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一向に回復しない娘はパリの病院へ行くことを決め、看護婦さんが救急車を呼ぶために電話をかけてくれました。すると、あろうことか救急車は全部出払っていて1台も来られない というのですとなると、残る手段はタクシーしかありません。ところが何たる不運!ちょうどこの日で学校が終わり、明日からはクリスマス休暇という金曜日の午後5時、まさにベルサイユ市民全員が、家族でディナーに、あるいはパリまでお出かけに、はたまた旅行のため空港へと、どっと動き出した瞬間だったのです!電話帳に載っているタクシー会社に片っ端から電話をしますが、1台もつかまりません。30分もあちらこちらに電話しまくり、どうにか1台が来てくれることになりました。さあ、ここからがまた大変なのです。何しろ狭いベルサイユ市内の道路が、車であふれ返っている状態。宮殿のまわりも大渋滞です。これではいつになったらタクシーが来るかわかったものではありません。しかも、指定した場所まで来てお客が見当たらなかったら、ここらのタクシーの運ちゃんはさっさと行ってしまう というのですから、油断できません。寒空の下、タクシーを見逃さないようにひたすら前を見続けます。看護婦さんがずっと一緒にいてくれて、明るい笑顔でわざと面白いことを言って励ましてくれます。そして聞いた耳を疑うほど衝撃的な言葉。「決して病人であると気づかれないように。病人であるとわかったら、どんな場所にいようがすぐに降ろされてしまいます」えーっ!! 外は凍える寒さ、雨も降っています。タクシーから放り出されたら死んでしまうかも・・・ タクシーの中ではそれはもう大変でしたので、ホテルに到着したときは心からほっとしました。ホテルドクターを呼んでもらって処方された薬をのませます。帰国は明日の午前です。こんな調子で12時間のフライトに耐えられるのでしょうか?ドクターの答えは自信をもって 「Yes!」翌日も状態はさほど変わらず、空港では車椅子で移動するといった具合。それでも何とか成田に到着し、車で迎えに来てくれた長男の顔を見たときには涙が出そうになりました。結局、風邪だったのか食あたりだったのか、わからずじまいです。数日ですっかり元の元気な娘に戻りました。二度としたくない経験をしましたが、フランス人の優しさ に触れたことだけは今でも心が温かくなる思い出です。思えばこの旅で出会ったたくさんのフランスの人たちは、ひとり残らず親切で優しかったのです。私たちは前よりいっそうフランスが大好きになりました。入り口しか見ることのできなかったベルサイユ宮殿にいつかまた必ず行こうと思っています。 余談ですが、このときかかった医療費、タクシー代の全ては保険でカバーできましたが、現地の保険会社の対応は実に事務的で、「日本語の通じる病院を紹介する」ことくらいしか役に立たないことがわかりました。しかも、こういう状況の中でもしっかりと領収書をもらっておいたり、ドクターに診断書を書いていただくことが保険金請求のために必要なので、パニックになっている暇はありません。なかなか大変なことです。いざという時を想定して、心構えだけはしておく必要があると痛感しました。
June 19, 2007
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ベルサイユ宮殿にたどりついた途端、医務室へ担ぎ込まれるはめになってしまった長女。観光客の見学コースからは見えない所にあって、宮殿で働く大勢の人の健康診断をするのが主な役割なんだそうです。一応いろんな手当てができそうな設備の整った処置室が2つと、お手洗い、ドクターの部屋などが並んでいます。40前後のふたりの看護婦さんが私に、これまでのいきさつや思い当たる原因などを聞いてきます。ひとりの看護婦さんは英語が流暢で本当に助かりました。