全23件 (23件中 1-23件目)
1
「二つの祖国」読了。戦争のため二つの国の間で翻弄される、というテーマは後の「大地の子」と少し似ているように思う。しかし、内容としては「大地の子」よりもっとシビアで重い。最後まで救いがなかった。これが、戦争がどんなものかを知らしめる作者からのメッセージであろう。やらなきゃいけないことは色々あるけどこの人の作品は、一気に読んでしまう。途中で我慢できない。まさに至芸。他の作品もまた読みたい。そして、自分自身ももっとがんばらないといけないな。
Feb 18, 2016
コメント(0)
「大人の達人」読了。<抜粋メモ>・吉行淳之介「じゃあ、それはやわらかい約束にしておこう」・堀文子「交流は水のごとしで、見え隠れにお付き合いしております。友人ではございません。大人になって友人っていますか?人格が形成されない小学生くらいまでじゃないかしら」「感性の似たもの同士が惹かれあうから面白い」淡交とは淡い付き合いの連続ではなく、時をおいてもその時に新鮮に感性が放電しあう一期一会の連鎖のような付き合いである…という話をわたしは思い出した。・森繁久彌「ぼうふらが 人を刺すよな 蚊になるまでは泥水のみのみ 浮き沈み・・・」吉行淳之介は、遠藤周作のエッセイにも度々出てきて興味ある。とても色気ある人だったみたい。遅まきながら、今度彼の本を読んでみよう。堀文子の生き方にもとても興味がある。「友人ではございません」と言い切ってしまうのはかっこいいね。ただの子どもおばちゃんにはならないように。粋な生き方に少しでも近づきたい。
Dec 21, 2015
コメント(0)
「食べない人たち」「食べない人たちビヨンド」読了。<抜粋メモ>・人は何もしないことが怖いので食べてしまうのです。必ずしもお腹がすくから食べるわけではありません。ヒマな人ほどよく食べるのは、そのためです。・何かを考え始めると、とたんにお腹がすく。言い換えるなら、何かを考えるようなヒマができると、すぐにお腹がすいてくることです。空腹感を感じながら歩くことに専念してみましょう。歩くことに専念すればするほど空腹感は消え、頭がスッキリして、体調がよくなっていきます。・物を持たなければ持たないほど自由の幅も広がるということです。物をたくさん持てば持つほど、自由から遠ざかっていくのではないでしょうか。そして、幸せの意味もわからなくなっていきます。なぜなら、本当の幸せとは、何かを所有することではないからです。幸せとは、魂がそう感じること。自由な魂だけが、そう感じることが出来るのです。「貧しい人は幸せです」との聖書の言葉を思い出した。物に縛られず、心が自由であること。今の私はまだまだ重いな。ひどくはならないけど、風邪気味。もっと強くなろう。心も体も。
Dec 13, 2015
コメント(0)
「減らす技術」読了。<抜粋メモ>・人生をシンプルにする2つのステップステップ1:大切なことを見極めるステップ2:それ以外のものを取りのぞく・人生をシンプルで生産的にする6つの原則原則1:制限する原則2:本質に迫ることだけを選ぶ原則3:シンプルにする原則4:集中する原則5:習慣化する原則6:小さくはじめる・「とりあえず片っ端からやる」のはやめて、あなたの人生に意味のあることかどうかをまず考えよう。・あなたにとって「本質に迫ること」とは何だろうか。あなたは今「本質に迫ること」に集中しているだろうか。それ以外の「本質に迫ること」ではないことは減らしていけるだろうか。・ショートリストにする。これは自分の人生に価値を与えてくれるものだろうか。自分にとっていったいどれほど重要なものだろう。自分の人生の価値観や優先事項とあっているだろうか。これをやめたら人生はどう変わるだろう。人生の目標や夢へ一歩でも近づけてくれるものだろうか。 概念は、「エッセンシャル思考」と似ている。我が家は、ゆっくりできない雰囲気なので暇だと「なんかしなきゃ」という妙な強迫観念があるがそれに追い立てられて決定してはいけない。私は私。自分とよく相談して決めなきゃ。楽天セールで携帯が安くなってるな~また携帯持とうかな・・・これまた自分とよくよく相談します。
