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2006年06月13日
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カテゴリ: ひとりごと

かえでの養護学校への送迎は、朝8時半に家を出て、8時45分頃、先生に引き渡す。
学校の日課は14時30分に終わり、その後、学童保育に行き、迎えは16時30分。

かえでが学校と学童保育にいる間は、私はフリーになる。
と言っても、その間にいろいろと用事もあるし、かえでが帰宅する前にやっておかなくてはならないことも多いし、
毎日、何となく流されて過ごすことが多かった。

周りの友達が、子供に手が掛からなくなったからと言って、お勤めに出ていくのを横目で見て、私も、仕事を見つけて働きに出てみようか、と思い始めた。

私の両親は、
「かえでが学校に行っている間なら困らないし、
 何かあっても私達がいるから大丈夫だ」

と言って、夫の手前もあるし、私に勤めに出ることを勧めた。

幸い、母の狭心症の発作もそんなに深刻ではないし、
何よりかえでの 『排便の自立』 という、嬉しい出来事も後押しして、
仕事に行きたいという気持ちが膨らんでいった。

そんな時、娘が行っているピアノ教室で発表会の練習が始まり、
娘は同じ歳の女の子と連弾をすることになった。
レッスン以外の日にも、お互いの家を行き来して練習することになった。

その子のお母さんは、土木建築関係の会社にフルタイムで勤めていて、
更に上を目指して勉強しているとのこと。
すごいな~と感心していたら、もうすぐその会社を辞めて、違うところに移るらしい。

それで、今行っている土建会社の現場事務所で、彼女が辞めると、
人手が足りなくなり困っているので、誰か来てくれる人はいないか探していると言った。
私に 「そこで働いてみない?いい職場だよ」 と言う。
専業主婦をしていることが信じられないという感じだった。

私でも勤まるだろうか?行ってみたい。働いてみたい。

すごくそんな気持ちになり、夫や両親に相談した。両親は、とにかく協力するから、出来れば外に働きに出たほうがいいと言ってくれた。

夫の実家や近所の手前、夫以外、みんな家にいて遊んでいるように思われるのが辛かったようだ。

夫は、 『家事・育児を優先すること』 を前提として、OKしてくれた。

こうして、かえでが4年生になる少し前から、私の 兼業主婦生活 が始まった。

土建会社の公共事業で、区画整理をやっている現場の事務をやることになった。
独身時代に勤めていた時以来のパソコン。久々に触るキーボード。
仕事の内容はよくわからないことばかりだったけど、
丁寧に教えてもらって、楽しく仕事が出来た。
土木の現場なので、男ばかりで、汗臭くてむさくるしい職場だった。
でも、いろんな業者さんや、下請けの人たちが出入りして、いつも賑やかだった。

養護学校に行っている子供がいるということも、しっかり話しておいた。
かえでを送って、そのまま現場事務所に9時に入り、16時まで仕事をして、買い物をして、かえでを迎えに行って帰る。
そんな毎日だった。

家にいる時間が少なくなった分、家事は当然今までのようにできない。
でも、少ない時間を有効に使って、テキパキと動くことが出来て、充実していたように思う。
時間は誰にも平等にあるのだから、有効に使わなくては損だな~と思った。

仕事を始めると、学校の用事には思うように参加できなくなってしまうけど、
なるべく子供優先で頑張った。
なんの自慢にもならないけど、参観会や講演会などは、必ず出席した。
子供たちの学校時代なんて、長い人生の中で見たらほんの一瞬で終わってしまう。
だから、毎回この目でちゃんと見ておきたかった。(忘れちゃうけど・・・^_^;)

一年たって、かえでが5年生になる4月。
現場の工期が終了し、私はお払い箱になるかと思っていたら、本社でお呼びが掛かり、
4月からは本社に勤務することになった。
主には、品質管理の書類を作るような仕事だったけど、
どこにでもいるようなお局様にいじめられる、かわいそうな新人って感じだった。
それでも、我が家の事情をわかってくれて、なんとか家庭優先で仕事を続けることが出来た。

私が仕事に出たのは、結局全部で3年間だったけど、とても有意義な時間だったと思う。
仕事は一生懸命やった。
今までにない環境に身を置くことは、とても意義のあることだと感じた。



核家族ならなおさら無理だと思う。
私のように、親と同居していれば、良い条件が揃って働けるのかもしれない。
だから、働きに出られたことは、夫や両親に感謝している。

結婚しても働く女性、それは今の時代は当たり前なのかもしれないけど、ハンディのある子がいたら、それはとても大変なこと。

うちの夫のように、女は家にいればいいと思っている、ちょっと時代錯誤の男もいる。一度、家事が手抜きになって、ひどく怒られたことがある。

「大した仕事もしてないくせに、
『働いてる』 なんて偉そうな顔をするな!
 それですぐに 『疲れた』 と言うなら、
 仕事なんか辞めろ!』

いきなりそう言われた。悔しかった
もちろん、私には言い返せない。最初の条件を破ったから。家事を手抜きしたから。

ホントに辞めようか迷っている時に、
前回の日記に出てきたFさんがフォローしてくれたこともあった。それで、また元気を取り戻して、家事に育児に仕事に精を出した。

何が正しいのか、間違っているのか、答えなんてないけど、人って、いろんなところで絡み合って、みんな必死に生きているんだな~と感じる。

働くことは、大変意義のあることだと痛感した貴重な3年間だった。






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最終更新日  2006年06月13日 16時19分12秒
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