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いつも私がお邪魔している「私の写真日記」に、金色に輝くススキの写真がありました。その一枚に深まりゆく秋を感じ、ちょっと拝借して、少し手を加えてみました。なにせ人様が撮影された写真ですから、ブログに掲載するのもどうかと思いましたが、けいこちゃん2115さんより、ぜひ見たいとのお声がかかったものですから、紹介することにしました。もとの写真は、横位置で撮影されていますが、ここでは、ススキを強調するため、左右をカットしています。また、夕日のすぐ横に電柱があったため、これも除去しました。山陰の家なども除去しています。あとは、濃度を上げて、赤みを増し、わずかにコントラストをあげています。深まる秋、感じていただけましたか。だとしたら、それはもとの写真が良かったからでしょう。ぜひ、「私の写真日記」で、もとの写真もご覧ください。つくばの秋だそうです。もとの写真のほうが、空間的な広がりがあるぶん、落ち着きます。そのうえ、夕日に輝くススキの美しさにシャッターを切った、けいこちゃん2115さんの思いが、伝わってきませんか。
Oct 6, 2005
以前、このブログでも紹介した江ノ島水族館の人気者、みなぞうくんが、昨夕、急死しました。我が家でも、そろそろみなぞうくんに会いにいこうと話していた矢先の出来事だったけに、たいへんショックです。君は、あの大きなからだにバケツをもち、アッカンべーをしては、子どもはもちろん、大人たちまでも、楽しませてくれましたね。人間では、まだ30代後半ということですから、あまりに速すぎる死でした。死因はいまだ発表されていませんが、連日のショーのストレスがたまってしまったのでしょうか。これからは、広い海のなかを自由に泳ぎながら、ゆっくりとすごしてください。君の大きな瞳は、子どもたちの心のなかに、いつまでも輝いています。ありがとう。在りし日のみなぞうくんは、ここにいます。http://plaza.rakuten.co.jp/makobei/diary/200508100000/
Oct 5, 2005
ここのところ忙しく、撮影にも出かけられません。今日も、たいへん良い秋晴れですが、一人家に引きこもって、留守番をしながら、たまった仕事を片付けています。せっかく訪れてくださったかたのために、今日は、我が家の奥さんがつくったフラワーアレンジメントを紹介します。写真ではわかりにくいかもしれませんが、なが~くまかれているのは、黒に限りなく近い濃茶と濃い紫の和紙です。よ~く見ると、色の違いがわかるかと思います。飾る場所がないため、いつものように、洋間のボードの上に飾りましたが、デザイン的には、和室のほうがあいそうです。
Oct 2, 2005
大船植物園の花屋さんで「105円、特売品」の値札がつけられていたコスモスの1鉢です。店頭に置かれていたコスモスは、花びらが傷んでいましが(だから特売品だったのかな)、いくつものつぼみがあったので、安さにつられて購入しました。傷んだ花を切り取って観察していたら、そのうちの1本から真っ赤な花が咲き始めました。花びらは、そろってはいませんが、真っ赤な色合いが美しく、105円以上の感動をもらっています。つぎは、ピンクのコスモスが咲きそうです。
Sep 28, 2005
台風の影響のため、昨日の雨に続き、今日は強風が吹き荒れています。マンションの前庭のムクゲやサルスベリの花も、だいぶ散ってしまいました。そのうえ、たまった仕事をかたづけようと、朝からデスクワークを続けているため、撮影にもでかけられません。そこで、先日撮影した鎌倉の扇ヶ谷(おうぎがやつ)にある海蔵寺について、少し補足説明をしておきましょう。海蔵寺は、応永元年(1394)、鎌倉公方(くぼう)足利氏満の命によって上杉氏定が建立したとされています。お寺のパンフにもそう記されているため、ガイドブックなどもこの説をそのまま紹介していますが、この話は確かな文書では確認できず、本当のところはわかりません(寺や神社のパンフが正しいとは限らないのです)。ただし、「関東合戦記」などによれば、鎌倉公方を支えた扇谷上杉(おうぎがやつうえすぎ)氏の援助を受けた寺であったことは、確かなようです。このため室町時代は、いくつもの塔頭をかまえ、栄えていたようですが、いまは、山あいに静かにたたずむ禅宗寺院として、訪れた人の心をなごませてくれます。境内には、山腹の壁面をくりぬいて作ったヤグラもみられ、室町・戦国時代の小型の宝篋印塔や五輪塔が安置されています。そのなかに、やや大きな石塔が一基ありますが、これは、五輪塔の空風輪、宝篋印塔の笠、五輪塔の水輪、無縫塔などの請花と中台(?)、宝篋印塔の基壇の順に上から寄せ集めて適当に立てたもので、本来、このような組み合わせの石塔があったわけではありません。なお、こうしたヤグラは、「鎌倉地方にしか見られない特殊な埋葬方式」として紹介されることが多いのですが、房総半島や遠く宮城県などでも確認されており、鎌倉固有のお墓ではありません。このほか、寺の南には、十六井(じゅうろくのい)とよばれる井戸があります。岩窟の底に16個の円形の穴が掘られ、いまも水がたたえられています。ただし、これは井戸ではなく、円形の納骨穴であり、そこに水がたまったもので、鎌倉後期のヤグラ(墳墓)だという説も有力です。嘉元4年(1306)の板碑(いたび)もあったといいますから、井戸とみるよりは、まわりにたくさんあるヤグラと同様に墳墓とみたほうが良いのかもしれません。「十六井」という名称も江戸時代には生まれておらず、明治以降の命名ではないかといわれています。みなさんも、ご自身の眼で確かめてみてください。