Dec 6, 2015
コメント(0)
「人間の分際」読了。<抜粋メモ>・死はむしろ生き方を教えてくれるものなのである。死ぬ予感がないから、人の心は彷徨する。他人の境遇を羨んだり、名誉や地位に執着したりする。昼日中から、芸能人の離婚話やスキャンダルを種に、ああでもない、こうでもない、と揣摩憶測するようなむだなテレビ番組などを見ていられるのも、死を意識していないからである。死を近く思うと、人は時間を自分のためにだけ使うようになるだろう。人の噂に係わることは、所詮は人に時間をやってしまうことなのである。私が人より少し時間を有効に使って来たとしたら、それは、死の観念がいつも遠くからだが、私を追い立てていたからだろうと思う。・死を前にしたときだけ人間は、何が大切で何がそうでないかがわかる。母校の先輩であることを改めて知り、誇りに思います。私自身今までだいぶ無駄な時間を過ごしてきたと自覚していますが、今後はより意識して、すべきことに時間、思考、自分自身の重点をおいていきます。
Dec 1, 2015
コメント(0)
「放浪の天才数学者エルデシュ」読了。<抜粋メモ>・エルで主は数学のために最大限の時間を割けるように時間を作りあげていた。彼を縛る妻も子どもも、職務も、趣味も、家さえ持たなかった。粗末なスーツケースひとつと、ブダペストにある大型百貨店セントラム・アルハズのくすんだオレンジ色のビニール袋一つで暮らしをまかなっていた。すぐれた数学の問題と新たな才能を探す終わりのない旅を続けながら、エルデシュは四大陸を驚異的なペースで飛びかい、大学や研究センターを次々と移動して回った。知り合いの数学者の家の戸口に忽然と現れ、「わしの頭は営業中だ」と宣言する。そして、一日か二日、彼が退屈するか、彼を泊めてくれている数学者が疲れきってしまうかするまでいっしょに問題を解く。それから次の数学者の家へ移るという具合だった。・友人たちがもっとペースを落とすようにと忠告すると、いつも同じ台詞が戻ってきた。「休む時間なら墓の中でいくらでもあるさ」とてもおもしろかった。究極のエッセンシャル思考なのではないか。一つのことにこれほどかけられるのは羨ましい。しかも名誉欲に捕らわれることもなく、人に成果を横取りされてもそこに執着はなかったようだ。本当に心身自由な人だったのだな。私も少しでもそうありたい。
Dec 1, 2015
コメント(0)
「ぼくが肉を食べないわけ」読了。<抜粋メモ>・チェロキーインディアンには種族の神話があり、人はかつて動物や植物と仲間であり、ともに調和のとれた生活をし、お互いに話し合えたという。中国の道教の老子は、“徳の時代”である紀元前四世紀の頃を描いているが、その時代の全ての人たちは、鳥や獣と仲良く生活していたという。・動物学者デスモンド・モリスによると、「我々霊長類の祖先は肉を主成分とせずに食事をとらなければならなかった。だから、現代人も同じことが出来るはずである。人間は環境条件により肉を食べるようになったのだから、現在、環境をある程度支配し、栽培したものが食べられる以上、古代の原始的な食事に戻ることが考えられても良い。」・炭火焼のステーキ1キログラムには600本のタバコに含まれているのと同量のベンゾピレン(強力な発がん物質)が含まれている。・ハンバーガー一個につき熱帯雨林の植物と動物500キロがコストとなる。まだ完全なベジタリアンにはなれないけど、無駄な食べ放題、飽食は控えて、できるだけ自然に寄り添える存在でいたい。玄米野菜多めにして腹持ちが良くなり、体調もいいように思う。自分に合うスタイルで考えていこう。時々心すさむ時もあるけど、今日も感謝。明日もがんばろう!
