伊賀へいらっしゃい

伊賀へいらっしゃい

2020年07月23日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類



間の道がふるさと芭蕉の森公園の入口
常住寺の石碑でしょうか豊臣秀吉・徳川家康も信仰したといわれる大聖歓喜天の文字

北の長田丸は百田藤兵衛が南の朝屋丸を福喜多将監が築いたもの。




ふるさと芭蕉の森公園の入口から長田丸を望む




芭蕉句碑散歩では44番目、芭蕉の森公園内では最初の句碑

「雲とへだつ 友かや雁の 生きわかれ」
 遠い雲を隔てて私は江戸に出て行きます。これが旅立つ雁の生き別れです。「雁」と「仮」とを掛けたか?
芭蕉が江戸に下った際に、どのような手づるが有ってのことだったのかは不明です。広く流布してい

がある。
また、杉山杉風宅という説もある。


寛文12(1672)年、29歳。伊賀上野を後にしてこの年から江戸に定住。この年は、3作現存する。『芭蕉翁全伝』(竹人著)には、
「かくて蝉吟子の早世の後、寛文一二子の春29歳仕官辞して甚七と改め」
とあってこの句が引用されている。 このいわゆる『竹人全伝』では、芭蕉は江戸下向まで藤堂新七郎家
に奉公していたことになっていて、この6年前蝉吟死去直後京に出て、季吟の下で古典を学び、かつ修行僧として禅寺にあったとする定説とは相反する。





「野ざらしを心に風のしむ身かな」芭蕉
 芭蕉の野ざらし紀行の旅にかける想いは並々ならぬものがあって悲壮感と気負いとが吐露され、
それが「野ざらし」の表題ともなっています。旅の進行とともに肩の力は抜けていきますが、
芭蕉俳諧に一大転機をもたらした旅でもありました。
なお、この旅の目的には、昨年亡くなった伊賀上野の母の追善のための里帰りも含まれていました。


「旅人とわが名呼ばれん初しぐれ」とは、ずいぶんと気分が違います。



「古池や 蛙とびこむ 水の音」 芭蕉

芭蕉が蕉門という自分の俳句スタイルを確立したと言われる余りにも有名な句
江戸深川で詠まれた句で伊賀とは直接の関わりは薄い。





「旅人とわが名よばれん初しぐれ」


「野ざらし」と比べて精神的余裕は大変な相違です。『野ざらし』の頃と比べて芭蕉は既に十分有名
であったし、これから先の伊賀までの旅路には多くの蕉門の弟子たちが師の訪れるのを手ぐすね引いて待っている。
 「しぐれ」は、秋の降ったりやんだりする「定めなきもの」の象徴としてここに提出されていますが、
悲壮感はなく、むしろ、この旅は、尊敬する先人達と自分との対比を意識するぐらいの心境ではないでしょうか。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2026年05月06日 10時42分59秒
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: