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八坂神社の祇園祭後祭の山鉾巡行(24日)が終わった夕刻に御旅所へ渡御していた御神輿(3基)が八坂神社へもどる還幸祭です。先頭は久世駒形稚児ですが御旅所に裏に待機(馬が驚くからでしょう)神宝奉仕列が寺町通を南へ中御座のコースへ出立します神宝奉仕列がは終わったあとへ中御座の鳴り環が≪カシャ カシャ≫と観客の手拍子で迎えらてやって来ると祭り気分が盛り上がります。御神輿の屋根の鳳凰も綺麗に飾り付けられて御旅所から出てきます中御座スサノオノミコトの御神輿です。屋根の形は六角四条通から寺町通(南北通)を南へ中御座の次は東御座東御座はスサノオノミコトの妻クシナダヒメミコトの御神輿屋根の上の丸い擬宝珠が可愛いです。神事が終わって差し上げ・・・四条通を烏丸通まで西へ行きコースをたどって八坂神社へ最後に西御座西御座はスサノオノミコトの8人の子ども八柱御子神の神霊がのる御神輿屋根の形が八角です。西御座を先導して寺町を北へ商店が並ぶ錦通の中を抜けて四条通りへ出てきます。静になった御旅所ですが西御殿と東御殿があり西御殿はスサノヲノミコトクシナダヒメノミコトが祀られており東御殿の祭神は八柱御子神が祀られています。還幸祭を終わります。
2023.09.27
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前祭の山鉾巡行が終わった後山鉾巡行で悪鬼を鎮め清めた市中へ夕刻に八坂神社を出る3基の御神輿の渡御これが祇園祭です。4年ぶりにすべてが催行され今年は國中神社から久世駒形稚児も行列に参列し八坂神社の楼門を騎乗姿もまま境内へ入られるのでその姿が見たくて八坂神社の南楼門へ・・・。八坂神社の南楼門前に大勢の担ぎ手が集まり≪カシャ カシャ≫と鳴る環の音も元気よく≪ほいっとぉー ほいっと≫西御座の一行です。國中神社のお稚児さん「久世駒形稚児」神様を胸に騎乗姿で楼門をくぐり境内へ騎乗のまま入り本殿へ向かいます御神輿の担ぎ棒が運ばれて最後の仕上げです。巡行に先立ち中御座の前を行く「神宝奉仕列」が出て行きます。過去は東御座、西御座にも神宝奉仕列があったそうです。久世駒形稚児も・・・。西楼門前でおこなわれる神事の後御神輿が出立します。神事の様子は写真は2019年の18時頃出立まで待てませんので先を急ぎます。着いたところは三条大橋中御座の巡行コースここで久世駒形稚児さんを含む神宝奉仕列と中御座が来るのを待ちます19時近くになってやっと神宝奉仕列がやってきました。待つこと24分中御座がみえてきました動画は中御座の様子で↓ 中御座を見送って四条通りにある御旅所近くの錦天満宮へ久世駒形稚児がここで馬から下ります錦小路(商店街)の東の端 新京極通にある菅原道真公が主祭神の小さい神社ですが風格は十分に。20時半頃やっとご到着疲れたたでしょうね。御旅所で御神輿の到着を待つ人々三基の到着は遅くなるので帰宅大丸のでは長刀鉾が・・・。寂しそう・・・。(^▽^)祇園祭神幸祭)を終わります。
2023.09.20
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7月17日に祇園祭の前祭の巡行が終わり23基の山鉾が倉におさまった頃後祭の11基の山鉾の山や鉾が建てられて人々が宵山を楽しんみ24日に山鉾の巡行がおこなわれます。前祭と逆のコースで京都市役所がある御池通からスタートします。山鉾の巡行の前に山鉾の通る道を清めます。トップは橋弁慶山御池通(東西通)と河原町通(南北通)の交差点で辻回しです。山を担いで90度回ります。弁慶と牛若丸が五条の橋の上で戦う姿です。2番目は下り観音山と言われる南観音山北観音山の(男性!?)に恋すると言われる南観音山(女性)です。辻回しは3回に分けて90度方向を回転して河原松通へ後ろに柳の枝を差しているのが特徴です浄妙山平家物語の宇治川の合戦が題材僧兵浄妙の頭上を飛び超え先陣に出る一来法師八幡山山に載っているの八幡宮高さ1mの総金箔の社殿鳥居に二羽の鳩八幡宮のシンボルの鳩です。最初の鳩は左甚五郎作といわれています。新しく作られた二代目です。鯉山龍門の滝を登った鯉立身出世の「登竜門」ですが鯉=恋に・・・若い女性に人気です…余談上り観音山と言われる北観音山青竹を敷、水を撒いてだいたい3回に分けて山車を90度回転させます。裏方さんは大変です。南観音山と同じく柳の枝を差しています。黒主山六歌仙の一人大伴黒主が桜の花を眺める姿この桜は新たに作られた二代目です。役行者山役行者が一言主神を使って葛城と大峰にの間に石橋を架けたという伝説が題材。山に祀ってあるのは右に葛城神、左に一言主神鈴鹿山鈴鹿山で道行く人々を苦しめていた悪鬼を退治した鈴鹿権現の伝説が題材鷹山復活して真新しい山昔は「鷹つかい山」として巡行していた曳山です2019年から唐櫃で巡行して2022年に復活して巡行に加わりました。約30度ずつ回転させて河原松通へ今年の後祭の巡行の最後を飾る大船鉾です。前祭の船鉾は出陣船鉾にたして後祭の大船鉾は凱旋船鉾と言われています。今年の舳先飾りは大金幣です。凍らせた2本のペットボトルの氷が融けていました。暑い一日でした。・・・おわり・・・
2023.09.11
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2023年、4年ぶりに完全な形で祭りがおこなわれます。7月24日の巡行を控えて曳き初めから宵山へ。山ですがお囃子もつく鷹山です。囃子方が上がって・・・、曳き初めですね。屋根方も・・・。どこから屋根の上に・・・。真木(中央の柱)に付けられた梯子を上って屋根の上の「網隠し」の赤い幕の間からでした。三条通から南へ新町通へ曲がります北観音山です。北観音山の曳き初めは新町通(南北に道)を上へ(北へ)下へ(南へ)曳き初めです。北観音山が戻って来た後方に鷹山の曳き初めのが三条通にちょこっと姿を見せました。今年は北観音山が早く引き返してきたので重ねて見られませんでした。曳き初めの様子は動画で見てくださいね 北観音山から南に南観音山四条通を渡って大船鉾の場所へ陽が落ちて南観音山の灯が見えるようになりました。北観音山鳥居に鳩が取り付けられていませんが八幡山です。三条通へ出ると鷹山です。南に黒主山北に役行者山宵山の気分をちょこっと味わって帰宅7月24日の巡行へ
2023.09.06
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前祭の山鉾が鉾町へ帰って行く新町通りです。後祭の南観音山の会所の前を通ります。新町通りは乗用車なら行かうことができる程度の狭い道幅です。長刀鉾が戻ってきましたお稚児さんは御池通と新町通の場所でおろしています。鉾の真木が揺れないように屋根方は緊張する道です。難所を通り抜ける山鉾の様子も見所です函谷鉾(かんこほこ)新町通りにあるのは放下鉾のみほとんどの山鉾が四条通りへ抜けて自分の町へ帰って行きます。新町通に入ってくるのはスタートの時の巡行順ではありません。船鉾をが通って後最後に放下鉾です。この日は後で野暮用があり最後まで見られなかったのが残念ですが帰宅ムクゲは一日花美しいだけに世のはかなさを感じます。
2023.08.29
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くじ取り式のこと祇園祭で「くじ取らず」と言う言葉はご存知の方も多いでしょう。先頭の長刀鉾の次は・・・?興味がありニュースになります。そのほかの山鉾のくじ取りはどうなったいるのかな・・・。くじ取らずの山鉾は1番が長刀鉾、5番が函谷鉾、21番が放下鉾、22番は岩戸山、23番が船鉾五基です。くじ取り式で最初におこなわれるのが9番、13番、17番を菊水鉾、鶏鉾、月鉾の三基でくじを取り順番が決まる綾傘鉾、四条傘鉾の二基で7番、15番が決まるくじを引きで順番は変わるが山鉾には指定位置がありくじが引かれるそうです。後祭のくじ取らずは1番の橋弁慶、10番の鷹山、11番目の大船鉾の三基2番目と6番目に北観音山か南観音山が入ります。今年は南観音山が2番目で来年以降は隔年(かくねん)で順番を交代します巡行を見飽きないように並ぶのでしょうね。くじ改めの奉行の前にくじを見せる所作も見所です。サルスベリ昨日、京都御苑で百日紅の花が満開でしたでも、ぼつぼつ終わりかな・・・。
2023.08.24