まずは 「妊娠ではありませんか?」 と聞かれ、「No!」そうこうしていると、女のドクターの登場です。すごくおしゃれなシャツとスカートにインパクトのあるベルトをしめて、宝石輝くネックレスをしています。白衣は着ていません。かっちょいい~ところがこの女医さん、英語が全く話せません。しかたがないので息も絶え絶えに苦しんでいる娘本人が、第二外国語で1年間勉強しただけのフランス語で応答します。けっこう通じるものだと妙に感心・・・診察しても原因ははっきりとはわからず、風邪や疲れからくる胃腸炎か、昨夜食べたものが悪かったかくらいしか考えられません。でも食べ物は全部3人でシェアしながら食べたので、食中毒は考えにくいと思います。飲み薬をもらって様子を見ますが一向に良くなる気配なし。ここでフランスでは吐き気のあるときに 「コーラ」 を飲むということを教わります。炭酸が胃の調子を整えるのと、血糖値が下がっているからコーラに含まれる砂糖が役に立つのです。カフェテリアでコーラを買ってきて飲ませてみます。(この後帰国するまでの2日間、物が食べられない娘は何本ものコーラを飲むことになるのです )看護婦さんはお腹と背中にホットパッドを当ててくれ、頭には氷枕を用意してくれ、顔をふいてくれたり、しょっちゅう手やおでこを触ったりして励ましてくれます。血圧や血糖値を測ったり、4種類の子供用シリアルを持ってきてすすめてくれたりもしました。彼女たちの心のこもった看護や励ましが、心細い私たちにとってはとても支えになりました。なんとか薬が効いてくれないかと待つのですが、ここへ来たのが10時すぎ、今はもう3時近くです。 容態はむしろ悪化の一途。宮殿の見学は5時で終わり、職員たちも帰宅します。看護婦さんが聞きます 「救急車を呼んで、パリの病院かホテルへ戻りますか? それともベルサイユ市内の病院へ行きますか?」 <つづく>
June 17, 2007
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さてさて、女3人のパリの旅も残すところ2日となったこの日、私たちは 「ベルサイユ宮殿」 へと向かいました。ベルばら世代の私と、私の薦めでベルばらを読んだことのある娘たちの、一度は訪れてみたかった場所です。旅の締めくくりにこれ以上の場所はないでしょう 朝からちょっと胃の具合が良くないという長女は胃腸薬をのんで出発です。サンラザール駅からSNCF(国鉄)に乗り、下車したら徒歩15分。タクシーに乗ってもいいでしょう。 普段の私たちなら何ということもない道のり。ところがどこの駅前にでも普通にあると信じていたタクシー乗り場が、信じられないことにベルサイユの最寄駅にはないのです! しかたがないので流しのタクシーを拾おうと思い歩き始めました。が、タクシーはおろか車そのものもあまり通らないような寂しい住宅地。降りる駅を間違えたのかと思うほどひっそりと静まり返っています・・・ 本当に意外なほど普通の街並みを抜けると、いきなり宮殿の塀が現れました。ここまでに娘の体調は徐々に悪化してきており、やっと宮殿内に入りチケットを買う頃には猛烈な吐き気でトイレを出られない状態になっていました。私は無理をして連れてきてしまったことを後悔しながら、一刻も早く病院へ連れていくしかないと判断し、職員の人に事情を説明してタクシーを呼んでもらえないかと頼んでみました。すると、何ということでしょう! オレンジ色の防護服?に身を包み、背中に大きな酸素ボンベを担いだ、190センチはあろう若い男性ふたりが即座に現れたのです。手にはAED(自動体外式除細動器)と思われるアタッシュケース、胸にはでかでかと 「RESCUE」 の文字!(おいおい)ぐったりした娘をトイレから担ぎ出し、宮殿職員の医務室へと連れて行ったのでした(汗)!こうして とてもとても不安だった一日(いや、2日かな)が始まったのです・・・<つづく>
