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なんだかいやにヘリコプターが近辺を飛んでいると思っていた、今日の朝。お昼ちょっと前に夫くんから電話がかかってきて、夫くんが働いている、そして私たちが住んでいる大学の法学部の教授をねらった爆弾未遂事件が法学部の建物であって(爆発はしなかった模様)、さっき犯人の女性が捕まった、と。(追加:帰ってきた夫くんに聞いたところによると、若い女性が体に約1キロの爆弾を巻きつけて、授業にやってきた教授のすぐ後ろで爆破させようとして失敗。その教授のボディーガードにその場で捕らえ押さえられたとのこと。授業と授業の合間の出来事で、周りにはたくさんの学生もいたとのこと。着火が失敗していなかったら本当に大惨事になるところだった。夫くんの授業も同じ建物であることもある、というから、さらにぞっと・・・。)詳しくは聞かなかったのだけれど、どうもその教授は裁判所だか法務省だかの関係者らしい。(追加:もと法務省の役人だったらしい。テロリストたちと過去に一悶着あったらしい)イスタンブルに比べ、数は少ないけれど、アンカラでもたまに爆弾事件が起こる。実際に爆発して死傷者が出ることはめったにないけど、ゼロではない。今回のような未遂事件は知らないだけで結構あるのかも。でも、いままでは、私たちの生活圏内外の“ちょっと遠く”の話だった。そして、今回、徒歩ほんの5分の距離での騒ぎ。爆弾の量は知らないけれど、もし爆発していたら、もし大量の爆弾だったら、法学部とはちょっと離れたところにある、夫くんの建物にも影響があったかもしれない。何かの用事で法学部の近くに行ってたかもしれない・・・と考え出したら、心臓がばくばくいいだした。口では、トルコに住むって決めたときに、こんな爆弾事件にもし巻き込まれたとしても、そういう運命だったんだって、あきらめるしかない、とか言ってた私だけど、やっぱり腹をくくって、覚悟ができてたわけじゃなかったよう。最近のトルコはすごく変。民主主義から独裁主義へ。与党批判をするものは、国家転覆をもくろんだという口実で、証拠もないままに大学学長でも癌の治療中のものでもだれでもかれでも牢屋にぶちこむ。推定無罪、の法則ではここではなく、推定有罪。誰の電話でも政府は盗聴。以前の与党政党を解散せよ、という動きのリベンジのようにもうつる。墓場から大量の武器が掘り起こされたり、こうして身近で爆弾事件が起きそうになったり。言論の自由もなし。多くのメディアは与党関係に買収されたけど、それ以外のテレビのチャンネルも、言いたいことを言えない状況。かなり気を使って言葉選んで話してる。だって、あら、そんなこと言っちゃって大丈夫?って思ってた人が次の日にはつかまってたりするから。とある、偉い人が4月23日のお祝いの場でこんなことを言ってた。「アタトゥルクの時代に、フランスの大統領がアタトゥルクに、どうやってこんな短期間にこんなに素晴らしい国を作り上げたんだ、って感嘆して聞いたという。今のわれわれを見てみよう。あの時代から、フランスがすごく発展したのか、それともわれわれがとても後退したのだろうか・・・。」アタトゥルクが“嫌い”な現与党、アタトゥルクが設定した4月23日のこどもの日のお祭りなんかも、近い将来なしにしようとしてるとか。“予算の関係”で。国の祝日に政府の建物はアタトゥルクの絵が描かれた大きい旗を掲げる。現与党の建物にアタトゥルクの絵はなく、現党首のでかでかとした写真が垂れ下がっていた。背筋がぞくっとしたのは、私だけだろうか。
2009年04月29日
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もし手元に、お金が無限にあったら、どんな贅沢をしたいですか?今日、これは最高の贅沢だなあ~、と思ったこと。“自分のオーケストラを持って、自分の誕生日にハッピーバースデーの曲を自分のために弾いてもらう。”大学創設者の誕生日が先週だったかで、今日の金曜日のコンサートは創設者をよんでのお祝いの曲目。私たちはそれと知らずに普通にチケットを買って行ったのですが、会場の8割以上が大学関係者でした。まず、冒頭にトルコでは有数のピアニストの一人、Gulsin Onay (ギュルスン オナイ)が、創設者に向かって、最初は80歳、85歳って5年おきにやってきてお祝いをしにきていたけれど、もうここ数年は毎年お祝いにかけつけさせてもらっています。あなたがポロネーズを好きだと聞いたので、お誕生日祝いに贈ります、と演奏し始める。彼女のピアノ、ピアノはよくわからない私でも、一度聞くと魅了される。以前コンサートでのソロを聞いてからもうすっかりファン。これはプログラムにも載っていない、本当に飛び込みの演奏。そして本当にすばらしかった!彼女の華麗な演奏が終わってから、今日のプログラムが始まる。曲目はビゼーのカルメンから3曲。ロシア出身のソプラノとテノール歌手がやってきた。目を閉じて聞くと、ヨーロッパの大きなオペラ座の座席に座っているかのような錯覚におちいる迫力。それに続き"Musica Proibita""Mattinata""O mio Babbino caro"と盛り上がってきて、"O Sole Mio""La Traviata", "Brindisi"とクライマックス。O Sole Mio のテノール、本当に素敵だった。こう、背中にぞくぞくっと鳥肌が立つ迫力。そしてその後に・・・・ハッピーバースデートゥーユーの演奏。なんともいえない贅沢だよな・・・と心から。どうも赤字経営(だって2時間のコンサートのチケットが10リラ(600円くらい)ですから。それでもヴァイオリニストの諏訪内さんとか庄司さんとかをはじめ、いろんなとこからソリスト呼んでいるし・・・)といううわさのこの大学オケ。(大学オケといっても、音楽科が大学にあるので、それの先生方ほかのプロです)なんでも創設者の“趣味”なので継続できているとか何とか。私はその趣味の恩恵にあやかっているわけです。この、金・金・金、の環境で、お金を超えた次元の“大切なもの”を提供してくれている創設者。感謝感謝なのです。94歳になられましたが、これからもどうぞお元気で。
2009年04月04日
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私の常識とここに住んでる人たちの常識が違うことは多々ある。だから私の中の“常識”のみに物事を当てはめカッカするのはやめよう、というスタンスで最近は暮らしているので、そうそう頭に来ることはないのだけれど・・・。今回はさすがに、こういう人間がさらに増えたら、この国から脱出してやる!と本気で思った出来事。土曜日の夕方、ある用事でアンカラのアタクレ方面に行った私たち。車でアタクレへのゆるい上り坂の坂道を走ってた。普通に渋滞していて、とろとろ走ったりとまったり。一度とまったときに、前の車が私たちの車へとすーーーっと後ろ向きに近づいてくるのが見えた。たまにシフトが入らなかったりなんだりで若干後ろに下がることがあるから、少ししたら止まるんだろう、とみてたら、予想通り止まった。どうも前の車の運転手は女性で助手席においてある自分の鞄かなにかをあさっているようだった。また車の列が前進して、しばらくゆるゆると走って止まった。夫もまたこの車下がってくるかも、とかなり余裕を持って(2メートル以上あった)車間をとって止まった。そしたら、またわが車に向かって下がってくる前の車・・・・。夫はクラクションをならす。でも止まらない。さらに近づいてくる・・・いやな予感がして・・・・ 結局、うちの車にぶつかって止まった・・・。その女性、車の中で何かをしている際、ブレーキを踏み続けるのを忘れているんですよね。上り坂だからそれで後ろに下がってしまう車。あ~あ、ぶつかっちゃったよ。話しておいで、と夫を送り出す。私は車の中で待つことに。でてきたのは若い女性。一言二言何か夫に言って、すぐ自分の車の中に戻っていく。??? と思っていると、夫が戻ってきていうには・・・・なんとその女性、“あなたがぶつかってきたんでしょう!”と夫に向かって言ったそうで。・・・開いた口がふさがらないとはこのこと。私も外に出て話しに加わっていれば、なに馬鹿なこといってんのよ!と日本語ででもなんでもまくし立てられたのに、穏やかな夫、そういわれて、また穏やかに、あなたが下がってきたんでしょう、とだけ言って戻ってきてしまい、すべて後の祭り。幸いナンバープレートの上の部分の車体が少し凹んだだけでたいしたことはなかったからよかったけど。こういうシチュエーションで警察を呼んだとしても、車間距離をしっかりとらずに後ろからぶつかるケースがすごく多いここでは、私たちが、彼女がブレーキを踏まなかったためただ止まっていた私たちの車にぶつかったんだ、と主張しても、ぶつかった本人が開口一番、あんたたちがぶつかってきた、と言う以上、私たちが正しいと証明するすべはなく。結局、いま横行している、悪いことしてても、うそでもほらでも何でもついて・ふいて、主張したもの勝ち、という結果になるんでしょう。モラルというコンセプトを持ち合わせていなく、常識(少なくとも私の)が通用しない、自分のことしか考えていない人たちがすごく多く、うまくやり過ごす方法を見つけないと、こんな自己中な人たちのせいでストレスをためたりするのは本当にばからしいのです。あとは、そういう人たちからの被害にあわないように、自衛するしかないんですよね。はあ~。どこか常識的な国に、モラルのある国に、正義の通る国に、移住したいです、ほんとに。
2009年03月15日
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朝日ドットコム関西2009年2月7日より転載〈猿渡瞳さんの作文「命を見つめて」全文〉 みなさん、みなさんは本当の幸せって何だと思いますか。 実は、幸せが私たちの一番身近にあることを病気になったおかげで知ることができました。それは、地位でも、名誉でも、お金でもなく「今、生きている」ということなんです。 私は、小学6年生の時に骨肉腫という骨のガンが発見され、約1年半に及ぶ闘病生活を送りました。この時、医者に、病気に負ければ命がないと言われ、右足も太ももから切断しなければならないと厳しい宣告を受けました。 初めは、とてもショックでしたが、必ず勝ってみせると決意し、希望だけを胸に真っ向から病気と闘ってきました。その結果、病気に打ち勝ち、右足も手術はしましたが残すことができたのです。 しかし、この闘病生活の間に、一緒に病気と闘ってきた15人の大切な仲間が次から次に亡くなっていきました。小さな赤ちゃんから、おじちゃんおばちゃんまで年齢も病気もさまざまです。厳しい治療とあらゆる検査の連続で心も体もボロボロになりながら、私たちは生き続けるために必死に闘ってきました。 しかし、あまりにも現実は厳しく、みんな一瞬にして亡くなっていかれ、生き続けることがこれほど困難で、これほど偉大なものかということを思い知らされました。 みんないつの日か、元気になっている自分を思い描きながら、どんなに苦しくても目標に向かって明るく元気にがんばっていました。それなのに生き続けることができなくて、どれほど悔しかったことでしょう。 私がはっきり感じたのは、病気と闘っている人たちが誰よりも一番輝いていたということです。そして、健康な体で学校に通ったり、家族や友達とあたり前のように毎日を過ごせるということが、どれほど幸せなことかということです。 たとえ、どんなに困難な壁にぶつかって悩んだり、苦しんだりしたとしても、命さえあれば必ず前に進んで行けるんです。生きたくても生きられなかったたくさんの仲間が命をかけて教えてくれた大切なメッセージを、世界中の人々に伝えていくことが私の使命だと思っています。 今の世の中、人と人が殺し合う戦争や、平気で人の命を奪う事件、そして、いじめを苦にした自殺など、悲しいニュースを見る度に怒りの気持ちでいっぱいになります。一体どれだけの人がそれらのニュースに対して真剣に向き合っているのでしょうか。 私の大好きな詩人の言葉の中に「今の社会のほとんどの問題で悪に対して『自分には関係ない』と言う人が多くなっている。自分の身にふりかからない限り見て見ぬふりをする。それが実は、悪を応援することになる。私には関係ないというのは楽かもしれないが、一番人間をダメにさせていく。自分の人間らしさが削られどんどん消えていってしまう。それを自覚しないと悪を平気で許す無気力な人間になってしまう」と書いてありました。 本当にその通りだと思います。どんなに小さな悪に対しても、決して許してはいけないのです。そこから悪がエスカレートしていくのです。今の現実がそれです。命を軽く考えている人たちに、病気と闘っている人たちの姿を見てもらいたいです。そしてどれだけ命が尊いかということを知ってもらいたいです。 みなさん、私たち人間は、いつどうなるかなんて誰にも分からないんです。だからこそ、一日一日がとても大切なんです。病気になったおかげで生きていく上で一番大切なことを知ることができました。 今では心から病気に感謝しています。私は自分の使命を果たすため、亡くなったみんなの分まで精いっぱい生きていきます。みなさんも、今生きていることに感謝して、悔いのない人生を送ってください。 転載終了ああ、ぐだぐだ不平不満を言わずに、いまある健康に、幸せに感謝して、前を向いてしっかり進んでいかなければ、とあらためて思いました。
2009年02月09日
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元旦から楽しみにしていたウイーンフィルのニューイヤーコンサートの放送が、この人の不必要に長いスピーチのおかげで、キャンセルになったのも新年早々大ショックだったけれど・・・さらにそのスピーチの中(アンカラ市長等のこのお方の政党からの候補者を発表してた)で、“アンカラは、きれいな町、水、空気をもってヨーロッパのモデル都市となりうる”云々、といっていたことに、はて、この人は、ひょっとしてこの国の首相ではなくって、違う国の首相なのかもしれないな、と本気で思ってしまうくらい、再び大ショック。貧困層(しかし与党支持者に限る)に石炭を大量にばらまき、せっかく改善していた冬の大気汚染もふたたび悪化の一路。普通に生活してて、外で息するだけで、汚れている、とわかる空気を提供しておいて、上記の発言。さらに、とある大学が大気汚染度をはかり、汚れている、という結果を出せば、市は、観測結果が間違いである、アンカラの空気はとてもきれいだ、と発表。(この人もきっと世界の違うところにある“アンカラ”にお住まいなのでしょう)とある大学がアンカラの水道水の水質を調べ、問題があることを指摘したら、今度は市長は、この大学の違法建築を激しく攻撃し始め(リベンジ、ですな)問題の水は(専門家は明らかに問題あり、としているのにもかかわらず)、彼がガラスのコップ1杯メディアの前で飲んで終わり。(アンカラで水道水を飲むのはやめましょう。私は料理の水も飲料水を使うようにしています。)汚職政治満載のこの市長、候補者指名の直前にそれがテレビの討論番組で洗いざらい明らかになったにもかかわらず、再び時期市長選の候補(首相との取引があった模様)になり、おそらく彼が次期も市長になるのでしょう。汚染といえば、農薬も大変なことになっているそうで・・・。EUでつき返されてきた野菜を、安い安いと喜んで買っている私たち・・・。本当に基準よりかなり多くの農薬をつかって生産された野菜を毎日食べているのですね。本気でオーガニックに移行しなければ、と思いました。とにかく、こういう汚染物質を規制するはずの政府が、見て見ぬふり、問題を指摘されて逆切れ、である国に住んでて良いことはないでしょうね。体の中に日々たまっていく汚染物質たちの長期的な影響がとても怖いです。政府の目標は、よりよい国トルコ、ではなくって、いかに身内の懐を豊かにするか。よくある途上国の汚職政治そのもの。過去6年間で、新たに採用された物理の先生は200数人。対して、同期間に新たに採用された宗教史の先生は7000人強。省庁の予算をみても、国防の次に多いのが宗教省なんだとか。(厳密に2番手ではないかもしれませんが、教育省などと比べ桁違いの予算だそう)。裁判所・大学、その他ありとあらゆる機関に、自分たちの支持者を配置。もうとめられないでしょうね、この汚職暴走政権。新年早々、怒りがふつふつと・・・。
2009年01月03日
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今年、2008年、皆さんにとってどんな年だったでしょうか。日本ではもう残り数時間で新年ですね。年末年始は一年の中でも私にとってとても大事な季節(でした)。大掃除をして、お持ちやお飾りを飾って、ばたばたとおせち料理づくりを手伝って。年越しの夜にはゲーム大会をして、トランプ、ウノ、そして百人一首をして。父がこっそり準備してくれてた、ゲームの賞品をもらって。夜はたいてい紅白をみて、年越しそば食べて。テレビで鐘をつきだしたころ、しっかり着込んで準備して近くのお稲荷さんへみんなでいって。元旦は朝から“よそ行き”を着てみんなでお節を囲んで正座して新年の挨拶。今年もどうぞよろしくおねがいします、と。元旦は江ノ島神社、鎌倉神社などに初詣。おみくじひいて、甘酒飲んで。あの元旦のぴーんと張り詰めた、新年独特のフレッシュな空気が大好きでした。いろんな“行事”があるんですよね、お正月。小さいころからずっとこのお正月のパターンが当たり前できていたから、トルコでのお正月が本当に物足りなくってたまらない。明日、3度目のお正月ですが、毎年この年越しの夜は、日本の家族とのお正月が恋しくってついつい涙が出ちゃいます。***さて、今年。私にとってはひとつ大きな前進の年となりました。2月に就職し、2学期間授業をして気がつけばもう年末。とても忙しかったけれど充実した1年となりました。2月には自動車免許を取り、車を買ったのも私の中では大きな前進。反省はやはり、家の中がカオスなこと・・・。仕事から帰ってきて夕飯準備して食べて、1時間くらいテレビ見て、そして再び夜中まで仕事して・・・週末も引き続き仕事、さらにジムに行ったり、土曜の夜から夫君両親宅に泊まりにいって日曜日の午後帰ってきてまた仕事。基本的な家事もできない自分が悲しくって、夫婦二人だしお掃除してくれる人を雇うのもなんだか悔しくて、頼まずにきたけれど、あまりのカオス度にいらいらしちゃって・・・。来年は1週間に1度でもいいから頼もうか、と夫君はいっていますが、どうなることやら。掃除なんて誰でもできる=>ことは私がやる必要はなくって誰かにやってもらえばいい。私はその時間を仕事にまわせばいい、という自分と、=>だれにでもできるんだから毎日少しずつでもやってけばできるはずだ、という自分と。でも、疲れちゃうと掃除する時間があったら睡眠をとりたい!となっちゃうんだよなあ。・・・おっと・・愚痴になってしまいました。気を取り直して、来年の抱負。来年は叶えたい大きな夢がひとつ。そして細かな目標がいくつか。プロジェクトも始まるし、今年よりさらに忙しい年になるでしょう。しっかり仕事して、でも健康にも気をつけて、大きな夢、そして目標たちをひとつひとつ叶えていきたいと思います。今年、このブログを読んでくださった方々、このブログを通して出会った人々、そして直接お世話になった方々。どうもありがとうございました。そして来年、2009年が皆様にとって、健康で、より幸せな年となりますよう、こころからお祈りしています。よいお年を!