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4年ぶりの通常開催で見物の人も関係者も盛り上がります。菊水鉾鉾頭は黄金色にに然と輝く菊です保昌山(ほうしょうやま)「花盗人山」と言われていた。平井保昌が和泉式部のために紫宸殿前の紅梅を手折ってくる姿を現している。綾傘鉾綾傘鉾のお稚児さんに赤い傘を差しかけても暑い中を歩かれます。四条烏丸から河原町通を北へ御池通を西へ新町通までが巡行コースです。ここまで予定時間は2時間10分新町通を南へ下がるのは帰途のコースです。綾か鉾の会所まで頑張って歩かれます。お稚児さんに続いて棒振り囃子長刀鉾がしめ縄を切った地点から西へ歩いてくじ改めの場所へやってきました太子山聖徳太子を祀る四天王寺の建立のため良木を求めて自ら山へ入り老人に大杉の霊木を教えられて六角堂建てたという伝説に由来する。他の山は真木に松を立てるが太子山は杉の木です。月鉾鉾頭に新月(みかづき)をつけ真木に月読尊を祀る屋根裏の草花図は円山応挙天井の源氏五十四帖扇面散図、前懸や彫刻、飾り金具など豪華な鉾です。くじ改め(関所)山鉾巡行がくじ取り式で決まった順番通りか確認する奉行役は京都市長です。くじ改めの様子は祇園祭の見所です。伯牙山 蟷螂山(とうろうやま)カマキリ山と言われ、カマキリの羽根や鎌(かま)が動くからくり山今年のちまきを奉納し、持参しくじを奉行に見せる進行の合図を送る占出山神功皇后の外征に際し鮎を釣って戦勝の兆した。放下鉾(ほうかほこ)岩戸山(いわとやま)国産みと天岩戸を題材にした曳山です。山ですが鉾と同じように車輪を付けて囃子方が乗っています。船鉾神功皇后の出船を題材に出陣する船舳先は想像の鳥・鷁(げき)前祭は23基です。祇園祭の時や新年を迎えるとき大のれんが掛けられます。今回動画を中心に撮りましたがブログに搭載した動画は限定公開の設定で閲覧回数が分かり動画をご覧になる方はほとんどないようなので迷いましたが省きました。
2023.08.21
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八坂神社の祇園祭通常の開催は4年ぶりです。長刀鉾がゆらゆらりとしめ縄を切る地点に近づいてくるのは良いものです 離れた所からの撮影で画面がお見苦しいと思います。静止画像にしたら良かったと…前祭ですが・・・後のまつりです。(;;)ゆったりと四条通を祇園祭のスタートです。芦刈山貧しさのため夫婦が別離し妻は都へ出て宮使えをするが別れた夫が気がかりになり探したところ夫は落ちぶれて芦を売っていたという戯曲に由来侘しい話です。(苦笑)函谷鉾(かんこほこ)くじ取らずで巡行順は5番目中国戦国時代の故事孟嘗君が泰の国を逃れて函谷関に着いたが関は鶏の鳴き声で開くので家来に鳴き声を真似させたら本物の鶏が鳴いたので関を通り抜けることが出来た 郭巨山(かくきょやま)中国の史話に由来する貧困のため、母と子を養うことができず、思いあまって我が子を山へ埋め捨てようとしたところ、黄金の釜を掘り当て、母親孝行をした。四条傘鉾傘の上に松と御幣を飾りお囃子と獅子踊りが見ものです木賊山(とくさやま)我が子を人にさらわれ、信濃の国で一人木賊を刈る翁の姿物悲しいですね。鶏鉾中国の故事天下泰平で訴訟用の太鼓の用がなくなり鶏が巣をつくった。 札改めの誓へ移動する間に11番の孟宗山12番の霰天神山2基が撮れませんでした。遅れましたが2023年の祇園祭をアップしてゆきます。動画は鉾のおはやしの音より周りの雑音がうるさいようです。(苦笑)日々の暑さに草や木もしおれがちです
2023.08.16
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出遅れましたが祇園祭を宵山から・・・。手前左に見えるのが郭巨山(かつきょやま)右側に月鉾、函谷鉾、遠くに長刀鉾四基が撮れました。烏丸四条の北改札口は長蛇の列、南改札口へ回るよう駅員さんが叫んでいます。駅から一番近いのは「鶏鉾」鉾の謂れの鶏の巣は真木に。宵山は歩行者天国いわゆる”歩天”ですが一方通行になります。前祭の山鉾の位置です。「綾傘鉾」棒振り囃子の披露中満員の人で見えません。今は傘鉾ですが、以前は下記のような「鉾」づす。復活は難しそうですね。新町通は南雪一方通行、この通りに「船鉾」巡行時にのる御神体、中央が神功皇后(じんぐうこうごう)お顔は見えません。「山」は多く建っていますが四条通りへ左に四条傘鉾、傘の上に松を立てた鉾ですお囃子を持っています。右には郭巨山四条通を渡って西洞院通りを北へ蟷螂山(とうろうやま)からくりのカマキリは屋根の上に・・・。新町通りは南行一方通行ですから四条通りから入れません。迂回して新町通りへ。放下鉾(ほうかほこ)新町通りを南へ四条通りへ出て「月鉾」室町通りは北行一方通行「菊水鉾」裏道を通って四条通りへ「函谷鉾」四条通りを「長刀鉾」へ四条烏丸駅の近くを一巡しました。「屏風祭」祇園祭の時、自宅の祇園祭に関係する掛け軸や屏風、飾り物などの”虫干し”を兼ねて披露されるものです。最近、拝見できるお家が少なくなりました。ここのお家の「長刀鉾」の稚児人形などは江戸時代のものだそうです。長刀鉾のお囃子と祇園祭の花「ヒオウギ」をお届けします。
2023.08.01
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八坂神社の祭、祇園祭7月1日の「吉符入り(神事はじめ)」に始まり、祇園祭りに欠かせないお稚児さんの社参もおこなわれます。可愛いお稚児さんの様子をお届けいたします。7月1日長刀鉾町お千度稚児と禿に選ばれたことを奉告する「お千度の儀」今年は撮っていないので以前の写真です。7月7日綾傘鉾のお稚児さん6人が社参されました。巡行当日は綾傘鉾に歩いて随伴されますお千度も一生懸命の様子が可愛いです。7月13日長刀鉾のお稚児さんが神の使いとしての位を授かる「社参の儀」がおこなわれました。長刀鉾の会所を出発して八坂神社へ道中の沿道は大勢の方々です。八坂神社では大勢の方が待っておられます。神事がおわれば神の使いとなり地に足をつけない。剛力さんが担いて行かれます7月13日の午後鉾の巡行が終わった夕刻に八坂神社をでて御旅所へ行く御神輿の渡御の先導を勤める綾戸國中神社の久世駒形稚児の社参今年は4年ぶりです。男の子ですが可愛いです。神幸祭(17日の夕刻)と還幸祭(24日の夕刻)当日、綾戸國中神社の御神体を胸に下げて素戔嗚尊が載る御神輿・中座を先導する馬上姿を拝見できます。長刀鉾のお稚児さんも八坂神社では下馬しますが、久世駒形稚児は乗馬のまま境内に入ります。今日は祇園祭(前祭)山鉾の巡行です。ご訪問有難うございました。
2023.07.17
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祇園祭は八坂神社と綾戸國中神社の2社の祭りと書きました。祇園祭の巡行祭と還幸祭の神輿を先導する。八坂神社へも馬から下りずに参内できるのは綾戸國中神社からやってくる久世駒形稚児です。首から下げるの綾戸國仲神社のご神体を模した駒形です。(2019年の画像です)はたして綾戸國中神社とは・・・。行ってきました。東海道線JR桂川駅から東へ歩いて新幹線の高架をくぐって左横を新幹線が通っていますが街の中に静かに建つ神社です。手水舎の手水に「迷心」と彫られています。本殿の前に狛犬狛犬が変わっていました。「阿」の狛犬の手が押さえているものは…玉!?一方「吽」の狛犬は何だろう?獅子かな・・・。元は「綾戸神社」と「國中神社」の2社が合併されただそうです。本殿です。綾戸神社とは元は桂川(大堰川)の祓神として「大井社」の名称でしたが965年に綾戸社に改名災いやけがれを祓う3柱が主祭神また上久世の産土神として敬われています。國中神社とは付近一帯が湖水で覆われていた頃、スサノオノミコトが水を切り流し、愛馬の頭を彫刻したものを形見として祀ったのがはじまりだそうで、当然、スサノオノミコトが主祭神です。社号の額は後冷泉天皇の自筆だそうです。2社は並んでいたそうですが1934年(昭和9年)の室戸台風で倒壊したため社殿を一つにして再建1964年(昭和39年)に境内が新幹線建設予定地にかかったため現在地に移されたそうです。その時の碑かな。移転移転で神様も大変です!神様にも二つの側面があり、八坂神社のスサノオノミコトは優しく穏やかな和魂(にきたま/にきみたま)の神一方、綾戸國中神社のスサノオノミコトは荒魂(あらたま/あらみたま)荒々しい側面を持っているそうです。祇園祭の神幸祭や還幸祭で久世駒形稚児の先導は霊力を振りまくために荒魂のスサノオノミコトが必要だということかな・・・。あなたはどちらのスサノオノミコトがお好きですか?(^▽^)
2022.09.09
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祇園祭の後祭(7月24日)の巡行が終わった夕刻に御旅所に渡御していた三基の御神輿が八坂神社へ戻る「還幸祭」です。高提灯が並ぶ中、≪ほいっとうぉ ほいっとうぉ≫跳ねるようなステップで≪カシャ カシャ ・・・≫と鳴鐶(なりかん)を手にした神輿を担ぐ方たちです。(神輿の飾り金具の一種)綾戸國中神社のご神体を模した駒形に続いてスサノオノミコトの神輿中御座がゆきます。今年、久世駒形稚児が騎乗しないのが残念です。屋根飾りは鳳凰、青稲が飾られています。神輿に提灯、夕刻に御旅所を出て市中を練り歩き八坂神社へ着くのが9時を過ぎる。提灯の灯りの神輿も綺麗です。今年は御旅所から四条通りを一直線に八坂神社へ戻ります。中御座に続いて出るのはスサノオノミコトの妻クシナダヒメノミコトの神輿屋根の葱花(そうか・儀宝珠)が可愛い東御座です。三基目はスサノオミコトの子の八柱の神々がのる西御座神輿は八角、屋根は鳳凰、青稲をかざっています。三基の中で一番重いそうです。≪ほいっとうぉ ほいっとうぉ≫ 中御座が行く! 還幸祭三基揃って八坂神社へ7月31日に八坂神社の疫神社に茅の輪がかけられる「疫神社夏越祭」で祇園祭が終わります。撮れなかった神事もありますが八坂神社の祇園祭の記載はすべて終わります。来年からブログのために祇園祭を撮るのはしないつもりで、今回、撮り続けてきました。そのため投稿も長くなりましたが祇園祭を見ていただき有難うございました。朱竹の絵は「子孫繁栄」「立身出世」「家業繁栄」が叶うと言われていますがうさぎさんの絵では無理でしょう。でも気持をお届けします。(^▽^)・・・・・・綾戸國中神社とは綾戸神社と國中神社(御神体が素戔嗚尊)が併合されたもの、祇園祭は綾戸國中神社と八坂神社の祭りです。