June 15, 2007
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私たちが泊まったのは、オペラ座から程近いかわいいプチホテルです。パリにはこういう小さな個人経営のホテルがたくさんあり、アットホームな雰囲気と個性的なインテリアに力を入れていて、大きな名門ホテルとは違った意味で大変人気があります。 ツインのお部屋にエキストラベッドを入れてもらったので少々手狭ですが、清潔で、インテリアがすてきで、スタッフが皆フレンドリーで英語が話せて、プチホテルにはめずらしく本格的なシェフを抱えたダイニングがあり、おいしいお食事をいただくことができます。朝食のパンやチーズのおいしかったこと! (バターも牛乳もすごくおいしかった!)大好きなカマンベールをここぞとばかりにたくさん頂きました ここのエレベーターは古めかしくて、ドアは自分の手で開け閉めする二重扉になっているんですよ。 しかも動くとギィーという音がするので初めの内は落ちるんじゃないかと心配でしたww 階段は当然?らせん階段で、夜の間は廊下も階段も照明を落とすので、必要に応じて自分でスイッチを入れて灯りをつけるんです。ね?アットホームでしょ?暖房は石油を燃やしてスチームを循環させる方式のようで、窓から見えるどの建物の屋根にも必ず同じ細くて短い数本組になった煙突があって、煙か湯気かわからないものが立ち上っていました。このあたりでもやはり建物の高さや建築様式は統一されていて、どこまで行っても 「美観地区」 みたい。驚きです。(似たような建物ばかりで迷子になりやすいのが唯一欠点かも )ホテルのまわりにはスーパーマーケットや商店、レストランもたくさんありました。細い路地の小さな商店街にも道路を横断するように電球を下げた飾りや大きなリボンなどがデコレートされてクリスマスムードを盛り上げています。とにかくこのホテルがとても気に入ったので、次に行くときにもここを利用してもいいかなと思うくらいなのです。(早く次の機会が来ないかな~。 余ったユーロを両替せずに持ってるんだな。3万円分くらいだけど。)
June 13, 2007
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12月のパリはねずみ色の空。朝も7時半くらいではまだ暗い。夕暮れも早いような気がします。でもその分商店のショーウィンドーやライトアップされた観光名所がよりいっそう美しく映えるのです。これはかの有名な 「オペラ・ガルニエ(オペラ座)」の前で撮ったもの。なぜオペラ座を背景に一枚も撮らなかったのかしら? たぶん屋根の下でカメラを構えるとこういうアングルになったのでしょう。とほほ。書くのも空しい気がしますが、オペラ座はそれはそれはすばらしかったです その装飾がすごいのなんのって、金をふんだんに使ってあるので、暗ーーい空の下でもまばゆいばかりに輝いていました。(どうか想像してください・・・)このあたりはパリ三越をはじめ、日本の銀行や日本食の店などもたくさんある地区です。また、あちこちに支店を持つ大型スーパー 「モノプリ」 もあり、便利ながらもごちゃついた印象の一帯でした。長女の希望で、この近くにある 「香水博物館」 を訪ねてみました。フランス各地で収穫した花を原料にして香水を作る過程を細かく説明してくれます。中世に使われていた抽出機なども展示してあり、あまりお風呂に入る習慣がないための体臭隠しであった時代から、世界中にファンを持つすばらしい文化にまで高めてきた歴史を見ることができます。 こちらはシャンゼリゼの中心にある 「フーケ」100年以上の歴史がある老舗カフェです。バーは国の重要文化財に指定されているんですって。行列が長いので入店はあきらめて記念撮影だけ。 「シャンゼリゼのイルミネーション」(前にも書きましたが) 実際はこの10000倍きれいです。 