Sep 25, 2005
自生するパンパスグラスを見に、神奈川県立フラワーセンター大船植物園まで散策に行きました。一昨日、我が家の奥さんがフラワーアレンジメントに使用したイネ科の多年草です。人間の背丈をゆうに越えるパンパスグラスの穂が風になびく姿は圧巻です。原産は、ブラジルやアルゼンチンなどの草原。その名称は、アルゼンチンの「パンパ」地方の「グラス」(芝)に由来するそうです。太陽の光をうけて輝く花穂は、ススキとはまた違った美しさがあります。酔芙蓉も見ごろをむかえていました。先日紹介した宝戒寺の酔芙蓉よりも、花の色が美しく、見ごたえがあります。そのうえ見学者もまばらなため、ゆっくりと酔芙蓉を鑑賞できます。近くには、ムクゲも美しく咲いていました。サルスベリやサルビアは、盛りを少しすぎていましたが、スイレンや彼岸花は、まだ楽しめます。 温室内には、胡蝶蘭が咲き乱れ、熱帯のかわった花も楽しめます。赤いヒモがたれさがったようなベニヒモノキ(左上)。レッドジンジャーの別名をもつアルピニア・プルプラタ(左下)。紅白の組み合わせが美しいベニゲンペイカズラ(右下)。名前はわかりませんが、風鈴のように風にそよぐ赤い花もありました(右上)。熱帯の花は、みな個性的です。 大船植物園は、これからバラの季節をむかえます。いまはまだ数輪が咲く程度ですが、満開時には、それは見事な花が咲き誇ります。その美しさは、東京近郊のバラ園のなかでも、トップクラスでしょう。春に続いて秋も楽しみです。
Sep 23, 2005
久しぶりに我が家の奥さんがフラワーアレンジメントをつくりました。ススキににたパンパスグラス(ぬいぐるみの毛のようにもみえます)。ちょっとかわったピンポンマム。菊の花の一種だそうですが、まあるい形は、まさにピンポン玉。ピンポンマムをかこむようにスプレーマムも並びます。なかなか見ごたえがありますが、パンパスグラスを生けたため、高さが110センチもあります。とりあえず和室に置いて写真を撮りましたが、床の間に置けば、もっと見栄えがしたこととでしょう(残念ながら我がマンションには床の間がありません)。こうした作品は、グレードの高い住まいに置かれてこそ光る作品なのかもしれません。結局、和室に置いて倒れでもしたら畳が水びだしになるとの理由で、いまは板敷きのリビングルームに飾っています。
Sep 22, 2005
我が家から1時間圏内にある鎌倉は、休日の散歩コースです。今日の目的は、いまが盛りという海蔵寺のハギ。北鎌倉駅で下車し、亀ガ谷坂を越えて、扇ガ谷にある海蔵寺にむかいます。途中、山ノ内の横須賀線の踏み切り近くにある「風雲」というお店に入りました。以前から、どのようなお店なのか興味があり、紫芋うどんと天麩羅の看板に魅せられて試しにはいってみたのですが、これが大失敗。混雑していたとはいえ、何度お願いしてもお茶が出てこない。さらにお願いすると、店員さんは「ここにお茶出して」と大声で厨房に叫ぶ。お手拭も出てこない。そのうえ、テーブル番号も間違える。お隣の席では、店員さんがお客さんにテーブル番号を聞き、知らないと言われていましたが、客がテーブル番号を知っているわけがありません。さらに板の間に座るお店にもかかわらず、店員さんは客のまん前に突っ立ってオーダーを受ける。とにかく、接客態度の基本がまったくできていません。(ただしすべての店員というわけではありません。一人の女性のかただけは、きちんと受け答えをしていましたし、お客さんの脱いだ靴を整理されていました。)しばらく待たされて出てきた紫芋うどんと天婦羅(精進揚げ)のセットは、780円という手ごろな価格のため、お味のほうはごく普通のものですが、野菜天麩羅がすっかり冷えきって、硬くなっているのはいただけません。一度に揚げて、オーダーがはいると、それを盛り付けているようですが、これでは駅そばと同じです。紫芋うどんも、店内で「いも吉」の乾麺を販売していましたから、これを使用しているのでしょう。特別まずいわけでもなく、価格も手ごろなのですから、天麩羅ぐらいは揚げたてを出してもらいたいものです。立地条件は良いのですから、接客マナーを再教育し、調理方法を改善すれば、リピーターも見込まれるでしょう。これからの改善を期待し、☆1つ半の評価とします。(5つが最高点ですが、あくまでも私の主観です) このお店の少し先に、「コシヒカリアイス」の旗をなびかせているお店がありました。モナカのアイスが280円近くもしましたが、コシヒカリ入りという宣伝にのせられて、買ってみました。新潟でつくられているアイスクリームです。一見、ふつうのモナカのバニラアイスですが、たしかに小さなお米がほんの少しなかにあって、粒粒感が楽しめます。バニラもなかなか美味。これはあたりです。☆3つ半としておきましょう。それにしても、新潟では、いくらで売られているのでしょうか。亀ヶ谷坂を越え、横須賀線の下をくぐって直進すれば、海蔵寺です。山門まわりに、薄紅色のハギがたわわに咲き乱れ、大判カメラで撮影しているかたもお一人いましたが、宝戒寺ほど知られていないためか、人影はまばらです。