全3638件 (3638件中 3351-3400件目)
< 1 ... 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 >
神は人間に“疑う心”を植えつけております。 真実性を確かめるための批判的精神です。 正直な批判は、少しも悪いものではありません。 真実を知りたいがために疑ってかかる人を、私たち霊は大いに歓迎します。 ですが、口先だけの議論や用語の詮索ばかりする人はご免こうむります。
2015.03.17
心配してはいけません。 心配の念は、ロクなものをもたらしません。 心配の念は、魂をむしばみます。 心配の念は、精神も錆びつかせます。 心配の念は、せっかくの霊的援助の通路をふさいでしまいます。 地球をはじめとして、宇宙間のあらゆる天体の責任者は神なのです。 いつかは善が悪を駆逐します。
2015.03.16
あなたのお仕事は、人のために役立つからこそ尊いのです。 さらに大きな徳積みのために、もっと大きな力、もっと多くの叡智を求めて神に祈りなさい。 そしてまた、こうして協力している私たち霊の姿が見えず、声は聞こえずとも、私たちはこれからもあなたを見守り、導き、元気づけ、支援していくことを信じて下さい。
2015.03.15
光を見出すのは暗闇の中にあってこそです。 人生は全て両極性です。 苦労なしには、魂は自我を見出すチャンスがありません。 苦難がその触媒となるのです。 霊的に向上し、霊的資質をより多く備え、喜んで人のために自分を犠牲にする覚悟が出来るようになる、その手段として用意されるのです。
2015.03.14
人生には何事にも二面性があります。 光があれば闇があります。 安らぎがあれば苦労があります。 もしも晴天の日ばかりだったら、晴天の有り難さは分からないでしょう。 時にはイヤな思いをさせられる体験を通して、ある事を学ばされることがあります。 いずれ皆さんも霊界へお出でになって、地上生活を振り返った時は、きっとこう思われることでしょう。 “一番大切な教訓を学んだのは、生活がラクだった時ではなく、嵐が吹きまくり、雷鳴が轟き、稲妻が走り、太陽が雲に遮られて、全てが暗く絶望的に思えた時だった”と。
2015.03.13
悲しいかな、苦しめられるのはいつも罪のない側です。 が、自然の摂理は曲げられません。 殺人を犯せば、殺した方はその償いをしなければなりませんし、殺された方にはその犠牲の埋め合わせがあります。 埋め合わせの原理は間違いなく働きます。 神は一人一人の人間に、きちんと賞罰が計算されるように、公正の原理を定めておられます。
2015.03.12
愛は憎しみに勝ります。 霊は物質に勝ります。 その宇宙最大の力は神から出ているのです。 無限の知性によって考案され、無限の叡智によって支配されている宇宙の摂理は、今住んでおられる世界が少しでも良い世界へ向けて、ゆっくりと着実に進歩するように配慮してあるのです。
2015.03.11
霊は物質に勝ります。 物質の世界には、霊力よりも強力な力は存在しません。 たとえ時間は掛かっても、必ず勝利を収めます。 真理を手にした者には、悲観主義も絶望も入る余地はありません。 神が、人間の頭を身体の一番高いところに置かれたのは、見上げることが出来るようにということからです。 見下ろすようにということであったら、足もとに頭が付いていることでしょう。
2015.03.10
一体、宗教とは何なのでしょう。 教会や礼拝堂や寺院へ通うことでしょうか。 人間のこしらえた教義を受け入れることでしょうか。 私はローマカトリック教徒ですとか、プロテスタントですとか、仏教徒ですとか、ユダヤ教徒ですと名乗ることでしょうか。 宗教とは、宇宙の大霊すなわち神の御心に一歩でも近づくことになるような生き方をすることです。 あなたの行為の中に神の御心が表現されることです。 要するに宗教とは、人のためになる行いをすることです。
2015.03.09
元気をお出しなさい。 くよくよしてはいけません。 取り越し苦労はおよしなさい。 心配しても何にもなりません。 心配の念は、霊界から届けられる援助の通路をふさぎます。 自信を持つのです。 道はきっと開けるという確信を持つのです。 いつの日か、苦い体験だったがおかげで精神的ならびに霊的に成長したから悔いはない、と言える日が来ることでしょう。
2015.03.08
問題が生じるのは当然の成り行きです。 地上は、困難と挫折と障害と逆境に遭遇させられる場所なのです。 地上生活のそもそもの目的は、伸び行く魂が、危機において初めて呼び覚まされる潜在的資質を発現するために、様々な事態に遭遇することにあるのです。 そうした問題を克服しない限り、霊性の向上は望めません。 が、実は克服できないほど大きな問題は決して背負わされないのです。 忍耐強く導きを祈り求めることです。 時が熟せば必ずドアが開かれ、道が示されます。 私はそのことを同志の方に、いつもこう申し上げております。 閉め切られたドアをせわしく叩いてはいけません、と。
