全256件 (256件中 1-50件目)
5月18日、神奈川県横浜市で空き巣被害に遭った家から、飼い犬も盗まれたもよう。家族が行方不明になるのはとても辛いことです。どうか皆さんの協力で情報を転載してください。一日も早く盗まれた犬が元気で家族の元に戻れますように、ご協力お願いします。================================以下、ひとりごと日記~ヒトひとりとイヌいっぴき徒然なるままに~ブログの記事を転載します。http://vinobanbino.seesaa.net/================================(転載ここから)-----------------------------------------2009年05月20日 皆様にお願いこのブログを見てくださっている方々にお願いです。ワタシの愛犬「バンビーノ」(愛称:バンビ)が行方不明です。どんな情報でもけっこうですのでお知らせください。*ただし、この状況での中傷やいたずらなどは絶対やめてください。18日、神奈川県横浜市内の自宅に空き巣が入り、その後行方不明になっています。近隣ではまだみつかっていません。東京・千葉・埼玉などに連れていかれてしまったこともあるそうなので、もし、みかけられたり、情報をお持ちの方がいらっしゃいましたらお知らせくださいませ。どこかに連絡するといいことや、探してくださる団体などでも結構です。*名前:バンビ*犬種:ノーフォークテリア(小型犬)*性別:オス*年令:1才半*体重:5.5Kgsくらい。*毛色:茶色(少し薄めです)*特徴: 1.耳矯正のためテーピングをして10円玉を貼ってます。 2.ストリッピングしたばかりなので胴体の毛は短め 3.足の付け根から少し長くスカートを履いているよう心配で心配で食事できず、眠ることもできません。元気に戻ってきてくれることを願い、自分にできることをして待っています。 ------------2009年05月22日ご協力のお願いバンビの出身犬舎にて「探してます」チラシをUPしています。すぐダウンロードしていただけますので、是非そちらもご覧くださいますようお願い申し上げます。Forest Scene JP ↓http://nft.seesaa.net/近隣の動物病院やお店にて貼っていただけるようでしたら是非ご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。バンビが1秒でも早く帰ってきてくれるよう、引き続きどうぞどうぞよろしくお願いします。(転載ここまで)-----------------------------------------※機種依存文字部分は修正加工しています。犬を連れ去った人は一日も早く家族のもとに返してあげてください。犬を見かけた方、お心当たりの方は速やかにご連絡ください。
2009年05月24日
コメント(18)
P3/4よりつづき ■横田 滋氏(被害者横田めぐみさんの父、前家族会代表) (今までの拉致問題の経過を簡単に説明。) めぐみの遺骨とされた物証も嘘とわかった。自国民を救うのは国家の責任である。 被害者を救うには制裁の強化しかないと思います。 昭和63年、国家で拉致問題が取り上げられたが、マスコミは報じなかった。 皆さんの支持があってこそ解決につながる。全ての被害者を連れ戻し、解決するには国民の関心と政府への意見を寄せてください。非難するだけではなく、褒めることも大事です。 どうかよろしくお願いします。 ■横田早紀江氏(被害者横田めぐみさんの母、家族会会員) 多くの方々が来場してくださり本当にありがとうございます。 新潟港に蓮池さんたちと共に垂れ幕を張って抗議したり、金正日への手紙を船長に渡したが、日本の港であるにもかかわらず、日本の警備により足止めされ、悪夢のようでした。 多くの人、歌手の方や映画制作など様々な分野のご支援により今日があることを感謝しています。 金賢姫さんとの面会でもめぐみのことがわかり、嬉しいです。 たった12歳のめぐみが突然連れて行かれ、向こうの悪いことのために使われてしまった。私たちはそんなことのためにめぐみを育てたのではありません。普通の子供たちがなぜそんな恐ろしい国のために使われなければならないのか、こんな長い年月拘束されなければならないのか! めぐみの偽の骨を出された時、日本人全員が立ち向かって怒るべきなのです。 この運動が抑圧されてはなりません。国民が一枚岩となり力を貸してください。 ■本間氏(被害者田口八重子さん兄、家族会会員) 北は嘘で固められた国です。嘘の上塗りばかりしています。しかし日本国内にも嘘つき金正日に劣らぬ嘘つきジャーナリストが存在します。それは田原総一郎氏です。 「朝まで生テレビ」で、横田めぐみさん、有元恵子さんは亡くなっていると外務省の人物が言ったと発言した。番組を構成した局長などからも話をきいた。家族会で相談し、言論には言論で対応すべきと西岡さんが抗議の文書を書いて抗議するとしたが、私はそれだけでは済ませられない。 国内のジャーナリストが北の言うことをそのまま信じてどうするのか!?ネットで発言できる人は、田原総一郎氏の発言に対してどんどん抗議してほしい。 ■平野氏(増元るみ子さん姉、家族会会員) 12年前、家族会が声をあげ、救う会が発足したとき、国民は味方ではありませんでした。しかし今は沢山の人に支えられ、活動を続けることができます。 早期解決は、国民はもちろん、国会議員、マスコミ、ジャーナリストの努力が必要不可欠で、党の別など関係無いはずです。国民の命を守るのが国会議員であり、国の使命です。 自民、民主の中にも北の属員がいます。どうか正しい目で人選をして欲しい。 一日も早く家族が逢えるよう、ご協力をお願いします。 ■市川修一さん親族、家族会会員 母は昨年11月に倒れて亡くなりました。母が命をかけて11月15日、日本列島にドキュメントを流しました。母に修一を抱かせることができなかったが、94歳になる父に会わせてあげたい。 修一に2人の子がいると、2006年に目撃証言があります。 スパイ防止法がない日本。なぜ国会議員は立ち上がらないのでしょうか?真剣に取り組んでほしい。北で何百人という日本人が助けを待っているのです。 ■拉致被害者松木さんの姉、家族会会員 2002年に小泉元首相が訪朝したときのことを思い出します。 私たち家族にはもう時間がありません。 母はもう自由に動けない状態になっています。 ■増元照明氏(被害者増元るみ子さんの弟、家族会事務局長) 私たちが米政府へ北の制裁を強化するよう、訴えに行く傍らで、反対のことを主張している政府関係者がいること知り、驚きと憤りを感じた。 ■櫻井よしこ氏 ここで、私たちの決議を確認したいと思います。松原仁さんにお読みいただきます。 ■松原 仁氏 決議(案)を読む。 ■藤野義昭氏 閉会の辞の前にひとこと。 北に対して制裁をするだけで解決するのか?という不安はあります。 核保有国となり。国民が死のうが関係ない国である。日本は核保有、武装を必要としなければならない。 他国に守ってもらう保証は無い。自国は自国で守らなければならない。 唯一の被爆国である日本こそ、核兵器を持つ資格があるのではないか。 オバマ、米国は唯一、核兵器を使った保有国である。 日本は本音だけで勝負するからなかなか事が進まない。 ルーマニアのチャウシェスク首相の運命を、金正日は恐れている。 北の恐れることをやらねばならない。 国際刑事法廷にひきずり出すこと。 被害者を有する国にはたらきかけるべきだ。 救出部隊を組んで救出にいくことだって考えるべきだろう。 ■櫻井よしこ氏 閉会。 4月中旬、米国で会見して感じたことがあります。 日本は憲法を改正し、自衛隊を実行力のある組織に変えることができないのか? 米政権の共和、民主などの人物から指摘された。 日本は現状から脱却すべきだ。米政権は北に対する政策がまだできていない。国内の金融危機が一番の問題だから手がつけられない状態だ。 日本からの発信が重要である。私たちからどんどん正論を伝えていくことが大事。 金融制裁の効果が大きいということを、どんどん伝えることが大事です。 (メモおわり)
2009年05月07日
コメント(0)
P2/4よりつづき ■イ・オクチョル氏(韓国・拉致被害者家族協議会会長) 韓国政府は政府として被害者をまだ一人も救出できていません。北はどのような方法でも被害者を戻さねばならないのに、国際社会から非難されて当然です。北は韓国人被害者はいないといいますがそれは到底信用できません。金正日は卑怯で残酷です。自分たちの政治権力を維持するために被害者の寿命をまっているとしか思えません。どのように解決したらいいのか、真剣に悩むばかりです。 韓国のイ・ミョンパク政権は、拉致問題の解決のため立ち上がると言っていますが、核などの問題もあり言及していません。拉致問題を阻むのは北の核問題です。あきらめず勇気をもって助けてください。私たちは歌手のイ・ガンピルさんに拉致問題のことを話し、彼は日本語で歌をつくってくれました。北によって拉致された人が必ず帰ることを、願いが込められています。詞は日本語で、めぐみさんのことを歌っていますが、全ての被害者を総称して思いを込めています。 ■櫻井よしこ氏(司会・ジャーナリスト) (金賢姫氏から飯塚代表に送られた手紙の日本語訳を代読) ■飯塚耕一郎氏(被害者田口八重子さんの長男、家族会事務局次長) 3月の訪韓にあたり、政府関係者はもとより国民の皆さんにご理解、ご協力いただいたことを深く感謝します。トータル2時間の面会でしたが、あっという間でした。北の発表は嘘であると彼女は言っていました。交通事故なんて、ガソリンすらないところで起きるわけがないと。 私の中で安心を与えられました。当時の母を知る方から直接話をきくことは確かな安心感がありました。彼女は過去10年とても辛い状態であったにもかかわらず、もっと早く会えなかったことを謝っていました。でも、彼女に会うことは、残念ながら(最終的な)成果として捉えるわけにはいきません。あくまで被害者を取り戻すことが成果です。本で読むより直接本人から伝えられたことは安心。日本としてたゆまない救済意志を見せてほしいと願う。日本が対外的に意志表示することが大事だと思う。ひとすじの希望の光を絶対に消してはならない。私や父が喜んだだけで終わってはならないのです。 ■チョー・ガプチェ氏(ジャーナリスト・金賢姫さんの親睦あり) 2006年にこの会場に来ました。その時は2007年の選挙で韓国はもっと拉致問題解決のスタンスになると約束しました。この面会もその政権がもたらした効果です。政権は進むのが遅いけど、着々と進んでいます。北への経済制裁は続いて強化されています。 先週、金賢姫さんと韓国、日本政府で情報交換もありました。10数年ぶりに口を開いた金賢姫氏は、ある意味金正日に対する刃です。 1、スッキが横田さんに日本語を教えられていた。 2、八重子さんは生きている 3、自分に中国語を教えてくれた人は~~であったことが明らかになった。 マカオは中国の領地でもある。中国も拉致被害国である。中国はこれ以上、北を庇わず人権問題を追求するべきである。 北への圧力は、金正日個人への圧力へと強めるべきである。金正日こそ北の脳髄だから。 米国のボルトン氏は、金正日にダイエットさせれば解決できると言った。精神的肉体的に脅威を感じさせて初めて拉致が解決できる。 金正日は兵士に自分を守る爆弾になれと命じている。主がいなくなった国は抜け殻である。 金正日は説得と言葉は通じない。必ず国際刑事裁判に告発されなければならない。 数万人を虐殺した理由でスーダンの国主導者は訴えられています。ならば金正日も裁けない理由はありません。足りないのは勇気だけ。 金正日と意味のない対話をしている間に多くの命が奪われている。 金正日は断罪すべき。それ以上の正義はない。 BDA(バンコデルタアジア)に対する金融制裁は最も効果があり、圧力になるものと思います。共に闘いましょう。 ■キム・デソン氏(自由北朝鮮放送代表副局長) 脱北者と拉致被害者、呼び名は違えと同じ境遇の苦しみを背負っています。私たちは北の住民に直接拉致問題を語りかけています。今、一日5時間半放送することができています。私たちの報道を聴く北の住民が増えています。多くの情報が集まりつつあります。一部の情報によると、西ヨーロッパへ旅行した日本人がホテルで寝ている間に拉致され、日本に帰りたいと泣いていたとのことです。詳しい事実を確認中です。 金正日は来たでは正しい人間と思わされているが、実際は違う。悪人だと解らせることだ。 最近、北を脱出した貿易関係者に会いました。在日朝鮮人の子供です。日本にいる親戚が2年前の11月に200万円送ったそうだが、北では送られた送金は直接本人に渡されるのではなく、労働党の銀行に入れられて、金正日の妹に横取りされてしまいました。家族は闘っても勝ち目はないと泣き寝入りしていた。金正日への陳情書も国家保衛部に摘発され、彼は刑務所に入れられて、その中で米国人や隠しカメラで撮影していた人、牧師なども収監されていたという。彼は幸いそこから出られることができたが、釈放された理由は、日本から来た在日の待遇を良くしろという命令があったからだそうだ。それは、拉致被害者や帰国した在日が逃げ出すことを恐れたからだろう。彼らが逃げて北の実態を公開すると状況が悪くなるので、このように日本の制裁は北の奥深くに効果をあげているといえる。日本の制裁のために北の外貨入手もできなくなっている。 北は、麻薬、偽札など非合法なことばかりで、合法は漁業くらいだ。中国にルートを開こうとしたが、それもうまくいかず、日本から自転車を積んだ船が入港できず途中で待たされている。日本から入らなくなったせいで北の物価も上がっている。日本の対北制裁は効果をあげています。もっともっと圧力をかければ、金政権をおいつめることができます。 ■西岡 力氏(救う会会長代行) 金正日は嘘つきです。きょう配布した政府のパンフを参照してください。日本の制裁はまだ3年しか経っていません。それでも効果があるのです。制裁が効果が無いと言うなら、27年何が効果があったのか?大韓航空機爆破事件は、金正日の直筆の命令書があると金賢姫は証言しています。金正日を追い込まずには拉致は解決しません。 日本から朝鮮総連の不法送金があった。韓国からの送金も去年止まった。今制裁を緩めてはならない。 金正日の嘘をあばいて制裁を強めるしかない。私たちは今それをやっています。 ■西村眞吾氏(拉致議連幹事長) 出席議員の紹介。 ロシアも米国も、解決策を知っていながら一切言わないことがあります。 拉致被害者を救出し、アジアの平和を守るのは日本の核武装しかないということです。 ■櫻井よしこ氏(司会・ジャーナリスト) 来賓紹介。 特定失踪者調査会の皆さん、拉致被害者支援の会の皆さん、中山恭子さんなど。 ■増元照明氏(被害者増元るみ子さんの弟、家族会事務局長) 家族会訴え、挨拶。 P4/4へつづく
