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【見た日:2023年(令和5年)3月20日(月)】 こち亀で出てきていた、東京スタジアム跡地 毎日大映オリオンズの本拠地 〈東京スタジアム跡地:東京都荒川区南千住6-45-1)
2023年03月20日
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【見た日:2023年(令和5年)2月7日(火)】 ※ 公式HPより 利根川の治水のために カスリン台風に因る異常な降雨を集めた利根川は昭和22年9月13日夜半この堤防を溢れ決潰しその濁流は延々と東京都を浸しました。昭和10年と16年にも大出水があり過去の改修工事では、利根川を守りきれない事が明らかになったにも拘らず戦争の噪音にまぎれて治水を怠ったからであります。敗戦後の乏しい国力と変動する社会情勢の下にあって利根川の復舊と増補に苦しんだ我々はこの国土に住む限り治水を疎かにしてはならないことを痛感し沿岸の方々と我々に続く河川工事関係者に不断の努力を切望致します。 ※ 決壊口跡 〈決壊口跡:埼玉県加須市新川通(カスリーン公園)〉
2023年02月07日
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【訪問日:2022年(令和4年)11月14日(月)】
2022年11月14日
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【訪問日:2022年(令和4年)11月14日(月)】 ※ 公式HPより 秩父神社大祭の神幸祭は、12月3日この御旅所中心に行われる。重要有形民俗文化財秩父祭屋台が曳きそろえられるのもこの御旅所である。 この御旅所の由来は詳でないが、記録によれば神幸祭に供奉する屋台は寛文年間(1661-72)とあることから、その頃のものと思われ、亀の子石は、江戸末期まで秩父神社が妙見宮といわれ、妙見信仰に由来する。 ※ 秩父神社大祭御旅所(埼玉県秩父市) 秩父神社大祭御旅所(埼玉県秩父市野木町 秩父公園内)
2022年11月14日
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【作って食べた日:2022年(令和4年)11月12日(土)】 今日は、いつもの冷蔵庫の残りご飯シリーズではなくて、炊飯器の12時間経過したご飯で
2022年11月12日
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【見た日:2022年(令和4年)11月6日(日)】 こんな仏像、でてきました。
2022年11月06日
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【参拝日:2022年(令和4年)10月9日(日)】 草加宿を開宿した大川図書 ※ 大川図書の墓 〈大川図書の墓:東福寺 埼玉県草加市神明1-3-43〉
2022年10月09日
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【見た日:2022年(令和4年)9月29日(木)】 武蔵御嶽神社の神主・御師の営む宿坊・茶処です。茅葺屋根が目印の建物は江戸末期の慶応二年(1886年)に建立、「馬場家御師住宅」として東京都指定有形文化財に登録されております。歴史にふれ、自然にふれ、ぬくもりにふれ、どうぞごゆっくりとおくつろぎください。 ※ 東京都指定有形文化財 馬場家御師住宅 〈東京都指定有形文化財 馬場家御師住宅:東京都青梅市御岳山54〉
2022年09月29日
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【見た日:2022年(令和4年)9月29日(木)】 ※ 公式HPより この辺りは細馬(ほそま)と呼ばれ、朝廷へ貢進する良馬(細馬)を試走させた馬場だったことに由来する。 「延喜式」によれば、武蔵国は50頭の馬を貢進することが定められていた。 ※ 細馬(ほそま) 〈細馬(ほそま):東京都府中市宮町2-7-5〉
2022年09月29日
