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夏休みに、福井に行った時、注文して、送ってもらった冷凍の蟹をゆがき、先日、司会に行ってきた、額田の太鼓イベントの売店で買って来た、クリをクリご飯と、クリサラダにして、店の開店前に、社長と食べた。漁師に品定めをしてもらって、送ってもらった蟹は、実が詰まっていて、たまらなくおいしい。クリも、拾いたてのクリなのだろう、ほくほくしておいしい。ゴマダレをかけて食べたクリサラダは、たれと合っていて、おいしかった。食べている時に、社長が言った。今日の食事は、“ サル蟹合戦だね ”私の食べる箸は、一瞬止まったものの、確かにと、大笑いしてしまった。今日は、サルも蟹も引き分けです。あ~。おいしかった!!
2004年08月31日
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オリンピックが終わった。メダルの数が、今迄で最高の数だそうだ。今日、お店にいらしていたお客様が言っていた、最近の若い奴は、若い奴ら的にすごいなって。(うちのお店に見える方は、結構落ち着いた年齢の人が多い)今回のオリンピックにも、中年のヒーローとなった、山本先生や、3連覇を果たした、野村選手など、沢山のヒーローがいたが、私的には、長野オリンピックに出場していた、スキーのジャンプに出場した、原田選手のが、未だにインパクトが強い。必死の思いで、メダルを取った時、「やった~! やった~!」と声にならない声で、喜んでいた、原田選手のあの顔を、オリンピックの時期になると、未だに思い出す。何を言われても、笑っていたあの精神力の強さ。すごいと思った。いつも思う。選手を引退した後って、皆何してるんだろうって。コーチになったり、コメンテーターになったり、はたまた俳優になったり・・・別に私が心配する事ではないのだが・・・いずれにせよ、メダルの数はすごい。日本の選手は本当に、がんばったと思います。
2004年08月30日
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ホテルでの披露宴の、司会打ち合わせを1件終え、店に来た。昨日の日記を、今書いて、今日の日記も書いて、今から、ディナーショーのチラシや、ディナーショーに合わせて作る、CDジャケットのデザインを作る予定。デザインなんて、さっぱり分からないから、いろんな人が作ったのを、参考にしながら、今日まで、店で使うチラシや、CDジャケット等をいろいろ作ってきた。あとで、昨日、太鼓フェスティバルの売店で買ってきた、なしや、豆腐食べよ!これがおいしんだ!がんばろ。
2004年08月29日
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目が覚めたら、ぴっかっぴっかのいい天気。このまま天気でいてくれ~~!天気を心配しつつ、会場に向かった。今日は、愛知県額田郡桜形にある、かおれ渓谷で行われる、第10回 日近の里太鼓フェスティバルがある。私はそのイベントの司会者。6回目くらいから、司会をさせていただいている。出演者との顔なじみも出来。会場に着くと、出演者との、久しぶり~の会話で始まる。PM5:00 時間通り、イベント開始。途中、お湿り程度の雨が2度、ヒューズが2度飛んだりした、アクシデントはあったものの、4時間近くのフェスティバルは、沢山のお客様にもお越し頂き、PM10:00近くに、無事終了。お天気のほうは、今日の日に合わせ、練習を重ねてきた、皆の願いが通じたのか、多少の雨はふったものの、途中、星や月が見えた時があった。太鼓の皮は、1滴の水に濡れても、もう、使い物にならなくなってしまうそうなので、雨がふったら、その時点で中止にしないといけない。スタッフは、携帯で見る天気予報を、時折確認しながら、空を眺めていた。大自然に囲まれた中に作った、イベント会場はやっぱりいいね。ビルやアスファルトに囲まれた中に住んでいると、どうしても、気持ちのゆとりがなってくる。思いっきり森林浴し、風の音をきき、太鼓の音を体で感じた。仕事とはいえ、気持ちを癒せた。今年、10回目を迎えた、日近太鼓は10周年を記念して、来年、2月13日に、岡崎市民会館で、記念公演を行う。勿論、記念公演の司会も、私がさせて頂けます。売店で売っていた、額田地区の名産物も買い帰って来ました。出演者は皆、とってもいい目をしていた。生き生きと、太鼓を打っていた。皆で1つの物を、作り上げているんだなと感じた。仲間はいいなと思う。来年、2月の記念公演楽しみです。
2004年08月28日
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明日は、額田郡桜形で行われる日近の里太鼓フェスティバルがある。そのイベントの司会に行って来る。天気予報は、台風の影響で雨だと言っている。イベントは、屋外なんだよな・・・雨かな・・晴れてくれないかな・・・みんな、一生懸命練習してるのに・・・雨なら、小学校の体育館を借りて行う。晴れてくれないかな・・・
2004年08月27日
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昨日、今まで、歌ってきた曲の中で、オケを、作り直したい曲があったので、テンポを変え、作り直したリズム隊に、いつもバックで、弾いてもらっているピアノの人に来てもらって、音を入れなおしてもらった。又、うちの店で、月1でしているアマチュアライブの、出演要項を作り変えたので、アマチュアライブに、出てくれている代表の人に、作り直した要項を見てもらい、意見を聞いてみた。何をするにも、いろんな人に、助けてもらいながらやっている。ありがたいね。皆の気持ちを、無駄にしないよう、1つずつ、1つずつ、進めていこう。
2004年08月26日
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今日は月に1回、定期的に行っている整体の日でした。「ヴォーカル教室で、生徒さんに、 腹式呼吸のやりかたを、分かりやすく教えるのに どう教えれば、分かりやすいか、 効果が出やすいか、試しながら 自分で、いろいろやっていたら、 ウエストとか、体が締まってきてね。 最近痩せた?って言われちゃったよ。」なんて、先生に話したら、「どんな姿勢で教えてるの?」って言うので、こういう風に立ってね・・・なんてやってみた。そしたら、「それは丁寧に、教えすぎぐらいだ。 教え方としては、とてもいいよ。」って言ってくれ、こんな教え方も楽しいよ、と、新しいやり方も教えてくれた。無理な腹式呼吸のやり方をすると、すぐ腰痛を起こしてしまう、私の体を基準に、体に負担がかからない姿勢で、腹筋が、鍛えられる方法を取ってきたつもりだったので、以前、詩吟を教えていた事もある先生で、あまり体の丈夫でなかった、私の体を、人並みまでにしてくれた、信頼している先生から、その教え方なら、とてもいい。と。合格がもらえたので、とても自信がついた。