2009年05月07日
コメント(0)
P1/4よりつづき ■渡辺 周氏(民主党拉致問題対策本部事務局長) 日本独自のテロ国家指定はできないものか?中川昭一氏とも相談している。 拉致問題を風化させないために、我々日本人が(声を上げ続けねばならない) 私が居る限り、絶対に民主党内の拉致問題を解決させます。 ■上田 勇氏(公明党拉致問題対策委員長・拉致議連役員) (失礼!メモ取りそびれていました) ここで河村官房長官が他所の都合で退席されることになり、櫻井よし子さんが、河村氏に対して発言されました。 ■櫻井よしこ氏(司会・ジャーナリスト) 米国オバマ政権は未だ北への制裁を決めかねています。ヒル氏の融和案では何も解決しないことは火を見るまでも無く明らかです。日本は圧力と交渉そしていざというときは国民を守るための軍事案も辞さないことを、河村官房長官はどうぞ麻生総理に伝えてください。 ■泉田裕彦氏(北朝鮮による拉致被害者を救出する知事の会代行、新潟県知事) 昨年11月に被害者救出のための知事の会を立ち上げましたが、我々日本にとって大変危機感を感じています。 それは、日本は(国民の安全を守る為の)国家という形態を成していなかったということです。30数年前、めぐみちゃんが拉致されたときの(警察のいい加減な捜査)状況からして、そう言えます。 皆さんと一体となり、日本の世論をまとめて団結してほしい。国民の心を一体化するため、皆さんの力を貸してください。 あえて、この場をウォッチしているであろう北朝鮮関係者に言いたい。 “外交の駆け引きパワーに、国家的な戦略ゲームに拉致問題を使わないで欲しい。 拉致被害者を返し、国際的な信頼を拉致問題から示してほしい。” ■上田清司氏(北朝鮮による拉致被害者を救出する知事の会創立メンバー、埼玉県知事) 政府はもっと積極的に拉致問題を広報し、国民の意識に働きかけるべきです。テレビの画面などにテロップで流す方法でもよし、積極的に取り組めばあらゆる方法があるはず。 必ず被害者全員連れ戻すことはできる!皆さんがんばりましょう!! ■深井 明氏(拉致問題地方議会全国協議会会長、埼玉県議会議員) (失礼!メモとりそびれていました。) ■荒木和博氏(特定失踪者問題調査会代表) 問題の根本は、日本国内にあることを痛切に感じている。 政府にはいい政府と悪い政府、どうでもいい政府がある。 国会議員にもいい、悪い、どうでもいい議員がいるが、きょう集まっている議員の方々はいい国会議員でしょう。問題は、政府です。 いい政府の人たちとは常に話し合い、活動している。 拉致に関わる警察の中堅幹部の中には、「日本の世論はなにもしていない。我々警察が進めてきた」などと言う人がいるが、とんでもないことだ。 ブルーリボンバッジだけつけて具体的に動かない人は多い。政府の中にも! それを動かしていかなければならない。 拉致問題はただの疑惑レベルにしか捉えていない人は少なくなったが、動かすのは国民の声である。 それがあれば解決できないことは無い。 米国が動かない、頼りないという話があるが、前へ動かすのは日本の力しかない。 我々特定失踪者調査会としても世論が盛り上がることが重要なのです。 ■海老原 智治氏(北朝鮮に拉致された人々を救援する会チェンマイ代表) 私はタイに11年間居ます。チェンマイを中心に、拉致問題解決のために取り組んでいます。 アセアンで人権機構の議長国でもあります。 1978年、マカオからチェンマイ出身の女性(アノーチャー・パンチョイさん)が拉致されたことが、ジェンキンスさんの証言により明らかになっています。タイでは拉致という言葉を使わずに「行方不明者」という表現を使っているが、北朝鮮内の調査で見つからないという回答しかありません。 タイの拉致被害者家族は、国連へ人権救済の申し立てをする予定です。 ご家族からの手紙を読みます。 「私の妹は、北で生存していると信じています。年老いた母も毎日妹の帰りを待っています。私の願いは、妹を含む全ての被害者が戻ることしかありません。この願いが実現するよう、全ての人にお願いしたい。」 ■櫻井よしこ氏(司会・ジャーナリスト) 拉致被害者は12の国に亘っています。最も多いのは韓国です。 韓国からの訴え、チェ・グアンソクさんです。 ■チェ・グアンソク(朝鮮戦争拉致被害者家族協議会運営委員) 敬愛する日本の皆さん、私は韓国のチェ・グアンソクです。 昨年に続き、2回目の参加となり感謝します。この席が、日本でなく韓国のソウルならいいのにと心から思っています。(韓国では被害者が多いにも関わらず、民間や政府の大規模な活動が盛り上がっていないため。) さきほど、いい政府、悪い政府の話がありました。ぜひ我々のイ・ミョンパク氏にも話して欲しいくらいです。参加の皆さん方に尊敬と感謝の気持ちを伝えます。 昨年、私はこの席で、この会が最後になるといいと言いましたが、残念ながらそうはりませんでした。 来年もしまた日本に来られたら、全ての被害者が戻り、お祝いの席になることを願ってやみません。 北朝鮮の拉致犯罪は、1950年6月25日、北の南侵略による朝鮮戦争から始まりました。 10万人もの南の民間人を北へ拉致していきました。 当時は第二次大戦後の復旧のため、北は有識者を多く必要としていました。あらゆる立場の人が拉致されました。ところがいまだに北は拉致を認めず、彼らは全て自発的に来たのだと言い張っています。 日本に対する態度と同じです。 日本国民の団結に深い感銘を受けています。 朝鮮戦争のとき、私は中学一年で、私の父は警察公務員でした。ソウルが3日で堕ちてしまったために、私の父も南へ非難することができず、拉致されたまま逢えなくなりました。私も70歳過ぎました。夫を北に奪われたまま90歳近い女性が怨みの末亡くなりました。今も待ちつづけている老女が10名以上います。残りの辛い人生をどのくらい生きられるかは解りません。私のような息子世代も70歳を越えました。現韓国政府になる前は拉致に全く関心を示しませんでした。北を刺激すると(面倒だという安直な理由です。)イ・ミョンパク政権になってもまだまだ明らかな好転はみられません。いま韓国では100人以上の議員で拉致被害者や家族の名誉回復と補償を図る法案が制定されるのをまちわびています。皆さんの多くのご支援お願いいたします。 3月に釜山で田口八重子さんごかぞくが金賢姫さんと面会しました。私たちを釈然とさせたできごとでした。北の犯行がどれほど酷いものか、あきらかです。八重子さん、めぐみさん、生きて早く帰ってくることを心から望みます。きょうの大集会が北の政権に対し、拉致を後悔させ、北の未来が拉致被害者を返すことから始まることを、心から解らせることができたらと思います。 韓日米3国の団結の必要性を、帰国後、関係者に伝えたいと思います。 通訳(西岡さんに対し)感謝いたします。 P3/4へつづく
2009年05月07日
コメント(0)
【転載歓迎】 国民大集会 2009年5月6日(水) 日比谷公会堂にて午後2時から5時半 ★集会で決議されたこと。(配布資料より転記) ---------------------------- 決議 昨年9月初め、北朝鮮は「拉致被害者に関する調査やり直し」約束を一方的に破棄した。その少し前、金正日が脳卒中で倒れた。 今年に入り、彼らは米人ジャーナリストと韓国人ビジネスマンを不当に抑留するという一種の拉致事件を起こした。 今年4月にはミサイルを発射し、それへの国際制裁に反発して核開発を再開し、核実験実施を予告した。 我が国は現行制裁の1年延長と送金・携帯金届け出限度額引き下げなどの追加制裁を決めた。追加制裁の理由に拉致が明記されたのは当然のことだが、輸出全面禁止、日朝間の人の往来禁止などが実施されなかったことは、大きな問題で、残念なことであった。 事態は流動化しつつあるが、すべての被害者を取り戻すために、制裁と国際連携で北朝鮮を追い込むという私たちの方針にぶれはない。 今日、私たちは改めて以下のことを強く求める。 1.金正日政権は、すべての拉致被害者を返せ。 2.日本政府は、拉致問題を理由に追加制裁を発動して、ヒト、カネ、モノの流れを止めよ。 3.米国政府は、北朝鮮をテロ支援国として再指定し、金融制裁を再発動せよ。韓国政府は拉致問題解決に真摯に取り組み、拉致解決まで対北支援を停止し、制裁を行え。 平成21年5月6日 「国民大集会」参加者一同 --------------------------- ※以下、集会での講演内容をメモに手書きし、を清書したものです。 言葉の言い回しは必ずしも発言通りではなく、発言全文ではありませんが、参考にしてください。 ■司会 櫻井よしこ氏(ジャーナリスト) ■飯塚繁雄氏(被害者田口八重子さんの兄・家族会代表) 連休中、また、雨の中沢山の方にお集まりいただき、皆さんのパワーを感じます。また集会を開かねばならないという状況と思うと良いことではないと思います。 我々が一致団結し救出を呼びかけていかなければならないことは事実です。 日本はまだまだ一致団結が足りません。 あまりにも(救出に)長い時間がかかりすぎ、我々はひしひしと家族のことを思いながら、いま、この時間も被害者が助けを待っている、早急に解決せねばならないのになかなか解決の糸口が見えないのが残念です。 拉致問題は24時間つねに考え対応していかなければならない。 日韓米が団結してとりくまなければならない。 早く日韓、日韓米の連携をつくらなければならない。 この問題を風化せず前進させるのは国民の世論にかかっています。 日本がどれだけ一致団結できるか、日本の皆さんの世論にかかっています。 絶対あきらめるわけにはいかない。 我々年老いても頑張るのでどうぞ皆さんよろしくお願いします。 ■平沼赳夫氏(北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟会長) テロは継続しています。 米国は(北が新たな犯罪なしに)6ヶ月経ったらテロ国家指定解除するというのは全くおかしい。こんなやりかたで日米間のヒビが入らないわけはない。一昨年、米国は北のテロ国家指定を解除し、そして先月末、家族会と議員連盟で訪米、国務省と話し合いをした。 北は人工衛星と証してミサイルを発射、米国はテロ国家指定を再考すべきだ。 BOD(バンクオブデルタ)の金融封鎖は金正日政権への抑圧に効果があった。再度封鎖すべきだ。 しかしオバマの返事は「圧力より対話」という。我々のことは同情したが彼は無力で頼りない。日本は軍国主義になる必要はないけれど、安全と平和を守る行動をおこさなければならない。 お集まりいただきありがとうございます。我々も家族会とともに取り組んでいきます。 ■河村建夫氏(内閣官房長官・拉致担当大臣、拉致問題対策本部副本部長) 北との約束についてはなんら進展がないまま年月が経ち、政府としてはあらゆる情報のもとで対策に万全を期していきたい。 (他にも原稿を読んで話しておられましたが、政府の無力さを非難し罵倒するヤジ多し) ■櫻井よしこ氏(司会・ジャーナリスト) 聴衆からヤジが多く出ましたが、政府としても大変前向きに取り組んでいることは事実です。金正日政権をさらに追い詰める方向にあります。 ■中川昭一氏(拉致議連会長代行) 北は核やミサイルでお祭り騒ぎをしています。田中均氏は、圧力あっての交渉でしかあの国に対抗する方法はないと言っていました。今後も全力をあげて取り組むことを誓います。 ■古屋圭司氏(自民党拉致問題対策特命委員会委員長) 政府の姿勢がぬるければ背中を圧す意気込みです。 北に対しては圧力なしに対話は生まれないと考えている。 現時点で政府が実行していることは5つある。 1、6ヶ月制裁→1年に延長 2、輸出の全面禁止 3、在日外国人、北からの再入国禁止 4、送金制限 5、朝鮮総連の施設減免措置 我々はしっかり制裁強化していくスタンスをかためていきます。 オバマ新政権を訪ねたが、反応は鈍いというのが正直な感想だ。 新政権に対し、我々のスタンスを明示し、拉致が解決せねば一切譲歩しないことを宣言し、今後もその訴えは続けていく。 キム・ドンスク氏は国連にも拉致問題の重要性を訴え署名もしてくれた。 p2/4へつづく
2009年05月07日
コメント(0)
参加しよう!4/23北朝鮮拉致被害者を救う会・家族会東京連続集会45【転載歓迎】★救う会からのお知らせです すべての拉致被害者を返せ! 北朝鮮の不誠実な対応に追加制裁の発動を! ==================================== ◆◆◆北朝鮮のミサイル発射と日本の対応◆◆◆==================================== 東京連続集会45 ご案内 国際社会の警告にもかかわらず弾道ミサイルを発射した北朝鮮。ミサイル発射の目的、性能は。国際社会の対応は。日本の制裁発動はこれでよいのか。拉致問題も念頭に日本の対応はどうあるべきかを考えます。講師はジャーナリストの恵谷治氏と救う会の西岡力会長代行です。 家族会の方々にも思いを語っていただきます。ぜひご参加ください。 ■日時 平成21年4月23日(木) 午後6時半~8時半 開場6時 ■場所 友愛会館9階 三田会館隣(03-3453-5381) 地下鉄三田線芝公園A1出口1分 JR田町駅徒歩10分 ■参加費 1000円(事前申し込み不要) ■主 催 救う会東京・救う会全国協議会 ■連絡先 救う会事務局 03-3946-5780 FAX03-3946-5784 〒1112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905 被害者奪還の声を政府に伝えましょう独裁政権にとって民主国家の私たちの怒りこそが圧力になります