2008年12月31日
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3つの第二回中間試験と2つのMake-up Examを作り実施・監督し、さらに普通に4コマ12時間授業を準備し講義した、おそらく今学期で一番忙しかった週がようやく終わりました。さすがに今日の午後の授業はみんなお国に帰っちゃって数えるほどしか学生がいなかったので、(明日からトルコは9連休)1時間半ほど(通常一コマ3時間)で切り上げ、残りの時間は学生たちとおしゃべり。そして今日の仕上げは大学のシンフォニーオーケストラのコンサート。今日はピアニスト、三輪 郁さんの共演で、ベートーベンのピアノコンチェルト1番を含むプログラム。小さいころからほとんど聞くクラシックはヴァイオリンかオケのもので、ピアノ曲はオケで伴奏した曲くらいしか知らない私。でも最近ようやく良さがだんだんわかってきたような気がします。三輪さん、とっても気さくそうな方で、演奏もとっても素敵でした。ピアノ曲の上手い下手、味わい方はまだまだわからないのですが、それでも楽しく心安らぐ時間がすごせました。話は変わりますが、ここのオケのコンサートにやってくる客層を見るのが結構楽しいんです。大体4グループに分けられるのですが、第一グループは綺麗に着飾った引退後の年配の紳士淑女の皆様。品があり、老後はあんなふうになりたいなあ、と思わせるグループ。第2グループは音楽を学んでいる学生・子供・そしてその親グループ。ホールが音楽学部の中にあるし、近くに音楽を力を入れてる小学校~高校もあるので納得。小学1年生くらいの子達も結構いて、おとなしく聞いているので感心します。中には親に付き合ってきたのか、本を読んでる子もいたけど :)第3グループ、単にクラシック好きのグループ(私含む)。教授風な人も結構いるし、“いまラボから歩いてきました”風のジーンズにラフなシャツの学生もちらほら。マイノリティー第四グループは招待客。今日は玄関にフランス国旗つきの車が迎えに来ていたので、フランス大使がきていたのでしょう。学長がいたり、大学創設者がいたり。大物はたいてい2階席の一番前に座ってます。授業の帰りにふらっと寄れる、しかも8リラ(600円位?)というお手ごろ価格なこのオケの存在はかなり素敵です。そしてそして、なんと来年2月6日にはヴァイオリニストの諏訪内 晶子さんが演奏するみたいですよ。曲目はブラームスのヴァイオリンコンチェルト。なんでここアンカラにそんな大物がやってくるのか、結構不思議ではありますが、しかし、諏訪内さんの演奏をここで聴けるというのは、なんともありがたいお話であります。人気の年末の“ニューイヤーコンサート"(毎年年末にやるんです。なんでニューイヤーコンサートと呼ぶのかは不明)は12月27日土曜日と28日日曜日。アンカラ在住の皆さん、お見逃しなく~ :)
2008年12月06日
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夫くんは昨日から出張でいなく、嵐のような風が吹きすさぶ中、ひとりのんびり(さびしく)コーヒーをすすってます。静寂が嫌なので、映画を見ることに。上映された何年前かから気になっていたけど、一度も見る機会がなくきた映画、The Pianist。夫くんはどこかで見た、っていっていたので、これを機に私だけ見ることに。見始めたはいいのですが・・・なぜか、なぜかですよ。私の頭の中では“船上のピアニスト”と変換されていたため、見てる途中も、いつになったら戦争が終わって豪華客船での仕事につくんだ? とずーっと考えてました。(豪華客船でピアノを弾くピアニストの話だと・・・そんな映画、ありませんでしたか・・・?)なので、見終わって、ひとりで見るには予想以上に重い内容に、ずーんと気分も落ち込み・・・。“戦場”のピアニストだったのか、と映画を見終わって、関連のWebサイトを見て納得。(途中で気づけよ・・・)もう一度、今度見るときはこの作品の貴重さをきちんとわかった上で見たいと思います。同じ人間が宗教や人種や肌の色や民族の違いという理由で(というよりは権力者の欲のためにこれらの“違い”がうまく利用された、というほうが正しいのかも)殺しあう。戦争もテロもまだまだなくならない世の中。きっとお金や権力に固執する人間が存在する限り、なくならないのだろうな、と思ったりもします。そして恨みの連鎖がどんどんどんどん、どんどんどんどん長くなって、いくのでしょうね。
2008年12月04日
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週末、ニュースで言っていたのを聞いて、ちょっとびっくりしたのですが、なんとトルコでは70%の女性が髪の毛を何らかの形で覆っているんですね。覆うのにも何種類かあって、問題になっているトゥルバン(スカーフでぴっちり覆う、いろんな流派があるらしいー政治的意味合いが強い場合があるケース)、とチャルシャフ(地方でスカーフよりはラフな"布”で覆う)があるそうで、前者が16%、後者が残りで54%ということ。アンカラでもどんどんトゥルバン人口は目に見えて増えているけれど、トルコ全体の平均が7割とは本当に驚きました。アンカラでは覆ってないほうがまだマジョリティーだと思います。今年の前半に議会が学校や政府機関でトゥルバンOKにする法案を議論していたとき(一瞬OKになった記憶も・・・)を境に、大学構内にも禁止されているはずのトゥルバンをしている学生が目に見えて増えてきました。私のいる大学では一切禁止、という方針で、校門でチェックしているらしいのですが、そこではいるときにはとって、またあとでつける、などすべてのコントロール難しい模様。授業中ももちろん禁止。でもいます、トゥルバンをして校内を歩いている学生。トゥルバンをとれ、と言われて、とる、もしくは帽子・カツラなど代替物をかぶってくる学生はよいのですが、もしその学生が、授業に出なくなる、という選択をしたら、トルコという国にとって長期的にまずい状態になるのではないのか、と懸念しちゃいます。トゥルバンをしている学生こそ、しっかりした教育を受けて、いろんな価値観に触れ、社会で活躍し、子供ができればしっかりした方針で教育してほしいなあ、と個人的には思うのです。(余計なお世話、といわれればそうなんですが。)自分の意思で純粋にイスラム的理由でトゥルバンをしている人たちは別に問題はないのですが、中には、政治的な理由、家族の強制が理由でトゥルバンをしているケース、などもあるわけです。特に後者の女性たちが、教育も受けずに社会に入っていけず、周りの“洗脳者”たちに翻弄されてしまうのは、なんとも悲しく、長期的にある意味危険な状態なのではないか、と女性として思ってしまいます。まだ私のこの問題に関しての立場を直接聞かれたことはありませんが(こういうとき“外国人ステータス”はなかなか重宝)、聞かれたらなんて答えるのかなあ、といまだに自問自答しています。問題の全容を知らずに結局は結論が出せないんだろうなあ。ま、個人的な結論がでたところで、現在は国の法律により禁止、名わけで、何も変わらないのだけど。ぶつぶつ・・・。
2008年11月25日
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ここ長いことトルコからYouTubeが見られません。確か去年一度、イスラム教の預言者ムハンマドを風刺する画像が流れたことから規制されるように。ひと時規制が解除されたのですが、再びこのところ禁止中。ひとつまずいことが起きたら、それにかかわるシステムすべてを禁止するのは、トルコのお得意の“問題解決”パターン (=本質の問題は全然解決されていなく、かつ、本来の問題以上に問題が出てくる)。・・・あら、また愚痴が・・・。YouTubeを規制・禁止する国の“デモクラシー”なんてたかがしれてる、とぶちぶち言いながらも、たまに規制解除になってないか懲りずに見るのですが。そこで不思議の国トルコ。たま~に見られることがあるんですよ。たぶん一日に数時間。またまたトルコのパターンでいくと、政府のお偉いさんもしくはその家族がYouTube必要、見たい~、となったときに一時的に解除し、不必要になれば、また禁止措置をとってるんじゃあないか、なんて勘ぐっているのですが。(どんどん穿った見方になってしまいます、はい)実際のところ、どうなんでしょう?実は決まった時間に解禁になってる、とかあるんでしょうか?なぞは深まるばかりです。
2008年11月18日
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最近ちょっとトルコ生活の愚痴やストレスばかり書いている気がするので、ここで“トルコの名誉挽回”と称して、トルコ生活、これは便利で楽チン!というのを書いてみたいと思う。トルコの大きな都市、イスタンブルやアンカラでは一戸建ての家より断然アパルトマン,と呼ばれる日本で言うところのアパートやマンションの数のほうが多い。私たちの生活拠点もそのアパルトマンのひとつ。このアパルトマンでのトルコ生活で、もう、便利といったらこれでしょ!というのが・・・ごみの回収!好きなときに普通にスーパーでもらう袋にごみ入れてしばってドアの外においておけば、平日は1日に4-5回、週末は1日に2回、回収に来てくれるのだ。ごみの日、ごみだしの時間、なんて気にもしなくていい。とくに夏場は本当に助かる。我が家は大学の寮なので業者が回収にくるのだけど、普通はカプジュと呼ばれる、いわばアパルトマンのお世話係さんが回収に来てくれる。(この場合は掃除その他のサービス込みで月々いくらか彼らに支払うのが普通らしい)便利生活第二位は、水の配達、かな。19リットル入りの天然飲料水を電話一本で届けてくれる。さらに、この辺では毎週火曜日の朝までに空になったボトルとお金を置いておけば、新しいボトルを置いていってくれる。大学割引があって、19リットルの水、なんと4.25リラ(約400円)。ブランドによるけど、いい水でも市場価格は8リラくらいかな。多くの家庭には、よく日本でもオフィスや市役所なんかで見られる(?)、これがあって、セットすれば、冷たい水も暑い水も飲みたい放題。紅茶やインスタント味噌汁(! 必需品・・・)、飲みたいときにお湯を沸かす手間をかけずに即座に飲める優れもの。ここに住み始めて1年以上たってからこのサーバーを購入した我が家だけど、本当に今では手放せない一品となっている。トルコでは水道の水は飲料水としては適していないので、飲み水、スープや紅茶を沸かすときの水は買ってくる飲料水から使う。アンカラで供給される水質にクエスチョンマークがついているこのごろ、さらに需要は増しているのではないかと思う。天然水供給業界もかなり大きく、200以上のブランドがあると聞いた。たまに品質検査でひっかかってつぶれる会社もあるので、ブランドを選ぶときは注意したい。あとは、なんだろな。ちょっと趣はかわってしまうけど、今日ちょうど行ってきたのでタイムリーというところで、国立病院の治療・検査費用。無料もちろん月々保険料を支払ってはいるのだけど。いままで血液検査、CTスキャンはもちろん、MRIやPETスキャン、はたまた放射線を使った検査・治療まで、いろいろやりましたが、すべて無料。こんなんで保険料のもとをとってもあんまり嬉しくないけれど、やらなければいけない検査等が無料、というのは本当にありがたいものです。あとは・・・?きっと最初は感動したけど今はもうあたりまえになっちゃってるような便利なことがまだまだあると思うので、これを機に、ちょっと、“トルコの便利生活”探してみたいと思います。またおもしろいのがでてきたらアップしますね!
