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(ᅙωᅙ)ふっふっふ・・(お前最近怪し過ぎ~)”『マルチン・ルターの”宗教改革”』これも実は ”フリー・メーソン”の陰謀だったのでは?◎『マルティン・ルター』~https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC ( Д ) ⊙ ⊙『マルチン・ルター』と言えば16世紀に、”宗教改革”の主人公となった人物で、”プロテスタント”(意味ー抗議する者)の産みの親といっても過言ではない。それまでは、『キリスト教』は”初代教会”流れの”ローマ・カソリック”一本であった訳です。何故”宗教改革”が起きたのか?時は”ルネサンス”(躍進的”文芸復興”の時代で華やかな文化が花開いた時代)、『ローマ・カソリック教会』はすでに1000年以上の歴史を持ち、巨大な『権威・権力・財力』を欲しいがままに、『ヨーロッパ社会』を『キリスト教支配』していたと言っても過言ではなかった。 そんな『権力・権威』がある所に起きるのは、当然の『腐敗』=『政治権力者との癒着・暴利の専横・「免罪符」(買うと罪が赦される)に代表される『信仰』の腐敗』でありました。 ここで注視しておきたいのは、”ルネサンス”は、『文芸』の復興のみでなく、『商工業の発展も即した事』であります。 『ローマ・カソリック教会』は、『キリスト教』として色々な制約を欧州社会に課しておりました。例えば”商工業の規制”(日曜日は営業禁止、不信仰な業種は営業禁止、営業自由の束縛などなど、 (^^;)恐らく~、また現実社会でも『離婚の禁止、聖日礼拝厳守、異端の厳しい処罰、科学も「聖書」通りでないと認めない。(処刑された学者、”ガリレオ・ガリレイ”~「地動説」を唱えた為に処刑)、献金・寄付の強制・・などなど」・・これでは(つД`)ノ・°。°.「科学・工業の発展も望めない~』 『マルチン・ルター』は、”カソリック”の一かいの僧侶でした、『カソリックの信仰』が『聖書』に忠実でない!と考え、激しく悩み、『宗教改革』の狼煙を上げたとされます。(僧侶の結婚禁止、「免罪符」、政治癒着、聖人崇拝、マリヤ崇拝・・など)そして、95カ条の意見書を『ローマ法王』に提出し、『宗教改革』の狼煙を上げました。確かに当時の『ローマ・カソリック』は権力を持ち過ぎ、王侯貴族と癒着、『真摯な信仰の腐敗』などを招いていはしました。 ( ‘д‘⊂彡☆))Д´)敬虔な信徒なら、『なんじゃ?ゴルア!「免罪符」って何や?「神様以外が罪を赦せる筈無いじゃなかッ!』と怒り心頭になる『聖書学専攻学者』も居てもオカシクはありません。間違っています完全に!しかし『ルターの改革』が『カソリックを正すだけ』で良かったとも思いませんか?『あなたがたは、間違った事をしています。『聖書』に忠実に立ち返りましょう!』と、何故に”分派”したのか? もちろん『ローマ法王に破門』された為でもありますが、(っ'-')╮=͟͟͞͞💩)ꐦ°᷄д°᷅)怒った『ローマ法王』は、『ルター』を破門して追い出しました。『ルター』は新たに”プロテスタント”(抗議する者)という派閥を作る訳であります。 一応”N0権威主義””N0組織””N0権威・財産の集中””N0『脱聖書』主義”・・・をかかげ、何と今までの『カソリック』の枠組みすら変えて行きます。『聖書』に忠実・・これが”ルター”のモットーです! ◎『キリストは結婚を神聖視し奨励した』~と自分も妻帯!(ここで確かに「イエス・キリスト」は結婚の禁止などしていません。ちなみに「カソリック」の僧侶、シスターのみが結婚できない。信徒は自由だった)◎『聖書』のみが正しい!~「カソリック」の教義批判!(懺悔などいるのか?「イエス様以外のマリヤ・聖人」は崇拝されるべきではない。「免罪符」禁止。)(^^)Vとにかく『聖書』だけが規範!(ᅙωᅙ)ふっふっふ、しかし”何故、”権威”をそれほど否定したのか?”組織”をそれほど否定したのか?・・”ルター”の言い分は『権威主義に走る事が、そもそも脱「聖書」で、腐敗の原因』・・・との事だろう!しかし、もともと『聖書』は『権威』を持っているのだ。何故なら『神の言葉』だからだ。 『聖書』は権威を持ってるが、『教会』が権威・権力・巨大組織を持つ事は「聖書」に違反している。・・・というが?そうだろうか?、そんな事は『聖書』には一行も書いていないではないか?『教会』が横暴な権力を振るうのは全く正しくはない(例・魔女裁判!科学者の処刑!)しかも、『キリストの教会』は「組織が無くても良い」とか、『権力を持ってはいけない』とか、『権威が集中して行けない』とか、『聖書』には何も書いてないし、『イエス・キリスト』も何も言われていない。