2009年04月13日
コメント(1)
2009.3.26 会連続集会44・金賢姫と語ったこと p6/6---(つづき)【Q】(会場から質問)金賢姫氏の家族について、両親やきょうだいは生きているのでしょうか?【A】飯塚繁雄氏、耕一郎氏:面会時にはそこまで質問しませんでした。家族については、彼女の口から出ました。私も北に家族が残されているから心配だと。私もあなたと同じように母に逢いたいと、言っていました。実際には家族は今どうなっているのか、全く情報が無いので解らないようです。【Q】(会場からの質問)私の考えとしては、今回の訪問だけではなくて、今年じゅうにもう一度くらいは飯塚さん方だけではなくて、拉致議連の平沼さんや西岡さんや佐々敦行さんなどにも加わっていただいて、面会できないでしょうか。【A】西岡氏色々努力しています。できれば、今回はこちらから行ったので今度はこちらへご招待したいと思います。そのためにも実務的に相談に行きたいと思っています。【Q】(会場からの質問)さきほど、金賢姫さんを参考人として招きたいと話をされていました。とてもいい案だと思うのです。具体的に政府に対してそれを実現してもらうための署名活動などする予定はありますか?【A】西岡氏行政府と立法府は別ですから、議会で決めればいいことで、あとは、彼女が参考人として来る意思があるかどうか。彼女の意思が確認できれば署名などなくてもすぐできることです。ただ彼女は電話も無く、直接連絡がつかないという不便さがあるので、(それらの確認も含めて)一度私が行きたいと思っています。【Q】(会場からの質問)それはそういう形で可能ということ、わかりました。ただ私たちも日頃拉致問題の活動をしながら、常に世論の関心を高める為に話題つくりの必要性を痛感しています。今回は、金賢姫さんと面会が実現したことで少し盛り上がりましたが、【A】西岡氏面会の実現について署名活動は(不要なので)なじまないと思いますが、今はミサイルが発射されようとしている直前で、その中で追加制裁の議論がされているわけですけれども、ミサイルを理由にしてだけ追加制裁が発令されることのないようにしたい。我々は去年の夏以降、北朝鮮のやったこと(再調査をすると言いながら反故にしたこと、さらにミサイル発動など)は大変不誠実なことであり許せない、とにかく拉致問題で怒っているわけです。だから、拉致問題に(対する怒りが)大きな部分を示すごとく追加制裁をしてほしいわけです。それについては現在も署名活動をしていますし、外相でもそのことを日本国民に訴えて、日本政府に訴える、今はまだミサイルが撃たれようとしているときですから、ここが勝負かと思います。私たちの運動方針にも書きましたが、(北朝鮮に対しては)「全面制裁」(を主張します)。モノ、ヒト、カネ、全て止めること。今、輸出はまだ許されているわけです。人の行き来もあります。お金の送金もまだ自由なのです。とにかく全部止めます。(ことを願い、主張します。)もちろんミサイルが撃たれたら制裁の追加になります。しかし、ミサイルが主たる理由にしないためには、今が勝負どころだと思います。ですから、拉致問題についての緊急記者会見をしたいと思っていますし、そういうことは各政党、自民党民主党にもお願いしているところですし、国会でもそういう議論は高まってきているところです。地方議会の中でもそういう意見書はあがっています。【Q】(会場からの質問)安ヨンジュンさんのように、元工作員で脱北し、救出活動をしているかたが沢山いらっしゃることを聞いています。日本は本当に情報が無くて、何も解らず、いつになっても(被害者が)どこにいるのか解らない、助けることもできない、もどかしさを感じています。韓国にいる脱北者の方々から直接情報を集めることができないものでしょうか。西岡氏:ホン先生から直接ご回答いただけますか。【A】ホン先生:私は、韓国でも「救う会」の組織があればできると思います。今、韓国に来ている脱北者は(15000人くらいいます)から、少しずつ(情報を)集めると、大きな○○になります。もうひとつは、韓国で(脱北者が)書いた本があります。その本を見ますと、自分の旦那がシングァンスの密告で処刑されるんですね。もし金大中がシングァンスを北に送還しなかったら、○○の○○が大きく変わったと思うんですね。一番の問題は、私はノムヒョン政権が金正日の共犯になったと(いえる)、拉致の証拠を消すのにも、それから、金賢姫を偽者呼ばわりさせ、死刑囚にさせたのも。シングァンスを北に返したのはいかに(拉致問題に対する悪影響が)大きかったかということです。ここ(会場)に居る皆さんのような(拉致問題に関心の高い)大勢の方々が韓国に居れば、情報の(収集)がこれから期待できると思います。韓国でもそういう運動がありますので、そういう人を紹介したいと思います。【A】西岡 力氏:きょうも韓国の拉致被害者家族の方と電話で話したのですが、5月6日には代表を送ってくださるということですが、今、韓国では戦時中に拉致された被害者の救済のための法律がここで通過するかもしれないというところに来ています。今はそのことに全力を尽くしているようなので、それが一段落したらソウルで国際大会を開きますとのことです。また、代表を送って、ぜひ日本の総理大臣は韓国の被害者家族、ルーマニア、タイの被害者家族などにも何回か会ってくださっているので、そしてアメリカは被害が無いのに、アメリカの大統領は会ってくださいましたから、今回は釜山(での面会)でしたから、飯塚代表がソウルに行かれたときは、会わせていただいた表敬(訪問)もしたいと思いましたが(今回はそういうことになりませんでしたが)、そういうことも含めて民間レベルで韓国政府に○○○ことや、脱北者は色々な団体がありますからそういうところと(以下聞き取れず省略)。最近イ・ミョンパク政権になって少し変わってきていると思います。今までよりも情報が出るようになってきていると思います。【Q】(会場からの質問)韓国の方が国境で風船を飛ばしている件について、その効果は本当にあるのでしょうか?北の国民たちは実際、色々な情報を知ることができているのでしょうか。【A】ホン先生北の場合は今、南(韓国)の出す情報が正しいということはだいたい皆が解ってきているようです。ラジオ(の救出よびかけ)では顔は表示できないので、風船に顔写真などを入れて飛ばそうということも考えています。たとえば先ほど韓国で高校生が拉致された件についても、彼の居所がわかればその関連の人の素性も解るかもしれないなど、拉致被害者の情報がわかると思うのです。【A】西岡 力氏ビラ活動をしている団体は色々あるのですが、一番目立たない(マスコミに出ないように)やっているイ・ミンボクさんという方がいます。特定失踪者調査会が協力してやってきた団体もありますけれど、韓国でもビラを撒くのは脱北者や拉致被害者家族だけではなくて、国民全体に広がりつつあります。実際に技術等を提供して活動しているのがイ・ミンボクさんという方です。かなり大きなビラですが、その中に一部日本人拉致の情報を入れてもらっています。以前見せてもらったのですが、わりと大きな用紙サイズ(A3大?)で、字がいっぱい書いてあります。我々から見ると文字ばかりで嫌だなぁと思うのですが、聞くと、北朝鮮の人々は情報に飢えているので、小さな字で沢山の情報が書いてあるほうがいいそうです。日本人なら絵が多いほうが好まれますが、とにかく北の住民にとっては沢山の文字情報があったほうがいいそうです。かなり大きなサイズのものです。その一部分に「日本人拉致について情報を集めています」と、日本政府や対策本部の連絡先とか自由北朝鮮放送の連絡先や救う会の連絡先など入れてもらうということも韓国の人たちと話をしていまして、全体を拉致のことばかり書いても、北朝鮮の人たちは拉致そのものには関心が無いですから、でも、金正日は拉致のことを認めて謝ったということを書いて、色々な情報の中にいれてもらうということもぜひしたいと思っています。今年ぜひイ・ミンボクさんにも東京に来ていただいて、風船運動の現状を聞き、韓国の国民運動としての風船運動の中で日本としてどう協力できるのか、掲載の一部に拉致をどう入れられるか、議論をしたいと思っています。ここ(集会)にも一度お呼びしたいと思っています。風船については今年もすでに何度か飛ばしているようです。南風が吹く時が飛ばし時なので、これから沢山出ると思います。【Q】(会場からの質問)日本政府はこれまでどういう取り組みでどう動いてきたのか、まさに政府が動いてくれないとラチがあかないという思いです。風化という言葉を実感しています。そのあたりでもし解ることがあれば、これからの取り組みにむけて何を考えなにをしようとしているのか、わかりましたら教えてください。【A】西岡 力氏当面は真剣に追加制裁を進めるだけだと思います。とりあえず4月13日が期限ですが、4ヶ月ごとの。たまたまミサイルがその先(前)になりましたが、その前から野党の中で案がまとまり、与党としても案がまとまり、政府の中で真剣に議論されているという様子を伺っていますが基本的には安全保障の問題としてのミサイル問題でもあるので、ミサイル問題だけに埋没しないように、拉致も理由のひとつなのだということを、対策本部の中では考えていくようになると思います。今回の面会は日本政府の追究がなければ実現しなかったことなので、それはもうほんとに感謝するところです。司会進行、平田氏さきほども話しましたように、国民大集会を5月6日、連休の最終日(水)の午後2時から5時に開催します。日比谷公会堂です。救う会拉致議連で今年も4月から訪米を予定しています。自由北朝鮮放送の集会を米国で、新しいオバマ政権のもとで行うので、救う会の島田副会長、拉致議連からも何人か(同行予定)。連続集会は国民大集会の前か後か、未定です。またご連絡します。本日はどうもありがとうございました。(おわり)
2009年04月13日
コメント(0)
2009.3.26 会連続集会44・金賢姫氏と語ったこと p5/6【Q】(会場からの意見)金賢姫氏の面会で新たに思ったのが、日本政府は一体何をしてきたのか?ということです。今まで(政府関係者は)8回くらいの面会しているわけですよね。その中で、91年には拉致被害者として政府が認定していたわけで、金賢姫さんが書いた本の中にも、拉致被害者の記述がありながら、日本政府も聞いていたはずで、スッキという名前が出ています。スッキを教えていた女の子が居たこと、その女の子はおとなしい子で○○的に弱いところがあるということも明らかになっている。そこまで知っていたということであれば、日本政府が90年代前半にスッキを教えていた女の子に関し非常な関心を持たなければならなかった。でも持たなかった。もしくは気が無かった。そのへんの責任というのは明らかにしないといけないと思います。このときもしスッキを教えていたのがめぐみさんであると、名前はわからないにしても拉致被害者であるということは(知っていただろうし)、そこからめぐみさんという名前を探れば、90年代の前半、彼女は20代の前半ですから工作機関の中枢に入る一歩手前だったのかと、そのときにこの拉致問題とめぐみさんの救出を訴えられたら返してくれた可能性もあるわけです。それを思うと政府の怠慢というか、外交の関係者とか警察関係者か解りませんけれど、拉致被害者に関して(真剣に取り組む姿勢が)ないとか、関心をもっていないとか、そういうとことが顧みられて非常に腹立たしい思いをさせられている。(以下音声不明瞭なので省略)--------------------------------------------------------------------------------ここで、飯塚耕一郎氏(田口八重子さんが拉致された当時まだ1歳だった息子さん)が到着したのでお話を伺うことに。■飯塚耕一郎氏のお話今回の面会において印象的だったのは、韓国政府が拉致問題に対して少なからず譲歩する姿勢が見えたことです。日本に対して、要求をちゃんと飲み込んだ中で設定していただいたということが象徴的だったのかなと思います。(面会できたことは)とても嬉しく思いましたし、一番はじめのフォトセッションの後で彼女と3人で席についた瞬間のことはいまだに鮮明に覚えているのですが、(驚いたのは)親父に向かって「こんなに立派に育てていただいてありがとうございました」と、彼女が感謝の意を述べたことです。それは、裏を返せば彼女は、面会の時にも言っていましたけれども、(私の母、八重子と)姉妹のように向こうで暮らしていて、まるで自分の子供に逢うかのように、そういう意味合いをもってうちの親父に感謝の意を伝えたのだと思います。正直私はそのような言葉は想定しなかったので驚きのあまりだったのですけれど、ただ、韓国国内で何を言われようが一人の人間として、23年前の女性をずっと思い続けて、23年前の女性の子供を思い続け、家族を思い続け、というふうに過ごしてきた、その女性に対して、正直、言葉で何かを伝えるにはすごくシンプルで安っぽいと思ったのですけど、彼女もそれ以上にお互い感謝の気持ちを持っていたというのがとても印象に残っています。面会の中でとても印象に残っているのは、なにより彼女の口から直接、田口八重子さんを含め、87年2月に行った限りでは死亡していないという生の情報を得られたことはとても喜ばしいことだと思いますし、北朝鮮の(嘘の)証言というのがより顕著になったと認識しています。羽田でも会見しましたが、元工作員の女性と直接会えて話ができただけでも純粋に嬉しかったです。その気持ちは絶対潰して欲しくないし、次につなげて欲しいし、そういうことを日本政府は考えていただきたいと思います。麻生首相はこの問題はできるかぎり追究するという主旨で発言されたと思います。それを体現していただければと思います。