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葵祭は天皇のお使いである勅使が賀茂社(上賀茂神社と・下鴨神社)で祭典をおこなうことです。賀茂社へ到着後「路頭に儀」がおこなわれ勅使が御祭文を奉上し、御幣物を奉納します。この一連の儀式が「社頭の儀」です。葵祭は勅使が主役です。賀茂社まで行く勅使一行の再現が葵祭です。江戸時代までは「賀茂祭」と呼ばれおり日本最古の祭りで、平安時代に出てくる祭は賀茂祭で葵祭のことです。天候不順で穀物が実らず五穀豊穣を願って行われたのが始まりです。下鴨神社へ入った行列は午後、賀茂川の土手の道を通って上賀茂神社へ向かいます。ひと際、きらびやかに飾られた馬に騎乗葵祭の主役、勅使代をつとめる方です。斎王代と女人列斎王代、本来は斎王になるのは未婚の皇室の女性でした。天皇の代わりに神に仕える巫女が斎王です。伊勢神宮に置かれていたのにならって賀茂社にも置かれるようになったそうです天皇が交代するか身内の不幸の場合以外は都に戻ることはできなかったそうです。第64代 斎王代負野梨花さん京都 薫玉堂のお嬢さんです。村田製作所にお勤めです。大学時代に海外留学の経験もある才色兼備の斎王代です。(報道された内容です)葵祭までの流れは・・・5月1日の賀茂競馬足汰式(かもくらべうまあしそろえしき)5月3日の流鏑馬神事(やぶさめしんじ)下鴨神社の糺の森の馬場(約400m)で騎乗して駆け抜けながら3つの的を射る葵祭の道中の道を清める神事5月4日の斎王代・女人列御禊の儀(さいおうだい・にょにんれつぎょけいのぎ)斎王代と供の女人50名が禊をおこない身を清める神事(上賀茂神社と・下鴨神社で隔年交代)5月5日の歩射神事(ぶしゃしんじ)と葵祭の行列が歩く道を清め安全を祈願する。賀茂競馬(かもくらべうま)二頭ずつ馬が走り互いの速さを競う5月12日の御阿礼神事(みあれしんじ)と御蔭祭(みかげまつり)祭神の玉依姫命(たまよりひめのみこと)とその父、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)の荒御魂(あらみたま)を迎える5月15日の「葵祭」に至ります。
2019/06/10
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五月の御蔭際に始まり斎王代の禊の儀などの祭事を経て5月15日は御所を出た葵祭の行列は下鴨神社から上賀茂神社までの巡行がおこなわれます。行列は500人に及ぶそうです。時期がだいぶずれましたが投稿します。下鴨神社へ入る様子を見たくて出かけましたが糺の森(ただすのもり)の参道は何重にもなった有料席で埋まっていました。一般が見られるのは糺の森の入り口のみ…想定外でした。とりあえず入り口付近で・・・。警衛の列御幣物を奉じる列走馬の列があって(走馬の儀などに使われる馬)勅時の列触診方が通られるのですが写真がありません。次回、場所を変えますのでそちらで斎王代と女人列警衛の列、御幣物の列、走馬の列、勅使の列、斎王代・女人列の五つの分かれています。写真は大まかに区切っていますのでご容赦ください。下鴨神社で「社頭(しゃとう)に儀」がおこなわれます。(下鴨神社で昼食休憩をされます)葵祭を続けます。
2019/06/06
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5月15日は「葵祭」です元は「賀茂祭」といわれていました賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)の例祭ですが江戸時代の頃に当日の内裏宸殿の御簾や行列まで双葉葵で飾られたことで「葵祭」といわれるようになりました。京都御所を出発して下鴨神社を経て上賀茂神社へこの間を「路頭の儀」といいます。下鴨神社、上賀茂神社で「社頭の儀」がおこなわれます。今年は上賀茂神社で行列を拝見しました。行列は勅使を中心の本列と斎王代を先頭に女人列です。二の鳥居の中では「社頭の儀」が行われています。外では警固の方やお伴の方が待機されて(祭の中のことです)社頭の儀がおこなわれる舞殿の様子は有料席券を購入していませんので拝見できませんが・・・遠くから勅使が天皇から授かってきた祝詞を読み上げられます牽馬(ひきうま)の儀舞殿の周りをに二頭の馬が三周し正面で拝礼されます。正面で拝礼する際馬も≪ぴょこん≫と頭を下げたような気がしました。舞人です社頭の儀も終わったようです風流傘がこの位置に立てられる訳は後ろに桜の木がありますが桜の木を風流傘に見立ててその前に風流傘を飾られるという説もあるようです。葵祭(賀茂祭)は旧暦の4月中頃の酉の日におこなわれていたそうですから桜も見られたのでしょうか・・・。桜の時期と違いますが・・・上賀茂神社の桜です。拙い絵ですがご想像ください社殿での祭事が終わり勅使が御所舎へ向かわれます走り馬をご覧になります馬が騎手の待つところへ一頭ずつ御所舎の勅使に拝礼してスタート地点の一の鳥居へ一の鳥居から二の鳥居まで直線を駈けぬけます。(馬上での技はありません)勅使が退場されてすべての祭事が終わりました。2018年の葵祭を終わります。ご訪問いただきありがとうございました。
2018/06/05