2022.09.07
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八幡山(はちまんやま)町内に祀られている八幡宮を山に飾っています。鳥居に二羽の鳩左甚五郎の作と伝えられています。夫婦和合のしるし。今年の注目の的は196年の時を超えた復活した「鷹山」堂々とした巡行です。巡行順は10遍目に決まっています。鷹山は会所(山鉾を建てた場所)を出て新町通りの狭い場所で一度辻回し、御池通りへ出て二度目の辻回し、河原町通りを下るのに三度目の辻回しです。音頭鳥さんも気合十分!鷹山の辻回しを見守りつつ待機していたのは巡行の最後尾を飾る凱旋の鉾「大船鉾」です。当然、くじ取らずです。3年ぶりの巡行に龍頭も嬉しそうに思えます。竹が敷かれた場所へ鉾を進めます。鉾が30度向きを変えます。車輪の角度でお分かりと思いますが2回目の辻回しの後3回目の辻回しの準備3回目の辻回しで南を向いて大船鉾の辻回し凱旋の勇姿を誇るかのように大船鉾が行く! 例年なら後祭の巡行に続いて花笠巡行、四か所の花街の綺麗どころや六斎、祇園ばやしの曳山、傘鉾などの総勢千人ほどの行列がおこなわれますが、コロナ禍で中止になりました。最後までご覧いただき有難うございました。祇園祭(後祭)を終わります。
2022.09.05
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暴れ観音とは 文中をお読みください八坂神社の祇園祭後祭の巡行の4番目までが通過して5番目は・・・、「鈴鹿山」人が担いで行く山は舁山(かきやま)です。車輪がついていますので道中は担ぐことはありません。伊勢国・鈴鹿山で道行く人々を苦しめた悪鬼を退治した鈴鹿権現大太刀を持つ女人の姿後祭のくじ取らずの曳山「南観音山」は6番目です。本尊の楊柳観音は瞑想する座像です。巷では「あばれ観音」と言われています。観音様が暴れるのではなく理由は・・・宵山の最後の日日和神楽から戻ったあとご本尊の楊柳観音様を台座に布でしばりつけ担いで揺すりながら町内を回る。その目的は・・・北観音山の楊柳観音立像は男性、南観音山の楊柳漢音座像は女性、北観音山の楊柳観音への恋心を冷めさせるために暴れると言われています。神様だって恋もすればやきもちを焼きます。(^▽^)南観音山の辻回し3回の切り替えで90度曳山を回しおえました。1回終われば竹の敷き込みなどの準備で時間をとられます。3回を別々の撮ってつなぎ合わせるソフトを持っていないので編集ができません。役行者山(えんのぎょうじゃやま)役行者が一言主神を使って葛城と大峰の間に橋を掛けたという伝承の山です。京都で山伏の行をされる時よく見かけるお方です。偉い方のようです。道中は車輪がついているので楽ですが、辻回しは担ぎます。舁山でも12~16トンあるそうで重いことと思います。8番目は「黒主山」大伴黒主が桜を眺める姿は謡曲の「志賀」に由来しています。黒主山の辻回し 大サービスの2回し!残り参つの山鉾は次回へ
2022.09.02
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7月24日は祇園祭の後祭です。御池通り(東西)と河原町通り(南北)の交差点南東の角です。対面(北西)に京都市役所。曳山を90度回転させるための準備がされています。桶は水がはられています。人々がざわつく中、桶の水を神酒え清め南に向かってお清め。早々に姿を現したのは一番はくじ取らずの「橋弁慶山」五条橋での弁慶と牛若丸の出会いの場面です。方向を変えるのは担ぎあげて一巡させます。四条河原町へ向けて下ってゆきます。北観音山の辻回しのため竹が敷かれ始めた中北観音山が姿を現しました。くじ取らずです。一回目で山車は約30度鉾回転します。忙しく竹を敷き替えて2回目の回転です。約60度向きが変わります。3回目の回転です。無事に辻回しが終わり観客の拍手に送られた南へ下ってゆきました。韋駄天立像と楊柳観音像を祀り柳の枝を見送りの横に差しています。北観音山の辻回しが終わるのを待ちかねてやってきたのは「浄妙山」(じょうみょうやま)宇治川の合戦で僧兵・浄妙の頭上を飛び越えて先陣を争った一来法師の、平家物語に由来した山です。山車の辻回しの様子です。浄妙山の辻回し重い山を担いで龍門の滝を上る鯉!立身出世・家内安全鯉=恋のイメージなのかな…、女性に人気です。「鯉山」続きは次回に・・・ゆっくり進めますのでお付き合いください。・・・・・・使用しているのは充電式のPCですが、昨日から電源が早く減るようになりました。充電が完了して使用時間が1時間です。瞬く間に切れてしまいます。新しいほうで購入して3年半、電池の劣化でしょう。電池を外せないタイプで放電ができない種類です。(涙)
2022.08.31
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宵山の始まる前に一雨水たまりに映った鯉山の提灯です。巡行時には龍門を上る大きな鯉とスサノオノミコトを祀ります。「黒主山」(くろぬしやま)山車にのるのは六歌仙の一人桜を見上げる大伴黒主です。「浄妙山」山車にのるのは宇治川の合戦の僧兵:浄妙と一来法師写真さぼったようですね。(^▽^)その様子は巡行時に・・・。四条通りを南に渡ると最高尾の大船鉾です。前祭の鉾は出陣の鉾後祭の大船鉾は凱旋の鉾と言われています。後尾の膜で飾られた場所に御神体を載せます鷹山の日和神楽(ひよりかぐら)です御旅所へ向かいます。飾られている御神体にお囃子を奉納して三条通り(東西)から烏丸通り(南北)を渡って行きました。祇園祭の巡行が昭和41年から交通渋滞や観光促進を理由に前祭と後祭を分けずに合同巡行になっていたが2014年(平成26年)に後祭が復活本来の前祭と後祭に戻りました。後祭の山鉾の位置です。後祭の宵山を終わります。
2022.08.24
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祇園祭の後祭の宵山です。山鉾の一つ烏丸御池から近いその名も役行者町に「役行者(えんのぎょうじゃ)」の山車が建ちます。山車の上に役行者はのっていません。他の山車も巡行当日の朝に最終の飾りつけを行います。入り口に「茅の輪」がセットされていました。役行者の腰掛けの石役行者は背が高かったのでしょうか。右にある井戸と比べてください。(^▽^)三条通りに今年の話題の山鉾「鷹山」の宵山風景です。大勢の見物人でした。9時近くなったら日和神楽(ひよりかぐら)、屋台を曳き鉦や太鼓、笛でお囃子で賑やかに御旅所へ巡行の無事を祈願に行かれます。その様子は後ほど。辻を新町通りへ曲がれば「北観音山」観音山の南に南観音山が見えます。「南観音山」です。南観音山は子どもたちが唄うわらべ歌が人気です。♪厄除けのお守りは~これより出ます明日は出ません。今晩限り。ご信心のお方は受けて帰りなされましょう。ロウソク一丁献じましょう。ロウソク一丁どですか♪今年は姿を見ることありません。北観音山と井波観音山の見分けは胴懸けの上の部分の絵柄です。南観音山は観音様が楽器を手に空を舞う姿です。各山鉾のお囃子は多いと数十曲あるようで、巡行時などでも行き帰りでお囃子の音が代わるようです。「橋弁慶」五条の大橋で大長刀を手にした弁慶と太刀を持つ牛若丸が戦う姿の「橋弁慶」会所の一階と二階に飾られています。橋と弁慶・牛若丸が山車の上にのります。この続きは次回に。時期がずれてきていますが、ご勘弁ください。<m(_ _)m>
2022.08.22
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後祭の鷹山は応仁の乱以前から巡行していたくじ取らずの山鉾です。黒漆塗りの破風裏が金の豪華な屋根の曳山でしたが1826年の巡行で大雨にあって懸装品を汚損したことを理由に翌年から巡行に加わっていません。ご神体は鷹匠、犬飼、樽負です。中納言在原行平が光孝天皇の御幸で鷹狩りをする場面だそうです。鷹山の復興の気運が高まり、2014年に囃し方、(2019年の写真です)2015年に保存会を設立し、2019年の巡行は唐櫃(からびつ)で参加山車はできたものの2021年はコロナのため引き初めで終わりました。(保存会の資料抜粋を含む)鷹山の曳き初めまでを。真新しい木材の中に黒い古い木材が混じっています。他の山鉾からの寄進だそうです。鷹山の曳き初めの様子は↓鷹山約200年の時を経て復活!祇園祭三条通りと新町通りの交差点の鷹山巡行の時は狭い交差点で御池通りへ出るために初めてのぶっつけ本番の辻回しをします。新町通りで曳き初め中の北観音山です。後ろに見えるのが鷹山北観音山の南に南観音山北観音山は会所前で宵山の準備です。南観音山も曳き初めが終わりました。あとは本番の巡行を待つのみです。
2022.08.17