ヴォーカル教室に、土曜、日曜なら、通えるけど、やれないの?との声はあった。でも、土曜、日曜は、お店が休みでも、司会や、歌の営業が入ったりと、何かと忙しくしていたので、平日の限られた時間のみで、個人レッスンだけにしていた。今日、整体に行って、信頼している先生から、そのやり方なら、体への負担もないし、効果もあると、おすみつきを頂いたので、前から考えていた、日曜日の、グループレッスン日を、設定していこうかと思う。個人レッスンは、なんとなく行きづらいけど、グループレッスンなら、友達と通いやすいから、やってよ!とも、声があったので、10月くらいから、始めていこうと思ってます。そうそう、新しく教えて頂いた方法は、先生いわく、“ アホな腹式呼吸法 ”これは、文章ではとても上手く書けません。とにかく笑えて、効果のある方法。レッスンに来てる、生徒さんにも試してみよう。笑ってしまって、出来ないかな?私の教室は、ウエストが細くなり、スタイルもよくなる。おまけに、顔の表情も綺麗になって、二重顎の人は、お顔がすっきりし、お顔が一回り小さくなります。私のヴォーカル教室に、興味のある方は、グループ教室の予定日が決まったら、TOPページに載せます。試しに一度、ご参加下さい。又、楽しみが増えました。そうそう、教室は、ケーキセット付にしようと思います。
2004年08月25日
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8がつ28日(土)に、愛知県額田郡にあるかおれ特設 野外ステージで行われる、日近(ひじか)の里 太鼓フェスティバル の、司会の進行表が届いた。日近の里フェスティバル今年で第10回目となる、このフェスティバル。太鼓を、こよなく愛する仲間が集まり、こつこつ練習を重ね、仲間を増やし、後援者を増やし、回を重ねるごとに、この太鼓フェスティバルを、聞きに見える客様を増やしていった。今では、町を挙げてのお祭りになっている。参加する団体も増え、6回目くらのフェスティバルより、私が司会で、呼ばれるようになった。団体も大きくなってきたし、お客様も増えた。細かくする、仕事は別として、毎年夏に行っている、年1回の、この大きなフェスティバルは、プロの司会の人に頼まないと、収拾が付かないと言って、私に司会を、依頼してくれている。もともとこの団体の頭の人とは、知り合いだった事から、司会をさせて頂くようになったのだけど、司会として、きちんと仕事をする前からの知り合いだった。娘と同じ年齢の私を、仲間の1人として、声をかけてくれたのではないかと思う。でも、きちんとプロとして、声をかけてくれたのが、嬉しかった。みんな、この日のために、労を惜しまず、準備を進めている。来年2月13日には、10周年を記念して、愛知県にある、岡崎市民会館で、「日近太鼓フェスティバル」を開催する。勿論私は、司会をよろしくと、声をかけていただいている。たしか昨年は、途中から大雨になり、予定より早く、切り上げなくてはいけなかった。でも、少しでも聞いてもらいたいと、太鼓の皮は、雨に濡れたら、駄目になるのは、わかっていても、もうやめようという時まで、どの出演者も、雨に濡れながら、太鼓を叩いていた。皮、はりかえるの高いんだよな。と笑いながら、太鼓を叩いていた。大降りの雨に、帰る人もあったが、熱烈なファンは、雨に濡れながらも、応援をしながら、聞いてくれている人も多くいた。今回、節目となる10回目の「日近の里 太鼓フェスティバル」お天気でありますように。1年ぶりに、又あの太鼓の大好きな人達に会いに行きます。
2004年08月24日
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今年のオリンピックはすごいね!メダルラッシュ。アーチェリーの山本さんの笑顔もさわやかだった。日頃、スポーツを見ない私でも、日本がんばれ! って応援してしまう。話は変わって。毎年、放送しているというか、行われている、「愛は地球を救う」で、事故のために、下半身不随になった男性が、今回、トライアスロンに挑戦するという人の事を、放送していた。その人が言っていた言葉で、そうだよなって思った事があった。「事故に遭って、まだ1年しか経ってないのに、 トライアスロンという大変な競技に、 よく挑戦する気持ちになれましたね。」と、レポーターの人に言われ、その男性は、「ゴールがあるから、がんばれます。」と言っていた。そうだよな。なんでもゴールがあるんだよな。ゴールがあるから、がんばれる。目標があるから、それに向かって進む。それをクリアして、ゴールできた時、一回り大きくなった、自分がいるんだよな。なんて思った。私のゴールは何だろうと、考えてしまった。
2004年08月23日
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日曜日だから、お店は休みだけど、やる事があるから、お店は休みでも、何かしらするために、店に来ていることが多い。今日は、私がライブでよく歌っている曲の、テンポを変えたい曲があったので、その曲のオケの、作り直しのために店に来た。歌っているうちに、テンポを変えた方がよくなったり、キ-を変えた方がいい、曲が出てくる。オケを作り直すのは、とても手間と時間がかかる。でも、それを積み重ねてきたから、今日があるのもある。又しばらく、楽器やミキシングとの格闘が始まる。例の如く大変なのは、社長。“めんどくさい事も、やればやっただけの結果がついてくる”と社長に教えられ、私に教えるためにも、手間のかかる事を、こつこつやってくれる。ありがたいと思う。毎年している、ディナーショーの日にあわせ、次のCDもそろそろ、作っていかないといけない。夏休みもらって、ゆっくり出来たから、しばらく、お休みなしで、がんばんないとね。
2004年08月22日
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やっぱりそうだった。私は、人の顔や名前を覚えるのは苦手だけど、人の声を、声のトーンや、リズム、話し方の癖で覚える、癖がある。今日は、店で、PM1:00~5:30まで、将棋連盟 名古屋支部の皆さんの将棋大会があり、その後、引き続き、食事を兼ねた、カラオケ大会が開かれた。うちの店で将棋大会?と、うちの店を知っている人は言うかも知れないが、店のテーブルの高さが、将棋をするのにちょうどいいらしい。実際、将棋の会をされたのは、今日が初めてでしたが・・・さて、声の話の方ですが、そのメンバーの中に、元NHKアナウンサーの方も、いらっしゃいました。その方は、私の店には始めていらした方なのですが、話し方のリズムや、声のトーンが、どこかで聞いたことのある声でした。それも、何かのパーティーの時に、直接聞いている声だと・・・何処でだったかな?としばらく考えてみた。分かった!確認したくてたまらない・・・将棋大会が終わり、その方に、まずは、共通の知り合いであろう人の名前を出し、「○○さんはご存知ですか?」と聞いてみた。