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【見た日:2023年(令和5年)8月22日(火)】 廃寺です。 ※ 千手寺跡 〈千手寺跡(茨城県かすみがうら市中志筑1325)〉
2023年08月22日
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【参拝日:2023年(令和5年)7月23日(日)】 地元の鎮守 無事に例大祭が執り行われました。 〈増森神社(埼玉県越谷市増森1892)〉
2023年07月23日
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【参拝日:2023年(令和5年)7月23日(日)】 〈武蔵国 越谷郷 久伊豆神社(埼玉県越谷市越ヶ谷1700)〉
2023年07月23日
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【参拝日:2023年(令和5年)7月1日(土)】 地元の雷電神社の御札を納めてきました。 お世話になりました。
2023年07月01日
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【参拝日:2023年(令和5年)6月26日(月)】 こういうのも、ありなのか? 八百万の神だから、ジンジャーもありか? 〈ジンジャー神社(岩下の新生姜ミュージアム 栃木県栃木市本町1-25)〉
2023年06月26日
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【参拝日:2023年(令和5年)6月26日(月)】 太平山は、小学校の遠足以来です。たぶん。 神社までは登っていないような気がします。たぶん。 ※ 参道への一本道、すてき※ 帰り道〈太平山神社(栃木県栃木市平井町659)〉
2023年06月26日
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【参拝日:2023年(令和5年)6月26日(月)】 ※ 公式HPより 二荒山は県都宇都宮市のほぼ中央にあります。昔は小寺峰(現在社殿のある臼ヶ峰の南方・馬場町交番付近)と臼ヶ峰の二峰を持った小高い荒山でした。山姿からして瓢型の墳墓であったと言う学者もいます。江戸時代に街の割替えが行われ、山は二分され真中に道路が設けられて、小寺峰は次第次第に削られ今日その原形を全く失い、標高約130mの臼ヶ峰のみが残っています。 二荒山神社は大変歴史が古く、第十代崇神天皇の御代に遡ります。当社は何度も火災にあい、近世に入ってからも天正13 年、安永2 年、天保3 年、更に明治維新の戊辰の役と4度もあって古い記録のほとんどが焼失しています。現在残っている社記には、第16 代仁徳天皇の御代に毛野国が上下の二国に分けられ、御祭神豊城入彦命の四世孫奈良別王が下毛野国の国造に任ぜられます。この時、祖神である豊城入彦命を荒尾崎(下之宮)に祀ったのが始まりで、その後承和5 年(838)に現在の地、臼ケ峰に遷座されたと伝えられています。 延長5 年(927)に政治のよりどころとして完成した延喜式・神名帳には「下野國河内郡一座大 二荒山神社 名神大」と記載があります。栃木県内唯一の名神大社として「お明神さま」「ふたあらさん」の名で広く親しまれ、篤く崇められてきました。平安から鎌倉時代には各々の国で最も格式が高いとされる神社を一之宮としました。二荒山神社もまた「下野国一之宮」とよばれ、宇都宮という地名はこのイチノミヤが訛ってウツノミヤになったという一説があります。 宇都宮はこの二荒山神社を中心に、平安・鎌倉時代には神社の門前町として発展し、江戸時代には城下町として繁栄しました。 北関東の経済・文化の中心都市として発展した現在でも、 お正月や七五三など暮らしの節目にたくさんの市民が参拝に訪れます。 また、 宇都宮市の多くの祭りが二荒山神社に由来しており、 神輿が担がれる盛大なお祭りに地域は賑わい活気に満ちています。 近年は、 鳥居のある広場を中心にして、 ジャパンカップクリテリウム(サイクルロードレース)やFIBA 3×3 World Tour (3人制バスケットボールの世界大会)などが開催され、 世界各国のチーム・トップクラスの選手が集まるなど国際色豊かな催事も行われています。 〈宇都宮二荒山神社(栃木県宇都宮市馬場通り1-1-1)〉
2023年06月26日
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【参拝日:2023年(令和5年)6月5日(月)】 〈三輪神社(埼玉県吉川市三輪野江1371)〉
2023年06月05日
