伊賀へいらっしゃい

伊賀へいらっしゃい

2020年05月21日
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家自体は石碑の向こうに在ったそうです。




芭蕉翁生誕宅阯碑と刻まれた石碑

芭蕉の父、与左衛門はこの家で生まれたでしょうが芭蕉が生まれたかどうかは、はっきりしない。
与左衛門はこの地を離れ現在の伊賀市赤坂町に移り住んだが、その時期が芭蕉が生まれる前か後か
がわからないので誕生地がはっきりしません。



正面?側面から?撮りました。

芭蕉の父親、与(儀)左衛門は長男なのかどうかも問題です、次男、三男なら独立時期は成人とほとんど同時又は結婚を機にでしょうから三番目の子、芭蕉が生まれるまでこの家に居たとは考えにくく上野生まれということになりますがそれがはっきりしません、上野に出る時この家を一族の者に譲ったとありますので長男かもしれませんが上野松尾家は上野、愛染院を芭蕉父の代から菩提寺としていますので長男では無い可能性の方が高いと思います。
松尾芭蕉家は無足人といわれ、普段は禄を貰えませんが戦など一朝あれば駆り出される武士と農民の間のような身分でしたがその身分も分家すると無くなるとされています。


「柘植の福地家系図には慶長のころ上野に移住したとある。」
がありますが父の年齢は、亡くなった年は承応五年(1656)と分かっていますが生まれ年の記録が無く年齢が分かりませんが
三番目の子芭蕉が1644生まれなのでその時父は三十歳位としますと高虎城下整備の慶長年間に生まれたことになりこの説はないことになります。

この看板には
「父、儀左衛門は芭蕉の姉を愛田村の竹島家へへ嫁がせ、上野に出た」
と書かれていますがそうすると芭蕉が十歳位の時になり、もっと記録がのこっていて芭蕉自身も柘植を詠んだ句がありそうなものですが一句も詠んでいませんこれは不自然に思います。

結局状況証拠ばかりでいつ上野に出たのかは分かりませんでした。





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Last updated  2024年12月07日 15時19分33秒
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