伊賀へいらっしゃい

伊賀へいらっしゃい

2016年04月02日
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増田嘉兵衛の石碑、伊賀上野車坂町に生まれ、横浜開発に尽力した人です。

1835年~1920年
十四歳の時、母に死なれてひとりになり大阪に出て海産物問屋に奉公、十八歳の時、
東京店に転勤その時向かいの両替店に同じ位の年頃の安田善二郎少年がいた互いに
意気投合終生の友になり晩年も隣りに別荘を構えた。のちの安田財閥を築いた人です。
二十五歳で横浜店の支配人になりましたが二十八歳の時攘夷派浪士に脅され閉店に
追い込まれたのを惜しみ独立開業しました。
(文久三年、1663年)
驚くことにそこで外国砂糖の取引を初めて数年で横浜屈指の豪商の仲間入りしました。


この為替会社は明治四年(1671年)に第二国立銀行になり取締役に名を連ねた。
この間独立して僅か八年、信じられないスピードです。


嘉兵衛さんからの寄付1万5千円で 大正8年上野公園内に上野町公会堂が建設されたから
でしょう今のお城会館、道の南側空き地に「増田嘉兵衛翁頌碑」があります。


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筒井天守跡碑

伊賀上野城に最初に天守を築いたのは、1585年(天正13年)8月に大和郡山から移ってきた
筒井定次です。
この「筒井古城」は、現在の天守が立っている位置の東の一段高い台地に築かれました。
天守は大和郡山城から移築されたもので、3重の望楼型天守でした。
御殿は今は公園の登り道になっている空堀の東、芭蕉翁記念館と同じ台地にあり
天守の一段低い台地には家老屋敷が築かれました。

数年前に天正伊賀の乱で攻め込んだ側だったので伊賀の民を信頼せず警戒してのことでした。


現在、上野公園の水道タンクの裏に「筒井天守跡」の石碑があります。







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Last updated  2020年08月20日 14時01分15秒
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