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京都御所をでて下鴨神社、上賀茂神社へ向かう葵祭は賀茂の祭行列の本列「近衛使代(勅使)」と斎王代の行列を「路頭の儀」上賀茂神社でおこなわれるのが「社頭の儀」葵祭の行列を迎えに出れれる上賀茂神社の神官勅使の方(近衛使代)斎王代の列が到着華やかな雰囲気になりました。女人列が長なと続きます。舞人や雅楽の方琴を弾き笛を吹きがら…社頭の儀で舞殿を三周する「弾馬(ひきうま)の儀」の2頭の馬参道でおこなわれるのが「走馬(そうめ)の儀」走馬の様子は動画の中で上賀茂神社へ到着は動画に編集しました。
2024/06/12
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葵祭の参列者は双葉葵を差しています行列は下鴨神社を経て上賀茂神社へ入ります。京都御所を出る行列を動画に。 上賀茂神社で行列を待ちましょう。
2024/06/05
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京都市上下水道局の「蹴上のツツジ」例年なら5月のゴールデンウィークですが今年は開催が早く4月27日~29日連休続きだからかな。上がってきました第2高区配水池へ着いたら雨が降りだしました。小やみになったので最高区配水池へ600mほどの所に南禅寺の三門黒谷の方向でしょうか…。こんもりしているの黒谷で金戒光明寺1300mほどの距離その左後ろが吉田山でしょうか。右側は北白川あたりかな。最高区配水池からの眺めです。少し下がった所にレンゲツツジです。本数が減っていました。花が咲く時だけ地上に顔を見せる「幽霊茸」(ゆうれいたけ)多年草の腐生植物地下に短い地下茎と太く絡まりあった根の塊があり花が咲く時以外は姿を見せない。ツツジのトンネルです。アップが遅れましたが蹴上げにツツジ動画で散策してください
2024/05/22
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前回の立本寺に続いて大報恩寺通称:千本釈迦堂市バスのバス停「千本今出川」から西へ少し徒歩おかめ福節分会ではおかめさんが優しく鬼を諭し改心した鬼も一緒に豆まきをします。おかめ桜本堂は国宝1227年の創建当時のままおかめ伝説が…、棟梁が柱を短く切り過ぎた際、妻のおかめさんが「桝組(ますぐみ)」を提言無事に建て方は成功したが《妻の助言で大仕事を成し遂げたと言われては夫の恥》夫の名誉のために自刃。おかめさんの徳をたたえておかめさんの像が鎮座しています。千本通りからさらに北へ上品蓮台寺(じょうぼんれんだいじ)へバス停はライトハウス前下車戻るまたは千本鞍馬口下車北へ上がるバス停とバス停の中間です。聖徳太子が母の菩提寺として建立応仁の乱で焼失根来寺の性盛らによって復興された。境内に咲いていたリキュウバイの花三か所の桜を動画に
2024/04/16
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境内に据えられた高さ7mの3本の大松明の燃え方の強弱によってその年の農作物の豊凶を占う伝統行事です。お釈迦様の入滅の日(旧暦の2月15日)現在の3月15日におこなわれます。4年ぶりとのことに出かけました。本堂は徳川五代将軍綱吉とその母桂昌院の発起により再建されました。ご本尊の釈迦如来立像の体内には五臓六腑を持ち、そのお姿は若き日のお釈迦様のようです。高張提灯はお米の相場を現すとか…。護摩壇の火を種火にして大松明に点火します。護摩壇の火が飛び火したのか・・・。提灯行列が戻ってこないのに突然、一本の松明が燃え始めました。予想外の出来事でしょう。ちょうちん行列が松明の周りを3周して残りの二本に点火されました。点火の様子は動画内に…。動画に編集いたしましたご覧いただけたら嬉しいです。 4年ぶりのお松明式ですがほぼ毎日のように夜や朝方に雨が降っていたので松明が湿っていたのでしょう。しかし、農作物の出来不出来が気になる行事でした。
2024/03/19
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住民によって2002年に植えられた2本の河津桜が地域住民の「桜を育てる会」の努力で今では200本ほどになり淀水路の約1キロを鮮やかに咲き誇ります。その開花のスタートは昭和22年に植えられた2本の「正月桜」が2月中旬頃に開花「正月桜」が終わった後に河津桜が咲き3月10日頃に満開になります。河津桜が続く淀水路は京都競馬場付近で宇治川から分岐して桂川へ合流する短い川です満開です。地域住民によって守られ河津桜の根元には春の草花が植えられ河津桜と春の花の競演です。バックの黄色は菜の花です今回の出会いは・・・。メジロそしてすずめ淀から2キロ半ほど南へ行くと桜の背割堤です。その季節にまた・・・。
2024/03/13
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京都・市比賣神社(いちひめじんじゃ)3月3日は人で男雛、女雛三人官女に五人囃子の雛飾りがおこなわれます。会場は京都市の「ひとま交流館」神社に飾られていたお雛様お雛様の歴史時代とともにお雛様の姿かたちをスライドで紹介昔の遊びの実演貝合わせです。すごろくさいころをふってコマを進める扇で的を射るお内裏様とお雛様の着付けです。一枚着せて仮紐で縛り前の仮紐をほどくこれを繰り返して十二単が出来上がります最後に裳を付けて出来上がりお二人はご夫婦だそうです。人雛で雛飾りが出来ました。三人官女の舞は動画で 企画内容を縮小されていたり参観料は必要ですが楽しんできました。
2024/03/05
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冬はマラソン大流行り2月18日(日)京都でも恒例の「京都マラソン」ブロックに分かれ京都の観光・風景を楽しむコースになっていて市民マラソンと言えます。【スタートブロック】たけびしスタジアム京都を(西京極運動公園内)9時スタート【嵐山ブロック】桂川を眺めてさかのぼる【広沢・宇多野ブロック】清涼寺・大覚寺・広沢池【御室・金閣寺ブロック】仁和寺ではお坊さんの応援を受けて龍安寺・西大路へ出て北へ今宮神社からなお北上【上賀茂ブロック】御園橋通を賀茂川へ賀茂川を北上して折り返し北山通りまで南下、【北山・松ケ崎ブロック】京都植物園の北側の北山通を東へ高瀬川付近で折り返し京都植物園の園内を一周京都祇園の舞妓さんや芸妓さんの応援を受けて・・・【鴨川ブロック】賀茂川に沿って丸太町まで南下【まちなかブロック】丸太町通りを西へ行き折り返して河原町通りなど走って賀茂川を左手に見て川端通りを北上【京大ブロック】今出川を東へ白川通で折り返し東山大路を南下してフィニッシュブロックのみやこめっせを目指します。京都植物園に10時29分一番のランナーが入ってきました。先導は車ではなく自転車です。2番3番園内を一周出口を示す先導員この間、約3分弱この方は1位でゴールされたようです1番、2番、3番の走りが早く後続者がなく・・・。植物園のお楽しみは・・・、祇園の舞妓さんや芸妓さんの応援と飴、「舞妓さ~^ん」と大声を張り上げてくる人など応援の観客を楽しませてくれます。舞妓さんから飴をいただいて、ゴールまであと一息!ペア駅伝の中継所もここ植物園です。北山通りの折り返しは終わったようですが参加者1万6千人続々とランナーが続きます画像処理しています。
2024/02/20
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過日、久しぶりに京都水族館へ行った。楽しみの一つはイルカショー!法律の改正動物に不要な苦痛やストレスを与える行為や保有する動物を動物園や水族館以外の場所に移し展示する行為が禁じられた。法律に従ってイルカの上に乗ったり、触ったり、餌を与える行為が禁止され下の写真のようなイルカショーがみられません。4枚は2020年の画像です。今は以前のように三頭が揃ってのジャンプやクリスマスにはクリスマスソングに合わせて鳴いてくれたようなショーは見られません。京都水族館では2022年9月下旬に出産を控えたイルカ「ギア」の出産準備のため6月20日からからプログラムを一部変更し8月22日からイルカショーを休止されていました。(水族館の記載より抜粋)現在はイルカの遊びの時間ごはんの時間などの様子がみられるプログラムになっています。体調チェックやお口ケアイルカのパフォーマンスは見られませんが遊ぶ姿は見られます。クラゲは生まれた時から成長過程が見られますオットセイも楽しく遊んでいます。何組ものペンギンが仲良くペアになっています。雛がかえってよちよちと巣の周りを歩いていました。
2024/02/13
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3分間のドラマを今年も見てきました皇后杯第42回女子駅伝京都2024年1月14日第一中継所です。スタートから6kmを走ってトップでやって来たのは石川県でした。第1区を無事に走り送迎バスに向かう彼女たちに拍手や「お疲れさん!」の声掛け掛けられていた。復路の第9区は10kmをゴールまで走ります。この続きは動画に編集しました。京の街を風になって走る彼女たちを動画で見てください!
