折れず曲がらず良く斬れる

折れず曲がらず良く斬れる

2008.06.25
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 国道沿いの隅櫓を赤穂城跡と思い込んでいましたが本丸天守台は大石神社よりももっと奥にありました。

 江戸時代、赤穂藩の藩庁が置かれた。 元和偃武の後、本格築城された城郭である。縄張りは変形輪郭式。本丸と二の丸が輪郭式に配され、その北側に三の丸が梯郭式に置かれている。銃砲撃戦を意識した設計となっており、十字砲火が可能なように稜堡に良く似た横矢掛かりが数多く用いられている。縄張りは赤穂浅野氏初代長直の時代、浅野氏の軍師で甲州流兵学者の近藤三郎左衛門正純によってなされた。長直は築城中、山鹿素行を招聘し、縄張りについて意見を聞いた。これにより二の丸周辺の手直しがされた。それまでは一重の堀に囲まれた掻上城(かきあげじょう)という質素なものであった。

 赤穂城は5万石の浅野氏には過度に広壮で、これがために財政難に陥った。5層天守の造営も計画されていたが幕府への遠慮か財政難の為か造営されず、天守台のみが今日に残っている。

 市内を流れる千種川より上水道を敷設し、城内のみならず城下各戸にも給水されていた。日本三大上水道の一つに数えられている。

 明治時代前期に城内の建物は破却され石垣と堀のみが残っていた。昭和・平成と櫓・門・塀・庭園が再建された。現在もなお二の丸庭園を再建中である。また、昭和3年から56年の間には、本丸内に西洋洋館風の旧制赤穂中学・新制赤穂高校の校舎が建っていた。

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天守台

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天守台からの眺め

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最終更新日  2008.06.27 10:41:28
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