このため、ゆっくりとハギの花を楽しめます。お堂にすわってたたずめば、秋の風が、汗ばんだからだをつつみ、気持ちの良いひとときをすごせます。海蔵寺は、紅葉も見事ですから、まだ足を運ばれたことがないかたは、ぜひ一度訪れてみてください。本堂裏の立派な禅宗風のお庭も、お堂の左手側からまわりこめば見学できます。有料ですが、近くにある十六井(じゅうろくい)も必見です。海蔵寺をあとにして、今度は、ハギの寺として名高い宝戒寺に向かいました。さすがにこちらは、休日ということもあって混雑しています。ハギの花もたくさん咲き乱れ、ハギの寺にふさわしい風格を感じさせますが、白が多いため、薄紅色の花がお好きなかたは、海蔵寺をおすすめします。 宝戒寺では、ハギのほかにも、酔芙蓉が美しく花を咲かせていました。朝は白い花を咲かせ、夕方には赤みを増すことから、酔っ払いになぞらえて、酔芙蓉とよばれています。着いた時刻が15時頃でしたから、ピンク色に色づいていました。今日の鎌倉散策は、これでおしまい。小町通りの「まめや」に寄って、お豆をたくさん買いこみ(我が家の奥さんは、これが散策の最大の楽しみです)、スタバで休息して帰るのが、日頃のお決まりコースです。
Sep 19, 2005
6階の窓からながめる今日の主役は、少し赤みかがった満月。おだんごや、ススキをお供えしようと、我が家の奥さんも、夕方から何かをつくっています。こうしてできたものが、これ。 市販のぜんざいを利用して、寒天、白玉粉、かぼちゃを使って作ったそうです。冷やしていただくと、なかなかの美味。主役の満月にお供えをせず、先に食べてしまいました。つぎの十三夜(10月15日)は、栗や枝豆を用意して、きちんとお供えをしなければ。
Sep 18, 2005
広島へは、いつもANAの777-200(トリプルセブン)を利用しています。今回の機材(677便)は、スター アライアンスの新塗装をほどこしたのJA711Aでした。ごてごてした旧バージョンと違い、新塗装はいたってシンプルで、好感がもてます。帰りの684便の機材は確認し忘れましたが、みっちゃんのお好み焼きだけは、忘れずに買ってきました。「焼きたてと変わらぬ味」とまではいきませんが、私は、けっこう気に入っています。このため、広島から戻るときは、必ず買って帰ります。さっそくお昼にいただきました。
Sep 17, 2005
明日8日から16日まで、広島出張のため、しばらくの間、ブログはお休みさせていただきます。台風が去ったあとなので、ホッとしています。
Sep 7, 2005
とんでもない事件が起きました。昨3日、島根県にある天台宗の古刹、鰐淵寺(がくえんじ)の収蔵庫から、鎌倉時代の絵画など、国の重要文化財4点を含む収蔵品13点が盗まれてしまったというのです。そのなかに、後醍醐天皇直筆の御願文(ごがんもん)も含まれていたというのですから、たいへんなショックです。「願文」(がんもん)とは、神仏に対して祈願の意をあらわすために作られた文書(もんじょ)のことで、全文自筆で書くことを原則とします。ですから、この願文も、後醍醐天皇みずからが神様にお願い事をして書いた文書になります。しかも、この願文は、後醍醐天皇が2度にわたる倒幕計画に失敗し、元弘2年(1332)3月、幕府によって隠岐島に流されてから、5ヵ月後に記されたという点でも注目されます。そこには、彼が都から遠く離れた隠岐へ流されてもなお、倒幕にかける意志を強くもっていたことをはっきりと示す事柄が書かれていました。まずは、その内容を、最初に原文、続いて、読み下しにして紹介しましょう(今朝の朝日新聞に写真が掲載されています)。 「 敬白 発願事 右、心中所願、速疾 令成就者、根本薬師 堂造営、急速終其功 可致顕密之興隆之 状、如件、 元弘二年八月十九日(花押) 」 〔読み下し〕 「敬白(けいびゃく) 発願(ほつがん)の事 右、心中の所願、速疾に成就せしめば、根本薬師堂造営、急ぎ速やか に其の功を終え、顕密の興隆を致すべきの状、如件」後醍醐天皇は、ここで「心の中の願いが速やかに叶ったら、根本薬師堂の造営を急ぎおこないます」と誓っています。この「心中の所願」が、倒幕を意味することは、まず間違いないでしょう。彼は、なおも倒幕の野望を捨ててはいなかったのです。その意志は、元号に、より明確に示されています。ここで後醍醐は、「元弘」という元号を使用していますが、すでに願文が記された元弘2年8月19日は、「正慶」(しょうきょう)という元号にかわっていました。元号は、後醍醐が隠岐に流された直後の4月28日、後醍醐にかわって即位した光厳(こうごん)天皇のもとで改元されていたのです。ところが後醍醐は、新天皇が定めた「正慶」をあえて使用せず、自らの在位中に定めた「元弘」の元号を使い続けました。そのことで後醍醐は、自分こそが正当な天皇であり、光厳天皇は認めない、という意志を強く示そうとしたのです。このように、この願文には、倒幕へ執念を燃やす後醍醐の強い意志がこめられていました。それほど貴重な文書なのです。それが盗まれてしまったというのですから、怒りはおさまりません。これほどの文書は、たとえ盗んでも、すぐに足が付きますから、そう簡単には売れないはずです。どのような方法でもかまいません。犯人は、激しい意志の持ち主だった後醍醐に呪い殺される前に、一刻も早く文書を返却しなさい !!!!