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祇園祭は山鉾の巡行のように思われがちですが、祇園祭の真の祭は神幸祭です。神幸祭は山鉾の巡行が終わった夕刻に八坂神社から3基の御神輿が御旅所へ行く御神輿の渡御です。これが八坂神社の祇園祭です。山鉾の巡行は疫病や邪悪を鎮めるためまた、渡御のための清めとも言えます。3基の御神輿にはそれぞれに祭神が載ります。スサノオノミコトの中御座クシナダヒメノミコトの東御座御子神8柱の西御座です。その様子は・・・。渡御・・・、神様のお出かけはいろんなものが運ばれるますね。先導する高提灯は宮本組綾戸国仲神社の久世駒形稚児が神幸祭を先導します。久世駒形稚児とは御神体を付けて”神”として御神輿を先導します。八坂神社の楼門前で天皇も乗り物から下りますが、久世駒形稚児は騎乗したまま楼門をくぐり、境内へ入ります。長刀鉾のお稚児さんより位が上ということです。久世駒形稚児が駒形を首から下げて騎乗されますが今年は残念ながらその姿を見ることができません。綾戸国仲神社のご神体(駒形)を模したものです。重そうですね。中御座が神社前に威風堂々とスサナオノミコトが載る↓祇園祭 中御座の御神輿続いてクシナダヒメノミコトの東御座です。何処か優しげな神輿の姿は↓祇園祭 クシナダヒメの東御座御子神8柱の西御座です。祇園祭 元気な御子神の西御座です。四条通りを行く中御座を先頭に東御座、西御座の順です。今年はそれぞれのコースを回らず3基は御旅所へ直行です。神様も担ぎ手も物足らないでしょうね。(^▽^)神幸祭を終わります・御旅所へ向かう御神輿を見送って帰宅。
2022.08.10
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鶏鉾が見守る中「綾傘鉾」が新町通りへ急ぎます。赤い傘をさしかけてもらって6人のお稚児さんたちは暑い中を歩いてこられました。綾傘鉾の踊り手はもう少し踊りたかったのかなぁ。「菊水鉾」写真に写っていませんが透かし彫りの菊の花をかたどった鉾頭がついています。車方はかぶら梃(テコ)で車輪の進行方向をたえず微妙に修正します。放下鉾の稚児人形も太平の舞を舞いながら御池新町へ急ぎます。山鉾の胴はそれぞれに見事な垂れ(絨毯)をかけていますが後ろの垂れを「見送り」と言います。最後尾の一つ前は「岩戸山」屋根方さんはこの先の狭い新町通りを抜ける時が腕の見せどころです。屋根にイザナギノミコト手にしているのは天之瓊矛(あめのぬぼこ)日本書記の呼び名古事記では天沼矛国生みで使われた矛です。最後尾の船鉾が御池取りを進みます。出陣の鉾と言われる「船鉾」神功皇后(じんぐうこうごう)は妊娠したまま朝鮮半島へ出兵し、朝鮮での戦争中に出産してならないと石に祈って出産を遅らせ帰国して筑紫の国で出産した。聖母といわれ、武芸の神として崇められています。御神体は神功皇后と三神瑞鳥(げき)は強風に立ち向かう想像上の鳥水難除けの意味があるそうです。ここまでが八坂神社の前祭の山鉾巡行です。ですが祇園祭はここからが祇園祭です!いったん家に帰り出直しおします。・・・・・・イザナギノミコトは亡きイザナミを追って黄泉国へ腐敗したイザナミの骸(むくろ)を見て恐れて逃げだした。我が姿を見られたことにイザナミは恥じと怒りで、黄泉軍に追わせますが最後は自分で追いかけます。しかし、現世とつながる道を大岩でふさがれたことで悪態をつき、イザナミが「千人の人をころす」と言えば、イザナギは「産屋をたてて千五百人の子どもを産ませよう」と言い返します。イザナギとイザナミの夫婦は離縁!黄泉国の穢れを落とすため禊(みそぎ)をしたとき様々な神が生まれ、最後に左目から天照大御神(あまてらすおおみかみ)太陽の神の性格と巫女の性格を併せ持つ存在右目から夜を治める「月読命」(つきよみのみこと)鼻からスサノオノミコトの三貴人が生まれた。横道にそれましたが神様は面白い場所から生まれますね。(^▽^)
2022.08.08
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前祭の巡行最後の地点、御池新町の交差点長刀鉾のお稚児さんを下ろします。梯子が架けられて禿のお二人が下ります。剛力さんが上がり剛力さんの肩に載せておろします。お位返しまが終わるまで神様です。地面に足を付けるこたは許されません。お位返しはこの日におこなわれます。スタートから巡行の間太平の舞を舞い大役を果たされたお稚児さんは観客の拍手に送られて退場。音頭取りさんが乗り新町通へ入る辻回しです。鉾の場合は3回に分けて90度方向を回転させます。曳き綱を方向に持って行き車輪の下に竹を敷き、熱を持たないように水を撒いて曳きます。ここまでの辻回しは音頭取りさんが4人です。回す様子は下記で・・・。↓長刀鉾を回す! 御池新町お辻回しここでは会所(山鉾の町内)へ帰るためくじの順ではなく会所の場所に合わせて新町通へ入ってゆきます。新町通は放下鉾一基ですが道をふさがないように岩戸山と最後尾の船鉾を通してから会所へ戻ってゆきます。御池通に山鉾が並びます。函谷鉾が待つ横を蟷螂山が通過して先に新町通へ入ります。「お先に~!」と言わんばかりの蟷螂です。御池新町通から東へ市役所前へ歩いています。写真が多くなりましたので2回に分けました。矢しるしの付いた青い線がコースです。辻回しはスタートの時、会所から四条通りへ出て八坂神社の方向、東を向くために一回目、河原町四条で北へむくため2回目、河原町御池(市役所の近く)で3回目御池新町で4回目、四条通りへでて5回目の辻回しの山鉾もあります。続きは次回に・・・。
2022.08.05
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長刀鉾の後をゆく2番目は「孟宗山」(もうそうやま)病身の母を養う孟宗が雪の中で筍を掘り当てる姿です。「保昌山」(ほうしょうやま)丹波守:平井保昌が愛する和泉式部のために紫宸殿の紅梅を手折る姿「郭巨山」(かっきょやま)童子を養えなくなった郭巨が鍬を振り下ろすと土中から黄金の釜が出てくるという中国の故事に基づいて「太子山」四天王寺建立にあたり自ら山中に入り良材を求めたという話しに基づいて「四条傘鉾」お囃子に続いて四条傘鉾です。「油天神山」札改めを終え招かれて油天神山が通過、山を担いでくるくると山を回します。山の辻回しです。一回廻ったり二回も回ってサービス満点の山などあります。油天神山は町内にある天神を勧請して作られています。「月鉾」今年のちまきを奉納し札改めを受けます粽(ちまき)には各自の山鉾の名前がついています。各山鉾で奉納されます。この方もベテランに域ですね。人気の「蟷螂山」扇子一本で箱の紐を解き札改めが終わったら扇子で紐を巻き付けます。札改めを綴ってみました鮮やかに紐を巻き付けて観客からおおきな拍手です。札改めが終わり蟷螂山を招きます。誇らし気に羽を羽ばたかせながら通ってゆきました。「霰天神山」永正年間、京都が大火にあった時、霰は降り猛火は消えその時、1寸2分の天神像が降ってきたので祀ったのが霰天神山の起源です。「鶏鉾」赤い陣笠は鶏鉾の曳き手です。真木の中ほどに月読命を祀っています。各鉾の真木にも守り神を祀られています。賑やかにお囃子とともにやって来たのは「綾傘鉾」綾傘鉾の後にまだまだ山鉾が続きます。綾傘鉾は山鉾の古い形態を残す一つです。「菊水鉾」音頭取りさんは烏帽子に紋付直垂姿で扇子の代わりに【福寿海無限】と書かれた団扇(うちわ)をです。法華経に書かれている仏語で「福寿海無限」とは善行と寿命が海のごとく無限無料である菊水鉾の後には最後尾の船鉾(ふなほこ)まで6基が続きます。船鉾の会所の南には岩戸山がありますので岩戸山を通すために船鉾は四条通へ先に出ていると思います。最後まで見たいのですがここ前にして御池通と新町通の交差点へ目的は長刀頬のお稚児さんが鉾から下ります。では次回に・・・。ここまでに歩いているうちに何基か飛ばしています。烏丸線で1駅北の御池へ。いっぱいの人でしょうね…。
2022.08.03
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3年ぶりに開催された八坂神社の祇園祭、山鉾の巡行です。 準備の一つが信号機の回転歩道の人々が何事と見守る中巡行コースにあたる四条通りの信号機を90度回転させ道路と並行に…。毎年のことですが、人々から大きな拍手が送られていました。作業員も照れ笑い。(^▽^)交通を遮断してしめ縄が張られ関係者が並ぶと待機していた先頭の長刀鉾が出発地点へ。お稚児さんをいったん引いてしめ縄切りの準備です。写真少しタイミングが連れたようで画面にぎりぎりでかろうじて拾えました。(苦笑)周りや下に人がおられる中で真剣でしめ縄を切るので介添いがついています。四条通りを東へ3年ぶりの巡行です。太平の舞です。見えにくいですが、”長刀の先”が八坂神社のほうに向かないように取り付けられています。山鉾がスタートを待つ烏丸四条へ山鉾を見ながら歩いて行きます。その様子は次回に。
2022.08.01