それより、『使徒達』に『権威』を授けられた』とも書かれていて、これこそが『カソリック』が『権威』を固持した理由だろう。『ルター』も勝手な解釈もいいところだ!『聖書』に絶対順守というなら、そんな”勝手”な事を言うのも違反なのではないか?・・『カソリック』がデタラメな教会のように吹き込んでいるが、『カソリック』の僧侶、シスター達の素晴しさを見て下さい。教義が多少違うだけで至極まともな「教会」だ!「プロテスタント」の一部”破滅教会(キリスト存在否定、聖書捏造説、職業牧師)より、余程まともではないかッ?(”プロテスタント”が彼らより、どれだけ「聖書」に忠実だと言うのだろうか?)少なくとも行動において、彼「カソリック」は超「聖書」に忠実だ。「ボランティア・福祉・社会貢献、貧しい者への食糧の給付(欧州では毎日されてる)”プロテスタントは口先だけ多数(派閥や教会によって教義が結構違うくせに、「聖書」に超忠実と自負)(´σωσ`)それにどう見ても、大した違いが無い。あったら大変ではないか?(信徒確保の為他派閥批判しているのか?)だから現在の様な”プロテスタント”が生じたのではないかッ!『聖書権威の喪失』が、『勝手な解釈の蔓延。自由気ままな派閥蔓延。』を招いたとも言えはしないか? (●`з´●)”宗教改革”が完全間違いとは言わない!しかし、『巨大組織・権威』を完全無視した”ルター”はオカシイ!『会社』に『組織』が居らない?と思う人手を挙げて『0人』すよね。普通に。『組織』が乏しいと『機構』がきちんと出来る筈すらない。だから『きちんとした機構』を持つ『カソリック』は今だ『健在!』で、脆弱な組織しか無い『プロテスタント』はヤバイ!こ、これはキタ━━━━(゚д゚)━━━━!!! ”陰謀”!つまり『裏』あり!・・『カソリックの権威』を壊して最も”得”をしたのは、”マルチン”ではない(妻帯出来たッ!(笑))!、 ”商工業者”ダッ”!\(◎o◎)/!~彼らは「カソリック教会」の束縛に超困っていたッ。”ルネサンス”だッ!産業の花が開くのに、『教会』が・・「科学者弾圧!商売に規制!』これでは産業が妨げられる事必至だった!”商工業者=産業界=ギルド=フリーメーソン”だ! (; ・`д・´)彼らは、強固な『ローマ・カソリック』の枷を壊したかったのだッ!その為、『組織』を解体したかった!だから命がけの『宗教改革』に乗り出したのだ!『ルター』はドイツで、「学校改革」など社会改革も行った偉大な人だと言われているが、彼は”プロテスタント”の組織作りなどどうでも良かった。『解体屋』なのだ!『大企業カソリック』を解体して、『個人商店のような『教会』を乱立』・・これは『聖書』に沿った事でも何でも無い。そんな事しろ!・・と『聖書』に書いてある筈が無い。・・・これでいくらか『自由に産業活動』が出来るようになったのだッ!次々に、欧州各国で”宗教改革”が起こり、これは純然に「キリスト教」の為だけではなく、『産業界』の為である。『ジョン・カルバン』~お次はこの方!『長老派教会』の産みの親だ。『長老派教会』は、『金儲けを「悪」とせず』、産業の発展に育成に貢献したという。・・これからしても、”宗教改革”が単に”宗教”に限った原因ではなく、『産業改革』であった・・と考えてもオカシクはない。え━━━(゚o゚〃)━━━!!!”ルター”は出来あがった”プロテスタント”の行方などどうでも良かったのだ。もし、真摯にそれを考えた人なら、『組織作り』を無視する筈が無い。”巨大組織”を解体したかっただけの、雇われ人だろう。初代教会流れの1000年も持ちこたえた『原始共産主義体制』の『ローマ・カソリック』(もともと、”初代教会”は共産主義生活を行っていた事は『使徒行伝』に、ちゃんと記されていて『彼らは持ち物を分け合い、金持ちは物を売って財産を寄付し、彼らには貧しい者が一人も居なかった』と書かれている)・・は2000年間持ちこたえた組織なのだ。『マルチン・ルター』を”プロテスタント”は祭り上げているが、彼がこの『組織が脆弱な個人経営の『教会』を作ったのだ。◎ルター派教団『ルーテル教会』はすでに”異端”に成り下がり、”ブラック・リスト”に載っている。_(ᅙωᅙ๑_ )_ 確かに『キリストの身体なる教会』の数千年の維持の為には、『1社』だけは拙い。『複数』で持ちこたえた方が、長持ちはするだろう。そういう意味で、分派していくのだろうが・・・勝手に勝手な増殖を続ける”プロテスタント”は500年で危機的だ。一部の癌化が激しい(つまり大量の異端。”自由主義神学”という勝手な「聖書解釈」が蔓延し、『まともな『教会』まで異端がはびこっている。・・『資本主義』が終末を迎えているなら、『プロテスタント』の終末も近くなったのか?何せ”組織がバラバラ!””