2008年10月28日
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アンカラに住んではや2年ちょっと。もうあまり、"こ、これは異文化だ~!”と思うようなこともなくなってきました。けれど、まだたま~に、おお、こんなことも起こっちゃうのか!と思わず笑ってしまう出来事に遭遇したりします。**この夏、夫くん両親がヤズルックに移動した後、私たちが彼らの家に残された植物の面倒を見ていました。ある時、彼らのアパートに行ったら、アパートの玄関から数歩のところにある、鉄でできた門がなくなっていました。そのときは、きっと引越しか何かではずす必要があってそのままになってるんだろうな、とそんなに気を止めなかったんです。で、数ヶ月たって夫くん両親がアンカラに戻ってきて聞いたことには、その門、なんと、盗まれちゃったらしいんです。そしてよくよく同じ通りにあるアパートたちを観察してみると、どのアパートも入り口にあったはずの鉄の門がことごとくなくなってる!笑い事じゃないんですが、でもトラックでやってきてせっせと鉄門はずしてもってってる姿を想像すると、笑いがこみ上げてきちゃいます。・・・鉄の値段が去年にくらべ5倍だかなんだかとってもあがったので、溶かして使うのか、はたまたそのまままた売るのか知りませんが、鉄の門を盗む、という発想がかなり笑えます。***これとはまたちょっとタイプが違いますが、おお、異文化!と思ったこともうひとつ。仕事で。オフィスと同じ階にあるトイレ、鍵がかかってるんです。この階の住人だけが入れて、それ以外は排除する、という目的らしいんですが。仕事を始めたばっかりのころ、トルコですからあらかじめトイレの鍵をコピーして渡してくれる、なーんてことはしてくれないわけです。(ここがそうなだけかもしれませんが :)なので、トイレの鍵は金曜日の夕方、チャイオダスの人(紅茶・コーヒーの準備をしてくれる人)からかりて、自分でコピーしなきゃいけなかったんです。が、もちろん月曜からその金曜日まで、トイレに行きたくなるたびに、その人から鍵を借りていかなければならなかったのですよ。トイレは洋式ではなくってトルコ式だし、仕事はじめて早々、ちょっと憂鬱な気分になっちゃいました。さらに、トイレの個室は2つあるのに、誰かが入ってると中から鍵しちゃって、さらに鍵を鍵穴にさしたままにするから、2人目の人(私)が入ろうとしてもはいれない!それじゃあ、2つある意味ないじゃないの、と一人で突っ込んでる私なのでした。そうそう、私、トルコ式トイレでの”正式”な使い方を知らずに、日本式に前向いてましたよ。(トルコ式はドアのほうを向いて座る)母がどこかで読んで、反対なんだってね~、と言ってるのを聞いてはじめて、はっ、そうなんだ・・・、と気づいたしだいです・・・。他にもなにか間違ってることしてそうだなあ・・・。
2008年10月23日
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車が来てから早半年ちょっと。走行距離・・・1000キロちょっと (笑)。先週、早速ひとつタイヤがだめになり、交換に行ってきました。私のトルコ最初の車メンテ関連コスト、タイヤ一個=250リラ(約2万円ちょっと)恥を忍んで走行距離を書いたのも、タイヤがだめになった理由が "磨耗”によるものではないことを示したかったから。(車で5分弱のオフィスまでの往復が主な使い道なので、こんな距離に。おもいっきり笑われます、車好きな人に言うと :)タイヤがだめになった理由はひとつ。道にでっかくあいた穴に落ちたから。(落ちた、といってもはまったわけではなく、がっっっっったん!と通り過ぎたわけですが)トルコの道にでっかい穴が沢山開いたまま放置されていることはよくあることで、ゲームのように右に左によけながら運転するわけです。そしてもちろん混雑した道路では、遊牧民族の血を濃く引くトルコ人ドライバーたちが、50センチでも隙間があれば、水が流れるように、車線などないも同然、右に左に、隙間につっこんできます。(彼ら、1台追い越すのに、かなり命かけてます。そしてかなり回数ブレーキーアクセルのセットをこなし、やっと1台追い越すと、へへ~い、と誇りに思うのです。よく顔には笑みがみられます。)こういう状況で、でっかい穴だ!と見えた瞬間、左右にハンドルきってよけようとすると、穴に落ちるよりかなり危ないことになりえるのです。さらに、まだまだ若葉マークドライバーの私。一瞬のうちに、穴が見えた!周りを確認!切れるほうにハンドルきる!穴を逃れる!という判断+動作ができないのです・・・。反射神経は普通だと思うのですが・・・。今回落ちた穴。横に幅広く、深さは15センチくらいでしょうか。よけようと左に切ったはいいけど、穴が続いていて結局おちた、というわけです。冬のタイヤ買おうか~、なんて話していたけど、このタイヤ一個250リラの出費のおかげで、冬は夫くんに送ってもらう、もしくは歩きでどうぞ、ということになりました・・・。*******トルコ人ドライバー、余裕で本1冊かけるくらい、いろんなことをしでかしてくれます。例)横の車線の車が車線変更をしようとウインカーを出す=>自分の前にはいらせまいとアクセル踏んで急加速。例)さらに、人が道を渡ろうとしていても同様に、わたらせまいと急加速。例)信号のない横断歩道を人が歩いているので止まる私=>後ろにいた車は私の速度が落ちた瞬間横の車線に移動し加速。(歩行者にとってかなり危ない)例)5車線くらいある広い道で、左に次まがるというのに、直前まで一番右車線で飛ばし、ぎりぎりになってかなり強引に左にまがる。(ほかの車線および左折車線の車を十分にリスクに陥れる)例)駐車場で、丁度車がでていくところだったから、空くところにいれようと、前後シグナル(日本語なんだ?)を出しわきによって止る。するとその瞬間後続の車は、それきた!と右にでて、加速。=>出てこようとしてる車の道をふさぎ、ご対面状況。例)信号が黄色から青に変わるとき、赤から黄色になるタイミングで発進していないと、ほぼ100%の確率でうしろからクラクションをならされる。あるときには、まだ黄色にもなっていないうちからならされた。(反対側の車線が青から黄色になるのをしっかり見てる)例)赤信号、車が来てなければもちろんわたっちゃう。(車で)例)一方通行、なんのこと?例)出るべき出口を間違えれば、何百メートルでもバックで走って出口まで移動しようとがんばる。・・・きりがありません・・・。とにかく、自己中心的でかつ1秒も我慢ができない多くの国民。自分の都合だけ考えて行動して、他の人・車に与えるリスクなんぞ微塵も考えていないでしょう。いや、もちろん100%全員、ではないんですが、7割くらいはこんな感じ。道を譲ってくれたり、もたもたしててもクラクションを鳴らさない車がいると、お、大使館関係か(=非トルコ人)?と思ってしまう始末。なので、トルコで運転するときは、常に360度周囲を警戒し、一方通行だといって対向車が来ないと安心したり、赤信号だといって車がちゃんと止まってくれると思ったり、してはいけないのです。前向きに走って行ってるはずの車がバックでこっちに迫ってきているかもしれないのです。さらに、道路は穴だらけ。スリル満点なんです。
2008年10月22日
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バイラムの1日目の夜、序章だけ読んでそのままになっていた“トルコ狂乱”を手に取った。この本は第一章をある程度読みすすめると、もはや止まらなくなってしまう類の本であることが判明。バイラム二日目。予定が何もなかった。さらに夫くんはこのバイラム家にいるけどずっと仕事をしている。というわけで、今日は読書の日!と勝手に決めて、お茶を入れて煎餅をまわりに配置し“トルコ狂乱”を読み進めた。結局この日、朝10時から、夜の12時半に就寝するまで、昼食と夕食を除いてずーっと読書。おそらく10時間は軽く読んでいたと思う。さすがに最後のほうは目がしょぼしょぼ・・。そしてバイラム3日目の午後3時。すべて読み終わった。この本は読み終わって、天晴れアタトゥルク、天晴れトルコ国民、と爽快になれる本であろう。間違いなく“トルコ人”というものを見直す。そしてどの小高い丘の上にもひっそりと静かにたっている国旗やアタトゥルクの像をまた違った思いで見ることは確実だろう。自分の国の土地に、自分の国旗のもと自由を保障されて生活することの意味を今一度考えさせられもした。アタトゥルクという人がいなければ、現在のトルコはほぼ100%なかっただろう。そして私もいまここにはいないだろう。今までアタトゥルクの偉大さというものは、断片的に聞きかじった情報とトルコ人がこれだけ慕っている人なのだから偉大なのだろう、という推測とに基づいてなんとなく納得していたわけだけど、この本を読んでようやく、彼は本当に何世紀かに1度現れるか現れないかの“偉大な大物”だったことを実感した。国のリーダーとはいかにあるべきか、コミュニケーション術とはいかなるものか、そして野党や批判にどのように賢く対応していくか。学べることは山ほどある。彼は女性の権利、虐げられていた農民の権利など、オスマン帝国が無視した弱者の権利の重要性を最初から理解し、その信念に基づき行動・発言した。そして戦争中の彼らの働きを、手放しに褒め称えた。どんなに混乱した情勢の中でも、何が本当に大事なものなのかをひと時も見失わなかった。アタトゥルクの偉大さとは対照的に、“愚の象徴”ともいえる人たちも登場する。その筆頭はオスマン帝国最後のスルタン、ヴァヒディッティン皇帝であろう。自分の地位と命を守るために、売国行為をことあるごとに画策。そしてオスマン帝国崩落まで秒読み状態だったときに、各省をあげて、“女性はどんな格好をするべきか”ということを本気で話し合わせていたのだ。(あれっ、どこかで似たようなことが起こってませんでしたっけ・・・?)アタトゥルクをはじめ、当時の肝の据わったパシャたち、国のために戦った兵士たち、厳しい条件の補給を支えた女性たち、本当にすばらしい国・国民だと心から思える。そして、現在のトルコに目を向けると、あのビジョンと国のためにという志をもった政治家・国民はどこに姿をくらませてしまっているのだろう、と思わずにはいられないのだ。私腹を肥やすことに余念がない国のリーダーたちや政治家。見せかけだけの豊かさを演出する、借金だらけの国・自治体、そして国民。石油発掘権や水の供給事業までも外国に切り売りするこの国。鉄道事業も外国人にまかせっきりでトルコ人の教育を一切しなかった、滅びてしまったオスマントルコとなんだか似てはいまいか。アタトゥルクが女性差別や分離を猛烈に非難したのに対し、現在のトルコはまたアタトゥルク以前の頭の構造へと人々を導いていっているのではないか。(引用開始:202頁、アタトゥルクの発言)“明日の集会には女性教師も参加することになっている。ところが、これを聞いた一部の議員はそのことに反対しているのだ。なんとも哀れむべき頭の構造じゃないか!こういう輩のせいで、今日苦境にたたされることになったというのに。時代錯誤の、世界情勢に背を向けた、トルコ流かつ野蛮草昧な価値観のせいで。いいか、我々に別の道など残されていないのだ。社会を刷新し、進歩させ、近代文明に歩調を合わせ、西欧と肩を並べるためには退嬰的な考え方をあらためさせなければならぬ。凝固し、停滞し、麻痺した価値観を変えるのだ・・・”(引用終了)現在のトルコが流されていっている方向を彼が見たら、いったい何というだろうか。現在のトルコにおいて、私腹を肥やし、権力を振りかざし、罵詈雑言を投げつけ、票を買うようなリーダーたちを、人々がなぜここまで支持するのかを正直理解しかねている。(頼れる野党がない、というせいもあるだろうが。)(同様に、アメリカ大統領選でマケインの支持率がオバマを超えたというのを見ても、なぜ、なぜなんだ!と思ってしまう)この国がどこに行こうとしているのか。ヴィジョンは何なのか。(私の情報収集能力が低いこともあるだろうが)正直、見えないのである。(引用開始:183頁)“トルコ人ってのはおかしな民族なのだよ。恙なく暮らしておる時は先のことなど考えない。お互いの足を引っ張り合ってばかりじゃ。状況が悪くなって初めてわしらはやっとこさ目を覚ますのだ。ひどくなればなるほど、一致団結し普段はできないようなことをやってのけてしまう。・・・”(引用終了)きっとあの勇敢でしゃんとしたトルコ人たちは、いざ、というときは、しっかり目を覚ますさ、と願わずにはいられない。
2008年10月03日
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年に2回、日本のお盆のようにトルコにもお墓参りを必ずする時期があります。ひとつがラマザンのあとのラマザンバイラム、そしてもうひとつが犠牲祭の時のクルバンバイラム。トルコのお墓、外見は日本のお墓の“横型”といった様相。火葬はしないので、亡くなった人を綺麗に洗い、白い布でつつんで直接地下に埋めます。キリスト教のような棺はありません。その上に、大抵は大理石で周りを囲み、さらに“墓石”にあたる名前などが書かれた石が置かれます。決まった形はなく、シンプルなものから凝ったものまでいろいろ。その時代時代によっての“流行”もあるようです。お墓は“個人専用”。家族で一緒に入るケースはあまりないようです。なのであちこちに散らばるお墓を探し当てながら、夫くんのお祖父さん2人、お祖母さん一人の3箇所でそれぞれお墓参りです(同じ敷地内ですが、車でまわるくらい広い)。お墓には“番地”が割当てられているのでそれを手がかりに探します。(毎回迷います・・・)墓石には故人のフルネーム・誕生年・没年はもちろん、人により、どこ出身、職業は何だったか、そして家族からのメッセージ等が書かれています。メッカに巡礼に行った人の墓石にはそのことを示す“Haci"という言葉も刻まれます。お墓の“囲い”あたる部分の内側は大抵土になっており、家族によっては木や花などを植えています。また囲いの外に埋葬と共に木の苗を植えたりもします。お参りに来た家族は、コーランからの章を(お墓参りのときに読む章がある)読みます。私はまだ数えるほどしか知らないので、心の中で知っている章を唱え、あとは勝手にいろいろ祈ってたりします。***人からよく、遠いトルコまで日本に家族を置いてよく嫁いだね~、と言われたりしますが、自分の中では結構当然の成り行きでここまできたので、大決心!というのは特になかったのです・・・が、こうしてお墓参りに行ったりすると、やはり、“死んだらこうやってトルコの地に埋められるんだなあ”と考え始めてしまい、遠くに嫁に来たもんだ、と思ってしまいます。日本の両親より先に死んだらことが面倒になりそうなので、とにかく彼らよりは長生きできるように願うばかり。それから、どうしても一人で埋められるのが嫌なので、“私が死んだらその隣に土地を買っておいて、隣同士で眠ろうね(半分涙目)”とついつい夫くんに懇願したりも。お墓、やっぱり死について、そして生について考えてしまう場所です。
2008年09月29日
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ニュースで“Last Lecture”の著者でもあるカーネギーメロン大学の教授が亡くなったという話を読んだのが今年の7月。その本((日本語版)を読んだのがこの夏。そしてビデオを見たのが9月はじめ。とっても影響を受けました。この本は彼の2つの講義、"Really Achieving Your Childhood Dream" と"Time Management"をまとめた本。癌により残り3-6ヶ月の命と宣告されたあとの彼の講義。どちらの講義も一度は見るに値する講義だと思います。講義はこちらからもYoutubeからも見られます(トルコ在住の皆さん!Youtube復活しましたね!)。日本語の本についているDVDは日本語字幕つきらしいです。さらにトルコ語バージョンも本屋で見かけました。彼はコンピューターサイエンスの教授ですが、きっとどの分野・立場の人にも通じるメッセージが沢山含まれていると思います。人生の指南書・指南ビデオのひとつとして是非是非ごらんになってみてください。
2008年09月27日
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久しぶりの更新です。ご無沙汰しております。トルコに来てから3年目、3回目のラマザンも残すところあと3日。今年は前年よりさらに断食の時間が長いからか、はたまた仕事を始めたからか(おそらくこっち)異様にラマザン期間がなが~く感じられます。(去年とおととしは昼間寝ててよかったもんな・・・)毎年そうですが、ラマザンの何がつらいって・・・空腹でも喉の渇きでもなく、早朝の"朝食”サフルに3時とか4時とかに起きることがい~ちばん辛く、ぜ~んぜん慣れません。ここ数日は夫君ー午前3時くらいまでお仕事ー私を起こすー夫君:トーストとオムレツを作る、私:りんごを切る(目が半分閉じているので多少あぶなっかしい)-私:食事の半分を過ぎてようやく頭が働いてきて人間らしい会話になるー最後に飲めるだけ水を飲み、歯を磨き、再びおやすみ~ という流れ。サフル、皆さんはどんなものを食べているんでしょうか?私たちはなんだか毎年いろいろ変遷してて、今年は後半になって、トースト(小型食パン2枚の間にチーズ)、りんご一個、オムレツ、シリアル というメニューに落ち着きました。前半はスープ、コンポストなんかも用意してたんですが・・・(どんどん手抜きに・・・しかも今は8割がた夫君が準備してる・・・)夕食のイフタルはいつもと変わらぬメニューです。夫君には大変申し訳ないのですが、豪華なイフタル!というのは夫君実家で食べる土曜日の夜だけ。今年はなぜかピデもあんまり食べなかったです。もっぱら白米に漬物(私)ふりかけ(夫君)。ところで、お昼を食べないというのは、実は大変時間の節約になるもんですね。12時になってもどこに何を誰と食べに行こうと考えなくてもいいし、そのまま仕事を続行。1時になってもお腹いっぱいで頭が働かないとか眠くなる、とかいうことない。ラマザン終わってからもシリアルバーとかで済ませようかなあ、と考えている私です。私は幸いもっぱら座っている仕事なので、それほど空腹が辛いこともないです。一度日曜日にメトロ(日本でいうところのCOSTCO)に行き、さらにその後パザルに野菜等を買いに行ったら、午後5時ごろ完全電池切れ状態になり、イフタルまで睡眠、という自体が起こりましたが・・・。日本では断食ダイエットとかバナナダイエットとかがはやっているみたいですが、このイスラムの断食、はっきりいって太ります(少なくとも私は)。この間日本に帰ったときに体脂肪・内臓なんとか脂肪・体年齢等々を計れる体重計を買ってきたのですが、それによると、体脂肪率、しかも内臓につく脂肪率がぐんとこの期間中上がりました。さらに体年齢も29歳だったのに、昨日、ついに32歳(=実年齢)まで上がってしまいました。断食に太るのには3通りの理由があると思います。1.いつもにましてドカ食いする2.運動をしなくなる3.夜中3時とか4時に普通に1食食べ、その後すぐ寝る我が家は1はあんまりないのですが、2.はまさにそうだし(ラマザン期間中はジムに行くのは難しい・・・)、3.がまさに太る大根拠。普段やるな!といわれていることをやっているわけですから、そうだろうな、と普通に納得できます。今回3回目のラマザンで前回2回と私の精神状況で大きく異なるのは、つべこべ断食について考えなくなったこと。以前はこれは体に悪い!絶対悪い!と思いながら(斜に構えながら)やっていたけど、今回はなんとなく素直にやっている気がします。(来年とか再来年とか、夏ど真ん中にラマザンが来たとき素直にやっているかはちょっと自信がなかったりもしますが)さて、今年のラマザンもあと3日。三回夜中に起きたら終わりです。さらにうれしいことに明日から9連休。普段の金曜日の夜がすごくうれしいのに大プラスで、9連休が待っている金曜日の今日。何しようかなあ、とちょっとわくわくです。トルコ在住の、はたまたイスラム国在住の皆様、良いバイラムをお過ごしください!
