伊賀へいらっしゃい

伊賀へいらっしゃい

2015年11月06日
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 「伊賀越仇討ち」の381回忌法要が11月7日、鍵屋の辻史跡公園(伊賀市小田町)の伊賀越資料館で営まれ、
関係者ら約30人が参列しました。

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【河合又五郎首洗供養地蔵池の前で供養する参列者ら=伊賀市小田町で】



 法要は伊賀越史跡保存会の主催。伊賀上野観光協会が支援・協力している。伊賀越仇討ちは1634
(寛永11)年11月7日、渡辺数馬と荒木又右衛門が数馬の弟・源太夫の敵だった河合又五郎を
鍵屋の辻で討ったとされる事件で、日本三代あだ討ちの一つに数えられています。

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伊賀越資料館内での法要


 法要では保存会の松田勉会長、観光協会の副会長があいさつし、浄蓮寺(同市上野西大手町)の

合わせ供養。資料館前では同市長田の中原義峰さんが剣舞を披露されました。







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鍵屋の辻道標 文政十三年(1830年)に再建てられたようです。
みぎいせみち、ひだりならみちと刻まれています、分かれ道だったのでここで待ち伏せしたのでしょう。

伊賀上野小唄に
「伊賀の水月、鍵屋の辻はよう 義理のしがらみ乗りかけお馬、荒木武勇で 荒木武勇で名がひびく」
と唱われているのですが水月とは何か調べると軍陣で天の月と水に映った月が相対するように
両軍が接近してにらみ合うことを水月の陣というようです。

乗りかけお馬も、荷物を馬の腰にかけて馬子に引かれて乗る馬のことのようでここから坂道になっています
このへんの地名は鍵屋の辻になる前は馬喰町といっていたのでこのあたりを唱ったもののようです。




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伊賀越復讐記念碑

復讐の讐の字が旧字体の讎になっていたので永らく読めませんでした。





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Last updated  2015年11月07日 16時10分56秒
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