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宵山の景色です。7月14日~16日4基の山鉾が見えました。手前左に「郭巨山(かっきょやま)」右に「月鉾」その左向こうに「函谷鉾(かんこほこ)」一番遠くに「長刀鉾」四条通りに近い山鉾を順に見て周りました。市営地鉄 四条烏丸駅を上がると目の前に「函谷鉾」くじ取らずのほこです。西へ日一筋目の室町通を北へ目をやると「菊水鉾」後方に小さく見えるのは山伏山です。四条通りの南側に「月鉾」をみて・・・西へ二筋目は新町通北に「放下鉾(ほうかほこ)」くじ取らずの鉾です。三筋目は西洞院通り(にしのとういん)人気の「蟷螂山(とうろうやま)」「四条綾鉾」曳山ですがお囃子が付いています。四条通りの南へ一筋入ると綾小路「綾傘鉾」です。お囃子が付いています。巡行時は可愛いお稚児さんが先頭を行き棒振り囃子に続いて傘鉾が2基巡行します。船鉾の南に「岩戸山」くじ取らずです。巡行順は最後尾を行く船鉾の前です。宵山に笛、太鼓で舞う観世流 能楽師林宗一郎氏の奉納舞台がおこなわれます。前祭(さきのまつり)の最後尾を行く「船鉾」くじ取らずです。宵山(16日)の8時半頃からお囃子が付いている山鉾は提灯で飾られて屋台を曳いて巡行の無事を祈願のため御旅所へ参拝さてます。拝見したいと思いましたが人出は少なくなるどころか増える一方で帰宅しました。・・・・・くじ取らずの鉾は巡行の順番が決まっています一番は長刀鉾、5番目は函谷鉾、21番目は放下鉾、22番目は岩戸山、23番目が船鉾古来からの習わしです。
2022.07.29
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船鉾の鉾建てが終わり引綱が取り付けられ曳き初めです。舳先の鷁(げき)も心なしか嬉しそうで今にも羽ばたきそうです。力強く船鉾の曳き初め3年ぶり、久々の曳く初めえす。船鉾が曳き初めで四条通りまで行った後に南に建てた岩戸山が曳き初めでやってきました。岩戸山の曳き初めの様子は下記で・・・。岩戸山の曳き初め天岩戸を開いて天照大神が出現した日本神話に由来折り返しす岩戸山の後ろに船鉾の姿・・・。岩戸山は小学生さんが参加良い思い出に・・・。岩戸山が通り過ぎて船鉾が戻ってきました。折り返し戻ってきて鉾への梯子の位置の横付けします。微調整されて梯子が架かりました。巡行では見ることがない鉾の様子です。動画でお囃子を楽しんでください。
2022.07.25
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長刀鉾のお稚児さんの「社参の儀」正五位少将(十万石の大名と同じ位)が授けられる「お位もらい」が7月13日におこなわれました。長刀鉾の近くで待つ白馬まで剛力さんの肩に・・・。白馬に乗り先箱、供ぞろいで出立です。目指すその先は八坂神社ご一行様のご到着~!身を清めて本殿の神事へ神事の終わりを剛力さんも待機本殿での神事が終わりお稚児さんは「神の使い」として山鉾巡行を先導し疫病邪悪を退散させる霊力を神から授かりました。この日から山鉾巡行が終わる17日にお位返しの儀が終わるまで、(公の場において)地面に足をつけることが許されず女人禁制の言い伝えに従い、お稚児さんの世話(食事、着付けなど)はすべて男性がします。南楼門を出て白馬に乗って戻る。社参の儀(お位もらい)です。近くで付き添い、見守っておられる過去にお稚児さんをされたお父様の笑顔が印象的でした。
2022.07.22
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八坂神社の祇園祭今年の宵山は3年分の人出かな!?女性に人気の月鉾!鉾建てを終えて曳き初めです。月鉾の曳き初め!音頭取りさんが・・・これもいいのだ!鉾の提灯に灯が入り気分が高揚します。2年間待った宵山です。人だかりが・・・テレビの生放送です。佐々木蔵之介さんです~^カンペを見ちゃったぁ!悪いわけではないがぼかします。お囃子に送られて他の鉾を回ってきます~。
2022.07.20
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山鉾巡行時にお稚児さんが太刀でしめ縄を切り巡行の先頭を行く、くじ取らずの長刀鉾の鉾建てと引き初めです。保管されている長い真木(柱)を保存会事務所から担ぎ出して鉾に差し込まれます。固定するのはわら縄や綱と楔(くさび)長刀鉾に取り付ける品々わらでつくられているのは赤熊(しゃぐま)榊を付け、御幣を枝に結わえます。神様もつけられて長刀のカバーを外すと鉾を起こし(建てる)ます。位置を微妙に調整して鉾が建ち上がります。車輪(直径約1.9m)を取り付けえる飾り付けがおこなわれて曳き初めがおこなわれます。その様子は下記で・・・。長刀鉾の曳き初め~!例年なら一般の方も参加できますが、今年は関係者のみでおこなわれることに小学生さんが参加されていました。他の鉾も見てみましょう。
2022.07.18
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八坂神社(祇園祭)の祭りは山鉾巡行の後の神幸祭です。八坂神社(祇園祭)の神輿洗神幸祭のための御神輿を清めますせめて御神輿を担ぐ《ホイットー ホイットー》を聴いてください。例年なら四条大橋まで担ぎ鴨川の水で清めますが、今年の神輿洗は神輿洗を八坂神社の境内で執り行われました。神輿洗とは7月10日のおこなわれます神輿蔵から出した御神輿の一基、中御座を四条大橋まで運び鴨川の水で清める神事です。神輿洗の後飾り付けをして7月17日の夕刻まで舞殿に飾られています。舞殿の周りを廻って本殿の前で差し上げの後、神輿は汲み置いた鴨川の水で清められました。法被の文字が赤い方は大松明を担ぎ神輿洗で先頭を行くのですが…。来年、出来たらいいですね。法被が寂しそうに見える。
2022.07.15
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綾傘鉾のお稚児さんが7月7日、八坂神社へ社参7月17日の巡行では綾傘鉾の先頭を6人のお稚児さんが歩き、棒振りや囃子方に続いて二基の傘鉾が続きます。本殿の神事を終えてお千度です。神事の間に何度も「低頭」という場面で長い時間深々と長時間頭を下げる姿が見られ役目をわきまえているのに感心しました。お千度を終えて記念写写真神事の間に何度も「低頭」という場面がありますが深々と長時間頭を下げる姿が見られました。役目をわきまえているのに感心しました。17日の巡行時も立派に役目を果たされることでしょう。
2022.07.13
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「太平の舞」のYouTubeが開かなかったようです。再アップしました。祇園祭で長刀鉾に乗る2022年のお稚児さんの「太平の舞」の披露7月5日保存会の事務所でおこなわました。巡行の際、長刀鉾で舞われます。長刀鉾 太平の舞 2022スマホで撮りました。お囃子の音をお聴きください。雰囲気がわかると思います。
2022.07.11
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八坂神社の祇園祭7月の一か月が始まりました。7月1日は「お千度の儀」長刀鉾のお稚児さんが八坂神社へ参拝して大役に選ばれたことを神に報告されます。2022年のお稚児さんです。長刀鉾に乗りしめ縄を切って巡行を先導する大役です。6月、お稚児さんに決まり長刀鉾町の養子として迎える結納の儀がおこなわれて稚児の役目を果たされています。前を歩くのは禿のお二人本殿の神事が終わりお千度です。本殿のまわりを三周されるお千度の儀は稚児と禿の三人と関係者大勢で回るので一周でおよそ千回だろう・・・ということで「お千度」と言われているそうです。(^▽^)白塗りの化粧で初めて皆様の前へ・・・、少し、緊張気味でしょうね。お稚児さんのヘアスタイルです。八坂神社の西楼門から見た四条通りです。7月13日は四条通りを白馬に乗って八坂神社へ向かう「社参の儀」(5位)お位もらいがおこなわれます。
2022.07.09
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コロナ禍のため三基の御神輿は出ませんが御霊は御旅所へ渡御されて御旅所に鎮座されいます。後祭が終わった24日の夕刻に八坂神社へ戻る還幸祭です。例年なら中御座、東御座、西御座の神輿を担ぐであろうそれぞれの神輿会の方が集まっておられます。「錦」の法被姿は西御座を担当される方々です。中央の紋付姿は京都市長です。神様は白馬の背に・・・。市長はここでお見送りです。行列が出発しました。南へ行き烏丸通へ・・・御神輿はそれぞれのコースをたどって八坂神社へ戻るのですが祭神は一緒になって白馬の背に…、どのコースを行くのか見当がつきませんがスサノオノミコトが乗る中御座のコースだろうと思います。市中を練って八坂神社の着くは午後9時頃の予定です。行列は烏丸通へ・・・中御座のコースです。長々と続く御神宝の列を先頭に御神輿はありませんが威勢の良い掛け声が「ほいっとー ほいっと」観客からもは手拍子が加わり「ほいっとー ほいっと」先頭を行くのは三若・中御座を担当する方です。赤い文字の法被は四若・東御座を担当する方です。余談ですが後ろに見える市バス「26」は等持院、妙心寺、仁和寺などへ行く時はこれに乗ります。四条烏丸の交差点で四条通りを西へ。ここでお見送りして帰宅コロナ禍の中、縮小しておこなわれました祇園祭の一部分の掲載でした。以上で祇園祭をおわります。お付き合い有難うございました。絵は祇園祭の時に咲くという「祇園守り」の代わりにムクゲです。(^▽^)
