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夢と希望を遠い将来に抱いていた頃はもう過ぎた・・・・・・
そんな感情が迫ってくる。
介護というものに携わって僕の場合はよりそれを感じてしまう。
それなりに学習意欲に燃えて貪欲に様々なものを学んでいた頃の自分を懐かしく思う。
もちろん、学んだことの益は他の人たちに還元してゆきたいとの気持ちに変わりはない。
実際それが役に立つとうれしい。
しかし、知り過ぎることもまた空しい・・・・・・
先人の理想がこの時代の現実にあってもの凄く虚しく感じる。
理論や学問は別にして、実際、看取るという場面に直面したときに感じる、あの無力感・虚脱感はなんとも言い難い・・・・・・
ただ、その経験が利用者の方に対するその一瞬、一瞬を大事にしたいと心を動かし、何よりも利用者の方の欲するところに応えたいとの行動を促す。
それがどうだろう、一生懸命にすればするほど、今の施策に憤りを感じ、不公正を見る羽目になる。
しかし、現場は現場そこで利用者さんと向き合わなければ何のための福祉か。
死というどうしようもない現実に直面したなら、しっかりと喪の作業をすることだよね。
その作業を進めるにあたって必須なのはやはり、どれだけ一人一人、同じ人間として向き合っていたかじゃないだろうか。(どれだけ、個別の援助をその人の顔を思い浮かべながら計画し実行・評価・再実行あるいは見直ししてきたのか)
死別することを前提とした介護であったとしてもそれを怖がっては真の魂の触れ合いはできないように僕は感じる。
感傷的になりやすい僕にとってこれはいつまでも付き纏うだろう。
だからこそ、涙が単なる涙でなくつぎにつながる行動へと後押しする涙でありたい。
感情移入を上手に、そしてコミュニケーションを密に。これは職場だけでなく私的な場面でも忘れないようにしたい。
タイトルの主旨と大分逸れてしまったが、時は止まらない、いやでも流れるものだということを心に銘記しておきたい。
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