教義もバラバラ”これでは、持ちこたえられそうにない!これが”ルター”が作った『教会』だ!彼は本当に”真摯で敬虔な『宗教改革者』だったのか?それとも、かの”秘密結社”の解体屋だったのか?何故、”鎖国日本を開国させた!”のか?・・・”商売”の為である。幕末にやってきた”トーマス・グラバー”は「東インド会社流れ」の『武器商人』、日本の倒幕戦争に加担して、しこたま稼いだ。そして日本を「開国」(途中”竜馬”を走らせ、暗殺)!彼らと共に長崎に来たいたのは、「ホーム・リンガー社(貿易会社)などの貿易商人達」だったのだ!・・これに何か気ずかれないだろうか?(グラバー園には”フリーメーソン”の印が残されている)『歴史の裏舞台で暗躍すると言われる”彼ら”・・は実在するのか?(宗教改革、フランス革命、日本開国、第一次・二次大戦の仕掛け人と言われる)かの”秘密結社”は・・・・『歴史の闇は深い』それはこれからの”プロテスタント”の動向次第であろうか?(ᅙωᅙ)ふっふっふ・・皆さんも”単”に”宗教”だけの為に”宗教改革”が成されたなどと思われないだろう。(全く時代の動向に関係なかった方がおかしいではないか?)
February 12, 2017
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【エンゲディ】(EIN GEDI)は、死海の傍にある”オアシス”で、旧約聖書で”ダヴィデ”が”サウル王”より逃れるため、隠れ潜んだ場所と言われる、美しい泉です。上の地図のように、”死海”の傍の”クムラン”の近くにあります。近くには【マサダ要塞】もあります。(旧約聖書 第一サムエル記23章29節)『ダビデはそこから上って行って、エン・ゲディの要害に住んだ。』(24章1~3章)『サウルがペリシテ人討伐から帰って来たとき、ダビデが今、エン・ゲディの荒野に居るということを知らされて。 そこでサウルは、イスラエル全体から3千人の精鋭を選り抜いて、エエリムの岩の東に、ダビデとその部下を探しに出かけた。彼が、道ばたの羊の群れの囲い場に来た時、そこのほら穴があったので、サウルは用をたすために、その中に入った。そのとき、ダビデとその部下は、そのほら穴の奥に座っていた。』”ダビデ王”が若かりし頃、仕えていた【サウル王】は次第に”ダビデ”の秀でた才能を恐れ嫉妬するようになり、彼を殺そうと、執拗に追い詰めました。その時に隠れ潜んだのが、この【エンゲディ】オアシスでした。水が豊富で、洞穴など隠れる場所も沢山ありました。”ガリラヤ湖”から”死海方面”まで通じる【90号線】沿いにあるそうです。(90号線はさらに”マサダ砦”方面を通り、”イスラエル”国境の街【エイラート】(アカバ湾に面する)まで伸びています。こちらの”ブログ”で詳しくご覧になれます。【タケさんのイスラエル紀行~エンゲディ】http://israel.bona.jp/wp/archives/1826/【グーグルマップ】https://www.google.com/maps/place/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%83%87%E3%82%A3/@31.4664,35.387983,3a,75y,180h,88t/data=!3m8!1e1!3m6!1sAF1QipNPln4d2ajG7e6T0Gpc81IuEh4srVTCGXVmhHAB!2e10!3e11!6shttps:%2F%2Flh5.googleusercontent.com%2Fp%2FAF1QipNPln4d2ajG7e6T0Gpc81IuEh4srVTCGXVmhHAB%3Dw203-h100-k-no-pi-2.9338646-ya91.50001-ro-0-fo100!7i8000!8i4000!4m5!3m4!1s0x150319df2b32f785:0x576346606ebbd9b7!8m2!3d31.4664!4d35.387983【エンゲディ付近の死海】https://www.google.com/maps/place/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%83%87%E3%82%A3/@31.466399,35.387985,3a,75y,97h,90t/data=!3m8!1e1!3m6!1sAF1QipNgKj_xWHIW8XyB8UDvCwjkD-prCJXxCabPcptk!2e10!3e11!6shttps:%2F%2Flh5.googleusercontent.com%2Fp%2FAF1QipNgKj_xWHIW8XyB8UDvCwjkD-prCJXxCabPcptk%3Dw203-h100-k-no-pi0-ya351.5-ro-0-fo100!7i6324!8i3162!4m5!3m4!1s0x150319df2b32f785:0x576346606ebbd9b7!8m2!3d31.4664!4d35.387983【エンゲディ・キブツ・ホテル】です。