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【見た日:2022年(令和4年)9月29日(木)】 ※ 公式HPより 武蔵国府跡は、奈良平安時代の武蔵国府の中心地にあたる国衙の跡地です。建物跡の一部が復元され、見学施設として開放されています。 古代国府に関する文献は少ないため、研究には考古学的手法が欠かせません。府中市では、昭和50年以来、継続的に発掘調査を行ってきました。その成果の一つとして、国衙(国司が政を行った役所)の所在場所の判明がありました。この武蔵国府跡を中心に、南北約300m、東西約200mの大規模な区画溝に囲われた地域には、整然と並んだ大型の建物群の跡が発見され、瓦などの特徴的な遺物が出土しています。 また、調査により、国府全体の様子が徐々に明らかになってきています。国衙付近の東西約2.2 ㎞、南北約1.8 ㎞の範囲に竪穴建物が密集しており、この範囲に国衙に関連した空間が広がっていたことが推測されます。一部では、東西・南北に直線に延びる道路や道路に沿って建設された建物の遺構などが発見され、一定の都市計画があったことが分かりました。これまでに都から赴任した国司の館跡、役所と推測される建物跡、井戸や鍛冶工房を備えた住居跡などが見つかっています。また、硯や木簡を削る小刀などの役所で使う文房具を始め、土器や鉄製品などの生活道具、施設の名称や人名の書かれた土器などが出土し、そこに住んでいた人々の様子まで分かるようになったのです。 ※ 史跡 武蔵国府跡(国衙地区) 〈史跡 武蔵国府跡(国衙地区):東京都府中市宮町2-5-3〉
2022年09月29日
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【見た日:2022年(令和4年)9月29日(木)】 ※ 国史跡 武蔵国府跡 〈国史跡 武蔵国府跡:東京都府中市宮町3-1〉
2022年09月29日
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【見た日:2022年(令和4年)9月29日(木)】 ※ 公式HPより 馬場大門のケヤキ並木は、大國魂神社の北に延びる参道に所在し、大國魂神社の大鳥居から約600m 続きます。大正13年(1924)に全国で 2番目に指定された由緒ある天然記念物です。指定当時は幹周3m以上の巨木が60 本以上も整然と並び、その間にイヌシデ、コナラ、スギなどを交えた壮観な様相を呈していました。 このケヤキ並木は徳川家康が大國魂神社に2条の馬場と並木を寄進したことが始まりといわれ、「馬場」の地名はこの寄進に由来したといわれています。幕末までは馬市も開催されていました。 大鳥居から北に向かってケヤキ並木を歩いていくと、右側の歩道に源義家像が見えてきます。これは、平成4年に建てられたものですが、初めてケヤキが植えられたのは、平安時代に前九年の役の戦勝祈願成就のお礼として源義家が並木を寄進したという伝承に由来しています。 更に歩いていくと、京王線府中駅に差し掛かります。江戸時代には、ケヤキ並木周辺は宿場のある甲州街道周辺と比べ人通りが少なかったようですが、明治以降、甲州街道・市中心部・鉄道を結ぶ通りとして発展しました。現在は沿道に商業施設が建ち並び、市の中心地となっています。このため、交通量の増加・市街地化・老木化などによりケヤキ並木の維持が難しくなってきています。地元では、60 年近くにわたりケヤキ並木の保全や環境整備を行っています。 ※ 馬場大門のケヤキ並木 〈馬場大門のケヤキ並木:東京都府中市〉
2022年09月29日
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【訪問日:2022年(令和4年)9月29日(木)】※ 武蔵国府跡(国司館地区)史跡広場 〈武蔵国府跡(国司館地区)史跡広場:東京都府中市本町1-14-14〉
2022年09月29日
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【見た日:2022年(令和4年)9月27日(火)】 ※ 公式HPより 九段下から飯田橋に通じる目白通りの「飯田橋散歩路(サンポーロ)」。 通りには多くの歴史の標柱や地図版が並んでいます。その一つがこの「徽章業発祥の地」の碑です。東京大神宮へ向かう大神宮通りの入り口の角に建っています。 明治18年(1885)、鈴木梅吉がこの地に 日本帝国徽章商会を創りました。これは民間の徽章業のはじめで、特に明治末期・大正の初期においては 日本で唯一の徽章の製作工場として 大変栄えました。 現在の徽章業の方々の大多数は この商会の流れを汲み,徽章業は 飯田町の日本徽章商会から生まれた といわれています。そして、現在もこのあたりには 徽章業に従事する方が多くいます。 ※ 徽章業発祥の地 〈徽章業発祥の地:東京都千代田区飯田橋1-7〉
2022年09月27日
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【見た日:2022年(令和4年)9月16日(金)】 脇往還、いい感じ 石田堤も、いい感じ 〈日光脇往還:埼玉県行田市堤根〉