2015.03.07
恐れるものは何一つありません。 あなたには、人のために自分を役立てることが出来るという喜びがあります。 それが何より大切です。 その機会を与えられることに感謝しなくてはいけません。 明日のことを案じてはいけません。 困難には遭遇することでしょう。 が、それは太陽を一時的にさえぎる雲のようなものです。 太陽は少しの間見えなくなりますが、常に存在しているのです。 その太陽がもたらしてくれる力と光の存在を片時も忘れてはなりません。
2015.03.06
物的財産は一時的な所有物に過ぎません。 所有物と言っても真に自分のものではなく、ただの一時的保管物に過ぎません。 一方、霊的財産は錆びることも色あせることもありません。 永続性があります。 人のために自分を役立てることほど、立派な宗教的行為はありません。 それが霊の通貨なのです。 自分より恵まれない人のために手を差しのべていれば、そのうち自分の生きるべき道がきっと啓示されます。 あなたが窮地にあって啓示を受けられたように、窮地に置かれた人が、あなたの手の届くところまで導かれてくるようになるでしょう。
2015.03.05
ー 霊界でピアノを習いたい時は、やはり練習が必要なのでしょうか? 「もちろんです。 何もしないで身につくものはありません。 霊界には各自の才能に応じて、指導して下さる立派な先生が大勢います。 地上において、経済的理由や社会的環境のために発揮できなかった才能を持つ新参者は、霊界へ来てから、驚くほど素晴らしい機会を与えられることが、よくあります。 霊界では、何ものにも束縛されることなく、それを最高度に発揮することが出来ます。」
2015.03.04
私から申し上げる忠告は、いつも同じです。 霊からの通信は、ことごとく理性でもって判断しなさいということです。 常識的に考えて、どうしても受け入れ難いものは拒否なさることです。 私たち霊とて絶対に間違いを犯さないわけではありません。 まだまだ完全からは程遠い存在です。 完全に到達するには無限の時を要するのです。 何度も申し上げているように、それは永遠に続く過程なのです。
2015.03.03
私はいつも思うのですが、地上の人々、中でも特に霊的知識を手にされた方が、背後霊の存在を実感をもって認識して下されば、どんなに有り難いことでしょう。 地上の愛する者へ無益な害が及ばないように、かばい、守り、導いている霊の姿を一目ご覧になることが出来れば、と思うのです。 その影響力の大きさを知ることが出来たら、明日のことを思いわずらうようなことは、絶対にしなくなることでしょう。 それで私は同志の方に、いつも申し上げているのですが、新しい一日の訪れを素晴らしい霊的冒険の到来として、喜んで迎えることです。
2015.03.02
ー 自殺をすることまで計画されていることがあるというのは本当でしょうか? 「とんでもありません! 計画というのは母胎に宿る以前に、霊自身によって立てられるのです。」 ー 自殺行為によって学べる教訓は何一つないということでしょうか? 「あるわけがありません! 生命は神が授けるのです。 それを縮める権利は人間にはありません。」
2015.03.01
皆さんは、ご自分で気づいていらっしゃる以上に、霊界から色々と援助を受けておられます。 いずれ地上を去って霊界へお出でになり、地上でなさったことを総合的に査定なされば、きっと驚かれることでしょう。 私たち霊は、魂の成長に関わったことで援助しているのです。 それが一番大切だからです。
2015.02.28
神の心を我が心とするように心掛けることです。 霊力と一体となるように心掛けることです。 皆さんの一人一人が、神の愛の御手が触れるのを感じ取り、常に守られていることを知り、明日が何をもたらすかを恐れないようにならないといけません。 そして、人のために自分を役立てる機会を頂いたことを喜ぶことです。
2015.02.27
私たち霊が、基本的原理のいくつかを確信を持って明言できるのは、それらが永遠の実在に基づいているからにほかなりません。 もしも、地球が地軸上の回転をやめるようなことがあったなら、あるいは潮が満ちるべき時に満ちて来ず、引くべき時に引かないようなことがあったなら、あるいはまた、星雲が回転のパターンから外れるようなことがあったなら、私はこれほどの確信を持って説くことは出来ないでしょう。 が、神は全知全能であり、その霊力の働きは完全無欠です。 そこで私は、その霊力に全幅の信頼を置く者に、決して挫折はないと確信を持って申し上げるのです。