2008年09月26日
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夫くんも数日で一気に読んだという、そして多くのトルコ人が読んで涙したというトルコの大ベストセラーが日本語に訳されました!以下アマゾンからの転載***内容紹介トルコ史上空前の60万部を超える大ベストセラー世界初訳!1918年、第一次世界大戦に敗れたオスマン帝国は列強の支配下となった。為政者たちは保身のため自ら国を差し出すかのように振る舞い、国内は混迷の極みに達する。その中、トルコ共和国建国の父、ムスタファ・ケマルは立ち上がり、卓抜した戦略と指導力、加えて国民自身の独立への熱狂的な渇望によって、内憂外患の言葉では足りないほどの絶望的情況を打破し、独立を勝ち取る。トルコにて驚異的な売上げを誇る本書は、トルコの人々の「愛国心」がどのようなものかを示し、歴史小説の枠を超えて、現代、そして将来のトルコ共和国を理解するためにも不可欠の一書である。(転載終了)***早速アマゾンから注文しちゃいました。トルコの本を読みたくってもまだまだ私のトルコ語能力では難しいし時間がかかる。引き続きどんどんいろんな本を訳してくれると嬉しいなあ。父もアタトゥルクの伝記を読みたがっていたし。日本に帰るとひたすら日本語の本の読書にふけってしまうのですが(去年の帰国時も買ったり図書館から借りてきたりしては家にいる時間はひたすら読書・・・。)今年もまた楽しみが増えて嬉しいです~。トルコ人のあつ~い愛国心への理解が少しは深まるかしらん。
2008年07月26日
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トルコの首都アンカラ、ここ数年、すごい勢いで成長をしています。どこをみても高層アパートの建築ラッシュ。10年前にはニワトリが自由に歩き回っていたオープンエリアも、今は空き地が見当たらないほどのひしめくアパート群へと変身しています。こんなに一気に作って需要があるのだろうか、と思うのですが、それなりにオープンするアパートは埋まって行っているよう。(ひそかにそのうちこの建築バブルがはじけると思っているのですが・・・)現在私が住む大学エリア、10年前は本当に町の“外”に位置していました。一番近くのスーパーが車で30分のところにしかなかったらしく、狼や亀などあらゆる動物たちが住んでいたとか。この大学の裏手は、村、なんです。10年前は(しつこい。しかも私が直接見たわけではない)かなりの遠隔地帯だったと思われますが、現在は歩いてもいける距離のところにある成長を続ける高級住宅地に飲み込まれそうな感じ。この辺の地価を考えれば、その村が村のままとどまっているのが本当に不思議なんですが(建築許可の問題だろうと夫くんは言っていますが、真実は不明)、この村とその一帯、私にとってはとてもありがたい存在です。ベランダで仕事をしていると、どこからもなく、カラーン、カラーンととっても涼しげな鐘の音が聞こえてくるんです。なんだろう?と思って見回してみると・・・あ~、あんなところに!もっと目を凝らしてみてみると・・・羊さんたちの群れ、そしてそれを見守る犬たちが見えます!羊飼いのおじさんも近くで見張りをしてるジャンダルマ(軍)のお兄ちゃんとおしゃべり。のーんびりとした時間が過ぎていきます。・・・そして仕事ものーんびりとしか片付きません(汗)・・・
2008年07月09日
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花の選び方、植え方のほかに、写真の撮り方も学ばなきゃなあ、とつくづく思う今日この頃。10階の我が家、ここちよい風が通りぬけ、今日もとっても快適です。未熟な写真の腕でも、空が花たちの魅力を引き立ててくれます。どうも貧乏症で違う種類や違う色の花をばらばらと並べてしまいます。いつになったら同じ色・種類の花を数個まとめて植えることを覚えるのでしょうか、わたし・・・。朝顔が見当たらないので、代理。ボンジュクもお仲間に入れてください。室内の紫陽花そしてちょっと涼しげにできた!?と自己満足の水に浮くロウソクのお花たちのデコレーション。やっぱり夏って気持ちがいい!
2008年07月08日
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最近ちょっと夫くんにかる~く嫉妬しちゃっている私です。・・・というのも・・・この夏2人で日本に帰るのですが、日本の家族の喜び方が、どうも夫くんに重点が置かれている模様・・・。なんだか“主役”をとられた様で、(めちゃくちゃ子供ですみません)なんだか嫉妬しちゃいます。ま、夫くんが結婚してから日本に行くのがこれがはじめて。さらに前回のVisitから4年ほどたっていることもあり、熱烈歓迎モード。母は家中お掃除しなくっちゃ!と張り切っており、父は、“**くんはプロ野球なんか見るかなあ?見るんだったら予約しとくけど”というメールを送ってくるし。毎日のようにどこにいこうか、ここはどうだろうか、と思案している模様。(電話するたびにこの日はここに行こうと思っているんだけど、と新たなプランを披露してくれる)さらに、トルコにも2度足を運んで、夫くんを一目見て気に入ってくれた祖母は、夫くんのためにわざわざ居間にソファーを買ってくれたんですよ~。祖母のうちは全室畳で、基本的に座布団しいて床に座るんで、椅子ってものがないんですね。夫くん、地べたに座るとすぐ足がしびれちゃってご飯も楽に食べられないんです。なので、それを聞いた祖母、2人用のソファーを買って畳の部屋にど~~んと置いてくれているらしいんです。これを聞いたのは実は本格的に夫くんも日本に帰るかどうか決める前でした。でもこの話を聞いたら、チケット代が高くなろうが、とにかく一緒に帰らねば!という気になりましたよ。歓迎して、待っててくれるのは本当に嬉しいんだけど、比重がどうも6:4(夫くん:私)か7:3とかになっている気がして、ちょっとさびしい私。な~んて、帰ったら帰ったらまたいろいろわがまま言っておもいっきり甘えてきちゃうんですけどね~。帰国まであと1ヶ月。1年に1度のことなので、ほ~んとに楽しみです。(このいく前の、あと何日、って数えてるときが何気にいっちばん楽しんですよね~。実際いっちゃうと、ああ、あと何日で終わっちゃう~とどんどん悲しくなるので!)
2008年07月07日
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誕生日は夜うちの近くにあるQuick Chinaにお寿司を食べに行き、そのあとにLivaというケーキ屋さん(+カフェ+レストラン)でチョコレートケーキとおいしいカプチーノを飲み、そのあとお花屋さんにいって紫陽花を買い・・・という風に過ぎていきました。そうそう、誕生日の朝一番には、夫くんから素敵な言葉満載の花柄の素敵なカードをもらい、あ~、ほんとに幸せだな~、とほんわか。誕生日、出会った日記念日のカードは恒例になっていて、振り返って内容を読んでみると、本当に面白い。誕生日に一緒にいられること自体特別だった頃。彼の卒業、彼の就職、私の卒業、私の就職、結婚等々、そのときそのときの「夢」や出来事がつづられてる。その夫くん、5日の早朝から1週間ちょっとの出張に行っています。今回はアメリカなので、再びちょっと長期(3日以上は長期!)。週末ひとりだと、あれ、一人のときってどんなことしてたっけ?とちょっと戸惑っちゃいます。一人ペースを思い出すのにまだちょっとかかりそう。一人で家にいるとさびしくなるので、できるだけ外に出て、家に帰ってきても、なんだかんだと忙しくするように努めてます。昨日は再びバルコンのお花を買いに行って、午後は結構長い時間土をいじってました。近くのスーパーより先の道のりを一人で運転するのはまだ結構勇気がいるのですが、幸い土曜日の午前中だったので道もそれほど込んでいなく、危ない目にあうこともなく快適に運転できました。トルコの道っていたるところに(新しい道でもどこでも)大穴があいてるので、四方八方から突っ込んでくる車、ウインカーなしに突然車線変更する車などと同時に穴にも気をつけなきゃいけないので、かなり気を使います。大きい道のど真ん中の大穴はたいていマンホールかそれに相当するものを設置したはいいが、ちゃんと計らないから、道の表面より15センチほど下がった位置になってしまって、その上はふさげないからそのまま、というものが結構ある。時速80キロとかで普通にその穴の上を通っちゃうと結構なダメージ。気づいて急によけるのもまた危ないし・・・。いつになったら余裕を持って運転できるようになることやら・・・。本日アンカラは曇り。風が結構吹いていて、少し肌寒い感じで。そんなこんなで時間がいつもよりゆーっくり過ぎていっている一人の週末です。
2008年07月06日
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最近突然“ベランダガーデニング”なるものに目覚め、花をちょこちょこ買い集め始めました。本日誕生日で買ってもらったお花私の誕生日のお花は向日葵なんですが(勝手に決めてる)、まだこのあたりの花屋では取り扱っておらず、一季節前の紫陽花が最盛期。とても可愛かったので今年の誕生日の花は代打の紫陽花となりました。その他のバルコンのお花たちそしてサロンの夫君両親の、預かりもののバラ最後に甘いミニトマト君たち来年はバラを育ててみたいなあ、と思います。アンカラの土、バラを育てるのに向いているのかどのアパートのお庭をみても、バラがたわわに咲いてるんですよね。朝起きて、花たちに、おはよ~、今日も綺麗に咲いてるね~、と声をかけるのがとても楽しみなんです、最近。バルコンがお花でいっぱいになったらいいなあ、といろいろ画策しています。
2008年07月05日
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“20代は好きなことを好きなだけやって、でも30までにはまっとうな職に就くこと。(結婚の“期限”は設定してなかったけど)第一子は32歳までに、第二子は35歳までに生む。”5年後10年後どこで何しているかわからないような、先が読めないような人生のほうが楽しい、と思ってきたので、私の人生の“計画”と呼べるようなものは以上のたった2行。普段は誕生日でも淡々と過ごすほうだけれど(Older, but Wiser、の精神で、さらに実年齢が特に問われる環境でもなく)、明日の32歳の誕生日、“第一子”の壁がど~んと立ちはだかっているのか、なんだかいろいろと考えてしまっている。毎日飽きることなく何度でも I love you so much!といい、Sen benim herseyimsin と心から言える、もう彼とこの世で出会って今ずっと一緒にいられるというだけでこの人生の運をすべて使い果たしただろう、たとえそうだとしても出会えてよかったって、心から思える人と一緒にいられる。もう他には何もいらない、って思えるのにもかかわらず、人間の、いや、私の欲の深いことに、子供がほしい (本気)庭付きの家がほしい (夢見るのは自由・・・)などと次々と“ほしいもの”リストのアイテムが増えていくのである。大変な矛盾。問題は、いままで叶った夢や手に入ったものたちに自分が値するほど努力していない、ということなんだろう、と思う。いまだに今この手にあるものたちへの“借金”を返していっている感覚。この“借金”を返し終わって初めて、次のほしいものが手に入るのだろうか?それとも・・・などとぐるぐる考えてしまうここ数日。さて、32歳の抱負。1.仕事に100%力をいれ努力する。2.家事を真剣にやる。3.趣味にも時間を割く。1.ばかりしてても効率は悪くなる。効率のピークを過ぎたら、2や3で気分転換を図る。2はいろいろ研究して楽しくやれたらいいな。目標は“突然の来客にも耐えうる環境”をつくる。・・・設定が高すぎる気が(大いに)するけど、目標は目標。さて、どんな歳になるでしょうか、32歳。楽しみです。
2008年07月03日
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キャーズムの強烈なシュートがポストに当たって跳ね返った時から、なんかいや~な予感がしていました。前半後半通じて攻めていたのはトルコ。ドイツはカウンターアタックを着実に決め、4本シュートをはなって3点(だったかそんなかんじ)をあげる、ある意味効率的な試合で勝利。後半の後半、トルコは本当に疲れきってましたが、かといって要となる選手を変えるわけには行かず。最悪の場合GKとして登録されている選手もディフェンスで使うかも、とか言っていたくらい怪我+カードで9人不在のトルコチーム。いつもは後半、きつくなってきても精神面で盛り上げてくれるアルダやトゥンジャイも不在。本当に厳しい条件で、いままでで一番勝ってもおかしくない試合をしたと思います。ウウル、アイハン、オレリオ、メフメット、ハミット・・・みんなそれぞれの持ち味を存分にだして、見ていて面白い試合でした。キャーズムは後半、飽きちゃうのか、前半ほどの真剣さが見られず。彼、シュートが決まらなかったり、2人のディフェンダーの間からボールを運べなかったりするとどんどんモチベーションが下がっていく気が。逆にひとつでもいい動きが決まるとモチベーションアップ。まだまだ若い選手なのでこれからに期待、でしょうか。試合後、トルコの監督ファーティ テリムが、3つオファーがきているというイタリアとスペイン(だったっけな?不確か)のチームに移るため、この試合でトルコチームの監督の地位を離れることを発表。トルコ人が自身のナショナルチームの監督、っていうのはやっぱりアドバンテージがあると思うのですが、後任が誰になるのかが注目されるところです。5対0とかぼろぼろに負けたらかわいそうだなあ、と心配していた試合。逆にトルコが勝ってもおかしくない試合運びだったからこそ、本当に決勝に進めなかったのが心から悔しい。セミのゴールのあと数分間、決勝進出を誰もが手の届く距離に感じたと思います。心臓に悪かった最後の3試合。ここまでサッカーに真剣になったのは、日本チームの初のワールドカップ進出をかけた試合を見てたとき以来かも。ここまで楽しませてくれたトルコチームに大きな拍手を送りたいと思います!今日のスペイン・ロシア戦、そして日曜日の決勝はのんびりと楽しませていただくことにします。**余談:サッカー関係のコマーシャル、かなり好きです。まずは選手たちのお母様たちにお話してもらいましょう・・・選手のお母さんたち息子と瓜二つ!なひともいますね~。つぎはこれでもか、というトルコ愛国心向上!的CM。なんだかじーんときちゃいます。トルコ1よくこれだけ似ている子達を探してきたものだと・・・感動版さらに、12番目の選手たちもうひとつ好きなのがあるのですが、何のCMか全然思い出せず・・・何度も見たのに。見つけたらまたアップします。
