二日目には、岐阜っ子の母親譲りである、八丁味噌仕立てをいただく。本来岐阜のお雑煮は、切り餅の煮餅なのだが、これは僕の好みで焼餅にする。その他の具材は元旦と同じである。三日目は、カミサンの両親が大坂出身の所為で、西京味噌仕立てで煮餅入りの甘ったるいお雑煮が出てくることがあるが、これは僕が嫌いな所為で、最近はいただいていない。ところが、岐阜に住む妹によると、上の八丁味噌仕立てのお雑煮は、岐阜の正統派のお雑煮ではないそうだ。岐阜地方のお雑煮は、すまし仕立てで、切り餅の煮餅。この餅を、中まで柔らかくなっても、餅の角が崩れないように煮るのが、良き嫁の手腕だったのだそうだ。へぇーえ。嫁の手腕は、別にどうでも良いが、八丁味噌ではなくすまし仕立てだったとは!妹によればあれは母親の我流だったのだと言う。・・・・知らなかった。でも、恐らくは方々の家庭でも似たり寄ったりなんだろう。何も、何県だからといって、お雑煮のレシピが条例で決まっている訳でもない。各家毎に、親やその前の世代、又その前の世代からの一子相伝のレシピに、各世代各人の好みをアレンジしながら、今年のお雑煮をこしらえいただいていらっしゃることであろう。だから、お雑煮はおよそのところは地域性を持ってはいるけれど、細部においては家庭によって千差万別。実情はそういうところじゃないかと思う。しかし、そう考えるとお雑煮こそが今や希少となった「我が家の味」、「親の味」と云う事になるのだろうな。今やコンビニで出来立てご飯や、お節料理まで買える時代だ。何でも好きなものが買えて、「チン」が出来るものだから、普段は食事など殆ど家族ばらばらに、自分勝手に食べるのが当たり前のようになってしまった。しかし、流石に年の始めのお雑煮だけは、余程のことがない限り家族が同じ食卓を囲んで食べる。このしきたりは、未だに殆どの家庭に残っていることであろう。そうやって考えると、お雑煮はエライ。わが国の伝来の伝統を継承するヒーロー(ヒロイン?)である。お雑煮こそ、わが国の料理の中でもっと尊敬されて然るべきものであろう。「お雑煮のエラさ」、この話、今年どこかの新年会でしてやろう。
2006.01.04
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◇水曜日:旧暦七月二十日 庚辰(かのえ たつ) 京都地蔵盆、秩父四萬部寺大施食会、水星が最大西方離角今日は京都の地蔵盆の縁日だ。お地蔵様は子供の守護仏である。「賽の河原地蔵和讃」では、地蔵菩薩は夭折した子供を守る仏として描かれ、賽の河原で石を積んでいる幼子が鬼に苛めれられているを、助けに現れる。子供を亡くした親にとっては、お地蔵様に祈ることは、悲しみを和らげられると共に、アチラでの吾が子の無事をお祈りすることでもあった。地蔵盆は八月二十二~二十四日頃、二日間にわたって行われる。二十四日は地蔵菩薩の縁日だ。地蔵盆は子供のための行事で地蔵盆の期間中、子供達はいろいろ優遇される。地蔵盆になると、祠からお出ましになったお地蔵様は子供達が水で洗い清め、一年間に溜まった汚れを落としていただく。改めてお化粧が施されるところもある。そしておろしたての前垂れをつけられて、綺麗になったお地蔵様は、地蔵盆の会場に設けられた雛壇に晴れがましくも祀られる。前にはお餅、果物、花、南瓜や芋などの供え物が置かれる。お地蔵さんが雛壇に納まると、町内の行燈に灯が入ると地蔵盆の始まりだ。この日、京都を中心とする関西地方の子供達は、夏休みの名残を存分に楽しむのである。夢見るペチャさんのブログに、「ささげ」の話が出てきた。「インゲンを細長く伸ばした」ような異様な姿に、「クローン野菜じゃないか」などとおっしゃる。どうもペチャさんは、「関東という田舎」にお育ちのようでご存じないらしい。「ささげ」というと、お赤飯に使う豆の名前だが、「インゲンより細長い」のは「十六ささげ」といって、我が郷里の「飛騨・美濃伝統野菜」に登録された、由緒正しき立派な野菜である。断じて「クローン野菜」なんかではない!「ささげ」は「細々牙」、つまり細長い豆鞘が牙のように見えるからだとも、伸び下がった豆鞘の先が反り上がって上を向いたのが、ものを「捧げ」ているように見えるからだともいう。