これは凱旋門を背にしたアングル。 終わりが見えません。 パリつながりで余談をひとつ。昨日みたDVDがあまりにすてきだったので。「プラダを着た悪魔」舞台はニューヨークですが、パリを訪れるシーンがあり、もう目は背景にくぎ付けでしたコンコルド広場のオベリスクや噴水や観覧車もばっちり出てきますし、シャンゼリゼのイルミネーションも私の写真よりずっときれいに登場しますので、ぜひぜひ一度ご覧下さい。ニューヨークの溌剌とした街の感じとの比較もおもしろいと思います。もちろん映画の内容もとても楽しめました。ファッション誌業界のお話なのでファッショナブルなことは言うまでもありません。私の一番好きな “元気が出る” タイプの映画です
June 11, 2007
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クリスマスシーズンのパリは街中がイルミネーションで飾られてとても華やかです。中でもデパートの装飾は目をみはる程豪華できれい!! こちらはパリで最大のデパート 「ギャラリー・ラファイエット」 美しい電飾と、楽しく工夫を凝らしたショーウィンドー。 デパートの外のアーケードはこんな感じ。こういう露店がたくさん並び、ちょっとしたプレゼントに適したものが売られています。これは、安くてかわいい腕時計を売るお店。パーツを選んでオリジナルを作れるというものです。このほか小さなおもちゃ、お菓子、アクセサリーなど安いものを売る露店がたくさんあって、若い人たちがけっこう真剣に選んでいるのでした。 デパートの中に入るとぐっと高級な雰囲気です!アールデコ調の天井ドーム。 いつまでも見ていたいほどの美しさです 吹き抜けを囲んで各階から丸くせり出したバルコニーのような部分が夢のように綺麗 パリのデパートはそれはもうありとあらゆる美しいもののオンパレードでした。お留守番のパパさんのためにここで奮発してネクタイを買いましたよ。お会計の仕方が日本とはぜんぜん違いました。まず 買うものが決まったら商品を売り場の人に指し示します。すると伝票をくれるのでそれを持ってレジで支払いをします。支払いがすんだらレシートを持って商品受け取りの所へ行くと、ラッピングができているというわけ。これはデパートの場合で、普通の商店ではこんなことはしませんが。ここで思いっきりお買い物ができたら楽しいのでしょうが、フランス製香水の香りに包まれて天井ドームを見上げるだけでも十分幸せな私たちなのでした
June 7, 2007
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「ノートルダム寺院」 の バラ窓の写真を載せるのを忘れていました これは 南のバラ窓。 12使徒に囲まれたキリストが描かれています。直径が13メートルもあるんですって!!ちなみに 北のバラ窓も同じく13メートルなんですが、北側は入る光が少ないのでガラス部分をやや多めにデザインしてあるのですよ。前回も書きましたが、この寺院を建設した当時神を光として崇めるという考え方があったわけですが、より大きなステンドグラスをはめ込むために新しい建築工法を発明までしたというのですからすごいですね。 オルガニストが賛美歌を演奏し、ミサが行われていました。基本的に写真撮影禁止ですが、バラ窓の下だけは順番に記念撮影。寛大にも黙認ですね。 「サンジェルマン・デ・プレ」かつては文豪や芸術家の溜まり場だった街。今はカフェやブティックが建ち並ぶ、おしゃれな街です。ソルボンヌ大学が近いことから学生街の雰囲気もあり、手軽でおいしい食べ物もたくさんあるのです。本場のクレープを食べながら歩いてみました。「ハムとチーズのクレープ 」 は、細かいチーズがこれでもかってほど入っていてボリュームありすぎ~「Nutella のクレープ」 ヌテラはヘーゼルナッツとチョコのペースト。甘すぎるんだけど、フランス人はこれが大好きらしい。 