2024/01/22
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京都地下鉄烏丸線の松ヶ崎下車今日(25日)まで別の教会は教派がいくつかあるので北山辺に教会が数か所…。地下鉄で南下して京都駅へ大階段です。下から見る人!光の中を歩きたい人!!いっぱいの人です。動画も撮りましたがスマホからパソコンへ転送できずバージョンの違いかな!?(涙)京都タワーもお洒落に!うさぎさんのクリスマスイブでした。(^▽^)
2023/12/25
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京都・山科に大石内蔵助が討ち入り前の一年余りを過ごし策をめぐらしたと言われる隠棲跡が岩屋寺の前にあります。12月14日は恒例の義士まつりです。毘沙門堂の勅使門境内で集合山科毘沙門堂を出て途中、文化会館の舞台で討ち入りを果たし岩屋寺、大石神社へ凱旋します。四十七士は二手に分かれて先頭を行くのは表門隊続いて裏門隊JR山科駅の南へここで再度集合して外環状線を南下山科区の東部文化会館へ舞台で討ち入りの場面を披露した後外環状線から新十条通を岩屋寺、大石神社へ義士まつりの一行は岩屋寺へやってきました先に到着したのは子どもの四十七士 ≪ドン ドン≫陣太鼓に合わせて「お~^^」可愛い雄たけびです。お疲れさん!よう頑張ったね。と拍手で迎えられて岩屋寺へ上がってゆきました(子どもさんなのでぼかします)子ども隊は大石神社へ待たされましたが…大人隊が坂を上がってきました《瑶泉院さんを撮りこぼし》岩屋寺で休憩の後大石神社へ神事の後「えい えい オーー」勝どきをあげて40数年前、みぞれ交じりの雪の中を巡行された方が横であの時は「寒かったぁ!」と今日はお天気も良く良かったとおしゃっていました。2023年12月14日の討ち入りが無事に終了。
2023/12/20
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野宮神社(ののみやじんじゃ)伊勢神宮に奉仕する斎王が伊勢に向かう前に潔斎(けっさい)をしたと伝えられている神社天皇が代替わりすると未婚の皇女や女王の中から新たに斎王が選ばれ宮中で1年間、嵯峨野の清らかな場所に造営された野宮に入り1年間潔斎した後伊勢へ向かい斎宮寮へ伊勢神宮の神事に臨む斎宮行列の人々が次々とご到着神事が終わって輿(こし)後ろ向きに載られたが台座が回転しました。現代版の輿、優れものです(^▽^)渡月橋を渡る斎宮行列保津川の河原へ移動して行列の到着を待ちます。記念撮影です。奉納舞を披露される今は例年の場所から保津川の対岸へ移動様子が見えにくかった。イベントですからいいようなものだが出発前のこと行列の役を担った方の中に写真を撮っておられた。気持ちはわかるが衣装を身につければ役になり切ってほしかった。興ざめでした。
2023/12/05
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千本鳥居もライトに映えて・・・昼間と違う景色です。ライトアップの境内をご一緒に回ってください。表参道の奥に楼門夜は寂しい境内ですがライトアップで大勢の方に狛狐も喜んでいるかな。本殿横の鳥居をくぐり人の流れに続いて脇道へ神社の方たちの撮影風景を見かけました。千本鳥居へ進路変更鳥居は奥社奉拝へ続いています入り口が二つですが右側通行です。右側の奥へ行く道左側は戻って来る時少し離れたところに戻りの通り道奥社奉拝所に到着手水奥社奉湃所からさらに続く鳥居ですライトアップが見せる面白い眺めです。抜けると三の峯、二の峯、一の峯へ頂上へ続きますがライトアップは上までありません後は懐中電灯を頼りに…消灯時間が迫ってきましたので帰宅。この行事は終了しています。
2023/11/28
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子どもたちや住民が作った灯籠が道案内してくれるように鳥居本町の奥へと続いています。テーマは旧い道具に宿ると言われる「付喪神」まゆ村を過ぎほどなく化野念仏寺千灯供養です化野(あだしの)は古くから鳥辺野(とりべの)などと並ぶ葬送の地初めは風葬であったが、後世、土葬となり人々が石仏を奉(たてまつ)り永遠(とわ)の別離を悲しんだ場所ですが、長い年月をへて無縁仏となり化野の山野に散乱埋没していたのを地元の方々の協力を得て出土した石仏・石塔を一か所に集めて「西院の河原」と名付けた。その数8千基です。(社寺資料より抜粋)中での撮影は禁止です。入り口で受け取ったローソクを手向けてきました。化野念仏寺を後になお奥へ鮎の宿つたやさん愛宕神社の一之鳥居鮎茶屋の平野屋さんもお客さんで立て込んでいます。愛宕神社の鳥居を過ぎ奥へ続きます戻ります清涼院の山門の灯篭は猫の付喪神かな・・・。足利直義の邸に表れたとされてる笈(おい)に宿った付喪神西川祐信の「絵本武者備考」より長い年月、百年いなろうかという道具などに宿る精霊、付喪神が宿っているかと思うと大切に扱うから良いのでしょうね。神の姿は様々なようです。ハロウィンも良いですが子どもたちが描いたユニークな付喪神(九十九神)に出会い夏の夜の化野(あだしの)は楽しくそして涼しくなりますよ。来年にどうぞ。
2023/10/30
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円山公園は明治時代に開設された京都市最古の公園です。公園の中央には「祇園の夜桜」として知られる枝垂れ桜は樹齢80余年、二代目です。カラスの糞の被害などで枝が折れたりして以前の姿はありませんが現在、周りに植えられた枝垂れ桜と一体になりかたちになっています。公園内の池に映った枝垂れ桜大きさがわかると思います昼間に見ると可哀そうな姿です。花見が目的か、宴会が目的か昼も夜も華やいだ雰囲気の桟敷です。屋台は何十店出ているのだろう60!?食のバザールのようです。今もカラスがおこぼれに与るかのようにやってきています。騒々しい円山公園から知恩院へ抜けましたがここも人が・・・、三門の全景を写せません。《シャッターを・・・》と依頼されてカメラマンになっていました。(苦笑)京都の桜を見に国内はもちろん海外からも大勢の来られています。経済効果を果たしているのでしょう。でも、何処を歩いても人・人・人いささか嫌になりました。(×‗×)
2023/04/06
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JRからも見える五重塔は京都の世界文化遺産の一つ「東寺」桜の時期はライトアップされます。東寺の東門から入りますが堀の向こうに五重塔拙い写真ですが楽しんでいただければ幸いです講堂の東側のひと際大きな枝垂れ桜は樹齢120年を超える「不二桜」もとは岩手県盛岡市の旧家で育てられていた桜を平成6年(1994)に三重県鈴鹿市の農園が譲受けたそうです。平成18年(2006)が弘法大師が旅より帰朝されて1200年の記念にあたるので東寺の信徒総代から寄贈されたものだそうです。弘法大師の「不二の教え」から「不二桜」と命名されたそうです。長い年月と遠くから旅をして東寺にやってきた「不二桜」金堂の前から笛の音が・・・瓢箪池を回ってそぞろ歩き「不二桜」の元へ優雅なひと時が過ごせました。