2008年06月26日
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昨日、21日の朝8:30ごろに家をでて、デニズリ行きのバスに乗ったのが10:00.目的地は夫君の教え子二人の結婚式が行われるパムッカレのちょっと先のホテル。ホテルに18:00ごろの着き、結婚式開始が20:00.そして23:30ごろ式場をあとにし00:15のアンカラ行きのバスにのり、うちに着いたのが今朝、22日の7:30.家に入るなり、昨日の今頃家を出たんだよね、となんだか不思議な感覚。・・・というのはさておき、昨日の結婚式、やっぱり育つ環境は大事よね、そして、類は友を呼ぶって本当だよね、っとあらためて思ったので、覚書風日記を書いておきたいと思います。大学に勤務してると、いろんな学生、そしていろんな保護者たちに出会います。割といい大学だけど、やはり学生もピンキリだし、保護者もしかり。そしてほぼ100%、学生の“質”と親の“質”は正の相関関係が見られます。宿題コピーしてつかまって、弁護し雇って裁判に持ち込む学生がいるかと思えば、卒業するにはAが必要だと、試験でほぼ0点取ったのにもかかわらず訴えてくる学生あり。そしてそんな学生の親も、子供をその授業から通さなければ訴えるぞ、と学部長を脅してみたり。そんな話ばかり聞いていたので、昨日の結婚式は、あ、ちゃんといるところにはできる人はいるのね、と思わされたのでした。新婚のお婿さんのほうは大学学部を今月卒業したばかり。夫君の属する学部で、1番だった学生。学部生にもかかわらず、研究もしっかりし、いつも夫君の要望に100%こたえる、たとえ睡眠時間がとれなくても、しっかり成果をミーティングのたびにもってくる責任感のある学生。へたな修士の学生よりも夫君、頼りにしてました。お嫁さんの方は、今月同じ大学の同じ学部から博士号をとったすごく美人でかわいい、そして感じの良い女性。彼女のほうも着実に論文を書き、成果を挙げてきました。トルコではまだ珍しい、女性が年上のタイプの結婚、でも2人とも誠実で勉強家で、仕事をきちっとこなす責任感のあるタイプの学生。とってもお似合いな二人だと思います。結婚式で私は初めて彼らのご両親にお会いしました。お婿さんの方のお父さんはお医者さん。(お母さんはなにをしてられるのかは不明)。お嫁さんの方はご両親とも大学教授。彼女のお兄さんも、とある大学の助教授。夫君がお婿さんのほうのご両親に卒業式であったときに、父親のほうが、“私たちはできる限りのことをしてG(息子)を育ててきました。そしてあなた(夫君)の手にゆだねました。しっかりと導いてくださってありがとうございました”みたいなことを夫君に言ったらしいです。それを聞いて、なんてハンブルなご両親なんだろう!と感動。(それ以前に聞いていた他の保護者の話が強烈なのもあるけど・・・)昨日、その一家を見ていて、大切に育てられたんだな(かといってべたべた甘やかされたのでなく)とっても素敵な関係が見て取れました。教育を大事にする家庭に育って、教授たち、他の人たちにもしっかり敬意をはらえる彼ら。そして、彼らの友人たちも素敵でした。大学関係で彼らの友人たち数人と同じテーブルに着席したのですが、挨拶の仕方からしてみんなスマート。あとから夫君に聞いてみれば彼らも成績優秀な学生たちであるとのこと。一言話すだけで、優秀な学生・人間であることは一目瞭然でした。あー、類は友を呼ぶって本当だなあ、って心から思いましたね。自分が親になったとき、彼らのご両親たちのように、背筋のピンッと伸びた態度で、子供たちに指針を示せるか、お手本を見せられるか。学ぶことが沢山あるように思いました。そして、いい友達に恵まれる、って本当に大事だなあ、とも。夫君の高校・大学時代の友達たちもとっても私は好きなのですが、そんな一生の友達を見つけてくれたらなあ、って思います。環境が人を作る。まさにその良いほうの見本を見たような、爽やかな気分になりました。そして、強行軍だったけど、幸せな2人を見られて、行った甲斐があったなあ、とも。彼らは9月からアメリカの某都市で博士課程の学生+ポスドクとして学びに行きます。将来の明るい彼らに幸あれ!
2008年06月22日
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もう、神が味方した、としか思えない展開。前回のチェコ戦で十分寿命が縮まりましたが、今回は輪をかけて、1分目からどきどきどきどき。心臓がえらい速さで稼動。前半はわりといい試合運びだったけど、後半は動きがとまったトルコ。トルコチームのダイナミズムのかねめ、アルダ、トゥンジャイとも疲れたのかあまり絡んでこない。なんで君がナショナルチームなわけ?と問いたくなるディフェンス、エムレ アシュクにギョカン ザン。自分たちのゴールの前での信じられないクリアミス。あれがゴールにならなかったのは、そして前半のバーに当たってはねかえったシュートがゴールにならなかったのは、本当に神がかりとしか思えない。うまく流れをつかめないまま後半もなんとかしのぎ、延長戦。まずまずの流れだったけど決定力に欠け、最後のパスがつながらない。特に山場がないまま、延長の前半は終わり、後半へ。ニハットが怪我+疲れで出た後、このままPK戦になったらまずいんじゃ?と話してたときに、クロアチアのゴール。なんと119分。クロアチアの選手はもう試合終了の勢いで喜び、フィールドに倒れこみ喜ぶ。あとちょっとだったのに、PK戦までいけばあとは運だから、ひょっとしたらひょっとして、と思ってた望みも、バリ~ンと音を立てて地に落ち。もう無理だと片目で投げやりに試合を追っていた私。120分がやってきて、121分、レフリーが時計に目をやる。本当にあと一歩だったのに・・・と気持ちをしょうがないね・・・ともって行きかけたその瞬間、セミのゴール!!!へ!?オフサイドだったりしないよね、と2度3度確認したけど、正真正銘の122分時のゴール!トルコ、点を入れられないと始動しないのね、本当に・・・。最後まであきらめずにプレーした、選手たちに本当に心から拍手を送りたいです。さて、セミがトルコを救ったわけですが、PKもまさに神がトルコの味方した!?おそらく勝利が本当に目の前までやってきて、遠ざかったというクロアチア選手たちの精神状態は、最後の最後で追いついてPKに持ち込んだ、という上向きのトルコ選手たちとくらべ、不利な状態であったのだと思います。クロアチア選手、3人はずして、トルコの勝利。(それにしてもPKってそれまでチームの勝利に貢献した選手ほどはずす率が高いのはなんでなんでしょう?)もう、鳥肌たちっぱなし。言葉にならない試合展開でした。しかし、今度の水曜日のドイツ戦、十分に戦える人数がそろうのでしょうか?今日の試合でトゥンジャイ、アルダ、エムレがイエローカードをくらい、次の試合は戦えず、ボルカンも次の試合まで出られず。怪我のサルビット、が無理して出てきたり?オレリオは出られるか。走り回って試合をかき回すトゥンジャイ、ボールが運べるアルダがいないのは、かなりの痛手でしょうね。ドイツ戦は、きっと“よくここまできたで賞”をもらう試合になるのではないでしょうか。1%の奇跡にまた期待しちゃったりもして。それにしても心臓に悪すぎです・・・。
2008年06月21日
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興奮冷めやらぬトルコより。チェコ対トルコ、トルコが勝てると思ってた人は本当に一握りだったはず。私と夫君も、前半のとてもみてられないトルコ選手たちに、そして監督にぶーぶー言いながら見てました。前回の試合もそうだったけど、後半、まるで違うチームのように動き出し、後半の前半はいくつか良い攻撃もあり、波に乗ってきたか!?と思ったときに、逆にゴールをくらい、0-2.気分はすっかりあきらめモードに。世界ランキング6位(だそうです)のチェコに、とてもベストメンバーとはいえないトルコが、0-2からどうやったって勝てるとは思ってはいませんでした。アルダが1点目をあげたときも、それほど嬉しくなかったのは、どうせ1点かえしても、これ以上は無理だと思ったから。でも、彼のゴールがチームの雰囲気を“まだチャンスはある!”という方向にかえ、ニハットの2点目。前回の試合もそうだったけど、本当に雨がトルコに幸運をもたらしたとしかいえない、キーパーの手をすべり落ちたボールを、本当によくそこにいてくれたと思うニハットが押し込み。このゴールを見たときは大声で叫んでしまいました!このままいけばペナルティー。ひょっとしたらひょっとするかも!と思っていたほんの数分後、ハミット(かな?)からのとってもいいパスをニハットが芸術的なシュートで完結。ようやくヨーロッパのチームで活躍する彼らの持ち味が出た結果でしたね。でもここで素敵に素直に終わらせてくれないのがトルコチーム。キーパーボルカンのレッドカード。延長、あと2分で終わり、というときに、キーパー不在(いや、天にむかって大きく祈った代理キーパーのトゥンジャイがいたけど)。なんで、勝利目前というときにちょっとの感情を抑えきれないのか!理解に苦しむ・・・。でも普段からボルカン、ゴリラみたいよね、(走り方とか吼え方とか)とおもってたのが証明されたというか。彼のナイスセーブもいくつかあったのに、次回の試合に出れないのはとっても残念。キーパーはルシュトゥになるんでしょうか???この終わりの数分、かなり心臓に悪かったです。終わった瞬間、日本語で(これも無意識に)終わった~!!!と叫んでました。いや~、寿命が数年短くなった感じです。夫君も手に冷や汗かきかき観戦してました :)次は20日の金曜日に試合です。クロアチアと。これこそ望みはないけれど、また奇跡を期待しながら見たいと思います。いや~、興奮した!
2008年06月16日
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このところ毎晩サッカー三昧。2試合もあるのでかなりの時間の無駄。おとといのトルコースウェーデン。前半はその前の試合のような散々なトルコ(しかもすごい雨!)でしたが、後半は持ち直し、いつもは延長でいれらるほうのトルコですが、今回は豪快にいれてくれ、もう大興奮。とりあえず次の試合まで結論は持ち越しました。が、チェコーポルトガル戦も見るにつけ、あのチェコに勝つのはかなりの至難の業。引き分けになっても過去の実績でチェコが次に進むようで、トルコとしてはどうしても勝たなければならない試合です。奇跡を期待しましょう。これまで見た試合で面白かったのは、昨日のクロアチアードイツ、そして少し前のオランダーイタリア。オランダークロアチア戦となれば相当面白いんじゃないかと思います。スピードが全然違います。オランダの選手なんて90分目も1分目も全然変わらぬ走りを見せてましたね。トルコの選手と比べると骨格等、体のつくりがかなり違って見えます。**私のプライベートのほうは、先月末に授業が終わりほっとしているところです。先週末は夫君両親がヤズルックへ移動するというので夫君の運転で12時間、ついたそのときから大掃除大合戦のはじまりはじまり。金曜日に移動して、日曜日の夜のバスで私たち2人はアンカラに戻ってきたのですが、その間、ひたすら掃除、掃除、掃除。腰の弱い私はかなりへたれでしたそしてとにかく一時も座らず休まず働くアンネをあらためて尊敬・・・。ヤズルック管理も毎年毎年いろいろあって大変そう。何ヶ月も滞在するって言うんじゃなきゃ、ホテルのほうが断然お安い感じです。ひと時でしたが海からのさわやかな風にあたれていい気分転換にもなりました。また来週末はデニズリで行われる結婚式に出席予定。これも午前中のバスでアンカラを発ち、夕方デニズリ到着、そのまま結婚式に出席、そしてその日の深夜のバスでアンカラに戻るという強行軍になりそうです。ホテルに泊まってのんびり~、も良かったけど、夫君がとにかく締め切りに追われて大変そうなので。この夏は近場に週末旅行に行きたいね~、と夏が始まる前に話していたのですが、“予定外”の長距離(でも強行)旅行におされ気味。サフランボルやアマスラ(あれ、アマスヤだっけ?黒海のほう)にも行きたいです。アンネたちがヤズルックに行ってしまったので、週末の食事+月・火の食事も全部自分でやらなければなりません・・・。あ、でも昨日作ったバムヤ料理は結構いけました :)私がお料理を勉強する良い機会なのかも。 皆さま、気持ちの良い初夏をどのようにお過ごしでしょうか?夏大好き人間の私はもう毎日うきうきしてます。半そでで外に出られるだけで(今日はちょっと寒いけど)幸せ!
