2010/07/06
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カテゴリ: 癒されて


年に一度、おり姫星と、ひこ星が天の川をわたって会うことを許された特別な日


七夕伝説のおさらいでも・・・しましょうか。


tanabata


天帝という神様が星空を支配していたころ、
天の川の西の岸に、織女という天帝の娘が住んでいました
織女は機織り(はたおり)がたいへん上手で、
彼女の織った布は雲錦と呼ばれ、
色も柄も美しく、丈夫で着心地も軽い、素晴らしいものでした。

一方、天の川の東の岸には、
牛飼いの青年、牽牛が住んでいました。
牽牛は、毎日、天の川で牛を洗い、
おいしい草を食べさせたりと、よく牛の面倒をみる、働き者でした。

天帝は、来る日も来る日も、働いてばかりいる娘を心配して、
娘の結婚相手をさがすことにしました。
そして、天の川の向こう岸に住む牽牛をみつけると、2人を引き合わせ…

織女も、働き者の牽牛をたいへん気に入り
2人はめでたく夫婦となりました。

ところが、一緒に暮らすようになると
2人は朝から晩まで天の川のほとりでおしゃべりばかりをしていました。

天帝が、いくら注意をしても、返事をするだけで
仕事をする様子がありません。

織女が布を織らなくなってしまったため、
機織り機にはホコリがつもり、天界にはいつになっても新しい布が届きません。
また、牽牛が世話をしていた牛たちも、やせ細って、次々に倒れてしまいました。

業を煮やした天帝はとうとう、
2人を引き離し、1年に1度、7月7日の夜だけ、天の川を渡って、会うことを許した・・・
というお話。。

今でも2人は、7月7日に会えるのを楽しみにして、
天の川の両岸でまたたいているとのことです。

tanzaku

でも、
7月7日といえば日本列島のほとんどの地域は梅雨のまっただ中

天候が悪いこの時期に 星のお祭り??
これは
明治の改暦に原因があります。
もともとの七夕は太陰太陽暦の7月7日に祝っていたものです。
ところが、明治から、太陰太陽暦ではなく
西洋式の太陽暦を使うようになったため、
七夕も約1か月早い時期に祝う行事となってしまったと言うこと・・・


それでは、

ビルエバンス 「いつか王子さまが」の曲と共に
ファンタジックな世界へ、どうぞ~♪
明日の夜は、二人は逢瀬を果たせるんでしょうか・・・
そんな事を思いながら・・・




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最終更新日  2010/07/06 08:52:34 PM
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