伊賀へいらっしゃい

伊賀へいらっしゃい

2015年12月07日
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先日、津市の方々を西島八兵衛の墓、正宗寺に案内したとき
「津市にも銅像があります」
と言われよくご存知の人達ばかりだったので墓地その物の説明をしました。


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箱型の墓石で大変珍しいものだと思われますが多分、池を表しているのかと思います。


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大兎謨(だいうぼ)寛永年間、西嶋八兵衛が、香東川の改修の時、中国の夏国の大聖禹王の
謨(計り)にあやかり「大禹謨」と石に刻み、川中に祀ったそうです。その石をかたどった、
香川県産のお菓子があるようです。
兎は、2007年に兎王碑が発掘されそれまで疑問視されていた存在を考古学的に実証された。
司馬遷の「史記」に夏の初代王で黄河を治水し伝説となり江戸時代、大変崇められました。




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この香東川や日本最古のため池、満濃池が干上がり、池内に村が出来ていたところを開拓し
直したことなどで香川では今も恩人として、この正宗寺に墓参りに来てくれるそうです。

西島八兵衛を会に入るまでは、奈良にあった今の奈良県と京都府の藤堂藩の飛び地領の
城和奉行(五万石)を務めていたこと以外に知識がありませんでしたが入会後に得た知識で浜松の
生まれの人がなぜ藤堂藩士になったのか疑問でしたが、もともと父親が藤堂藩士で病気療養中に生まれたようです。
徳川家康が駿府(静岡)に隠居し高虎も付いていった時、西島八兵衛を召しかかえたようです。

そしてなぜ讃岐に行ったのかというと娘が讃岐藩主、生駒正俊の妻になっていた高虎の命で
ということでしょう。 

この西島八兵衛が、藤堂藩の土木技術士で現場監督ともいえる実務者で城造り、石垣造りの
名人と藤堂高虎が言われるようになったのも八兵衛の功績が大きかったもようです。





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Last updated  2016年01月26日 16時52分10秒
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