2008年06月13日
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日本人のイメージはもちろん国によっても人によっても大きく異なるものだけれど、結構“古典的”なイメージも壊れないまま残っていたりする。“古典的”というと語弊があるけれど、まあ、大雑把に言って私の祖母の世代くらいまでに作り上げられた日本の、もしくは日本女性の、男性をたて、3歩下がって良妻賢母・内助の功、みたいな時代のイメージ。“アメリカの家に住み、中華料理を食べ、日本人を妻にする”というのはいつの時代にいわれ始めたのか知らないけれど、この表現に表される日本女性のイメージが、場所によってはまだまだ根強く残っているのではないかと思う。ついでに、勤勉・目上の人には敬意を払う、等々の美徳もひっくるめて。ここトルコでは結構まだ残っている気がする。もちろんいろいろネガティブな評判もあるでしょうが、一般的に。このイメージ、時に得することやいい気分になることもあるけれど、日本人だからといってこれを期待されるとちょっときついものがある。夫君には結婚するずっとずっと前から、しっかり、“あなたのそのイメージは私の祖母の世代までで、悪いけどそこまで尽くせないわ”、と言ってある。夫君、あきらめきれず悪あがきをすることもあるけれど、そんなあがきも“だめもと”の精神でやってたりする。しかし、だ。この良妻賢母・内助の功イメージをそのほかの人に期待されると、なんともこそばゆい、というかもぞもぞした気分になる。悪いイメージではないので、期待を無下に裏切るのも悪い気がするのだが、それにしても、私には無理だという要素が多すぎ、無理すると仮面が簡単にぺろっととはがれそうになる。なんでこんなどうでもいいことをこの週末考えてたかと言うと、金曜日に夫君家族とともにちらちら見てた、例のvar misin yok musunのプログラムのなかで日本人女性が話題になり、ある参加者の母親の日本人女性への評価が100%ポジティブなのを聞いたからなのだけど。期待されちゃうと期待にこたえたくなっちゃうけれど、(pause) ね~。と思ったわけなのです。幸い義理の両親はそんな期待も持たず(しっかり見抜かれているのでしょう)、ありのままの私と接してくれるのでありがたい。週末夕食・朝食をご馳走になって、日曜日も大きい袋2つ分の夕食(月・火の夕食)もたせてもらって嬉しそうにしてる私を見れば、あっという間にお見通し、ですよね~。ポジティブ日本人イメージに皆さんはどう答えてらっしゃるのか、気になるところです。
2008年05月12日
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今年に入ってからそれまでののんびり生活とは180度転換、仕事をはじめ自動車の教習所にも行き、となんだか時間におわれる生活を送っています。教習所は無事に先週末に終わり、あとは免許を受け取る手続きをするのみ。念願の免許がこの年にして初めて手に入りました。今日は家から仕事をしているのですが、雨が降ってるなあと思ってふと外を見ると、大きな、しかも完璧な半円の虹を発見!いそいでバルコニーにでて写真撮影。虹は5分くらいで全部消えてしまいました。虹なんて本当に久しぶり。それも半円全部みえるなんて!なんだか良いことありそうな、そんな気にさせてくれる虹。寒い日もあるけれど、確実に春の訪れを感じるアンカラからでした。
2008年03月18日
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昨晩午前1時50分ごろアンカラで地震がありました。中心地となった町ではマグニチュード5.5、だったとか。私の住んでいるところでは体感2.5-3くらいの揺れでした。10階建ての建物の10階に住んでいるので少しの揺れでも、“ポキッと折れはしないだろうか”(細長い建物なので)、“活断層の上に建てられてはいないだろうか”(トルコでは十分に有り得る)、などといらぬことを考えてしまい怖さも倍増します。地震大国日本を抜け出して、再び地震の多い国トルコに住み始めて、あ~、地震とは一生おさらばできないのね、とあらためて思ってみたり。トルコ、地震が多いのに、地震に関する教育が(今はあるかもしれません。少なくとも夫君の世代までは)、ほとんどなされていません。なので、ガスを止める、机の下に隠れる、おさまったら玄関のドアを開けて避難路確保、万一逃げるときは靴を必ず履く、等々、地震が話題に上るたびに言ってきました。バイラムの初日、そして昨晩、と今までほとんどなかった地震がアンカラでも頻繁に感じられるようになって、真剣に、地震がきたらどうするか!を1枚の紙にまとめて親戚にまで配ろうと思っているほどです。週末には非常用の袋をつくろうっと。地震が終わってテレビをつけて待つこと・・・しばらく。日本だと地震が終わってすぐにどのチャンネルでも速報で、どこどこでどのくらいの地震が発生、津波のおそれは云々ってテロップがでるのに!とブツブツいいながら。地震発生午前1時50分。2時過ぎのニュースで地震が発生しました、というのをやりましたが、どのくらいの大きさで震源地がどこかなどの具体的な情報まったくなし。地震があったことくらいしっとるがな!と納得のいかない思いでテレビを切りました。夜中に地震の恐怖に凍ったアンカラの町でした。***そして一夜明けて今日。文字通りアンカラの町は凍っていました。(寒くって、着替えて外に出て素敵な写真にしよう!というような気は一瞬にして消え去ったので、ベランダからの杜撰な写真で失礼します。)昨晩はマイナス6度くらいありました。今は日中ですが、結構寒いです。マイナス・・・どのくらいでしょうか?まだ雪はほとんど降っていないし本格的な冬の到来はまだかなあ、なんて思っていましたが、確実にさむ~い冬はやってきているようです。
2007年12月27日
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ポインセチアはもともと木なんです。ということを知ったのは去年ポインセチアを買ってから。購入してから1年と1-2ヶ月たちました。私の体重も1年前と比べ随分増えましたが、我が家のポインセチア、ユッカほどはさすがに1年じゃ成長しません。もう新たな植物を買っても置く場所がないくらい成長してくれた木々を本日はご紹介。1年前のポインセチア: そして、1年後のポインセチア。一番でっかいのが上の写真のポインセチア。その手前の小ぶりのポインセチアは上のやつを買った時に折れた2本の枝をさして育てたもの。赤くないのは私が短日処理をおこたったため。数日黒のビニールを夜かぶせたりしましたが、大きいのでなんだか枝を折りそうだったのと、めんどくさくなったのとで緑のまま放置。枝も好きなほうに好きなように伸びていただいております(=剪定などもせず)。さらに結婚して最初に買ってきたユッカと名のわからぬ(調べればきっとすぐわかる)葉っぱも夏の不在時に夫君の友人に預けたころから豪快に成長し始め、こちらもわっさわっさとしております。1年ちょっと前: 現在:写真でクリアに見えるかどうかわかりませんが、手前に見えるひょろりとした植物は、この夏に採集した(食べたあと保存)アプリコットの種を育てたもの。来年夏にヤズルックに植え替えるのを目標としておりますが、どうなるでしょうか。桃なんかも植えてみたんですがいまだに芽が出ず・・・。アプリコットばかりあってもしょうがない、と植え替えを拒否される可能性も無きにしも非ず。夫君両親宅には去年育て始めたアボカド君が1メートルほどに育っています(夏不在時に預けたままになっています)。それも来年ヤズルックに植えてやろうと思うのですが、どうやって運ぶかが鍵となっております。ああ、庭のある1戸建てに住み、サツマイモやらメロン(の種も大量に保存中)やら思い存分作ってみたいものです。(サツマイモも芋から育ててみましたが夏の間死亡・・・)
2007年12月26日
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昨晩今シーズン初めてクラシックのコンサートに行ってきました。いつもはこの大学付属のオーケストラが演奏するのですが、今回はウイーンからやってきたシュトラウスフェスティバルオーケストラのコンサートでした。クリスマス、もしくはニューイヤーコンサート(いまだにニューイヤーコンサートを年内にやるのに納得がいっていないのですが)というプログラムで、小曲を合計23曲!ポルカあり、ワルツあり。実に華やかなコンサートでした。うち数曲はサーモンピンクの素敵なドレスに身を包んだ可愛いソプラノを交えて。さらに数曲はバレー団(・・・10人ほどですが)とあわせて。オケ自体は指揮者の体調が悪そうだったこともあるのか、正直期待していたほどではなかったのですが、バレーと素敵なソプラノの歌声に見惚れ聞き惚れ楽しい時間を過ごせました。ほぼフルオケーケストラでの演奏だったと思いますが、なんせホールが小さめなのでオケの前で踊るバレリーナたちがちょっとかわいそうでした。見ているほうもオケのヴァイオリンやチェロとぶつからないだろうか、バレリーナ同士ぶつかっちゃわないだろうか、とはらはら。もちろん踊る当人たちはプロですからそんな環境でも素敵な笑顔で華麗に踊ってくれるのですが。最後はお決まりのラデッキー行進曲でしめ。観客も慣れたもの。フォルテ・ピアノと使い分けた手拍子とともに、3時間にもわたるコンサートは終わりました。久しぶりのコンサート。リラックスしてとても心地よい時間でした。***今週末、28・29と今度は大学付属のオケによるニューイヤーコンサートがあります。28日の分は売れ切れているみたいですが29日分は最近追加された公演なのでまだチケットはあると思います。値段も20リラとお手ごろですので、アンカラにお住まいの方は是非どうぞ!(ちなみにニューイヤーコンサートだけ値段が高くってそのほかのコンサートは10リラです)曲目はクラシックと映画からの音楽をあわせた演目でこれまた楽しい演奏会になりそうです。***私と出会うまではあんまりクラシックとは縁のなかった夫君も、一緒にいろんなコンサートに行き、知っている曲も徐々に増えてきて今では普通に一緒に楽しんでいます。私の母が父をゼロからクラシック好きにしたように、私も夫君をクラシック好きにしたいなあ、という計画が徐々に達成されつつあります :)
2007年12月25日
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4日間のクルバンバイラム(イスラムの犠牲祭)が終わりました。3日間かけて家中のカーテンをすべて洗い、窓を拭き、ほこりを払い(・・・普段怠けている証拠)・・・と大掃除をしたのにもかかわらず結局我が家には誰も訪れず。・・・4日間ずっと夫君の両親宅にいたので当たり前ですが・・・ははは。去年は牛さんを“犠牲”にしましたが、今年は夫君はメフメットジックバクフ(戦闘で犠牲になったトルコ兵の家族を支援する基金)へ、両親はミグロス(スーパー)に頼んで羊さんを一頭カットしてもらいました。ミグロスの宣伝では“あなたの名前でカットし、パケットにして10リラエクストラ払えば自宅までお届けします”とあったので、てっきり肉コーナーで売っているような小分けのパッケージにしてやってくるのかと思っていたら、1頭の羊さんが6枚(足4本、胸部2枚)に“おろされて”届けられました。台所でせっせとさらなる解体作業をした私たち。カプジュさんたちにあげる分、自分たちで食べる分、そして“ごみ”となる部分を猫さんたちへ、と分けました。羊さんの足をガッツリつかんで肉をそぎ落としてるとき、ふっと、石器時代から人間はこうやって肉を食べてていまもかわらないんだなあ、と思っちゃいました。肉が動物の原型に近ければ近いほどいろいろと考えさせられます。***我が親戚、ほとんどみんなアンカラにいるにもかかわらず、私たちは普段そんなに会うこともなく、人によっては“バイラムからバイラムへ”とバイラムしか会わなかったり。そんな親戚でもバイラムとなれば、訪問し訪問されで、最低2回、親戚宅でかちあうこともあるので、多い人は3-4回、と短期集中型で何度もあったりします。訪問するたびにボレッキ、バクラバ(複数個)、ドルマ等々を出され、家ではカブルマ(クルバンのお肉をいためたもの)を食べ、と大幅に摂取カロリーオーバー。あまーいバクラバにカイマクをぬりたくって、おいしい~!とぺろりんとたえらげる自分に驚きもし。今週からもちろん再びジムに足しげく通わなくてはなりませぬ。バイラムのお土産に夫君両親に、今年は体脂肪もはかれる体重計をプレゼント。(週末にいつも私たちもあの家に行くのでもちろん自分たちも使うことを考慮に入れ!)で、早速私もはかってみたら、なーんと20キロもの脂肪の存在があらたに・・・・。20キロ、ってかなりまずいです。真剣に運動です。***俗に言う“国際結婚”。いろいろと問題が取りざたされたりしますが、こういうバイラムなどの時には便利ですね。“最初の2日はあなたの実家で、そのあとの2日は私ね!”とかそういう議論にならない(なれない)から。4日間ど~っぷり夫君の実家に入り浸っても心の葛藤一切なし。夫君の従兄弟がこのバイラム中、クズイステメ(結納の前の意思確認みたいなプロセス)へと相手の家族の所に行ったのですが、行く前から、相手の家族の宗教観、支持する政党等々を話し合っているのを見るにつけ、トルコ人でなかったらからの問題もいろいろあったけど、結婚相手がトルコ人ならトルコ人でいろいろとあるのだなあ、結婚って大なり小なり家族同士でいろいろあるのだなあ、とあらためて感じてしまいました。***今年も残すところわずか。ニューイヤーにはターキーを焼こうかしらね、というアンネの言葉に心躍る、年の暮れです。
2007年12月24日
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久しぶりのトルコ国内旅行です!ベレック(アンタルヤの近く)で来週会議がある夫君。ちょっと早く車で出て、コンヤ、アンタルヤ近郊都市を観光しつつ、ベレックへと行くことにしました。私はもちろんお気楽付き添い係。考えてみればトルコ国内を旅行したのは去年の10月ごろにブルサに行って以来。1年ぶりの国内旅行です。行きたいところは沢山あるけど、やっぱり日ごろお疲れの夫君+運転手1人(私運転できず)、と言う状況からあんまり行けていません。なのでなので、久しぶりの旅行、本当に楽しみです。さらに、なんとちょっと前にはじめてここにコメントを残してくださったyelizさんともお会いする予定!本日、夫君がオフィスから戻り次第出発です!バイラムの初日に戻ってきます~。では、いってきま~す! (浮かれすぎです、私)
2007年10月05日
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この間アンカラの土日基金のホームページを見ていたら、横からのぞいてた夫君、そのページにある ミニ辞書 に気づいた。土日基金 ミニ辞書空港で、ホテルで、買い物で・・・とケース別に、トルコ語の次に日本語で、そしてローマ字でかかれた日本語の発音、という風に例文が載っている。それをひとつひとつ得意げに発音する夫君。でもそのページ、てにをは の “は” が ha と書かれていて、夫君が読むとほかの いろ “は” ありますか? (いろ わ、ではなく)になってしまう。これは “は”って書くけど “わ”って読むんだよ、とひとまずクリア。さらにそのページの一番下に “言葉”とかかれた、単語帳になっているページがある。夫君にはもとは英語の単語を日本語読みするのがすごく面白く聞こえるらしく、Biiru (ビール)、Suupu (スープ)等、面白がりながら一つ一つ読んでいた。夫君の発音するカタカナ語もなんだか微妙に日本語のイントネーションとはちがって妙に可愛く私も面白がってリストを下へと進んでいってた。しばらくしたら体のパーツに関する単語がちらほら見えてきて、・・・・夫君、突然ウ* (“い”と“う”の真ん中のような音で トルコ語の Iの点なし)と言い放った。????そもそもIの点なしの音は日本語にないし、一体なんだ?とリストを見てみれば胃と書かれた横に、ローマ字の大文字で I と書かれていた。そう、トルコ語ではIの点なしと点付があるため、点付の普通の "i"の場合は大文字でも点をつけるのだ。大文字で点がなければ当然 I点なしの発音となるのです。得意げな夫君とおもわぬ“胃”の発音にお腹をかかえて大笑い :)もしトルコ人がウ*といってお腹の辺りをさしたらそれは 胃です、みなさん・・・、なーんて :)(その横でトルコ語で胃ってなんだ?とこっそり辞書をひく私。人を笑っている場合ではありません ;)
2007年10月02日
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結局先週の火曜日から日曜日までほぼ一週間、義両親宅にお世話になってきました。金曜日には夫君が無事に出張から帰ってきたので、いったん自宅に戻り、再び夜2人で義両親宅にとまりに行き、結局それから2泊して昨日(日曜日)戻ってきました。結論から先に書くと、アンネとの関係はまたひとつの節目を迎えました。結婚前がマイナスだとすると、これまでの1年はゼロと1の間、昨日、ようやくくっきりと1 プラスアルファへと移行できた、と言えるかもしれません。今振り返ってみれば、彼女をアンネと呼べなかった理由は2つ。ひとつは自分の母ではないひとを母、と呼ぶ抵抗感、もうひとつは彼女自身、私からアンネと呼ばれることを受け入れられるくらい、気持ちの整理がついているかどうか、ということ。夫君にもう半年くらい前に、もうアンネって呼んでも大丈夫かなあ、と聞いたら、(無責任にも!)彼女自身に聞いてみたら?、と。ヤズルックで一緒に3週間過ごした時も、聞こう、聞こう、と思いながら結局聞けず。その間、遊びにきた親戚の叔母さんはあなたのアンネに***とかあなたのアンネが***とか、私たちが呼び合わないのに気づいて、手助けしてくれてたのですが・・・。そして今回。夫君のお父さんは血圧等に問題があるため断食をしていないので、早朝の朝食、サフルはアンネと私の2人だけ。そのときに聞こう、聞こう、聞こう・・・・と、毎日のように考えていたけど、なかなか聞けず。でも、最後の日、日曜日の早朝、ついに聞きましたよ~!“もう あなたを アンネって呼んでもいいですか?” って。そしたら、“アートゥク エベット、(もう いいわよ)”、と。ちょっとはにかみながら。そして彼女も、“私はあなたを ***(私のトルコ名) と呼びたいと思うけどいい?”と。本当は本当は、私の名前を呼んでもらいたいけど、そこにまだちょっと彼女の壁がうすっら残ってるのかもしれない、と思い、今の時点では、“それでいい”、と、言いました。日曜日、朝起きたらすぐ帰ってきちゃったんで、実際にアンネと呼ぶ機会はまだなかったのですが、これからはちゃんと呼べそうです :)夫君が出張に行く前に渡した1年前の結婚式当日のスタジオ写真の引き伸ばし。(30X40くらい)1週間、ずっとサロンの椅子に袋に入ったままおいてあったのですが、その日曜日の朝、それを袋からだし、サロンのどの壁に飾るのがいいかしらね、と私たちに聞いてきたのです、アンネ。あ~、こうして一つ一つ、残っていた氷の塊が解けて行ってくれるといいなあ、と心から思いました。***さて、義両親宅での1週間。年とともにずうずうしくなるのか、なーんにも気を使わずに(ってちょっと違うか)、大変快適に過ごしてきました。アンネ、本当に1日中家のあちらこちらを掃除したり、料理したり・・・と一瞬たりとも座って休んでいないかのように過ごしているのです。彼女が働いているのに私がのんびりしてるわけも行かず、私もお掃除要因としてがっちり働きました :)体を動かしていると時間が早く過ぎて、あら、もうイフタル?、となるので結構よろこんでやってました。夕飯を作らなくていいし(いつもいつの間にかできている・・・私は食後片付け隊に徹す)、とってもお気楽生活。ちょうど3夜連続でUEFA CUPの試合があってババと一緒に試合をテレビで観戦したり。思っていたより断然快適でした。今後も、金曜日の夜からまたお泊りに行こう、とひそかに企んでいる私なのでした。***これまでこのブログ、もしくは個人的なコンタクトでアンネをめぐる問題を聞いてくださり、アドバイスをくださった皆々様、本当にありがとうございました。まだこれからいろんな局面で新たな問題が出てくるかとは思いますが、とりあえず、この問題、考えていたよりも随分早く良い方向に向かうことができました。いろいろと本当にありがとうございました!またこれからも引き続きよろしくお願いします。