2023/04/04
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早春の花展を開催中の京都府立植物園です。梅の開花が7分咲きとでましたので出かけましたは咲いてい峠を越した木、これからの木などなど写真になりません。メジロはやってこず代わりにジョウビタキが枝から枝へ忙しく地上に降りてきたので≪パシャ≫モデルになりたかったのかなぁ(^▽^)近くの植物生態園の中に早春の花セブンソウ過去には数えられるほどの数でしたが・・・今回は群生こんな様子は初めてです。嬉しくなりました~。バイカオウレンの仲間が…。キクバオウレンヒュウガオウレン早春の花展へ花の香りがいっぱいです。和みますねぇ。変わった形の花を撮りました名前は・・・??これから咲きます↓咲いた時!?白い実の万両珍しいですが赤い実のほうが人目を惹きますね。何故かバックに案山子!いつも展示される桜島大根の花です。大根はまだ小さいです。以前、直径が30cm以上の桜島大根が展示されていました。形は蕪の親玉みたいです。中身があふれそうな(^▽^)チューリップザゼンソウですハートの気分で帰ってきました。
2023/03/01
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京阪電車 枚方公園駅から徒歩数分の場所です。昼はお子さん連れでにぎわっている場所ですが夜のライトアップは若いカップルのデートの場所のようです。イルミのトンネルを抜けたら目の前に・・・。遊具には乗りませんが人が写らないようにねばって写真は楽しんで帰ってきました。夏、夕涼みを兼ねて・・・いいでしょうねぇ。
2023/02/08
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光の遊園地枚方パークのライトアップただ今開催中~4月9日(日)まで。大阪府枚方市の遊園地秋の菊人形展が有名です。大人だって遊具が楽しのだ!振り回されて楽しいのだ!「ジャイアントドロップ メテオ」地上50mから落下するこの遊具は12月30日、三基あるうちの一基が頂上付近で停止したそうでアトラクションを動かして4時間後に救出されたそうです。事故の調査中のようです。(注)写真はそれ以前のものです。お間違いがのないように遊び場所はこのほかにもありますよ。続きを
2023/02/06
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平成14年から始まった城陽市でおこなわれたイルミネーション今年のテーマは『愛と平和』愛は城陽から~これは何だろう・・・?手話の指文字のように思えるが・・・でもなさそうです。意味があるのでしょうね。山背古道城陽市・井手町・木津川市京都と奈良を結ぶ約25kmの散策道。織田信長が明智光秀に討たれた「本能寺の変」で信長と同盟の関係にあった家康に命の危険が迫り当時、大阪の堺で周遊中の家康が山城・近江の甲賀・伊賀を通り伊勢から三河の国まで帰還したルートだそうです。汗 汗逃げる徳川家康さん写真撮影用のスペース自撮りでは無理頼まれてカメラを預かって≪カシャ カシャ≫にわかカメラマンのうさぎさんでした。最後のイルミトンネルを抜けて帰宅城陽運動公園は丘陵を利用していますの坂道を上がったり下がったり良い運動になりました。(^▽^)
2023/01/06
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城陽市の総合運動公園で開催される『光のページェントWINTER JOYO2022』12月25日で終了しましたが主催は城陽市観光協会です。テーマは「ラブ!」「LOVE&PEACE~愛は城陽から~」ライトアップです。ピンクの電飾の道は『ハート』になっていますドローンで見たらわかるでしょうね。五山の送り火も仲間入りトンネルをくぐって次へ・・・
2023/01/04
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12月14日の赤穂浪士打つ入りにちなんで京都・山科区でおこなわれる「山科義士まつり」今年、3年ぶりに開催されました。毘沙門堂をから大石神社まで途中、東部文化会館のパフォーマンスをいれて婦人列と四十七士が行きます。毘沙門堂を出発する大石内蔵助、瑶泉院(ようぜんいん)大石主税矢頭右衛門七4名は瑞光院へ参拝されます瑞光院元は京都市上京区堀川瑞光院前町にあったが昭和37年に現在の地に移転家臣が浅野内匠頭の衣冠を境内に埋め、供養とを作り冥福を祈ったとされています。義士たちの切腹の際、瑞光院の僧が江戸へ行き、儀の遺書と遺髪を集めて遺髪塔を建てたとされたいる。おかる、おりく、勘平、戸田の局に続いて四十七士瑞光院では参拝を終えた大石内蔵助などが四十七士の到着を待ちます。大石内蔵助と3名は合流していざ吉良邸へ!パフォーマンス会場の東部文化会館園児の四十七士と地元の日舞の方々が踊りを披露されます忠臣蔵の舞台上演吉良上野介、浅野内匠頭は東映撮影所の皆さんによる素晴らしい舞台ですが残念ながら撮影禁止です松の廊下 刃傷の場吉良上野介とのやりとりの後脇差を抜いて切りかかるも傷を負わせただけで取り押さえられ・・・ー暗転ー殿中での帯刀は・・・、脇差は許されていたのですね。浅野内匠頭 切腹の場白装束の浅野内匠頭刀を手に三宝をお尻の下へ装束を開き腹へ短刀を当て横一文字介添え役が刀を振り下ろす―暗転ー四十七士 討ち入りの場引き出してきた吉良上野介に大石内蔵助が刃を・・・打ち取った吉良上野介の首を袋に入れ高々と掲げて泉岳寺へ凱旋!ー暗転ー泉岳寺に見立てた大石神社へ大石神社は大石内蔵助を祀るために大石の山科隠棲所近くに1935(昭和10年)に浪曲師吉田奈良丸の提唱により府が賛同して建立されました。大石神社(2014年2月の画像です)四十七士と女性列の方は瑶泉院(ようぜんいん/浅野内匠頭に妻)、おかる、おりく、戸田の局、勘平すべて山科区の方たちです。大石神社では記念撮影だろうと・・・行かずここで帰宅。最後までお付き合い有難うございました。<m(_ _)m>
2022/12/19
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大原女時代行列は寂光院を出て、村の中を通りコスモス畑へ途中休憩をはさんで三千院に到着です。御殿門を入って右へ回られました。尼僧の方は草履ですが大原女はわらじ履きですから本堂へ上がらず本堂前の庭から参拝でしょう。参拝が終わって最終の勝林院(しょうりんいん)へ山号:魚山正式には魚山大原寺勝林院魚山大原寺勝林院はいろいろ歴史があるようです。現在の住職は塔頭の宝泉院と実光院の住職が兼務されているそうです。以上で大原女時代行列を終わります。最後までお付き合い有難うございました。