ここはどこだろう? どこもかしこもみんなこういう街並みなので、あとで思い出そうとしても不可能だ 毎日同じコートを着ているので、何日目なのかもわからない せめてマフラーくらい替えればよかったね。ところで、パリの街や地下鉄の駅などでホームレスの人をよく目にしました。思えば時期的に、移民が暴動を起こすという事件の直前だったかも。若い人や女性、子連れのホームレスもいて、積極的に(?)物乞いをして来るんです。10代に見える少女が、私たちの食べかけのクレープをちょうだいとねだってきたこともありました。華やかなパリの抱えている問題をちょっとだけ垣間見たのでした。 「エッフェル塔」ここから眺めるのが一番きれいだということで、 「シャイヨ宮」 から見ました。なるほど真正面から見おろせる上に、シャイヨ宮周辺自体も広々としていてとてもすてき。実際は写真の10000倍きれいです^^
June 1, 2007
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セーヌ河のふたつの中洲、シテ島とサンルイ島。シテ島には、ナポレオンの戴冠式で有名な 「ノートルダム寺院」 があります。 メトロの駅から歩いて行きます。それにしても、どこへ行っても街並みがこの調子なのです。あきれるくらいどこもかしこも美しいのでした。 途中 警察署 を発見。娘の友達 (警察志望) に見せてあげるためにこの写真を撮りました 「ノートルダム寺院」1160年に建立を開始し、完成まで180年を要した、ゴシック様式の大聖堂です。「ノートルダム」 は、聖母マリアを指す言葉。 だから他にもノートルダムの名が付く寺院はあるのですが、ここは建築と美術史において特に重要なのだそうです。 寺院の周辺はあっけないほど普通の街並みで、土産物屋でにぎやかな日本の門前町や観光地のお寺のイメージとはだいぶ異なっています。一方、元気な大学生らしき若者のグループ、にぎやかな熟年おばちゃんたちのグループと、所変われど観光客には共通点が多いなぁ。 ノートルダムといえば北と南にある大きな 「バラ窓」 と呼ばれるステンドグラスが有名です。当時、神を光として崇めるという考え方があり、聖なる光をたくさん取り入れることが重要課題だったのだそうです。細かい細工のステンドグラスは確かに厳粛な美しさでした。外部の壁には、聖母マリアやキリスト、使徒、聖人、天使などの彫刻、そして 「最期の審判」 を表した門があります。そのまわりには天国と地獄をあらわした部分があって、これが非常に怖いのです。地獄はほとんどバケモノと鬼のオンパレードでした。純情な人ならこれを見てきっと善人になろうと決意するに違いありません。 寺院の入り口におちゃめなポスターを発見!「よこそう」 ・・・ ウェルカムのことだよね? 対岸には古い商店街があって、たしかこの橋を渡った角に奇妙な おすし屋さん があったような記憶が。ショーウインドウに海苔巻きや握りずしの折り詰めがディスプレイしてあるのですが、海苔巻きは見たことないような具を使っており、握りは握りでも おにぎりサイズです。東洋人の売り子さんが着ている着物は、どこに行ったら入手できるの?といったデザインなのでした。 せめて浅草か成田で買ってほしかった・・・
May 28, 2007
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私がフランスに憧れを抱くきっかけとなったのは、何を隠そう「ベルサイユのばら」昨日の真紅の薔薇が マリー・アントワネット なら、今日の白い(ちょっとピンクなんですけど) 薔薇は オスカルさま!! ということで、話をパリ旅行に戻しましょう。 「エトワール凱旋門」 ナポレオンの数々の勝ち戦のシーンが彫刻で表現されています。ところが着工7年目に失脚してしまったため、生きてこの門をくぐることはなかったのでした。