多分「細々牙」の方が正解だろう。そして、「十六ささげ」は一つの豆鞘に十六個の豆が入っているのだ。僕の母などは「十六豆」と呼んでいる。ささげ豆の仲間は平安時代に既に栽培されている記録があるそうだが、元々はアフリカ産で、英語では、「Asparagus Bean」とか「Yard Long Bean」という。共に長く伸びた豆鞘の形に由来する名前である。インゲンは、豆そのものは未熟で、豆鞘を食べる。十六ささげは、豆の実はしっかりと大きく、その代わりに豆鞘は薄く柔らかい。だからインゲンとは全く違う食感である。柔らかくもシャキシャキ感も有る豆鞘と、それに包まれたしっかりした歯ごたえの豆の実を活かすには、色々な食べ方を工夫できそうだ。味噌汁の実にしたり、天ぷらにしてもいいが、下記のような食べ方も有る。十六ささげと茄子の炒めびたし(1)十六ささげは5センチに切り揃える。(2)茄子は縦半分に切り、皮に適当に包丁を入れ味が沁み込み易くしておく。(3) 胡麻油を入れたフライパンを熱して(1)と(2)を炒める。(4) 火が通ったら、だし汁、醤油、味醂、酒で味を調え煮込む。(5) 茄子が柔らかくなって、崩れる直前に火を止めて完成。 これは熱いうちに食べても、冷やして食べても美味しい。十六ささげと豚肉のピリカラ炒め(1)十六ささげを軽く茹でて、5センチの長さに切り揃える。(2)豚肉バラ細切れは、軽く塩・胡椒しておく。(3)生姜はせん切り。赤唐辛子は種を取り去り小口切り。(4)フライパンに油を熱し、生姜、赤唐辛子を先ず炒める。(5)香りが立ったら、豚肉と十六ささげを入れ炒める。(6)だし汁、酒、味醂、醤油で味つけして完成。要するに、お母さんのお惣菜だ。十六ささげはどう考えても高級料理や、手の込んだ料理には馴染まない。僕が一番好きなのは、単に十六ささげを茹でて、切り揃え切り胡麻を振りかけておろし生姜を添える。これをお醤油でいただく。夏に帰郷すると母が作る「おかず」の定番だが、これが一番美味しい。お醤油の代わりに、少し甘めに練った八丁味噌も合うだろうな。我が郷里の伝統野菜。ひょろけたような形こそ頼りないが、βカロチン、ビタミンK、食物繊維、葉酸などが特に豊富に含まれる。これを戴くことによって、免疫力向上、美肌効果、造血作用、骨粗鬆症予防、頻尿抑制などを期待できる他、腎臓、胃腸、膀胱の働きも活性化させ、体力をつけてくれるというのだから、これは優れものだ。どうだい!首都圏近郊でも、もっと出回るようになってくれればと願うこと切である。
2005.08.24
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◇土曜日;旧暦五月五日 丙寅(ひのえ とら) 雑節の入梅 チャグチャグ馬コ律儀なもので雑節で入梅と決められた今日、東海地方を含む広範囲の地域で入梅が宣言された。関東地方は、一日だけ早く、気象庁は昨日入梅宣言をなさった。これから一ヶ月余りの長きにわたって日本列島は雨模様の日が続く。梅雨に入ると、空はいつも鈍色(「にびいろ」と読んでくださいね)に雲が垂れ込め、周囲の風景もモノトーンに近くなる。湿度も高く、むしむしジメジメとメリハリのつかないこと夥しい。こう云う時には、せめて食事くらいは色鮮やかにしてみたい。そこで、例えばクラムチャウダーである。クラムチャウダーには、ニューイングランド風とマンハッタン風の二種類あって、マンハッタン風では、ニューイングランド風のクリームの替わりに、トマトソースを使う。僕は、若い頃初めて出張した時にボストン郊外のレキシントンという町で初めてこのクラムチャウダーに遭遇した。その時の感動と美味しさが未だに脳裏に残っているせいで、クラムチャウダーと言えばやはり、ニューイングランド風である。作り方はどうということもない。というより、チャウダーは元来「洋風けんちん汁」のようなもので、クラム(Clam=二枚貝)さえ入れれば、後必須なのは牛乳(か生クリーム)だけ。基本は塩コショウ味。それだけである。ニューイングランドでは、家毎にそれぞれの味がある。そこで、レシピのほんの一例を書いてみよう。