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毎年5月15日におこなわれる「葵祭」御所を出発して下鴨神社、上賀茂神社へ向かう行列は「路頭の儀」です。勅使を中心に男ばかりの「本列」と斎王代を含む華やかな女人列です。道中は騎乗して来られる貴人も一の鳥居の前で下乗され参道は歩いて進まれます。斎王代も一の鳥居前で腰輿(およよ)を下り参道を進まれます。勅使を含む本列は祭の中心ですがやはり斎王代に人気があります。観客も総立ちです。今年の斎王代を務められる方は坂下志保さん お母様も1988年に斎王代を務められたとのことです。 親子二代の斎王代は6組目だそうです。女人列が二の鳥居に入られて行列が終わったように思えましたが迎えの方が一の鳥居へ用人の方も迎えに準備参道を勅使の方がやってこられました。「路頭に儀」の道中の勅使は代理の方が務められているそうです実際の勅使は宮家または宮内庁の方が務められているとのことです。歩きながら筝(そう)を弾いておられました行列に参列されている方の多くは賀茂家に関係のある方が多いそうです社殿で「社頭の儀」がおこなわれ関係者と有料席の方以外は中に入れません。行列は総勢500人、長さは1キロに及ぶようです。行列が14時30分に到着し最後に勅使が通過されるまで2時間少々かかりました。参道は馬や腰輿を下りて歩かれるので道中より時間がかかります。社頭の儀が行おこなわれた後は「走馬の儀」ですしばらくお付き合いください。
2018/06/03
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京都・葵祭平安時代から国家的行事として行われてきました。因みに源氏物語の中に賀茂祭(葵祭)を見ようとする葵の上と六条御息所の様子が載っています。元は「賀茂祭」といわれていました賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)の例祭ですが江戸時代の頃に当日の内裏宸殿の御簾や行列まで双葉葵で飾られたことで「葵祭」といわれるようになりました起源は古く1500年近くさかのぼります日本国内が風水害に見舞われ五穀の不作、疫病が流行り困窮した際卜部伊吉若日子(うらべのいきわかひこ)の占いの結果、賀茂の神の祟りとでて祟りを鎮めるため4月の吉日に馬に鈴を付け、人は猪頭をかぶり駆けくらべをする祭りを開いたのが「賀茂祭」の起源だそうです御所を出発して下鴨神社を経て上賀茂神社までやってくる行列を「路頭の儀」といわれ勅使を中心にした本列と斎王代を先頭にした女人列です。最初に本列が到着しました。天皇から遣わされた「勅使」祭りの最高位、四位の方です勅使や貴賓を乗せてきた馬も神殿へこの後の「社頭の儀」の中で「牽馬(ひきうま)の儀」で拝礼する馬です。もう一つの風流傘それぞれに花が飾られています鳥居横の桜の木の前に飾られます飾る定位置に意味があるようです。勅使が中心の本列の全てだはありませんこの後、女人列が続きます。参道を進まれ間に日本語、次に英語で説明されていました。英語がわかる海外からの観光客は見るだけでなく意味が分かって良いでしょうね。・・・・・区切りが良い処までと思いアップに時間がかかりました。
2018/06/01
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京都の三大祭りの一つ「葵祭」賀茂御祖神社(下鴨神社)賀茂別雷神社(神神神社)のお祭りです。葵で飾ったことが葵祭の由来です。葵祭の行列は京都御所を出発して堺町御門から丸太町通りを東へ河原町通りを北上し出町橋を渡り下鴨神社へ下鴨神社で祭事の後賀茂川沿いに上賀茂神社へ向かいますこれまでは御所や鴨川沿いの沿道で拝見していましたが今年は上賀茂神社へ到着時間が近づく頃には大勢の方です各報道陣もスタンバイOK行列が到着前に清掃のため二の鳥居から中へ入れません葵祭は本列(勅使列)と斎王代を先頭に女人列で構成されているます。上賀茂神社まで向かう行列は「路頭の儀」です。御薗橋(みそのばし)を渡りやってくる行列を見ようと大勢の方が待っておられます。勅使列で騎乗されている方も鳥居の前で下乗され斎王代も腰輿(およよ)から降りられて参道を歩かれます。その様子も見所でしょうね。一の鳥居の方向です。葵祭は勅祭(ちょくさい)です天皇の勅使(使者)が派遣されて執行される祭事で実際に勅使が派遣されるそうです勅使をお迎えするために一の鳥居前に向かわれます参列者は”葵の葉”を烏帽子などに飾っておられます本列(勅使列)が到着されました。やっと行列が上賀茂神社へ今年の斎王代を務められる方は坂下志保さんお母様も1988年に斎王代を務められたとのことです。親子二代の斎王代の6組目だそうです。現在、本家八つ橋西尾の専務さんとのことです。
2018/05/30
