伊賀へいらっしゃい

伊賀へいらっしゃい

2015年09月12日
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伊賀市の車川



伊賀市荒木に行く途中、上野台地の東の車坂町を降りた坂下に川が流れている

「これは何川」

車の同乗者に質問された時、今まで気にもしてなかったので調べてみたら
この川が今から行く荒木山の麓から流れている車川で頂上付近に車塚古墳という
前方後円墳があるのでこの名になったようです、車川からの坂なので車坂町。

と言うことは、車塚の名前が一番前からあったことになりますが車というのは形から付いた
のだとすると山の頂上付近の古墳は、前方後円墳(5世紀中頃まで)だということなので車の形に
見えなくもないかと納得しました。





須知荒木神社は古事記に
「安寧天皇皇子師木津日子命の子は、伊賀の須知稲置・那婆理(なばり)稲置・三野稲置の祖と
される」
(伊賀市史 古代 )
とありますのでこの須知稲置からの名前だと思われますが本当に名前通りの由来なのかは、
確かでは、ありません。稲置(いなぎ)とは大和朝廷時代の地方官の名称で前方後円墳と安寧天皇の
時代は合致しているので須置氏の古墳の可能性はありますが。





荒木という地名も新たに開墾した土地という意味からだという説が有ります。

と考えていると須智荒木神社の由緒が見つかりました。

「由緒
 当社は創祀については、詳らかにはし難い。須智の稲置の一族が、この地を 開墾し、


とあります、やはり確かめられていることではないようです。なぜかと言うと伊賀天正の乱(1581年)で古記録
古文書ことごとく焼失したそうです。

石造灯篭(安政二年[一八五五]作の在銘を有す。)とある灯篭





鳥居の横に聳えていて、圧巻です。
安政元年に伊賀も大地震があったので奉納されたのでしょう。







式内社とは延長5年(927年)の延喜式神名帳に記載された神社のこと。

来る途中、赤い鳥居を見つけて参道を登ったら「荒木大明神あらきだいみょうじん」とありました
両社の関係は分かりません。
もしかすると、車塚古墳の登り口かもしれません。

敢国神社・菅原神社・愛宕神社・浅宇田神社をあわせて伊賀五大社と称し、領主入国の折りに必ず
参拝するのが例であったとあります。



「畠うつ音やあらしのさくら麻    ばせを」

の芭蕉の句碑





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Last updated  2022年10月16日 18時52分16秒
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