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作者未詳この夕ゆふへ降りくる雨は彦星の早はや漕ぐ舟の櫂かひの散りかも万葉集 2052この夕べに降り来る雨は、天の川の彦星がいそいそ漕いでいる舟の櫂の雫が散っているのだなあ。
2009.07.07
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与謝野晶子(よさの・あきこ)夏の風山よりきたり三百の牧の若馬耳ふかれけり歌集「舞姫」(明治39年・1906)夏の風が山から降りて来て数限りない牧場(まきば)の若馬たちの耳が爽やかに吹かれているなあ。
2009.07.14
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富小路禎子(とみのこうじ・よしこ)服あふれ靴あふれ籠にパンあふれ 足るを知らざる国となり果つ* けさ29日付読売新聞朝刊1面コラム「編集手帳」で紹介。東日本大震災は本当に不幸な出来事だったが、発生以降、われわれの意識や感覚に明らかに変性が生じ、この歌が嘆いているような気持ちも沁み入るようになった。その点にだけ限っていえば、辛うじていいことだったといえるかも知れない。なお、この一首は各種アンソロジーなどに収録されておらず、出典(掲載歌集)が確認できていないが、ネット上の情報によると、晩年の作といわれる。
2011.04.29
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若山牧水(わかやま・ぼくすい)しみじみとけふ降る雨は きさらぎの春のはじめの雨にあらずや歌集「くろ土」(大正10年・1921)註きさらぎ(如月):陰暦二月の称。新暦のほぼ3月に当たる。語源は、「生き更(さら)ぎ」(草木の生命が更新すること、広辞苑)説が有力か。三月の「弥生(いやおひ → やよい)」とも符合する。よく言われる語源説の「着・更・着」は、民間語源的であると思われ、信じがたい。
2012.03.10
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紀貫之(きのつらゆき)梅の花匂ふ春べはくらぶ山 闇に越ゆれどしるくぞありける古今和歌集 39梅の花が匂う春辺はくらぶ山を暗い闇に越えたけれどもきわだっていたなあ。註くらぶ山:未詳だが、「比ぶ」で、比叡山のことか(筆者説)。「暗し」と掛けている。しるし(著し):はっきりしている。際立っている。名詞「白」、動詞「知る」、「しるす(記、標)」、形容詞「白し」「いちじるし(著し)」などと同源といわれる。 パブリック・ドメイン重要文化財 尾形光琳 竹梅図屏風
2014.03.22
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よみ人知らずあな憂う目に常つねなるべくも見えぬかな 恋しかるべき香かは匂ひつつ古今和歌集 426ああ、憂(うれ)いだなあ。この梅の花は、目に常在なものとも見えないなあ。(・・・「色は匂えど散りぬるを」の、色即是空だなあ。)世俗の常人には恋しいのであろう香りは匂っていながら。註言い回しがやや難しいが、梅の花にこと寄せて、仏教的な無常観がストレートに詠まれている、一種の道歌(思想的な内容の歌)といえる。独特の面白さがあると思う。作者は僧侶であろうか。憂う目:「梅」にかけてある。
2010.03.20
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与謝野晶子(よさの・あきこ)なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな第一歌集『みだれ髪』(明治34年・1901)何となくあなたが待っているような気がして上弦の月の夜の秋の花が咲き乱れる野辺に出てみたのよ。註花野:七草などの花が咲く秋の野辺の意味。こういうのは、伝統文化として問答無用で決まっている事柄であり、論理的に文句を言っても始まらない。夕月:上弦の月。早くも夕方には東の空に出る。
2023.09.30
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近所の寺で、けさ写す。式子内親王(しきし、しょくし、のりこ・ないしんのう)はかなくて過ぎにしかたをかぞふれば花にもの思もふ春ぞ経にける新古今和歌集 101なすところなくむなしくて過ぎて行った歳月を数え上げると桜の花に物思う春は去ってしまったんだなあ。
2009.04.07
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和宮親子内親王(かずのみやちかこ・ないしんのう)/静寛院宮(せいかんいんのみや)惜しまじな君と民とのためならば 身は武蔵野の露と消ゆとも身命など惜しむだろうか。あなたさまと民のためならばこの身は地の果ての武蔵野の草葉の露と消えても。註これはまた、皇女・皇妹(仁孝天皇の皇女、孝明天皇の妹、明治天皇の伯母)の歌とも思えないぐらいストレートで悲壮な覚悟の披瀝。幕末が、いかに激しい疾風怒濤の時代であったかが偲ばれる。当時一般的だった古今和歌集調の優雅な歌風からは程遠く、「道歌」(思想的な内容を表現した歌)に近い。ただ、このあけっぴろげなまでの率直さは、やっぱり内親王も関西人だった(?)・・・と同時に、下向した関東を草深い田舎の武蔵野呼ばわりし、「あたしを誰だと思ってんのよ」的なタカビーな含みもきっちり詠み込んであるように見える。これを読んだ天璋院(篤姫)・大奥勢が、かなりビビッたであろうことは、想像に難くないなお、和宮の実像は、今で言う典型的な「ツンデレ」だったという説もある。この「君」は、天皇であろうが、多少は未来の夫・徳川家茂の意味も含んでいる、か?吉田松陰辞世「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」(「留魂録」所収)を連想する。・・・というより、あまりにも似ているので、これは松陰の本歌取りかも知れない。