(^^)なかなかゴージャス・エキゾチックな所ですね。また、ここら辺の【死海ビーチ】はことの他美しいようですね。また、映画なども撮影されました。以下はおばさまの(^^;)若かりし頃流行った”青春ラブロマンス・ハリウッド映画”【パラダイス】です。”ハーレクイン・ロマンス”のような砂漠のロマンスです。(ちなみに主人公男性の名前は”デイビッド(ダビデ)、女性は当時の売れっ子”フィービー・ケイツ”です。)実際に”イスラエル”で撮影されました。
November 7, 2017
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旧訳聖書で、イスラエル人の祖先と言われる『アブラハム』という人のお話です。『アブラハム』は、カルデヤ(メソポタミヤ)のウルの出身の人で、裕福な遊牧民の族長でありました。最初「アブラム」と言う名前でしたが、後に神様によって『アブラハム』と名乗りなさいと言われ、「あなたを多くの国民の父とする」とお告げを受けます。また、『アブラハム』は、イスラム教徒の祖先であり、つまりは、「ユダヤ教、キリスト教、イスラム教徒」の祖先とされる人です。旧訳聖書「創世記11章~26章に登場する人物で、セム系民族(黄色人種系)の祖先の中から現れていますので、「ユダヤ人」はセム系民族という事になります。『アブラハム』は従兄にあたる妻、「サライ」という大変美しい奥様と結婚しますが、子供が高齢になるまで、出来ませんでした。妻の「サライ」も後に、神様から『サラ』(英語名セーラ)と言う名前を頂きます。それは「多くの国民の母」という意味でした。『アブラハム』を神様が選民「イスラエル民族の祖」として選ばれたのは、『神の前に正しい人」であった為と言われております。(創世記12章1~3節)「その後、主はアブラムに仰せられた。あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地に行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。』このように、天地創造の神様から召名を受けた、『アブラハム』は、神様の御命令通りに、神様が示す土地「カナン」(現イスラエルの国)を目指して、メソポタミヤから出発するのです。『地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。』まさにその通りに、「アブラハム」の子孫は、後に現イスラエル国となっている「カナンの土地」に辿りつき、王国を築きます。(ダビデ王、ソロモン王の時代)又最も大切なのは、『アブラハム』の子孫、ダビデ王の子孫から、メシヤである『イエス・キリスト』が生まれ、世界の人を救う教えを説き、十字架の贖罪で、すべての地上の民を救う業をされたということです。この事によって、神様が言われた『あなたによって、地上のすべての民族が祝福を受ける』という事が成就するわけです。そう言う意味で、この太祖『アブラハム』さんの神様への忠実な信仰は、人類を救う基となる、重要な物であったわけです。「アブラハム」は常に主である神様に従いました。ところで、イスラム教徒が彼を先祖とするのは、神様が子供が出来ないアブラハム夫婦が老齢にも関わらず、「息子の誕生」を約束しますが、妻のサラはなかなか信じられず、自分は老齢なので、エジプト人奴隷ハガルによって子供を生んで下さいと、アブラハムに与えた「ハガル」(アラブ人の祖先)が産んだ子供、「イシュマエル」が自分達の祖先だと主張して、アラブ人(イスラム教徒)の先祖だとしているからです。『アブラハム』さんの時代というのは、BC3000年前頃と言う事で、かなり古い時代の話しという事になります。『アブラハム』さんは、あの「ソドムとゴモラ事件」で登場する、甥の『ロト』さんん共に、カルデヤを出発しておりますが、途中で分かれて行動します。『アブラハム』さん達が出発した「ハラン」というのは、当時(現シリヤ)メソポタミヤで栄えた都市でした。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%83%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%B3『アブラハム』がカナンの地に入り、最初に滞在したのが「シェケム」という土地で、「ヨセフの墓」などがあります。