2012年07月27日
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カテゴリ: 何かの足しに
コムスメ、自由研究のネタに「抹茶と茶の湯」という 婆臭い 渋いものを選んだため、まあちょっと情報収集してたんですが。
今年、抹茶の茶摘み体験と工場見学に宇治まで出かけたので、興味を持ったらしいです。抹茶も好きなので、まあいいかなと。
もう一回、宇治の工場見学に連れて行こうかと思ってます。

まあそれはいいんですが。

お茶のことをいろいろ眺めてるうちに、茶がゆの話を見つけました。
茶がゆって、あんまり一般的な食べ物じゃないみたいですね。
私は子供のころから、祖父母宅に行くと、必ずと言っていいほど食べてました。
夏は冷やしたのがおいしかったですね~。

井戸もあって、冷やしたすいかが楽しみでした。

それで思い出したのですが、祖父母や父は必ず茶がゆに「はったい粉」をまぶしていたのです。あれはなぜだったんだろうなあ。
残念ながら、子供だった私は手が出せず、味はわからずじまいです。
一般的には「麦焦がし」と言うらしいので、麦なんでしょう。
米屋さんで売っていて、おつかいに行ったのも覚えています。

戦中を過ごした父によると、麦はそのへんにいっぱい生えていて、
格好のおやつになっていたらしい。
そのまま食べてたのか、何か加工してたのかは聞き忘れましたが。

いまは東大阪市ですが、河内の名を持つ地名なので、河内地域なんでしょうか。
大阪大空襲の話とか、むちゃくちゃリアルですごいです。
家の庭に防空壕を家族で掘った話とか、もしかしてボンボンやったんやろか(笑)


戦死した身内の話は聞いたことがありませんでした。

いまでも、はったい粉を見かけることがあります。
そのたびに、祖父母のことを思い出します。
祖母は元気な頃、子供ギライで、いつも泣きながら屋敷の外に避難していました。年老いてからは、そんなことはなくなりましたが。
祖父はおだやかでユーモアのある好々爺。


今は父が、まるで祖父を見るかのごとく、穏やかな好々爺に変貌しています。
あんなに暴君だったのが、アルツさんになって人が変わったみたいです。

茶がゆを作るためのほうじ茶を、ちょっとだけ調達してこようかな。
アルツさんでも、古い記憶は鮮明に残っているので、茶がゆとはったい粉があれば、またいろいろ元気な頃の話に花が咲くかもしれません。





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最終更新日  2012年07月28日 01時56分57秒コメント(0) | コメントを書く


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