2008.10.27
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藤原定家(ふじわらのさだいえ、ていか)梅の花にほひをうつす袖の上に 軒のき洩る月のかげぞあらそふ新古今和歌集 44梅の花の彩りを映し妙なる香りを移す袖の上に軒先を洩れてきた月の光が争っている。註にほひをうつす:「(視覚的な)色彩を映している」意味と「(嗅覚上の)芳香を移している」の両義が掛かっている、名人芸的な練達の技巧 virtuosity。軒洩る月のかげぞあらそふ:軒端の梅を漏れて来た光が、風に揺れて袖の上で争っている(ように見える)。かげ:中古までは「光」の意味。「光」という漢字を「かげ」と訓じることも多かった。近現代でも、文語的な言い回しでは光の意味に用いることがしばしばある(「星影」、「影射す」など)。やがて、光が映し出す形の意味から「陰、翳り」の意味を生じ、「影」の字もろとも意味が180度変わってしまった。日本語では珍しい例である。もとの意味は、動詞「光る」の連用形である「光」に取って代わられた。
2013.03.19
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藤原家隆(ふじわらのいえたか)詠ながめつつ思ふも寂しひさかたの月の都の明け方の空新古今和歌集 392ぼんやりと眺めながら、思っただけでも寂しい。月の都の明け方の空。註現代語訳も必要ないぐらいの易しい言葉遣いだが、何が言いたいのかよく分からないようなところに余韻がある佳作。ぽつねんと、うら寂しい明け方の有明の月を見ながら、さらに「月の都」(・・・かぐや姫の本籍地?)を想像して寂しいと言っている。発想がシュールというか、ぶっ飛んでるというか、さすが新古今集の鎌倉モダニズムである。800年前の日本に、すでにこれほど洗練された感性があったとは、脱帽。なお、「寂し」は終止形なので、2句目でいったん切れている。ひさかたの:「日」「月」「天」などに掛かる枕詞(まくらことば)。語源は「久堅」などと解されている。
2008.10.17
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藤原定家(ふじわらのさだいえ、ていか)おほぞらは梅のにほひに霞みつつ 曇りもはてぬ春の夜の月新古今和歌集 40大空は梅の彩りと香りに霞みつつそうかといって曇り切るわけでもない幻のような春の夜の月。註和歌の最高傑作の一つで、有心幽玄(うしんゆうげん)の新古今調を代表する、作者彫心鏤骨(ちょうしんるこつ)の名歌。大江千里「照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき」の本歌取り。にほひ:一語で簡明に対応する現代語はない。主として、はなやかで溢れこぼれるような美しい情景や色合い(視覚)について言うが、妙なる芳香(嗅覚)や余韻(一種の詩情、脳内感覚)なども含意する。この意味の一部(嗅覚)だけが現代語「匂い、臭い」に残った。具体的には、花や紅葉、女性の美しさなどについて用いることが多い。 ○ 井上陽水/奥田民生/小泉今日子「月ひとしずく」歌詞
2013.03.19
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栃木・JR宇都宮駅西口にて、8日午後5時半ごろくまんパパ写す。(画像クリックで拡大。写真の転載はご自由にどうぞ。) 安倍晋三首相は8日、JR宇都宮駅西口などで街頭演説を行い、自民候補を応援した。同駅前の歩道には首相の言葉をじかに聞こうと大勢の聴衆が詰めかけた。 安倍首相は「日本を取り戻すため、まずやったことは強い経済を取り戻すこと。今までのやり方でない、スケールの違う金融政策、機動的な財政政策、成長戦略の“三本の矢”によって、デフレ脱却、経済再建に挑んだ」とアベノミクスといわれる経済政策を説明。景気回復を確かなものにするためにも「政治の安定が必要。ねじれを解消させてください」と訴えた。【産経新聞 9日付朝刊・栃木版】
2013.07.09
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藤原定家(ふじわらのさだいえ、ていか)かきやりしその黒髪のすぢごとに うち臥ふすほどは面影ぞ立つ新古今和歌集 1389かきわけたその黒髪の一筋一筋に至るまで独り寝ている時には面影が浮かぶのだ。〔解説〕 長谷川櫂黒髪をかきやるとは、撫でる、指でなぞる、掻きあげて顔をのぞき、掻き分けて肌に触れる。どれもこれも恋人たちのなまめかしい仕草である。ひとり淋しく寝ていると、あの夜の黒髪の一筋一筋が目に浮かぶ。月光に照らされるように。 【読売新聞 22日付朝刊『四季』】 註淋しく切ない、ちょうど今頃の時季の冬の匂いがする名歌。* 和泉式部「黒髪のみだれもしらずうちふせばまづかきやりし人ぞ恋しき」(後拾遺和歌集 755)の本歌取り。
2014.01.24