又彼らは「ベテル」という土地へ進みます。「ベテル」は、「神の家」と言う意味で、イサクの息子のヤコブが神様から祝福を与えられた場所で「ベテル」と呼びました。さらに「ネゲブ」という、イスラエル南部の砂漠地帯へも旅を続けます。下が「ネゲブ砂漠」です。又飢饉が起きた為に、エジプトへも非難しました。そこでは、妻「サラ」がとても美人だったので、殺され妻を奪われる事を恐れた「アブラハム」は妻「サラ」を妹と偽るなどしております。このような失敗もありましたが、「サラ」を求めたファラオは「アブラハム」の信じる神を恐れ、「アブラハム」に好待遇で、宝物を持たせて去らせたので、さらに彼はリッチになりました。「神様の約束」の子供が生まれないので、妻サラはエジプト人奴隷のハガルに、アブラハムの子供「イシュマエル」を産ませますが、ここで、ハガルが「サラ」に自分が主人の子供を生んだと威張ったので、サラは怒り、二人の間にかなりな諍いが生じます(笑)家庭内騒動というわけです。やがて、約束通りに「サラ」にも、神様の約束の子供「イサク」(英名アイザック)が生まれ、二人は一安心、「サラ」がハガル親子を追い出したりしますが、神様は、ハガルとイスマエル親子にも祝福を与え助けます。その後、神様は『アブラハム』の人生で最大の試練を彼に与えます。それは、たった一人息子「約束の子」イサクをモリヤの山で神に捧げよ~という御命令です。何と言う事でしょう。せっかく待ちに待った息子イサクを神への生贄に捧げよとは?そんなムチャゴロウご命令に従える筈だろうか?ところが「アブラハム」は、どのような「神様の命令」にも忠実でした。彼は、神様を信じて、「きっと神様が何か良くして下さる」そう信じた「アブラハム」は、神様の御命令に忠実に、モリヤの山へイサクを連れて出かけます。(旧訳聖書 創世記22章12~14節)「御使いは仰せられた。「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。わたしはあなたが神を恐れる事がよくわかった。あなたは自分の子、一人子さえも惜しまず、わたしに捧げた。」アブラハムが目を上げて見ると、見よ、角をやぶにひっかけている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行って、その雄羊を取り、それを自分の子の代わりに、全焼のいけにえとして、ささげた。こうしてアブラハムは、その場所をアドナイ・イエルとなずけた。今日でも、「主の山には備えがあると言い伝えられている」この事は、「イエス・キリスト」の十字架の贖罪にも通じる事で、アブラハムは自分の最愛の一人子をも、神の言いつけで捧げる信仰があり、又全知全能の父なる神様も、私達人類の為にその一人子「イエス・キリスト」を全人類の罪の赦しの生贄として、この世に送られた。と言う事にも繋がっております。アブラハムのそこまで神に忠実な信仰が、神様に認められ、神様は彼をして全人類を祝福されました。◎モリヤの山~https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%AA%E3%83%A4_(%E8%81%96%E6%9B%B8)実はこの「モリヤの山」と言うのは、ソロモン王の神殿のあるエルサレムの「シオン山」の事で、エルサレムで十字架に架けられ、全人類の救済をされたメシヤ「イエス・キリスト」、そして、BC3000年前に、ここで最初に、神の命令で自分の一人子を神に捧げようとした「アブラハム」と繋がっております。みごとにです。実に神様は、太古の昔から、人類を救う御計画を持っておられ、「イスラエル民族」という(アブラハムの子孫)を通してそれを実現されたという事です。
May 3, 2016
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ヾ(⌒▽⌒)ゞ選んだVTRに素晴しいものがありましたね。【ラッセルによる幸福論】【バートランド・ラッセル】https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%AB【バートランド・ラッセル ”幸福論”を読む】http://www.din.or.jp/~honda/tokio13.htmこの【幸福論】とは、英国の【バートランド・ラッセル】という、”ノーベル文学賞”を受賞した、超有名な素晴しい【哲学者】が書いたものだそうです。(^^;)”哲学”・・このこ難しいものは私の苦手とする所で、この方の名前はチラと聞いた事はあっても全く知りませんでした。どうして、今まで早く知らなかったのか?・・悔やまれます。この素晴しい学者の【幸福論】は、目から鱗でした~!! 知れば知るほど、【聖書】に通じる素晴しい教えです。