2022/11/18
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行列に参加する方が尼僧姿や大原女の衣装を着けて集まってこられました。大原女と言えば「柴売り」を連想されるでしょうね。女行商は平安中期(11世紀)頃から日用品や雑貨を行商する女性です。行商する女性の一つに大原から炭や薪(たきぎ)、柴(しば)などを頭にのせて売りに来る女性を大原女と呼ぶようになったのは13世紀からのようです。大原は平安時代から炭の産地として知られるようになり初期の大原女は「炭」を扱っていたそうです。室町時代には「薪(まき)」を扱うようになりこの「薪」は生木を1尺(約30センチ)程に切って竈(かまど)で蒸して黒くしたものです。「薪」として使っていたようで、「黒木」と言われていたそうです。古代では炭、中世から薪から柴へ商うものが変わり江戸時代には主に「柴」を扱っていたようです。各家庭に電気やガスが一般的になり商うものが変わり山菜や野菜、花などとかわっていったようです。装束も次代によって移り変わってきたようです。寂光院の参拝を終えて建礼門院(役)を先頭に下りてこられました。建礼門院徳子の大原西陵を参拝して最終の勝林寺まで行列がスタート建礼門院、阿波内侍に続いて室町時代から江戸時代室町時代から江戸時代明治時代に大正時代大原女の衣装がかわっています。明治時代から大正時代行列はバス停近くのコスモス畑を通って三千院へ建礼門院役の方は兵庫県から阿波内侍の方は滋賀県から参加だそうです。室町時代江戸時代の衣装です。明治、大正時代です。大原女時代行列で大原女が頭に載せているのは「柴」です。行列の「柴」はイベント用で実際はかなりの量を頭に載せて運んでいたようですが京都市内までの途中は馬やリヤカーで運んできていたようです。行列を後を追って三千院へ次回もよろしくね。
2022/11/16
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寂光院と石段を上がると建礼門院徳子 大原西陵寂光院天台宗の尼寺594年に聖徳太子が御父用明天皇菩提を弔うために創建された。初代住職は聖徳太子の乳人の玉輝姫(たまてるひめ)二代目は阿波内侍(あわのないじ)崇徳天皇の寵愛を受けた女官出家後に入寺建礼門院には宮中で仕えていた。大原女のモデルと言われています。三台目が建礼門院徳子平清盛の息女、高倉天皇の中宮、子どもが安徳天皇壇ノ浦で滅亡した平家一門と我が子安徳天皇の菩提を弔い終生この地で過ごした閑居御所とされています。豊臣家寄進の灯篭「雪見灯籠」豊臣家の家紋・五三の桐が火袋に刻まれています。四方正面の池奥に菩薩と三段の滝汀(みきわ)の池汀とは水ぎわの意味のようです。建礼門院 庵遺跡地蔵菩薩立像 安置この日は有料ですが公開されていました。過去にはなかったような・・・。諸行無常の鐘製作年月日は江戸時代(宝暦2年)1752年近江国・太田西兵衛重次の鋳造と掲示されていました。橦木(しゅもく)は朽ちていますので、今は撞かれることがないと思います。諸行無常ですね。大原へ来た目的は・・・大原女時代祭の拝見です。次回へ。
2022/11/14
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桓武天皇の治世「延暦(えんりゃく)」この元号には万民が安心して暮らせる「平安安楽」実現への思いが込められているそうです。天皇は延暦13年に平安京へ遷都(せんと)して都を造営し政治の刷新に尽力される一方、東北を鎮定して国家の再生を図られた。(時代祭案内書より抜粋)延暦武官行進列主将は前後を将佐や護兵、弓持兵士に守られて行進です。延暦文官参朝列文官が朝賀の儀式に参朝する様子で、服装は位袍と呼ばれる朝服です。身分によって色が定められていいる。平安遷都から間もないため唐風が色濃く残されている。三位の方の服装四位の方服装五位の方服装六位の方の服装わずかですが色に違いが神饌講社列神前にお供えする神饌唐櫃を先頭に祭事に携わる方の列です。神幸列の前列には真木(さかき)に続いて警備役として金棒(こんぼう)を持つ中座その他が続き左が舞楽の舞人の胡蝶(こちょう)右が迦陵頻伽(かりょうびんが)極楽浄土に住む美しい鳥を模したもの背に鳥の羽、天冠に桜の花舞人の後に笙や横笛、太鼓や鐘です。一年に一度、ご祭神の巡幸です。鳳輦、天皇の乗り物、乗輿(じょうよ)が二基平安神宮のご祭神孝明天皇と桓武天皇です。錦蓋(きんがい/きぬがさ)と菅蓋(かんがい)後ろからさしかける傘です。総長白川女献花列白川女比叡山のふもと白川に住み(北白川との表記もあります)季節の花を売り歩く女性平安時代の初期に三善清行のすすめで切りたての花を内裏に献上したのが始まりとの伝承があります。白川女の帯は後水尾天皇の皇后東福門院より賜った御所染めと言われています。白川女の後は隊長などがつづきますが時代祭はここで終わっておきます。最後までお付き合い有難うございました。<m(_ _)m>
2022/11/09
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鎌倉時代・城南流鏑馬列承久3年(1221)5月後鳥羽上皇は朝廷の権力回復を図るため、流鏑馬(やぶさめ)に託して城南離宮に近畿10余国の武士1700名を集めて北条義時追討の挙兵準備をされた一場面を表現されています。(時代祭案内書より)射手武士の姿狩り装束の射手武士を中心に童や弓袋を携えた郎党を従えた5名が通過されました。時代はさかのぼって藤原時代へ藤原公卿参朝列藤原氏全盛期の王朝風俗で宮中の儀式に参加公卿(文官、三位)公卿(武官、従三位)写真がありませんが冠に違いと弓矢を携え腰に飾太刀の姿です。殿上人(文官、5位)何を持っているのだろうと調べたら胡床(こしょう)(一人用の腰掛)にかける敷物豹の皮は公卿用で虎の皮は殿上人用でした。公卿や殿上人はそれぞれが警護の随身や童がお供をしています。平安時代婦人列トップは凛々しく巴御前木曽義仲の愛妾武勇の誉れ高い女性です。巴御前の後に建礼門院の雑仕女の横笛、斎藤時頼の後を追い嵯峨往生院に向かう旅姿ですが、写真の撮り忘れです。常盤御膳牛若を懐に今若,乙若を連れて雪中六原へ向かう外出姿清少納言清原元輔の娘、一条天皇の皇后定子に仕えていた『枕草子』の著者女房装束(十二単姿)は女官の正装です。紀貫之の女手に持っている梅の由来は清涼殿の梅が枯れ、西京か遷した枝に付けたあった歌から紀貫之の庭の梅とわかったという故事によるものです。未婚女性の平素の姿を表現小野小町平安時代前期の女流歌人六歌仙・三十六歌仙の一人平安初期の女官の礼服姿です。侍女とともに。和気広虫平安時代初期に活躍した和気清麻呂の姉で当時、飢えと疫病により捨て子が増えたが83人の子を収養して子とした。百済王明信桓武天皇の信頼が厚い尚侍(ないしのかみ)(女官長)として天皇を陰から支えた女性(時代祭案内書より)次回に続く。
