マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2019.10.05
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~東北歴史博物館の特別展を観て~

  ポスター

 特別展「蝦夷~古代エミシと律令国家」を過日観て来た。これは東北歴史博物館開館の20周年記念と、宮城県多賀城跡調査研究所設立50周年記念の双方を兼ねた企画で、陸奥国国府である多賀城の傍にある研究調査機関としては力が入らざるを得ないと推察される。私のライフワークとも言える古代東北研究に直接関わるテーマだけに、珍しく会期早々に出かけたのだった。

       日本書紀の一節   

 太古倭国の東方に「日高見国」と言う国があった。人々は力が強くて極めて粗暴。声が大きく朝廷に従わない。いわゆる「まつろわぬ国」で、九州の熊襲(くまそ)と同様に恐れられていた。そこで記紀は日本武尊を遣わし、征伐したとある。

 さて、古代東北の蝦夷は後のアイヌとは異なる。「エミシ」と呼ばれた東北地方以北の人々。彼らの実態と、中央との関係を明らかにするのが今回の特別展の趣旨だ。


  <出土した蕨手(わらびて)刀(上)とその再現品および鞘(下)>



         
        <環頭太刀束頭(かんとうだち・つかがしら)>

 エミシは単なる狩猟民ではなく作物栽培も行い、倭国との接触でもたらされた製鉄技術も持っていた。また優位な馬産地で、海路を通じての交易も盛んだった。ただ中央から遠かったため、独自の体制を維持していただけのこと。アイヌ語とは異なり、言葉は互いに通じたことだろう。ただ聞き慣れない言葉の響きが、都人には恐ろし気に聞こえた。最近の研究により、エミシの高度の文明が次第に明らかになる。



   <ベルトとバックルの金具(上)とメノウとガラス玉の装身具(下)>

 こんな見事な装飾品を身に着けていた「蛮族」が、果たしているだろうか。ただ中央政権の手が届かない遠隔地に彼らが住み、独自の文化と政治体制を保持していただけの話。中央集権化が進んだ倭国、そして大和政権が自らの支配を拡大すべく、次第に北の大地へと進出するのも当然の帰結だろう。そして北の大地は、次第に大和朝廷の傘下へ組み込まれて行く。


    <周溝(しゅうこう)と墓壙(ぼこう)を持つ墓>

 現在の岩手県南部以北にはエミシ独特の墓がある。ただ中央や地方豪族ほどの権力と人口がなかったため豪壮ではないが、それでも良く整備された墓が整然と並んでいるのはしっかりとした政治体制があったからに違いない。これもアイヌの墓制とは異なる。東北のエミシが史書に登場する最初は、確か高志(越=こし国守)の阿倍比羅夫(あべのひらふ)が秋田県のノシロのエミシを征伐したことだった。




 阿倍比羅夫はノシロのエミシを退治しただけでなく、ツカル(青森)や渡島(わたりしま=現在の北海道)のミシハセ(大陸の北方民族と言われる)をも退治したと文献にある。陸奥国府多賀城などまだ建設されていない時のことだ。陸路が整備されていない当時は海路を舟で渡るしかないが、飛鳥時代に良くそれだけの船団を組み、かつ勝利したと言う事実に驚かされる。<続く>

 当特別展での撮影は許されてない。そのためここに掲載した写真は、別途購入した「展示目録」から借用した。極めて内容が専門的なため、写真でもないと理解が困難と考えたからだ。





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Last updated  2019.10.05 09:43:02
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