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今年のNHK大河ドラマ『光る君へ』が最高に面白い。絶好調である。毎回ドラマチックかつロマンチックな展開で、心が揺さぶられる。まだ早春の今からこんなに面白くては、今後いったいどうなってしまうのか(いい意味で)先が思いやられる。特に昨10日放送の第10回は、なにげに神回と思った。□ 哀れ花山天皇 が、それよりまひろと道長の展開が速くないかざわつく「光る君へ」第10回【木俣冬氏 ヤフーニュース 10日】子供のころから親しんできた大河ドラマだが、私の知る限り、歴代の中でも五指に入る出来だと思う。日曜の夜が待ち遠しい。吉高由里子は、国民的大女優になりつつある。現在のわが国の人気女優を見渡しても、余人を以て代えがたい配役である。このあと、間違いなく歴史的傑作小説を物するであろう文人的な落ち着いた物腰と聡明な感じ。彼女はこの役を演ずるために生まれてきたと、私は確かちょっと前の詠草で(いくぶん大げさな表現で)短歌にしたが、その感想はますます裏付けられている。ただ、平安宮廷を描く以上やむを得ないのだが、登場人物が藤原姓ばかり(あとはせいぜい「源」ぐらい)という「藤原問題」をはじめ、かなり歴史ファン向けの「通好み」な作風になっており、見る側にも一定の教養が要求される感じだ。一般視聴者がなかなかついて来られないようで、視聴率は苦戦している模様だが、これはもうしょうがないよね。間違いなく、長く語り継がれる名作となりつつあるので、NHKのスタッフや上層部は、目先の数字なんか一切気にしなくていいと思う。芸術・芸能への評価って、しばしばこういう感じだから。生前はほとんど理解されず無名で、死後に評価・称賛された芸術家のなんと多いことか。ゴッホ、宮沢賢治はその典型である。芸術の歴史は、死屍累々・無念ゴロゴロの歴史である。・・・って感じか。「時代を先取りしすぎていた」「生まれてくるのが早すぎた」とかいわれる類いである。きのうも、若き藤原道長とまひろ(紫式部、こちらも藤原、遠い親戚)の情熱的な恋模様が美しく描かれたが、当時の慣例に忠実に、玉梓(たまずさ、詩歌によるラブレター)のやり取りで恋愛が進行する。道長のラブレターが、当時の貴族なら(当たり前の)必須科目の古今和歌集からの引用であるのに対し、まひろの返歌が読むのも相当難しい漢詩であるというあたりに、紫式部の文人(学者)としての教養とプライドあふれる人物像を垣間見せた面白さがあったのだが、こういう世界に少々は慣れ親しんでいる私(くまんパパ)にとっても、解読を断念するほどの高踏優雅な場面であり、ましてや多くの視聴者にはチンプン漢文であったかも知れない。それに続く、月の光の中でのラブシーン(ほぼ、今でいうベッドシーン)は、思わずうなるほどの美しさと激しさで魅了された。まさしく、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』、『ハムレット』であった。稀に見る「ファンタジー大河」と言えよう。史料の少ない平安時代をこれ幸いと、オリジナル脚本の大石静はやりたい放題。ロマンチック盛り盛りマシマシで、空想の翼を自由奔放に羽ばたかせまくっている。うるさいアカデミズムや歴史マニア方面の一部からは、多少クレームが付き始めているとも仄聞するが、所詮エンタテインメントのドラマなのであるから、そう目くじらを立てなくてもいいだろうと、私は思う。この調子で、今後もガンガン行ってもらいたい。なにしろ、信頼しうるまともな同時代の参考資料は、ロバート秋山演ずる藤原実資が毎日小まめに書き綴った日記『小右記』ぐらいしかないといわれるのだから。その秋山竜次も、コメディ・リリーフとして笑わせながら、けっこう重厚な存在感を示していて、役者開眼だね。売れない大部屋役者だったというお父さんは、草葉の陰で涙してるよ。道長役の柄本佑が、放送前のインタビューで「大石さんの脚本があまりにも情熱的なので、気恥ずかしさをこらえるのに苦労した」(うろ覚え)というようなことを言っていたと思うが、こうした場面のことであったかと納得。その柄本佑がいい。平安宮廷での権力闘争・謀略に邁進する父と兄たちに翻弄されつつ、自己を確立してゆく繊細かつ心優しき道長像を新たに創造している。この大抜擢といえるキャスティングは大当たりだったね。今のところ、若さ・未熟さを表現するため、わざと生硬(下手め)な芝居をしていることさえ、ありありと感じとれる。大河は長いのである。天才的な俳優である父親譲りの計算された演技がすばらしい。かつて、岸谷五朗もそんな感じだった。これは、一年間見ていられる。ほかにこの役を務められる若手中堅の人気演技派俳優は、菅田将暉ぐらいしか思いつかない。ただ、菅田はついこないだ同じ大河で大役・源義経をやったばかりだしな。そして、上手いが地味めなバイプレーヤーと思っていた段田安則が、「平安のゴッドファーザー」を見事に演じて、出色の貫禄と包容力。脚本の大石静が、『ゴッドファーザー』シリーズと『華麗なる一族』を参考にしたと言明してるだけあって、なかなかの「ブラック大河」でもあるが、まさしくマーロン・ブランドと北大路欣也を髣髴とさせる。しかもけっこう家族思いの温かい人間味やユーモアさえ宿っていてすばらしい。岸谷五朗演ずる父・藤原為時と娘・紫式部の関係性も、いろいろ波瀾もあったが本当にすばらしい。抑制された穏やかな演技の中に、冬を超えた春爛漫の温かい情愛が香り立っている。私にも、まもなく先生という敬称で呼ばれることになるであろう親孝行な娘がおり、とても人ごととは思えず、毎回うるうるして見ている。その娘は、吉高由里子と福田麻貴を足して2で割ったような顔をしているのである。* この記事は、もうちょっときちんと加筆修正して書こうと思ったのですが、仕事が忙しすぎて頭がぼやけておりまして、とりあえずこれで終わりにします。すみません。
2024.03.11
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三菱=三星 サムスン・・・みつぼし 本田=現代 ヒュンダイ 三洋=双龍 サンヨンなるほど~知っている人はとっくに知っている事実だったらしい。が、寡聞にして私は知りませんでした
2013.05.31
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よみ人知らずひさかたの天の河原のわたしもり 君渡りなば楫かぢかくしてよ古今和歌集 174天の河原の渡し守よ。あの方が渡ってしまったら(もう帰れないように)櫂を隠してしまってね。註ごぞんじ、七夕伝説(牽牛織女、二星説話)に歌材を取った。旧暦七月七日(今年でいえば新暦の8月6日)の「星合ほしあい」の夜に、牽牛(彦星、鷲座アルタイル)が天の川に「妻迎舟つまむかえぶね」を浮かべて、織女(棚機たなばたつ女め、琴座ヴェガ)を迎えにゆく。その織女の科白せりふに託して、恋人を帰したくない女心を詠んだ一首。