Sep 4, 2005
話題の映画「皇帝ペンギン」。ようやく見てきました。気温マイナス40℃、250キロのブリザード、そんな過酷な世界で、新しく生まれた命を必死に守るペンギンたちの家族の物語。その映像の美しさとカメラワークのすばらしさに、まずは感動。そしてペンギンたちの生きる姿にも感動です。なかでも、見所は、お父さんペンギンの頑張り。お母さんペンギンは、卵を産むと、お父さんペンギンに卵を預けて、遠く離れた海まで魚を食べに出かけます。この間、お父さんペンギンは、お腹の下で120日間ものあいだ、卵を暖め、猛吹雪にも耐えながら、お母さんペンギンの帰りをひたすら待ち続けます。寒さをしのぐため、みなで一塊になることもありますが、その後姿は、とくに哀愁を感じます。やがて赤ちゃんペンギンが生まれるころ、お母さんペンギンは、赤ちゃんにあげるための魚をたくさん食べて戻ってきますが、今度は、空腹に耐えていたお父さんペンギンが海へと向かいます。そしてお父さんペンギンが戻るころ、赤ちゃんペンギンたちの巣立ちの季節をむかえます。この赤ちゃんペンギンの歩く姿は、なんともほほえましく、心が和みます。しかし、時には厳しい自然に負け、あるいは天敵に襲われて命を失うものもいます。こうしたシーンもきちんと描き、ただのかわいいペンギン物語に終わらせないところが、動物学の研究者でもあるリュック・ジャケ監督のよさでしょう。ただ、もう少し厳しい場面を入れてもよかったかもしれません。たくさんのペンギンが登場しますが、一羽一羽に個性があって、画面のスミまで目が離せません。ただし、吹き替え版は、いただけません。とくに、お母さんペンギン役の石田ひかりの棒読み的なしゃべりに、興ざめ。完全なミスキャストでした。映像だけでも十分にペンギンたちの生き様が伝わってくるのですから、あえて擬人化する必要はなかったように思われます。そのなかにあって、赤ちゃんペンギン役の神木クンのナレーションだけは、違和感なく楽しめます。彼は、大河ドラマの『義経』でも、滝沢クンより演技がうまいと評判になりましたが、今回も大人たちをおさえて一人光っています。吹き替え版は、むしろ最初から神木クンを進行役にして話を進行させたほうが、映画としての完成度は高まったのではないでしょうか。まだご覧になっていないかた、とくに小学生のお子さんがいらっしゃるかたは、ぜひ親子でご覧になって、生きるとはどういうことなのか、映画のあとに話し合ってはいかがでしょうか。擬人化した吹き替え版に興ざめのところもあったので、評価は、☆☆☆+☆×0.5としておきます。(☆☆☆☆☆が最高点)
Sep 1, 2005
先日(8月16日)、リビングルームにあった大きなソファを捨てました。おかげで部屋は広くなりましたが、ひとつ困ったことが。実はこのソファ、我が家にいる大きなクマさんの居場所でもあったのです。このクマさん、背丈が1メートルあり、我が家にきた人は、なぜか必ずだきあげるという人気者です。とおいむかし、結婚前に、私が原宿のキディランドで購入し、まだ若かりしころの彼女にプレゼントしたものです(彼女と私は少し年が離れています-かなりという声もあります)。その後、我が家に住みつき、それ以来、ずっと家族の歴史をみつめてきました。ですから乱雑に扱うわけにはいきません(叱れます)。かといって床に座らせるわけにもいかず、とりあえずイスに座らせたものの、からだが大きく、かなり窮屈そうです。しかし、しばらくは、これで我慢してもらうしかありません。
Aug 29, 2005
私がよくお邪魔するれこりんさんのブログで、可憐なスイレンの写真をみつけました。そこで私も真似をして、スイレンの写真をアップしてみました。先月まで、江東区の夢の島熱帯植物園でおこなわれていた「熱帯スイレンと水辺の植物展」で撮影したものです(撮影日7月18日)。せっかくですから、高さ28メートルもあるという大温室にも立ち寄りました。温室内は、シダが大きな葉をひろげ、バナナの花や、南国の植物がトロピカルなムードを盛りあげてくれます。音をたてて流れる滝も二つあり、大きな滝の裏側はくぐることもできます(写真左側)。先端にたれさがる蕾のようなものが、バナナの花だそうです。これが一枚一枚めくれ、そのなかに小さな花があるとのことですから、花のかたまりといったほうがよいかもしれません。しかし、真夏の熱帯植物園は、選択ミスでした。とにかく暑い。まさに熱帯そのもの。暑さも本場に負けてません。お昼は、館内の食堂にはいり、パッタイ(タイ風焼きそば)を食べました。写真の通り、サラダなどの添え物は一切無く、600円。お水はセルフサービスのお店なのですから、この価格ならミニサラダぐらいはほしいところです。レストランは☆☆+☆×0.5(☆☆☆☆☆が最高です)。人気商品として雑誌にも掲載されたという、ロイヤルハワイアン(680円)も、数量限定にひかれていただきました。半分に切ったパイナップルの上に、ブルーベリーソース、アイス、生クリームなどをトッピングしたものですが、甘みのあるパイナップルを除けば、あとはいまひとつ。☆☆+☆×0.5。二人で食べるとちょうどよい大きさです。それにしても、かつてゴミの島とよばれていた夢の島が、マリーナまで整備された綺麗な公園に生まれ変わっていたことが、この日の最大の驚きでした。
Aug 28, 2005