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【参拝日:2023年(令和5年)5月20日(土)】 ※ 公式HPより 後冷泉天皇康平六年(一〇六三年)、京都の石清水八幡を勧請し、今戸八幡を創建。昭和十二年七月に、白山神社を合祀、今戸神社と改称。應神天皇の御神徳は武運長久と慈愛をこめて子を育てる大愛を本願としております。 後冷泉天皇康平六年(一〇六三年)、時の奥羽鎮守府将軍伊豫守源頼義・義家父子が、勅令によって奥州の夷賊安部貞任・宗任の討伐の折、篤く祈願し、鎌倉の鶴ヶ岡と浅草今之津(現在の今戸)とに京都の石清水八幡を勧請したのが今戸八幡(現在の今戸神社)の創建になります。 その後、白河天皇永保元(一〇八一年)、謀反をおこした清原武衡・家衡討伐のため、源義家が今之津を通過するあたり戦勝を祈願しました。その甲斐あって勝ち、いくさをおさめることができ、義家は神徳に報いて社殿を修復しました。 戦乱兵火に遭うごとに再建されること、しばしばでした。 江戸時代、三大将軍徳川家光は、今戸八幡の再建ののために官材を下され、舟越伊豫守と八木但馬守に命じて、寛永十三年(一六三六年)に再建が成りました。 大正十二年九月の関東大震災によって社殿はまたも灰燼に帰し、間もなく復興したものの、つぎは昭和二十年三月の東京大空襲でも重ねて被災の憂き目に遭ってしまいました。 こうした、被災=再建の歴史をくりかえしながら、同四十六年十一月、現在の荘厳な社殿が、氏子崇敬者の浄財によって造営されたのです。その間、昭和十二年七月に今戸の隣地に鎮座されていた白山神社と合祀、社名が今戸神社と改称されました。 御祭神は應神天皇、伊弉諾尊、伊弉冉尊、そして七福神のうちの福禄寿です。 應神天皇とその母神功皇后は、大陸文化を輸入して日本の文化興隆を図られたことは周知のとおりで、両神の関係は母子の情愛の信仰が古代の日本にもあったことの證左です。ですから、八幡さまの信仰は、一般には武運長久の霊験と思われていますが、一方で、母が子を抱きかかえ、慈愛をこめて子を育てる大愛を本願としているのです。伊弉諾・伊弉冉の二柱の神は、天神の命を受けて、日本の国土を創成し、諸神を産み、山海や草木を生したといわれる男女の神で、古くから産霊の神として仰がれています。”古事記”や”日本書紀”を見るまでもなく、縁を結び、生産の基盤を固める神として崇められてきました。 ※ 今戸神社※ ナミちゃん、いた 〈今戸神社(東京都台東区今戸1-5-22)〉
2023年05月21日
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【参拝日:2023年(令和5年)5月20日(土)】 境内、荒れてます ※ 玉姫稲荷神社 〈玉姫稲荷神社(東京都台東区清川2-13-20)〉
2023年05月20日
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【参拝日:2023年(令和5年)5月20日(土)】 ※ 合力稲荷神社 〈合力稲荷神社(東京都台東区浅草6-42-8)〉
2023年05月20日
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【参拝日:2023年(令和5年)5月20日(土)】 ※ 公式HPより 聖天様鎮座のいわれ 当山は推古天皇の御世、地中から忽然湧き出た霊山で、その時、金龍が天より降って山を廻り守護したと伝えられています。 それより6年後の夏、この地方が大旱魃に見舞われたとき、十一面観世音菩薩が悲愍の眼を開き、大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)の姿となってこの山に降臨されて、 苦しむ民を救いました。これが聖天様が当山に鎮座された起源であるといわれています。 聖天様の信仰 当山の聖天さまの霊験あらたかなことは、昔より広く知られております。 十一面観音菩薩を本地仏とする聖天さま(大聖歓喜天)は、仏法を守護し、 仏道を行ずる人々を守護する天部の神様でありますが、私たち衆生の迷いを救い、 願いをかなえさせてくださる大きなお力を持っておられます。 浴油祈祷 浴油祈祷は、聖天さまを供養する最高の祈祷法で、当山では毎朝欠かさず修されております。 祈祷を申し込まれますと、行者が七日間厳修いたします。 大根と巾着 境内各所に印されてあります巾着や大根は、御信心をされて祈願することによって得られるその御利益を端的に表したものです。 大根は身体を丈夫にしていただき、良縁を成就し、夫婦仲良く末永く一家の和合を御加護頂ける功徳を表しています。 巾着は財宝で商売繁盛を表し、聖天さまの信仰のご利益の大きいことを示されたものです。境内のあちこちに大根と巾着のシンボルを見ることができます。 〈待乳山聖天(東京都台東区浅草7-4-1)〉
2023年05月20日