ナポレオンがこの門をくぐったのは、死後19年も経ってから。 イギリスより返還された棺に入った状態ではありましたが、大セレモニーが行われたのだそうです。ちなみに、先日紹介した 「カルーゼル凱旋門」 は、ナポレオンが凱旋帰国した際に実際くぐったそうですよ。また余談ですが、パリには 日本人が「新凱旋門」 と呼んでいるものもあります。正式な名称は 「グランド・アルシュ」 (友愛の大アーチ の意)これはエトワール凱旋門の上から見ることができます。エトワール凱旋門に上るためには、地下入り口から入ります。 入場料を払ってエレベーターを捜しますが、どこにも見当たりません。あとでわかったことなのですが、この時ちょうど補修工事の真っ最中で、エレベーターが使用できなくなっていたのです。しょうがないのでフランス名物(?)らせん階段で上ることにしました。 何でもこの階段、272段あるそうです。 らせん階段というのは、ずっと体が傾いたような状態で上り続け、どこで休んだらよいのかわからないためきついのです~ 途中階には歴史資料の展示室や記録映画をみられる部屋などもあるそうですが、これらもたぶん工事中だったのでしょう。 何はともあれ到着~。 凱旋門の上から見た景色は感動もの!ここを中心に 放射状に延びる12本の大通り が絵のようにきれいです。それにしても けっこうアバウトな柵ですよね? これがシャンゼリゼ大通り。 みごとに真っ直ぐでしょう? 建物のトーンや高さが揃っているのもわかるでしょうか。エッフェル塔 も、シャンゼリゼの反対の方角にある 「グランド・アルシュ」 やそのまわりの近代的な高層ビル群も、いろいろ見えたはずなのに、撮った写真はたったこれだけ・・・
May 24, 2007
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ルーブルからひたすらまっすぐに進んだところが 「シャンゼリゼ大通り」 です。♪おー、シャンゼリーゼ♪ と心の中で歌いつつ (ベタですね^^;)、あこがれの地を歩いているよろこびで胸いっぱいです。どうしてこんなに素敵なのでしょう?古い建物の存在感、これが一番。地震のない国ですし、戦火を免れたということもあるでしょうが、古いものの価値を知っていて皆で大切に守っているということが何よりステキなことだと思います。 しかも建物の高さがぴしっと揃っていることから、日本ではありえない美しさがあるのです。これは裏通りなどもみんなほとんどきれいに揃っていたような気がします。そして、いわゆる「フランス窓」というのかな、どの建物の窓も同じ企画に統一されているので整然とした感があるのです。その上で各々装飾を凝らして美しさを競っています。道路がまっすぐに延びていてほんの少し坂になっているので、ずっと見通すことができることもポイントでしょうか。街路樹の大きさと数もさすがでした。へんな看板や美観を損ねる広告が少ないというのは日本も本当に見習ってほしいことです。 大好きなパリのことですから挙げればきりがないのですが、こんな街灯の柱にしたって私にはため息が出るくらいステキだったのです この頃ちょうどルイ・ヴィトンの本店が改装工事中で、こんな風に目隠しをしていたのは報道でよくやっていましたね。 別の角度からもう一枚。ところで、12月のパリはやっぱり寒かったです。 コートの下には、ババシャツ、ツインニット、貼るホッカイロの重装備! 着膨れでパンパンです。 それでも底冷えがして、ホットチョコレートなんかを飲みながら頑張りました。パリの人たちもダウンを着ている人が多かったかな。さすがに皆さん個性を生かしたおしゃれを楽しんでいるなという印象でしたけど。お年よりご夫婦もエレガントな服装でカフェでコーヒーを飲んでいたりして、余裕があるなぁと思いましたねー。 さあて、シャンゼリゼの突き当たり、凱旋門に着きました。この上からの眺めはどうかな?