先月、知り合いの女性が結婚しました。相手の負担にならない程度の、ちょっとしたお祝いをあげようと、小物を探してハートの入れ物に詰め合わせたのがこの品物。といっても、見立てとアレンジは、我が家の奥さんです。ペアカップのように見える器は、エッグスタンドです。写真ではわかりにくいですが、2本の足がついています。実際、こんなものをもらっても、あまり使わないのですが、食器棚のなかにでも飾ってもらおうと購入しました。もっとも、メインは、エッグスタンドの前にいる、小さなクマさんのカップル。女性のクマさんは、ちゃんと長いベールもつけています。ころころしたクマさんカップルは、彼女にとても気に入られ、私のかわりに披露宴に出席する栄誉もいただきました。高価な品物ではなくても、アレンジ次第でそれなりの品物に見えてくるから不思議です。Kさん、お幸せに。
Aug 27, 2005
台風が去って、夏の暑さが戻ってきました。花持ちがよくない真夏、フラワーアレンジメントが好きな我が家の奥さんは、苔を多用して、こんな作品もつくります。しかしこれ、どのようにしてお水をあげるつもりだったのでしょうか。撮影のため、とりあえず壁にかけてみましたが、このままでは、お水をあげられません。とりあえず、ベランダにあるフックにかけてお水をあげましたが、案の定、ポタポタとたれてきます。かといって、いつまでも外に出しっぱなしというわけにもいかず、とりあえず、お皿のうえに置くことにしました。発想はよかったのですが、飾る方法までは、よく考えていなかったようです。
Aug 26, 2005
ここのところ忙しく、なかなか撮影にも行けません。そのうえ今日は、大型台風の接近にともない、時折、激しい雨が降っています。これから夕方にかけて、大荒れの天気になるとのこと。風も、次第に強まってきました。そこで、少し季節外れの写真ですが、雨つながりということで、今日は紅色のアジサイを紹介します。その名は、紅錦。ヤマアジサイの一種で、信州の生まれだそうです。咲き初めは、白色をしているそうですが、その後は鮮やかな紅色になります。今年の6月に、鎌倉の光則寺で撮影しました。鉢植えのアジサイでしたが、その美しさは、一見の価値があります。我が家にも、一鉢ほしくなりました。
Aug 25, 2005
同じマンションにすむOさんのお子さんが、いま朝顔を育ててています。鉢植えですが、マンション1階の一角で育てているため、毎朝、元気に咲く朝顔に会うことができます。夏の朝、さわやかな気持ちにさせてくれる朝顔とOクンに感謝
Aug 19, 2005
我が家のマンションの前庭に植えられているムクゲが、いま綺麗に花を咲かせています。ハイビスカスと同じ仲間だそうですが、雰囲気は、だいぶ違いますね。残暑厳しい時期ですが、白いムクゲは、涼しさを感じさせてくれます。 わずかですが、赤い花も咲いています。もう少し数が増えると、紅白の色の対比を楽しめるのですが、咲く時期が違うのでしょうか。
Aug 18, 2005
我が家は、自然豊かな多摩川のすぐ近くにあります。このため、花器に土を入れたままベランダに放置しておくと、かわった花が咲くことがあります。今回は、雑草のイヌビユでした。先端の花が長く、ホナガイヌビユかな、と思いましたが、葉の先が丸みを帯び、わずかに切れ込んでいますから、イヌビユのようにもみえます。雑草にお詳しいかたがいらしたら、ご教示ください。初夏に何か生えてきたなと思って観察していたところ、みるみる大きくのびて、いまでは70センチほどになりました。「雑草育ててどうするの」と、奥さんから言われますが、私も雑草のようなものですから、なぜか愛着がわきます。それにしても我が家は、マンションの6階。かなり高いところを花粉は飛んでいるのですね。
Aug 14, 2005
ひまわりの話題をもうひとつ。先日、我が家の奥さんのお友達から、ひまわりをアレンジしたお花をいただきました。 小さなひまわりですが、それでも二つあると存在感があります。乱雑な我が家も、久しぶりに明るくなりました。
Aug 12, 2005
先日(7月28日)、ひまわりに会いに、立川の昭和記念公園に行きました。この公園のひまわりは、11種類、その数は、なんと1万本もあるそうです。暑い太陽にむかって咲くひまわりは、まさに夏の花。背丈が2メートルを越すランドマークをはじめ、日食の太陽のようなルビーエクスプレス、赤褐色のココアなど、たくさんのひまわりに出会えました。その一部を紹介しましょう。ゴッホゴッホの描いたひまわりのイメージに似ているのが名前の由来だそうです。 ゴーギャン細く、濃い橙色の花びらが特徴です。 ルビーエクリブス日食のようなイメージからエクリプス(=食)という名前が付けられたそうです。情熱的なひまわりですね。我が家の奥さんも、このひまわりを使ってフラワーアレンジメントを製作しています。(このブログの7月30日に作品の写真を掲載しています)。 でも、まわりの花が散ると、マイクのようです。 ココアココアのような赤褐色が特徴です。 サンリッチオレンジ花びらの形が整った、美しいひまわりです。このため切花用として栽培されてるそうです。 ランドマーク2mを超える超大型品種です。人間の背丈を越えて立つ姿は壮観です。昭和記念公園は、四季おりおりの花が咲く美しい国営公園です。もとは立川の飛行場だったため、広さは、180haもあります。有料(大人400円・小中学生80円)ですが、綺麗に整備され、家族連れにもお勧めです。この日は、自転車を借りて、心地よい風のなか、気持ちの良い汗をかきました。
Aug 11, 2005