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【参拝日:2023年(令和5年)5月20日(土)】 ※ 公式HPより 当社は、聖武天皇の神亀元年(724)9月11日、勅願によって鎮座され、以来1297年の歴史を持っています。 文治5年(1189)、源頼朝の奥州征討に際しての社殿の寄進、弘安4年(1281)、蒙古襲来の折、必勝を祈念しての、鎌倉将軍家お取り次ぎによる官幣(かんぺい:天皇から神に捧げる礼物)のご奉納などを経て、中世初めには大社としての発展を見ました。 殊に、千葉氏、宇都宮氏などの関東武将の信仰は篤く、関八州より、多くの参詣者を集めたと、伝えられています。 東に隅田の大川、西に霊峰富士、北に名山筑波といった名勝に恵まれ、江戸近世における社運はさらに隆昌、『江戸名所図会』(※)などにも大きく納められるところとなり、「神明さん」の通称のもと、市民の間にその名を馳せました。明治5年(1872)、郷社に格付けされ、以後、時の流れと共に名称などに変化はあったものの、ご神徳・社運の輝きはいよいよ高く、今日に及んでおります。 ※ 石濱神社 〈石濱神社(東京都荒川区南千住3-28-58)〉
2023年05月20日
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【参拝日:2023年(令和5年)5月20日(土)】 ※ 公式HPより 胡録神社は、永禄四年八月川中島合戦の折、上杉の家臣高田嘉左衛門(たかだかさえもん)なる者戦に敗れ、計らずも集いたる十二名の同志と、関東に厄難を逃れて落ちのび、当地の汐入に高田、竹内、杉本等数名と永住の地と定めて土着し、村落生活の安寧を祈願するため、守護神として永禄四年九月十九日、面足尊・惶根尊の両神を一祠に奉齋崇敬されたと伝えられます。 当社は古くは大六天と称したが明治二年太政官達により、神仏分離がされた際、往時武士が矢を支える武具を胡録と申した事と、また、当地汐入の生業として盛んであった胡粉作りの胡の字と大六天の六にあやかり、御社号を胡録神社と改称されました。 神殿は嘉永五年九月十九日改築造営されたものです。 汐入の辺りはその昔、蛎殻を石臼にかけ胡粉という人形の上塗りの塗料を造り出荷する生業が盛んであったが、境内には古き石臼が奉納されています。 八代目嘉左衛門の頃には、汐入大根の栽培地と変革し人気の高い作物であったが、今はその畑もなく、昭和末頃から汐入地区の再開発計画が進められ、平成の初期には見られた木造建築の旧家も取り壊され、多くの地主は、高層住宅へとその生活を移されました。 当社もその限りにあらず、平成十年の計画により、境内地を前方に遷座する事となりました。 平成十五年九月十九日には遷座を終え、竣工奉告祭が執り行われました。 ※ 胡録神社 〈胡録神社(東京都荒川区南千住8-5-6)〉
2023年05月20日
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【参拝日:2023年(令和5年)5月3日(水・憲法記念日)】 ※ 公式HPより 当神社の歴史は古く、1000年をさらにさかのぼります。主な御祭神(ごさいじん)は、天地に轟き、火と水の大いなる働きをつかさどりたもう、火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)・大雷大神(おおいかづちのおおかみ)・別雷大神(わけいかづちのおおかみ)です。推古天皇6年(598)、聖徳太子が天の神の声を聞いて、伊奈良(いなら)の沼に浮かぶ小島に祠(ほこら)を設け、天の神をお祀(まつ)りしたのが最初とされています。 ※ 雷電大祭 御札を求める人々、御祈祷を受けようとする信仰深い人々が、新緑の境内にあふれます。ことに5月3日・4日・5日には厄除け・雷除け・交通安全・方位除け・家内安全・社運隆昌・身体健全・電気安全・通信安全・工事安全・工場安全・諸安全祈願・氷嵐除け・雨乞い・豊作祈願などの御祈祷を受ける方々でにぎわいます。植木市など露店も出ます。 ※ 雷電神社総本宮 〈雷電神社総本宮(栃木県板倉町板倉2334)〉
2023年05月03日
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【参拝日:2023年(令和5年)4月28日(金)】 ※ 真言宗豊山派 照蓮院 〈真言宗豊山派 照蓮院(埼玉県越谷市瓦曽根1-5-43)〉
2023年04月28日
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【浄化日:2023年(令和5年)4月22日(土)】 朝、仕事の前に、黒水晶を浄化していただきました。 ※ 公式HPより 手水舎の先、右手にあります。もとは境内の湧水でしたが、関東大震災の後地下の水位が下がり、自噴しなくなったため、現在は地下約250~300メートルの深層から汲み上げています。持ち帰り出来ますが、早めに召し上がりください。 ※ 御霊水※ 卯之助の力石※ フジ 〈武蔵国 越谷郷 久伊豆神社(埼玉県越谷市越ヶ谷1700)〉
2023年04月22日
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【参拝日:2023年(令和5年)4月16日(日)】 あれ、立派な力石がある ※ 新町八幡神社 〈新町八幡神社(埼玉県越谷市越ヶ谷2-2-16)〉
