伊賀へいらっしゃい

伊賀へいらっしゃい

2020年05月20日
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「新感覚派」の作家、横光利一(1898〜1947)が小学生時代を過ごした伊賀市の屋敷跡の公園。
この土地の所有者である梅田卓さんが、2012年に
「横光と横光の作品に興味を持ってほしい」と現在のような公園に整備されました。




奥に井戸

横光利一は母や姉と1904年(明治37年)から小学生の4年間、
伊賀市野村の母の実家の向かいにあった梅田さんの祖父の屋敷の2階に住んでいました。
横光が短編「笑はれた子」に書いた跳ね釣瓶は「この家の井戸の物だろう」と推測されることから
「横光利一の心のふるさと公園・跳ね釣瓶(つるべ)の庭」と名付けられました。


その後下駄屋になっても面は店の鴨居にありました。その最後の一文
「貴様のお陰で俺は下駄屋になったのだ」
吉は假面をひきずり降ろすと鉈を振るってその場で假面を二つに割った、、、

最後に忍従から解放されて終わります。
横光自身内面を描けた作品と評しています。





跳ね釣瓶は支柱に上下に動く横木を渡し、井戸側に釣瓶を、反対側に重しを付け、
てこの原理で力仕事が軽減されるという仕組みになっています。

その重しが手前に上に横木、下に向かって釣瓶があります。






「蟻薹上に飢ゑて月高し 」(ありだいじょうにうえてつきたかし)の句碑

伊賀市柘植町にある「柘植歴史民俗資料館(2020年3月31日をもって閉館)」の脇の小道を入ると、
彼がよく登って物想いにふけったという小さな丘に利一が最も好んだ「蟻台上に飢えて月高し」の句を刻んだ文学碑と、川端康成による解説文碑が建てられています。





「横光利一が柘植の古い友にあてた手紙によっても横光の心の故郷は母と共に少年期を過ごしたこの
柘植である横光を追慕する古里のよくここに記念の文学碑を建て横光の愛した句を自筆にもとづいて刻んだ。」
昭和三十四年九月一日 川端康成撰 斎藤昇書

除幕式には横光の遺児二人も出席しました。





史跡 旧麗澤舎石碑


京都心学の中心的存在であった上河淇水らを招き、地元の有力者らが都講となり、私財を投じ、道場
を経営し、講義をおこなったもので、寛政(1789)年刊の諸国舎号に、その名を見ることができます。
 なお、現在残る建物は、医師でもあった冨山采一の遺宅で、木造平屋建瓦葺、文政12(1829)年建立とされる。










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Last updated  2021年05月15日 17時34分01秒
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