伊賀へいらっしゃい

伊賀へいらっしゃい

2016年09月27日
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ありました。
昭和16年にもう乳飲み子ではなかったと言う発言から75歳を過ぎて
いると思われますがとても見えません。

野口雨情が「正調伊賀上野小唄」を昭和五年に作詞されたので
保存会の皆さんがまず唄い踊られました。

その後 野口不二子さんの講演があり、「死の藪に」「ていじい」と
いう雨情の聞いたことのない若い頃の詩をそらで読まれて童謡
とは違う雨情の人間くさい面を知りました。

ましたがこれは聞いたことがあったので詩の方が感動しました。


「上野小唄」
昭和九年六月発行の「上野商工誌」
によると雨情は
昭和五年八月十四日午後上野町着 友忠旅館
十五日三田清 意見交換の座談会
十月十八日最初の発表演奏会

とあります。
友忠旅館は本町とありますが今はないので場所は特定出来ません。
三田清は赤坂町に今もあります。

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一番目に
「伊賀の水月鍵屋の辻はョー」
と書かれています。
昭和五年十月十八日の発表会ではこの詩は書かれていなくて2日後の
新聞では新たに書かれたこの詩を含めた三つの節が発表されています。


「伊賀の水月、鍵屋の辻はよう 義理のしがらみ乗りかけお馬、
荒木武勇で 荒木武勇で名がひびく」と唱われているのですが水月
とは何か調べると荒木又衛門が指南を受けた柳生流の 柳生宗矩が
指摘する「水月」とは、状況に応じて心が反応し、そのまま身体も
応じて動く境地を「水月」(すいがつ)と呼んでいるのです。
講談の鍵屋の辻の演題は「伊賀の水月」として既に定着していたので
当時の人にはピンときたのでしょうが今となっては分かりにくくなっ
てしまいました。

乗りかけお馬も、荷物を馬の腰にかけて馬子に引かれて乗る馬のこと
のようでここから坂道になっています上野城下に入る人が利用したの
でしょう。
このへんの地名は鍵屋の辻になる前は馬喰町といっていたのでこの
あたりを唱ったもののようです。  

中山晋平作曲のこの唄は曲が先に出来ていたようで、いつもと逆で作詞
に苦労したと雨情が書き残しています特に鍵屋の辻の部分が苦心し
たそうです。


プログラムあいさつ、長家陽子さんがされました。この方が震災後、
野口不二子さんに連絡されこの講演会が催すことが出来ました。

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七年後昭和十二年に「躍進上野小唄」という作品も残されています。
その歌詞
「上野五の市聞いたか見たか月に三度の市が立つ」
という詩が書かれています。








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Last updated  2016年10月04日 18時33分17秒
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