2023年04月16日
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【参拝日:2023年(令和5年)3月26日(日)】 ※ 埼玉県護国神社 〈埼玉県護国神社(埼玉県さいたま市大宮区高鼻町3-149)〉
2023年03月26日
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【参拝日:2023年(令和5年)3月26日(日)】 ※ 公式HPより 2400年以上の歴史をもつといわれ、大いなる宮居として大宮の地名の由来にもなった日本でも指折りの古社。武蔵一宮として関東一円の信仰を集め、初詣には多くの参拝者で賑わいます。 氷川神社名の社は大宮を中心に、埼玉県および東京都下、神奈川県下におよびその数は280数社を数えます。 ※ 武蔵一宮 氷川神社 〈武蔵一宮 氷川神社(埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1-407)〉
2023年03月26日
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【参拝日:2023年(令和5年)3月20日(月)】 ※ 公式HPより 開創 延暦十年 西暦791年 坂上田村麻呂将軍、八幡太郎義家再建 本尊 聖観世音菩薩、聖徳太子一刀三禮御作 開山 観月徹禪大和尚(前永平宗慶4世中興・總泉17世中興兼最乗258世) 江戸時代「下谷の三寺」として下谷・廣徳寺、入谷・鬼子母神と共に、箕輪の圓通寺として、有名であった。 百観音というのは当寺の通称で門前に(秩父・板東・西國)の観音像を安置した観音堂が有ったからである。ただし安政2年の大地震にて倒壊、現在三十三体が本堂に安置されている。 当寺を中心に六里四方を観音原と呼んでいたが、八幡太郎義家が奥羽征伐して賊首四拾八を此処に埋め四拾八塚を築いたことにより、小塚原とこの辺が呼ばれる様になった。 また、慶応四年(1868)五月十五日上野の山内にて戦死した、彰義隊の遺体は「賊軍」がゆえ、戦場に散乱放置したままで在ったのを、当寺二十三世「大禅佛磨大和尚」が、上野の山に出向き、斬首覚悟で供養していた。勿論、官軍に拘束されるが、幸いにも当寺に埋葬供養を許すという官許をいただけた。 これが、逆に明治時代に唯一「賊軍」の法要が、おおっぴらに出来る寺として、旧幕臣の信仰を集める結果となった。 「彰義隊戦死者」は義商「三河屋幸三郎」の助力をえて、現在の西郷銅像の後方にて火葬(現在でも記念碑があるが、火葬場所で墓では無い)遺骸266体を当寺に埋葬する。 ※ 曹洞禅宗 円通寺 〈曹洞禅宗 円通寺:東京都荒川区南千住1-59-11〉
2023年03月20日
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【参拝日:2023年(令和5年)3月20日(月)】 ※ 公式HPより 当社の開祖となる黒珍(こくちん:修験道の開祖役小角の高弟)の住居の東方小高い塚上に奇岩がありました。 黒珍はそれを霊場と崇め日夜斎戒礼拝すると、平安時代延暦14年(795)4月8日の夜、小塚の中の奇岩が突如光を放ち二柱の神様が翁に姿を変えて現れ、「吾れは素盞雄大神・飛鳥大神なり。吾れを祀らば疫病を祓い福を増し、永く此の郷土を栄えしめん。」と御神託を授け、黒珍は一祠を建て丁重にお祀りし、当社が御創建されました。 次いで素盞雄大神の御社殿を西向きに御造営し6月3日、飛鳥大神の御社殿を南向きに御造営し9月15日、それぞれ御神霊をお遷し致し、4月8日「疫神祭」・6月3日「天王祭」・9月15日「飛鳥祭」の祭禮日が定まりました。江戸時代享保3年(1718)、類焼による両社炎上のため、同12 年に相殿(あいどの:一つの御社殿)として二柱を祀る御殿(瑞光殿:ずいこうでん)を新たに建築し奉斎しました。 荒川区南千住・三河島(現:荒川)・町屋・台東区三ノ輪の区内で最も広い氏子区域61ヶ町の鎮守で、平成7年には御鎮座1200年祭が厳粛盛大に斎行されました。 ※ 素盞雄神社(すさのお神社) 〈素盞雄神社(すさのお神社):東京都荒川区南千住6-60-1〉
2023年03月20日
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【参拝日:2023年(令和5年)2月12日(日)】 建国祭の神職をお迎えに行っていきました。 ブレスレットを浄化していただきました。 〈武蔵国 越谷郷 久伊豆神社:埼玉県越谷市越ヶ谷1700〉
2023年02月12日
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【参拝日:2023年(令和5年)2月7日(火)】 ※ 古城天満宮 〈古城天満宮:埼玉県羽生市東5-7-1〉
2023年02月07日
