伊賀へいらっしゃい

伊賀へいらっしゃい

2016年07月10日
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先日高知からのツアーの人達を案内したとき藤堂藩と長宗我部家との関わりを調べて多くの
ことが分かりました。

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まず最初は1585年の秀吉の四国平定の総大将豊臣秀次の使いとして降伏勧告を高知城
に入って行っています。
その関係からか関ヶ原の戦いでは直接、戦ってはいませんが改易後、長宗我部家臣を召し
抱えました。

1615年の大阪の陣では、直接戦い、旧長宗我部家臣同士が、幼なじみが壮絶に戦い
藤堂藩も藩主のいとこで侍大将二人を失うなど多大の損失を受けました。

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一人の子孫がこの地に屋敷を構えました。
この屋敷は寛政年間(1789〜1800)の頃、屋敷変えによって 入交勘平(いりまじり  
かんぺい)が拝領したもの。

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高知に残った一方の入交家は、郷士として上士の山内家臣に虐げられ半農、半商を余儀なく
なりました。。
しかし入交家は石灰に目を向け新興商人として台頭し後、豪商になり大いに繁栄しました。

明治以後も発展し続け現在は30以上の株式会社を傘下に持つ入交グループに成っています。

ソニーの副社長からセガの社長になられた入交昭一郎氏もその中の一人のようです。






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Last updated  2017年05月31日 16時06分34秒
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