具体的な行動に移していただければと思います。ここ数日、北朝鮮のミサイル問題が(目立って)報道に出ていますが、ミサイルだけではなくて北朝鮮に対し、日本の固い意志を突きつけることがなにより必要だと思いますし、日本政府が突きつけることによって我々被害者家族の気持ちのどこかの一遍でも救われるのだと、そういうことをひしひしと感じた面会でございます。短いですけれどもこのへんで失礼します。■横田早紀江さん今回、金賢姫さんと待望の面会ができたことを本当に喜ばしく思います。(めぐみと一緒に居た)スッキさんという方のことは以前、帰国した地村さんからも聞いたことがあります。スッキという人はこういう人だということ、地村さんから聞いたのと同じような話しを聞き、(以下音声不明瞭のため省略)とにかく詳しいこと、本当のことが解らないので苛立たしい思いをしています。金賢姫さんの言葉の中で、北朝鮮の自尊心を活かして閉ざされた心を開く方法を考えるべく、努力すれば奇跡は起きるとのことですが、(略)それについて政府がどうすればいいのかが大事な焦点ではないかなと思います。被害者を皆安全に連れ戻す為に、国民や私たちが知恵を絞って、考えていかなければならないと思います。■増元照明氏今回の報道に関し、記者の方も来場されているのでお願いしたいのですが、金賢姫さんに関する報道で多くが「元死刑囚」と肩書きされていましたが、それは金賢姫さんに対して失礼な呼称だと思います。「元工作員」としていただきたい。お知り合いのメディアの方がいらしたらそう伝えてください。それからホン先生に伺いたいのですが、金賢姫さんが北朝鮮の自尊心といっていましたがそれがどういう意味だか解りますでしょうか?■ホン先生私も具体的にはよく解りません。ただ、北はそういう(酷い)ことをしていて、「死んだ人間をまた生き返らせることができる国ですから」という(ような感じで)色々工夫すれば、または(説明を翻すような、希望が)叶うことがありうるという意味で言ったのかなと思うんですね。北のメンツを潰すということは心配がありますし、彼女も(北がメンツを潰されるのを嫌うことを)知っていると思います。何をやるかわからない相手ということもあるのかと思います。実は韓国でも、高校1年のときに拉致をされたというケースが明らかになりましたね。何人かが高校に入ってすぐ(拉致された)ということでしたので、海の近くでぱったり消えたという証言があると、そういうケースも韓国では報道になっているので、もしかしたらその失踪した人も、他に拉致された人の配偶者になっているのかなと推測もされます。日本での熱心な救出運動が、韓国でもだんだん盛り上がってきています。■西岡 力氏金正日政権の間でも「死んだ人が生き返って来る」ことがありうると(以下聞き取れず)金正日が倒れなければ一切の物事が進まないということでもないと(以下聞き取れず)この間安倍元総理が話されていましたが、金賢姫氏の証言についてどう考えるかということですが、「例えば」と前置きし、再調査だとか、調査のやり直しを認めたことなど、本来はそんなことしなくても彼らはわかっているはずだと思いながらも、一応、今まで「死んだ」と言っていた人を「生きていた」と言わせるためには「調査をやりなおした」という手続きをとらせてやらないとメンツが立たないだろうと、そういうことはこちらも考えています、と。「死んでいる」人を「生き返らせる」ために相手のメンツを立てるという点では、日本政府もそういうことを全然考えていないわけではないと、安倍元総理はそう言っていました。私が、もうちょっとどこかに書いておこうかと思うのですが、日本政府は対策本部を作り、安倍政権になって3つのことを要求していますね、その3つのことが拉致問題解決の定義になっています。それは、生存者の安全確保、そして真相究明、3つ目は実行犯の引渡しです。犯人の引渡し、犯人というのは首謀者のことであり、そうなると首謀者は金正日であることは間違いないのですが、金正日政権の間に金正日を引き渡せということをいっても条件闘争にはならない。ということがあるわけで、表現は(それなりに)考えてあるなと私は思いましたし、私はそのことについて反対ではないと考えています。まずは、第一の「生存者を取り戻す」ことが第一ですから。その次にどうするかということ、次の問題については優先順位をつけていますから。そして中山参与とも話しをしたときに、(中山参与も)私も同じ考えだと話していました。「3つの中で私も第一番目を最優先にする」と。「安全確保と全員の帰還。ここは絶対に譲れないけれども、2つめ、3つめについては順番をつけることはありうる」と。「批判されるかもしれませんが私はそういう覚悟です」と。(中山参与は話していました。)そのことも(ふまえて)政府も考えてやっているということだと思うし、もちろん民間で(激しい怒りの声が出るほど)日本人が怒っていることを示すことも大事なことだと思っています。交渉のやりかたもあるが、全ての方法を使っても一日も早く全員を取り戻してもらいたいと思っています。司会進行(平田氏)ありがとうございました。それでは、少し時間がありますので、ひとり質問を1問ずつどうぞ。---2009.3.26 会連続集会44・金賢姫氏と語ったこと p6/6 へつづく
2009年04月13日
コメント(0)
2009.3.26 会連続集会44・金賢姫氏と語ったこと p4/6(西岡 力氏のお話つづき)★拉致した人を工作員教育して失敗(先ほど飯塚繁雄さんから)配布資料には書いていないけれど重要な事実として紹介されたこととして、最初は拉致して連れてきた人間を洗脳して工作員として使おうとしていた事実がある。よど号グループはある意味でそうなった。彼らは自分で行ったのですが。ところがヨーロッパ人を拉致してヨーロッパに送ったら逃げてしまったと。そこも具体的に、いつ逃げたのか聞きたいところですが、思い当たるのはレバノンの人。ヨーロッパで電話をかけさせたら逃げたということ。レバノンの女性4人は拉致されたあとスパイにさせられる予定だったらしい。教官としての訓練ではなくて、暗号の解読のしかたなどの訓練を受けたという。洗脳されたと思ってヨーロッパまで連れて行ったところで逃げられ、拉致された人間は簡単には洗脳されないと理解したようだ。で、教官(として利用すること)になった。ストーリーとしては辻褄が合う。70年代後半に工作機関の中でどういうことを言われていたのか、金正日が76年に工作員の現地化教育を徹底的にするために拉致をしろと命令したという証言は、ひとりの元工作員がしているのですが、金賢姫さんはまさに現地化教育の第一号だったわけですから、教官達から「お前達の教育は金正日の指導によって始まった」ということを絶対聞いているはずなのです。そのへんのことを聞くことによって拉致の規模や人数とか、どの程度やったかなどもう少し詳しく解るかもしれない。もう少し詳しく聞きたいところだ。それから、「テキコウブ」「テキコウチ」のことですが、人民軍にテキコウキョクというところがあり、テキコウブ、テキコウチというところはない。(以下、音声&録音不明瞭の為聞き取れず省略)★金賢姫氏との会見当日の状況について ---------------←(金屏風) ※ ○ ● ○ ★ ※日本政府関係者 ○飯塚繁雄氏 ●金賢姫氏 ○耕一郎氏 ★韓国政府関係者 ○ ←(大きな丸テーブル・卓上に花)飯塚重雄氏:韓国政府関係者は時々金賢姫氏の近くへ寄ってきて耳打ちしていた。西岡 力氏:あるところの情報によると、正確な確認は取れていないが、金賢姫氏は田口さんのことのみ主に話し、他のことは言うなと口止めされているという話しもある。問題の中身についてもあいまいになったり、日本に来て欲しいと伝えたときも「イエス」とも「ノー」とも言わなかった。しかし繰り返し「協力する」という発言はしていた。拉致議連の総会で、議連の先生がたにお願いしたのですが、衆参両院の拉致特別委員会で参考人として(金賢姫氏を)呼んで欲しいと伝えました。(会場から拍手が起こる)警備の問題もありますが、立法府が必要としてすれば日本側が警備をするでしょうし、彼女が旅券法違反の容疑者であるという日本の中での法的立場もあるので、立法府がそちらの都合で呼ぶときに色々なことがかなり深く明らかになると思いますし、そして、一番いいのは5月6日の国民集会に出てきてもらえれば一番いいなと思っていたのですが、そのためにも今言ったような細かいことも聞いていけるよう今後密に連絡できるようにしていきたいと思って、関係者に色々と頼んでいるところであります。(耕一郎さんがまだ到着されないようなので)ホン先生にお話を伺いたいと思います。ホン先生、前の方(壇上)へどうぞ。ちょうど同じ時期に韓国にいらした、早稲田大学のホン先生です。■ホン・ヒョン先生(早稲田大学客員研究員)私は拉致問題については詳しくなくて、皆さんからのお話を聞いて勉強をしている者です。今回、たまたま同じ時期に韓国に行っていました。韓国の世論がどうだったのかということは関心がありました。(途中雑音多く不明瞭のため省略)韓国では、金賢姫氏は偽者ではない、という報道がみられました。拉致が金正日の指示したのではないとか金賢姫氏が偽者であるとか、かつての報道に対し訂正謝罪したのかどうかわからないが、会見に対する疑惑報道などは無かったと思う。金賢姫氏が田口さんの家族と会うための報道をするためには、韓国のテレビ局は自らが間違った報道をし、間違ったほうに導こうとしたこと、謝罪すべきだったと思う。しかしそれをしませんでした。あえて連絡がないから書けなかった、金賢姫が10年以上ぶりに姿をみせたという簡単な報道になってしまった。私の印象では、金賢姫氏はすごく負担を感じていたのではないだろうか、以前から、自分の家族に会いたいとか、日本にも行きたいという話をしたことがあると思うが、日本政府の要請によって韓国当局が(金賢姫氏に)会うようにと伝えられたとき、説明責任のような負担を感じたのではと思う。限られた時間の中で家族にできるだけ伝えようということに集中したと思う。だから本当はそれらの負担を感じないで会える機会があれば、よかったのにと思う。(中略)私の推測ですが、彼女もまた北にいる家族や友人を守らなければならないという意識があると思う。自分が全て話せば(自分の家族や知人が)被害を受けるであろうことも少なからず意識していると思う。という印象を受けました。
2009年04月13日
コメント(0)
2009.3.26 会連続集会44・金賢姫氏と語ったこと p3/6---(つづき)■西岡 力氏のお話面会があった日に韓国にいらしたホン先生がきょう会場にいらしているので、先生にも後ほどお話を伺いたいと思います。★北朝鮮の証言の真実と嘘。配布された資料に「1」,「2」,「3」とフェードがありますが、1は『忘れられない人』に書かれていたことが主だと思います。「2」、にある「コ・ヘオク」という名前について、北の言うことは皆嘘だと思っていたが、そうでないこともあることを認識しました。金賢姫氏も田口さんはコ・ヘオクと呼ばれていたと話していたので本当だったのだと解った。リ・ウネという名前との関係をもう少し聞きたかった。北は田口さんについて、工作員が身分盗用を利用する対象者を1987年6月29日に宮崎県宮崎市青島海岸で本人(田口八重子さん)と会って、○○○に3日間なら観光に行きたいと意向を示したことから特殊工作員が身分を偽装するために連れてきたと言っています。当時、乳が張っていてそれを絞っていたという母親が、3日なら観光旅行に行きたいわと言ったと。それが北朝鮮の公式のいい触れでありまして、耕一郎さんはお母さんのことを覚えていないわけですよね。お母さんは自分を捨てていったと北朝鮮は言っているわけです。母親を奪っただけではなくて愛情までも踏みにじる、人格をも踏みにじるような人だと思っておりますけれども、本の上だけでなく、(直接金賢姫氏から当時の話を聞けたことで)八重子さんが耕一郎さんやお姉さんのことを愛していたのだということを確認できたことは大変意義あることだったと思います。(金賢姫氏との面会は)母親との空白を埋めることでもあると耕一郎さんはおっしゃっていましたが、北朝鮮の酷い嘘だということが確認できたことはよかったと思います。そして改めて北朝鮮の嘘の酷さに怒りを禁じえません。★915病院について915病院について、拉致被害者のための病院というような伝え方がされましたが、拉致被害者のみならず工作機関のための病院です。915というのも、日付からきています。何年かの9月15日に何かがあって名前としてつけられたということです。915病院は、金正日○○大学の若干南のほうにあり、工作員および教官が利用する病院です。蓮池さんたちや地村さんたちもそこを利用したそうです。横田めぐみさんに関する一番はじめの情報は、915病院に入院していた安ヨンジュンさんではない、別の工作員からの情報によるものです。今回新たにわかったことは、北朝鮮の出してきた情報にあった「コ・ヘオク」という名は本当に田口八重子さんにつけられた名前であり、北の出す情報全てが嘘ではなかったということです。★3人の関係、消息について「2」の、83年に田口八重子さんと(金賢姫氏が)別れてから何ヵ月か経ったあとに指導員により顔だけ会わせてもらったということですが、田口さんが金賢姫氏と別れるのが83年3月、そして金賢姫氏は83年の6月まで別の招待所でスッキと一緒に訓練を受けていたとのこと。そしてその年の7月から最初の海外実習に行くことになる。それから、顔を見たのが何ヵ月後ということは83年3月から6月の間?顔を見た状況がどこでどのような状況だったのか詳しく聞きたいところである。「3」つめの85年1月について、スッキという人物が出てくるが、前々回でしたか、田口さんと金賢姫の問題を私がここでお話したときに、田口さんは金賢姫を教え、横田めぐみさんはスッキを教え、金賢姫とスッキは同じ時期に日本人に化ける教育、正確には日本人と中国人に化ける教育を受けさせられていた。日本人化教育と中国人化教育を、この2人は受けています。スッキがいつめぐみさんから教育を受けていたかは定かではないが、今回の面会で明らかになったのは、84年の年末にはたぶん一緒に居たということ。