伊賀へいらっしゃい

伊賀へいらっしゃい

2015年09月05日
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NHKBSプレミアムで9月3日「家康 逃げる~天下への道 伊賀越え~」が放送されました。
再放送は9月10日午前8時から放送予定です。

「本能寺の変が勃発した時、家康はわずかな供と京の近くにいた。孤立無援の大ピンチ!しかし、
いち早く明智光秀を討てば、天下も夢ではなくなる。そのためには、一刻も早く本国三河に戻り、
軍勢を整える必要があった。戻るためのルートはどれがいいのか?忍びの存在や落ち武者狩りの
危険があっても最短距離の陸路か、安全を優先させ海路にするか、それとも…。家康の生涯で、
最大の危機とも言われる伊賀越え、その実像に迫る」

というもので家康の決断となぜ伊賀越えルートを選んだのかの検証で、伊賀在住の作家、多田容子さん
も出演されていました。




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堺にもどっての海路か、京へ行っての光秀に合流か、最短距離の伊賀越えかの三つ選択でなぜ伊賀を選んだのか
天下取りレースに参加するためには危険を冒しても最も早いルートを選んだというのが結論だったと
思いますが、私は前年の天正伊賀の乱で服部半蔵親子をたよって逃がれてきた伊賀者をかくまっていたのが
大きな要因で伊賀者を掌握する自信が有ったのだと思います。実際伊賀者二百人が逃走警護に当たっています。




前日多羅尾で一泊した家康一行が二泊目に泊ったという伊賀市柘植町にある徳永寺
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多羅尾から柘植までは27、8kmしかなく一日の逃走距離としては短いですが、一度も里の方に下りず
山道ばかりを上り下りしていたからだと思われます。


家康は礼として瓦に葵の紋の使用を許したとされます。
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この寺は天正伊賀の乱で織田方の手引きをした福地氏の菩提寺で福地氏も接待をしたと
いわれています。
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伊賀最後の峠、加太峠
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天皇はたいそう喜ばれ、それいらいこの土地を「鹿伏兎」(かぶと)と呼ぶように
なったと言われています。
家康がこの峠を通ったことは異論、異説はないので確かなことです。





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Last updated  2015年09月18日 10時58分57秒
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