2022年09月16日
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【見た日:2022年(令和4年)9月16日(金)】 ※ 箕田古墳群 箕田二号墳 〈箕田古墳群 箕田二号墳:埼玉県鴻巣市箕田1260〉
2022年09月16日
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【見た日:2022年(令和4年)9月16日(金)】 ※ 箕田古墳群 箕田七号墳 〈箕田古墳群 箕田七号墳:埼玉県鴻巣市箕田2041〉
2022年09月16日
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【見た日:2022年(令和4年)9月16日(金)】 ※ 箕田追分 〈箕田追分:埼玉県鴻巣市箕田〉
2022年09月16日
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【見た日:2022年(令和4年)9月16日(金)】 ※ 旧小谷村史碑(埼玉県鴻巣市) 〈旧小谷村史碑:埼玉県鴻巣市小谷1,933〉
2022年09月16日
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【見た日:2022年(令和4年)9月16日(金)】 ※ 愛宕山古墳 〈愛宕神社:埼玉県鴻巣市下忍〉
2022年09月16日
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【見た日:2022年(令和4年)9月16日(金)】 ※ 土木学会公式HPより 竣工年 1933(昭和8)年 堀切橋は「親柱頂部に尖頭や半球が施され、高欄は三角形等の空間がある。これらの表面に幾何学模様が刻まれており、野外アート風の橋である貴重な土木遺産」であります。※ 堀切橋 〈堀切橋:埼玉県行田市堤根1311〉
2022年09月16日
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【見た日:2022年(令和4年)9月16日(金)】 ※ 公式HPより 天正18年(1590年)の忍城水攻めの際に石田三成によって築かれた堤の跡。現在、282mが史跡として残り、一部が公園として保存されています。 公園内には当時の様子を知ることができる案内板や音声解説などもあり、戦国の歴史にふれることができます。 〈石田堤:埼玉県鴻巣市袋3261〉
2022年09月16日
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【訪問日:2022年(令和4年)8月18日(木)】 ※ 公式HPより 河野省三は、明治15年(1882)に騎西町(現加須市騎西)の神官の家に生まれました。私立埼玉中学校(現不動岡高校)、国学院大学を卒業後、玉敷神社社司を務めるかたわら、母校の埼玉中学校の教師となり、大正4年(1915)からは、国学院大学、曹洞宗大学(現駒沢大学)、日本大学、東京文理科大学(現筑波大学)などで教鞭をとりました。 昭和10年(1935)には、国学院大学出身として初めて、国学院大学の学長に就任しました。同年、騎西町による大学長就任の祝賀会が盛大に開催されています。 長年にわたり精力的に神道と国学の研究に取り組み、膨大な著作物を世に残しました。こうした研究成果に対し、昭和36(1961)年に池田内閣から紫綬褒章を受章しています。 昭和38年(1963)1月に逝去し、同年、騎西町の名誉町民第1号となりました。 ※ 旧河野邸跡※ 電話番号、20番だって! 〈旧河野邸跡:埼玉県加須市騎西〉
2022年08月18日
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【見た日:2022年(令和4年)8月18日(木)】 ※ 旧種足村役場跡 〈旧種足村役場跡:埼玉県加須市中種足〉
2022年08月18日
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【見た日:2022年(令和4年)7月13日(水)】 ※ 登録有形文化財 川越市商工会議所(埼玉県川越市) 〈登録有形文化財 川越市商工会議所:埼玉県川越市仲町1-12〉
2022年07月13日
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【見た日:2022年(令和4年)7月13日(水)】 ※ 公式HPより 三芳野神社をお参りするには、細道の続く複雑なルートを通る必要がありました。 この細い参道こそが、城内にあり一般の人の参詣が難しい様子が歌われている童唄「通りゃんせ」発祥の地であるといわれる所似です。 〈童唄「通りゃんせ」発祥の地:埼玉県川越市郭町2-25-11 三芳野神社〉