Nov 24, 2015
コメント(0)
「偉人・天才たちの食卓」読了。<抜粋メモ>・ピタゴラス、プラトン、レオナルド・ダヴィンチ、ヘシオドス、ヴォルテール、ミルトン、ニュートン、ダーウィン、シェイクスピア、ルソー。さらにソロー、エマーソン、オルコット、ブラバツキー夫人、アニー・ベザント、バーナード・ショー。ベンジャミン・フランクリン、トマス・モア、ヒトラー、ガンジー、トルストイ、クリシュナムルティ。そして宮沢賢治、上杉謙信、水野南北、道元、木喰上人・・・などの人々がベジタリアンとして知られている。マドンナ、マイケル・ジャクソン、ジョン・レノンもベジタリアンである。・菜食主義の元祖はピタゴラス。ピタゴラスの考え方は、霊性を肉体より優位に置くところにあった。ピタゴラスは、肉食は理性的な能力を曇らせると明言している。・天海が家康に教えた健康法「粗食、正直、日湯、だらり」・信玄は、ここいちばんという大事な戦の前には、肉食を断って、神に勝利を祈願した。・「食」をコントロールすることは、「霊的進化」のためのひとつの行。・「美食とぜいたくを慎み、小食と節制に励めば、健康と富への道に至れる」ベンジャミン・フランクリン飲み会等に参加しなくなって、精神的にも少しクリアになってきたので今後も自分の事を成す為に、自己コントロールを心掛けたい。完全な菜食主義は難しいけど、信玄式に「ここぞ」という時には活用したい。あと食事に感謝、神に先に捧げるという気持ちも持ちたい。大事を成した先人に少しでも倣えますように。
Nov 15, 2015
コメント(0)
「もたない男」読了。<抜粋メモ>・たとえ、思い出がつまっている写真や記録などを捨てたとしても、自分の中の記憶としての過去は残っています。ものを捨てただけのことで、過去を捨てたなどという大袈裟なことではないと思うのです。・クルマやオートバイをガーッと傷つけられたら、すごくイヤだなと思います。そんな思いをするのだったら、いっそのことクルマやオートバイは捨ててしまったほうがいい、と思うんです。完全に引き込まれました。こだわり、フェチ、ある種病気といったものも徹底したら美学となり、哲学になるな。お説教じみたところなく淡々と語っているところにより迫力を感じました。
Sep 11, 2015
コメント(0)
『ナリワイをつくる』読了。<抜粋メモ>・大正時代の調査によれば当時の職業が約3万5000職種もあったのに、現在の厚生労働省の「日本標準職業分類」によれば、いまや2167職種だけというから、いかに多用な種類の職業があったのを減らして絞り込んだかが分かる。・部屋貸しサイト「Airbnb」手作り品サイト「Etsy」 ・仕事というのは自分の強い意志でも生まれるが、案外、ふとしたきっかけで生まれることの方が多いかもしれない。大事なのは、ふとしたきっかけを受け入れる瞬発力と余裕である。世間で言われているような大仰な覚悟は余計かもしれない。毎日頑張っていたら、その余裕が生まれない。日々頑張り過ぎないようにしっかり生活することがナリワイづくりの基本になる。・専業は、単一作物に依存した農家と同じである。・藤原靖之『月3万円ビジネス』何か本業に加え、それと相乗効果をもたらすようなビジネスを始めたいとずっと思っていましたが、この本を読んで小さいビジネスが少しイメージできました。参考になったと思います。後は何から始めればいいか・・・
Sep 3, 2015
コメント(0)
「部屋とこころのシンプルな掃除」読了。<抜粋メモ>・からだが掃除している間、精神は休息し、何をすべきか考えなくても済むわけです。「する、しない」の間で悩むこともなく、ただ実行に移すのみでいいのです。・将来訪れるかもしれない、当てにならない幸福のために心身をすり減らすことはやめるべきです。今という時間を喜びのうちに生きることを学びましょう。今、手が届く幸せの味わい方を覚えましょう。明日を追いかけて走り続けたり、過ぎ去った出来事に気を奪われるのもやめましょう。自分の中で最高の自分になるのです。掃除をしながら安らぎ、活気、頑健なからだ、自由と輝きを見つけましょう。そして人生が、自分のために備えてくれたものを受け取るのです。ドミニック・ローホー数冊読了しました。禅を始めたいなあ。自分の求めているものに近い気がします。部屋、心共にシンプルにして、スペースを作って、常に余裕を持っていたいですね。今日は気になっていたネギを植えることが出来ました。めでたし、めでたし。(久しぶりの決め言葉。今後もっと使っていきます。)
Sep 2, 2015
コメント(0)
「フリーで働く!」読了。<抜粋メモ>・仕事を選びましょう!質を追求しましょう!・フリーランスは、自らの人生に主導権を取らなければいけません。言い換えれば、「振り回されるような相手は不要だ」ということです。 私の職業もフリーランスに近いといえるでしょう。今後はもっと積極的に仕事の質を高めていき、いい仕事、いい収入を得ていきたいです。そのための心構えを今一度確認できたようです。