これは、僕の好きな作り方である。量はすべて適量。料理というものには計量カップや、秤などは元来要らないのだ。1.今盛りのアサリを茹で、冷めたら身を外しておく。茹で汁は、無論チャウダーのベースになる。2.みじん切りにした玉ねぎとベーコンを、オリーブ油かバターで炒める。この時絶対焦がさないこと。ニューイングランド風は、真っ白なスープが命。3.1センチ角程度のさいの目に切った人参とジャガイモを(2)に加えて更に炒め、胡椒を振って、適当なところでアサリの茹で汁を合わせる。アサリの剥き身も入れる。4.固形スープを一カケ入れ、塩で味を調整する。基本は薄味!水の量もこの時点で調整する。アクは随時取りながら。5.好みではあるが、サワークリームを少量入れるとコクがでる。6.牛乳を入れてもいいが、ホワイトソースか、固形クリームシチューのルゥを入れても良い。後者のほうが少しとろみがつくから、僕としては好みである。これで余り煮過ぎないこと。野菜にちゃんと角が残る程度の方が美味しいと思う。最後に、やはり今旬のグリーンピースを入れ、一回沸騰する程度で火を止め、生クリームを入れて少し蒸らす感じにする。以上!純白のスープに、人参のオレンジ色、グリーンピースの緑が映えて、見た目にも美しい。チャウダーだけでは寂しいから、パスタを茹でてイカスミのソースで和え、皮をむいたトマトを乱切りにしてオリーブ油をまぶしたのをパスタの中央に盛り付ける。どうです。想像するだけで綺麗な彩りでしょう。パスタの黒とトマトの赤。そしてチャウダーの白とグリーンピースの緑。人参のオレンジ色……!ところで、イカスミパスタを召し上がった翌朝は、トイレで通便検査をくれぐれもお忘れなきように。ちょっとした驚きで、二度楽しめること請け合い。
2005.06.11
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「夢見るペチャ」さんのブログにアスパラの話が載っていたので、自称アスパラの権威としては一言。春になってアスパラガスを喜ぶのは普通ドイツ人だと思われていますが、実はドイツ人と同じくらい喜んで春のアスパラを食べるのはベルギー人です。ベルギーに赴任していた某メーカーの友人が、そう教えてくれました。但し、このアスパラは、緑のものではなく、ホワイトアスパラガスなのですね。中部~北ヨーロッパの冬は暗ぁーく、長ぁーいのです。この時期訪れたり滞在したりしたことがある人は皆ご存知でしょう。午後三時を過ぎるともうあたりは夕闇に閉ざされ、街灯が灯るのです。しかも殆ど毎日どんよりした雲が垂れ込めるようなお天気が続きます。だから、やっと春になって出てくるアスパラガスは、彼らにとってウキウキするほど嬉しい野菜なのでしょう。ホワイトアスパラガスは、地上に出てきたアスパラガスに土をかけ、陽が当たらないようにして作ります。要するに美白栽培ですね。レモンを絞ったお湯で茹でて、茹で上がりをそのまま塩やバターで食べても美味しいし、ベーコンとソテーしても美味しい。「夢見るペチャ」さんがお書きのように、アスパラガスはにょきにょきとものすごいスピードで伸びて行きます。筍と較べても堂々たる成長率です。静かなところで耳を澄ましていると「ニョキッニョキッ」と音がします…ウソ。アスパラの成長点は穂先にありますから、横に寝かせておくと穂先だけが天に向かって立ち上がってきます。本来すっと伸びた姿が美しいアスパラが、曲がってしまうことになります。だから、料理するまで暫く置いておくなら、コップなどに立てて真っ直ぐにしておきましょう。いずれにしても、長く置いておくと、成長にエネルギー(つまり栄養や旨み)が使われてしまいます。アスパラは本当に採り立てこそが美味しいのです。グリーンアスパラを茹でる時には、ホワイトアスパラの時とは異なり、お湯にサラダオイルを少し入れるのがコツです。こうすると茹で湯に栄養が溶け出すのを防げます。アスパラは根元の方の皮が固いというので、皮を削いだりする人がいますが、新鮮なアスパラで、茹で方をちゃんとすれば皮を削ぐ必要などありません。美味しい茹で方は;まず、根元から2センチほどは、やはりどうしても固いので切り落とします。