2015.02.26
案ずることはありません。 あなた方は、自分なりの最善を尽くせばよいのです。 もうこれ以上は出来ないというところまで努力したら、それ以上はムキにならず、後は私たち霊に任せる気持ちにおなりなさい。 人間は、自分に出来る限りの努力をしていればよいのです。 それ以上のことは要求しません。
2015.02.25
儀式よりも生活の方が大切です。 宗教とは儀式ではありません。 人のために役立つことをすることです。 本末を転倒してはいけません。 “聖なる書”と呼ばれている書物から、活字の全てを抹消しても構いません。 讃美歌の本から“聖なる歌”を全部削除しても構いません。 儀式という儀式を全部欠席なさっても構いません。 それでもなおあなたは、気高い奉仕の生活を送れば、立派に“宗教的”であり得るのです。 そういう生活でこそ、内部の霊性が正しく発揮されるからです。
2015.02.24
他人が、どう言っているか、どう考えているか、どうしようとしているか、それはあなたには関係ないことです。 大切なのは、あなた自身が何を述べ、何を考え、何をするかです。 神はあなたに、他人の行為や言葉や思想にまで責任は取らせません。 あなたの責任は、あなたに啓示されたものに照らして生きることです。 光が大きければ、それだけ責任も大きくなります。 この神の規約には、免除条項というものはありません。
2015.02.23
くじけてはなりません。 いかなる事態にあっても、不安の念をカケラほどでも心に宿すようなことがあってはなりません。 今日まで支えてきた力は、これからも決して見捨てるようなことは致しません。 絶対に裏切ることはありません。 もしあるとしたら、この宇宙そのものが存在しなくなります。 その根源的なエネルギー、存在の支えそのものが不在となることがあることになるからです。
2015.02.22
肝心なことは、魂が真の自我を見出し、全存在の源に触れることです。 神が遠く離れた近づき難い存在ではなく、自分の内部にあること、したがって困難や危機に遭遇した時に使用できる霊的な武器、力、貯え、潜在力がちゃんと備わっていることを知るべきです。 それだけではありません。 内部の莫大な潜在力とは別に、外部の無限の霊力の恩恵を受けることも出来るのです。 進化の階段を一つ一つ昇りながら、その一段ごとにその霊格に似合った霊が待機して、援助の手を差しのべてくれるのです。 これは大切な事実です。
2015.02.21
神は完全なる公正です。 自然の摂理を通して、因果応報がきちんと行われております。 収支は、常に完全なバランスを保っております。 あなたは忘れ去られることも、見落とされることも、無視されることもありません。 あなたを導き、援助し、慈しんでくれる愛があります。 それを頼みの綱となさることです。 それが、いついかなる事態にあっても、不動の信念を維持させてくれることでしょう。
2015.02.20
万が一にも、大自然の摂理に欠陥が見つかったら、私はこのたびの使命を全て放棄します。 もしどこかに、摂理の通りに行っていないところが見つかったら教えて下さい。 しかし、そういうことは絶対にありません。 原因には必ず結果が伴います。 蒔いたタネを刈るのです。 それ以外には、ありようがないのです。
2015.02.19
霊は物質による制約には負けません。 全生命の原動力であり、全存在の始源である霊は、あなたが地上生活において必要なものは、全て供給してくれます。 その地上生活の目的は、至って単純です。 本来のあなたである霊的本性を開発・強化して、死後に待ち構える次の生活の身仕度をすることです。 となると、ありとあらゆる人生体験 ー 楽しいことも苦しいことも、光も陰も、有利なことも不利なことも、愛も憎しみも、健康も病気も、その一つ一つがあなたの霊的成長にとって、何らかのプラスになるということです。
2015.02.18
もしも霊力が働かなくなるようなことがあったら、地球は回転を止め、四季は巡ってこなくなることでしょう。 もしも霊力が働きを中止したら、太陽の炎は消滅し、月はあの幽玄な輝きを見せなくなることでしょう。 もしも霊力がしくじることがあったら、種子は花を咲かせず、実を結ばなくなることでしょう。
2015.02.17
健康を増進するのは、医学でも医薬でも劇薬でもありません。 不自然なものを体内に注ぎ込むことによって健康にすることは出来ません。 それは言わば医学的愚行です。 正しい生き方さえしていれば、つまり思念に邪なところがなく、魂と精神と身体とが調和していれば、健康でいられるのです。 日常生活のストレスと心労、あるいは利己心や邪心や強欲が生み出す不自然な緊張 ー こうしたものは、物的存在の全ての息の根を止める毒薬です。