そしてここでもうひとつ明らかになったのは、めぐみさんとスッキだけが一緒にいたのではなくて、八重子さんも一緒にいたということ、3人が一緒にいたということです。今までは、田口さんは金賢姫氏、めぐみさんはスッキ(の教育係)だと思っていたのですが、田口さんとめぐみさんが住んでいる招待所にスッキもいる。ということになっているわけです。で、色々と過去の情報を調べてみると、NHKや産経新聞が報道した内容によると、被害者が平壌の南にあるチュンハグンのチュンヨンジの招待所で、めぐみさんと八重子さんとスッキが一緒に暮らしているのを見たと言っているという証言が伝えられています。その証言と金賢姫氏の言っていた証言は合いますので、間違いないだろうと(思います)。電気事情が悪くて寒いところというのは、チュンハグンのチュンヨンジだと思われます。地村さんは、その後チュンハグンチュンヨンジの招待所に79年11月に入る。蓮池さんは80年の9月に入る。そして田口さんとめぐみさんとスッキは、84年の12月に見られている。田口さんは81年3月から83年3月まで金賢姫氏と暮らしていたわけですね。で、83年3月から84年末までどこにいたのか?金賢姫氏の証言は(自分が海外から)帰ってきたところ、年末に3人が一緒にいるのを見たということですから、いつから一緒に居たかということはわかっていません。84年の年末に3人(田口さん、めぐみさん、スッキ)で居たということだけは確認できたのですが、この3人がいつからそこにいたのか?いつまで居たのか?は不明です。しかしスッキは85年1月から、めぐみさんや田口さんと別れて金賢姫と合流していますから、85年1月にはすでに3人一緒に居なかったことは確かです。蓮池さん達は、いつからというのを知っているはずですし、もう少しそのへんのところ詳しく、チュンヨンジでどういうことがあったのか?(以下聞き取れず)もう一回、スッキとめぐみさんの関係について言いますと、僕らは漠然と81年の3月から83年の3月まで、田口さんが金賢姫氏と暮らしていた時期に、めぐみさんも別なところで(スッキと)一対一で暮らしていたのではないかと思ったのですが、どうもそうではないらしい。そこも金賢姫に聞いてみないと解らないです。この3人で暮らしていた時期はめぐみさんがスッキに教えていた時期なのか、それ以前にもあったのかなかったのか?金賢姫の前の本によると、81年3月から83年3月に金賢姫が日本人化教育を受けた時、スッキは金正日○○○○で工作員の教育を受けていたと、だから私は嫉妬されたと書いてあります。そのへんのことも嘘じゃないと思うのですが。スッキと金賢姫は80年から一緒に行動していまして、スッキと金賢姫が別れるのは2回しかない。81年3月から83年3月。金賢姫が田口さんと会っていたときの20ヶ月別れている。それから84年の7月から12月まで。金賢姫が最初の海外実習に行ったときも別れている。私は前者のほうでめぐみさんに付いていたと思うのですが、今回の証言で後者かと思う。(少なくとも)84年末に会ったというピンポイントだけは明らかになった。いつから(一緒にいたのか)ということは明らかになっていないので、めぐみさんのポラロイド写真を見せてもらったとか、めぐみさんが一緒にいるとき入院したとか、そういう話を(金賢姫が)スッキから聞いたと言っていますが、それはいつ聞いたのか、(それが解れば)その写真がいつの写真で、めぐみさんが入院していたのはいつのことなのか、解ると思う。もうちょっと色々と聞きたいなと思う。ただ、ヒントになることは沢山あったと思う。★田口八重子さん生存説の裏づけそして87年1月から、(金賢姫氏が)マカオから帰ってきて、2月、10月のときに招待所に生活していた運転手に聞いたという話ですが、北朝鮮は86年の7月に田口さんは死亡したと発表しています。だからこの時期が微妙な時期なわけです。死亡したと発表した時期の話である。で、87年2月から3月頃、運転手から田口さんがどこかへ連れて行かれたと言っているわけですけれど、それがいつなのか、86年の7月以後であれば死亡の時期に生きていたという証明になるわけで、そのことについて金賢姫氏が運転手からどういうふうに聞いているのか、そこのところをもう少し具体的に聞きたいところです。帰国した被害者の証言によると、田口さんは86年の春に腰の痛みで入院していると。で、めぐみさんはそこで田口さんと一緒に暮らしていたのがひとりになってしまった、そのあと韓国人拉致被害者の○○○さんがめぐみさんの招待所に顔を見せるようになり、そのあと2人は恋愛して結婚したといえば繋がりますが、田口さんについて言うと、86年春の入院と、86年7月に北朝鮮の死亡説と、○○○○○ 時期の関係をはっきりすることで北朝鮮の説を覆すことに成り得るのではと思います。★田口八重子さんの「結婚」についてそれから、86年に拉致被害者たちが結婚させられたということ、「田口さんが」ではなくて、拉致被害者たちが、ということです。これは記者会見でも彼女は話していますね。テレビの字幕では86年に田口さんが結婚させられたというように翻訳され、見ていた人はそのまま理解したかもしれないが、韓国語を聞いていると“「結婚たちを」させられた”とあり、主語を省略して目的語を複数形にする韓国語の特徴から判断すると、「拉致被害者たちが結婚させられた、と聞いた」ということであり、田口さんが、とは言っていません。で、その「たち」の中に中国人もはいっていたようです。実は中国人拉致被害者については、金賢姫さんは飯塚さんに会う直前に月刊朝鮮の○○○さんに新しい証言をしていたわけです。つまり、84年の5月から6月に、中国から拉致された○○さんから中国語を習った。マカオから拉致された中国人被害者も教官をさせられていたことが解った。結婚させられた被害者がこの○○さんであるか否かは確定できないが、そこも金賢姫氏に聞いてみたい。マカオから2人拉致されたという話がある。○○○○(人名が続くので読み取りにくいところが多々あり省略)2009.3.26 会連続集会44・金賢姫氏と語ったこと p4/6 につづく
2009年04月13日
コメント(0)
2009.3.26 会連続集会44・金賢姫氏と語ったこと p2/6(飯塚繁雄氏のお話つづき)★田口八重子さんの安否・確認情報について八重子の安否については、会談の中では3回か4回、絶対生きていますよ、という言葉をあらわしていました。安否情報については、当時朝鮮名で「コ・ヘオク」という名前をつけられたようで、それは金賢姫も知っていたようで、「リ・ウネ」は明らかに工作用の名前であることが伺われました。83年に八重子と別れてから何ヵ月後に、指導員が「顔だけみせてあげる」と言い、市内に行く途中で八重子の顔だけ見たことがあると言っていました。85年の1月に海外実習から帰ってきてスッキと合流したときに、スッキは、84年末に八重子とめぐみさんと3人で市内から遠く離れた招待所で一緒に生活をしていたと言っていたそうです。彼女いわくそこは電気事情の悪いところでとても寒く、服を何枚も重ね着していたとのことです。そのときも八重子は結婚していたという事実は無かったそうです。85年に八重子が運転手と喧嘩をしたという話がありますが、その時も結婚していなかったとのこと。87年1月に(金賢姫さんが海外実習の)マカオから帰ってきて、2月から10月にかけて招待所に居たが、2月か3月にかけて、運転手から、田口さんはどこに連れて行かれたのか解らないと聞いたそうです。言葉が不正確なので明確ではないが、八重子がどこに連れて行かれたのか、場所がわからないようであった。金賢姫さんは、86年に招待所の人同士で結婚させたという話を人伝てに聞いたので、田口八重子さんも結婚してどこか他の場所に住んでいるのかもしれないと思っていたようです。運転手さんというのは招待所をぐるぐる廻っているので、どこの招待所に誰が居るか、どういう状態かを把握しているらしい。その運転手が知らないというので、招待所ではないところにいるのだと思ったそうです。上からの情報よりも生活に密着した(招待所のおばさんや病院の看護婦、まかない)たちの言うことのほうが情報として確かだとのこと。その中でも誰かが亡くなったとかいう話もなかったとのこと。結婚させられた被害者の中には中国人も居たようです。★拉致被害者を工作員にしようとした北朝鮮ヨーロッパ人の話も少し出たが、工作員として教育したが失敗したとのこと、外国人は工作員には向かない、拉致被害者本人は工作員にはならないということが解り、拉致被害者を工作員教育することはやめたそうである。87年2月か3月、めぐみさんが韓国人と結婚して娘を産んだという話も、横の情報(指導員ではなくて生活に関連する人脈)から得たそうです。以前、蓮池薫さんから、八重子が「テキコウチ」へ行ったという話を聞いたことがあるので尋ねてみたが、テキコウチという固有名詞は無いらしい。いずれにせよ招待所ではないところへ連れて行かれたらしい。先ほども少し話しましたように、(金賢姫さんは)八重子のことを話してあげたいという気持ちが強くあったし、積極的に拉致問題について活動したいと思っていたようです。しかしながらここ数年自分の事情が悪く(憶測だがノムヒョン政権下での自由がなかったことだろう、監視も厳しかったと思う)、NHKの放送でも伝えられたように身動きがとれなかったのだと思う。★金賢姫さんの現状彼女も結婚して子供(女の子)が2人おり、自分も母親になって初めて家族という重要な単位を認識し、工作活動をしていた期間は無駄に過ごしてしまったと思っている、今が自分の本当の姿だと感じているようです。当時の八重子の気持ちがさらによくわかるようになったと言っていました。彼女は母親が北にまだ居る。だから私たちと同じように母親に会いたいという気持ちも強くある。私に対しては耕一郎を見ながら「こんなに立派に育てていただいてありがとうございます」と言っていました。八重子が帰ってきたときにきちんと成人した息子を渡してあげたいという気持ちです。私たちが出した手紙についても、彼女は受け取っていないといっていました。出したという話は聞いていたようだが受け取っていないとのこと。私も2004年頃に手紙を出したが、相手が受け取らなかったといわれて返されたことがある。これはたぶん管理する側が抑えたのだろうと推測できます。★「(八重子さんが帰るまで)私が韓国のお母さんになります」彼女は何回も(耕一郎に向かって)「お母さんは生きていますよ」と話していました。もちろん耕一郎に対する励ましの言葉だと思うのですが、ぜひ希望を持って欲しい、そして感動的なことに「八重子さんが帰ってくるまで自分が韓国のお母さんになってあげます」と耕一郎に言いました。次回は八重子も含めて4人で再会したいですね、と言っていましたけれども、日本の拉致問題に対する取り組みについても全部知っているので、積極的に協力していきたいという意思表示ははっきり言っていました。日本だけではなくて韓国人の被害者もいるし、韓国の現政権では戦時中の拉致被害者や脱北者なども含めた問題に取り組むという政策も挙げているので、金賢姫自身にとっても良いことだと言っていました。ですから、今後も協力を惜しまないという話につながっているのだと思います。★解決の為に、どうしたら…解決の為にどうしたらいいか、特にこちらから問いかけたわけではないが、彼女いわく「北朝鮮の自尊心を活かして閉ざされた心を開く方法を考える」ことだと、そうすれば奇跡は起こると言っていました。北朝鮮は自尊心を傷つけられるのが非常に嫌だということなのでしょうね。私は単に、北朝鮮にちやほやしてお願いして返してくださいと言うのではなく、自尊心を上手く利用した知恵を働かせることなのだと思いますが、彼女の言ったことなのでそのまま伝えましたが、45分間、話しながら時折写真や本を見せたり説明したりしていました。★短い45分間の終わりに私たちから彼女へ渡したものは、私が書いた『妹よ』という本、耕一郎の監修による漫画『母が拉致されたとき僕は1歳だった』、政府発行の拉致問題解決へのパンフレット(青い表紙の)、特定失踪者調査会で出しているポスター、めぐみさんはじめ拉致被害者が載っている写真集、そして以前金賢姫氏が日本に行ったら東京を観光したいと話していたことから、耕一郎が東京の観光案内の本と沖縄のガイドブックを、他に個別の連絡用に私の名刺2枚、耕一郎の名刺を渡しました。最初のセッションではおみやげとしてチーズケーキとハンカチーフを渡しました。八重子が好きだった曲がはいったCDも渡しました。沢山渡したので彼女がそのまま自宅にもって帰ってくれればいいなと思いましたが、実際はどうだか解りません。こんど日本に来てくださいといいましたが、「そうですね、ええ」という感じで明快な返答はありませんでした。今後の課題はあると思うが、今回は大きな出来事だと思う。★この面会を今後に繋げて八重子の様子のみならず、今後これがきっかけになって韓国政府やなんらかの形でつながっていかなければならないと思っています。しかしながら警備が大変で簡単には逢えないなという実感もある。色々なルートで模索していくしかない。彼女はまだ色々なことを知っていると思う。長く北朝鮮に居たのだから、そういう意味では色々な情報をこれからも伝えて欲しい。2009.3.26 会連続集会44・金賢姫氏と語ったこと p3/6 へつづく。次は、西岡 力氏によるお話。
2009年04月13日
コメント(0)