2007年09月24日
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夫君出張のためさびしんぼ生活を送っております。義両親、心配してくれて、こちらが電話を入れない日は電話してきてくれます。出張初日、無性に寂しかったので、一人で過ごすのもご飯食べるのも寂しいよ~、と泣き言を言ったら、うちにいつでも来ていいからね、とあらためて(夫君が行く前も言ってくれていたのですが)誘ってくれました。なので、お言葉に甘えて今日から数日お邪魔することにしました。夫君抜きで義両親と過ごすのは初めてな気がします。言葉の壁がまだまだど~んとあるので不安でもありますが、楽しく過ごせればなあ、と思います。義両親宅は車で行けば30分くらいでしょうか。私はここからでいているセルビスにのり、そこから30分くらい歩いて行く予定です。初めて行く道のりなので、迷わないかどうか心配・・・(筋金入りの方向音痴なんです・・・)去年の今頃はまだ義母の感情が複雑で、彼が義両親宅を訪問した際も私は車の中で待っていたこともあったけ・・・(遠い目)な~んて思い起こすと、まあ、この1年の間に随分良い変化があったものです。まだ若干しこりがある感は否めないのですが、これを機にもっと仲良く慣れたらいいな、と思います。ところで・・・まだ、私、アンネ、と呼ぶのに成功していないのです・・・・そして彼女も私の名前を一度も呼んだことがない・・・・この壁も今回崩せたらなあ、と思うわけです。さて、どうなることやら。万事平和に過ごせますように・・・・
2007年09月18日
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サッカーはもう小学生のころから大好きで、中学ー高校の時にはどっぷりJリーグブームにつかり、お正月の高校サッカーも国立競技場まで足を運ぶほど。サッカー好きの国に住むことになったのも何かの縁でしょうね、ほんと。ただ、サッカー、この国の女性はあんまり興味がないよう。もちろん好きな人もいるようですが、いままでの感触でいうと・・・1割くらいでしょうか。なので私が親戚のうちなどで男性陣にまざって真剣にサッカーの試合を見ていると、必ず、**(夫君)が好きだから見てるの?それともサッカー好きなの?と聞かれます。ずっと夫君と一緒にスタジアムにフェナルバッチェの試合を見に行きたいよね~、と話していたのですが、この間、ついにその機会が。アンカラには4つのチームがあり、それらと試合をするときにフェナルバッチェもアンカラまでやってくるのです。いろんな人に、試合開始時間3時間前くらいにはスタジアムについている必要がある、と脅され、6時試合開始のところ、うちを3時半ごろ出ました。スタジアムに着いたのは4時ちょっと過ぎ。(でもこの3時間前、っていうのは結局チケットも前売りチケットがなかった時代のはなしだったよう・・・ぜんぜん待たずにスムーズに入れたので結局2時間丸まるスタジアム内で待つ羽目に)チケットはあらかじめ買っておいたのでそのままゲートへ。まず、ゲートでペットボトルの飲料は全部捨てていくように言われます。どうりでゲート脇にはペットボトルの山が・・・。しかりペットのお水を準備していた私たち、その場で飲み干します。あと待ち時間2時間+試合1.5時間あるのに、水なしで過ごすと言うのか、この暑いのに・・・とぞっとしました、正直。ゲートを通った後は身体検査およびかばんの中検査。こんなのはトルコではもう当たり前なのではいはい、と従います。(野外コンサートに行ったときもそうでした)そしてスタジアムの入り口へと向かいます。座席の種類によりきまった入り口から入るのですが・・・これは牢屋への入り口か、と思わせるほど厳重な警備および脇から絶対するっと入られないように鉄のバーがずらり。人一人しか入れないゲートです。これを通過した後も再び身体検査+所持品検査。私は何も持っていなかったのですが、夫君はもっていたバックパックの一番小さいポケットまで開けて調べられた、といいます。幸い何も没収はされませんでした。(それを恐れて携帯まで家においていったのですから!残念ながらカメラもお留守番でした)私たちの座席は相手チーム側のサポーターの座席との境目でした。境目とはいえ、鉄の網が張り巡らされているので行き来するのは不可能。さらに、その手前には警官がずらりと並んでいます。今回行った試合のアンカラ側のチームは本当にサポーターも少ないチームで、がら~ん、としており、私たちの座席に隣接する座席にはひとっこひとり座っていなかったので、安心して座っていられました。これがフェナルバッチェーガラタサライ、の試合だったら、結構危険だったかもしれません。さて肝心の試合は1-1の引き分け。相手は弱いチームだったので勝たなきゃいけない試合だったのですが、なんだかフェナル、いまいちでした。ただ、今期からやってきたロベルトカルロスの華麗なボール裁きと試合を読む力には感動でした。監督ジーコは向こうサイドだったのでちいさくしか見えませんでしたが・・・。あ、お水はスタジアムの中で、飛行機の中で配っているようなやわらかい容器に入っているお水をひとつ1リラで売りにきていました。500ミリのペットボトルのお水がスーパーで1リラしないことを考えると、劇高ですが、まあ、しょうがないでしょう。アンカラのチームサイドには50クルシュで売ってるんだろう!と買っている人が冗談で言っていましたが、真相はいかに?フェナルバッチェの私のお気に入りの選手はずっとTuncayだったのですが、彼は今期からいなくなってしまったので若干私のフェナル度も下がっていたのですが、今回ロベルトカルロスとさらに新しく来たコリンを見て、よし、またフェナルを応援しよう、という気に。チームができてから100年目の今年。また優勝してほしいなあ。(でも今年はガラタサライのほうが良いチームに仕上がってるみたいだなあ・・・と思ってみたり)
2007年09月17日
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前回の日記からかな~り時間があきましたが・・・気を取り直して再開です。前回の日記から今回の日記までの間にもいろいろネタになるようなことが起こったのですが、まあ、それは追々。(ボドルムでコンサートに行ったり、アンカラでフェナルバッチェの試合にユニフォームを着て見に行ったり、Fazil Sayのフェナルバッチェシンフォニーのコンサートに行ったり(Fazil Sayの彼女は日本人だそうです!)夫君の友達の結婚式に行ったり、はたまた民間のジムに通い始めたり、新品のコチジャンを床・壁・自分問わずばらまいたり(泣)・・・)さて、本日ラマザン4日目。トルコでの私のラマザン体験2回り目。ちなみにアンカラの断食始まり時間は本日午前4時56分、終わり時間が午後7時08分。去年に比べてやはり夕飯が遅い感があります。去年は新婚だったこともあり、また初めてにラマザンだったということもあり、かなりまじめに早朝(真夜中)に食べる朝食も起きてから作っていましたし、夕飯もスープ、サラダ、前菜から始まるフルコース(?)、でした。さて、かってがわかった今年・・・最初の2日は寝る前に朝食プレートを全部用意しラップして冷蔵庫へ。起きてからスープを温めお湯を沸かして紅茶を作り、あとはプレートをテーブルに並べるだけ、という超手抜き戦法。きゅうりなどが妙につめたいのが玉に瑕ですが。さらに、3日目からは夜中の4時ごろまで起きていて、朝食を食べてから寝るー昼ごろおきる生活をはじめちゃいました・・・。と言うのもですね、おとといの夜から夫君がアメリカ出張中。しかも1週間。というわけでお一人様お気楽生活なわけです。ずる~い、と自分でも思いつつ、朝食を寝過ごすのを恐れて(夫君がいるときは夫君に起こされている私です・・・)こういう形に。まだ初心者(?)ということでおゆるしを~。それにしても、一人暮らし暦7年ちょっとと一人には慣れていたはずが、やっぱりいるのが当たり前の人がいないと本当に寂しいです・・・。なんといっても一人の食事が非常に寂しい。・・・これが10年とかたつと出張ラッキ~となるのでしょうか?断食は・・・まだ体が慣れていないので頭がうまく回転していない感がありますが、空腹もそれほど苦にならず、ごく普通に暮らしています。血糖値が下がるのか、無性にチョコレートが食べたくなります。断食の意味の一つに、食料のありがたさを思い起こして、満足に食べるものがない人たちのことを身をもって知る、というのがありますが、私の断食は、この時間になれば食べ物にありつける、という“安心感”に基づいたもので、いつ今度おなか一杯食べられるかわからない、という環境での空腹感とはぜんぜん違う経験なのだと思います。まだまだ始まったばかりの今年のラマザン。いろんなことを考えてみたいと思います。
2007年09月16日
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2002年秋にスタートしたPh.Dのプログラム、2007年6月のおととい、すべての過程を終了しました。仕上がった博士論文、244ページ。5年かかって生んだ子供のようです。卒業証書・ディプロマはトルコまで送ってもらえます。無事に着きますように・・・。終わるまでは終わることが最大の目標でした。卒業せずにトルコに移住し、結婚式を終えてからもずーっと卒業しなきゃ、終わらせなきゃといつもどこかで考えてて。うまく進まなかったときは結構ストレスにもなって。両親や親友たちからの励ましももちろんだけど、やっぱり無事に終了することができたのは、夫君のあらゆる協力、励ましがすごく大きかったです。自分も仕事で睡眠2-3時間で疲れているときにも、プログラムのコードを見て直してくれたり、出来上がった章の英語を校正してくれたり。本当に心から感謝です。さて、終わって無事にPh.Dを取得した(実際には夏の終わりの卒業ですが)今、何がわかったかというと・・・これが始まりだということ。ゴール!と思ってテープを切ったらすぐそのあとにもっときついコースのスタートが待ち構えていた、というような感じでしょうか。確かに取得できた達成感はあるけれど、これを今度は生かさなければ正直これを取った意味がないわけで。次の目標は希望するところに就職すること、そのためにジャーナルに論文を何本か載せること。このコースは短いコースだけど、重要度の高いきついコースになりそうです。それをクリアできたら、その次は就職した先で実績を残していくこと。夫君を見ていると博士論文を書くなんてたいしたことじゃないかも、と思わせる仕事ぶり。リサーチだけに専念できた学生時代なんてティーチング+リサーチ+その他もろもろをこなし、目に見える実績を毎年しっかりあげていかなきゃいけないアカデミックな生活に比べたらかわいいもの。教授職に就けるかどうかはまだわからないし、英語で教えられる大学が限られていることもあり、かなり厳しいものになるでしょう。直接教授職に就けなかったらポスドクを探そうと思っていますが、これもどうなることやら。でも、とりあえずはやりたいリサーチができる環境、というのを第一に、あきらめずに就職活動したいと思います。ここまできたのだもの、あきらめたら過去の自分に申し訳ないですよね。がんばります。***さてさて、堅い話はこのくらいにして。終わった~ということで、昨日、シアトルに移ってきました。夫君とも3週間ぶりの再会。それも2人が出会った町で、ということで、なんだか感慨深いものがあります。初めて2人でいった映画館、レストラン等々、素敵な思い出がたくさん詰まっています。こうして2人で、それも夫婦として大学に戻るって本当に不思議な気持ちがします。きっと日本に帰ったら何にもしないから、ここに滞在中は論文を書いたり、やりたいプロジェクトのプロポーザルを書く準備をしたりしたいと思います。もちろんパイクプレースマーケットに行ったりダウンタウンに行ったりもしますよ~!アンカラ徒然、(しばらくアンカラからではないけど)ぼちぼち再開です。どうぞ今後ともよろしくお願いします。
2007年06月14日
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ご無沙汰しております。もうしばらくして落ち着いてから再びブログを再開しようと思っていたのですが、爆弾事件があったので、無事でいる事をお知らせする意味で簡単にアップしたいと思います。爆弾事件で亡くなった方々のご冥福をお祈りします。亡くなった方の1人は、その週末に行われる自分の結婚式で着る服をあの日、ウルスに取りに行っていたのだとか。本当に悲しくなります。幸い、夫くん、義理の家族、親戚一同現場にいあわせることなく無事でしたのでお知らせします。気にかけてくださった方々、ありがとうございました。私が爆弾事件を知ったのは、アンカラの日本大使館の方から無事確認の電話が携帯に入ったときでした。まったく事件の事を知らなかったので、はあ・・・とかなり間抜けな対応をしてしまいました。こう、うまく思考回路が機能しなかったというか・・・というのも、私、その電話を受け取った時、アメリカの某都市にいたのです。(現在も滞在中)トルコに移住する前に結局卒業せずに行ったので、今年に入ってから必死で研究活動をし、現在大学に戻っています。6月7日に口頭試問があり、それを乗り越え、修正し、期限までに博士論文を提出すれば、無事に卒業、となります。インシャッラー!今も必死に最後の仕上げをしています。ここには6月13日まで滞在。その後、西海岸の某都市で、この夏1ヶ月そこで仕事をする夫くんと落ち合い、トータル2週間ほどそこに滞在します。私はそこから日本に飛び、日本には1ヶ月ほど滞在する予定でいます。日本からの帰りのルートがすごくって、九州某都市ー韓国ー上海(半日滞在)-ミュンヘンーアンカラと2日がかりです。チケットを遅く取ったのがいけないのですが。というわけで、この2ヶ月半で地球を1周ちょっとすることになります。飛行機も好きで苦にならない私ですが、さすがにこれだけ乗ると、もういや~、となるかしら?そうそう、行きがけにのったルフトハンザ、まだ新しい飛行機だったのですが、トイレがエコノミー部分から降りた“地下”部にあったのですよ。公衆トイレみたいに6つ7つ並んでいました。へ~、これなら狭い通路にトイレ渋滞を起こさなくっていいんだ、と感心しました。なんだか結局長くなってしまいましたが・・・。無事にすべてが終わったら、また更新したいと思います。
2007年05月26日
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日本国内以外で私が日本人だということを100%言い当てられるのはトルコ人の子供たちくらいだろう。(そして彼らは、目が一重のアジア顔の人たちに一様に“ジャポン (日本人)”といっているだけなのかもしれない)日本国内でも中国人に中国人だと間違えられたことのある私。アメリカでも9割以上の確率で初対面では中国人だと思われた。何人に間違えられるか、というのはおそらくその地に何人が多いか、にも大きくよっていると思われるけれど、日本人より中国人が多い場所だから、というのを考慮に入れても、それ以上に中国人だと思われる私。夫くんは割りと日本人を他のアジア人と見分けれるので、私のどこが日本人的でないか、を一緒に真剣に考えたこともある。どうも全体的な雰囲気や服装が日本人のプロファイルにマッチしていないらしい。いまや間違えられても全然気にしないし、逆に“非日本人度”があがっていっているらしいことを楽しんでいるのだけど。そんな他称“中国人”の私がトルコにやってきて・・・・他称、違う国の人へと変化した。3週間ほど前、友達を待ち合わせをしていたホテルのロビーで、突然1人の女性にトルコ語で、“トルクメニスタンのデリゲートは どーのこーの(理解できず)”と勢い良く話しかけられた。そのホテルでやっていた歯医者の会議の参加者だと思われたらしい。その時は、ほー、トルクメニスタン人に初めて間違われたぞ、と感心しただけだったけど。本日、いつものスーパーで買い物をしていたら、また1人の女性が突然、“あなたはトルクメニスタン人ですか?”と話しかけてきた。彼女自身がかの国出身なのかは見かけでは判断できなかったけれど。確かにTOMERで見たトルクメニスタン人の中には、お、日本人にもこういう顔の人いるな、って人が結構いたからきっと両国人はある程度似てるんだろう。さらに、トルコではあきらかに中国人に出会う確率よりトルクメニスタン人に出会う確率のほうが高いから、トルクメニスタン人と推測する方が正解率が高くなるのだろう。というわけで、トルコではわたくし、他称中国人ではなく、他称トルクメニスタン人ということになってきました。まだ2件だけだからサンプルが足りないけど。ちなみにこの間出産した従姉妹の旦那さんもタタールが入っているらしく目が一重。生まれてきた赤ちゃんも今のところ一重。ってなわけで、その赤ちゃん、Laleにも似てるよ~、と親戚から言われている私でした。これからさらに新しい“他称国籍”が加わるのか、こうご期待!