江ノ島水族館の人気者、みなぞう君です。体長は、なんと4m50cm。体重は、2175キロもあります。みなぞう君の仲間たち、ミナミゾウアザラシのふるさとは、南極周辺です。みなぞう君も、ロボ島というちいさな島からやってきたそうです。このため暑い日本の夏は、たいへん。ふだんは、プールのなかでゆっくりとお昼ねです。それでも、ショウタイムになると、大きなからだをそりあげて頑張ります。上半身だって大きくのばせます。お口だって、ガォーと大きくあけられます。うりゃ~と気合いをかければ、こんなことだってできます。ふとっていても、からだはとてもやわらかいのです。バケツをもって「あっかんべー」は、ボクの得意技。もひとつおまけに、みんなに向かって「あっかんべー」ボクのショータイムは、これでおしまい。それではまた来てね。バイバイ。みなぞう君のショウタイムは、1日3回、イルカのプールの横でおこなわれています。しかし、見学場所がすり鉢状に作られていないため、混雑する時期は、たいへんです。とくに、ちびっ子たちは、パパかママにかつぎあげてもらわないと、みなぞう君がよくみえません。水族館として、今後、改良すべきポイントですね。水族館では、カプセルマシンで、みなぞう君のオリジナルフィギアも発売しています。1個200円なのですが、なかなかあたりません。
Aug 10, 2005
戦争の時代と言われた20世紀、そのなかでも最大の過ちとして、歴史に記憶されなければならないこと、それはアメリカによる原爆投下でしょう。瞬時にして20数万人の命を奪い、都市を破壊したからだけではありません。生き残った多くの人々に、戦後も放射線障害とPTSDの苦しみを与え続け、それは60年をたったいまもなお、消し去ることができないからです。しかもアメリカは、原爆投下を2度もおこない、さらに3発目も予定していました。その2発目の投下目標となった長崎は、はじめ目標都市のリストに、はいってはいませんでした。1945年の4月からはじまった原爆投下目標の選定会議で、最初に決定した都市は、1京都・2広島・3横浜・4小倉であり、第1攻撃目標は、京都だったのです。5月12日、アメリカは、原爆投下の効果を調べるため、これらの都市に対する通常爆撃を禁止します。原爆投下まで、できるだけ無償のままにしておこうと考えたのです。ところが、原爆投下直前になって、京都は、投下目標からはずされました。それは、よく語られるような、京都に多くの文化財があったからではありません。京都をはずした真の理由は、ここが日本人にとって特別な思いをいだく重要な都市であり、そこに原爆を投下すると、ながく日本人の反発を買って、日本がソ連とつながりかねないと危惧したからです。そして、この京都にかわって、新たに投下目標として設定されたのが、長崎でした。7月22日、原爆投下の18日前のことです。この時点での投下目標は、広島・小倉・新潟、長崎になりました。そして、7月31日、最終投下目標の第1候補を広島とし、ほかに小倉・長崎を候補とすることが決定します。こうして、8月6日、予定通り、広島に原爆が投下されました。ついで9日には、長崎に原爆が投下されました。ただし、2発目の原爆投下は、よく知られているように、はじめは北九州の工業都市であった小倉を投下目標にしていました。ところが標的となった小倉の造兵工廠が雲に覆われて目視できなかったことから、もうひとつの投下目標であった長崎に変更されました。長崎は、あいつぐ変更のなかで浮上し、その目標となったのです。一方、原爆の投下目標からはずされた京都でしたが、アメリカはその後も通常爆撃の禁止を解除しませんでした。それは、広島・長崎に続く3発目の投下目標として温存されていたためだと考えられています。しかし京都は、敗戦によって、結果的には原爆投下をうけずにすみました。奈良や鎌倉も、通常爆撃の順番がまわってくる前に、敗戦となったため、結果的に空襲を受けずにすみました。このように、古都が空襲から守られたのは、当時の国際情勢をめぐる政治判断や、敗戦によって結果的に守られたもので、アメリカの良心によったものではなかったのです。ところが、戦後になって、アメリカが古都を守ったという「神話」が生まれました。これは、占領下の日本で、日本人の反米感情を払拭し、早く親米的な国民に改造するための一つの作戦として、GHQの民間情報教育局-CIE局員によって意図的につくりだされたものであることが指摘されています。関心のあるかたは、ぜひ吉田守男氏の『日本の古都はなぜ空襲を免れたか』朝日文庫(2002年)の一読をお勧めします。今回の記事も、吉田氏の著書や論文に拠ったものです。幸いなことに、3発目の原爆は投下されませんでした。そして今日まで、核兵器が戦場で使われたことはありません。人類滅亡の引き金を引きかねない核兵器は、使えなかったのでしょう。しかし、この先もこれを維持できるか、核兵器がある限り、保障はどこにもありません。核実験の回数も、2000回を超えています。さらに、核の拡散によって、危険はいっそう高まっています。1996年7月、国際司法裁判所は、「核兵器の威嚇・使用は、武力紛争に関する国際法、特に国際人道法に一般的に違反する。」という判断を下しています。また、「すべての国家には、核軍縮につながるような交渉を、誠意をもって行い完了させる義務がある。」とも勧告しています。そしてこれからも、ナガサキは、戦時下における最後の被爆地として、歴史にその名を刻んでおかなければなりません
Aug 9, 2005