May 19, 2007
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パリ市街地はコンパクトな街です。山手線の内側に入ってしまうほどの大きさなのだとか。メトロやバスも発達しているので、移動はとっても簡単です。カルネと呼ばれる10枚綴りのチケットを買うと割安な上、メトロ、バス両方に共通して使えるので、専らこれを利用しました。そうは言ってもここはパリ。 街ぜんぶが美術品のように美しいのですから、歩かないのはもったいないし歩きたい! (実際は石畳がけっこうきつかったりしましたがww 足裏マッサージをやったら繁盛するかも) ルーブル美術館からひたすらまっすぐ歩いて行けば、かのシャンゼリゼを通って凱旋門まで一直線です。さて、ガラスのピラミッドから外へ出ると、すぐに見えるのがこの 「カルーゼル凱旋門」 です。みんなが知っている凱旋門は、 「エトワール凱旋門」 。両方ともナポレオンの勝利を祝って建てられたものです。 「カルーゼル凱旋門」は、規模も小さくひっそりと建っているといった風情ですが、よく見ると大理石と金を用いて装飾され、とても美しいものでした。 このあたりは昔チュイルリー宮殿のあった場所です。 100年もかけて建設された宮殿でしたが、パリ・コミューンの際に焼失してしまったのだそうです。現在は庭園だけが残り、 「チュイルリー公園」 として市民の憩いの場になっています。 ちなみにこの庭園を手がけたと同じ人が、後にヴェルサイユ宮殿の庭を作り上げたんですって。ロダンやマイヨールといった有名な彫刻家の作品をはじめ、いたるところにローマ風の彫刻が飾ってあります。贅沢ですねー。12月でしたので人影もまばらでしたが、季節のいい時ならカップルや家族連れでにぎわうのでしょうね。このあたりには、観光客目当てに 絵 を売っている若者がたくさんいました。パリの名所を描いた様々な絵画をイーゼルに立てたり、台の上に並べたりして、私たちにさかんに声をかけてきます。見るとなかなかすてきな絵もあります。芸術家の卵たちがこうやって自分で描いた絵を売って、学費や生活費や、絵の具を買う費用の足しにしているということを話に聞いていたので、パリの思い出と少しのボランティア精神のために、冬のシャンゼリゼを描いたすてきな一枚を買うことにしました。曲がってしまわないように随分気を使って日本に持ち帰り、開いてみて唖然!何とそれはプリントでした・・・描いたのだってあの若者ではないのでしょう。高い値段ではなかったものの、勝手にドラマチックな妄想をしていた自分がバカみたいでもいいっか、気に入ってるんだもーん。その絵は今でも家の中にちゃんと飾ってありますよ。さあ、さっきの池を過ぎてもう数分歩くと、 「コンコルド広場」 へと入って行きます。ルイ16世 や マリーアントワネット がギロチンの刑に処された場所ですね。今ではそんな血なまぐさい歴史が嘘のように平和な、巨大オベリスク (塔)がそびえ立つ美しい広場となっています。夜になるとライトアップされてことのほか見事でした。
May 16, 2007
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さて、 「ハムラビ法典」 のある リシュリュー翼には、他にも多くの古代メソポタミア・イラン美術が展示してあります。 こんな大きなものも。 タイトルを控えてこなかったのが非常に残念。 ちょっとおふざけ^^写真以外にも、テレビや教科書で見たことのある、「サモトラケのニケ」 や「民衆を導く自由の女神」 などの有名どころをはじめ、それはそれはたくさんの美しいものを見ましたよ。複雑に入り組んだ、アップダウンのある建物内をぐるぐる巡り、絶対に外せない一枚を目指します。でもご安心あれ、館内の要所要所に掲げてあるのです。案内の矢印が。ひときわ奥まったその先の、人だかりの更に奥に・・・ 「モナリザ」ごめんなさい。見えません・・・ もちろん実際はよく見えるのですよ。至近距離で見てきました。 案外小さかったなぁ。 でもやっぱり存在感が違う。あらゆる人種の人たちが、夢中でデジカメやケータイのシャッターを押しています!ところが私はというと、ブログを書くことになろうとは思ってもみなかったこの頃、写真を撮ることに全く意欲的ではなかったのでした。ということで、謎の微笑みも、その他たくさんの素晴らしく有名な絵画も彫刻も、あんなにも感動した宮殿の内装も、みんなおぼろげな記憶の中にしか存在しないのです。何てことだ。 