油を入れた多量のお湯(海水程度のしょっぱさになるよう塩を入れると、美味しく且つ鮮やかな緑に茹で上がります)を充分に沸騰させます。両手で束ねて揃えたアスパラを持ち、根元の5センチほどだけがお湯に浸かるようにして10秒、その後全身をお湯に入れて50秒。都合1分。これだけです。後は好みに応じて料理すればよろしい。無論そのまま齧るだけでも、野生的なアスパラの香りと味を堪能できます。ちょっと変っていて気に入っている食べ方をご参考に供します。量はすべて適当に。自分で好みの分量を見つけてください。味噌(赤出しより、信州味噌の濾してあるのが合うようです)適当量にマヨネーズを混ぜて練り、ペースト状にしておきます。茹で上がったアスパラを三等分くらいに切り、耐熱皿の上に揃えて並べ、先のペーストを表面に薄く塗ります。これを予め熱しておいたオーブンで、ペーストに少し焦げ目がつく程度まで焼く。それだけです。ペーストには山椒の粉を振ったり、胡麻を混ぜても美味しいでしょう。ビールに良く合います!アスパラにはその名の通りアスパラギン酸が多く含まれて居ます。あれだけの速度で成長するのだから、如何にも元気をくれそうでしょう。今が旬の真っ只中。美味しく茹でたアスパラを存分にいただいて、獰猛な緑の香りとコリコリした独特の食感を楽しみましょう。
2005.06.02
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◇旧暦三月十七日 己卯(つちのと う)奈良興福寺文殊会僕の祖先は父母両系共に「世が世であれば」組で、早く言えば没落家系である。百歳の天寿を全うした父方の祖母は中部地方の有力な家の出で、中央官庁の高級官僚だった祖父が健在の頃までは、随分優雅な暮らしをなさっていた。その後亭主が重篤な病を得て、ついに療養先の岐阜の地で早世した後は、7人の子供を抱えて大いに苦労なさったらしい。無論僕など影も形も未だ無いころのことである。孫の我々が「花沢町(岐阜市にある)のおばあちゃん」の家に遊びに行くようになった頃は、さすがに生活の修羅場も遠くに去り、本来の気位高くも大らかな「おばあちゃん」におなりになっていた。その頃、節句の日や、正月といったハレの日には、おん手づから料理を用意して、孫の到来をお待ちになっていたのである。おばあちゃんの料理は、その性格に似て、メリハリのある味がしていた。「おシゲ揚げ」とは、おばあちゃんの名前を戴いた僕の勝手な命名である。材料は、蓮根、上新粉、卵、小女子、焼き海苔、そして揚げ油である。分量は全て適当。わざわざ計った事が無いから分からない。1.蓮根はおろし金でおろし、軽く絞って余分な水気を取り去る。2.(1)に卵黄を入れ、上新粉も入れて混ぜる。上新粉は少量にしておく。3.(2)に小女子を入れて混ぜる。これはシラスだと柔らかすぎて歯ごたえが無い。小女子も大きすぎると、おばあちゃんに「下品だ!」と叱られる。俗に「カチリ」と呼ばれる小ぶりのものがよい。4.焼き海苔は、名刺の一回り小さいくらいの大きさに折り割いておく。規定サイズの海苔を順番に折っていけばいずれこの大きさになる。5.揚げ油を180°に熱する。6.(3)を(4)の海苔の裏面に7ミリほどの厚さに貼り付け、海苔の面を下にして滑らせるように油に入れる。7.暫らくして(3)の周辺が狐色になってきたら、裏返しにして2分ほど(均等に狐色になる程度)揚げる。8.揚ったら、よく油を切る。後はいただくだけ。蓮根のシャリシャリした中に、小女子が混合し。それに焼き海苔の香ばしさが絡み合う。食感といい、味といい、ビールに実に良く合う。小女子の塩味が付くため、そのまま食べるのが美味しい。あまり上げ時間を長くすると苦味が出る。蓮根のパテの部分は外側が狐色でかりっとしていて、噛むと中は蓮根の白さのままふわっとしているというのが最高の揚げ方ですね。とにかくこれは簡単に出来て美味しい。幾らでも食べられるから、我が家では大きな蓮根を買ってきて、しこたま拵える。「美味しそうだ」と思われたらお試しあれ。
2005.04.25
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