Sep 1, 2015
コメント(0)
「不思議なくらい心かスーッとする断捨離」読了。<抜粋メモ>・「今の自分」にとって必要・適切・快適だと思うモノは残す。「今の自分」にとって不要・不適・不快だと思うモノは捨てる。・とっておきのモノを使っていくことで、いつしか自然とモノと自分の波長が合うようになっていきます。グレードの高いモノを使うことに違和感がなくなり、しっくり馴染む頃には、セルフイメージもそれだけ引き上げられています。これを繰り返し、繰り返しやっていくと、自己肯定感も高まって、やがては選ぶモノのグレードまで上がっていくというわけです。・「今、自分に必要な人なのか」と心に問うてみる。 断捨離元祖の本は、今回が初めてでした。これまでそうじ、かたづけ、シンプル系の本を読んでいるので元祖本も、何の違和感もなくしっくりと馴染みます。したがって、特に目新しいことはなかったのですが、今一度今までの内容を違う言葉、表現で反復できたことはよかったです。
Aug 31, 2015
コメント(0)
『10秒朝そうじの習慣』読了。<抜粋メモ>・私はあの時「復興は片づけから始まるのだ」と思いました。戦争も一緒です。家庭内不和も一緒です。倒産間近の会社も一緒です。復興、復活は身の回りの掃除から始まるのです。・普段、人はモノに頼っている。モノを持つことによって安心を得たり、プライドを満たしたりする。実はそれはモノに依存しているということなのだ。安心やプライドをモノを通してしか手に入れられないというのは、本当に自立しているわけではなく、モノへ依存しているということなのだ。モノへの依存をやめたとき、モノに頼ることがなくなり、人は強くなれるのだ。帰国して再び片づけしてます。ようやく棚がひとつ空きそう。何度かの断捨離で迷っていたものも、今日処分に踏み切れました。迷ったら、「今、使っているか」と自分に問いただし、不安でなんとなく持ち続けているなら、思い切って手放す。確かに依存から自立の感覚ですね。思い切ることで、自分自身が強くなっていくようです。
Aug 30, 2015
コメント(0)
『手放す技術 ―20年間無敗、伝説の雀鬼の「執着転換力」』読了。<抜粋メモ>・自然界の中で、人間ほど得ること一辺倒の生き方をしている生き物はいない。つまり、得たものを手放さない生き方は、自然に反する行為ともいえるのである。・手離すことで見えてくる新たな世界というものが必ずある。手離すことは「終わり」ではない。手離すことから、すべてが「始まる」のである。・マニュアル通りの動きは体に硬さを生み、それはやがて固定観念となって体に染み付いてしまう。そうではなくて、自由な発想のもとで、普段の生活の中で汗をかいていくことが人間にとってとても大切なことなのだ。・「終わりは始まり」の第一歩くったくない文体の中にも、筆者の一本通った美学を強く感じました。体の硬さ…確かに。体も心も頭ももっと柔らかく、ある種動物的なしなやかさを持って、のびやかに生きたいですね。
Aug 28, 2015
コメント(0)
「人にはどれだけの物が必要か」読了。<抜粋メモ>・出来るだけ物を買わず、捨てず、そして拾い、手をかけて直すという生き方には、良いことがいくつもある。第一に、いま国中の自治体を悩ませているごみを殆ど出さずに済む。次に物を買わないと、お金が余り要らなくなる。したがって余分なお金を得るために、無理してまでも働かなくてよい。その結果自分が本当にしたいことをする時間がたくさん生まれる。そして物から目が離れるため、他人の持っているものや流行に全く無関心でいられるから、自分流の個性的な生き方を、思う存分に楽しめる。しかも結果として、自分たちが生きるために消費する物質やエネルギーの総量を、極めて小さなものに抑えることができる。・絶えざる自己破壊と自己再生、これが私の理想とする生き方である。・私は出来るだけ自分を取り巻く人間関係を、単純で簡単なものにしておきたい、その方が私としては失うものより得るもの(自由と時間)が多いと思うからに過ぎない。・普通の人なら自分が人並みでないことをマイナスと考えるだろうが、私はむしろそれをプラスと見る「逆転の発想」で人生を乗り切っていく覚悟を決めたのは、三十歳前後の頃であった。・私が人間として、他の人が羨ましいとか自分は誰かの下だと一回も思わないで済むのは、私のような生き方は私しかあり得ないからです。つまり、ユニークなものは比較できない。比較の序列から外れてしまうのです。・他人に強要しない。「あんたに出来る筈はないよ」と思えばいい。「俺はやるよ」と。そう思うことでいろんなことが出来る。独自の信念、大きな世界観、周りの雑音に全く左右されない生き方。私もこのような生き方でありたい。自信をもってがんばろう!!
