PR

今年は、阪神大震災20年の節目の年。マスコミは口を開けば「がんばれ 日本!」調で染め抜かれていて 僕の心の届いた言葉はごくわずか。そんな中で、たまたま繙いた関西学院大学通信『KG』の1月15日号(246号)は、「ねばならぬ」震災記念日特集は一切なく、キャンパスライフ一色のさわやかな誌面が印象的だった。その巻末の編集後記に当たるページにさりげなく寄せられた経済学部宗教主事の舟木譲さんの言葉に今年僕はもっとも心をゆすぶられました。その全文を以下に。
聖書に聞く
「『さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか』。律法の専門家は言った。『その人を助けた人です』。そこで、イエスは言われた。『行ってあなたも同じようにしなさい』」 「ルカによる福音書」第10章36-37節
2015年1月17日午前5時46分に、私たちは阪神大震災発生から20年目を迎えます。今、あらためてこの出来事に思いを致すとき、その日を境にこれまで当たり前のように過ごしてきた「時」が突然瓦解し、一人ひとりが乱れた「時」を少しでも整った「時」に回復しようと努める日々が始まったように思われます。
一方、大きな災害や事故に限らず、私たちは、自らの病や失恋、受験・就職でのつまずき、親しい人の老い・病・死などの悲しみによる「時」の乱れといった予期せぬ重荷を背負うことも避けられない事実であり、逆に結婚や入学・就職、子供の誕生等の喜びによる「時」の変化に心躍ることもあります。
この端的な事実に向き合うと、普段無意識に身を委ねている「時」が、実は均一ではなく、極めて濃淡と波乱に満ちたものであり、また今自らの傍らにある人の中にも、今まさにそうした「時」の乱れによって押しつぶされそうになっている人が存在している事実に気づかされます。
個人としても社会としても「時」の乱れに傷ついた人々にどのように寄り添い、その乱れを受け止め、回復への希望を与えることができるのか、今この「時」あらためて一人ひとりが自らの問題として問われているのではないでしょうか。

この1月17日の1日前よりわがマンションの壁面に貼りついて達磨大師よろしく瞑想を決め込んだモスラくんがいます。 まもなく10日になろうとしますが、微動だにせず、今日も一心不乱の様子。
この2cm足らずの黒衣のモスラくんは、関東以西では比較的出会うのが稀な クロバネフユシャク Alsophila foedata 。
越冬隊かと思いましたが、真冬が活動期のシャクガの仲間で、幼時クヌギ・コナラを食草として育つと聞きます。雌はもっと小さく、しかも無翅といいますので樹木から離れないのでしょう。是非みたいものです。
この正月は、僕の人生のステージが戦士の休息の日々をほぼ全うし、音を立てて急旋回しはじめたことを強く感じています。
死者のためにこそ生者は生きねばならぬこと。「時」の乱れに直面している他者に対する愛もその中にこそある。との思いを、少しずつ現実のものとしていかねばならぬ責務のようなものを感じています。
第五期の滑り出しは良好。 2026年07月12日
ようやく春先の気候に 2026年06月13日