2021.08.09
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山鉾を建てて宵山がおこなわれている15日に八坂神社では三基の御神輿へ三祭神をそれぞれの御神輿に遷(うつ)す宵宮祭がおこなわれます。八坂神社を覗いてみましょう。御神輿は飾られていますが神様は乗っておられません。本殿や拝殿から柵によって遠ざけられて撮影禁止の札と暗くなりますので撮影はできません。と呼びかけがありすべての照明が消えました。真っ暗な中、目を凝らして見つめると(記憶に残っているイメージ)本殿から拝殿へ赤い敷物が敷かれ足元を照らす一つの灯りとすっぽりと覆われた白い布を真ん中に神官たち静々と歩かれ神官の「おおおおおお・・・」の声が闇に響きます。三基の御神輿に神様がそれぞれに遷られたようです。照明が点きました。中央が中御座「スサノオノミコト」右側は東御座「クシナダヒメノミコト」左側は西御座「8人の八柱御子神(ヤハシラノミコトガミ)」例年なら17日は巡行に日に当たります。巡行が終わった後八坂神社から三基の御神輿が市中を練り歩き御旅所へ向かう「神幸祭」がおこなわれます。今年は山鉾も巡行されませんし御神輿での渡御もありませんが縮小して御旅所へは渡られました。・・・・・・神官が発する「おおおおお・・・」声は「警蹕(けいひつ)」参列者に対して発せられる警戒の意味だそうです。時代劇風にいうならば「したにぃ~ したにぃ~」と同じようなことです。絵は思いたって急いで描きましたのでイメージが伝わると良いのですが…。(^▽^)
2021.08.06
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祇園祭の後祭では最後尾を行く大船鉾前祭が終わった後、18日から鉾建てをおこなわれ舳先には燦然と輝く龍頭大船鉾の舳先は大金幣と龍頭が毎年、交代で飾られます。2016年に復元された龍頭は後祭を白木のままで巡行しましたが昨年に漆箔(うるしはく)が完成コロナ禍のため巡行中止でお披露目ができず今年は大金幣の年ですがお披露目のため取り付けられたそうです。鉾に上がって拝見できますので上がってきました。二階に展示されている大金幣毎年交互につけられる舳先の大金幣です。今年は出番の年ですが龍頭のお披露目で譲ったようです。龍頭を寄進した縁で艫(とも)幕板飾り(左舷右舷と後ろの3枚)を瀧尾神社が新調して寄進されたそうです。(後から知ったので写真が不足)寄進された当時の写真を拝借しました。鉾の中は中央でも横に大人が3人腰掛けたらいっぱいになります。艫艫(とも)にある屋形です。天明の大火を免れた御神体の神功皇后が乗られるのかな神功皇后の他に安曇磯良、住吉明神、鹿島明神の三柱が前祭と同様に乗られるそうですが天明の大火で焼失した後、三体は復元されていません。四柱が乗られるには狭いようですね。波模様が少し見えているのが艫(とも)幕板飾り後祭の山鉾建ては6基ですが北観音山、南観音山と大船鉾を回り帰宅しました。
2021.08.04
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今年も祇園祭の前祭、後祭ともに巡行はありませんが文化財の保護や技術の伝承のため一部の山鉾が建てられました。前祭巡行(7月17日)が終わった後後祭の山鉾が建てられます。飾り付けが終わった様子を見てきました。宵山は13日~16日ですが毎日、19時で終了です。北観音山天井は折り上げ格天井(おりあげてんじょう)重厚感や格式を高めるのに役立ちますお囃子は保存会の二階でおこなわれていました。新町通りの北に北観音山南に建つのが南観音山北観音山も南観音山も主祭神の一柱が楊柳観音です。本来の宵山では可愛いぃ子どもたちが♪厄除けのお守りはこれよりでます明日は出ません 今晩限りご信心の御方様は受けてお帰りなさいましょうロウソク一丁献じられましょう。ロウソク一丁どうですかぁ♪(16日の宵山は下線の部分が入る)わらべ歌を歌いながらローソクの献上を呼び掛けます。歌声につられてロウソクを購入して供えます。南観音山は「あばれ観音」と言われています。訳は16日の宵山で日和神楽が御旅所へ祈願を終えた後山を激しくゆすりながら町内を回る南観音山だけの行事です。日めくりが替わるような時刻で拝見したことはありません。コロナ禍も終息して巡行が再開されるようになったら拝見したものですが帰りがどうなることか・・・。お囃子の方が乗られました。両山とも柳の枝をさしていますが巡行が目的ではないのでさしてありません。今日は気温が高くなりそうです。日中のお出かけはお気を付けてください。
2021.08.02
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放下鉾(ほうかほこ)名前の由来は真木(まき)につけた人形放下僧が由来だそうです。四条通から新町通を北へ狭い通りに建てます。新町通りは山鉾が巡行の帰りにこの通りを通ってそれぞれの鉾町に帰ってゆく道です。毎年山鉾の巡行順はくじで決まりますので放下鉾の順番が早い時は新町通りへ入る手前の御池通で順番をずらせて最後に放下鉾がゆきます。通りの両側の家から歓声と拍手で迎えられます。この様子も見ものです。この方の指示で鉾を立てます。掛け声は「よ~~い よい」掛け声とともにぐんぐん上がってゆきます。引綱を外して完了です。7月13日飾りつけも終わっていました。放下鉾は提灯もなくお囃子もありませんでした。今年の鉾建ては文化財保存と伝承が目的です。目的通りですね。蟷螂山(とうろうやま)足利軍に挑んで戦死した四条隆資(しじょうたかすけ)の戦いぶりがカマキリの斧のようであったので四条家の御所車にカマキリを乗せて巡行したのが始まりだそうです。カマを振りあげたり羽根も動かします。長刀鉾が建つ四条通八坂神社の方向です。前祭の山鉾の様子を終わります。後祭は18日から鉾建てが始まります。後の祭りにならないように見に行きたいです。
2021.07.23
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函谷鉾(かんこほこ)京都市営地下・鉄四条烏丸を地上がったところに一番に見えるのがこの鉾です。中国の故事一番鶏の鳴き声で門が開く函谷関で鶏の鳴き声を真似て脱出したという故事による。ことらは少人数ですが間隔をあけて鉾に上がって音色を濃かせてくれています。南側に入ったところに鶏鉾(にわとりほこ)真木に鶏・・・中国の故事天下泰平で訴訟用の太鼓が打たれず太鼓に苔が生えて鶏が宿ったと言われる故事にちなんでいます。四条通りへ戻れば女性に人気の月鉾(つきほこ)鉾頭に新月の飾りがあるので月鉾と呼ばれています。浴衣の柄にうさぎがか描かれているのも粋でしょう。月鉾ですから「うさぎ」の飾りも・・・。左甚五郎の作と言われている兎と亀麒麟の全身が写っていませんが兎と麒麟です。稚児人形鉾に上がっていました。以前はにぎなた鉾と同様にお稚児さんが乗っていましたが昭和45年から伊東久重に依頼して製作された人形です。名前を「於莵磨(おとまろ)」からくりで鼓を打ちます。巡行時は金色の鳥帽子(えぼし)を被り「太平の舞」を舞います。昨年は鉾が建たなかったので保存会の二階に展示されていました。鉾が建って良かったです。今年はコロナ禍のため宵山は三日間とも午後7時で終了です放下鉾(ほうかほこ)と蟷螂山(とうろうやま)へ
2021.07.21
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毎年、祇園祭の先頭を行く長刀鉾山鉾の巡行順はくじによって決まりますが先頭を行く長刀鉾はくじを引かない ”くじ取らず”です。無事に鉾建てが終わり飾り付けされました宵山を迎えるべく提灯も取り付けられて・・・。長刀の刃は南向きに八坂神社や御所の方向へ向かないように取り付けられています。吹散(ふきちり)少し屋根が見えているのが天王人形です。天王台天王人形は飢えのほうで写っていません。(;;)赤熊(しゃぐま)榊長刀鉾の前側(進行方向)です長刀鉾の後ろ側お囃子の方が鉾に上がるのか?との質問に係りのかは「鉾の上は狭いので・・・」とおっしゃっていました。宵山がおこなわれた三日間、提灯に灯りが入りお囃子も聞こえてきましたが鉾に囃子方が上がることはありませんでした。お囃子は保存会事務所の二階でされているそうです。
2021.07.19