「知り合いです。」と言われた。「では、先月あった○○というパーティーで、 司会をしていらっしゃいませんでしたか?」と聞いてみた。やはり、「しておりました。」と言われました。「どうして分かったのですか?」と聞かれ、「声のトーンや、話し方で分かりました。」とお話したら、「声で・・・ よく分かりましたね。」と言われました。ただ、それだけの事だけど、声で、聞き分けることが出来た自分が、ただ単に、自己満足できて嬉しかった。今日の会の終わり近くになって、社長が、元アナウンサーの人はやっぱり違うね。と言った。「彼の動きを、見ててごらん。 誰か、淋しそうにしていると、その人のところに行って、 何か話しかけ、笑顔が見えるようになったら、 又違うところに、すっと行く、 同じ所に長くはいない、みんなを上手にまとめている。 例えば、NHKの、のど自慢大会等で、 シロウトさんが出る、番組の時、 緊張している人がいたら、 時間ある限り、その人のところに行って、 さっと、フォローしているでしょ。 それだね。もう身についているんだね。 さすがプロは違うね。」と。私もそれから、その、元アナウンサーの方の行動を、注意深く見ていた。社長の言っていたように、そつがないというか、気配りが利くというのか。とてもさりげなく。目立った行動はないが、彼の周りの人達には、笑顔があふれていた。さすが、天下のNHKアナウンサー。彼の行動は、お客様商売をしている私には、とても勉強になりました。その方が帰られる時、私に、その方と私の共通の知り合いの名前を出され、「次回はその方と、一緒に来ますね。」と言って帰られました。もう、何もいえません。きちんと印象を残して帰られました。
2004年08月21日
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私は運がいいと思う。【亞】さんからの、不在着信が入っているのに、気がついたのは、電話のあった、1時間後。留守電のメッセージは、入っていなかったので、急ぎではなかったのかなとは思ったけど、気になったので、電話をしてみた。「今日、“ 1リットルの涙 ”の 試写会があるの、行く?」と言われた。何時に、どこであるか聞いたら、名駅の方で、PM4:30~ だと言われた。「その時間なら、店のOPENまでに間に合うから、 行けるけど・・・ 今、新栄にいるですが・・・」と言う私に、「近くにいるから、迎えに行くよ。 そこ、動かないでね。」と言われ、言われる通りに、そこで待っていると、【亞】さんの乗った、タクシーが来た。今日の試写会は、雑誌関係者様ようの試写会で、【亞】さんは、特別に招待されたのだそうだ。折角だからと、私も誘ってくれた電話だった。実は、【亞】さんの所にも、今日試写会があるから、来ませんかと、突然、電話が入ったそうだ。それを運良く私は、電話を受けられたと言うわけ。その幸運な、後2人 律○さん・らくしょうさんと一緒に、“ 1リットルの涙 ” の試写会に向かった。随分前ふりが長くなりました。さて映画の方ですが、映画関係者の方より、この映画は、文部省選定作品に決定されました。という紹介を頂き、映画が始まりました。本で読んだ事と、映画の中で、映し出される映像が、ところどころオーバーラップされ、私の胸を、又あの、切ない潤いで、いっぱいになっていきました。映画公開を、楽しみにしている人に、内容を書いてしまうのは、気が引けるので、印象に残ったシーンを、1つだけ書きます。いつも亜也さんが、高校から帰る帰り道で、お母さんに、迎えに来てもらうのを待っていた、駄菓子屋の、おばちゃんの店に、養護学校に、行く事になったから、おばちゃんに、お世話になりましたと、挨拶に行った時、おばちゃんは、亜也さんに餞別にと、お店で売っている、焼きそばパンを渡した。「人間は、元気をつけるために、 食べないといかんよ。」と言われ、亜也さんは、渡された、焼きそばパンを、泣きながら食べていた。私の行って行っていた、高校にも、同じパンを売っていたよな。と思いながら、あふれる涙を押さえながら、見ていた。映画の中でも、亜也さんが「わたしは何のために生きているの?」と言っていたシーンがあったが、映画を見た方達も、その方それぞれの、「私は何のために生きているの?」の答えが、見つかるといいなと思います。私は、私なりに見つけました。豊橋で、先行公開。その後、10月から全国へと、公開されるそうです。私は、皆より、ちょっとだけ先に、見せていただきました。いつもなら、車で出掛けるのを、身軽に動けるように、電車で動いていたのも、偶然だった。電話の不在案内も、気付かなければそのままだった。たまたま、今日は、試写会見れる時間帯に、何も用事が入っていなかった、私は運がいいと思う。誘ってくださった。【亞】さんありがとうございました。HP上でしか、お会いした事がなかった、律○さんにもお会いできたし、らくしょうさんにもお会いできました。想い出になった1日でした。
2004年08月20日
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今日の日記は、昨日の続きになります。目が覚めて、カーテンから覗く光りに、疑いながらも、まずカーテンを引いてみた。は、晴れてる・・・よかった。昨日頼んでおいた、朝ごはんの時間に間に合うように、みんな、支度をして、朝食についた。「きちんとした朝ごはんなんて、久しぶりだな。」なんていいながら、食べる私を、「きちんと食べてるの。」と、母は少し、心配そうに言った。こういう時思う、やっぱり、母は母だって。食事が終わったら、漁師さんに電話して、今日の予定を決めた。台風の影響で、波が高いから、船に乗るのは、やっぱり無理。釣りはあきらめて、海水浴する事にした。昨日と違う場所で、子供でも遊べる場所を教えてもらった。「ボート乗れないの、乗りたかったな。」という姪に、「ボートじゃなくて、船! 船動かせなくても、 乗るだけでも、 乗せてもらえるように頼んでごらん。」といって、教えてもらった、場所に行った。やっぱり、貸しきり状態だった。しばらくしたら、漁師夫妻も来てくれた。私達のために、今日はあけておいてくれたらしい。S氏と、私は、水中めがね付けて、泳ぎたかったのだけど、今日はちびの相手しなくっちゃね。なんて思っていたら、漁師夫妻が、ずっとちびの相手をしていてくれた。おまけに、泳ぎまで教わっていた。(浮き輪で、泳げるようにしてくれた。)岩についている、とこぶし取ったり、貝殻拾ったり、楽しそうだった。私はそのおかげで、ゆっくり、魚と一緒に泳げた。海が綺麗なので、海の底まで綺麗に見える。かわはぎの子供が近づいてきて、一緒に泳ぎだしたり、小魚の大群が、列を成して、泳いでいったり、あれ食べたらおいしそうだよなっていう魚が、うじょうじょ泳いでいた。姪のママは、泳げないので、水着を、持ってきてなかったけど、さすがに今日は、あまりに天気がいいのと、漁師さんや、S氏が、ボートを作ってくれたり、海の中での遊びごとを、教えてくれるので、とうとう服のまま、海に入り遊んでいた。