2015.02.16
その時点で正しいと思われたことを、なさればよいのです。 ただし、これが正しいということに確信がなくてはいけません。 動機が純粋であれば、その後に派生してくるものも善へ向かいます。 万が一、動機が間違っていたことに気がつかれれば、その時は自分が責めを負えばよろしい。 が、闘って敗れ、しかも動機にやましいところがなければ、もう一度、気を取り直して闘いを挑むのです。
2015.02.15
困難、戦争、貪欲、利己主義、こうした物質万能主義の副産物は全て、人間が愛、情け、哀れみ、慈悲、好意といった霊的資質を発揮しないかぎり、地上からなくなることはありません。 そうした資質は、神からの授かりものなのです。 それが発揮できるようになるまでは、人間は自らを傷つけることばかりします。 乱獲や残虐行為の一つ一つが人間同士、あるいは動物に対して害を及ぼすのは無論のこと、それが人間自らの進歩を妨げることになるのです。
2015.02.14
愛が愛としての、本来の威力を発揮するようになれば、全ての創造物が仲良く暮らせるようになります。 地球という生活環境を毒し、問題を発生させる不協和音と混沌のタネを蒔くのは、人間という破壊主義者、人間という殺し屋です。 全ての問題は、人間がこしらえているのです。 神が悪いのではありません。 動物が悪いのでもありません。 人間が自由意志の行使を誤り、(万物の霊長だなどと)勝手に優越性を誇ったためです。
2015.02.13
自然界の生命は、全てが複雑にからみ合っており、人間の責任は人間同士を超えて、草原の動物や空の小鳥にまで及んでいます。 抵抗するすべを知らない、か弱い存在に苦痛を与えることは、是非とも阻止しなくてはなりません。 装飾品にするために動物を殺すことを、神は許しません。 あらゆる残虐行為、とりわけ無意味な殺生は絶対に止めなくてはなりません。 物言わぬ存在の権利を守る仕事に携わる者は、常に、そうした人間としての道徳的原理に訴えながら、闘わなくてはいけません。 小鳥や動物に対して、平気で残酷なことをする者は、人間に対しても、平気で残酷なことをするものです。
2015.02.12
動物に教えられることが多いのは当然のことです。 動物は忠誠心、愛着心、犠牲心、献身といった資質を健気に表現しますが、これは人間が学ぶべき素晴らしい手本です。 しかし人間はそれらを意識的に、そしてもっと高度に発揮できます。 なぜなら、動物よりも意識の次元が高いからです。
2015.02.11
埋め合わせと懲罰の法則というのがあります。 あなたが行う良いこと悪いことの全てが、自動的にあなたに霊的な影響を及ぼします。 大自然の因果律は絶対に免れません。 埋め合わせと懲罰の法則は、その大自然の中核をなすものです。 罪もない人民が、支配者の横暴な振る舞いによって被(こうむ)る犠牲に対して埋め合わせがあるように、残虐な取り扱いをうけた動物にも、それなりの埋め合わせがあります。
2015.02.10
自然の摂理をごまかすことは出来ません。 こればかりは例外がありません。 蒔いたものは、自分で刈り取らねばなりません。 それ以外にありようがないのです。 動機が全てを決定づけます。 その時点において良心が、良いことか悪いことかを告げてくれます。 もし、そこで言い訳をして、自分で自分をごまかすようなことをすれば、それに対して責任を取らされることになります。
2015.02.09
皆さんは、いつでも治療を施してあげることが出来ます。 祈ることによっても、助けになってあげることが出来ます。 祈りの念にも効果を生むだけの力が秘められているからです。 とにかく、いくら医師が理知的であっても、その視野は地縛的ですから、そんな人による悲劇的な宣告をまともに受け止めてはなりません。
2015.02.08
ー 地上の世界から霊の世界へ行く時、霊の世界にいる縁ある人たちにそのことを知らせる、何かの連絡組織があるのでしょうか? 「縁ある人たちは、常にあなたと一緒ですから、そういう組織は必要ありません。 あなたご自身が覚悟する、ずっと以前から、あなたの死期を察しております。 そして、いよいよその時期が到来すると、そばに来て待機します。 宇宙で愛ほど強力な引力はありません。 愛でつながった人は、決して離ればなれにはなりません。」
2015.02.07
ー 霊界にも自分を役立てる機会があるのでしょうか? 「ありますとも! 地上より遥かに多くの機会があります。 霊界には、あなた方人間の理解を超えた問題が色々とあります。 霊的宇宙の至るところに存在する無数の霊 ー 病める霊、幼い霊、孤独な霊、いびつな霊、無知な霊、こうした不幸な霊の面倒を見なければならないのです。 なぜ、こんな厄介なことになるのか。 それは、あなた方人間の世界が、そういう霊を送り込んでくるからです。」
