Atelier Mashenka

Atelier Mashenka

2009.08.01
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カテゴリ: 思索・読書


鳥が鳴いている。
リングノートを開くぎりっとした音が部屋に響く。
たったそれだけのこと。
たったそれだけの音。


26日、Kが脳死状態になった。
驚愕と困惑。
Kとはもう離婚して7年半経つ。
それでも土曜の夜10時半くらいに家を出て、東名をひとり運転して
明け方名古屋のF大学病院まで来た。
こんな形で過去の地に、またその周辺の人たちに再会するなんて思ってもみなかった。

こんな精神状態で真夜中に300km運転するなんて無謀かもしれない、とも思った。
過呼吸と不整脈。
しかし、取り乱しながらも車で行くことを本能は選び取っていた。
朝の新幹線を待って間に合わなかったときにはきっと後悔するだろうから。
少し落ち着いてから出発した。
自分は大丈夫、と直感していた。


離婚が遠因ではないかと、自分を責める気持ち。
しかし運転しながら、いや、彼は逆に私がいることでその分、
長く幸せにいられた時間があったのだと、プラスの考えをしようと思った。

途中から激しくフロントガラスを叩く
雨、雨、雨・・・
でもこれは戒めの雨ではない。
哀しみの雨でも慰めの雨でもない。

その日の昼間、走墨の稽古で最後に書いた"慈雨"。その言葉が浮かぶ。
そうであったらいいのに。


彼を憐れむことは誰もできない。
彼の苦しかったであろう、生きにくかったであろう人生を
誰も否定することはできない。

彼が希望を持っていたこと、哲学を志していたこと、
望む生き方を手に入れようと努めたこと。
それを聞いてひどく嬉しく、賞賛したい気持ちになった。
叶わず無念だったけれど。
彼の望みは意志は一直線に彼方に向けられていたことを知ると安心した。

45で引退する、そして好きなことをやると言っていたけど、
人生を引退してしまうとは思いもよらなかった。
もしかしたら魂の領域へと引退したのかもしれない。
彼の哲学はそこで続けられているのかもしれない。
彼は現世では苦しんだと思う。
現世では哲学できなかったのかもしれない。

彼はどこか他の次元の人だったのかもしれない。
彗星のようにこの世に現れ、人には理解されない言語をしゃべり、
憤り、失望し、或いは小さなもの弱いものに愛情をかけ、
ものを教え、考え、つくり、そして笑った。

真理を語るには沈黙するしかなかったのかもしれない。
形ではないところ、現世的な金銭、組織、しがらみ、
そういったものの一切ないところへ行ってしまった。
くさびを打ち込んで。そのまま行ってしまった。



7月4日
彼はもう語らない。ヴィトゲンシュタインを思い出す。

早死には彼らしいとも言える。
そして身体の器官の中で最大に使ったであろう、脳から先に活動停止するなんて。


おととい、昇圧剤をやめることをご家族が決めた。
先生はもう脳の回復はない、と断言し、
脳内の圧力がひどく高くなっているために髄液を抜く栓を止めていると言い、
それを開けたら、壊死した脳細胞が流れ出てくるかもしれない、と言った。

また倒れたときの様子を、緊急治療中に2度目のくも膜下の破裂があり、
そのとき瞳孔の反応が無くなった、と説明された。

その2つの話をひどくリアルに想像し、私はうめき、打ちのめされた。
そのとき彼の死を思い知った。
私の中ではまだそのときまでは現実感がなかったのだ。
私はうめいた。身体を折った。



7月5日
看護士の友人によれば、昇圧剤を止めたら1週間ももたない、と言われている。
先生の口からも一般的には1日、とはっきり言われた。
しかしもう3日ももっている。
身体はまだがんばって生きている、と思うと嬉しさと賞賛のため息がもれる。
もしかしたら、ありえないかもしれないけれど、
彼の誕生日の7月19日までがんばろうとしているのかと思いたくなってしまう。

倒れ伏してもなお、彼方へと伸ばされる手。


火葬について考える。火葬は私にとってショックなことなのだ。

私に耐えられるだろうか?
私は彼の肉体が焼かれて無くなってしまうことに耐えられないかもしれない。
残酷な、むき出しの、物質的事実を目の前にして平静ではいられないかもしれない。

昔、片想いしていた人に対し、もしその人が亡くなったら
その骨を食べたくなるかもしれない、とまで思ったものだが、
今はそのグロテスクなほどの想いさえ、ファンタジーだったと言える。
彼が骨になってしまうこと自体が、今は耐えられないかもしれない。

自分にとって大事なのは、内的、精神的なつながりだと言い、
ある意味、物質世界を軽んじてきたはずなのに、
いざこういうときになると、この執着の仕方は一体なんなのだろう?
リアルに想像してしまう。
圧倒的な物質の世界のむき出しさ加減におしつぶされそうになる。
自分なんて、ちっぽけだ。
普段、少しばかり思いあがって
友人に"言葉や思考が自分の武器"だと言ったり、
美しいもの、心慰められるようないいものを創ろうと思ったりしていても、
いともたやすく物質世界は私の精神の息の根を止める。打ちのめされる。