母は、それを、浜から、ニコニコ笑いながら見ていた。お昼まで、めいっぱい海で遊んで、宿に行って、シャワーを使わせてもらい、漁師さん夫妻も一緒に、地元名産の食事が、食べれる店に行き、梅ビールやら、梅何とかという食事を取って、レインボーラインに行った。そのあいだ、母達に、地元の名産品などの説明もしてくれていた。レインボーラインの頂上に、五木ひろしの石碑があり、その石碑についているボタンを押すと、五木ひろしの歌が流れるという場所がある。それを見たいを言う母のために、そこに行くためには乗らないといけない、ケーブルカーに乗り、五木の園にある、五木ひろしの石碑まで行き、母の思いを遂げ、頂上をぐるっと一回りして、降りてきた。頂上から見える、景色は絶景で、ちびは、その景色を見て、「海とお空が繋がってるよ。」と嬉しそうに言っていた。むちゃくちゃ風が強くて、歩いていると吹き飛ばされそうなくらいだった。ちびは吹き飛ばされないように、大好きになった、漁師さんと、手を繋いで、ずっと一緒に歩いていた。天気は、とってもよく、暑いくらいだった。レインボーラインを降り、漁師さんの、船の置いてあるところまで行き、ちびは、船に乗せてもらった。漁師さんが、「風がなかったら、乗せて走ってやるんだけど、 ごめんな。」と言いながら、こっちにおいでと、ちびを呼び、私たちのために取っておいてくれたのだろう。ばふんうにやら、あわび、サザエをちびに、船の中にある、貯蔵庫っていうのかな?その中から、とらせてくれた。天然のばふんうにや、あわびは、とても高価なものなので、めったに、食べられない。この漁師さんは、ばふんうにやあわびを潜って取り料亭などに治める仕事もしている人。なかなか取れなくなった、ばふんうにやあわびは貴重なのだが、私達が行くと、少しでも、食べさせてやりたいと、いつも、取っておいてくれる。ばふんうには、言う事なしにおいしい。あわびも、手づかみで、腸も食べた。生きているあわびは、持っている指に、吸い付いてくる。こりこりとした食感は、たまらなくおいしい。サザエの、腸は苦手なので、腸の所は除いて、こりこりとした食感を楽しみながら食べた。取りたては、たまらんね。「釣りさせてやりたかったけど、ごめんな。」と言った、漁師さんの言葉に、「釣りは今度ね。楽しみは取っておこうね。」と私は、ちびに話をして、「又おいで。」と言ってくれる声を後にして、帰路に着いた。帰る道中で、漁師さんから電話が入った。私達が帰った少し後から、雨が、どしゃ降りになったそうだ。天気が味方してくれたらしい。漁師さんが言うには、私達が、泳いでいた所だけを避けて、その、両脇の土地を台風が通過していったそうだ。漁師さん夫妻に、大変よくして頂だいた。考えられないほどの、天気に恵まれた。想い出が沢山出来た。お盆休みになりました。
2004年08月19日
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台風が心配だったけど、どんよりしたお天気の中、同行者S氏。私。姪、姪のママ(妹)、母のご一行で、お昼頃、前から、約束していた海水浴に行くために出発した。今日から2日間、お盆休みを利用して、家族孝行を兼ね、知り合いの、漁師さんがいる、福井県の敦賀に行ってきた。どんよりと曇った天気、道中も、パラパラと時折り雨が降った。出発から、2時間30分後、目的地の、敦賀に到着。漁師さん夫妻が笑顔で迎えてくれた。到着したとたん、雨はザーザー降りに。「泳げないね。」と言う私に、5才の姪は、「えー。泳ぎた~い。」漁師さんは言った。「さっきまで晴れてたのにな。 でも、もうすぐやむよ。 あっちの方が晴れてる。」ひとまず、漁師さん夫妻にバイバイし、今日泊まる民宿に、荷物を置きに行った。荷物を整理していたら、漁師さんの言ったとおり、晴れてきた。「雨がやんだから泳げるでしょ、いきた~い。」と言う姪の声で、漁師さんとこ電話して、子供でも泳げる場所聞いて、泳ぎに行った。貸切の海水浴場。初めて海に来た、姪は、おおはしゃぎ、まだ泳げないので、浮き輪でバシャバシャ遊んでいるだけだが、潮の流れが速いので、すぐに、沖に流されていってしまう。時折、「ワ~イ。遠くまできたよ。」と無邪気に、沖に流されながら言っている姪を、「ワーイじゃないよ。」と、私は、必死に泳いで追いつき、ちびの足の着くとこまで、戻してやる。姪のママと母は、泳げないので、今日は、浜で、見ているだけだった。私と、同行者S氏と2人で、姪を遊ばせていた。この時、もうすでにくたくた。ひと泳ぎした後、宿に帰り、お風呂に入って、海の幸三昧のお食事。食事をしていたら、漁師夫妻も遊びに来た。今日泊まった宿は、この漁師さんの紹介なので、料理をいつもより、よくしてくれたらしい。おまけに、今日の泊まりは、私達だけの貸しきり状態。「晴れたら、釣りに連れて行ってやれるんじゃけどな。 この雨の後じゃ、たとえ晴れても、 波が高くて、大人でも無理だ。」と言いながらも、「明日は、晴れたら、今日とは別のところに、 泳ぎにつれてってやるさけーの。」と、姪に話しかけてくれていた。姪は、「うん。」と嬉しそうに、大好物の蟹に、ばくついていた。夜、寝ようと思ったのだけど、息が苦しくて眠れなくなってしまった。疲れると出てくる、喘息のような呼吸になってしまった。ぜーぜーと、苦しくしている私を見て、外の空気を吸えば直るからと、S氏に言われ、散歩に出掛けた。確か天気は、台風っていってたのに、空は、満天の星空だった。「明日、天気になれば、ちび泳がせてあげれるんだけどな。 天気になるといいね。」なんていいながら、空を見上げていたら、「ちょっとあれ見て。」とS氏。「あれって見確認飛行部隊かな。」と続けて言った。UFOと言わないとこがいい。「飛行機にしては、光が弱いし、飛行機の通りじゃない。 光りの進む速度も遅いよ。UFOかな。」ここでやっと、UFOと言った。「衛星放送を見るために、飛ばしているのでもないよね。」と言う私。なんだか息が苦しかったのも忘れ、ワクワクしてきてしまった。時に時間は、午前3:30約1分の、浮遊時間の後、その、未確認飛行物体の、光は消えた。「明日晴れるかもね。」何の確証もなく。2人は思い、私のぜーぜーいっていた、呼吸も随分収まったので、宿に帰り寝た。明日、晴れますように。
2004年08月18日
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明日から、やっとうちの店の お盆休み。2日間の お休みを使って、知り合いの 漁師さんがいる、福井の海に 行って来来ます。そう、あの、事故のあったところに。あはは・・・明日の天気を、天気予報は、台風から来る、大雨だといっている。天気が心配だったから、漁師さんに電話して、天気を聞いてみたら、小雨降るくらいだと思う。十分泳げるよって言ってた。いいもん。雨だっていいもん。どうせ海に入るんだから、濡れたっていいもん。家族孝行で行くから、民宿も予約してしまったし・・・いまさら、キャンセルも淋しいし。日頃の行い悪かったかな。いいんだい。おいしい海の幸。たらふく食べてくるんだい!
