スターリングラードの戦いについて
スターリングラードの戦い(1942年8月〜1943年2月)は、第二次世界大戦における独ソ戦の決定的な転換点となった戦い。
死傷者は両軍合わせて200万人とも言われ、人類史上最も凄惨な市街戦ともいわれる。
単なる「軍隊同士の衝突」という枠を超え、この戦いには人間の極限状態や、泥沼化する市街戦の異常さを示す数多くの信じがたいエピソードが残されている。
終わらないラット・ウォー(ネズミの戦争)にドイツ軍は圧倒的な空爆と砲撃で市街地の90%を瓦礫に変えたが、皮肉にもその瓦礫がソ連軍の絶好の隠れ家となった。
戦線が極端に入り乱れ、同じアパートの1階をソ連軍が、2階をドイツ軍が占拠し、床板や天井越しに銃撃戦をするといった異常な事態が日常茶飯事だった。
ドイツ兵は下水道や地下室から神出鬼没に現れるソ連兵との戦いをRattenkrieg(ネズミの戦争)と呼び、精神的に激しく疲弊した。
ドイツ兵はソ連軍の手榴弾が窓から投げ込まれるのを防ぐため、窓に金網を張ると、ソ連兵は、金網に引っかかるように手榴弾に釣り針を取り付けて対抗した。
激戦を象徴するのが、ヴォルガ川の岸辺にあった普通のアパート、通称「パヴロフの家」。
ヤーコフ・パヴロフ軍曹率いるわずか数名の小隊(のちに増援を受けて約30名)がこのアパートに立てこもり、周囲に地雷を埋め、有刺鉄線で防御を固めた。
彼らは四方を包囲されながらも、地下に掘った塹壕を通じて補給を受け、約2ヶ月間にわたってドイツ軍の猛攻を退け続けた。
当時のドイツ軍は「フランスの首都パリを陥落させた時よりも、この一軒の家を奪うために多くの兵士を失った」とまで言われている。
スターリングラードには「ジェルジンスキー・トラクター工場」という巨大な戦車工場があり、ソ連軍の主力であるT-34戦車を製造していた。
驚くべきことに、ドイツ軍が工場のすぐ数キロ先まで迫り、敷地内に砲弾が降り注ぐ中でも、労働者(女性や少年少女も多く含まれていた)は戦車の生産を続けていた。
完成した戦車は塗装もされず、照準器すら満足についていない状態のまま工場の門を開け、そのまま数十メートルから数百メートル先の最前線へと自走し、実戦に投入されていった。
ヒトラーの「絶対に降伏・撤退するな」という厳命により、最終的にソ連軍に完全包囲されたドイツ第6軍は、極寒と飢餓の中で壊滅した。
約9万1000人が降伏し捕虜となったが、戦後に生きてドイツへ帰還できたのはわずか数千人だった。
この戦いは、戦車や航空機といった兵器の性能以上に、廃墟の中での「人間の執念と狂気」が勝敗を分けた歴史的な戦争となった。

















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