伊賀へいらっしゃい

伊賀へいらっしゃい

2020年06月01日
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伊賀市の発行した「芭蕉句碑散歩」と伊賀市観光協会のサイトの「伊賀上野史跡ガイド」を中心にこの
ブログ「芭蕉句碑ウォーク」で掲載出来なかった句碑を挙げたいと思います。

伊賀市一ノ宮 敢国神社
 書は三重県文化財委員、村治圓次郎(芭蕉研究家・郷土史研究家)。
(句意)花盛りの梅の傍らで、無造作に手鼻をかむ音がする。そんなはしたない音さえも、野趣を感じさせて快い、静かな山里の春である。

貞亨5年(1688)春。『笈の小文』で郷里伊賀で年を越して、いまようやく春になり。 

この句碑に刻まれた『卯辰集』では、
手鼻かむをとさへ梅の匂ひかな 「手はなかむ おとさえ梅の にほひかな はせを」 


『笈の小文』では
手鼻かむ音さへ梅の盛り哉

とある。「手鼻」と「匂い」では俗に落ち過ぎでしょう。最終的に、「盛り」に落着いたものでしょう。
それにしても、手鼻などというあまり品のよくないものが詩の世界に入ってくるところ、
それでいて俗に落ちないところこそ芭蕉俳諧の神髄でしょう。




伊賀市フレックスホテル
花を宿に はじめおわりや はつかほど

貞亨五年(1688)春の作。伊賀上野ライオンズクラブ建碑。書は伊賀上野ライオンズクラブの豊岡正義。
(句意)桜の咲き始めから散り終わるまでの二十日ほどを、文字通り花の中に宿って過したことよ

伊賀、瓢竹庵に膝を入れて、旅の思ひい と安かりければ
「花を宿に はじめおわりや 者つ可ほど 芭蕉」


(はなをやどに はじめおわりや はつかほど)
「はじめ終り花に礼いふ廿日ほど」
(瓢竹庵所蔵短冊)

 元禄元年春。『笈の小文』の途中、伊賀上野の門人岡本正次、俳号苔蘇<たいそ>宅にて。この折
「このほどを花に礼いふ別れ哉」も詠んだ。


 「咲きしより散りはつるまで見しほどに花のもとにぞ廿日経にける」(関白前太政大臣『詞花集』)を引用している。
花は桜。その咲き初めから終りまで20日ばかりをこの宿で過ごした楽しさ。
芭蕉は、この年の春を伊賀上野を中心に日を送った。


伊賀市 ふじ旅館の句碑

くたびれて やどかるころや ふじのはな
「草臥て 宿かる比や 藤乃花 芭蕉翁」
「笈の小文」

貞享5年(1688)春の作。季語は「藤の花」。書は人間探求派の俳人加藤楸邨。
(句意)一日の旅に疲れて旅籠を求める黄昏。晩春の暮色の中に淡い紫の藤の花がおぼつかなく咲き
垂れて、そこはかとない旅愁と春愁を誘う。

 貞享5年(1688)4月11日、八木での吟となっているが。、この記述は時間的異動があって、
この条は時間的には吉野よりもっと後になる。であれば藤の花は春の季題で季節的に合わなくなるので
「笈の小文」では4月にもってきている。
杜国と会って元気になった気分がここで萎えているのも附合しない。事実、この句の初出は
「ほととぎす宿かる頃や藤の花」であり、これだと季題は「ほとぎす」が優先して、
(藤の花の春と混乱しているものの)夏になる。



伊賀市車坂町 西麓庵跡

「新藁の 出初て早き 時雨哉 芭蕉翁」

新藁の 出初て早き 時雨かな
元禄七年(1694)秋の作。季語は「新藁」。書は芭蕉翁記念館長、桃井隆康。
(句意)稲刈が済み、稲扱が始まって新藁が出始めたばかりなのに、早くも時雨が回って来たことよ

(芭蕉翁全伝)
(しんわらの でぞめてはやき しぐれかな)

 元禄7年、51歳。『蕉翁全伝』に、「此の句は秋の内、猿雖に遊びし夜、山家のけしき云ひ出し次手、
ふと言ひてをかしがられし句なり」とあることから、伊賀上野の猿雖亭にての作とされる。

新藁の出初めて早き時雨哉
 伊賀の冬の足取りは速い。稲の収穫が終わり新藁が出始めるころにはもはや時雨がやってくる。
実にあわただしい冬への季節の移り変わりである。それだけにまた故郷の四季は懐かしくもあったのであろう。







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Last updated  2020年06月02日 12時20分32秒
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