2004年08月17日
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亜也さんの日記から構成された “ 1リットルの涙 ”を読んでのレビューは、以前書きました。こちらのレビューは7月30日の日記8月5日の日記に書いてます。今日は、 “ いのちのハードル ” を読んでのレビューです。>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>この本は、亜也さんのお母さんが、亜也さんの日記や、お母さん自身の 気持ち、亜也さんの 周りの人達の事を書いた本。温かい気持ちを、受けた事を書くのは、スラスラ手も動いただろうが、心無い人からの受けた事まで、隠さずに綴るのは、辛かっただろうと思う。亜也さんが、ルビーの指輪を手にした事が、書かれていた。亜也さんの嬉しい気持ちが伝わってきた。亜也さんが、綴っていた日記が本になり、その本の印税で、亜也さんが、唯一ほしいといった、「ルビーの指輪」を、手にした時、亜也さんは、ずっと自分自身に 問いかけていた、「わたしは何のために生きているの」の答えが、亜也さん自身にも 分かったのでは ないかと思う。「ルビーの指輪」亜也さんが、ルビーの指輪をほしいといった時、間違ってなければ、ちょうどその頃、寺尾聡が歌う 「ルビーの指輪」が、ヒットしていた時ではないかと思う。亜也さんが、日記をつけるようになったのは、お母さんに、進められたからだそうだが、私が、書道教師の資格を取るために、書道教室に通っていた時、そこには、幼稚園児から、お年寄りまで幅広い年齢の人が、通ってきていた。その生徒の中には、自閉症の子供も、数名通ってきていた。私が、教師の資格取得を目的として通っている ということで、先生が、知っておくといいと、教えてくれたのだが、字を書くということは、集中力を高め気分を落ち着かせ、また、自分自身を見直すためにも、とても効果があり、精神的にもよい事だと教えてくれた。なので、小学校の先生も、自閉症や、心に なにがしらの障害を持っているお子さんの親御さんには、お習字教室に通うと いいと進められると言っていた。(絵を書く事も効果があるそうですが、 私は、習字の方しか分からないので 字を書くという事で書きました。)亜也さんは、自閉症でも、心に、障害を持っている訳ではないが、体の症状。今の気持ち。自分の 今おかれている状況。であった人々。又些細な事まで、記す事によって、亜也さん自身も、明日もがんばろうという気持ちにも繋がった事が、あったのではないかと思います。又、書いたことで、今回の出版にも繋がったし、亜也さんという、1人の女の子の事を皆に知ってもらう事も出来た。こんな言い方は悲しいが、家族の方、亜也さんを愛した人達との「思い出」も残す事が出来た。そして、今回の映画公開にも繋がったのだと思う。勿論私も、亜也さんという女の子の事をこうやって知る事が出来、感動を分けて頂けた。昭和63年5月23日 午前0時55分、心電図の波が1本になり、亜也さんは、天国に召された。お母さんは、この事を、遠い国へ、たった一人で、旅立った。いや、あわただしく、嫁いで行ってしまった。と記していた。嫁いだ。そう。天国へ嫁いだのだと思う。そして、映画公開の時は、お里帰りをしてくれるのではないかと思う。皆の笑顔に逢いに。亜也さんが、養護学校に通う事を決めるのに流した、“ 1リットルの涙 ” も亜也さんと、一緒にがんばってきた人達と越えた、“ いのちのハードル ” も感動という、タンポポの種になって、皆の胸に届いたと思う。そう綿帽子のついたタンポポの種。タンポポは強い。しっかりと根を張って、黄色いかわいい花を咲かす。亜也さんみたいに。又長く書いてしまいました。読んでくださった皆さん ありがとうございました。映画公開を楽しみにしています。
2004年08月16日
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年に何回かある、完全offの日でした。今日は、お盆最後の日なので、実家に行って、お墓参りをし、久しぶりに会った、家族とお茶をして、飛騨で歌ってきた事や、とりとめのない話をしばらくし、家を後にした。ここから先は、まだこれから仕事だから帰るねといって、家を後にしたので、家族にこれを読まれると、実は辛いのだけど、鮎を食べに行った。額田の山の方に、登っていくと、鮎づくしの料理が食べれ、お風呂も入ってこれる簗場がある。久しぶりにお仕事から離れて、お風呂で体をぐい~と伸ばし、鮎づくし食べて、のんびりしたいという、同行者(誰といったかは内緒。でも色気のないことは確か。)の声で行って来た。昨年も、行ったお店だったので、お盆に営業しているのは わかっていたから、予約をしないで行った。私達の他には、1組来ていた。昨年は、私達だけだったのに。盆は空いているっていうのを知っている人が、他にもいたのね。なんて話をしながら、お部屋に通してもらい。まずお風呂。ここのお風呂は、温泉ではなくさら湯だけど、誰も入っていなかったので、貸切の浴場は、贅沢この上ない。のんびりお風呂につかり。ついでに露天風呂にも入って、体を、ぐい~んとのばし。リラックス。天国天国。お風呂から上がり、少し休んだところで、お食事を出してもらった。鮎づくし料理。お刺身・甘露煮とあったが、やっぱり鮎は、塩焼きが一番おいしいと思う。お腹いっぱい。気持ちもリフレッシュ。たまには、こんなのもいいな。来年もこんな お盆が迎えられるといいなと 思った1日でした。
2004年08月15日
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うちの店での、月に一度のアマチュアライブの日。今日は、4バンド出場。ロックバンド2バンド。ブルース1組。ベンチャーズバンド1バンド。そのうち2バンドは、よく知っているバンドだった。皆楽しそうだった。音響側としての、アマチュアバンドの大変なところは、リハの時と、本番の時の音の大きさが違う事。うちの店は、けっこうリハの時間を取り確認していると思うけど、でも、本番の時、リハで出した時の音の大きさが違う。今まで見てきたアマチュアバンドの特徴として・・・これより先は、ムッとする事を書くので、バンドをしている人は、聞いてもいいよっていう人だけにしてね。 | | | | | | | | ↓読んでしまうのね・・・アマチュアバンドでヴォーカルの入るバンドの多くは、ヴォーカルの声を消すくらい、楽器の音が大きいバンドが多い。