伊賀へいらっしゃい

伊賀へいらっしゃい

2020年10月19日
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芭蕉の弟子服部土芳の庵
土芳は伊賀上野本町通りの米問屋に生まれたが、幼くして藤堂藩士の服部家の養嗣子となった。
片鎌槍、内海流槍術の槍師範代の家であったが、庵開き前年に三十二歳で致仕しており、蓑虫庵とい
う庵を結び俳諧に没頭していた、という人物です。



大津、義仲寺の芭蕉庵に倣い芭蕉堂を昭和五年当時の庵主菊本 直次郎氏が建立

菊本 直次郎(きくもと なおじろう、1870年(明治3年) - 1957年(昭和32年))は、三井銀行取締役会長や寿重工業取締役会長、日本パルプ工業取締役を歴任。
松尾芭蕉の研究家としての顔も持つ。
1870年(明治3年)9月、藤堂家旧臣菊本保有の次男として三重県伊賀国阿拝郡上野萬町に生まれる。




その「なづな塚」
「よくみれば なつな花さく 垣ねかな」
芭蕉四十三歳の作
句意
 ふだんは気にも止めぬ垣根の根元、薺の花がひっそりと咲いている。
昭和十四年庵主菊本直次郎氏建立






芭蕉堂の屋根の押さえとして「すり鉢」が置かれている。
建築者は伊賀の数寄屋師、森本源吉氏





「卒度(そつど)往(ゆき)てわかな摘ばや鶴の傍」の句碑若菜塚などがあります。
庵日記元禄九年(1694) 1月7日の七草粥の七草を採りに河辺での句
芭蕉最後の年の正月の句


土芳の『蓑虫庵集』に
「七草の夜雪芝の祖母、舛(ます)かけ切る。年賀とて例の若菜の会次手(ついで)祝あり。二句」と前書がありますがよく判らないので調べました。
「七草の夜」は1月7日の夜「雪芝の祖母」広岡雪芝、上野中町、野松庵主、土芳の従兄弟
「桝かけ切る」は枡 かけは、桝の穀類などを量るとき、盛り上がった部分を平らにならすのに使う短い棒のことで米寿の祝いに作ることから米寿の祝いのこと
米寿の祝いとついでに七草の祝いをした時の句ということらしい。






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Last updated  2024年09月01日 11時37分27秒
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