2022年07月13日
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【見た日:2022年(令和4年)7月13日(水)】 富士見櫓跡の神社。ここでも、初山やっていました。こちらは落ち着いていて、いい感じです。 初山〈富士浅間神社:埼玉県川越市郭町2-15〉
2022年07月13日
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【見た日:2022年(令和4年)7月13日(水)】 〈剣道道場 川越明信館跡:埼玉県川越市郭町1-17-3〉
2022年07月13日
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【見た日:2022年(令和4年)7月13日(水)】 ※ 公式HPより 埼玉県川越市にある1901年(明治34年)創立の埼玉県最古の幼稚園 〈初雁幼稚園:埼玉県川越市大手町8-5〉
2022年07月13日
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【見た日:2022年(令和4年)7月13日(水)】 石碑だけ ※ 山村学園発祥之地 〈山村学園発祥之地:埼玉県川越市小仙波町1-2〉
2022年07月13日
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【訪問日:2022年(令和4年)7月13日(水)】 ※ 日枝神社古墳 〈日枝神社古墳:埼玉県川越市小仙波町1-4-1〉
2022年07月13日
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【参拝日:2022年(令和4年)7月13日(水)】 ※ 公式HPより 日本で茶の木が育てられるようになったのは、今から800年ぐらい前のことです。中国へ行っていたお坊さんが、茶の木の種を持ちかえり畑に蒔いたのが、その始まりと言われています。 それからしばらく時がたって、今の川越(「河越」)に茶の木を植えたのが、もとになったと言われています。これが今の「狭山茶」の始まりです。 ※ 狭山茶発祥之地 ※ 天台宗 星野山 無量寿寺 中院 〈狭山茶発祥之地(埼玉県川越市市小仙波町5-15-1 天台宗星野山無量寿寺中院内〉
2022年07月13日
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【訪問日:2022年(令和4年)7月13日(水)】 ※ 氷川神社古墳 〈氷川神社古墳:埼玉県川越市仙波町4-19-1〉
2022年07月13日
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【訪問日:2022年(令和4年)7月13日(水)】 ※ 公式HPより 新河岸川舟運の面影を伝える仙波河岸跡や、水や緑といった自然が多く残っており、歴史と自然を楽しむことができる歴史公園です。 仙波河岸跡、仙波の滝、湿性地などの区域を遊歩道や木デッキで回遊することができます。 ※ 仙波河岸史跡公園(埼玉県川越市) 〈仙波河岸史跡公園:埼玉県川越市仙波町4-21-2〉
2022年07月13日
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【見た日:2022年(令和4年)7月13日(水)】※ 愛宕神社古墳 〈愛宕神社古墳:埼玉県川越市富士見町33-1〉
2022年07月13日
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【見た日:2022年(令和4年)7月13日(水)】 ※ 浅間神社古墳 〈浅間神社古墳:仙波浅間神社 埼玉県川越市富士見町21-1〉
2022年07月13日
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【見た日:2022年(令和4年)7月12日(火)】 ※ 公式HPより 立教大学新築のため来日したW.ウィルソンの設計により建設。東西に細長い切妻造・平屋建で,外壁煉瓦造,内部は挟み組み式の小屋組を見せ,尖塔アーチの縦長窓や控壁にゴシック様式細部を備える。T字路の突き当たりに建ち,際だった景観を構成している。 ※ 国登録有形文化財 日本聖公会川越キリスト教会礼拝堂 〈国登録有形文化財 日本聖公会川越キリスト教会礼拝堂:埼玉県川越市松江町2-4-13〉