沢山ある【幸福の条件】の中から、今日は【他人と比較する事が不幸を作っている】を取り上げたいと思います。【ラッセル博士】が、【不幸の原因】として上げているのが次の事です。1・バイロン風の不幸(悲観主義)2.成功の為の競争3・退屈と興奮4・疲れ過ぎ、神経の疲れ5・ねたみ6・罪の意識7・被害妄想8世評に対するおびえ1の【バイロン風の不幸】とは、(^^;)詩人”バイロン”のように、何かと悲観主義的に考えて希望を失い、絶望したり、悩む事。~例えば「自分はつまらない人間だ。これからの人生もきっとロクな事は無いだろう。日本の経済もどんどん悪くなるだろう。これから余り幸福は無いだろう」・・と自分の人生を悲観的にばかり考え落ち込む不幸です。これには【樺沢先生】も【ポジティブになると健康】になる~など、”悲観主義”が良く無い事を語っています。”悲観的に自分の人生”を考える事は、【私は不幸だ】という考えにいきつき、【不幸】を招く訳です。(^^)ここにも【聖書】にある【すべて感謝】という事が大切だと感じます。神様に与えられた自分というもの、自分の環境を、感謝できるのか?不満ばかりなのか?・・という事で、あなたの幸福度が変わる訳です。「何事も感謝して喜ぶのか?」「何ごとも不満だらけで、不平まみれなのか?」・・この考え方で、私達の【幸福度】が決まります。成功者で超リッチであればイコール【幸福】ではありません。【成功者で億万長者】だったのに、薬物中毒で最後不幸な早死にをする人も沢山います。神様に【感謝】の思いがある人は、【幸福】になる・・という事で、【聖書】は素晴しい人の生き方を教えていると言えます。で、今日取り上げてみるのは、【妬み(ねたみ)】という事です。!Σ(×_×;)!私達は、誰かと自分を比べ、「あの人は自分より幸福だ。恵まれている。」といつも比較していませんか??日本の人口はとても多いです。この狭い国内に1億人もの人がひしめいて住んでいます。このような中では特に、『誰かと自分を比較して競争する』という意識が強烈に働く事でしょう。自分はあの人よりも”幸せ”だろうか?自分はあの人よりも”良い人生だろうか?自分はあの人よりも、少しは良いだろうか?・・自分でもいつも比較している私が居るな~と思います。実はこの”他人と自分を比較する”事はとても【不幸】を作りだしているのです。何故なら、「あの人よりもしょぼい私はダメだわ~」という意識が強烈に湧くからです。より良い生活をしている人を【妬む】、「あいつは俺より出世しやがって、ムカつく」「あいつは、いつもうまくやりやがって、正直目ざわり」・・などの【焦燥感】【失望感】【不幸感】に苛まれるのです。この比較する人は、実は【ビル・ゲイツ氏】ではありません。(笑)「私はビル・ゲイツより貧乏で成功者じゃないから、不幸だ」と考える人は、マズ居ませんね。 大体が身近な近しい人と、比較するのです。これは動物の本能でしょうかね?私達が、自分と比較するのは、すぐ隣の”友人”や”親類””近所の人々”なのです。「XXさんは、私よりもリッチな人と結婚して豪勢な生活をして、羨ましいわ~」「近所の○○さんの御主人は優しくて、宅の亭主と大違い!幸せね~」「近所の△△さんの息子さんは、デキが良くて、T大学にストレートで入った。うちの息子はホントダメだわ~」「友人の◆◆さんは、ちょっと可愛いかったから、結婚して東京暮らし。田舎の私とは大違い。きっと私より楽しい人生を生きていて、羨ましいわ~」・・(^^;)爆笑なのは、比べているのは、TVで見るセレブ、成功者などではなく、殆ど違わない普通のみじかな人達です。「あの人は、海外旅行を沢山行ってて、羨ましいわ~。私なんて、まだまだやわ~」と旅先でも同行の人の話に、嫉妬しませんか??(爆笑)どうして、”ジョニー・デップ”は億万長者で羨ましいわ~と嫉妬しないのか?・・余りに世界や規模が違う人や、知らない人とは比較しないのですね~面白いです。人間は( ゜Д゜;)!?こんな風に近くの他人と常に”競争し””比較し””嫉妬する”いつまでも【幸福】にはなれません、当然!何故なら自分の幸福より、いつもより幸福な誰かが居る為、「自分はいつまでも、どこまでも、あの人より『不幸だわ~』と決めつけ”呪っている”ようなものだからです。まるで自分で自分を『不幸』にしているかのようです。「私は△△さんより、”不幸”!」「私は又、友人の●●さんより、何となく不幸!』『私は、××さんよりも落ち目』・・【ラッセル氏』の言う【不幸の源泉】は、『他人と比較して妬む』と言う事です。これではいつまでたっても【幸福】にはなれません。いつでもアナタ以上に、何か恵まれた人は存在するのです。つまり、【ネガティブ思考】に落ち入っている訳です。・・「私はいつも、誰かより”不幸”」と自分で”呪い”をかけているのだから、どうしょうもありません【聖書】は、【妬むこと】をやめるように言っていますし、”カソリック”の【七つの大罪】にも選ばれています。【人と自分を比較する事をやめる】・・事が【幸福】の秘訣の一つと言える訳です。素晴しい事ですね(^^)私達、日本人は狭い所に、沢山で住んでいる為、常に他人と比較する事が多いのではないでしょうか?それは本来は、自分をより良くする本能であるのでしょうが、それが行き過ぎると、「自分を不幸に追い込む」事になる訳です。【他人と比較して羨む事を辞める】・・これが【幸福】の一つ方法です。神様は私達人間に、それが「我々の不幸」である事を教えておられます。