歴史のなかには、記憶すべき日がいくつかあります。6月23日、7月7日、9月18日、8月9日、8月15日、12月8日……。どれもが、歴史をふりかえるとき、大切な日にちです。しかし、日本だけではなく、世界の人々が忘れてはならない日となると、8月6日をおいて、ほかにはないでしょう。それは、いまなお、重たい意味を持ち続けているからです。その重たさは、9月11日をはるかに超えています。その8月6日を、今年も迎えます。あの日の広島も、今日のような暑い日だったと聞いています。被爆から60年。ヒロシマは、歴史のヒトコマになりつつあるようです。しかし、放射線によって消しがたいキズをつけられた人々は、いまなお、その病と闘い続けています。核兵器の被害が一過性のものではないことを誰もが気づきながら、世界には、いまも2万7000発余りの核兵器があるといわれています。今年おこなわれた核不拡散条約再検討会議も、アメリカをはじめとする核保有国が自国の核保有を正当化するだけで、何も成果をあげられませんでした。自国の安全のために核兵器は必要だと言いながら、他国には認めない、そんな独りよがりの論理を主張している間にも、核兵器は、闇のネットワークを通じて世界に拡散しています。テロリストにわたる危険性も高まってきました。ヒロシマは、いまだ「昔話」ではありません。ヒロシマが、本当の意味で昔話として語られる日まで、私たちは核兵器の廃絶を求めていかなければならないでしょう。なお、広島平和記念資料館のHPも、参照してください。今年の「平和宣言」も掲載されています。
Aug 6, 2005
今週の火曜日(8月2日)、ついにデジタル一眼を買いました。長年、フィルムを愛用してきたこともあって、立体感に欠け、深みもないデジタル写真に興味をもてず(あくまでも紙焼きにした場合の比較です)、これまでデジタル一眼の購入は、見送ってきました。もっとも、ニコンD2Xのようなプロ用の機材ならば、フィルムを超える性能をもっていますが、60万円を越す価格は、とても手が出ません。しかしここ最近、デジタル一眼も大幅に価格を下げてきました。その一方で、性能は年々高められ、コンパクトで高性能な広角系のズームレンズも発売されています。そこで、今回、仕事に使うカメラとして、デジタル一眼の購入にふみきりました。実は、私の仕事は、カメラが必需品なのです。重たいフィルム一眼に閉口していたこともあり、超小型・世界最軽量のデジタル一眼として先月に発売されたばかりの「ペンタックスistDL」に決めました。これまで、ミノルタ・キャノン・ニコン・コンタックスと愛機を切り替えてきた私にとって、はじめてのペンタックスです。実は、最後までニコンのD50にするか、ペンタックスのistDLにするか、迷いました。画質も、偽色が少ないという点でも、ニコンが上だったからです。しかし、最後の決め手としなったもの、それは、ファインダーの見やすさと、21万画素・2.5インチという大型モニターの存在です。このクラス(10万台)のデジタル一眼は、istDLのワンランク上の機種となるistDSをのぞけば、いずれもミラー式のファインダーを採用しています。このため、ファインダーが見にくく、像が遠くに、小さく見えます。プリズム式のフィルム一眼を愛用していた人間にとって、これは、かなり気になります。istDLも、プリズム式の一眼レフと比較すれば見やすさは劣りますが、それでもこのクラスのなかでは、断トツに見やすいファインダーを備えています(少しブルーがかった感じは気になりますが)。ファインダーの見やすさは、ピントのヤマを確認するためにも、重要なポイントです。また、21万画素・2.5インチという大型モニターも、ほかのデジタル一眼にはない魅力です。さらに言えば、D50は、作りがやぼったく、安っぽくみえます(あくまで個人的な見解ですが、とくにレンズは安っぽく、すぐに壊れそうです)。カメラ雑誌などでは、istDSと比べて、測距点が3点に減ったことがマイナスポイントとして指摘されていますが、もともと私は、センターでピントを合わせるクセがついてるため、この点は、問題ありませんでした。しかし、使いづらい点も、いくつか見つけました。まず、ピクチャーダイヤルが小さすぎて、しかも新品ということもあるかもしれませんが、固く、回しにくいこと。もう少し厚みをもたせるか、大きくしたほうが、とくに男性には、扱いやすいでしょう。istDLにはあった「スーパーインポーズ」の機能がなくなってしまったことも、残念です。音でピントがあったことを知ることもできますが、音を出せないときもあります。瞬時にピントがあったことがわかるこの機能は、とくに入門機をうたうならば、必要でしょう。また、画質は、鮮やかとナチュラルを選択できますが、ピクチャーモードに設定すると、すべて鮮やかに設定されてしまいます。もっとも私の場合、絞り優先を常用するため、これは大きな問題ではありませんが、人によっては、ピクチャーモードの状態で、ナチュラルで撮影したいときもあるでしょう。 とくにペンタックスは、輪郭を強調する傾向があるようですから、選択肢の幅は広げておいたほうがよかったですね。このほか、これは私だけかもしれませんが、DLと違って、DSの場合、アイカップの上部が顔の輪郭にあっていないのか、違和感があります。なお、世界最軽量をうたってはいますが、実際に電池をいれると、ニコンやキャノンと比べて、特別に軽いというわけではありません。それにしても、よくこれだけの高性能をつめて、小型化が実現できたものだと思います。しかも小型化を実現しながら、ホールド感はよく、グリップも手によくなじみます。