2011.07.07
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大伴家持(おおとものやかもち)わが屋戸やどのいささ群竹むらたけ吹く風の 音のかそけきこの夕ゆふべかも万葉集 4291わが家の小じんまりとした一群れの笹竹に吹く風の音がかすかに聞こえるこの夕べだなあ。註優美にして繊細な、1300年前の“近代人”大伴家持の代表作と目され、万葉後期を代表する名歌。前掲歌とともに、天平勝宝5年(753年)旧暦2月23日(新暦の4月中旬頃)に詠んだと詞書(ことばがき)にある。いささ:「いささか」の語幹であり、「小さい」「ちょっとした」などを示す接頭語。ここでは「笹」と掛けている。なお、「笹」の語源も、葉が風に鳴る音の擬声語(オノマトピア)説が有力(古代日本語の音韻「ツァツァ」)。
2010.05.14
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橘曙覧(たちばなのあけみ)たのしみは家内やぬち五人いつたり五いつたりが風だにひかでありあへる時志濃夫廼舎しのぶのや歌集 独楽吟どくらくぎん楽しいことは、家族五人が五人とも風邪さえ引かず(まして重い病気などはせず)揃っている時。
2009.02.10
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ワンカップ大関萩原健一 CM集当時、人気絶頂だったショーケンのシリーズ。ほとんど意味不明だが、シュールで奇抜な発想が最高。全部ではないが、かなり覚えている。懐かしい
2017.03.21
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)味噌汁は尊たふとかりけり うつせみのこの世の限り飲まむと思へば歌集「つきかげ」(昭和29年・1954)註うつせみの:「身」「世」「人」「命」「妹(いも)」「むなし」「わびし」などに掛かる枕詞(まくらことば)。「実相観入」を目指し、「真率(しんそつ)、全身全霊」の表現を鼓吹した、近代短歌の巨人・茂吉らしい名品。威風堂々たる大真面目な味噌汁礼賛が、おそらく本人の意図せざる、たくまざるユーモアさえ帯びてしまっている。こういうのを読んでいると、真面目で頑固でいくらか癇癪持ちだった明治男の祖父を思い出す。敬愛すべき日本の先人と思う。
2011.01.28
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川崎八重(かわさき・やえ、のちの新島にいじま八重) *あすの夜は何国いづこの誰たれかながむらむ なれし御城に残す月かげ明治元年(1868)旧暦九月二十二日(新暦11月6日)夜明日の夜はどのお国のどなたが眺めるのだろうか。慣れ親しんだお城に(われらの思いを)残す月光。註川崎八重:作者がこの歌を詠んだ(会津藩降伏の)時点で、苗字は川崎姓だったとする説(NHK大河ドラマ『八重の桜』はこれを採用)と、夫・川崎尚之助との婚姻関係は(ドラマの潤色と異なり)動乱の中ですでに解消していたとする説があり、後者の場合旧姓の「山本」となるが、厳密にはいずれとも定めがたい。ここではひとまず通説に従っておく。作者は、戊辰の役の重大局面であった会津戦争で、男たちに交じってただひとり敢然と、最新式の七連発スペンサー銃を携えて戦い、新政府軍の現場指揮官の一人だった薩摩藩砲兵隊長・大山弥助(のちの陸軍元帥・大山巖公爵)の右太ももに貫通銃創を負わせたと伝えられる女傑で、のちに人呼んで「幕末のジャンヌ・ダルク」「ハンサム・ウーマン」と称えられた。勇戦奮闘空しく会津藩が降伏した夜、下弦の月を眺めながら作者が若松城内の雑物蔵の外壁に簪かんざしで刻書したと伝えられる悲痛な一首で、一箇の和歌としても万感の思いの籠った絶唱といえる。作者は新島襄夫人となった明治時代には教育者・赤十字などの社会事業家として名士となり、多数の肖像写真が残されているが、この優しそうな女性のどこにこれほどの闘志が秘められていたのか、不可思議なほどである。御城:「みしろ」と読むか。会津藩・若松城(鶴ヶ城、現・福島県会津若松市)。「みそら(御空)」とする異伝もある。おそらく、口伝くでんのため異同が生じたものと思われる。→ ■ 会津戦争
2013.02.15
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パーシー・ビッシュ・シェリー 平井正穂訳西風の賦 Ode to the West Wind 結語おお、西風よ、冬来たりなば春遠からじ、と私は今こそ叫ぶ!* このエピローグの1行は、半ば誤訳に近い意訳ともいわれるが、日本語として見事な表現になっており、西洋詩としては稀に見るほど人口に膾炙した。全文は岩波文庫などをお読みください。○〔関連記事〕「冬来たりなば春遠からじ」と訳したのは誰か?【ブログ「星のひとかけ」さん】 ボッティチェッリ ヴィーナスの誕生 1485頃Botticelli La Nascita di Venereイタリア・フィレンツェ ウフィツィ美術館蔵左:地中海地方に春を告げる西風の神ゼピュロス(スペイン語:セフィーロ、英語:ゼファー)中央:貝の泡から真珠のように生まれたヴィーナス(アフロディテ)右:時と季節の女神ホーラ* 画像クリックで拡大ポップアップ。
2015.03.04