January 13, 2018
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(ルカによる福音書5章1~11節)『群衆がイエスに押し迫るようにして神の言葉を聞いたとき、イエスはゲネサレ湖の岸辺におられたが、岸辺に小舟が二そうあるのをご覧になった。漁師たちは、その船から降りて網を洗っていた。イエスは、そのうちの一つ、シモンの持ち船に乗り、陸から少し漕ぎ出すように頼まれた。そして、イエスはすわって、船から群衆を教えられた。話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎだして、網を降ろして魚を獲りなさい。」と言われた。すると、シモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でも、お言葉とおり、網を降ろしてみましょう。」そして、そのとおりにすると、たくさんの魚がはいり、網は破れそうになった。」そこで、別の船にいた仲間の者達に合い図して、助けに来てくれるように頼んだ。彼らがやってきて、そして魚を両方の船一杯にあげたところ、二そうとも沈みそうになった。これを見たシモン・ペテロは、イエスの足元にひれふし、「主よ。私のような者から離れて下さい。私は、罪深い人間ですから。」と言った。それは、大漁のため、彼もいっしょにいた皆の者も、ひどく驚いたからである。シモンの仲間であったゼベタイの子ヤコブやヨハネも同じであった。イエスはシモンにこう言われた。「怖がらなくても良い。これから後、あなたは人間をとるようになるのです。」彼らは、船を陸に着けると、何もかも捨てて、イエスに従った。』『イエス様』は『ガリラヤ地方』の色々な会堂を巡って教えておられました。そして『ゲネサレ湖』のほとりにおられた。この『ゲネサレ湖』とは『ガリラヤ湖』の別称で、元は『ゲネサレ湖』とも呼ばれていたのです。 するとイエス様を慕う群衆が押し迫る用に、お話を聞きにやって来た訳です。つまり、”押すな押すな状態”で押し迫るので、『イエス様』は、船が二艘あるのをご覧になり、船を利用しようと思いついた訳です。漁師達が漁から帰ってきて、網を洗っているとこでした。(こちらは「イクトゥス」と呼ばれる、初代キリスト教徒が用いた印で、『使徒ペテロ』達が漁師であった為、『魚のマーク』が使用されていました。後の「ローマ国教」となった後は『十字架』がシンボルとして用いられました。) そこに、知りあいだったのか?シモン・ペテロを見つけ、船で漕ぎだしてくれるように『イエス様』は頼み、『船から群衆』に説教をされました。『イエス様』はすでに『奇跡を起こす偉い先生』として凄い人気だったのですね。ところで、後の使徒『ペテロ』とはどこで知り合ったのか?ですが、 「マルコ福音書」では、『ガララヤ湖』で彼らを見つけ、『わたしについて来なさい!』と呼びかけられますが、この『ルカ福音書』では、前の節で、すでに『シモン・ペテロ』の家にも行かれていますので、恐らく『シナゴーグ』で知り合ったのでしょう。 しかし、ここでまた郷里である『ナザレ』から出てこられ、『カペナウム』に『イエス様』は住まわれて宣教されますが、『家』はあったのでしょうかね? まさか「ペテロの家」にずっと一緒に居た??というのも、ちょっと~変ですから、「親類」などが居たとかでしょうか?『ユダヤ人』は近親婚がばかりの民族なので、沢山の姻戚関係があったでしょうから。(しかし、「聖書」には何の記述も無いので、これも『謎』であります。想像以外の「真実」は闇の中です) 話に戻りますと、『イエス様』は船から群衆に教えられた後、『ペテロ』に『深みに漕ぎだして、魚を獲ってみなさい』と言われます。『ペテロ』は今日は超不漁だったのか、『先生、私達は夜通し漁をしたのに、今日は何も獲れませんでした。しかし、御言葉ですから、網を降ろしてみましょう』とお答えした。 漁師『ペテロ』はこの時、とても疲れていたでしょう。彼らは夜中ずっと漁をしていたのに、何も獲れなかったのです。