持った瞬間では、ニコンD50のほうが大きいぶんだけ持ちやすいのですが、長く持っていると、istDLのグリップ感のほうが、なじんできます。こうした小型カメラの製作は、ペンタックスのお家芸ですね。また、アルカリ単3電池が使えることもたいへん便利です。この電池ならばコンビニでも買えますから、旅先でも電池切れを心配する必要がありません。カメラ初心者にも、比較的扱いやすく、広く薦められるカメラだと思います。とくに、女性のかたや、旅行用のカメラとしては、最適な一台です。これだけの高性能をもちながら、10万をわずかに切るというのも、大きな魅力です。デジタル一眼が登場してから、わずか6年。デジタル一眼の進化には、驚かされますね。ただし、デジタル一眼には、まだまだ解決すべき大きな問題が残っています。それは、CCDのごみ問題です。ひとたびCCDにごみが付着すると、すべての写真にそのごみが写ってしまい、あとでの処理がたいへんです。いまのところ、この問題にきちんと対処しているのは、オリンパスだけです(さすがオリンパスは眼のつけどころが違います)。他のメーカーも、初心者にデジタル一眼を勧めるのであれは、オリンパスに技術料を払ってでも、ごみ対策をきちんと講じるべきでしょう。そうでなくては、安心して、レンズ交換などできません。その点、コンパクトカメラや、今月発売されるルミックスFZ30などの中級機は、こうしたごみ問題は、基本的には発生しません。たしかに一眼レフは、撮影の楽しみは広がります。しかし、致命的ともいえる欠点を抱えている現状では、初心者のかたは、メーカーのよびかける、簡単一眼といった広告コピーにだまされず、高性能のコンパクトカメラを選択されたほうが、安く、小さく、扱いも楽ではないでしょうか。私も、いま、ルミックスFX9という、今月下旬に発売を予定しているコンパクトデジカメを、メモがわり用のカメラの買い替えとして、購入を考えています。
Aug 5, 2005
先日、下田を旅行したときに見つけました。とらちゃんの顔をカバーにつけた信号機の押しボタンです。こんなボタンなら、子供ならずとも、押したくなりますね。小さなときからきちんと信号を守って横断歩道を渡るしつけをつけておこうとの配慮なのでしょう。ほかの地域にも広がるといいですね。千葉県には、パンダボタンもあると聞きました。動物ボタン、ほかにはどのようなものがあるのでしょうか。(撮影 2005.6.24)
Aug 4, 2005
レッサーパンダ君のふるさとは、中国南部からヒマラヤにかけての高山です。このため、暑さは、苦手。なかでも、伊豆熱川のバナナワニ園に住む「ニシレッサ-パンダ」は、各地の動物園で人気者になっている「シセンレッサーパンダ」よりも、比較的高地に暮らしているため、暑さに弱いそうです(レッサーパンダ君の情報満載のPOPNさんのHPを参照しました)。30度を越す日本の夏は、たいへんですね。元気に乗り切ってください。
Aug 2, 2005
昨日に続いて、レッサーパンダ君の話題です。野毛山動物園にいた3頭のレッサーパンダ君は、みな個性的で、ひとりひとり表情も違います。そのうえ、カメラ目線でポーズをとるサービス精神まで持ち合わせていました。 ね。カメラのほうを、きちんと向いているでしょう。いずれも、1996年の撮影です。ちなみに、5枚目の写真の真ん中にいるレッサーパンダ君が、昨日紹介した「ちょうだい」のポーズをするレッサーパンダ君です。その後、みなズーラシアに引っ越してしまいましたが、いまはどうしているのでしょうか。生きていたなら、相当な高齢です。元気に暮らしていればよいのですが。(写真の無断転載は禁止です)
Aug 1, 2005
一昨日から部屋の掃除をはじめています。書類を整理していたら、1996年に撮影したレッサーパンダ君の写真がでてきました。実は、我が家の奥さんは、結婚前から大のレッサーパンダ好き。このため、横浜の野毛山動物園や、川崎の夢見が崎の動物公園は、いつのまにか休日の散策コースになりました(しかもここは無料なのです)。写真のレッサーパンダ君(名前は忘れてしまいました)は、当時、野毛山動物園にいた3頭のうちの1頭です。彼は(彼女かもしれませんが)、風太君が話題となる9年も前から、2本足でしっかりと立ち、上からのぞきこむ見学者たちに、「ゴハンちょうだい」と手を差し出していました。その後、ズーラシアに引っ越してしまいましたが、いまはどうしているのでしょうか。レッサーパンダ君の寿命は、ふつう10年ほどといわれています。もう空のかなたで暮らしているのかもしれません。(写真の無断転載は禁止です)
Jul 31, 2005
仕事部屋でもある我が家には、あちこちに仕事道具がころがっています。なんとか人様にお見せできる部屋は、トイレとバスルーム、それに玄関まわりぐらいでして、ダイニングルームにあるベンチシートにも、本や書類が積まれています。このため、先日のようなやや強い地震が起きると、一部の本が崩れ落ち、あとの整理がたいへんです。そんな雑然とした我が家ですが、一瞬、明るくなるときがあります。その源は、我が家の奥さんがつくるフラワーアレンジメント。本人は、人様にお見せできるものではないと申していますが、私は、けっこう気に入っています。ただ、夏のシーズンは、気温が高く、せっかくのお花がすぐに枯れてしまいます。このため本人も制作意欲もわかないようで、我が家は、雑然とした日々が続きます。
Jul 30, 2005
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