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【参拝日:2023年(令和5年)2月7日(火)】 地元の神社と似た名前 思わず、参拝してきました。 ※ 新田稲荷神社 〈新田稲荷神社:埼玉県加須市外野〉
2023年02月07日
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【拝受日:2023年(令和5年)1月28日(土)】 御朱印と間違えたわけではありません。 勢いでいただいてきました。 〈武蔵国 越谷郷 久伊豆神社:埼玉県越谷市越ヶ谷1700〉
2023年01月28日
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【参拝日:2023年(令和5年)1月15日(日)】 月次祭を兼ねて、行ってきました。 ※ 公式HPより 1月14日および1月15日はお正月飾りをお焚き上げする、どんと焼きの日となります。 〈越谷久伊豆神社:埼玉県越谷市越ヶ谷1700〉
2023年01月15日
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【参拝日:2023年(令和5年)1月15日(日)】 日曜日だし、どんと祭だし、参拝してきました。 月次(つきなみ)とは、「毎月」のことです。自由に参列できます。 ※ 公式HPより 毎月一日と十五日に月次祭を執り行っております(1月1日以外)。祭典に先立ち、神職自身をお祓いし、本殿へ向かいます。そこでは、久伊豆神社の神々に神饌がお供えされ、天皇陛下と皇室の安泰、国の隆昌と地域の発展、そして国民の安寧を祈ります。 祭典が終了すると、神職はじめ参列者が直会の御神酒を頂戴します。その後、神職は境内にある御末社に向かい、その神々にも神饌をお供えいたします。 〈越谷久伊豆神社:埼玉県越谷市越ヶ谷1700〉
2023年01月15日
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【参拝日:2023年(令和5年)1月1日(日・元旦)】 地元の神社に初詣 〈新田神社:埼玉県越谷市増森〉
2023年01月01日
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【参拝日:2022年(令和4年)12月31日(土)】 初めて、歳末詣に行ってきました。 1年間の感謝と新年の祈願に行ってきました。 これがいいかも 〈武蔵国 越谷郷 久伊豆神社:埼玉県越谷市越ヶ谷1700〉
2022年12月31日
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【参拝日:2022年(令和4年)12月16日(金)】 ※ 公式HPより 富士浅間神社は社伝によると、鎌倉時代の正治2年(1200年)の創建で、駿河国富士郡浅間神社の神鏡を折半してご神体として祀り、五穀豊穣・嬰児生育を祈願したと伝えられています。 その際、6月にもかかわらず雪が降り、その体積地点に神社を建立したともいわれています。 元亀2年(1571年)に城主・土岐治英の保護のもとに再興されました。 また子育ての「浅間様」で名高いこの神社では、旧暦の6月1日、子どもの健やかな成長を願って、誕生から数え年7歳まで毎年続けて裏手にある富士山に見立てた小さな山に登る「初山参り」が行われます。 親に連れられた子どもたちは、高さ34.8mの「富士山」にのぼり、山頂の本殿にお参りした後、噴火口をかたどったお鉢を一巡りして初山参りを終えます。 この儀式は今なお受け継がれ、早朝からたくさんの親子連れが山頂を目指します。 ※ 富士浅間神社 〈富士浅間神社:茨城県龍ケ崎市八代町2177〉
2022年12月16日
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【参拝日:2022年(令和4年)12月16日(金)】 ※ 公式HPより 川原代町鎮守の八幡神社は、川原代小学校の脇にあります。 右の写真の、鳥居の奥に写っているのは小学校の体育館です。 「寛治7年(1093年)、鎮守府将軍源義家が奥羽の賊平定の帰路にこの地に寄り、戦勝を祝賀して本社を創建し、祭神誉田別命を祀り、神恩に報いた」という言い伝えがあります。 また文安年中(室町時代)に創立され、天正年間(1573~1592年)に焼失し、その後再興されたともいわれていますが定かではありません。 現在は、紅葉内・中坪・西道内・芳黄・知手・姫宮・砂波・中郷の氏神として祀り、旧暦8月15日(十五夜)を例祭と定めています。 〈川原代町八幡神社:茨城県龍ケ崎市川原代町3513〉
2022年12月16日