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京都・下鴨神社、上賀茂神社の祭事疫病を鎮めるために始まった葵祭2神社へ向かう勅使の本列と斎王代の斎王列で構成されています斎王代が乗る腰輿(ようよ)が目の前を「綺麗!」の歓声カメラがいっせいに狙います。今年の斎王代に選ばれた方のお姉さまお二人も女人列におられるそうです。三姉妹が葵祭に参列されることは初めてのことだそうです。でもどの方か、わかりませんでした。斎王代の牛車です。行列が堺町御門を出てゆきました。参列者500名以上の行列は下鴨持神社を経て上賀茂神社まで約8Kmの道を歩いて行きます。葵祭を終了します。・・・・・・過去には「賀茂祭」と言われていたそうですが祭の行列を葵の葉で飾るようになって「葵祭」と言われるようになったそうです下鴨神社、上賀茂神社について”下(しも)” ”上(かみ)”の文字が付いていますが上賀茂神社の主祭神賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)は下鴨神社の主祭神西殿の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が祖父になり 東殿の玉依媛命(たまよりひめのみこと)は賀茂建角身命の娘で賀茂別雷大神の母親だそうです よって下鴨神社の位が上になります。神様の家系図です。
2017/05/20
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京都・葵祭(5月15日)は勅使が京都御所から下鴨神社、上賀茂神社へ参上し祭文を奉上する下鴨神社、上賀茂神社の祭事です勅使の本列と斎王代列に分かれたいます勅使が乗る牛車です。季節の花(藤)で飾られています参列者や社殿、諸用具に二葉葵を飾ることで葵祭と言われています牛車は勅使と斎王代用の二台です祭では勅使は騎乗、斎王代は腰輿を使っています。勅使天皇の使いで行列の最高位者、四位の近衛中将が務めるので近衛使(このえのづかい)とも言われていたそうです馬の顔に飾りが付いています。(盾のような物が…)お供が手にしているのは勅使が持参されるお供えでしょうか風流傘風流傘に続いて斎王代列が見えてきましたお供にかしずかれ斎王代が乗っている腰輿(ようよ)がやってきました。斎王代の腰輿が近づくにつれ「綺麗!」と歓声が聞こえてきました続く・・・
2017/05/17
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京都の三大祭りの一つ「葵祭」毎年5月15日に行われます。京都御所を出発して途中、下鴨神社へより上賀茂神社まで行く雅な行列です祇園祭が庶民の祭なら貴族(賀茂氏)と朝廷の祭と云えます祭が始まるのを観客全員が一点を見つめて・・・毎年、京都府警の騎馬隊が活躍です堺町御門から出て丸太町⇒河原町通を北へ出町橋を渡り下鴨神社へ祭事の後、上賀茂神社へここからが葵祭の行列を先頭です祭を先導する騎馬で上賀茂神社の競べ馬の騎手が務めるそうです・・・・・・・葵祭現在は斎王代が祭の主役になっていますが・・・。賀茂氏の神社上賀茂神社、下鴨神社で五穀豊穣を祈願する祭りです災害で作物の育ちも悪くなり占わせたところ賀茂の神々の祟りとわかり祟りを抑えるため祭を行ったのが葵祭の始まりのようです。・・・・・・写真の整理が思うように進まず時間がかかりました。(苦笑)
2017/05/16
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京都の三大祭の一つ 葵祭5月15日行われました。御所から下鴨神社、上賀茂神社へ昨年は参列している方々が冷たい雨に濡れてお気の毒に思いました。今年はお天気も回復して木陰が欲しいです。風流傘芍薬のようにおもいます。山吹の花のように思います。黄色い花は山吹のように思います最後の列は女人列十二単を纏った斎王代が腰輿(よよ)に乗り斎王代に使えた女官たちが従います葵祭の斎王代の腰輿今年の斎王代は京都出身で東京在住に方です。列の最後は桜で飾られた牛車です。フタバアオイ葵祭り行列の参列者や牛馬に至るまで頭にフタバアオイを挿しておられます。フタバアオイは徳川家の家紋徳川家康ゆかりの浜松で育てられて葵祭りに届けられているとのことです。・・・番外・・・お坊さんたちも見学されてたのかな?鴨川を行く黒衣が目立ちます~。皆さん何事かと周りを取り囲んで・・・・・昨年のブログをご覧になった方はお分かりと思いますがほぼ同じ場所で撮っています。木の影になって明かりが足りません。腰輿の中の斎王代が綺麗に撮れないです。人が多く頭や腕、カメラが・・・イライラ精神的に良くない一日でした。(苦笑)
2015/05/17
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昨日は葵祭を見に出かけました。午後に傘マークがでも巡行されるとニュースで(雨の場合は順延もあります。)斎王代の御輿午前中の下鴨神社へ、雨は降っていません。良い写真ではありませんがお付き合いを・・・二カ所で撮りましたので、雨の中の巡行も…。午後からは下鴨神社から上賀茂神社へ童女も女御もお供も足元が濡れて気の毒です。 斎王代・・沿道からは正面の写真が撮れなくて残念
2014/05/16
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全11件 (11件中 1-11件目)
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