2022/11/07
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楠木公上洛列、吉野時代です。後醍醐天皇が隠岐の島から帰還の際、護衛として付き上洛した元弘3年(1333年6月)のこ昔は鎧櫃などもたずさえての道行お供は辛いね!錦御旗を掲げて堂々のいでたち 楠木正成楠木正季(まさすえ)違いの判断は兜です。侍大将の後は後醍醐天皇が隠岐の島から帰還の際、護衛として付き上洛した。元弘3年(1333年6月)のこと、この後は槍や薙鎌(なぎかま)、熊手、薙刀(なぎなた)などを手にした兵が続きます。中世婦人列大原女大原女は薪や炭などを京の町へ売りに来ていました。今年、3年ぶりに大原女時代祭が開催されました。桂女鮎や飴などを行商、婚礼や出産の時に祝詞をとなえる巫女を生業にしていた。淀君太閤秀吉の側室秀頼の生母です。藤原為家の室[十六夜日記]の著者源義経の愛妾・静御前舞装束で登場鎌倉時代へさかのぼります。京の千余年の歴史でので長い!(^▽^)次回にへ。
2022/11/04
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安土・桃山時代へさかのぼってきました。「豊公参朝列」天下統一を成し遂げた豊臣秀吉は関白太政大臣になりたびたび参内したそうで、特に慶長元年(1596)5月の秀頼初参内と同2年9月の元服の時は最も盛儀であったそうです。前田玄以(げんい)他石田三成、浅野長政、増田長盛、長束正家5名の大名が参内に従う当時の面影を再現「織田公上洛列」応神の乱の後、正親町天皇に応じて兵を率いて上洛皇居の修復や街の復興に尽力した。羽柴秀吉「室町幕府執政列」足利将軍を中心にした当時の武士の軽武装姿を表現御供衆政所執事の伊勢氏足利将軍は後ろ姿で・・・。御供衆管領の細川氏「室町洛中風俗列」室町時代後半の京で盛んに催された風流踊りの再現風流傘を中心に囃子方の中踊りと側踊り京から全国にも広がったそうです。太鼓打童は二人離れているので並んで写すのは難しい。側踊りの方たち楠木公や鎌倉時代へさかります。
2022/11/02
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明治維新の維新志士列中村寅太郎や頼三樹三郎、梅田雲浜、橋本左内、吉田松陰が続いていました。お公卿さんの列近衛忠凞(このえ ただひろ)この後に姉小路、三条、中山、平野の公卿が続きます。「徳川城使上洛列」徳川幕府は朝廷の重要な儀式などに将軍の名代として大名を城使として上洛させたそうでその時の様子の再現です。長持ち長持ちを担いでこのように踊るとは思いませんが会場を沸かせていました立て! 立て!と言いているが荷物は重いよ~でも 酒でも飲めば重い荷物も軽~くなる~エイトサ~ ホイットサッサ~エイトサ~ ホイっとサッサ~このような歌を歌って大名行列に欠かせない毛槍(けやり)ひ~さ~い~ いやとま~いいやさのさ~ いやさのさ~や~ おい ひ~さよいやな~ よ~い~よ~い時代祭・毛槍(けやり) 京都・時代祭です。♪毛槍をふ~りぃふ~り~ぃやっこらさぁ~ やっこらさ♪雰囲気が伝わればよいのですが・・・。弓や鉄砲などがつづいて長槍城使役の方です。大名駕籠ですから重たそう。見ている方が「あれは重たいわぁ」スタートの建礼門から担いでこられたのでしょう。痛そうに肩を抑えて交代されていました。時代祭の中で一番長い行列のようです。参勤交代も長い列だったのでしょうね。「江戸時代婦人列」後ろで「これを待っていたのよ!」時代祭の中で一番華やかです。この時代の代表は和宮ですね。和宮さんをちょっとアップでこの後大田垣蓮月、江戸時代の画家大雅(たいが)の妻、玉蘭(ぎょくらん)中村内蔵助の妻(衣装比べ抜群の称賛を得た)梶(かじ)(元禄時代の女流歌人)途中省略して<m(_ _)m>吉野太夫は男衆と禿でご登場出雲の阿国(いづもの の おくに)弟子2名を連れて参上婦人列は総勢7名でした次回は安土・桃山時代へ
2022/10/31
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2年間中止された時代祭コロナ感染の不安はありますが人々は開催を待っておられたようで出発地点の御所に例年より人は少ないが大勢の方が来られていました。行列の先導はパトカーですが時代祭にあわせて衣装を婦警さんでしょう美人です!横の男性曰く『警察官ですね腕時計をされていた。』《えッ》『御所へ向かった鼓笛隊の方は腕時計をされていなかった』お隣に方は面白いところも見ているようで今日は楽しく見られそう!(^▽^)主催者のお出まし~。京都市議会副議長さん府・市議会の議長さん知事さんと市長さんいよいよスタートです。明治維新時代こらから過去へさかのぼります維新勤王隊列ピーヒャラ ラッタッタ鼓笛隊のこの音で始まるのが時代祭!この音色を聞かなければ雰囲気が出ません。(^▽^)錦の御旗は(月)と(日)御使番陣笠の額に「魁(さきがけ)」の印をつけています。隊長、参謀、司令長堺御門を出て行きました。時代は江戸時代にさかのぼります。次回に。
2022/10/28
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時代祭は京都の誕生日にあたる10月10日におこなわれ、平安神宮の創建を奉祝して行われる京都市民が始めた祭りです。(2018年の時代祭・平安神宮)時代祭とは平安神宮からご祭神の桓武(かんむ)天皇、孝明(こうめい)天皇が二基の鳳輦にのって御所へ向かう神幸祭に始まります。平安神宮を出た行列の維新勤王隊列が堺町御門へ向かいます。♪ポーヒャラ ラッタッタこの音色を聴いたら気持ちが沸き立ちますね。騎乗している前の二人が使者、後方の赤い衣装が隊長で参謀と司令長を従えています。足の運びも音色に合わせて♪ピーヒャラ ラッタッタ横の鎌倉からおいでの男性が感慨深げにこのような歩き方は世界広しと言えども少ないですねぇ。と・・・。前方遠くに見えるのが建礼門です。御所へ向かいます。テレビの放送は建礼門を正面に見えるこの位置だと思います。二基の鳳輦は大宮御所の前の道をゆきました。時代祭は千有余年にわたって培われた京都の伝統工芸技術で動く歴史風俗絵巻を披露することを主眼にしていますので、衣装や祭具など厳密な時代考証をもとに製作されています。祭は明治時代から順次延暦時代まで遡ります。祭は12時出発、しばしお待ちください。次回へ・・・。
2022/10/26