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【参拝日:2022年(令和4年)12月16日(金)】 ラーショ結束のあと、参拝しました。 神社の周りは牛久市で、神社の住所は龍ヶ崎市、見事な飛び地で、地図マニアにはたまりません。 ※ 公式HPより 金竜寺を背にニュータウン北竜台地区を北東に向かって3キロメートルほど進むと、牛久市の中の龍ケ崎市の飛び地に女化神社があります。 建久年間(1190~1198年)に創立されたといわれ、農業神としての信仰が厚く、五穀豊穣・家内安全祈願に近隣から多くの参拝者が訪れます。 かつては稲荷大明神と呼ばれていました。 大祭は旧暦2月の初午の日で、植木市が開かれて盛大に催されます。 ここには「みどり子の母はと問はば女化の原になくなく臥すと答へよ」という歌とともに、狐の恩返し伝説が残されています。 境内には、珍しい親子の狐像が祀られています。 狛犬代わりの狐は、3人の子どもにちなみ3匹の子狐を抱えています。 〈女化神社(おなばけじんんじゃ):茨城県龍ヶ崎市馴馬町5387〉
2022年12月16日
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【参拝日:2022年(令和4年)12月16日(金)】 ※ 公式HPより 当神社は、第二十五代武烈天皇の壬午の歳(502年)に、筑波山の西方、常陸と下総の国境に、大神様を奉斎されたと伝えられております。 社伝によると、その土地の人々が、度重なる水害に困り果てていたところ、大きな白鳥に乗られた大神様がご降臨され、治水して下さいましたので、農作物も豊かに実り、平安を取り戻す事が出来た、とございます。その時より奉斎されましたが、国境の改修等により、幾度か鎮座地も移され、応永32年(1426年)に、現在の茨城県下妻市坂井の地に奉斎され、以来今日に至るまで、遠近より大神様の御神徳を仰ぐ崇敬者が絶えません。 ※ 千勝神社(ちかつじんじゃ) 〈千勝神社(ちかつじんじゃ):茨城県つくば市泊崎173〉
2022年12月16日
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【参拝日:2022年(令和4年)12月16日(金)】※ 泊崎大師堂(はっさきたいしどう) 〈泊崎大師堂(はっさきたいしどう):茨城県つくば市泊崎43〉
2022年12月16日
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【参拝日:2022年(令和4年)11月23日(水・勤労感謝の日)】 雨です。 ※ 公式HPより 12月 御燎祭(おかがりさい・旧暦10月末日) 昔から10月は「神無月」といわれ、全国の神々が出雲へおでましになるという信仰が古来広く普及しています。当神社では、神様が末日の夜には神社にお帰りになるという信仰からこの御燎祭を斎行し、境内にて篝火を焚き神様をお迎えし、あわせて氏子・崇敬者にこれより一年間火の災いのないようにと祈願祭を行います。当夜は古神札や古熊手などを持参した多数の参拝者がかがり火にてお焚き上げをしますが、この火に当たると風邪にかからないといわれています。晩秋を彩る当神社ならではの神事です。 なお、出雲ではこの10月を神在月(かみありづき)といい、出雲大社の諸神事は現在でも旧暦によって行われています。そのため当社でもこの神事を旧暦10月晦日にて斎行しております。 おかがり祭では、久伊豆神社奉仕会の皆さんにご協力いただき、お焚き上げの火の管理などをお願いしております。奉仕会は平成7年に行われた「越谷お木曳祭」の実行委員会を前身として組織されたものであり、20年以上にわたり神社祭典の助勢や、お焚き上げ、境内清掃などを行っていただいております。特に、一昔前のダイオキシン問題により伝統文化であるお焚き上げが行いにくい時期もありましたが、その時にも「分別をすれば、お焚き上げは出来るはず」と積極的にご協力いただきました。 神様をお迎えするかがり火とともに奉納される御神楽は、夜空のなかで幻想的であり、参拝者の耳目を惹きつけます。また、奉仕会のご婦人方による甘酒も振舞われます。 ※ おかがり祭 〈越谷久伊豆神社:埼玉県越谷市越ヶ谷1700〉
2022年11月23日
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【参拝日:2022年(令和4年)11月14日(月)】 ※ 公式HPより 旗下山慈眼寺(きかさんじげんじ)は、788年前に小さな祠から始まったと伝えられています。仏教曹洞宗の寺院で、本尊は聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)です。 この場所は太古の昔、日本武尊が東国遠征の折に立ち寄り、御旗を建てさせたことにより旗の下(ハタノシタ)と呼ばれました。それが当山の俗称であるハケノシタに変わってきました。 目の仏様、薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)を祀り、日本全国から目に悩みを持つ方や、めを伸ばしたい方がお参りに訪れます。 毎年1月8日は「初薬師」、7月8日は「あめ薬師」と呼ばれる御祈願例大祭があり、特にあめ薬師では山門前に露店が立ち並び、夕方からは2万人を超す人で賑わいます。 ※ 旗下山 慈眼寺 〈旗下山 慈眼寺:埼玉県秩父市東町26-7〉