転載歓迎2009.3.26 会連続集会44・金賢姫氏と語ったこと p1/6※今回は現場で必死に書き留める速記は止めて、録音機を持っていって聴き入りました。 録音をもとに文字起こししましたので公開します。ただし、録音が不明瞭で完全に文字 起こし出来なかった部分もありますが、大体発言通りですので、参考にしてください。すべての拉致被害者を返せ! 北朝鮮の不誠実な対応に追加制裁の発動を!===================金賢姫氏と語ったこと 東京連続集会44===================平成21年(2009年)3月26日 木曜日 午後6時半~8時半友愛会館9階(芝公園)にて 飯塚繁雄氏、飯塚耕一郎氏、西岡 力氏、増元照明氏、横田早紀江氏洪 ●(=榮の木を火に)ホン・ヒョン先生(早稲田大学客員研究員)---みなさん、こんばんは。司会・進行、救う会の平田でございます。よろしくお願いします。きょうは44回目の連続集会になります。ご存知のように、先日韓国の釜山で、飯塚繁雄代表が金賢姫さんと面会しました。きょうはその報告をしていただくと共に、西岡代行に解説をしていただきます。耕一郎さん(飯塚氏かつ田口八重子さんの息子さん)は仕事のため、遅れて参ります。それでは最初に飯塚繁雄さんからお話をお願いします。■飯塚繁雄氏のお話こんばんは。色々とありがとうございました。報道でも出ているように、金賢姫さんと面会をしたことについて報告させていただきます。全部が全部、お話できないと思いますが解らないことは後でお訊きいただくということで(お願いします。)今回この金賢姫さんとの面会が実現できたのは、以前から私たちは会いたいという意向を示してはおりましたが、今回、韓国の外務大臣と日本の外務大臣おふたりのお話し合いの中で、調整したところ合意がなされたという経過があります。また、韓国の政権がノムヒョンからイ・ミョンパク政権に変わったことで、拉致問題に対しても同じ方向に向きつつあるということにあります。これはあくまで韓国政府と日本政府が相当に事前に準備をして間違いが無いように非常に気を遣っていただいて、計画から段取りまで相当多くの方のご苦労があったと私は感じております。もちろん、救う会をはじめ、皆さんの応援があったから(実現できた)と思っています。今回(の話では)どうしても、金賢姫との関係で飯塚家(田口八重子)の話が主になってしまいますが、彼女の方としても以前から私たち家族に直接会ってお話したいという意向があったようです。実を言いますと、(金賢姫さんは)韓国に来て大韓航空機の事件を先に証言し、日本語教育に関わった田口八重子のことも話が出ていましたが、その後で、田口八重子と過ごした20ヶ月のことを早く家族に話し伝えたいと思っていたようです。そういう意味ではすべてがそういう方向(今回の面会実現)に向いていたということと、それができたということを私たちは非常に感動しております。皆さんに感謝しています。長い間彼女との面会も望んでいたし、何通かの手紙も出したし、そういう経過もありましたが、今回ようやく面会できたことは拉致問題に関する歴史的な1ページとも思えます。とても感動して帰ってきました。★マスコミの多さ、警備の厳戒さに圧倒されるしかしまだ彼女のほうも全く自由の身ではないようで、警備が相当大変でした。私たち(息子と2人)自身もしっかり警備していただいて安心していたわけですけれども、警備の凄さ、マスコミさんの数や雰囲気には相当ビックリしました。飛行機から降りて出るとき、マスコミさんは、150人くらいはいたと思います。しかも韓国警察が盾を使って、マスコミが私たちに近寄れないように警備をしてもらい、その間を縫いながらバスに乗るという感じでした。バスに乗ってからも、いわゆるパパラッチというのでしょうか、バイクで近寄ってきたり、ワゴン車のサンルーフからカメラを構えて寄ってきたりしていました。ホテルに着いてからも大勢のマスコミをかきわけながら、やっと玄関にたどりついた状況です。体格の良い警備の方が5人くらいで周りを囲んで護ってもらうこともありました。このように非常に厳しい警戒態勢のもと、多くの方の尽力により実現できたことと感じています。★面会場所と現場の様子について釜山の国際展示場、というより会議場で面会しました。予定の面会時間は1時間半と限定されており、最初はもっと時間が欲しいなと思いながらも、決められてしまっている中で彼女との対話を始めたわけです。面会場はちょうどこのくらい(きょうの集会が行われている部屋・150~200人くらいの部屋)だったでしょうか。正面に金屏風があり、中央に丸いテーブル、テーブル上に花が飾ってあり、中央に金賢姫さんそして両脇に私と息子で並んで対話しました。韓国側の警備兼通訳の人が傍についており、私たち日本側も通訳の方がついてくれていました。このような状況の中で、最初会った時フォトセッション(3者がマスコミの前でテレビカメラ等に向けて写真を撮るスタンバイ)があり、そこへ私たちが先に入室し、その後に金賢姫さんが入室し、初めてその場で実物の金賢姫さんを見たわけですけれども、感激しました。壇の上に上がり、まず私のほうから「本当に逢えてよかったです」と言うと、「ありがとうございます」と握手をしました。そして彼女は「私が先にご挨拶すべきです」と言いました。挨拶は5分しかないので、まず「これが息子の耕一郎です」と紹介しました。すると、彼女は耕一郎の顔を見て涙をあふれさせ「抱いてもいいですか?」と言い、報道写真にあるような場面となりました。私も非常に気が動転していましたが、彼女の顔は以前から報道で見知るところでしたが、あまり変わっていないなと思いました。歳は47歳になりましたので若干細身になっていますが、とてもきれいな方だと思いました。先ほども言いましたように、彼女は早くから田口八重子のことを家族に話してあげたいと思っていたようで、面会が始まってから約45分間、彼女のほうがしゃべりっぱなしでした。耕一郎や私の顔を見ながら、田口八重子との20ヶ月の暮らしを細々とお話いただきました。大筋では彼女の著書『忘れられない人』そのままの内容だが、直接本人の口から聞くことは私も耕一郎も相当の感動でした。彼女は優しい表情で時折微笑みを見せながら逐一田口八重子とのことを説明してくれました。彼女は以前、耕一郎の顔をNHKのBS放送で観たそうで、非常に八重子に似ていると、とくに目がよく似ていると言っていました。彼女いわく、田口八重子は西洋的な美人だと言っていました。(私はそう思わないのですが(笑))向こうから見えればそう見えたのかもしれません。やはり彼女が一番気になっていたことは、田口八重子がまだ乳が出る状態で北朝鮮に連れてこられ、乳が張った状態で夜痛くて絞っていたとのこと、そういうこともあったようで、食事も彼女とは好みも違ったようで、食事のときも息子に逢いたいと言っていたようです。もちろん、2人の子供を置いて連れてこられたのだから母として当然辛かったことと思います。向こうで教育に関わっている間はお互いのプライバシーを話してはならないという上からの命令もあり、そうはいってもずっと一緒に居れば少なからずお互いに名前を呼び合ったりしていたそうです。八重子のことは恵ちゃんと呼び、金賢姫のことは玉ちゃんと呼んでいたそうです。恵ちゃんというのは、八重子につけられた朝鮮名の漢字からそう呼ばれたのではと思います。「リ・ウネ」というのは、後で出てきますが、工作用の名前で仮名だといっていました。誰も八重子のことを「リ・ウネ」という名前では把握していないとのことです。生活の自由はなかったけれども、酷い労働をさせられるようなこともなかったようです。一般に言われているように、北朝鮮は外国人には特別扱いで待遇も良く一般の人よりはましな扱いをしていると言っていました。だから飢え死にしたりすることはないと言っていました。どういうわけか八重子は腰痛になっていたとのこと、日本に居る時は聞いたことはなかったが、酷い腰痛で915病院(特別な人が入る病院)に通っていたそうです。招待所で日本のビデオを見たようですが、その後で自由主義(自由行動)をして帰ったこともあるそうです。それが思い出に残っているとのこと。2009.3.26 会連続集会44・金賢姫氏と語ったこと p2/6 へつづく。
2009年04月13日
コメント(0)
朝から猛暑!もう梅雨入りしたらしいけどいっこうに雨が降らず、水不足が心配。暑いけどまだ6月だし…扇風機も出さずに団扇で我慢。いつまで耐えられるか…!?
2007年06月20日
コメント(0)
朝から暑い!チョコラはすっかり回復し、14日に通院して注射をして以来調子が良く、16日の土曜日に念のため再度通院して診てもらったところ、もう注射はいいでしょうとのこと、当面は自宅で錠剤の飲み薬だけでよいことになりました。食欲はあり、朝も早くからねだるようになり一安心!
2007年06月19日
コメント(0)
朝起きたら暑くてどっぷり疲れてしまった。なぜか、子供番組のノッポさんが夢に出てきて、大きな青空のポスターにイラスト入りのサインを書いてくれた。せっかくサイン書いてくれたのに私は眠くて眠くて、悪いなぁと思っているところ目が醒めた。---チョコラは先週から体調を崩して通院中。きのうは食欲があったので自宅で薬を飲ませて済んだけど、きょうは食欲がないので病院へ連れて行った。本人はわりと気分は回復しているようで元気そうだが、食事を摂ってくれないので困る。食事を摂れれば病院に行かなくてもいいんだよ、って意思が伝えられたら、少しは無理して食べてくれるんだろうけど…。チョコラのために鶏のササミやかつおのなまりなどいつでも食べられるように準備してあるのに…。早くちゃんと食べられるようになりますように…。
2007年06月06日
コメント(0)
以前自分が書いた記事を探しに、久々に楽天日記を見にきたら、なんだか勝手が違っていて、過去の記事が探せない(^^;;)以前の楽天日記は「ブログ」に移行されたの?とりあえずテストでアップです。
2007年06月05日
コメント(0)
NSビル(新宿)のクリスマスツリーです。最近はLEDを三角錐型にあしらったデザインが多いみたい!?撮影したのは昼間ですが、夜だともっと綺麗だろうな。ここを通る人が皆、携帯で撮影していました。
2005年12月19日
コメント(0)
寒くてお天気が悪いと食糧事情も良くないようで、ベランダに鳩が尋ねてきます。それを興味深々に眺める猫たち。おいおい、鳩よ、自分が食糧にならないようにね!
2005年12月17日
コメント(2)
姫ってモンじゃありませんが、最近いくらでも眠れてしまう。すっかり外の空気が寒くて、風邪ひいちゃうかも…な弱気な気分は風邪ひく前兆か、その傾向があるから充分睡眠をとって鍛えようとしているのか…。昨日は外出前にちょっと「風邪ひきそう…」な弱気だったので、出かける前に市販の風邪薬を飲んでいきました。そのせいか、すっかり弱気はすっとんでしまった。ご飯も美味しいし、猫も元気。しかし、毎晩私の寝床に7匹も集られたらやはり疲れる~。思うように寝返り打てなくて、我慢してたりするから…。いくらでも眠いのはこのせいもあるかもしれない。(写真はチョコラです。)
2005年12月15日
コメント(0)
…といっても東京はお天気もよくて、日本海側の方々には本当に申し訳ないくらい雪も無く雪掻きの手間もありませんが(まぁこの辺は地代や物価が高いので不公平感はロハにしてください)、かなり寒いです。外の空気に触れると確実に風邪ひきそうで、しかし身体が資本、風邪でダウンしてしまうと仕事にも差し支えるので、軟弱な東京人としては過剰なくらい完全防寒で風邪予防に専念しております。外へ出るときはしっかり着こんで帽子と手袋とマスクは必須。良く寝てよく食べ、お気楽思考でストレスを溜めないことが大事です。毎晩寝る前に猫じゃらしで猫と遊びます。(写真はハルとののです。)
2005年12月14日
コメント(0)
うわ~!!もう年末になってしまった!!今年は2月からYahoo!のブログを始め、すっかりこちらもごぶさたです。しばらくこないうちに色々バージョンアップしてるし、使い方戸惑ってます(笑)楽天日記は書いた日記が自分宛にメール送信されて保存できる機能がGOOD!Yahoo!ブログでは写真や動画も掲載しやすいので気にいってます。一時はぜんぜん重くて大不評でしたけど、慣れちゃった方が使い易い。でも、こちらへも時々書き込みに来ますのでよろしくね>誰かこっそりYahoo!ブログのURL公開しちゃいます。http://blogs.yahoo.co.jp/heartailタイトルは“ココロのシッポ”、よろしく~!!写真はテストがてらアップです。(うちの猫、ネネとハルです。)
2005年12月13日
コメント(0)
ずいぶん久しぶりの書き込みです。最近ヤフーのブログが始まって、開設してみたけど楽天のほうが使いやすかったかなぁと思いつつ、どちらも慣れてしまった方がベストということで…。ひさしぶりにログインしてみたら、楽天日記(そもそもこれがブログというものなのね)もレイアウトがバージョンアップ(?)してて、一般的なブログといわれてるものは皆同じ感じのレイアウトになってしまうということでしょうか。それはそれで、どこのブログも揃えた方が見やすくて結構ですが。楽天日記は掲示と同じに自分宛にメールで残せるのがいいですね。ヤフーブログにもそれなりの特長もあるけど、まだまだこれから改良してほしい点もたくさん。さてこれからどうしましょう…。
2005年02月24日
コメント(0)
午前中、世田谷の羽根木公園の梅まつりに行く。梅といってもまだ少ししか咲いていない。メインは出店や植木市だ。公園を散歩する犬達も皆、お行儀がよくて可愛い。梅まつりは毎年初日から来ているが、私がいつも楽しみいしているのは地域ねこや犬達の他に、地元の方々が営んでいる出店だ。中でもハンディのある方々が作って販売しているクッキーが美味しいので、いつもここで買うのを楽しみにしている。でも、きょうはまだ出店がでていなかった。ちょうど11時をまわったところだったので、梅が丘駅の向こう側まで行って、美登利のお寿司を食べて来た。「ひな寿司セット」お味よし、価格もリーズナブルで嬉しい。だからここのお寿司は流行るのだと思う。去年来た梅まつりも、一昨年も、つい先日のことのようで、一年あっという間だけど、こんなささやかなイベントが気楽で楽しいのだ。夕方は新宿のヒルトンの洋服屋へ、コートをとりにいった。一週間ほど前に一目見て気に入って買ったのだが、そで丈が足りないので直してもらうために預けていた。自宅へ持ち帰ってから、大事にコートカバーをつけたら裾が長いのでカバーの長さが足りず、カバーを2枚つかってつぎはぎしなければならなかった。タンスにも入れない方がいいかもしれないな。ちょいとばかり背が高いと、色々と不便である。でも、とても気に入ったコートが入手できて嬉しい。