(^^;)本当は『え?また漁をするのですか?夜通し何も獲れなくて疲れているのに?』という気分だったでしょうが、『ペテロ』は『イエス様』が母親の病を治したりする奇跡を見ていたし、付近の評判も高い素晴しい預言者のような先生だから、「ともかく、先生の御言葉に従ってみようか?」と思ったのでしょうね。 そして『イエス様』の言う通りに深みに漕ぎだし、網を降ろしてみると、不思議な事に、すごい大量な魚がかかり網が破れそうなほどになり、仲間(恐らくヨハネとヤコブ達)も呼んで手助けをして貰うと、何と二つの船が沈みそうになる程の大漁だった・・というから驚きです。『ミラクル』ですね!全く。『船』といっても、当時の『船』は映画VTRにあるような小さくて簡素な木造の船だったのですが、それでも2そうの船が『魚で溢れるくらい獲れた!』 当時の『漁師』の事を話すと、こんな小さなボロ船でも個人で買えないくらい高価だったので、彼らは7~8名で漁業組合のようにして、お金を出し合って『船』を買っていた様子で、おそらく『ペテロ&アンデレ兄弟、ヨハネ&ヤコブ兄弟は同じ組合の仲間であったのではないか?と推測出来ます。(まさかの友人同士ではないだろう) これも『イエス様』が『カペナウム』で行われた『奇跡』の一つです。『シモン・ペテロ』は、『イエス様の奇跡』に恐ろしくなったのでしょう。恐らく『この方は本物の神に遣わされた聖者様だ~!』とお思って何か恐ろしくなったのでしょう。 『もしかして、お前は「罪人」だ!』とか指摘されたり叱られるのではないか?そんな恐れが『ペテロ』の頭をよぎった事でしょう。 『ペテロ』は『どうか、どうか先生、私などから離れて下さい。私はつまらない罪深い人間ですから』と『イエス様の足元にひれ伏した』のです。しかも兄弟の「アンデレ」、『ヨハネと兄弟ヤコブ」達も同じ気持ちだった様子です。(彼らは後の『12使徒の4人』ですね。しかも、これはまだ『船の中』での事でしょうか、後で、『陸にあがると、彼らは・・』とあるので。)つまり、『あまりのミラクル』に超驚いた~という感じですね皆さん。 4人はよほど恐れて怖がっていたのでしょう。見た事も無い奇跡を見たからです。しかし、『イエス様』は彼らに言われました。『怖がることはない。これから、あなたがたは人間をとるようになるのだから。』~これは『イエス様』の4人『ペテロとアンデレ兄弟』『ヨハネとカコブ兄弟』への『弟子への召命』でありました。 つまり『あなたがたは、『人間』を獲る漁師となる。』つまり『あなたがたは、『救い』にあずかる人間をとる者となる』という事です。 この『奇跡』と『御言葉』で、4人はすぐに何もかも捨てて『イエス様』に従ってゆきました。『ペテロやアンデレ、ヨハネ、ヤコブ」は『ガリラヤ湖』の漁師でありました。しかし、彼らの素晴しいところは、『イエス様』に呼ばれて、何もかも捨てて、すぐに従った』!という事でしょう。 彼らは『イエス様』の最初の弟子になったのです。しかも、『何もかも捨てた』という事は、「生活、家族、財産、家」何もかも捨てて従った訳です。『献身』ですね。 神父さんや修道士、シスター達、またプロテスタントの牧師さん、彼らも『何もかも捨てて、(生活や世の出世、お金持ちになるチャンス、世の中の享楽や楽しみ)これら皆捨てて、神様の仕事をする為に従っているのです。『イエス・キリスト』は『神の子』であられます。『イエス様』に従うとは、このように『何もかもすべて神に捧げて献身する事』なのです。 本当は、我々信徒もすべてを神様に捧げていかなければならないのですが、『信徒』は『献身される方々』(神父、シスター、牧師、宣教師)と違って、「生半可」でも「可」とされていますが、出来るだけ『神様のお仕事』(奉仕、寄付、世の中の人達に仕える事)をするのが、神様の御心であります。 私達も、神様から頂いた『才能や財産』も、自分の為ばかりに使うのでなく、世の為人の為、何よりも『神様』の為に用いる人でなければなりません。『自分の為だけに、頂いた才能や財産を使う人』~このような人は神様の御心に叶わない自己中な人なので『祝福』されません。しかし、『神様』に捧げて『世の為人の為に働く方』は『祝福』され、『イエス様』も言われているように、『あなたは賢いしもべだ。あなたには、もっと多くの財産も任せよう。』と『祝福』を受けるものなのです。またその『祝福』は、『天に宝を積む事だ』と『イエス様』は言われています。この世で財産を築くよりも『天に宝を積みなさい』と言っておられますね。私達も、『ペテロ』のように、『イエス様』に呼ばれたら、すぐに従う者でありたいものです。
February 2, 2017
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