何故そういう事になるかというと、練習の際、練習スタジオを使う人が多いと思うけど、練習スタジオで、練習する時は、スタジオの大きさにもよるが、そんなに大きなところはないので、大抵は、アンプを楽器のすぐ近くに置き、自分の楽器の音を、すぐ近くに聞こえる状態で、練習している。その癖がついているので、ライブハウスや、イベントなどで、ライブをする時も、返しの音よりも、アンプから聞こえてくる、音を聞いてしまい、また、アンプから聞こえてくる音を基準に音を出すので、自分以外の楽器の音が、大きいと思うと、自分の楽器の音が、もっとよく聞こえるように、演奏している間でも、アンプの音をドンドン上げていってしまう。そうする事で、最初は聞こえてきた、ヴォーカルの声も、次第に、聞こえなくなる。ヴォーカルの声には、限界があるので、どんなにがんばっても、エレキギターや、ベースの上げていく音量には太刀打ちできるはずもなく、また、ギターやベースの音に負けまいと叩くドラムの音にき消されてしまう。なら、ヴォーカルの音を上げればいいではないかと なるだろうが、先にも書いたようにヴォーカルの大きさには限界があり、又、音量を上げたところで、楽器の音も上げていってしまうので、ハウリングをおこし、音響の方もピークとの闘いになり、音の作りようがなくなる。じゃ。そうすればいいのとなるが、まず、ヴォーカルの声の大きさを確認し。その音の大きさに合わせて、楽器の音量を決めていく。その時に、MAXを決めておく。それぞれの 楽器の音を作る。リハの時に確認した音量を、チェックしておき、本番の時も、そのチェクした音量にあわせ、それ以上にしない。後は、音響さんに任せる。長くなってしまったので、ここまでにします。まだまだ、あるのだけど・・・今日はここまで。又、機会があれば、上手に聞かせるテクニックを書きます。そんなの違うよって誰か言うかな?えらそうに言ってしまったかな。でも、書きました。いずれにせよ、楽しんで音楽が出来るのは、いいことです。皆、目がキラキラしていました。
2004年08月14日
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飛騨でのイベントで 疲れたのか、なんとなく 目の焦点が合わない。目の焦点が 合わないっていうのは、こういうことなのかなって思った。見えているんだけど、集中してみる気にもならない。いつも 大抵クーラーの中にいる生活なので、クーラーのないところに、1日中いたから、体もびっくりしたのかもしれない。それとも、終わったという安堵感からか。でも今回は、がんばったと思う。今日は、通常に店の営業もあるので、仕事は休みではないけど、なるべくゆっくりしながら、体を動かしていこうと思う。でもやる事が山程あるのは何故・・・絶対キャリアウーマンにはなれない。あの体力のある 社長もさすがにばてている・・・
2004年08月10日
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昨日の日記に写真を載せました。>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>飛騨市のイメージソングを 歌う歌手として、飛騨高山テレ・エフエムにさせて頂いた。私の出演時間は 15分でしたが、ラジオ出演に 慣れていないので、緊張した。ナビゲーターの方は、私が話がしやすいように、上手に聞きだしてくださり、無事終了する事が出来た。話をしている時に、私のオリジナル曲“夢物語”が、流れ、最後に、飛騨市のイメージソング“ふるさと・夢飛騨” が流れた。最後に流した曲のタイトルを、ナビゲーターの方に振られ、○○えり子で、“ふるさと・夢飛騨” と紹介したのだが、これすごくやってみたかったのよ。 自分の歌を、自分で紹介するの。 前にもしたことはあったけど、めったに出来ないもん。なんか芸能人みたいじゃん。なんつってね。その後、飛騨の町並みを楽しんで、飛騨牛をお腹いっぱい食べて、名古屋に帰ってきました。名古屋は暑い・・・2日に渡っての飛騨では、いろんな人に会えて、楽しかった。船津座が完成したら、今度は会館の中で歌えるといいな。
2004年08月09日
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イベントに出演するため、朝早く出発し、飛騨市に向かった。意外と道が 空いていたので、スムーズに 走る事が出来、イベント会場に到着。私の場合は、歌う際の音響機材一式持って行くので、出演時間関係なく、会場つくりの時間に入らないといけない。会場の広さを考えて、スピーカーを6本持っていったが、4本で足りる広さだった。段取りよく 社長がセットを始めていった。会場の音響さんが作った音響セットの、邪魔にならないように、私の歌う時の 音響機材をセットさせて頂き、時間になったら、リハ。初めて、そこで、飛騨市のイメージソングを歌った。勿論、私のほうで、アレンジをした曲も歌った。そこには、作詞・作曲をされた方もいた。歌い終わった後、作詞・作曲をされた2人の方が、それぞれ私のところに来て、「いい歌にしてくれて ありがとう。」と言ってくれた。“ふるさと・夢飛騨” に関しては、「今日、私サイドで作ったアレンジの方で、 子供達と歌うんです。 子供達と歌えるように、メロディーラインは 崩さず作りましたが、よかったですか。」と話す私に、「自分の作った歌を、子供達に歌ってもらうのが夢だった。 私達の夢を 叶えてくれてありがとう。 アレンジも乗りやすくていいね。」と言われ、大変喜ばれた。リハから私の出演時間まで、随分時間があったが、それまでに、一緒に歌う小学生の子達とのリハをしたり、なんだかんだとしいていたら、出演の時間になった。ショーの最後に、こちらでアレンジをした、“ふるさと・夢飛騨”を、子供達と歌った。 それで終わろうと思ったら、アンコールがかかった。喜んだのは、一緒に歌った。子供達。「私達の歌でアンコールだー!わーい!」って。イメージソングを作ろうと最初に言われた、議員さんと・作詞・作曲者 その他関係者も舞台に上がり、同じ歌を子供達も交え、皆で歌って終わった。その後、イベントが続き、終了後、音響機材を片付け、帰りの挨拶をした時、片付けの作業をしていた人達は、作業の手を止め、拍手をして、送り出してくれた。必死に作ったアレンジも、好評にすんだので、肩の荷がおりた1日でした。帰る時、皆に、「又おいでよ。待ってるからね。」って言ってくれた言葉が、とても嬉しかった。がんばってよかった。改めてそう思った。>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>って書き込んで UPしたら、ろくろ屋の とーちゃんたちが、遊びに来てくれた。楽しかった。・・・だから・・・この日記は、8月11日に書いた後付日記です。ついでに、このイベントの時の、写真も付けてみました。