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お稚児さんがしめ縄を切り巡行の先頭を行く長刀鉾の鉾建ての続きです。今年はコロナ禍のため巡行が中止ですお稚児さんも決まっていません。長~~~い 真木(しんぎ)を担いで四条通りを向かい側のアーケードまで行ってUターンしてきました。担ぎ手は一斉に ”回れ右!”真木(しんぎ)が差し込まれ無事に貫通!真木を支え台に載せ飾り付けが始まります。右から手前に長刀、吹散、天王台、天王人形天王台が取り付けられ長刀を差し込む口へ長刀が差し込まれ・・・。真木に紅白の布を巻き付けます。長刀の下に吹散(ふきちり)天王人形鉾を立てるまでは覆いが掛けられていますが早く取って!と言わぬばかりに何回も覆いが外れて観客の笑いを誘っていました。榊も取り付けられたようです。屋根の上に赤いあみ隠しを付ける土台作りの縄掛けです。横に寝かした鉾を立てるための引き綱が巻かれ鉾を建てる(立てる)準備もOK長刀や天王人形の覆いが取られて真木が上がってゆきました。天王人形も空高く!踊っているのではありません。引綱を巻き上げる方と緩める方に合図を送ります。三者が一体になって鉾が建ちます。無事に鉾建てが終わりました。≪拍手≫後は屋根などを付ける作業をされ、最後に胴懸け、前懸けなど飾り付けをして提灯を付けて宵山になります。ちなみに函谷鉾(かんこほこ)の屋根などの作業です。同じようにされると思います。飾り付けが終わった鉾は…次回に。・・・・・・鉾を立てる頃になったらコロナ拡大の心配も吹っ飛んでいました。我ながら恐ろしい!でも後の祭り。(苦笑)
2021.07.16
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八坂神社の祇園祭は山鉾の巡行は中止ですが文化財の保護と伝承のため前祭11基、後祭6基の山鉾の建て上げが決定され7月10日から鉾建てが始まりました。四条烏丸交差点の近く目に飛び込んでくるのは函谷鉾(かんこほこ)早くも真木(しんぎ)が立っていました。(11日)長刀鉾の保存会事務所中で慌ただしく準備中男性の後ろに鉾の真木(しんぎ)(鉾の中央に立つ柱)が横たわっています鉾は進行方向に向けて建てます。左方向が八坂神社です。真木(しんぎ)を差し込んだ後に鉾を立ち上げるための準備です。太い横木を軸にして鉾が横たてられます3枚目の写真の状態から鉾を横に寝かせて真木を差し込みます鉾が次第に手前へ傾いていきたのがお判りでしょうか。横たえた鉾を支える台調整が必要ようで、慎重です。無事に鉾が横たえられました。矢印のように真木を差し込みます。真木(しんぎ)の登場です。22m、7階建に相当するそうです。次回は真木を差し込むところから・・・。
2021.07.14
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祇園祭で先頭を行く長刀鉾町のお千度が縮小して役員の方3名により7月1日におこなわれました。例年ならこの日にしめ縄を切るお稚児さんと禿(かむろ)のお二人も大勢の方たちで社参されます。本殿内での神事の後本殿回りを三周するお千度をおこないます。本殿裏側から正面に戻って・・・お千度の後に今年の祇園祭について説明がなされました。八坂神社の夏越の祓(なごしのはらえ)・茅の輪くぐりです。6月29日に撮りました。1年の半分にあたる6月30日に半年の間に溜まった穢れを下ろし残りの半年の息災を祈願する神事です。茅の輪の逸話スサノオノミコトが旅の途中、宿を求めたのを弟・将巨将来(たんしょうらい)は裕福にもかかわらず断ったが貧しいながらもてなした蘇民将来の家に数年後、再び訪れて「疫病を逃れるために茅の輪を腰に付けなさい」と教えた。教えを守った蘇民所往来は難を免れた。というのが起源です。茅の輪はしばらくの間、飾られています。待つこともなく人影がない境内静かなこと・・・こんなことがあるのですね。祇園祭のちまきです。長刀鉾のちまきが人気のようですが祇園祭は八坂神社の祭りなので八坂神社で買い求めました。小さい輪は身に付けるための茅の輪です。山穂の巡行はありませんが山鉾建てが決まり四条烏丸にも長刀鉾の提灯が飾られました。この先に長刀鉾が建ちます。灯りも心なしかうれしそうに見えます。気のせいです。(^▽^)時短の宵山が楽しみ!
2021.07.02
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祇園祭の「前祭(17日)」山鉾の巡行で街を清めて八坂神社から神様をお迎えする神幸祭で三基の御神輿が御旅所へ渡御「後祭(24日)」の山鉾の巡行の後御旅所に鎮座していた神々が八坂神社へ戻る還幸祭四条通りは河原町通から烏丸通まで車両通行禁止四条通りは整然として粛々と神事のあと中御座が担ぎ出されました。六角の屋根に鳳凰鳳凰の前に「稲」です頭にさしているのは「榊」と災厄を祓い疫病を除いて福を招く「蘇民将来之子孫也」御守り神社から授与されたものでしょう。担ぎ手は「三若」御神輿を差しあげて「回せ! 回せ!!」の号令がかかり観客の雰囲気も盛り上がります。四角の屋根に宝珠が付いているのは「東御座」女神の御座にお似合います。担ぐのは「四若」です。担ぎたそうな後ろ姿です。「西御座」屋根が八角、鳳凰です。八柱御子神が載るから八角!?(^▽^)担ぎ手は「錦」です。先導の神官ととみに寺町通りへ道幅の狭い錦市場の中も練ってゆきます。22時頃まで市中を練り歩き八坂神社へ帰って行きます。後祭を終了します
2019.09.06
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八坂神社の祇園祭の後祭(24日)も復興した山鉾の話題でフイーバーしました。「役行者山」役行者が一言主神を使って葛城山と大峰山の間に石橋を架けたという伝説を題材にしています。山鉾の辻回しです定位置で担いで回ります。一回ならず二回三回まわる山鉾もあります。河原町通りを南に向いて進みます。写真右側が一言主神、左に葛城神、見えませんが中央に役行者ご利益は厄除け、安産、交通安全変わったところが”肩こり”肩こりが治るのでしょうね。「浄妙山」平家物語の宇治川の合戦を題材にした山御神体の一来法師が「悪しう候、浄妙坊」と筒井浄妙の頭上を飛び越えて戦陣に出る瞬間だそうです。ご利益は勝運「鈴鹿山」緯線国鈴鹿山で道行く人を苦しめた鈴鹿権現(瀬織津姫命)の伝説題材にしています。瀬織津姫は女人の姿で能面をつけ金の烏帽子をかぶっています。ご利益は雷除け、安産「鷹山」以前は大船鉾の前を行くくじ取らずの山鉾でしたが1826年の巡行の際、大雨にあって装飾品を破損したことを理由に翌年から巡行に参加していません。その後、1864年の大火により御神体と鉦(かね)を残し焼失しました。昨年まで御神体を飾り、居祭りを続けていましたが約200年ぶりの復活を目指して今年から唐櫃巡行です。200年ぶりの巡行に誇らしい気持ちがうかがえます。御神体は鷹遣、樽負、犬遣です。ご利益は開運招福山鉾ができて巡行されるのは3~4年後になるでしょう。その時は立派な鷹の絵の見送りが見られることでしょう。「大船鉾」前祭の船鉾を”出陣船鉾”に対して神功皇后が凱旋した船にゆらいするので”凱旋船鉾”と称しています。蛤御門の変で大部分を焼失し居祭りを続けていたが平成26年に150年ぶりに復活しました。漆塗や錺(かざり)金具などの復原を進めるそうです。ご利益は安産と勝運今年の舳先を飾る大金幣来年は龍頭です。一年交替の訳は・・・過去、四条町や新町が繁栄していた頃四条町が北と南に分かれて巡行を一年交替受け持つことになり北四条町が出す時は龍頭、南四条町が出すときは御幣を掲げて巡行しました。その時の名残だそうです。赤い髪は御神体のようです掛矢(かけや=ブレーキ)や梃子(てこ)で進行を整えながら河原町通りを南へ悠々と進む凱旋姿の大船鉾は祇園祭の大取に相応しいです。この後華やかな巡行があります。夕刻には御旅所から三基の御神輿が八坂神社へ戻る「還幸祭」です。
2019.09.02
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八坂神社の祇園祭(後祭)の巡行三番目に「鯉山」龍門の瀧を飛躍しながら登る姿です。山を飾る前懸けや胴懸け、水引、見送りなどすべて重要文化財です。中国の故事龍門を登り切った魚は霊力が宿り龍になるという伝説に難関を突破して立身することを「登龍門」と言われるようになった。ご利益は・・立身出世に家内安全も中国で龍は皇帝の象徴とされています。「八幡山」町内に八幡宮を山に載せています。金箔張りの社殿は蔵に保存されて巡行の日のみ山に飾られます。八幡宮のシンボル!?の鳩は鳥居に向かい合って止まっています。黒主山六歌仙の一人大伴黒主が桜を眺める姿が山の上に見られます。「寛政元年五月 辻又七郎狛元澄作」の銘が入っているそうです。(寛政元年五月は1789年5月のようです)南観音山北観音山の上り観音山に対して下り観音山といわれています。楊柳観音像と善財童子像を祀ります巡行時は柳の枝を後ろに差しています。ご利益は厄除けカメラマンは辻回しを待ち構えています柳は諸病を防ぐといわれており巡行が終わった後解体時に枝をいただいて持ち帰られます。カメラマンが一斉に走り出して前をふさがれました。平らに見える道路も凸凹で車輪の調整に忙しいです。南観音山も無事に見送りました。最後尾の大船鉾までは次回に。
2019.08.31