2007年03月28日
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今日、夫くんの従姉妹がすごーく可愛い男の子を無事に出産しました(マーシャッラ~!)。今日がその従姉妹の誕生日だったんで、夕飯を食べ終わったあとに誕生日おめでとうの電話しよう、ついでに赤ちゃん、いつ頃生まれそうか聞こう!と家に電話したところ誰もおらず。何軒か電話したあと、ようやくその1時間前に無事出産した事を知った私たち。すごーく楽しみにしてたのでいてもたってもいられずに、ようやくつながった従姉妹の旦那さん(夫くんの親友でもある)に行ってもいい?と聞いてから早速病院へ駆けつけた私たち。病室のドアを開けてびっくり! 10人くらい(従姉妹の両親・旦那さん+親戚)が結構狭い部屋につめつめになってました。しかもトルコらしく、夕飯を1家族がもってきてそれをそれぞれに食べろ食べろと薦めてて・・・。真ん中のベッドの上では従姉妹がまだ分娩の痛みでかなりつらそうにしているのにもかかわらず・・・(6時間赤ちゃんが産道でスタックして結構大変なお産だったらしいです)。結局1時間くらい滞在したでしょうか。親戚たちは私たちよりだいぶ前からいたから、結構長い時間わさわさしていたことになります。私たちもすごく嬉しくって行っちゃったから何にも言えないんだけど、正直、これが私が出産する時にも行われるのか、と思うと、うーーーーーん、と考え込んでしまいました(自分も行って長い間いたのに自分勝手な私・・・)。つかれてぐったりしてる時に、周りで、ほら、ドルマ食べなさい、お腹空いてない? でもおいしいからほら!ってやられたら、根が日本人の私(って関係ないか)、プチッと切れそうかも・・・。しかも口々にみんないろんな事を言うわけですよ・・・。まだうまく授乳ができなくって、まだミルクを飲んでいないのよ~、かわいそうに、お腹空いてるわよね~とか、赤ちゃん、旦那さんにそっくり!瓜二つ!**サルに似てるわよね~とか・・・。ま、従姉妹を赤ちゃんの時から知っている気心知れた親戚だから彼女も別になんて思わないのかもしれないけど、私だったらいちいち気にしてすごく落ち込みそう・・・。考えすぎかなあ・・・・。(夫くんは気にしすぎだ、っていうけどさ・・・)でもニュースを知ったときはすぐに駆けつけたい、って思ったからすぐに駆けつけて赤ちゃんを見たい、という気持ちも良くわかるし・・・。とりあえず、もうちょっと広い部屋で休める病院にしよう、と夫くんには言いましたが。ま、まだ妊娠もしてないし、取らぬ狸の~なんだろうけど、ちょっと不安になっちゃった一幕でした。でもきっとトルコでは当たり前の光景なんだろうなあ、って思います。みんなでお祝いするのは素敵。でも私はどう感じるかな、とふっと考えちゃいました。なんにせよ、赤ちゃんも従姉妹も元気でなにより!さらに赤ちゃんとそのお母さんが同じ誕生日、ってなんだか素敵です。
2007年03月23日
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週に数時間、日本の家族と話す時+ここの日本人の友達と話す時 以外はずっと英語かなんちゃってトルコ語のどちらかで会話しているわけです。が、やっぱり、とっさに出てくる(=脳を通さず?に反射的に出てくる)言葉ってのは日本語ですね~。今日、キッチンで機嫌よく歌を歌いながら夕飯の支度をしていました。(その歌、ボリシュマンチョの とまと、ぴーまん、なっすなーす~・・・トマトを切ってた時に歌い始めたら止まらなくなった・・・)お皿を出すのに上の棚をあけて~、閉めたら!他の部屋にいると思っていた夫くんが閉めた戸の脇から突然にゅ~っと出現!と同時におおおおおー びっくりした~~~!と、ばりっばりの日本語で叫んでました。夫くんは単に作り終わってテーブルの上にのってた巻き寿司(今日はお寿司でした!)をみて、わあ~!と喜びの声を上げ・・ようとしてたとこだったのですが・・・。夫くんも、驚かすつもりはなかったんだよ~、ごめんね、と言いつつ、ところでなんて言ったの~?と興味津々。説明して2人で大笑い。びっくり、という語感と私の驚いた様子がぴったりマッチしたようです :)寿司作ってたし、歌は日本語だったし、頭がすっかり日本語体勢だった、とも考えられますが・・・でも車にのってても、ぶつかりそうになったり危ない時はあぶない!ぶつかる!とやっぱり日本語が先に反射的に出てきます。英語で夢を見ることはあっても、とっさの一言は母国語にはかなわないようです。やっぱり私、ばりばりの日本人よね~(あたりまえ)、とジャスミン入り緑茶をすすってる私なのでした。
2007年03月15日
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先週後半から週末にかけての気温、13度。もう3月だし、春だな~、なんて花粉症にもなり思っていたら!ただいま 真冬?に逆戻り中。外、吹雪いてます・・・。部屋の中は暖かいし、空気の入れ替えに、と窓を開けていたら、なんだか冷たいものが室内に舞い込んできてて、あれ、雨? っと外を見ると・・・雪、でした~。本当に変な天気。でもおかげで花粉症の症状はほとんどなくなりました・・・一時的なものだったのかしらん?この寒さをこえたらきっと本当の春がやってくるんだろうな。我が家のチューリップたちもすくすく育っています。結局10個全部発芽してくれました。まだまだ花が咲くには時間がかかりそうだけど。チューリップ、たぶん色が赤と黄色(ガラタサライ色)なので、夫くんのクレームがつきそうです :)春ときどき冬、なアンカラからでした!
2007年03月13日
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日本で初めて花粉症になったのはかれこれ7年ほど前。神戸、六甲山のふもとに住んでいた時。おそらく山から吹いてくる風に花粉がたっぷり含まれていたのでしょう。朝物理的に目やにで目が開けられないくらいで、結構大変でした。ただ、神戸に住んだのは1年半。2年目の春に発症し、その後アメリカに引っ越したから花粉症に本格的になったのはその1年だけ。5年いたアメリカではぜーんぜん症状が出ず。どの花粉の影響でなるのかわからないけどあそこにはなかったのでしょう。花粉の時期に帰国した時は律儀に1週間くらいしてから花粉症の症状が出始めたりもしましたが、それもアメリカに帰ればすぐになくなったし。場所が変われば最初の数年は大丈夫、っていうけど、ここ、アンカラに住み始めて最初の春。見事に花粉症を発症・・・。その発端は・・・金曜日に日本から高校時代からの友達+その後両親が遊びに来て、土曜日にアタトゥルク廟に朝から行ってきました。その時に、アタトゥルク廟へと向かう石畳の道の両脇に植えられた木の周辺から、白い煙みたいなのがもわ~、と出ていたので、何か燃やしているんだろうか?なーんて思っていたら、彼女のお母さんいわく、「あれは花粉よ!ああいう風にもわ~と風に吹かれて出てくるのよ、一斉に!」最初は信じてなかった私たちでしたが、何も燃やしている様子もないし、時間差であそこの木から、ここの木から、そのもわ~が出てくるのを見て、これは花粉にちがいない・・・と確信したのでした。その時は、「私、日本では花粉症だったんですよ~」なーんて人事のように話していたのに・・・。廟のメインの部分,中のミュージアムの部分を見終わって外に出てきてちょっと休んでいた時から、鼻がむずむず・ずるずるし始めて・・・・。え~、まさかねえ、こんな短期間で吸った花粉が原因で花粉症なんかにならないよね~、と思っていたのにもかかわらずその日一日でーっかいくしゃみの連発。目まで痒くなってきて・・・。2日たった今現在も同じ症状・・・。夜薬を飲んで寝たから少しはいいんだけど。・・・というわけで、アンカラでも“正式”に花粉症になっちゃいました・・・一回なったらこれから毎年なんだろうなあ・・・。ちなみに夫くんも花粉症持ち。でも毎年5月に出るそうな。違う花粉なんでしょうね。空気のいいところに引っ越したい・・・。
2007年03月12日
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夫くんがチューリップの国へ出張に行った。結婚してから早半年。初めてアンカラの家に私が1人、というシチュエーションになった。ま、1人暮らし暦はトータル7年くらいだったし、1人でいることには別になんの支障もないのだけど。(手に負えない問題が発生すればまた話は別だけど。)たった正味3日の出張。初日はさすがに寂しかったけど、2日目からは以前の1人暮らし生活形態へとあっさり戻った。特に夜、夫くんとスカイプ(ホテルにWiFiがあった)してる時なんか、まさに独身時代・遠距離・1人暮らし生活の再現!私の1人暮らし生活形態 = なんでも適当(料理・掃除・生理整頓等すべて含む)料理をする気にもさらさらならず、炭水化物ばかりの食生活に。なんだか懐かしいなあ・・・と懐古しつつ・・・。・・・でも3日なんてのはあっという間で、明日の朝には夫くんは帰ってくる。そこで3日目の今日。“ホテルより我が家がよごれてる、って思われたくない!”という意味不明な動機に動かされ、大・・・中掃除を始める。掃除機をかけて、洗濯して、水周りの掃除をして、トイレ掃除もして・・・・とやってて、ふっと、これって、遠距離時代に彼が遊びに来る前日の状況とまったく同じ・・・と気づいた。結婚しても本質はやっぱり変わらないのね、とあらためて実感した瞬間でもありました。(同じ人間だもん、そんなに変わるわけがない)結婚生活と独身生活どうも私の中に“結婚モードスイッチ”があって、夫くんが周りに存在するか否かでオンオフと自在に変わるみたいだ、ということを発見。別に夫くんがいるからって常に綺麗にしてるわけじゃあまったくないので(なんか偉そう・・・)スイッチオンだから自分を取り繕ってる、ってわけでもないんだけど。(夫くんも私の本性をちゃーんと知り尽くしている。)ま、それでもある程度のお互いが快適に過ごせるための最低限のルールってものはあるから、要するに、スイッチオフ = 無礼講 ってことか・・・。それもたまにはいいかもね、なーんて。出張から帰ってくる夫くんを待つ心境はなんだか半年振りにやってきてくれる遠距離時代の夫くんの訪問を待つ心境に似ている。おーい、はやくかえってこーい!
2007年03月03日
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結婚前は“おじさん”“おばさん”、結婚してからは“おかあさん”“おとうさん”と義理の両親を呼ぶのが普通、だと思いますが、皆さん、結婚式・入籍を終えた後すぐに、“おかあさん”“おとうさん”(アンネ・ババ)へと転換できましたか?結婚してから早5ヶ月ちょっと。私、実はいまだに、アンネ(おかあさん)・ババ(おとうさん)、と呼べていません・・・。かといってテーゼ(おばさん)・アムジャ(おじさん)も変なので、なんとも呼んでいない事になります。どうしても呼ばなきゃいけないときは夫くんのお母さん、お父さん、と呼んでいます・・・。彼のお母さん(以下アンネ)との関係は結婚前のごたごたがまるで嘘のように改善しました。新年前には服や彼女が編んだ素敵なマフラーをプレゼントしてくれたり。私たちも彼女にブラウスをプレゼントしたら、その日に親戚のうちに行くのに喜んで着てくれたり。こっそり仕入れた夫くん従姉妹情報では親戚の前でも私の事を誉めてくれてたり。これが食べたいといえばすぐ作ってくれたり、寒くないか等いろいろ気にしててくれたり。我が家には遠慮してあんまりこないし(この5ヶ月で・・・3,4回しか来ていないなあ・・・)、ディナーに招待しても大変だから(私が料理等準備するのが)うちにおいで、といってくれたり(すなーおに甘えます、ええ:)。車で20分の距離だけど、こちらが独立した家庭だという事をしっかり認識して干渉は全然してこないし。でもその分ちゃんと夫くんにはほぼ毎日彼らに電話してもらうし、週末はほぼ毎週彼らのうちに顔を出すようにしています。このように、関係はすっかり改善し、かえって可愛がってもらっているので、心から、アンネ、と呼びたいのですが、なんだかタイミングを逃してしまったというかいまだに一度も呼べていません。最近では週に1度、週末に彼らの家に行っては夕飯をご馳走になり、夜遅くまで一緒にいるので、毎週、今週こそは、今週こそは、と思いつつ、いまだに果たせていません。来週こそはっ!と心に誓う私でした・・・・・。
2007年02月26日
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