2004年02月07日
コメント(0)
昨日、何気なく以前のURLを再度トライしてみたら、あら不思議、なんどやっても表示されなかったきんこさんのHPが表示されてビックリ!あぁよかった!思わずメールしてしまいました。きんこさん、お返事ありがとう。
2004年02月05日
コメント(0)
ずっとサボッていたので書き損なってしまいましたが、小さな彼(彼女?)のためにここに書きとめておこうと思います。2002年12月7日に鍋料理するために買ったニラについてきたちっちゃなちっちゃなカタツムリ。イチゴのプラケースに網張って、いつもキャベツや卵のカラ、霧吹きで水をふいて大切に飼っていたのですが、最近なんだかカラに閉じこもったままの状態で変だなとは思っていたのです。一か月くらい前から動きが鈍くなっていて、心配して中を覗くと、生きていることは確認できたので、冬眠かなぁと思い、気にはしていたのですが、葉を交換したときに葉の陰に置いておいてあげて、動きが鈍い感じはしたけど、顔を出してました。ところが2月2日の日はキャベツの葉のてっぺんに移動してて閉じこもりのまま。次の日もそのまま。不審に思って手にとって中を見てみると…以前と明らかに様子が違う。みずみずしくなくて、あきらかに生命感が感じられない…。いったいどうして??カラの直径は12~3ミリに成長して、まだまだこれからも元気でいてくれるとばかり思っていたのに、いささかショック!今まで些細ながらも世話してきた小さな命。生命がなくなってる、魂がなくなってるということは、私の心の中でものすごい違いであることを痛感し、なんだか気力が抜けてしまいました。でもいったいどうして死んでしまったのだろう?餌に問題があったのだろうか?陽当たりが悪いせいだろうか?孤独で寂しかったせいだろうか?それとも何か病気にかかってしまったのだろうか?それとも、寿命?ネットで調べた飼育方法によると、だいたい寿命は5年くらいだと読んでいました。私が子供の頃に見たカタツムリはもっと大きかったから、当然大きくなるまで成長すると思っていました。いつ昇天してしまったのだろう?それにしても、ちょっと前はキャベツの葉と葉の間にもぐっていたのに、よく見えるてっぺんで最期をむかえていたことは偶然ではないように思います。見えないところにいたら昇天してても気づかなかったし。一晩おいた昨夜、マンションの敷地内の土にカタツムリを埋めました。キャベツの葉にくるんで。小さな生き物だけど、元気で草を食べている頃の様子が脳裏に蘇って、切ない感じです。また野菜を買った時に出会えたらいいな。
2004年02月04日
コメント(0)
久しぶりに楽天日記の「くんだらきんこ」さんのページを観ようと思ったら、表示されませんでした。まさか、まさか、楽天日記を閉鎖してしまったのでしょうか?ご存知の方いましたら教えてください。きんこさんのイラストや日記、とても楽しかったのに。
2004年02月02日
コメント(0)
このまえ最後に書いたのは昨年(2003年)3月だったかな?なんだかずいぶん前のような気がする。でも一昨年(2002年)3月ではないはず。ユニクロで買ったジーンズは夏に青森いったときにはいて行ったのだった。最近はゆるゆるでテロテロで履けません。やっぱ安物はだめね。昨年8月は青森へ行って、12月にまた子猫しかも4匹保護してしまって部屋中猫だらけ。毎晩はしゃぎ廻られるとさすがに疲れる。猫が好きなわけではない。寒空の下、弱い子猫たちが可哀想で放置できないのだ。でもどうしよう。気持ち的に老猫2匹の世話でせいいっぱいなのに。誰か里親になってくれる人いないかな。
2004年01月30日
コメント(0)
藤原紀香のジーンズの広告を見て、ユニクロのお店へでかけた。試着してみてびっくり!全然裾が短いじゃないですか。足はおろか、くるぶしが少し隠れる程度。もっと裾の長い製品はないんですか?とお店の人に訊ねても、ないと言う。え?藤原紀香ってそんなに背が低いの??改めて広告をみるとやっぱり裾は長い。ネットで藤原紀香のプロフィールを調べたら身長は私と同じ。広告ではモデル着用商品として商品名が並記してあるのに、これは完全な詐欺だぁ~!ジーンズの宣伝でこういうことしちゃいけないなぁ。裾の足りない人には別途長いサイズを手配して売るという誠意もないユニクロには大憤慨です。せっかくショップまで足を運んだのに…。あまりにも酷いと思うので、さっきユニクロへ電話して苦情を言いました。同じような思いをした人は多いはず。こういう宣伝や商法にははっきりと抗議しましょ~!>>0120-090-296
2003年03月24日
コメント(0)
埼玉県桶川市で99年10月、元交際相手らから執ような嫌がらせを受けていた女子大生猪野詩織さんが、警察に被害を訴えたにもかかわらず、殺害された桶川事件。国家賠償法に基づく訴訟の判決がきょう、さいたま地裁で言い渡されたが、県警に殺人事件の予見可能性はなく捜査の怠慢と詩織さんの死との因果関係は認められなかったという。昨日の朝日新聞に、埼玉県警が証拠品として押収した詩織さんの携帯から一切のデータが消えていたということを読み、深い怒りを感じていた。さらにきょうの判決内容は、全く不可解である。県警は都合の悪い情報をすべて隠ぺいして今回の判決に導いたと大いに疑わざるをえない。他人の私でさえこんなに悔しいのだから、遺族の方々の怒りは計り知れない。被害の重大さ、被害の事実をこれほどまでに蔑ろにする判決を、心も感情もあるはずの裁判官という生身の人間が下す事が信じられない。なんのための警察か、なんのための裁判か、県警の不備は明らかであり、1人の人間のみならず遺族や周囲の人々を不幸に陥れることになった罪の重さを完全に逃れることになってはならない。それにしてもなぜ携帯のデータが全て消えたの?そんなに簡単に消えてしまうものなの?
2003年02月26日
コメント(0)
寒くなると、毎晩、私の両腕をまくらにして2匹の猫が添い寝する。枕も3等分。下手すると私の頭が隅っこに追いやられてしまう。就寝中、自由に身動きできなくて、朝おきるとけっこう身体がこってたりする。とくにちゃとら(プロフの写真参照)は、常に私の方を向いて、私の顔に自分の手を乗せて寝る。慢性鼻炎&口臭がきついのだが、本人が一番辛いのだろうから、仕方ない。にこっと笑ったようなおだやかな顔ですっかり安心した寝顔はとてもかわいい。
2003年01月07日
コメント(0)
私が毎晩、猫に食事を持っていっているうちの近所の公園では、時々テレビの撮影をやっている。時折、路上や近くのパーキングに大きなロケバスが停まっていると、必ずそのへんでカンテラやライトが明るく光っていて、周囲に、通行者が撮影のさまたげにならないよう番太郎している人がいるのだ。今夜も通りかかったらなにかの撮影をしていた。興味本位で少々立ち止まっていたら、なんと、今夜から始まるドラマ『いつもふたりで』のシーンで、坂口憲二と松たか子がライトに照らされているではないか。はじめに通りかかったのが午後8時すぎで、2度めに通りかかったのが午後11時頃。寒い外で3時間以上も撮影に費やしていたようだ。近くでは裏方スタッフたちが焚き火で暖をとっていた。私は11時頃、猫に食事をやりにいったのだが、まだ終わっていなくて公園にはいれなかった。いつ終わるのかなぁと気になっていたらまおもなく終わって、私が行ったら猫たちも出て来た。撮影は大きな樹の前で行われていた。今後の放映で、公園っぽい背景が出て来たら、うちの近所の公園だ。
2003年01月06日
コメント(0)
もう5日か。実は思い出しながら書いている。この日はなにをしたんだっけ?あ、そうそう!代々木競技場のアイススケートが一般公開日(無料)なので、久しぶりに滑ってみたくなってでかけたんだった。早く出ればいいのにのろのろしてて、午後から出かけたので駐車場にはいるのに30分くらい並んでしまった。しかも、入り口がどこだかわからなくて2~30分時間ロス。結局スケートリンクに上がったのは午後2時すぎくらいかな。ひとりででかけたのだが、入り口で一緒に迷った若い母娘連れと顔見知りになったので、時々リンクでお話したりした。途中、リンクの清掃やアマチュアの選手たちのプレゼンテーションを見たり、ワンポイントレッスンを受けたりしてちょっとコツがつかめて楽しかった。ひとりで行くのは億劫だったけど、行ってみてよかった!また行きたい。
2003年01月05日
コメント(1)
午後から、動物病院の先生のお見舞いにでかけた。とてもきれいで居心地のよさそうな病院で、先生はとてもお元気そうだった。私と母ででかけたが嬉しそうで、談話室でかれこれ2時間近くお話してきた。先生は戦争も体験し、実母不在で義母で苦労したり…など色々話してくれた。何十年もお世話になっていたのに、先生の年齢やフルネームを初めて知ったのが情けない…。誰だっていつまでも若く無い。私達にとってはなくてはならない存在だけど、いつかは閉院しなければならない時が来るのだ。先生は今は身寄りもないらしく、寂しそうだが獣医師という仕事に対する意欲は充分で、頭もしっかり冴えていらっしゃる。とにかく猫のことが本当に好きで、猫の気ままな性格、こびないところが面白いと言っておられた。かかりつけの病院の医師が猫のことを嫌いだと言っていたらしく、「あんたら動物実験で猫や犬をたくさん犠牲にしておいてなに言ってるんだ!」と怒ったそうな。あぁ、動物実験なんて、無くしてほしいが、先生自身も獣医師になるために経験されただろう。でも長年の間、自分の生活をも犠牲にして利益を顧みらず、本当に動物のために尽くしてくれたことをありがたいと思う。これからあとどのくらい医院を継続できるか解らないが、私達もできるかぎりサポートしていかなければ。
2003年01月04日
コメント(0)
東京駅の丸ビルを見に行った。お正月休みとあって、人出もわりと多く、レストランはどこも列ができている。そんな中で、空いている天ぷらやさんにはいった。1000円の天どんで、とても美味しかった。お会計して出る時、なぜか1200円で計算されて…あれ!?たしか入り口には1000円って明示してあるのに。レジの人に言ったら、どうやらお店のミスで価格表を間違えて置いていたらしい。ちょっとせこいとは思ったけど、“これはあくまでお店のミスよね~!”な態度を貫き、差額を返していただいた。でもほんと、美味しかったので、また行きたいと思うから、きちんと対応してもらってよかったです。
2003年01月03日
コメント(0)
昨夜カウントダウンのチャンネルをどこに合わせようかと思い、2年前の日本テレビの大失態を思い出して、日本テレビは避けた(笑)。結局ジャニーズの画面でカウントダウン、一陽来復のお守りを貼付けてから、近所の神社へ初詣でに。並んで、たき火にあたって、お参りして、おとそをいただいて、おみくじひいて、甘酒いただいて、そして、同じようにいつもきている肩乗りワンちゃんに会って、帰宅。ヴァイオリンを弱音で弾きながらパソコンからちょこっとメール書いて、就寝。朝、9時に出て実家の両親と明治神宮へ。今年は例年よりもずっと人が少なかった。雪予報があったせいだろうか?確かにごく僅かに雪はちらついたけれどもほとんど影響なく、寒さもほどほど、楽にお参りできた。その後、ばからしいとは思いつつも、毎年恒例なので、神宮の中の休憩所で食事をした。やきそばもお好み焼きも、うどん、そばなど、すべて650円以上は高い!以前はもっと安かった。初詣でで、しかも神宮の中なのだからもっと良心的な値段にしてほしいものである。格別に美味しいわけでもなし。…ばからしいと思いつつも、毎年恒例なので、つい食べてしまうのである。お昼過ぎに帰宅。届いている年賀状を見て楽しむ。(郵便屋さんありがとう)。しばらく時間をおいてから、お雑煮とおせちをつまみ、インターネットを見る。…あぁ、他に何をしよう。なんとなくビデオを観る気もせず、きのうは一日中ヴァイオリンを持っていたので、きょうはいいか、少々寝不足だったのでお昼寝。今年の1日めはこんな感じで終わってしまった。
2003年01月01日
コメント(1)
朝9時、早稲田の穴八幡へ一陽来復のお札を領けてもらいにいく。昨年は冬至の、しかも一番混雑する時間に行ってしまって散々な思いをした。今年は楽々、並ばずにすぐに入手できた。そして新宿の伊勢丹の地下へ、お正月の食材を買いに。朝一番だというのに駐車場は入る車が並んでいる。パーク内を順に上がって行って6階に停めることができた。地下の食料品売り場はまるで日曜の閉店間際のように混雑している。カマボコ、伊達巻き、蕎麦、そしてマグロの中トロの切り身を買った。ここでお店の人と意気投合(?)して、ちゃっかり猫用にアラを沢山いただいてきた(笑)<帰宅して見てみたら、アラといえど脂身の乗った上質なトロだ。ちょっと人間たちも食べちゃったりして(^^)内外の猫たちのお正月用に切り分けた。今夜12時には一陽来復のお守りを貼る。日本中で多くの人たちが同じ時間に同じことをしていると思うと、可笑しい(笑)
2002年12月31日
コメント(0)