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八坂神社の「祇園祭」は前祭と後祭がありますが前祭は山鉾の数も多く巡行が華やかです。その陰に隠れて山鉾の数も少なく寂しいように思われてきましたが11基の山鉾の巡行がおこなわれます。後祭は前祭の巡行コースと逆になり札改めの場所は京都市役所前です。鉾を90度回転させる辻回しは同じようにおこなわれます辻回しに必要な青竹は各鉾が持っていますがその際に使う水は辻で用意されています。トップはくじ取らずの「橋弁慶山」ご利益は心体健康櫓の前懸けは鉄斎の原画「椿石図」胴懸けの下絵は応挙の作と言われています。山は各辻のその場で一回転させますがたまには二度三度回転させる山もあり観客から「わぁ~~」と歓声が上がり拍手をもらって前進します。牛若丸が五条大橋で弁慶と戦う様子二番手は「北観音山」楊柳観音像と韋駄天像を祀り巡行の際、見送りの横に柳の枝を差しています。観音山の山鉾は北と南がありますがそれぞれお囃子が付き鉾の形態です。北観音山は「上り観音山」南観音山を「下り観音山」と呼ばれ両山鉾ともくじ取らずです。ご利益は厄除けです。辻回しの位置に青竹を敷きます。山鉾が敷かれた竹の上に載ったところで音頭鳥の方が二人追加されて乗り四人で先導します。お囃子も一段と激しくなります。良いところで各社の報道関係者が取り囲み見えません。(;;)ブーイングが聞えてきますがこの方たちは仕事ですから・・・。辻回しは最低、3~4回に分けておこなわれそのたびに青竹を敷き水をかけてます。河原町通(南北の通り)を山鉾が南に向きました。90度回転して沿道に厄除けを授けて行かれたことでしょう。後祭は山鉾の数が少ないですが最後までお付き合いください。今年の場所は御池通と河原町通の交差点、早くから場所を取っておられた方が仲間のほうへ移動されて場所を譲っていただきましたので助かりました。場所は良くても後は写真ですね。(^▽^)
2019.08.29
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前祭が終わった後に山鉾を建て、7月21~23日が後祭の宵山です。巡行は7月24日です。烏丸御池の近くに「鈴鹿山」山の場合、櫓の上は巡行当日に飾りつけされますので何も載せていません。巡行順は7番めの「役行者山」(えんのぎょうじゃやま)役行者山と同じ室町通りに建つ「黒主山」(くろぬしやま)山には大伴黒主と昨年、新しく作り替えられた真新しい桜の木が載ります。巡行順は5番目です。六角通りへ曲がれば「浄妙山」(じょうみようやま)一来法師が筒井浄妙の頭上を飛び越える瞬間を表現していますので見ものの山です。元の室町通りを南へ「鯉山」鯉と鳥居など一式が櫓に載ります。鳩の模様も可愛い幕がかかるのは「八幡山」下の写真の左が以前の鳩で左甚五郎の作です。現在は載るのは新しく作られた右側の鳩です。鳩は櫓のどこに載るのでしょうか。巡行時は下の祠の前の鳥居に止まります。新町通りに北観音山と南観音山が名旅ます。後祭の中でお囃子が付く「北観音山」です。雨が降り始めました。二階に楊柳観音像と韋駄天像が祀られているようです。雨が降った後、道にできた水たまりに北観音山が写りこみます。写りこみを狙う方が結構おられます。北観音山を見上げる方をシルエットでいただきました。・・・お子さんを抱いた親子です。アベックでないのが残念・・・南観音山山ですがお囃子が付きます。夕暮れとともに子どもたちがローソクを売る歌声が可愛いです。正面からの写真はやめておきます。お囃子の方たち四条通りを渡って「大船鉾」2014年、150年繰りに復興されました。 今年は大金幣が舳先を飾ります。龍頭は来年です。お囃子を持っている山鉾は御旅所へ巡行祈願に出かけられます。三体のご神体を飾る「鷹山」現在までは居祭を続けてていましたが今年から巡行に加わりました。ただ、山鉾ができていません。復興のイメージ図です可愛いお顔ですが手元だけにしておきます。宵山に祇園祭に関係のある秘蔵の屏風や置物が各家が展示されます。過去、拝見できるお家が多かったのですが転居されたりで数が減りました。珍しい立札を見つけました「三井両替店旧跡」です。ここ新町通りで商いをして財を成し三井財閥へ発展しました。御旅所の三基の御神輿です。後祭が終わったと八坂神社へ戻ります。右から東御座、中御座、西御座です。・・・・・・・記事を作成途中にPCの電源が切れて気が付いた時には時すでに遅く「あとのまつり」でした。充電していて遅くなりました。(苦笑)
2019.08.25
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祇園祭は八坂神社の祭り!このことは以前にも記載いたしました。山鉾の巡行は三基の御神輿が御旅所へ渡御するための露払いと言えるでしょうね。17日の山鉾の巡行で清めお祓いができた市中をその日の夕刻に御旅所へ向かうのが八坂神社の祭りです。三基の御神輿に載るのは八坂神社の主祭神中御座(スサノオノミコト)東御座(クシナダヒメ)西御座(八柱御子神)渡御を先導して神宝などを携えて行くのは清々講社・宮本組円融天皇の勅令を直筆したといわれる盾他に矛や盾、弓矢や剣、武具に楽器です。久世御神輿の渡御に欠かせないのが綾戸国中神社の久世駒形稚児です。スサノオノミコトが愛馬の頭を彫り授けたといわれる「符」国中神社のご神体を胸に中御座を先導します。稚児が到着しないときは八坂神社から御神輿を一歩も動かしてはならぬ。と伝えられているそうです。13日に長刀鉾のお稚児さんが五位の位をいただくため社参した日の午後に久世駒形稚児も社参しています。神幸祭と還幸祭に中御座を先導します。中御座を担ぐ三若東御座の皆さんが神輿洗いの初めと最後渡御のための神幸祭、還幸祭の計四回神輿を担ぐことになります。中御座の三若の皆さんが羨ましがっておられるとか・・・。巷の噂です~。東御座をリードする四若の方です。肩車で扇で煽る仕草も堂に入ってます。将来、御神輿を担ぐでしょうね。西御座の先導者の方です。東御座が気炎を上げているので待機中法被の背に「錦」のマーク狭い錦市場の中を通りぬけて行きます。八柱御子神を載せた西御座は元気いっぱいでやんちゃん感じがします。気のせいでしょうねぇ。八坂神社の前に勢ぞろいした三基の神輿と子ども神輿は神事の後それぞれのコースをたどり御旅所へ向かいます。花見小路をゆく東御座料理屋さん、クラブや居酒屋などが飲食店ひしめいている場所です。お父さんは神輿洗いの際は松明を担いでおられたのではないかな。ご了解をいただいて後ろ姿をいただきました。今回は御神輿を追いかけず帰宅しました。
2019.08.23
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五山の送り火で寄り道していましたが祇園祭に戻ります。現在の山鉾巡行は四条通りにしても河原通りや御池通りも広いですが過去、寺町通りを鉾が通っていたそうです。寺町通りより狭い新町通りを山鉾が鉾町へ戻って行きます。大きな鉾が道幅いっぱいにゆらゆらと通る様は見所でしょう。長刀鉾に続いて蟷螂山も羽をパタパタさせながら通過してゆきました。函谷山(かんこほこ)手前が郭巨山です。後ろに懸かっている見送りは上村松篁の「万葉美人」です。綾傘鉾の棒振囃子菊水鉾音頭取の空色の浴衣と綱を引く赤い陣笠が特徴の鶏鉾油天神山芸妓さんやお姉さんの舞妓さんがお出迎え。二階は妹の舞妓さんかな・・・。祇園祭の時期、7月半ば舞妓さんの髪形は「勝山」だそうです。この方の髪形が「勝山」なのか・・・判断できません。二階に向けて粽を投げられるのですが見学者が多いので危ないからでしょう、最近はほとんど見ることはありません。月鉾浴衣の柄は三本足の八咫烏(やたがたす)です。岩戸山岩戸山です。岩戸山の見送りは日月龍百人唐子遊文図(にちげつりゅうひゃくにんからこゆうもんず)1988年に復元された見送りです。悠然と姿を現した・・船鉾巡行順では船鉾が最後尾ですが新町通りへ入るときは放下鉾が最後になります。理由は放下鉾は新町通りに鉾が建ちますので他の山鉾が通れなくなります。巡行の際、放下鉾の後ゆく岩戸山、船鉾が通ってから新町通りへ入ってきます。放下鉾です。祇園祭の前祭の巡行が終わりました。※ 一部、文章を訂正しましたので再更新しました。
2019.08.19
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山鉾の巡行は四条通寺町で長刀鉾がしめ縄を切り河原町通りを北へ進み御池通りで西へそれぞれの辻で辻回しをおこなって進み新町通りの辻回しの前に長刀鉾からお稚児さんが下ります。新町通の少し手前で鉾を止めて梯子が架けられて禿(かむろ)の二人が先に下ります。剛力さんが上がってきて後ろ向きの姿勢から梯子の上で前向きになります。一段一段慎重に下りて行かれます観客はかたずをのんで見守り息詰まる一瞬です。無事に下りた様子を見て≪拍手・拍手≫お稚児さんへのご苦労さんへはもちろんですが剛力さんへの拍手が勝っているように思います。鉾を新町通の辻まで進めて鉾を90度回転させる辻回しがおこなわれます。青竹を並べて敷き、水を掛けて車輪にも綱をかけて3~4回ほどで90度回転させます。屋根の上では屋根方が綱をもって真木の揺れを抑えておられます。力が一つになって辻回しが可能です。新町通の狭い道へ入って行きました通りの電線はカバーされていますが屋根方の緊張する場所です。長刀鉾は新町通を出たところでもう一度辻回しをして四条通を東へ行き鉾を建てた場所へ戻ります。
2019.08.15
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