2004年08月08日
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明日、飛騨市のイベントに出演してきます。飛騨市神岡町 にある 船津座敷地内で歌います。お近くに方は聴きに来て下さい。準備で大忙し。今日はここまで。帰ってきたら、又書きます。行ってきます。
2004年08月07日
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少し前に、 1リットルの涙の レビューを書きましたが、読み終わったので、続きを書きます。詳しい事は7月30日の日記をご覧下さい。亜也さんが、19歳の頃に書かれているページで 夜寝ようとてしたら、コン、コンとノックの音がした。(星新一の本にあったな、こんな場面が)。「どうぞ」と言うと、スーッと戸が開いて、小さな女の子が入って来ました。そうです、妹のリカちゃんです。「お話があるの」 といつになくシリアスな口調で言う。「明日。保育園へ行くの。家にいないからいい子に しとらんといかんよ。ズッコケンようにね。帰って きたらまた遊ぼうね」泣けてきた。 (本文より)ここを読んだ時、私の中に切なさで潤っていた、切なさの思いの 行き場所がなくなり、とうとう瞳から 涙となって零れ落ちた。リカちゃんなりの、思いやりだろう。小さな子でさえ、亜也さんに、こんなに 優しい言葉をかけている。本の最後の方で、山本先生の書かれている文章の中で、亜也さんが、山本先生に、「私、結婚できる?」と、聞かれたという事を 書かれているところがあった。亜也さんに、好きな人が出来たのかなと思った。と書かれていたが、折角生まれてきたのだから、誰かを好きになるという気持ちが もてたのなら、女に生まれてきた、幸せを感じられたと思う。又、そうであって ほしいと思った。亜也さんの体は、人一倍辛い思いをしたけど、愛情には、誰よりも恵まれていたように思う。それは、勿論、亜也さんが、皆に迷惑をかけないように、とても 努力をしたのもあるけど、親御さんが、とても努力をされたんだと思う。兄弟も、とても思いやりがあり、それぞれのやり方で、亜也さんを気遣っていた。姉として、大事にしていた。その思いが、こうして本になり感銘を受けた人達が、レビューを書いたり、9月の映画公開に、繋がっているんだと思う。気ぜわしい日々を 送る毎日に、この本は、生きるという事が、どんなに 意味のある事かを、教えてくれていると思う。この本の最後に、亜也さんの筆跡で、“ ありがとう ” と書いてあった。私からも 亜也さんに “ ありがとう ” を送ります。この本はきっと、沢山人の心を切なく潤す事と思います。続いて、亜也さんのお母さんが手記としてまとめられた、いのちのハードル を読みます。読みましたら、又レビューを書きます。
2004年08月05日
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以前、私のショー付で、パーティーをして下さった、詳しくは7月13日の日記をご覧下さい店長さんから、1週間位前に、今度は、私のディラーにいる社員で、あなたの歌を聴きに行きたいのですが、お願いできますか。と電話が入った。「料金は前回と、同じでいいですか。」と言われたので、「うちの店まで、来て下さるのですか。」と聞いたところ、「勿論そちらまで行きます。」と言われた。何故、そんな事を聞いたかというと、そのディーラー店は、名古屋からは、少々距離がある稲沢にあるんです。昨年も、稲沢店の皆さんには、私の歌のショーで呼んで頂いたのですが、そのディーラーの近くにある、レストランまで、音響機材を持って、伺い歌ってきました。なので、今回も稲沢まで行くのかな?と思っていたら、今回は、うちの店まで、社員全員で来てくれるという。人数にして、27名。店長さんは、うちの店でのライブを社員の方たちに聴かせたかったようだ。予約して頂いていた時間に、続々と皆さん到着。新しく入った方以外は、もう私の歌を聴いていただいた事が ある方ばかりなので、何の問題もなく。(あなたはだーれ?と聞かれることなく)パーティーが進み、食事が一段楽した後、私のライブに入った。ライブの中で一番受けた曲が、“ 隣のトトロ ”アンコールは店長の希望で“ 演歌 ”だった。いろんなタイプの歌を、歌おうと思って、選んだライブにしたので、曲の構成としてはあまり、統一性がなかったが、なんだか分からないけど、盛り上がっていた。かぶりつきの男性も多く、私から、1mも離れてない場所に、陣取り、私の顔をジーと見つめながら、聴いている人も、幾人かあった。あまりに近づかれると、照れるのを通り越して、けっこう 辛かったりする。どんな顔して歌えばいいの??? ってな感じ。でも、皆さん、きちんと聴いてて下さいましたよ。私のライブに、いつもいらして下さる年齢層より、随分若い方ばかりでしたが、とても温かい雰囲気で歌えました。店長さんが帰られる時、「次は、第3陣を連れてきますから、 よろしくお願いします。」と、満面の笑みで言って下さいました。だんだん広がっていくよ。音楽の輪が。と感じた1日でした。
2004年08月03日
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今日は、私の店でしている、月に1度の 定期ライブの日でした。今日のライブで、8月8日に行われる飛騨市での イベントで歌う、イメージソングを、初お披露目しました。ある方は、飛騨市の方に 営業に行っているので、どんな歌か、聴いてみたかった。と言って、お越し下さった。どんな歌か聴いてみたかったから来たよ。という方。偶然、飛騨市が実家という方も見えていた。そして、いつもの常連さん等、思っていたよりも、沢山のお客様にお越し頂けました。初めて歌う歌は、とても緊張します。練習はしているものの、やっぱり、練習と人前で 歌うのは違う。あまりの緊張に、一番前列の人には、手が震えていたのが、分かってしまったかもしれない。私のライブは、いつも2部制で歌っているのでまず、1部の方で“ふるさと・夢飛騨”“恋の奥飛騨”の原曲バージョンを歌い、2部の方で、私のほうで、アレンジを作った、“ふるさと・夢飛騨”を歌った。