Aug 15, 2015
コメント(0)
「優雅な暮らしにおカネは要らない 貴族式シンプルライフのすすめ」読了。<抜粋メモ>・収入が減った場合のメリットは、そうした裕福ゴミから解放されるかもしれない点にある。今まで、考えもなしに消費を続けてきたことに突然気づくのだ。・昔も今も、人間の品性は消費行動によって決まる。だが、現在は「消費しないことが上品だ」と言われるようになった点が今までと異なっている。モノだらけの生活に耽っている人は今やうさんくさく見られるようになっている。本当の意味で豊かなのは、消費と言う強迫概念に対して自己主張できる人である。消費によって、私たちの生活は楽しくなるどころか、負担が増すだけなのだ。ユーモアある軽快な読み口。有名人の言葉の引用が章の頭毎にあるけど、こういうタイプのスタイル多いな・・・個人的には森永卓郎氏の特別序文が一番良かった。「私たちは、ぜいたくの意味をずっとはき違えてきた。二泊三日で観光地に行き、忙しく歩き回ることは貧しいレジャーだ。ぜいたくなレジャーとは、家の周りをゆったりと散歩するか、滞在型で長期間ゆったりと自然の中で過ごすことだ。携帯電話を持ち、いつでも呼び出される生活は貧しい生活で、携帯電話を持たずに誰からも電話で遮られないのがぜいたくな生活だ。車を持つのは貧しくて、車を利用しなくても間に合うくらいのゆったりとした暮らしができるのが、ぜいたくなライフスタイルだ。ブランド物の衣服を着ることは貧しくて、安くても古くても、こぎれいに、おしゃれに着こなすのがぜいたくだ。」森永卓郎今更ながら氏の「年収300万円時代を行き抜く経済学」を読んでみよう。
Aug 14, 2015
コメント(0)
「エッセンシャル思考」読了。<抜粋メモ>・エッセンシャル思考とは、まさに「より少なく、しかしより良く」を追求する生き方だ。「今、自分は正しいことに力を注いでいるか?」と絶えず問い続けるのが、エッセンシャル思考の生き方である。・自分で優先順位を決めなければ、他人の言いなりになってしまう。・規律なき拡大は失敗への道。・「やっぱり、もったいない」と感じるのも無理はない。心理学の研究によると、人はすでに持っているものを、実際よりも高く評価する傾向があるという。一度買ってしまうとなかなか捨てられないのはそのせいだ。そんなときは、こう考えてみよう。「もしもこれを持っていなかったら、今からお金を出して買うだろうか?」・「自分は何が大好きか?」「自分は何が一番得意か?」「世の中の大きなニーズに貢献できるのは何か?」何となく良さそうなことを眺めている暇はない。考えるべきは、どうすれば最高の成果を出せるかどうかということだ。正しいことを、正しいときに、正しい方法でやる。そのためには、基準を厳しくするしかない。・退屈しのぎが増えたのはいいことだが、退屈を駆逐した結果、考えるための時間さえ奪われているのではないだろうか。・中途半端なイエスをやめて、「絶対やりたい!」か「やらない」かの二択にしよう。そのためのコツは、基準をとことん厳しくすること。「やろうかな」程度のことなら却下する。「イエス」と言うのは、「絶対やるしかない」と確信したときだけだ。「絶対にイエスだと言い切れないなら、それはすなわちノーである。」・エッセンシャル思考の人は、勇敢に自分の過ちを認め、悪循環を抜け出すことができる。サンクコストにとらわれず、駄目な行動をすっぱりと切り捨てるのだ。とてもおもしろく、ためになった。気弱になりそうな時、このエッセンシャル思考は大切になると思う。
Aug 13, 2015
コメント(0)
「部屋を見れば未来がわかる!」読了。 確かに、余計なモノがなく、掃除の行き届いたホテルの部屋は安らぎます。私もそういった空間を目指していきたいです。<抜粋メモ> 部屋に対してモノが少ない空間は、収入がアップしていきます。部屋に対してモノがあふれている空間は、満足な収入を得ることができません。 ドイツの心理学者キャサリン・K・タケット氏も、「収入と床の面積は比例する」ということをいっています。収入が高くなればなるほど床の面積が広くなり、貧しければ貧しいほど床の面積が狭くなるということです。 マイナスの心の状態がまかれていると、それが部屋の汚れという芽になるのです。そのうち、事件や事故、不幸といったマイナスの未来の実がなってしまいます。 マイナスを取り除くには、次の5つのステップが重要です。1換気 2捨てる 3汚れとり 4整理整頓 5炒り塩 「空間には力があり同質のエネルギーを引き寄せる」ということです。 この夏休み、掃除、断捨離に重点を置いています。私の気持ちが伝播したのか、今朝家族もガレージの中を一掃してくれました。全体的に少しきれいになってきたようでうれしいです。今後も続けていきたいです。