2022年07月12日
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【見た日:2022年(令和4年)7月12日(火)】 ※ 公式HPより 川越市及び周辺市民のため、文化活動及び交流拠点の創造、市民による文化活動の参画、文化事業の享受の機会を図るとともに、既存資源の最大限の活用を通して、豊かで楽しい社会生活の実現と中心市街地の活性化を促進することを目的とした法人です。 蔵造りの町並みからほど近くにある、「川越スカラ座」を運営しています。 川越スカラ座は明治38年に寄席として創業し、埼玉県で営業している映画館の中ではもっとも古い劇場です。 上映作品や時間、休館などの詳細はお問い合わせください。 ※ NPO法人プレイグラウンド スカラ座(埼玉県川越市) 〈NPO法人プレイグラウンド スカラ座:埼玉県川越市元町1-1-1〉
2022年07月12日
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【見た日:2022年(令和4年)7月12日(火)】 ※ 公式HPより 川越市指定文化財 時の鐘 時の鐘は、寛永4年(1627)から同11年(1634)の間に川越城主酒井忠勝が、多賀町(いまの幸町)の現在の場所に建てたものが最初といわれています。創建された江戸時代の初期から、暮らしに欠かせない「時」を告げてきた小江戸川越のシンボルです。 現在の鐘楼は、明治26年(1893)に起きた川越大火の翌年に再建されたもの。3層構造で、高さ約16メートル。 平成8年に、時の鐘は環境庁主催の「残したい“日本の音風景100選”」に選ばれました。 ※ 川越市指定文化財 時の鐘 〈川越市指定文化財 時の鐘:埼玉県川越市幸町15-7〉
2022年07月12日
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【見た日:2022年(令和4年)7月12日(火)】 ※ 国登録有形文化財 (旧八十五銀行本店本館)埼玉りそな銀行川越支店蔵の街出張所 〈国登録有形文化財(旧八十五銀行本店本館)埼玉りそな銀行川越支店蔵の街出張所:埼玉県川越市幸町4-2〉
2022年07月12日
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【見た日:2022年(令和4年)7月12日(火)】 ※ 公式HPより この建物は、寛政4年(1792)呉服太物を商っていた西村半右衛門(近江屋おうみや)が建てたもので、明治26年の川越大火の時も焼け残り、川越商人に蔵造りを建てさせるきっかけになった建物の一つである。間口6間、奥行4間と大きな店である。切妻造り平入り、桟瓦葺で1階前面に4尺の下屋庇を出す。元は、南側にも下屋が回り奥へ続いていたが現在は他の家への通路になっている。 1階は、1室の大きな部屋で、前面を土間叩たたき、背面および両側面の3方が半間の板敷きで残りは31畳の畳敷きとなっている。正面の3間に神棚が設けられており、他に例を見ない規模である。2階は、棟通りで2つに分かれ、道路側は14畳の広間と南室の2室があり、反対側は3室に分かれている。 外側の特色は、カゲ盛もりが明治の大火以後の厚く重々しい物に比べ非常に薄く板状になっていること、比較的小振りな棟などである。また、軒は出桁だしげた造りにはなっているが、出桁を、大火後は3尺毎の腕木で支えているのに対し、梁を4尺毎に出して直接受けている。さらに軒蛇腹じゃばらもなく出が少ない。特に、2階正面の窓は川越では唯一土格子になっている。外壁は当初は不明であるが、正面2階と背後の扉回りを黒漆喰仕上げとする大火直後の姿になっている。下屋は、中央間が開放で、左右の脇間は腰壁が入っている。1階の戸締りは、上屋筋で揚戸あげどによって行い、火事の際には幅2尺の土戸を外側にはめ込むようになっている。 当家は、土蔵造りが定型化する以前の様式を伝えるもので、関東地方の町屋でも古い方に数えられる貴重な建物である。 ※ 国指定重要文化財 大沢家住宅 〈国指定重要文化財 大沢家住宅:埼玉県川越市元町1-15-2〉
2022年07月12日
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【見た日:2022年(令和4年)7月1日(金)】 以前から、道路を通るたび、気になっていたオーラが出ているお屋敷。素敵。 〈茅葺き:埼玉県越谷市砂原〉
2022年07月01日
