中高年の生涯学習

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2026.09.06
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前回、小野衛という最優秀な男性が宮城家という女の園に入ってきた、と言うところまで紹介した。よし子は結婚後、 半年で亡くなってしまう 。小野は後継者と見られていたので、すぐ再婚の話が持ち上がった。人選でごたごたしたが、芸大の生田流筝曲科にいた幸子に白羽の矢が立てられた。よし子の死で宮城家の体制内はくずれ、結婚したが、小野衛、幸子夫婦はむずかしい立場に立たされる。結婚もせず、宮城に尽くしてきた牧瀬姉妹との間は打ち解けない空気が漂った。小野衛は尺八の演奏と作曲で才能を発揮しつつあった。


ここで重要な人物を紹介する。大正9年、 作家の内田百閒 が宮城に弟子入りする。百閒は夏目漱石の弟子で随筆の大家だった。法政大学でドイツ語を教授していて、学生をボランティアで宮城家へ送り込んでいる。本の朗読や口述筆記の手伝いをしていた。 筝はかつて習ったことが あるらしく、すでに玄人はだしだった。宮城道雄とは、どういう人物かという興味があたのだろう。筝の教授より友達関係になり、道雄の手を引いて神楽坂の飲み屋歩きがメインになった。百閒のバックアップにより、道雄は随筆を書くようになり、「雨の念仏」、「騒音」、「春秋帖」などの随筆が書かれるようになった。


家庭内の悩みを抱えつつ、宮城は仕事を続ける。昭和28年、南フランスとスペインで開催される国際民族音楽舞踊祭に日本の代表として参加する。ロンドンのホテルで雨の音を聞きながら、晩年の名曲といわれる「 ロンドンの夜の雨 」を作曲する。筝曲に「ロンドン」という外国地名が付いている珍しい曲である。その2か月前に福岡市の公園に日蓮上人の銅像が建てられて50周年に当たるとして日蓮の業績を讃える曲を委嘱された。パリのノートルダム寺院やロンドンのカンタベリー寺院では讃美歌等の宗教音楽が奏される。日本にもそういう宗教音楽があっていい。「日蓮」という交声曲が作られた。


宮城の死後、 宮城家は決定的な対立 が表面化し、分裂してしまう。昭和39年、宮城会の会長であった宮城衛(小野衛)が千代田区のホテルで記者会見をおこなった。「宮城会は一部の幹部により私物化され、正常な運営が阻害されている。副会長の宮城喜代子、数江両氏は退任せよ」という声明書を発表した。こうして小野衛は宮城家を飛び出してしまう。


ジャーナリスト武原渓は宮城道雄の「死の謎」の追究を押さえておこうと取材活動を続ける。松本清張の推理小説や名探偵の解読のようである。ここでは要旨のみである。興味あるかたは本(「宮城道雄死の真実」近代文藝社発行)を参照してほしい。


昭和31年6月25日、 東海道線急行「銀河」から宮城道雄は転落して亡くなった。同日付け朝日新聞夕刊の記事は、


武原は、この記事は推測記事で実際にはありえないと論じていく。
この本には「銀河」の車内構図が表示されている。さらに多くの人が「自殺ではないか」と考えているという証言も取材している。その証言の一つに永六輔の話を聞いている。「全盲の歌手でギタリストの長谷川きよし、津軽三味線の高橋竹山も、盲人が走行中の列車から間違って落ちるなどありえないと答えたという。」二人とも全国を股にかけて音楽活動をしている人だ。


宮城の寝台は一号車後部入口から二つ目の左側12番だった。後部ドアの右側にトイレがある。左はカーテンで仕切られて洗面所になっている。その先の引き戸を開けるとデッキになっている。デッキの左右は出入り口で、今では考えられないが、 ドアのノブを手前に引いて開ける構造 になっていた。仮に間違えてドアを開けたとして、体重は後ろにかかることになる。従って内側へ体のバランスをくずして後ろ向きに倒れることがあっても、外へ飛び出すことはあり得ない。現場はカーブではなく、 直線路線 だった。「振り落とされる」と言うこともあり得ない。トイレのドアは押して開ける構造で、
何度も宮城は、この銀河を使っていて知っているはずである。当日、牧瀬の手引きで2回トイレを使っている。押して開けるドアと引いて開けるドアの違いは分かっているはずである。特に盲人は、この感覚が鈍れば、とても生きていけない。リハビリの最重要トレーニングである。


武原のジャーナリストとしてのすごさは、宮城家を後にした小野衛にインタビューをしていることである。小野は創明合奏団を立ち上げ音楽活動をつづけていた。面談を拒絶されることを覚悟のうえで申し入れた。小野は「宮城道雄の音楽」(音楽之友社)という大部の本を書いている。宮城道雄の作曲した音楽の一つ一つを分析、解説したものである。「宮城道雄こそわが師と仰ぎ、変わらぬ尊敬と敬愛の念を持ち続けた」小野の話をぜひ聞きたい、という趣旨の取材目的を率直に話すと、「よろしゅうございます」と承諾をもらった。小野は本の最終ページに「先生には自殺願望があった」と書いていた。東京池上線御嶽(おんたけ)駅の近くの小野の自宅を訪ねた。
小野の話をまとめると、
「昭和25年に盟友の吉田晴風が亡くなったのは、宮城にとって大ショックだった。その時、弟子は何人かいたけれど、何も残っていないことに気づいた。後継問題が頭から離れなくなった。宮城のステージでは、筝については牧瀬姉妹が独占していて、他の弟子は近寄ることも出来なかった。宮城が亡くなると、牧瀬姉妹(喜代子、数江)が宮城家の養女になった。貞子夫人が「よし子」を小野の結婚相手として選んでくれた。そして「よし子」が亡くなり、小野の現夫人の幸子も貞子の発言で決まったが、貞子夫人はその場その場で態度が変わる一貫性のない人だった。これが宮城との間の気持ちのずれになった。貞子夫人には何の力も発言力もなくなり、家の権限は喜代子が握っていた。喜代子は楽譜の採譜を途中でほったらかしにしたり、外出の時の、扱いも乱暴だった。人前では大事そうに見えたでしょうが。さらに宮城の財産の半分をもらうと言っていた。」


小野は数十年の思いを噛みしめるように淡々と語ってくれた。最後に「私は宮城家の財産も名跡も継ぎませんでした。しかし先生の音楽だけは継いだと思っています」。この言葉には「万感の思い」がある。「宮城道雄の音楽」と言う本が、それを証している。





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最終更新日  2026.09.06 09:42:41
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