この、私バージョンを歌った後、あるお客様から、原曲バージョンと、ERIKOバージョンと、どちらがいいか、皆さんに 手を上げて頂いたらどうでしょう。と声がかかり、ならと、どちらのバージョンが好きか挙手をして頂いた。どちらが多かったかは、ライブにいらして頂いた方との、秘密にしておこう。ただね、皆さん必ずどちらかには、手を上げて下さいました。それぞれに、感想も言って下さいました。歌は1つでも、アレンジ次第で、曲は、こんなに変わるんだよっていうのを聴いてほしかった だけなんだけど、この歌を皆さんが、本当に、真剣に聴いていて 下さったんだな。というのが、とても伝わってきて嬉しかった。どちらがいいかって事は、聴く人が決める事で、1パターンに決める必要は ないと思っている、これは、社長が言っていた事だけど、イメージソング等は、特に、たいてい、2パターンくらいは必要になってくる。イベントのタイプ、聴く人の年齢に合わせて、使い分ければいい。後で他のパターンを作って下さい。って言われるのは 分かっているから。言われる前に 先に作っただけ。これは長年の経験ね。と言っていた。じっさい、2パターンにした事でそれぞれに、歌に対しての 興味を持ってもらえた。ただ、アレンジをするのに、時間がなさ過ぎた。でも、作ってもらえる人に恵まれ、何とか間にあった。もう1つ違ったアレンジを持っている事で、歌の幅も 広げる事ができた。今回の事は、とてもよい経験になりました。ライブが終わって、皆さんが帰られる時、飛騨がんばってきてね。って言ってくれた。緊張するだろうけど、緊張を 楽しんできたいと思います。ライブにお越し下さった皆さん。ありがとうございました。
2004年08月02日
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今日は、店の方でお昼間貸切の パーティーが入っていたのですが、ほぼ 同じ時間に披露宴の 司会が入っていたので、いつも来てもらう バイトの人に入ってもらい私は 披露宴の方に行って来た。披露宴が終わり 店に帰って来たらまだお客様がいらしたので パーティーをご予約して下さった お客様にご挨拶が出来た。間に合ってよかった。今日は 私が披露宴の司会を始めて、1年目くらい前に 体験した忘れられない 出来事を書きます。>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>披露宴の司会者として 1年目くらいの時19.20歳の 若い二人の披露宴の司会に 当たった。若い二人の 披露宴だったからか、列席者は 少なく円テーブルが 4つ新郎新婦を含め 25人くらいの披露宴でした。両親 兄弟確か親族はいなかったような・・・それと友人幾人か。その、列席した友人達が、見るからに、ヤンキーと言ってもいいような人達ばかり。男性側の友人達は 縦じまの背広に、部屋の中なのに、サングラスをかけずーとタバコを 吸っていた。女性側の友人達は 当時アイドルとして売れていた工藤静香のような 髪型に、口紅は 紫や 黒いような色を塗りマニキュアも 黒系のものを塗っていた。勿論 ずーっとタバコを吸ってた。別にタバコを 吸っていたってかまわないのだけど、何か聞くと あんっ?って言い返されるような 雰囲気だった。まだ披露宴の場数も あまり踏んでいなかったので何かあったら どうしようと思いながら、披露宴を 進めていった。会場のお料理を 出している人も今日は灰皿ばかり 交換しているよ。と言っていた 記憶がある。披露宴で よく行われているケーキ入刀や キャンドルサービス等はあったが、余興的な物が、なーんにもなかった。これでは 食事会になってしまうと思ったので、歌の1曲くらい 誰か歌ってくれないだろうかと、新郎の友人の所に、カラオケの本を持っていって、「どなたも歌を歌う方が、いらっしゃらないから お友達から、1曲歌ってくれませんか。」と頼みに行った。「えー。歌うのーー。ちょっと考えとくね。」と言われ、本だけは預かってくれた。正直怖かった。言うだけ言ってとっとと司会台へ戻った私。しばらくして お願いに行った、新郎の 友人の席の中でも、1番怖そうな 風体の男性が、 先程渡した カラオケの本を持って、私の元に やってきた。「あの。」と男性は、真っ赤な顔で言った。「はい。」と、私。それしか言えなかった。「僕、こういう所に なれていないので、 どんな歌を歌ったらいいか 分からないですが、 “いい日旅立ち”でもいいですか。 僕、これくらいしか 僕知らなくて・・・」と、男性はすまなそうに言った。私は、「いい日旅立ちですか。」と 少し裏返った声で聞き返した。まさか、その男性が、 “いい日旅立ち”を選曲するとは思いもよらなかったのでと聞き返してしまった。「よくないですか。」と男性は、心配そうに言った。「いいですよ、ただ、女性の歌だから、 キーが 合うかなと思って。 そのままの キーでいいですか。」と、平静を装い、私は言った。「歌った事ないから、そのままで出して下さい。」と男性は言い、席に帰って行った。“いい日旅立ち”ね・・・ びっくりした。男性が、私の所来た時私は、歌なんか歌えねーよ。と 本を返されるのかと思ったので、この出来事は、不意を食らった。早速、その男性を紹介し、“いい日旅立ち”を歌って頂いた。本当に、初めてに近いくらいで 歌ったのだろう分からないなりにも 顔を真っ赤にして一生懸命 歌ってくれた。それがよかったのか、その後、他の友達も、女性の 友人からも、歌が何曲か出て、披露宴は 滞りなくおひらきになった。披露宴 おひらき後、“いい日旅立ち”を歌ってくれた男性に、「あなたのおかげで、皆さんが歌を歌ってくれました。 助かりました。ありがとうございました。」と 言ったら、「いや~。えへへ。」と 笑って 帰って行った。この時ほど、人は見かけによらないものだ思った事はない。見かけは本当に 怖かったけど、とても 優しい人だった。司会者困ってるから、お前歌ってやれよ。と 友達に言ってくれてたのも見た。見かけだけで 人を判断してはいけない。この時から、披露宴の司会の仕事が、本当に好きになった。そして今でも 続けている。たしか・・・もう10年以上も前の話です。>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>明日は 私の店での定期ライブです。「防人の歌」歌おうかな。飛騨市のイメージソングも 初お披露目します。きちんと 歌えますように。明日天気にな~れ!
2004年08月01日
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