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2006年10月12日
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カテゴリ: エッセイ集
10年前は「ボーダーレスな世界」、今や「グローバル経済」、「フラット化する世界」・・・。人類の経済活動の広がりは、国境の存在をどんどん無意味化し、かつての国民経済は、今や、グローバル経済の子会社的存在になったかのようです。インターネットの発明が、それに拍車をかけたのは、言うまでもありません。

こんなにも、世界が一体化し、国境を超えたヒト、モノ、カネの行き来が自由になった今日。でも、多くの人々の心は、それと逆行するかのように、ますます、国境線を意識するようになる。グローバル経済の前に、国家がここまで弱体化したのに、人々はなおも国家にすがろうとする・・・。

「ボーダーレスな経済世界で、人々の意識はボーダーフルになる」。人間とは、実に天邪鬼な生き物です。

なぜそうなるのか?大きく分けて、二つの理由があると思います。

1)不安と無力感

グローバル化した市場経済は、世界の多くの人々に、終わりのない競争と、絶え間ない変化を強要します。世界全てが競争相手、変化し続けないと、勝ち残れない・・・そんな状況のなかで、多くの人々は不安と無力感を覚えます。自分が無力である以上、自分より強い何かにすがって、不安を解消したいと思うのは、人間の本性かもしれません。

では、何にすがるのかといえば、多くの場合、「国家」になるのでしょう。国家は、人為的機関でありながら、文化、言語、伝統を、ある程度体現化しているので、「民族的情緒」の受け皿にもなります。一言でいえば、グローバル経済が不安と無力感を助長し、それがナショナリズムを育むわけです。

2)経済戦争に勝つための国家

グローバル市場経済は、一方で、国家の存在を必要とします。多様な文化、言語、伝統をもつ人類を、単一経済世界に巻き込むにはルールが必要で、そのルールを決めるのは、米国に代表される「強い国家」です。身も蓋もない話ですが、結局、国同士の力関係が、モノを言うのです。

要するに、国家がある程度強くないと、グローバル経済戦争で、著しく不利な立場に立たされる。このことが、人々の国家への求心力をさらに強めているのです。

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1)世界に開かれたナショナリズム

時はグローバル経済の世、自国の殻に閉じ篭っていたら、絶対に損します。視野を大きく世界に広げ、世界中の多様な文化や生活様式に興味を持ち、国際的なバランス感覚を養った上で、自国の文化伝統や社会を深く理解し、愛し、それを世界に向けてプロモーションし、人類全体に積極的に貢献していこうとする姿勢。これが、「世界に開かれたナショナリズム」の生命です。

2)重層的な愛に裏付けられたナショナリズム

人間は、ある国の国民である以前に、個人として、家族の一員として、人生をスタートします。ですので、何よりもまず自分自身を愛し、家族を愛し、隣人や地域社会を愛し、その延長線上に、国家への愛があるのが、本来の順序だと思います。

言い換えると、国を愛するという言葉の裏に、自分への、家族への、地域社会への愛が確固としてあり、それが、隣国、外国の人々への愛に、自然につながっていく・・・こうした、重層的な愛に裏付けられていれば、偏狭なナショナリズムに陥ることはないのです。


私の友人で、「良い意味のナショナリズム」を見事に体現している男が、一人います。彼とは、シドニー在住中に知り合ったのですが、会話のなかで、いきなり、「自分は、日本人であることに誇りを持っている!」という、力強い言葉が出てきたのが、とても印象的でした。

で、話しているうちに、私はどんどん、彼のペースに引き込まれてしまいました。彼は、初対面の人に対しても、自分自身を、驚くほど大胆にさらけ出すのです。自分のこと、奥さんや子供たちのこと、交友関係のこと、それらを飾らず、出し惜しみせず、面白おかしく語る。20分も話していれば、まるで旧知の友人であったかのような気分にさせられます。これは、自分によほど自信がないと、できない芸当でしょう。

で、さらけ出した自分というのが、これまた、実にスケールの大きい、痛快無比な人生でして、彼と比べてしまえば、私の人生など、児戯に等しいと思えてしまうほどです。

彼は国際結婚もしており、また世界のいろいろな国での生活体験もあり、国際的なバランス感覚が自然に身についています。彼は折にふれ、母国・日本に対しても、外国に対しても、苦言をたくさん呈します。それは、日本を愛し、そして人類を愛するが故なのでしょう。

何よりも自分を愛し、家族を愛し、地域社会を愛し、それらに裏付けられて、母国・日本への深い愛がある。これが、私の知る限り、最も理想に近いナショナリズムのあり方だと思います。私の、心から尊敬する人物です。

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ですが、昨今の日本における、ナショナリズム的な気分の盛り上がりというのは、上に書いた「良い意味のナショナリズム」とはまるで無縁で、むしろ、「 不安に駆り立てられた、自信のないナショナリズム 」という気がしてなりません。



そういう人間は、自分自身に自信がないもんだから、ちょっとしたことで、深く傷ついてしまう。時にはその反動で、攻撃的な行動に出たりする。自分をさらけ出す自信がないから、ウェブの世界では、きまって匿名で出没したがる。

たとえばの話、つい先日、とある有名人のブログが、天皇家の慶事に関する発言をめぐってトラブルになり、匿名掲示板サイトに出没する多数の人間から集中攻撃を受けて、「炎上」してしまった、という出来事がありました。

発言の是非はどうあれ、ひとさまのブログに書かれていることで深く傷つき、匿名掲示板で「晒し」て、皆で寄ってたかって攻撃して炎上させてしまう・・・という行動の裏には、個人としての自分に対する、自信のなさが見え隠れします。

仮に彼らが、自分を大いに愛し、それと同じくらい家族を、地域を、隣人を愛していたならば、ものの見方や行動パターンも、ずいぶん違ったものになっていたはずです。同時に、彼らがもっと、世界に視野を広げ、隣国をはじめ、いろんな文化や生活様式に親しんでいたならば、ここまで偏狭で依怙地になることはなかったはずです。

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で、どうすればいいのか?・・・私には分かりません。でも一つ言えることは、不安で満ちたこの世界で、人々がいかにして不安から逃げずに、正面から向き合うことができるのか、「国家」という幻想共同体に頼らず、個人の力で正面から取り組むことができるのかが、成功の鍵を握るのでしょう。

国家とは、人間が安心して生きるためにつくった人為的な組織です。それは、第一義的に、愛や忠誠を強制するものではなく、むしろ、先人たちの努力の成果として、この世に存在するものです。

私たちは、国家から限りない恩恵を受けていますが、同時に、国家を力強く支えています。日本には、何よりもまず自分を愛し、家族を愛し、地域を愛し、その延長線上で国を愛する、無数の人がいる。だからこそ、いま日本国が地球上に存在しているのだと思います。





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最終更新日  2006年10月12日 00時51分34秒
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