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在原業平(ありわらのなりひら)狩り暮らしたなばたつめに宿借からむ 天あまの河原に我は来にけり古今和歌集 418狩りをしているうちに日が暮れてしまったので今宵は織姫さまに宿を借りよう。いつの間にか、天の河原に私は来てしまったよ。註おそらく、「狩り」と「借る」、さらに「河原」の音韻を掛けている。スタジオジブリの最新作アニメーション映画「借りぐらしのアリエッティ」というのが公開され話題になっている。そこで、それにちなんで(?)この歌をご紹介する。近代以前の七夕(たなばた)の歌は、すべて旧暦(新暦の8月中旬~下旬、今年でいえば8月16日)で詠まれており、和歌の部分けでも「秋の部」の劈頭に置かれるので、毎年いつごろ引用しようかと迷うところだ。本来は、夏も盛りを過ぎ、朝晩には秋の気配が漂いはじめる時期の行事である。たなばたつめ:棚機女。織女。織姫。中国の道教系古代神話の主人公。天帝(北極星)の娘ともいう。琴座ベガ。なお、ブロガー仲間のけん家持さんにご教示いただいたところによると、大阪府・交野市の「水辺プラザ」という公園にこの歌の石碑があるという。→ 写真付きの記事
2010.07.23
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志貴皇子(しきのみこ)石いはばしる垂水たるみの上のさわらびの 萌もえ出いづる春になりにけるかも万葉集 1418岩をほとばしる滝のほとりの蕨が萌え出る春になったのだなあ。 ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン赤目四十八滝(三重県名張市赤目町) 荷担滝(にないだき)
2023.03.08
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作者未詳 東歌あずまうたしもつけのみかもの山の小楢こならのす まぐはし児ころは誰たが笥けか持たむ万葉集 3424下毛野みかもの山に生える楢の若木のように目に美しいあの娘は誰の食器を持つのだろうか(誰の妻になるのだろうか)。【原文】(万葉仮名、真名・漢字)之母都家野 美可母乃夜麻能 許奈良能須 麻具波思兒呂波多賀家可母多牟註しもつけ:ほぼ現在の栃木県全域。野州。古代「東山道」八か国の一つ。古くは群馬県と栃木県地域を合わせて「毛野」と呼んでいたが、のちに上毛野(かみつけの)と下毛野(しもつけの)に分けられ、大化の改新後に那須地域を併合して「下野国(しもつけのくに)」となった。「上野(かみつけ)」はのちに音便化して「かうづけ→こうずけ」となった。栃木県央部を流れる「鬼怒川」の名は「毛野川」の転訛であるともいわれている。「毛」については、当時の辺境の原野の草深いさまを毛と表わした、または毛は二毛作の毛であり禾本科の穀物を指す、などが有力と思うが、毛人(毛深い野蛮人、縄文人・アイヌ人?)が住む土地の意味とする説もある。後者の説はセンシティブ(鋭敏)な問題も孕んでいる。いずれにせよ、当時の都・近畿から見た蔑称の響きを持っていることは否めないだろう。しもつけの:上記の歴史的経緯からすれば「下毛野」の意味である可能性が高いが、「の」を格助詞と見て「下野の」の意味にも取れる。いずれにせよ、歌の大意に影響はない。(小楢)のす:上代の接尾語「なす」(~のような、のごとくに)の東国訛りか。「なす」は、「くらげなす漂へる」(クラゲのように漂っている)や「雲の行くなす」(雲の行くごとくに)などの用例がある。まぐはし:「ま」は「目」。「目にも~、見るからに~」のニュアンスを付与する。「くはし」はきめ細やかで精妙な美しさを表わした形容詞で、のちに現代語の「詳しい」につながる意味が生じた。「かぐわしい(←香・くはし)」などの造語成分でもある。なお、古語の「うつくし」は「かわいい、愛らしい」の意味で、現代語の「美しい」とはかなり意味が異なる。みかもの山:三毳山。栃木県南部・佐野市付近の低い山。おそらく、「三鴨」または「御鴨」の意味で、全国に存在したという鴨信仰に関係があり、大和朝廷側の名づけだろうか。地元では「太田和山」と呼んでいたという記録があるという。古代には周辺に東山道の「三鴨の駅家(うまや)」または「美加保乃関(みかほのせき)」があったという記録があるが、遺跡の発掘などの考古学的証明はまだなされておらず、正確な場所は比定できていない。なお、「毳」の字は柔らかく細い「にこげ」の意味で、通常「かも」とは読まない(ただし11世紀末~12世紀成立の辞書で国宝の「類聚名義抄るいじゅみょうぎしょう 観智院写本」には「かも」の訓があるという)。この字が「みかも」に当てられたのは、時代を下った江戸時代ともいわれている。地名や苗字に吉祥または洒落た当て字を用いることは多数の例がある。児ろ:「子ら」の東国訛り。「ら」と複数の接尾語が付いているが、単数の意味である。「子ども」も複数の形だが、一人の子にも言う。笥け:容器、とりわけ食器をいった。味岡宏佳(あじおか ひろか) パブリック・ドメイン ウィキメディア・コモンズ三毳山写真 撮影・提供者:Ebiebi2 さん
2013.06.03
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■ 生成AIとみられる女性の「扇情動画」乱立再生回数稼ぎ、収益目的も背景か【産経新聞 17日付】(ヤフー配信・読者コメント付き)■ “存在しないミス東大”の動画が100万回再生ディープフェイク量産による懸念点とは【リアル・サウンド せきぐちゆみ氏 18日】(ヤフー配信・読者コメント付き)■ 同上 「雪乃なぎさ」画像ギャラリー* 原版は動画のようですが、すでに削除された模様です。・・・初音ミクぐらいで驚いてた時代が懐かしい。
2024.03.19