2022年11月14日
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【参拝日:2022年(令和4年)10月29日(土)】 通りががって 〈七左稲荷神社:埼玉県越谷市新越谷1-38-3〉
2022年10月29日
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【参拝日:2022年(令和4年)10月22日(土)】 今日は、天赦日(てんしゃび、たんしゃにち) 日本の暦の上で最上の吉日とのことで、参拝してきました。 ※ 久伊豆神社 〈久伊豆神社:埼玉県越谷市越ヶ谷1700〉
2022年10月22日
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【参拝日:2022年(令和4年)10月22日(土)】 今日は、天赦日(てんしゃび、たんしゃにち) 日本の暦の上で最上の吉日とのことで、ゆかりの神社に参拝してきました。 ※ 越谷久伊豆神社 越谷の総鎮守※ 増森神社 増森村の鎮守※ 新田稲荷神社 地元の鎮守※ 古峯神社、三峯神社※ 守宮とご対面 ※ 雷電神社
2022年10月22日
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【参拝日:2022年(令和4年)10月15日(土)】 ※ 香取稲荷神社※ あっ、あれは※ 大好き力石※ ビミョー※ それっぽいっけど 〈香取稲荷神社:埼玉県さいたま市岩槻区新方須賀1056〉
2022年10月15日
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【参拝日:2022年(令和4年)10月9日(日)】 ※ 真言宗智山派 松寿山 東福寺 〈真言宗智山派 松寿山 東福寺:埼玉県草加市神明1-3-43〉
2022年10月09日
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【参拝日:2022年(令和4年)9月29日(木)】 ※ 公式HPより 奥ノ院峯の山頂近くに祀られた奥宮(男具那社) ※ 武蔵御岳神社 奥宮(男具那社)遥拝所(ようはいじょ) 〈武蔵御岳神社 奥宮(男具那社)遥拝所(ようはいじょ):東京都青梅市御岳山176〉
2022年09月29日
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【参拝日:2022年(令和4年)9月29日(木)】 ※ 公式HPより 弊殿・拝殿裏手にある大口真神社は、盗難除けや魔除けの神として知られる大口真神(おおくちまがみ)を祀っています。“おいぬ様”と呼ばれて信仰を集め、愛犬の健康を願う人々がよく参拝に訪れています。 ※ 大口真神社(おおくちまかみしゃ) 〈大口真神社(おおくちまかみしゃ):東京都青梅市御岳山176〉
2022年09月29日
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【参拝日:2022年(令和4年)9月29日(木)】 ※ 公式HPより 御岳山山頂には山岳信仰のシンボルとして知られる武蔵御岳神社が鎮座し、天平8年(西暦736年)行基がこの地にお堂を建て、蔵王権現を祀ったことに由来します。隣接する宝物殿には国宝をはじめとした貴重な物品が多数展示されています。 ※ 武蔵御嶽神社 〈武蔵御嶽神社:東京都青梅市御岳山176〉
2022年09月29日
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【参拝日:2022年(令和4年)9月29日(木)】 ※ 公式HPより ケーブルカー御岳山駅前の御岳平から、リフトに乗っていくとすぐの場所にある、武蔵御嶽神社の摂社です。境内には夫婦杉(良縁結び・夫婦円満)、子授け檜(子授け・男女和合)、安産杉(安産・子孫繁栄・長寿)の3本の御神木が並んでいます。 武蔵御嶽神社の「大口真神社」として安政5年に創建されたお社が、昭和17年に移築されて「産安社本殿」となりました。 ※ 産安社※ あれ、リフトが動いていない。やばいぞ。※ やっぱり、やばいぞ。※ いい景色※ 御嶽神社に向かいます。 〈産安社:東京都青梅市〉
2022年09月29日
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【参拝日:2022年(令和4年)9月29日(木)】 お酒の神社 ※ 公式HPより 祭神:大山咋命(おおやまくいのみこと) 例祭:9月13日 当神社は寛政12年(1800)武蔵国の醸造家の懇請により京都の松尾大社より勧請された神社である。鳥居は文化4年(1807)に建立されており、奉納した醸造家達の名前が彫られている。 御祭神である大山咋命は、太古より醸造の守護神であると共に開拓の粗神として御神徳高き神で、酒、醤油、味噌、麹等の業者及び開拓関係者の信仰厚く霊験顕著で有名である。昭和31年(1956)に東京都酒造組合により現在の覆屋が奉納された。 ※ 松尾神社 〈松尾神社:東京都府中市宮町3-1〉