2015.02.06
私たち霊の世界の生活がどうなっているか、その本当の様子をお伝えすることは、とても困難です。 霊の世界の無限の豊かさについて、あなた方人間は、何もご存知ありません。 その壮大さ、その無限の様相(バラエティ)は、地上のどの景色を引き合いに出されても、どこの壮大な景観を引き合いに出されても、それに匹敵するものはありません。
2015.02.05
地上では死を悲劇と考えますが、私たち霊の立場からすれば、悲劇ではありません。 解放です。 なぜなら、魂の霊的誕生を意味するからです。 地上のあらゆる悩み事からの解放です。 よくよくの場合を除いて、死は苦労への褒賞であって罰ではありません。 死は、何を犠牲にしてでも避けるべきものという考え方は改めなくてはいけません。 生命現象に不可欠の要素であり、魂が自我を見出すための手段と見なすべきです。
2015.02.04
地上は体験学校のようなものです。 その地上世界は完全ではありません。 あなた自身も完全ではありません。 あなたは、その不完全な世界で少しでも多くの完全性を発揮しようとしている、不完全な存在です。 ですから、自分なりの最善を尽くしておれば、それでいいのです。 それ以上のものは要求されません。
2015.02.03
肉体は、霊が自我を表現するための道具です。 存分に発揮したいと思われれば、十分な手入れをしなくてはなりません。 疲労が重なると、本来の機能が発揮できなくなります。 そこで神は、その無限の叡智によって、肉体を休息させ、活力を取り戻させるための“睡眠”を用意したのです。 地上の四季の移り変わりをよくご覧なさい。 秋になると、大自然は冬の眠りのための準備をし、春になると再び目覚め、夏にその壮観を披露します。 人体も同じです。 休息によって元気を回復しなければなりません。 休息は是非とも必要です。
2015.02.02
休息が不足すると身体が、その代償を支払うことになります。 その代償の度合いが大きすぎると、完全な休息を要求されて、あなたは床につかねばならなくなります。 各人各個の責務という教理を説きながら、その働きに例外があるかのようなことを申し上げるわけにはまいりません。 無理して、一度に多くのことをなさってはいけません。 肉体は所詮は機械です。 その限度を超えたことを要求してはなりません。
2015.02.01
いつも申し上げ、これからも繰り返し申し上げることでしょうが、私たち霊と言えども、全ての知識を手にしているわけではありません。 無限に存在するからです。 が、地上のあなた方人間は、私たち霊にない肉体的条件によって制約を受けていますから、手にすることの出来る知識は、極めて限られております。
2015.01.31
ー 霊は、どの段階で身体に宿るのでしょうか? 受胎の瞬間でしょうか? それとも胎動期、つまり十八週頃でしょうか? 「この問題は、これまで何度も尋ねられました。 そして、いつも同じお答えをしております。 生命は受胎の瞬間から始まります。 そして生命のあるところには、必ず霊が存在します。」
2015.01.30
所詮は短い人生です。 その短い人生において、たった一人の人間でもいいから重荷を軽くしてあげることに成功したら、たった一人の人間の涙を拭ってあげることが出来たら、たった一人の人間の悩みを取り除いてあげることが出来たら、それだけでも、あなたの生涯は無駄でなかったことになります。 ところが悲しいことに、地上生活の終わりを迎えた時に、何一つ他人のためになることをしていない人が、実に多いのです。
2015.01.29
私たち霊が、摂理を変えるわけにはいかないのです。 私たちはただ、摂理はこうなってますよとお教えするだけです。 これまで私は何度か、皆さんが困った事態に陥っているのを見て、その運命を何とか肩代わりしてあげたい、降りかかる人生の雪と雨と寒さから守ってあげたいと、思ったことがあります。 しかし、それは許されないことなのです。 なぜなら、そうした人生の厳しい体験をさせている同じ力が、人生に光と温もりをもたらしてくれるからです。 一方なくして他方は存在しないのです。 試練と体験を通してこそ魂は成長するのです。
2015.01.28
あなた方人間は私たち霊に手を貸し、私たち霊はあなた方人間を援助するという形で、お互い協力しあいながら宇宙の真理を究めていくのです。 お互いがお互いから学ぶことが、沢山あります。 誰一人として間違いを犯さない者はいませんし、全能者ではないからです。 私たち霊だってみな人間的存在です。 永遠の道を旅する巡礼者なのです。
2015.01.27
全3638件 (3638件中 3351-3400件目)