伊賀へいらっしゃい

伊賀へいらっしゃい

2020年01月18日
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新会員さんの研修に伊賀市西部地区に行きました。



登録有形文化財(H25年12月登録)の観音堂、三重塔、山門があります。
山門は、薬居門形式、切妻造りの本瓦葺きで大棟端に鯱を載せている。

安政の大地震により地盤沈下し、以後、河川氾濫の水害に悩まされるようになる。避水移村事業
(明治5年)により西小田村の称念寺、東小田村の福寿院の二ヶ寺を合寺し、福寿院跡に開化寺
(明治11年開基)が誕生した。寺名の由来は、明治文明開化からといわれる。境内にある三重塔は、
日本最小といわれ、京都奥谷組の創始者、当寺檀家である奥谷熊ノ輔氏が最初に手がけた建築物です。
後、平安神宮、東福寺の修復再建されました。




高さ13mで下層屋根は法隆寺(平行垂木)、中層屋根は四天王寺講堂(扇垂木)、上層屋根は八坂の塔様式(板軒)を模したもので、現在三重県下で木造層塔はこれ一基です。





法隆寺金堂は「入母屋造」で、垂木は平行式です。法隆寺より古い「四天王寺」が垂木を放射状に配列する中国式の
扇垂木を用いておりましたが、平行垂木が採用されました。




日本で一番低い三重塔と言われています。
元の三重塔寺は旧平井神社別当寺浄瑠璃寺、現在の開化寺から南に50mに元文四年(1739)建立と伝えられる。
浄瑠璃寺の三重塔は曳屋工法で現在の平井神社境内に移転を試みたが難渋し結局開化寺に収められたと
伝えられる。
平井神社は東方340mのすこし高地に明治十年(1877)移転再建された。

元の三重塔は松材で虫食いがひどく修理に苦慮し大正二年(1913)二万円で売却されたとされる。
しかし檀家の人達が納得せず七千円の予算で塔新築された。




三重の塔の左に橋本鶏二の
「鷹の巣や太虚に澄める日一つ」

平成12年(2010)12月29日に「年輪」伊賀支部(西田誠代表)が、鶏二没後20年を記念して建立。
鷹の鶏二と言われた橋本鶏二が伊賀で詠んだ句で、季語は鷹で冬、句中の太虚とはおおぞら、
のことです。




橋本家墓地に
「舞ふ蝶のあまたのなかの姉の蝶」の鶏二が姉を追悼した句碑がある。



観音堂は、18世紀後半頃に建立され、間口三間、奥行四間、入母屋造り、妻入り、向拝(庇)
三間付き、本瓦葺の小堂。堂内に本尊「身代わり十一面観音立像」が祀られている。







本堂
本堂庫裡に、人形師筒井景春(本名猪久造)作の初代の塔模型が飾られている





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Last updated  2024年05月27日 12時55分54秒
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