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1976年から開催されていた枚方花火大会は財政難で中止に・・・。地域の方たちの思い出の花火大会は「水都くらわんか花火大会」として2022年に開催されました。『この街で生きてゆくんだ』『また明日も頑張ろう』『家族、仲間を大切にする』この街にとって大切な物を感じてもらうために花火をあげたそうです。枚方市・高槻市で生まれた子どもの数だけ(2021年度4,995名)花火を打ち上げられました。枚方会場ですがイベント会場は”蜜”状態水住民の願いがかなった水都くらわんか花火大会2022年9月4日、場所は淀川河川公園(枚方)でした。
2022/09/26
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化野念仏寺千灯供養の来訪者を迎えるためや地域の地蔵盆を盛り上げるため、古い町並みが残る街道沿いに手作りの小さな行燈を点して始まったのが約20年前。化野(あだしの)念仏寺の千灯供養に合わせて行われる愛宕古道街道灯し(あたご ふるみちかいどう とぼし)清凉寺(せいりょうじ)から愛宕神社の一の鳥居までの愛宕街道です。今年、千灯供養はおこなわれませんが有志の方や子供たちの力作の行燈(あんどん)が灯りました。左の字は「愛」右は「夏」と書かれています。反対側にも文字があったのかなぁ・・・。(^▽^)愛宕山のふもと嵯峨鳥居本は愛宕神社の門前町で昔の家並みが残り、国の重要伝統建造物保存地区に指定されているそうです。一の鳥居に手前に鮎の宿・つたや愛宕山に登るお客さんにお茶を出すようになったのが「鮎の宿 つたや」の始まりだそうで、保津川でとれる鮎を天秤棒で丹波・亀岡の方から京都まで運んでいましたが、水の入れ替えと休憩が必要でした。新鮮な鮎を愛宕山へ登るお客さんに出したのが鮎料理の始まり愛宕古道街道灯りは愛宕神社の位置の鳥居まで藁ぶき屋根の鮎茶屋・平野屋保津川渓谷に近くで鮎問屋を営んでいた。保津川でとれた鮎を翌朝一番で京の料亭に下ろしていたそうです。愛宕神社と親交がありその縁で一の鳥居のふもとに茶屋を構えることになったようで、お客さんに鮎料理を出すようにもなったそうです。愛宕古道街道灯しの命名は平野屋の大女将のようです。例年なら清凉寺の西側の道にさしかかると行燈を見かけますが縮小されていました。このあたりは奥嵯峨いわれています。気温が低く爽やかでした。・・・おわります。・・・
2022/09/21
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化野念仏寺の千灯供養は中止になりましたが愛宕古道を優しい灯りが照らし出す愛宕古道街道灯し(あたご ふるみちかいどう とぼし)今年は縮小ながらも8月27日、28日に開催。静かな街並みに心が和みます。愛宕古道街道灯しは清凉寺から愛宕神社の一の鳥居までの沿道約2キロです。1996年に始まったそうです。このイベントの名づけ親は愛宕神社の一の鳥居の茶屋「平野屋」のお女将さんだと言われています。嵯峨野は古来から貴人たちの隠棲(いんせい)の俗世間を離れて静かに暮らす場所として好まれ、瀬戸内寂聴さんの自坊・寂庵もあり生前は町民の一員として奉仕されていたそうです。お蚕さんの繭玉で作られた可愛いお人形が並んでいます。講座も開いておられるようです行燈は手作りです。子どもたちは自分の行燈を探すのに一生懸命どれも力作ぞろいです。陶芸の灯りです。大きく口を開けたジョーズです。灯す(とぼす)とは京都弁で灯を”つける”ことです。灯りはまだまだ続きます。次回へ。
2022/09/19
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毎年旧暦の7月7日(現在の歴8月4日)頃に開かれる京の七夕今年も鴨川エリア、堀川エリア、梅小路エリアなどで開催されましたが宇治でも「京の七夕in宇治」として開催されたので、久しぶりに宇治へ宇治といえば源氏物語行燈に綺麗な絵が描かれていました。青サギさんも見に来たのかなやっと灯りが・・・。源氏物語には朧月夜の君も・・・。赤い鳥居は宇治神社です。中の島から橋を渡って247号線、帰りは京阪電車宇治駅へ・・源氏の君と紫の上でしょうね。人が少なくゆっくり楽しめました。・・・おわり・・・
2022/09/16
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日が変われば7月!7月1日から一カ月間八坂神社の「祇園祭」山鉾巡行は3年ぶりです。記載したもの以外は2019年にうさぎさんが撮った写真です。カレンダーに綴ってみました。7月1日・・・吉符入り各山鉾町で祭の打ち合わせなどが始まる7月1日・・長刀鉾町お千度その年のお稚児さんと禿が八坂神社へ参拝初めて白塗りで手を引かれての社参照れておられるようでした。7月2日・・くじ取式巡行の順番が決まります。京都市役所内(パンフレットからコピー)7月5日・・稚児舞長刀鉾のお稚児さんの披露と稚児舞が拝見できます。お千度の時と違って凛とされていました。長刀鉾の保存会事務所です。7月7日・・綾傘鉾 稚児社参《可愛いです》7月10日・・お迎え提灯御神輿を迎えるための提灯行列が夕刻(5時頃)から八坂神社をでます。市内を巡行して数か所で踊りなどを披露されます。「神輿洗」午後8時頃から三基の御神輿の内の中御座を四条大橋まで運び、鴨川の水で洗い清めます。大松明が前後を照らし先導します。21時過ぎに戻ってきて三基とも飾り付けされて舞殿に展示されます。7月10日~14日・・・鉾建各町内で山鉾が組み立てられます。飾り付けが終わったら曳き初めがおこなわれます。※⒑日~14日ですが13日中に終えている処が多いようです。長刀鉾は比較的早いです。引き初めは12日~13日です。(2021年の写真)(2021年の写真)(2021年の写真)2021年、山鉾の巡行は中止ですが、文化財の保護と技術伝承のため前祭は11基、後祭は6基を建ち上げた時の写真です。曳き初めは中止でしたがお囃子は夕刻までされていました。7月13日・・長刀鉾稚児社参午前11時ころに出発長刀鉾のお稚児さんが五位の位を授かりに八坂神社へ社参の儀で五位の位を授かり剛力さんの肩の担がれて戻ります。巡行が終わるまでは「神」として扱われ公の場では地面に足をつけません。同じ日の午後2時に久世駒形稚児社参2時まで待てず写真が撮れていません。(苦笑)久世駒形稚児とは綾戸國中神社の氏子から選ばれる2名のお稚児さんで、祇園祭の神幸祭と還幸祭で中御座を先導するお稚児さんです。胸の前に駒(馬)の顔を下げています。7月14日~16日・・前祭の宵山蟷螂山屋根の上のカマキリが鎌を振り上げます。船鉾7月16日の夜、9時頃からお囃子を持っている山鉾は屋台をひいて鐘や太鼓も賑々しく明日(17日)の巡行の無事を祈願のため御旅所へ詣でます。綾傘鉾の棒振り太鼓と棒振りの掛け合いは見所です。7月17日・・巡行です。続きは次回に・・・。各日程の写真は一部だけをカレンダーに組みました。それぞれの写真は2019年の祇園祭の記事の中でご覧になったご記憶があると思います。