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橘曙覧(たちばなのあけみ)たのしみは艸くさのいほりの莚むしろ敷きひとりこころを静めをるとき志濃夫廼舎しのぶのや歌集 独楽吟どくらくぎんたのしみは、粗末な草庵の筵を敷いて座り込んで独り心を静めているとき。註橘曙覧:夙(つと)に近代的感性を持ち、「月並和歌」ではない「近代短歌」を準備したと、明治時代になって正岡子規が絶賛した、幕末・越前(福井)の歌人。昨年の大河ドラマ「篤姫」に、勝海舟の後ろ盾として登場した福井藩主・松平慶永(よしなが)春嶽(しゅんがく)にも称揚され、「志濃夫廼舎(しのぶのや)」の雅号を賜った。明治維新を思想的に準備した国学者たちの群像の一人でもある。仕官せず、生涯清貧を貫いた。なお、「あけみ」といっても、もちろん男ですから、念のため三人の男児の父で、今でいう「家族愛」を詠んだ歌が多数。家集「志濃夫廼舎(しのぶのや)歌集」に収録された「独楽吟」連作52首は、ほとんど現代語訳もいらないほどの平明な表現ながら、まことに心温まる和歌史上の名作の一つである。僕の場合、読んでいるだけで、ほとんど法悦さえ感じる。本日から全文をご紹介する。 ■橘曙覧の世界奥村晃作 ただごと歌の系譜新井満 樂しみは 橘曙覧・独楽吟の世界
2009.01.25
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河合曽良(かわい・そら)かさねとは八重撫子やへなでしこの名成なるべし『おくのほそ道』(元禄15年・1702)「かさね(重ね、襲)」とは八重咲きの撫子の花にちなんで名づけられたのだろう。そんな優しい名前の大和撫子の女の子。註元禄2年(1689)旧暦四月の初め(新暦5月頃)、奥の細道の旅の途上、下野の国(栃木県)那須(なす)黒羽(くろばね)で、親切に馬を貸してくれた農夫の可憐な女の子の名前を「かさね」と聞いて詠んだ儀礼・贈答的な一句。「かさね」は、現代ではあまり聞かないが、これはこれでなかなかいい名前と思う。人生に幸せが重なりそうである。さりげなく味わい深い佳作。
2013.10.17
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菅原道真(すがわらのみちざね)このたびは幣ぬさもとりあへず手向山たむけやま 紅葉の錦にしき 神のまにまに古今和歌集 420 / 小倉百人一首 24この度の旅はあわただしくて幣ぬさも手に取れずに参りました。幣を手向けるべきこの手向山の紅葉の錦を奉納いたしますのでどうか神意のままに(ご笑納下さい)。註忙しくて奉納の用意が出来なかったので、代わりにこの山の美しい紅葉をまとめて神様に捧げます、という洒落た趣向の一首。・・・「この広い野原いっぱい咲く花を ひとつ残らずあなたにあげる 赤いリボンの花束にして」(作詞:小薗江圭子、作曲・唄:森山良子)みたいだなと、ちょっと思う(この)たび:「度」と「旅」を掛けている。幣ぬさ:神に捧げる供え物。また、祓(はらえ)の料とするもの。旅の折などには布または紙の細かに切ったものを持参し、道祖神(土地の神々)に奉った。古くは麻木綿(あさゆう)などを用い、のちには絹や紙を用いた。幣帛(へいはく)。御幣(ごへい)。玉串(たまぐし)。みてぐら。にぎて。秋の祭礼などにおける「初穂(はつほ)」(その年の初めての米などの収穫)や「真榊(まさかき)」の奉納もこの類い。この風習は現代にも残るが、「玉串料」「初穂料」などとして金銭で納めることが多い。とりあへず:手に取れず。準備・用意ができず。現代でも使う「とるものもとりあえず」という言い回しに原義が残る。手向山たむけやま:手向山八幡宮。奈良市雑司町にある神社。「(幣ぬさを)手向たむける」と掛けている。まにまに:随意に。意の儘に。現代語「ままに」の語源。 紅葉 / 御幣ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2016.10.17
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浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみ ながのり) 辞世風さそふ花よりも猶なほ 我はまた春の名残をいかにとかせん元禄十四年(1701)旧暦三月十四日(新暦4月21日)風を誘って自ら散る桜の花よりもなお急せいて(散ろうとしている)私はいったいこの春の心残りをどうしたらいいのだろうか。註日本史上、最も有名な辞世歌である。桜は散り際がもっとも美しい。それにおのが身をなぞらえて潔く死す、が、残念と怨みをのんで死ぬこともあわせて示唆している、凄絶な歌といえる。あの四十七士は、これに殉じたか。武士の嗜みとして最期に和歌を詠むという慣習も、美しい伝統であった。紀貫之「桜花さくらばな散りぬる風のなごりには水なき空に波ぞ立ちける」(古今和歌集 89)を踏まえていると思われる。春の名残:季節の春と自らの青春の残影を掛けている。享年35。いかにとかせん:「いかにと」(どのようにと)+「か」(疑問)+せん(せむ、・・・しよう)、反語的疑問形。強い詠嘆のニュアンスを帯びる。意味としては、現代語「いかんともしがたい」に近い。なお、「~とやせん」とする異本もあるが、意味は同じ。 長谷川貞信画 仮名手本忠臣蔵四段目ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン * 画像クリックで拡大
2016.04.04
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橘曙覧(たちばなのあけみ)たのしみはまれに魚うを烹にて子等こら皆が うましうましといひて食くふ時志濃夫廼舎しのぶのや歌集 独楽吟どくらくぎん連作楽しいのは、たまに魚を煮て子供ら皆が「うまいうまい」と言って食べている時。註作者・橘曙覧には男の子ばかり三人の子がいた。長男の井出今滋(いで・いましげ)は、明治維新後教育畑を歩み、のちに山梨県師範学校(現・山梨大学教育人間科学部)校長。明治天皇の行幸(ぎょうこう・みゆき)の供奉(ぐぶ・お供)などを務めた。また、父・曙覧の遺稿をまとめ、「志濃夫廼舎(しのぶのや)歌集」として明治11年(1878)上梓。明治の俳人・歌人正岡子規などの激賞を受け、近代短歌の魁(さきがけ)と目されるに至った。