2022年09月29日
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【参拝日:2022年(令和4年)9月29日(木)】 東京五社巡り ※ 公式HPより 武蔵国の守り神 大國魂神社は大國魂大神[おおくにたまのおおかみ]を武蔵国の守り神としてお祀りした神社です。 この大神は、出雲の大国主神と御同神で、大昔武蔵国を開かれて、人々に衣食住の道を教えられ、又医療法やまじないの術も授けられた神様で、俗に福神又は縁結び、厄除け・厄払いの神として著名な神様です。 ※ 大國魂(おおくにたま)神社※ 初めて人形(ひとがた)をやってみました。※ 全身の穢れを人形に移して 〈大國魂(おおくにたま)神社:東京都府中市宮町3-1〉
2022年09月29日
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【参拝日:2022年(令和4年)9月27日(火)】 ※ 公式HPより 当社の創祀された時は明らかではありませんが、古くからの言い伝えによると貞観年間(清和天皇・859~876年)には既に鎮座していたと云われています。 鎮座地の日本橋室町二丁目付近は、往古は武蔵国豊島郡福徳村(あるいは豊島郡野口村福徳)と伝えられ、農漁家の点在する片田舎だったそうです。 古くは稲荷の祠と呼ばれていましたが、後にその村名をとって「福徳稲荷」と呼ばれました。 また土地の人は神社の森を「稲荷の森」、その森の一端に建てられていた里程標(石造一里塚)を「稲荷の一里塚」と呼び親しんでいました。 後の明暦3年(1657)正月8日の大地震により、一里塚は崩壊してしまいました。 当時の人々は、この石碑の破片を集め保存したと考えられています。 その碑名の写しは次の通りです。 表 宮戸川邊り宇賀の池上に 立る一里塚より此福徳村 稲荷森塚迄一里 裏 貞観元年卯年 三つき吉祥日 江戸時代の社家であった森村氏の言い伝えによると、源義家公、太田道灌公など武将の崇敬も厚く、後に道灌公は相殿に合祀されました。 徳川家康公は天正18年(1590)8月に初めて当社に参詣され、その後参詣は数度に及んだといいます。 後に、本田忠勝が関ヶ原の戦いの功績により家康公より賜った紙入れを当社に奉納した際、これを東照宮の神霊として祀るように命じ、以来相殿に奉斎されています。 さらに、二代将軍秀忠公は慶長19年(1614)正月28日に参詣し、「福徳とはまことにめでたい神号である」と称賛されました。この時、当社古例の椚(くぬぎ)の皮付き鳥居に、春の若芽の萌え出でたのをご覧になり、当社の別名を「芽吹稲荷」と名付けられました。 元和5年(1619)2月に御城内の弁天宮を当神社に合祀するにあたり、将軍自ら神霊を納められ、大和錦の幌を奉納され、さらに社地を333坪余と定められました。 当初は近隣一帯が田園であった福徳の地も江戸に幕府が開かれてより商家が軒を並べる繁華街となり、この地も伊勢町・瀬戸物町の二つの町名と変り、その付近を「浮世小路(うきよしょうじ)」と称されるようになりました。その二百数十年の間に数度にわたる火災や境内地一部の上地などにより維新後に至っては40余坪ほどになってしまいました。とは言え、町内の崇敬は厚く、天保の改革により存続の危機に見舞われた際も、一致して再興に力を尽くしました。 明治7年(1847)8月9日、政府により当地の由緒・信仰を認められ「村社」の社格を定められ、社号が福徳稲荷から福徳神社へと変わりました。以後、瀬戸物町を氏子とし、室町・本町・伊勢町・安針町その他に崇敬者を擁し、祭典・営繕維持に尽力しました。 関東大震災後の区画整理により日本橋区室町2丁目4番地に遷座、戦災に遭いながらも、昭和48(1973)年1月に中央区日本橋室町2丁目4番14号に遷座し平成を迎えました。 この間、日本橋界隈は商家の街並みからビル街へと変遷するなかで、当社もその大きな波を避けること適わず、ビルの屋上へと移転しながらも維持されていきました。 平成18年(2006)日本橋室町の再開発による建て替えに伴い、4度の遷座。平成26年(2014)に現在の新社殿が竣工し、江戸時代より続く「日本橋のお稲荷様」として日本橋に行き交う多くの人々の崇敬を集めています。 ※ 福徳神社(芽吹稲荷) 〈福徳神社(芽吹稲荷):東京都中央区日本橋室町2-4-14〉
2022年09月27日
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【参拝日:2022年(令和4年)9月27日(火)】 ※ 筑土八幡神社 〈筑土八幡神社:東京都新宿区筑土八幡町2-1〉
2022年09月27日
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