2022/06/30
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1800有余年前に神功皇后が社殿を建立されたとされる京都・伏見にある「藤森神社」5月5日の「子どもの日」を「菖蒲の節句」とした発祥の地として知られています。”菖蒲”を転じて”勝負や勝運”の神として信仰されています。毎年、子どもの日におこなわれる「藤森祭」では馬上で逆立ちなどの曲乗り神事「駆馬」が奉納されます。馬上姿も様になるこの方は長年、駆馬をされてきましたが今年を最後にして引退されるそうです。今後は後進の指導をされることでしょう。馬も気が高ぶっているのでゴールで止めるのも危険な仕事です。少年と言える感じがする乗り手は今年初めて駆馬に参加されるそうです。一回目も無事に乗りこなして二回目に挑戦です。駆馬神事奉納の最後は・・・、疾走する馬上で字を書く技です。スタート地点で筆を口にくわえてスタート疾走する馬上で「馬」という文字を書かれます。下の写真は午前中におこなわれたものです。勝負の神様に願いを託しに全国の競馬ファンが大きなレースの前後には参拝されるそうです。また、中大兄皇子と中臣鎌足らが飛鳥の法興寺で打毬(だきゅう)に興じその際、曽我氏打倒の策を練ったとの記述が見つかり、打毬が「うちまり」ゲートボールに通じているのでご祭神の舎人(とねり)親王はゲートボールの神様にもなっているそうです。馬の走るのは早い!シャッタースピードの不足で見苦しい写真になりましたがご勘弁ください。藤森神社の駆馬神事でした。;;;;(涙);;;;記事を書きおわりかけた時何度も画面が黒くなったので下書きに保存したら最初の写真のみを保存した時点に戻り追加した文章など消えたしまった。泣けました。(;;)
2022/05/20
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京の南の守りと言われる城南宮で春と秋におこなわれる曲水の宴コロナ禍で今年も作法伝承のため神楽殿でおこなわれて一般は非公開ですが、奉納和歌の披露のみ拝殿で行われました。奉納和歌の披露の前に白拍子の舞が奉納されました。当日は昼から雨の予報ですが小降でしたので出かけました。しかし、行事が始まるころには土砂降り!その様子は・・・写真で白っぽいものは雨です。芦屋の白拍子の会の方です。歌を詠みあげます。雨やコロナ禍で非公開により歌人が歌を書かれる様子は別の場所のため拝見できません。・・・・・・雨の日の曲水の宴京都・城南宮雨が強く報道関係者席のテントに入れていただけましたので白拍子の舞もスマホでビデオ撮りしましたがテントのたれを避けて中腰の苦しい姿勢での録画です上下したり水平が保てなくて…(涙)
2022/05/13
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甍(いらか)の波に♪雲の波~♪雲もなく甍(いらか)の代わりに高僧道路!阪神高速道路が架かる長岡京市阪急電車京都線 西山天王山駅下車京都方面に向かって高速道路沿いを約1㎞ 歩いた下海印寺地域の小泉川沿いです。大山崎町にある小倉神社の春祭りにあわせて氏子が多い下海印寺青年会が飾っているそうで40年続いているそうです。途中まで来たら高速道路沿いに鯉のぼりが見えてきました。5月3日快晴です!甍もなく雲もないとぼやいていた方がおられました。(^▽^)甍(いらか)とは簡単に、屋根瓦のことです。
2022/05/06
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今年度が最後になる東山花灯路円山公園から高台寺に向けて歩きます。たばこ王と称された明治時代の実業家村井吉兵衛が迎賓館として建てた「長楽館」大雲院の祇園閣も綺麗にライトアップ大雲閣は織田信長と息子の信忠の菩提を弔って建立された寺院で祇園閣は祇園祭の鉾を模した外観です。高台寺への坂道は「台所坂」ドラマによく使われます。高台寺の庫裏天満宮へ人力車でやってくるのは「狐の嫁入り」です。実施期間を短縮されたようで拝見できませんでした。過去の写真で・・・。高台寺の天満宮へ参拝して狐の嫁入りの行列は行程が終わります。《やってみたかったなぁ…。》狐のお面を付けるから歳が分からないでしょ!興味があったのですが、残念です。(^▽^)高台寺に描かれた灯りの文字「祈」八坂の塔と並んで京都タワー清水寺から照らされる青いサーチライトは観音様の慈悲を表しているそうです。円山公園で見かけたマンホール可愛いでしょ!!花灯路は再開してほしいイベントです。よろしく。<m(_ _)m>東山花灯路を終わります。お付き合い有難うございました。
2022/04/04
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東山花灯路は京都・東山一帯を舞台に露地に行灯(あんどん)の和を基調にして白壁や石畳などに点灯して彩り、「灯り」と生け花の作品で演出し周辺寺院・神社の特別拝観やライトアップさせた京の早春のイベントです。円山公園に続く道に「粟田大燈呂」粟田神社の祭礼前夜の「夜渡り神事」に翌日の神輿の先行として街を練り歩く粟田大燈呂も展示されていました。過去、粟田大燈呂が珍しく大勢の見物人が殺到して怪我人が続出したため天保3年以降途絶えていたそうですが氏子の依頼により京都造形芸術大学と連携のもと平成20年(2008年)に180年ぶりに復活現在まで台数を増やして「夜渡り神事」の際は10基ほど巡行しているようです。一部をアップします。円山公園の池の周りもライトアップされて写り込んでいました。子どもたちの「火の用心・お囃子組」です。歩くのが早くカメラの設定が追いつかずボケました。(;_;)《顔が写らなくで丁度いいかも…》人力車にも車夫のキャラクターあり!この企画は京都府、市、商工会議所、仏教会、京都市観光協会が主催で他に多くの団体の協力によっておこなわれていました。ですがこの催しも今年が最後の催しになり3月4日~13日までおこなわれ終了いたしました。嵐山花灯路は昨年の12月に終了されています。高台寺の方へ歩きます。続きを見てくださいね。<m(_ _)m>
2022/04/01
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主催は京都府、市、商工会議所、仏教会、京都市観光協会が主催した東山花灯路は他に多くの団体の協力によっておこなわれていましたが今年が最後の催しになり3月4日~13日までおこなわれ終了いたしました。また、嵐山花灯路は昨年の12月に終了されています。アップが遅くなりましたがその様子をご覧ください。点在する生け花が灯りに美しく浮かび上がっていました。花の美しさや趣向を凝らした生け花です。鏡に写り込む美しさを強調されているようです。一部のみアップしました。流れに・・・竹灯り粟田大燈呂もお目見えです。次回に…続く