夕方、新大久保のヴァイオリン店へ、新しい顎当てを買いに行った。自分のヴァイオリンを持って。そのお店は駅のすぐ近くの路地をはいった奥にあった。店頭には大きなコントラバス、入ると奥には沢山のヴァイオリンが並べてあった。お客は1人だけ。その人が新しいバイオリンを抱えている姿を一目みて、全くの初心者だということがわかった。これから始めるためのヴァイオリンを買いに来たのだろう。私は自分のヴァイオリンの顎当てをお店の人に交換してもらいながらヴァイオリンのことを色々尋ねた。弓による音の違いや高価なヴァイオリンとの違いなど、店員さんが弾いて聞かせてくれた。私の安価なヴァイオリンでも、高価な良質の弓を使って弾くと、たいへん深みのあるなめらかな音質が出ることを知った。その弓は30万以上する。きくところによると、使われている木材の質が異なるとのことで、見た目は全く同じ弓でもその質の違いが生み出す音の違いにはけっこう感動した。それと、高価なヴァイオリンの音色との違いなど、実際に弾いてくれて耳で比較できたのでとても面白かった。うーん、また遊びにいきたいなぁ(笑)そういえば、時々お店を覗いて日頃から見ておくこともいい楽器を選ぶコツですよと言っていた。そのうちまた覗いてみよう。夜、実家の母から聞いた。例の動物病院の獣医師さんが、回診にきてくれたとのこと。先生は元気そうで、スリッパのままだったそうだ。一時退院(?)というか、抜け出て来たみたいな…(笑)さほど具合は悪くなさそうだが、居候の猫達のことが心配なのと、患者さんたちが心配なのとで、知人の獣医師の車に乗せてもらって回診にきたとのこと。しかしこの知人の獣医師というのが曲者(^^;;)。巷でもすごく評判が悪い。先生とは正反対で、ふんだくりやなのだ。しかし、先生にとっては何か「借り」のようなものがあるらしい。持病の猫に注射を打ってもらい、薬を出してもらって1万円とられたと母が嘆いていた。(ふんだくり獣医師が自分の医療道具や薬を車に積んで来たので、注射も打ったとのこと。)でもめったにあることでもないからしかたがないやと。先生は、大変申し訳なさそうに「すみません」と言っていたそうだ。先生はこっそり自分の懐から常備薬をたくさん置いていってくれた。先日診療所を掃除したことを話したら、やはり助かったとのことと、申し訳ないとのことと、安心してた。きれいになっている診療所を見て、獣医師会がこぞってやったのではと内心、心配していたようだ。私から詳しいことが聞けなかったのが残念だが、たぶん新年からはまた元気に復帰してくださるのだろう。とりあえずお元気そうなので安心した。
2002年12月30日
コメント(0)
きょうはいいお天気なのだが空気がすごく冷たくて風が強いため、日ざしでもたいへん寒い!!午後、日頃から気になっていた近所の動物病院へお掃除にでかけた。30年以上もお世話になっているこの病院は古くて小さい家屋で、医師が一人だけで診療している。通常診療は1回1000円で診ていただけるので、とても助かっている。…でなければ、我が家で常時、数匹ものノラを保護して飼育しつづけるのは困難だったろう。安く診てくださる先生がいてこそ、といつも思っていた。先生は近所のノラたちの世話もしていて、この診療所はノラたちの憩いの場でもある。診療所の中にいつでも出入りできるようになっていて、食事もそこで与えているのだが、先生も高齢になるにつれ、そうじや片付けが困難になってきたらしく、最近は、ちらかり放題の状態になっていた。ところが一週間ほど前から「しばらく休診します」の貼り紙が…。毎日ここに食事を食べに来る猫たちの状態はいかばかりか、様子を見に行ったら、扉はカギが空いたままになっていて(まさに廃虚のような状態だから無防備でも大丈夫なカンジ)、食事は誰かが差し入れているらしい。一安心したが、相変わらずの荒れ放題。診療所にはいろうとしたとき偶然、一人の女性が居合わせた。患者さんかな?と思ったら、動物医療用の薬やさんで、注文の品を届けにきたという。先生の居場所もわからなかったので、尋ねたら、どうやら新宿の病院に入院しているらしい。で、この注文はいつ発注されたのか尋ねたら、今日、電話で注文があったという。その女性が直接受けたわけでは無いので本人からの電話かどうかわからないが、どうやら、まもなく先生は退院してこちらへもどられる気配…。でも、あまりにもゴミが散らかったまま、荒れ放題の診療所は放って置けず、掃除を始めた。以前から掃除を申し出てはいたのだが、医療ゴミもあるからということで、掃除できなかったのだ。常連のネコたちが人の気配を感じて診療所に集まってきた。ねこ缶、紙ゴミ、そして医療ゴミと、触ると危険なものもあるので、かなり積もった状態からゴミ拾い具で分別して袋に入れた。約2時間弱、いただろうか。ひととおり床に落ちているものはすべて片付けたら、すっきりした。先生、戻ってきたら驚くだろう。でも高齢の先生には一人では掃除しきれない。これからも時々、掃除をしにいこうと思う。長年お世話になっている恩返しに。
2002年12月27日
コメント(1)
せっかくのいい休日なのに…がっかり。相方は出勤のため、ひとりぼっち(;;)昨日、映画「K-19」を観た。1961年、ソビエトの原子力潜水艦の事故の実話だが、観終わったあとで、数年前ロシアの潜水艦が沈没し、船内に多数の乗組員を封印したまま救助もせず放置した事件があったことを思い出した。40年前の惨状は今も変わっていない。それと、原発の恐ろしさ、放射能の恐さがひしひし伝わって来て、ゆうべ寝ながら思い出してしまった。
2002年12月23日
コメント(1)
午前中、ヴァイオリンのレッスンにでかけた。かれこれ10日くらい前からひき始めた風邪がまだ完治せず、しかもゆうべは徹夜仕事で寝たのが4時頃。しかも頭がさえているとなかなか寝つけなくて、案の定、起きなければならない時間になってどっと眠気が…。でも頑張って起きて、レッスンにでかけた。自転車で15分くらいのところなのでとても便利。それでも5分ほど遅れてしまった。マスクをしながらレッスンを受ける。まだ初歩なのでボーイングの細かい操作の手ほどきを受けるのが主だ。左手はまぁまぁなので、簡単なメロディはお得意。ヴァイオリンはボーイングが重要で、下手な手癖をつけてしまうと後々直すのが大変なので、しっかりと正しい操作法を覚えなければならない。ピアノも好きだけど、ヴァイオリンもすごく奥が深くて面白い。まだまだきれいな音は出せないけれど、抱えて弓をひくのがなんとも心地よい。地道に練習して身に付けたいと思う。そこそこ人前で弾けるくらいのいい音が出せるようになることが、まず第一目標だ。
2002年12月20日
コメント(1)
来週はもう25日、クリスマスだ~。でも22~23日が連休だから、この日にクリスマスする人、多いんだろうなぁ?…で、25日は仕事詰めとか!?今年はトップスのチョコレートケーキに、別売の飾りを載せてクリスマスケーキにしようかな。
2002年12月18日
コメント(0)
今月はコンサートラッシュだ(^^)きょうは、羽田健太郎のピアノ&トーク&大谷康子のヴァイオリンコンサートにでかけた。テレビ朝日『題名のない音楽会21』で司会を勤める羽田健太郎はジョークも饒舌ですごく楽しいピアニスト。その演奏は豪快だ。クラシックを少しと自作のポピュラー、ジャズ風アレンジでの演奏を楽しんだが、羽田氏は特にポピュラー&ジャズがすごくいい。クラシックは弾かなくていいから、こんどはこっちの方を主体に聴きたいな。それと、コラボレーション参加の大谷康子氏のヴァイオリンはもーー抜群!アンコールでは客席の後ろから会場に入って演奏しながら客席内を歩き回ると言うサービスには大感激!2人とも人柄もすごく良くて、聴きごたえのある楽しいコンサートでした。帰る路すがら、私はヴァイオリンが弾きたくてウズウズしていた。深夜に極々小さな音で少し弾いたのであった。
2002年12月14日
コメント(2)
待ちに待った劇団四季の新しい舞台「海」での柿落とし公演、『マンマ・ミーア』へ。今月1日にオープンしたばかりの汐留の高層ビルも初めてなので、少し早めにでかけて散策した。46階のスカイレストランからの眺めは最高!残念ながら空中がガスっていて澄み渡ってはいなかったが、夕焼けや海が見渡せてとってもロマンチック。それを最善に演出するレストランの2人席はいつか絶対座ってみたいところ。きょうは指を加えて素通りしてきた。高層ビルの中のレストランやお店をみていたら、「はなまるマーケット」の取材であろう、コメディアンのTAKE2が撮影陣と共にフロアを歩いていた。午後7時からいよいよ『マンマ・ミーア』の公演。ABBAの曲で構成されていておもわず踊りたくなってしまう楽しい舞台だった。
2002年12月12日
コメント(1)
午後から友人と六本木へ行く。カナダで入ったハードロックカフェが気に入ったようで、六本木のお店も観てみようということになった。六本木へはほとんど行かないが、およそ昼間が不似合いな場所だ。夜間のゴミが外に出されているので、やたら汚い部分ばかり目立つ。ハードロックカフェも、昼間向けのためか店内の音楽もフツーのカフェ程度の音量で大人しい感じ。ちょっと拍子抜けしてしまった。ま、とりあえず観てみないとわからないということで。まだ時差ぼけの抜けていない友人は、胃の中が昼夜逆転している様子(笑)
2002年12月08日
コメント(0)
昨夜、カナダに出張していた友人が帰国した。おみやげのアイスワインがすごく美味しくて大感激!今夜は「おかえりなさい鍋」でささやかにパーティをすることに。前半は水炊きで、後半はキムチ鍋にするつもりでキムチを投入したが、うーん、辛味が足りなくて中途半端な味になってしまった。ふと気付いたら、テレビでK-1の試合が始まっていた。スポーツ好きの友人はカナダからわざわざ電話で録画を頼んでくるほど。野球にサッカーに。きょうはK-1か。テレビに釘付けで挌闘する選手にすっかり感情移入して、吼えるわ唸るわ…。夢中ではしゃぐ彼を見ているほうが面白かった。
2002年12月07日
コメント(0)
冷凍庫の奥に半年前のレアーチーズケーキが残っていた。捨ててしまおうかと思ったけど胸が痛み、かじってみた。本来のしっとり感は無くなってカラカラっぽくなっている。冷凍庫臭もあってマズいがチーズ系だから食べられないわけではない。最近テレビでよく目にする北朝鮮の飢えた子供たちの姿が目にうかんだ。彼等にとってはこんなものでも御馳走になってしまうだろう。私だって、万一、今、大災害が起こって、食料の入手が困難になったらこれを大事にして食い繋ぐはずだ。 …そう考えたら、まずくても少しずつ食べて消化させようと思う。食べ忘れた自分への罰にも。 かくして乾燥レアチーズケーキは冷凍庫に戻される事になった。
2002年11月26日
コメント(2)
きょうもすっかり曇っている。紅葉のきれいな時期だから、晴れたら写真撮りにいこうと思っていたのだが週末もお天気悪そうだ。ここ数日は急に仕事が増えて忙しくなってしまったのだが、なかなか進まずに焦っている。こんな日記を書く余裕もないのだけど、書かなければダントツにはかどるというわけでもないので、書く。『海馬』という本に書かれている“やりはじめないとやる気はでない”というのを頼りに、とにかくアイデアを考えなければ…。締めきりになっても「できませんでしたぁ」なんて、絶対言えないし。ま、私のことだから間際にどうにかなるもんだが、やっぱり余裕もっていいもの作りたいし。昨夜、高円宮さまが急逝された。スカッシュをしている最中に倒れてそのまま…。まだ47歳という若さなのに。交通事故でもなく、まったく元気だった人を突然亡くすなんて、周囲の人々はどれだけショックで辛いだろう。生命って、いつどうなるか解らない恐ろしさを目の当たりにしたような気持ちだ。元気で暮らせていて突然ぽっくり、というのは理想的な終わりかたではあるが、あまりにも若すぎて…。御冥福をお祈りいたします。毎日を悔いのないように生きなければ。
2002年11月22日
コメント(0)
きょうから楽天日記の入力メールが送られて来た(って、自分で何気なく登録しちゃったんだけど)。最近、毎日書くことに飽きてしまったので、ちょっとうるさいかも(笑)。でも試しに送信してみることにする。きょうは曇り。きょうから家のすぐ近くにオリジン弁当がオープンすることになった。以前ファミリーマートがあったところで、本当はコンビニがあったほうが色々便利なんだけど、道路拡張のために店鋪スペースがすごく狭くなってしまい、コンビニ復活ならず、しばらく空き店鋪のままだったのだがようやくオリジンが開店したといったところだ。さっそく行ってみた。試しにお惣菜を少々買ってみる。…ない。新装開店だから、サービスとか、おまけとか、、。期待してたのに(笑)がっかり。ついでに書くと、以前、他の場所のオリジン弁当で買い物したとき、自分で計る秤とお会計で計る秤とで、重さが異なった事があった。自分で計る秤では、100グラムちょうどだったのに、お会計秤では10%くらい多いのだ!これが逆ならまだいいけれども、これでは少しでも多く買わせようとしていると思われてもしかたない。これは酷いのでその場で苦情を言ったが、店員は悪びれもせず“じゃ、減量しましょうか”と言うだけなのには呆れた。たいていの人は黙認してしまうのだろうが、金額や量の問題ではない。誤った秤で商売するのは、れっきとした違法行為だ。些細なことではあるけど、量り売りを商売にするからには、きちんとしてほしいと思う。みんなも、黙認せずに注意しよう。
2002年11月21日
コメント(1)
昨夜、渋谷のオーチャードホールへ、ジェシー・ノーマンのソプラノリサイタルにでかけた。情けないことに、この歌手についてほとんど何も知らなかったのだが、“とにかくすごい人”という評判で、チケットを入手したのだ。私のチープなボキャブラリで表現できる言葉が見つからないのが悔しい。とにかく今まで聴いたソプラノ歌手の中でいちばん凄かった!熱狂的なファンが多いのもうなずける。本当に聴きに行ってよかった!最終公演のためもあってか、アンコールには総立ちのスタンディングオベーション。ジェシーも大感激したようで6~7回も応えてくれて、まさにエンドレスのような状況だった。2階の中央あたりの席にいたのだが、1階席の熱気にたまらず舞台前まで拍手に出て行き、最後のアンコールではまさに目の前1メートルのところで“アメージング・グレース”を聴くことができた。本当にすばらしいリサイタルだった。ぜひまた次の機会にでかけたい。
2002年11月20日
コメント(0)
きょう、午後1時頃と7時半頃に東の空にしし座流星群が現れるそうだ。でも午後1時は昼間だから見えない。午後7時半は…残念ながら今夜はコンサート会場にいて空を仰げない。でも都会の夜は明るくて、ほとんど見づらいだろう。夜遅くにでも少し空を眺めてみようかな。思えば昨年のこの日(18日だっけ?)は大当たり年で、都会の空でも1時間に100個以上の大きな流れ星が見えて、感動した。あれから早1年経ってしまったんだなぁ。。。その時に密かに強く願ったことが今、現実味を帯びて来ているのはやはりしし座流星群のおかげかも。今夜はぜひお礼をしなくちゃ。
2002年11月19日
コメント(0)
全256件 (256件中 1-50件目)
![]()

![]()