2009.02.02
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会津八一(あいづ・やいち)すゐえんのあまつをとめがころもでの ひまにもすめるあきのそらかな歌集『南京新唱』(大正13年・1924)水煙の天つ乙女の衣の袖の隙間にも澄みきって見える秋の空だなあ。註秋の古都を詠んで端正な調べが美しい、名匠の代表作。水煙:奈良・薬師寺東塔(国宝)上部の透かし彫りの装飾。二十四人の飛天の像が彫られている。けん家持さんによると、薬師寺にこの歌の歌碑があるようである。■ 薬師寺の風景とこの歌の歌碑(けん家持さんのブログ「偐万葉田舎家持歌集」より)あまつをとめ:飛天。天人、天女。歌集タイトルの「南京(なんきょう)」は、(京都に対して)奈良のこと。南都。* 作者特有の細かい分かち書き表記の原文は、今の目で見るとどうも読みづらく、情趣が殺(そ)がれるようにも思うので、まことに僭越ながら普通文に直した。
2010.09.26
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小倉百人一首 七十四源俊頼(みなもとのとしより)憂うかりける人を初瀬はつせの山おろしよ はげしかれとは祈らぬものを千載せんざい和歌集 707つれない人をどうにかして靡かせようと初瀬の観音様に祈ったのにその初瀬の山から吹く颪おろしよそなたのように激しく吹きすさんでつらく当たれとは祈らなかったのになあ。註憂うかり(ける):形容詞「憂し」の連用形の一つ。思い通りにならない人や物事に憂愁を感じる、つらいという意味。なお、「憂し」には2系統の活用があり、1系統は「うく、うく、うし、うき、うけれ、命令形なし」、もう1つは「うから、うかり、終止形なし、うかる、已然形なし、うかれ」である。後者は、語源論的には連用形の「うく」に動詞「あり」が付いた「うくあり」が約(つづ)まって活用するものである。初瀬はつせ:奈良県(旧・磯城郡)桜井市初瀬(はせ)。古くは「はつせ」と呼ばれ、「泊瀬」とも表記した。有名な長谷寺(はせでら)があり観音をまつる。ちなみに、「長谷」を「はせ」と読むことについては、古く「長谷ながたにの初瀬はつせ」という成句ないし枕詞があったという説もあるが確証はないとされ、語源を含めて詳しくは未解明。同種のものに「飛鳥(あすか)、日下(くさか)、春日(かすが)」などがある。山おろしよ:擬人法で呼びかけている。「よ」は呼びかけの終助詞(または間投助詞)。はげしかれ(とは):(山おろしの)風が激しいことと、(人が)つらく当たることを掛けている。「憂かり」同様、「はげしくあれ」の約まったもの。ものを:逆接の終助詞。~のになあ。~のだけれどもなあ。
2013.07.02
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宮柊二(みや・しゅうじ)むらさきに菫すみれの花はひらくなり人を思へば春はあけぼの歌集「緑金の森」(昭和61年・1986)
2011.04.22
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明治天皇睦仁陛下 御製(おおみうた、ぎょせい)あさみどり澄みわたりたる大空の広きをおのが心ともがな明治37年(1904)初冬新緑のように生き生きとした青色が澄みわたった大空の広大無辺を自分の心と出来たらなあ。註欧米以外で初めてこの国に偉大な近代化を齎した英邁なる君主にふさわしい、まことにおおどかで気宇壮大な名歌。「明治天皇御集」明治37年の御製の前後の配列から見ると、初冬(年の瀬)の作品と見られる。もがな:詠嘆を込めた強い願望を示す終助詞。「・・・であったらなあ」「・・・と出来たらなあ」。願望を表わす上古語終助詞「もが」に、詠嘆の終助詞「な」が付いたもの。上代では「もがも」の形で、万葉集などに頻出する。この語尾の「も」も詠嘆。
2009.01.17
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伊丹十三監督『タンポポ』挿話(通称)「最後のチャーハン」井川比佐志 三田和代同 英語字幕入り「タンポポで最も悲しいシーン」映画全体の本筋とは別の、わずか4分間のシーンだが、深く心に残る。世界映画史に残るといっていいのではないか。井川比佐志、三田和代の鬼気迫るほどの入神の演技に加え、せりふのない子役の動きまで、ほぼ完璧である。涙止めえず。唯一、臨終を告げる医者役の演技が上手くないと思っていたのだが、医者も人間である。手立ては尽くした。精一杯やった。礼も尽くした。もう帰りたいよという気分を表現していて、これはこれでいいのだと思い直した。映画好きであれば直ちに気づくことだが、このシーンは巨匠・小津安二郎監督の代表作で、日本映画屈指の名作『東京物語』で母親が亡くなるシーンへのオマージュと挑戦が入っているのだろう。そこで大声を立てて泣くのは、大女優・杉村春子だったが、(・・・これがまた、書けば若干長くなるのだが、書いてしまおうか。当時のこととて、割と優しいけれどもやはり威張っている父親に忍従気味の古いタイプの母親に反発して、手に職をつけて自立して、今は天下の大東京で美容院の経営者として成功している長女・杉村は映画の初めから母親にクールでドライで冷笑的な言動を繰り返す。見事な脚本と演出を得て、歴史的演技派大女優の面目躍如の独壇場である。母親の危篤に際しても、ますますそのドライな怜悧さは冴えわたる。女って、女に対してこうだよなと、いちいち思い当たって男は苦笑する。ところがそれが、長大な伏線であったと気づくのが、くだんの母親の臨終シーンであり、この瞬時、魂の叫びのように杉村春子が泣き崩れる。「ああっ」という声だったか。そしてすべての伏線が回収されたのである。脚本・監督のたくらみであり、ドラマツルギー・作劇の見本であると思う)この長女役の子役の泣き声は、それに勝るとも劣らないと思う。長男役の子役もいい。母の死を目前にして茫然としつつ父の命に従い、その最期のチャーハンを黙々と食う。かなしみは、やがてじわじわと後から襲ってくるだろう。かなしい。
