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2020年04月22日
芭蕉の解明されていない事柄2
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良忠(蝉吟)が寛文六年(1666年25歳で(芭蕉23歳時)亡くなり芭蕉も職を失ったとしてその後の江戸に旅立つまでの6年間がはっきりしません、
芭蕉生家
上野市史芭蕉編には
芭蕉は良忠の遺髪を高野山報恩院におさめた。報恩院は焼失したが、その位置に高室院が再建され、
今も高室院は上野関係の人々の寺院として知られているから、実際に高野山に登ったのであろう。
その後京都に遊学したとの説、あるいは禅門に入り修業したとも言われているが、実際はそのまま
上野にとどまり、上野俳諧で力をつけていたものと思われる。
季吟邸や宗匠たちのところに出入りしていたものと思われる。
とあります。
他の説には
京都五山の禅寺ひとつにでも入って、 勤労奉仕、托鉢、座禅、学問、漢詩文などの修業生活を送って
いたのでは、という説もありますがこれは
「ある時は仕官懸命の地をうらやみ、一たびは佛離祖室の扉(とばそ)に入らむとせしも、たどりなき
風雲に身をせめ」(幻住庵記)との記述から推測されたものだと思われます。
京都などに行き北村季吟に会ったり寺院に入ったことがあったかもしれませんがそれは一時のこと
だったと思われます。
藤堂新七郎家下屋敷裏門(勝手門)芭蕉は台所用人でしたのでこの門から出入りしたものと思われます。
大垣市の「芭蕉の歴史」には13歳で小姓として新七郎家に入り良忠が亡くなって台所用人として
雇われたとしています。
江戸に立つまでの6年間にも数回、句が入選し掲載されていますし、三句で一組の句も入選していて
あったとしていますのでその間は上野で宗匠への道を切り開いていたのでしょう。
伊賀の郷土史家の人は新七郎家下屋敷の前に9軒程の家臣屋敷がありましたがその一軒に新七郎家
の庇護のもと芭蕉が住み蝉吟の句集を編纂していたという説を唱えています。
古地図では9軒の新七郎家臣屋敷が左側に並んでいたが、今はこの土塀の一軒だけが文化財として残っている。
藤堂新七郎家(様々園)の庭 右手に枝垂れ桜がありました。
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Last updated 2020年04月28日 12時02分00秒
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