2022/03/30
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ひな祭りに時期に開催される「~母から娘、祖母から孫へ~まこころを伝える吊り雛展」ご住職のお義母さまの手作りの吊り雛展が2月28日から3月3日まで今年も開催されました。書院三間にひな人形、吊り雛、創作人形などなど華やかに展示されていました。入場者に特別参加記念の証にご住職の手描きの「桃栗三年柿八年」のしおりが授与されていました。頂いた参加記念の証です。最近は写真撮影が禁止になっています。展示の様子は下記をクリックしてください。法住寺ホームページより法住寺の吊り雛展京都旅行ドットコムでもご紹介法住寺 吊り雛展法住寺は藤原為光が怟子(しし)と夫人の菩提を弔うために創建(987年)後白河上皇が法住寺を中心に院の御所として造営(1161年)して法住寺殿に。後白河法皇がは亡くなってからは法皇の御陵を守る寺として存続現在は御陵とは切り離されて法住寺として現在に至る。ご本尊は「身代わり不動明王」木曽義仲が院の御所に攻めた際当時の天台座主が後白河上皇を守って身代わりになって敵の矢に当たったとの話しも伝わりおりさまざまな厄災から守ってくださると信仰されているそうです。
2022/03/07
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1月16日におこなわれた皇后盃全国女子駅伝昨年はコロナ禍のため中止されたが今年は開催されました。例年なら第一中継所か第二中継所で見るのですが場所を代えて白川通りの第四中継所へ第四中継所は折り返し点がある第五中継所(国際会議場)の一つ前です。ランナーが走り抜けて行きます。なぜ?ここ中継所でしょ!?理由はタスキをつなぐ中継地点をうかつにも間違えました。係りの方に聞いた時復路の中継地点を教えられたようです。いつもはテレビカメラの位置など注意して待機場所を決めますが・・・。疑うこともなくのほほんと・・・。後で気が付きましたがその担当者は復路の計測官でした。(苦笑)待機場所から遥か50mほど北(涙)北行き道路がコースになっていて南行き道路の二車線を使って車を北行き南行きに使用たえず目の前を車が行き来し視界を遮られて撮れなというおまけがつきました。(;Д;)”泣きっ面の蜂”です。ラストのランナーを見送る。往路のランナーが行った後は慌ただしく係官が右往左往して第六中継所の準備です。早々と往路のランナーが戻ってきました復路の最終のランナーです。皇后盃全国女子駅伝は9区間の3区と8区間(3キロ)はジュニアB(中学生)が走ります。白川通りがこれほど車が多いとは思いませんでした。(;Д;)中継所の場所は変わりませんが選手の待機場所や関係者などの設営は工夫されて変わりますので注意を怠れません。注意不足と車に阻まれて写した皇后盃全国女子駅伝でした。
2022/01/31
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昨年12月15日~30日までと今年1月6日~16日までおこなわれた平安神宮のヨルモウデです。「NAKEDヨルモウデ 平安神宮2022」大極殿の前のライトアップを後にして神苑へ・・・。東神苑がライトアップされています。ぴゅーとほほを撫でる風とライトに染まった松が違う世界に入り込んだような錯覚を起こします。泰平閣(橋殿)が中心にしてライトアップされて池に写り込んでいます右の尚美館(迎賓館)をスクリーンにマッピングです。泰平閣(橋殿)の天井も黄色や青、赤色に・・・。カラフルに染まる橋殿をお楽しみください。天井の灯りが床に作るアート各自が手にしている提灯を欄干にセットされた機材に置くことで色が変わります。各自が思い思いにするので瞬き間に色が変わります。神様もびっくりの平安神宮を楽しんきました。・・・おわり・・・
2022/01/19
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昨年12月15日から30日今年1月6日から16日まで斬新なタイトル「NSKEDヨルモウデ 平安神宮2022」徘徊しました。(^▽^)チケットを買って入ります。応天門を内側からカラフルに染められて。大極殿も・・・。受付でもらった提灯が足元を明るく境内に蛍火を見るようです。同じ画像ですみません。色を楽しんでください。大極殿方見た応天門神苑のほうへ行きます。次回へ・・・。
2022/01/17
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下鴨神社新春恒例の「蹴鞠(けまり)はじめ」が1月4日におこなわれました。待つ間は日が照ったり曇ったり本殿で神事が始まり頃から雨が。。。!雨も少し小降りになってきて中止にならず・・・。おまけに雪も!ちらほら神殿に祀られていた鞠が静々と運ばれてきました。人の手ではなく松の枝にはさまれて・・・。人には見えないように手探りで枝の紐を外されます。鞠庭の中央に置かれます。蹴鞠の場所「鞠庭」へ入るのも出るのも礼に始まり礼に終わる入る順番と立ち位置(上座など)が決まっているそうです。一座、8名の方が入って競技がおこなわれます。一人ひとり、順に鞠を蹴ってその日の様子を確かめるのでしょうね。一回目の蹴鞠が終わり次のグループです。蹴鞠を持って先頭が入り鞠を中央に置かれて後、7名の方が入られます。競技はメンバーを替えて三回行われました。スマホで撮った画像です。クリックして見てください。↓下鴨神社の「蹴鞠はじめ」様子がお判りになりましたでしょうか。一番長く続いた画像です。足元も悪く難しいのでしょう。蹴鞠の衣装は「蹴鞠水干」に「立烏帽子」競技の場所を「鞠庭/鞠場」と言い四隅には式木(しきぼく)と言われる東北に桜、東南に柳、西南に楓、西北に松を植えるそうですが臨時には松の枝または竹を用いたようです。蹴鞠を蹴るのは一人が三回最初に蹴るのは「受け鞠」二回目に蹴るのが「自分の鞠」三回目に蹴るのが「渡す鞠」だそうです。蹴る姿にも厳しいルールがあったそうです。ここでは一回蹴ることで相手に渡していました。結構難しいですね。
2022/01/14
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全国高校駅伝の男子は女子が終わった後、12:30分に西京極をスタート国際会議場で折り返す7区42.195キロです。第一中継所はスタートから10.04キロの烏丸線鞍馬口たすきを受け取る笑顔の顔、仲間を待つ少し不安な顔雪がちらつく中の4分間のドラマです。トップは広島県と思いますが関係者の車で写ってないです。二番でやって来たのは長野県です。4分間のドラマ!青春っていいですね!!
2022/01/10
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