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【見た日:2022年(令和4年)6月22日(水)】 ※ 公式HPより 大間野町旧中村家住宅は江戸時代に旧大間野村(現越谷市大間野町周辺)の名主を勤めた中村氏の旧宅で、平成9年に越谷市が寄贈を受け、建築当初の姿に復元したものです。本施設は移築による保存ではなく、屋敷林に囲まれた敷地全体を保存しています。 敷地内には主屋、長屋門、石蔵、土蔵があります。いずれも現在では失われつつある伝統的な建築技法と古材を出来る限り再利用して復元しています。また、各建物にはむかしの生活用具や中村家に関する記録などを展示しています。 令和3年には、旧名主層の屋敷構えを今に伝える建物として国登録有形文化財に登録されました。生涯学習や学校教育における地域学習などにぜひご利用ください。 〈越谷市保存民家 大間野旧中村家住宅:埼玉県越谷市大間野町1‐100-4〉
2022年06月22日
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【参加日:2022年(令和4年)6月19日(日)】 八條八幡神社の本殿見学会に参加してきました。 ※ 公式HPより 八條八幡神社は宝徳年間(1449~1452)に山城国から八幡大神、武蔵国岩槻から久伊豆大神、同大宮から氷川大神の三神を併せ祀ったのが始まりと伝えられています。他の八幡神社と呼び分けるために「八條八幡神社」と呼称します。 登録文化財となる本殿は明治24年(1891)に再建されたもので、おびただしい彫刻が目につきます。柱や桁の木口の丸彫彫刻は勿論、向拝柱には昇降対になった竜の彫刻が見られ、柱や桁等が交差する隙間には、厚肉彫りの人間や鳥獣を施し、桁や梁の表面にも水波文様やそこに遊ぶ魚類があふれるように配されています。中でも注目されるのは両側面及び妻飾の彫刻で、明治22年2月11日に公布された「大日本帝国憲法」の発布式や御前会議の様子を題材としています。西側妻飾には、明治天皇と思われる人物から「憲法」と刻まれた奉書を受け取る様子が彫刻されています。 埼玉県内の社寺建築は江戸時代から彫刻類で満たされるようになり、この本殿もその特質をよく受け継いでいます。一方で彫刻の題材は、明治時代以降の社会情勢を投影した大日本帝国憲法発布式及び御前会議を画題としており、時事を題材とする彫刻は希少です。 ※ 御前会議の様子 ※ 西側妻飾の、明治天皇と思われる人物から「憲法」と刻まれた奉書を受け取る様子※ 明治22年2月11日に公布された「大日本帝国憲法」の発布式 ※ 向拝柱には昇降対になった竜の彫刻 〈八條八幡神社:埼玉県八潮市八條4067-2〉
2022年06月19日
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【見た日:2022年(令和4年)6月18日(土)】 ※ 回天 〈予科練平和記念館:茨城県阿見町廻戸5-1〉
2022年06月18日
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【見た日:2022年(令和4年)6月18日(土)】 ※ 零式艦上戦闘機(零戦)二一型 実物大模型 〈予科練平和記念館:茨城県阿見町廻戸5-1〉
2022年06月18日
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【見た日:2022年(令和4年)6月18日(土)】 ※ 沼尻墨倦の塾(寺子屋)跡 〈沼尻墨倦の塾(寺子屋)跡:茨城県土浦市土浦市中央1-12-5(琴平神社)〉
2022年06月18日
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【見た日:2022年(令和4年)6月18日(土)】 ※ 公式HPより 江戸時代後期の呉服店を改装した蔵で、観光案内や観光土産品の販売が行われています。 ※ 土浦まちかど蔵・大徳 〈土浦まちかど蔵・大徳:茨城県土浦市中央1-3-16〉
2022年06月18日
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【見た日:2022年(令和4年)6月18日(土)】 ※ 桜橋跡 〈桜橋跡:茨城県土浦市中央〉
2022年06月18日
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【見た日:2022年(令和4年)6月18日(土)】 土浦城内に創建した藩校の郁文館の正門です。 〈市指定有形文化財(建造物) 郁文館の正門:茨城県土浦市文京町3-8〉
2022年06月18日
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