Aug 11, 2015
コメント(0)
『「持たない」ビジネス儲けのカラクリ』読了。おもしろかった。個人の戦略、企業の戦略共に同じ方向性であることがよくわかった。金子さん、ありがとう。<抜粋メモ> (個人においては)「(持ち家を)所有する=長期間維持し続けなければならない」と「賃貸=もっといい物件があればいつでも引越しできる」という違いは、メンタル面にも大きく影響するでしょう。 変化の激しい時代では身軽さこそがリスクをヘッジし、ビジネスチャンスを増やすことができるのではないでしょうか。 (企業においても)資産を保有すればするほどフットワークは鈍り、変化への対応が遅れます。 究極的には「ノウハウと現金以外はまったく保有しない」ということです。 「資産を保有しない生き残り術」は、営業力こそが根幹であり全てなのです。
Aug 7, 2015
コメント(0)
「モノを捨てよ 世界へ出よう」読了。<抜粋メモ> 書籍やディスクメディアのほとんどはデータ化し、スニーカーや洋服などは、友人にあげたり捨てたりしてほとんど処分した。すべての準備が完了するまでに6年の年月がかかってしまったが、広大なスペースに山積みされていた僕の財産は、最終的にはスーツケース4つの中に集約されることになった。 ともかく、9割以上の財産を処分したら、なにより気分が軽くなった。モノも情報もなくなれば、あとは得るだけだからだ。 彼のフットワークの軽さはすごいな。確かに拠点を海外にも持つと、大きな強みになる。私も中国に6年ほどいたが、自分の中で今も大きな要素となっている。今後もさらに自分の中で引き出しを増やしていきたい。
Aug 7, 2015
コメント(0)
ドミニック・ローホー「シンプルに生きる」「シンプルリスト」「シンプルを極める」読了。禅宗とミニマリストの考えがしっくりきました。<抜粋メモ> モノは多く所有すればするほど、人を脆くします。人は精神的に成長すると、モノそして人さえも必要としなくなってきます。物質的なモノを断つことは、他のあらゆる分野においても気持ちを切り離すことを可能にしてくれます。人間関係においても同じです。 自分で「今日、私はAと一緒に居る。素晴らしいことだ。だが私はAを所有していないし私はAの看守でもない。Aは私と一緒に居ることも、私を置いて去ることも、Aが自由に決めること」と言ってみます。こういう方向で気持ちを切り離すことで自分がAを失うかもしれない恐れを断つことができるばかりか、同時にAにも「スペース」、すなわち自由を与えることになるのです。 恐らくAは、あなたと一緒に残ることになるでしょう。モノ、人、機会に固執すればするほど逆にそれらは逃げていきます。またある人間関係が終わりに来ていると感じた場合も、在るがまま、成せるがままに終息させましょう。その人間関係が自分にもたらしてくれた良きものすべてに感謝し、次のステージに移るのです。常に「現在」の只中に留まるようにするのです。そして「今」というこの瞬間が、新鮮で新しい一時一時であるように気を配りましょう。 今後何をするべきか、という心配もするべきではありません。自分がが今居る場所が、次に向かうべき方向を示してくれるからです。
Aug 6, 2015
コメント(0)
林望「節約の王道」読了。彼のイギリス文学は読んだことあるけど、こんなエッセイも書いているのね。その中のエピソードひとつ。井原西鶴の「長者丸」「朝起き五両、家職二十両、夜詰め八両。始末十両、達者七両、この五十両を細かにして、胸算用秤目の違いなきように、手合い念を入れ、これを朝夕飲みこむからは長者にならざるということなし」つまり、重要とされている順に言えば「まず、自分の職業をきちんと勤めなさい、そして無駄遣いをしないようにして、夜も無駄にしないで夜なべ仕事もしなさい、そして健康に留意しつつ、出来れば早起きをして仕事に励め」人間の営みやそれを支えるものというのは結局300年間何もかわっていない。まずは自分の仕事、がんばろう。よそ見ばかりしないように。
Aug 4, 2015
コメント(0)
全23件 (23件中 1-23件目)
1