幼い頃から怖れてきた"死"というもの、これはその序章に過ぎない。



7月6日
変な感じだ。
夜がきて朝がきて夜がきて朝がくる。
今日からまた出勤する。

名古屋から戻ってきて、この3日の休みの間、特に何もしなかった。
ただ時間を過ごした。たくさん寝た。
あの日から毎日、安定剤を飲まないと眠れないけれど。
思ったほどは泣かなかったし、悩まなかった。
かと言って元気に活動することもなかった。
言葉は決してあふれ出てくることもなく、
頭が感覚が麻痺しているというほどでもなかった。
しかし何かが確実に違っている。


身体が失われるということ、それがこんなにリアルに胸に迫ってくるとは。
もう脳は機能していないというのに。
考えたり、会話したり、すでに出来なくなっているというのに。
それでもまだ肉体に固執することの不思議さ。

"風と共に去りぬ"でレットバトラーが、部屋に閉じこもって
愛娘の遺体を渡そうとしなかったシーンを思い浮かべる。
もうそこに魂はないのに。

物質世界にとらわれている。そこから自由になれない。
会えなくてもこの世のどこかにいる、ということと、
絶対的にもういない、ということの違い。
大学のクラスメイトのNくんが亡くなったときも考えたこと。


死を待つだけの日々。時間。
そんなふうに思いたくないのに、事実はそうなのだ。
なんとか生き延びて「がんばってる」などと思ってみても、
刻々と迫る瞬間を待っているだけなのだ。
なすすべはない。
虚しい。


誰か助けてほしい。これは哀しみではない。苦悩の涙だ。
やるせなさの涙だ。
感謝しているだの、いい人生を送っただの、そんな言葉では片付けられない。
理不尽な虚脱感だ。
永遠に続く疑問符だ。
Hちゃんはよくお父さん、続いてお母さんの死に際にひとり立ち会えたなあ。
そして喪主まで務めて。
強い。私にはそんな強さはないような気がする。



7月8日
昨日、弟さんからの連絡では脈拍80、血圧70/50くらいで急変はないらしい。
しかしゆるやかに血圧は下がってきている。
メールや電話があるたびにどきっとする。


彼は憐れみは拒絶するだろう。
今私が悩んでいるのも単なる憐れみではないだろうか?


今日で6日。驚異的だ。
本当に19日まで永らえるかもしれない。45歳まで。
そして奇跡が起こって、脳が動き始めないだろうか?
本当にそう思う。


どうしたらいいのだろう。
もうどうしようもなくて途方に暮れる。
疲れ、しかめた顔のまま帰り道を歩いている。

明日で一週間。こんなことを一週間前は想像もしなかった。
死ぬのを待つのではなく、生きている彼を見守る。
命の灯はまだ燃えているのだ。
本当にこのまま回復しないだろうか?!
今まで解明されていない力で、脳が復活しないものだろうか。


これらの日々を大事にしよう。一日一日。
この日々を忘れないようにしよう。
もしあのとき、ご両親が臓器提供にうなずいていたら、
決してあじわうことのなかった日々だ。
彼は何を教えようとしてくれているのだろう。
私は何をとらえ、どう考えるべきなのだろう。

これ以上の延命措置をしないと決め、
昇圧剤をやめてから、奇跡的に急変は起きていない。
このまま全き中庸の領域に突入してしまうのだろうか。
生きながらの涅槃の状態。


Mちゃんの言う通りかもしれない。
Kはみんなに考える時間を与えてくれている。
目を覚ませ、考えろ、と。


疲れ、絶望的になっているときに
弟さんからの連絡でKの状態を聞くと、
自分の中で変わるものがある。
生きていること、を感じさせ、考えさせられる。
彼は今どこをさまよっているのだろう。


会社帰りにふと雑貨やさんのルームフレグランスのボトルを手に取る。
きれいなヘアアクセサリーが気になる。
ビールが飲みたくなり、甘いお酒が飲みたくなる。
よくランチに行く店で、話したことのないスタッフから思いがけず話しかけられる。
Mちゃんから電話が来る。
ちょっと気が弱くなって、実家の母に電話をして話したい、と思ったりする。
みんな生きているからこそ。生きているということ。







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Last updated  2009.09.21 22:55:32
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mashenka @ Re[1]:生誕120年 棟方志功展(11/12) 一村雨さんへ お久しぶりです! 私もうな…
一村雨 @ Re:生誕120年 棟方志功展(11/12) お久しぶりです。 この展覧会、棟方志功の…
mashenka @ Re[1]:サントリー美術館「京都・智積院の名宝」(01/21) 一村雨さんへ 素晴らしい障壁画でしたね…
一村雨 @ Re:サントリー美術館「京都・智積院の名宝」(01/21) 安部龍太郎の「等伯」を読んで、この親子…
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