歴史にも美術にも全然詳しくない私ですが、あの空間に身を置いて貴重な美術品に囲まれると、 不思議な感動が迫ってくるのですねー。 自分でも意外でした。同じく美術には縁なく生活してきた父が、2日続けてルーブルに足を運び、「感動した」 と言ったときには 『ほんまかいな』 と笑ったのですが、なるほどド素人でもそれなりに心動かされる何かがここにはあるのだと、自分自身が証明してしまいました。それからとても興味深く思ったのは、世界を代表する美術館でありながら、とっても気さく であること。 とりすました感がなく、みんな自由に近づいて見られます。 座り込んでスケッチしている学生さん?もたくさん見かけました。午後3時を過ぎての入館は割引になることや、毎月第一日曜は入館無料など、より多くの人に芸術に親しんでほしいという表れでしょう。そして何より感心したのは、子供が大勢来ているということ!小・中学生は言うに及ばず、幼稚園の子供たちが、保母さん、保父さんに連れられて、列をなしてやってきては、静かに見学しているのです。やがてみんなで床に座り込み、スケッチブックを広げてクレヨンで模写?です。さすがはフランス、こうやって芸術のわかる国民に育つわけですねぇ。 さて、ひととおり見終わった私たちは、ガラスのピラミッドの出口から外へ出て、次の目的地に向かったのでした。ところで先の幼稚園児たち、このあと私たちがシャンゼリゼのカフェでお茶を飲んでいたら、偶然そこへ保父さんを先頭にぞろぞろと入ってきて飲み物とお菓子を注文し、みんなでティータイムが始まったんですよ! そしてしばらくしたら ひとり、またひとりと素敵なママンが現れて、子供を連れて帰るのでした。ああ、何て優雅なのでしょう。やっぱりパリはあこがれていた通り素敵な街のようです
May 15, 2007
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娘たちを連れて パリ を旅行してから、かれこれ2年半。記憶もすでに怪しくなりつつあるので、今のうちに記録を残しておこうと思います。この旅行に当たっては相当下調べを入念にし、メトロやバスを自在に乗りこなしつつ順調に観光していました・・・ はじめのうちは。まさか人生で最も不安な出来事 が3人を待ち構えているなんて、この時は知る由もなかったのでした。さあ、ミステリートリップの始まりです! (って大げさすぎ^^ まあ最後まで読んでねー) 2004年12月、当時大学2年生の長女の試験期間が終わるやいなや、高校1年生だった次女に学校を9日間もお休みさせて(何てこと!)、クリスマスイルミネーション輝くあこがれのパリへと旅立ちました。 まずはいきなり、 「ルーヴル美術館」この建物は12世紀に城塞として建てられ、その後王宮として改築されたというだけあってゴージャス! そして想像をはるかに超える広さ!!上の写真に見えるのは宮殿内でも特に壮麗と言われている、 「青の応接間」。そして左が ガラスのピラミッドですね。ルーヴルへの入り口はいくつもあります。オンシーズンだとチケットを買うにも長蛇の列だと聞いていたのですが、まだ世間一般の冬休み前ということで比較的すいていました。テロの影響でしょう、警備が非常に厳重で、さながら空港のような手荷物検査が行われます。 広々としたロビーは歴史を感じる外観とは異なり、シャープで現代的なデザインです。ここから3つの翼棟へと進んで行くわけです。何しろ30万点もの美術工芸品を所蔵し、そのうち約3万点が展示されているというのですから、狙いをしぼって見ていくしかありません。 ギリシャ彫刻の傑作、 「ミロのビーナス」こんなに貴重なものを、こんなに間近で見ていいの? と驚くほど、触れるくらいの距離にそれは立っていました。はぁー、これが傑作の持つ迫力なんですね。 オーラを感じます。(彫刻にオーラ?あるんですね。 絵画にもありました。) これが何だかわかりますか?「ハムラビ法典」 です。こんな形をしているのですねー。完全な形で残っている法典としては世界で2番目に古いものだそうです。石棒の側面にびっしりと文字が刻んであります。 このどこかに、あの有名な一節、「目には目を、歯には歯を」 が書いてあるのですね。それにしてもルーヴルは広い!そして迷路のように複雑に入り組んでいる。でも元宮殿のこの建物自体が、美術品同様すばらしく美しくて、私は壁や天井、そして庭のようになった部分を見ることも楽しくてしかたありませんでした。<つづく>
May 14, 2007
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