2021.09.05
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柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)大君おほきみは神にしませば 天雲あまくもの雷いかづちの上にいほらせるかも万葉集 235大君は神であらせられるので天の雲のいかずちの上に仮の宮殿を造らせてお住まいになっていらっしゃるのだなあ。註いほる(庵る):「仮小屋(寓居)を作って住む」意味の古語動詞。連用形の「いほり(庵)」は、名詞(英文法に擬えれば、いわば「動名詞」)として後世に残った。 稲妻 Lightning ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン * 画像クリックで拡大。
2014.08.15
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豊臣秀吉(とよとみのひでよし、とよとみ・ひでよし)露と落ち露と消えにしわが身かな なにはのことも夢のまた夢露と落ちて露と消えてしまったわが身だなあ。難波の日々やこれまでのさまざまなことも今となっては夢のまた夢だ。註史上最も有名な辞世歌であるとともに、境涯詠の秀歌といえよう。なにはのことも:「難波(大坂、現・大阪)のこと」と「何はのことも」(何もかも)を掛けている、なかなかの修辞。大阪での栄耀栄華の晩年も、わが生涯の全ての出来事も。
2011.10.29
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柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)しきしまの倭やまとの国は言霊ことだまの佐たすくる国ぞ 真幸まさきくありこそ万葉集 3254敷島の大和の国は言霊の助ける国だなあまことに幸いなことに。註「真幸くありこそ」を倒置法と解し、このように訳してみた。しきしまの:「大和、倭」に掛かる枕詞。言霊:原文「事霊」。古代日本語(やまとことば)では「事(こと)」と「言(こと)」は同一語。「ことば(言葉)」の語源は「言端」とされる。なお、よく知られた「言霊の幸さきはふ国」という表現は、山上憶良の長歌(万葉集894)「神代かみよより 言ひ伝つて来らく そらみつ 大和の国は 皇神すめかみの 厳いつくしき国 言霊の 幸はふ国と 語り継ぎ 言ひ継がひけり・・・」に出てくる。原文:志貴嶋 倭國者 事霊之 所佐國叙 真福在与具
2010.05.18
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壬生忠岑(みぶのただみね)暮るるかとみればあけぬる夏の夜をあかずとや鳴く山郭公ほととぎす古今和歌集 157日が暮れるかとみればもう明けてしまう夏の夜を、飽き足りないと鳴くのだろうか、山のホトトギス。註「暮るる」は古語の動詞「暮(く)る」(現代語「暮れる」)の連用形。「溢(あふ)る・溢るる」などと同様。「ぬる」は完了の助動詞「ぬ」の連体形。「・・・てしまう」の意味。詠嘆のニュアンスを持つことも多い。「風と共に去りぬ」は「風と共に去ってしまった」の意。字数の限られた和歌・短歌表現においては、非常に便利な言葉ともいえる。「郭公」と書いてあっても「カッコウ」ではなく、不如帰(ほととぎす)のこと。ホトトギスが夜鳴くのかどうか知らないが、そういう前提で詠んでいる。「明けぬる」と「飽かず」が、品のいい言葉遊びになっている。
2007.07.19
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TOKIOAMBITIOUS JAPAN!
2014.12.17
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高橋優 オ〇ニー*この曲のタイトルは、公序良俗に反するという理由で楽天ブログでは表示できません。
2016.10.31
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坂本龍馬(さかもと・りょうま)世の人はわれをなにともゆはゞいへ わがなすことはわれのみぞしる世の人は我を何とも言はば言へ我がなすことは我のみぞ知る自筆詠草(京都国立博物館蔵・重要文化財)世間の人々は私を何とでも言うならば言うがいい。私が為すことは私だけが知っている。註龍馬十八歳頃の作と伝わる。青春の逸はやる客気かっきと、「栴檀せんだんは双葉ふたばより芳かんばし」を地でいく悲壮な覚悟が漲みなぎった見事な一首。ゆはゞ(ゆはば):原文のまま。「言はば(言わば)」の土佐弁(訛り)という。「言ふ」の未然形「言は」に仮定条件の接続助詞「ば」が付いたもの。もし言うのならば。■高知県立坂本龍馬記念館・関連ページ* 論語・学而篇冒頭「人知らずして慍(うら)みず、亦(また)君子ならずや。──世間の人々が自分を認めてくれなくても恨まず憤(いきどお)らず、穏やかな心でわが道を貫く。これもまた立派な人ではあるまいか。」などを踏まえる。【参考書籍】宮地佐一郎 龍馬の手紙(坂本龍馬全書簡・関連文書・和歌詠草)かの有名な「日本を今一度洗濯いたし申し候」の文言を含む姉・乙女宛書簡全文などの肉筆原文写真版や、その読み下し文などの第一次史料を網羅した、龍馬・幕末維新史ファン必携の名著。(・・・ただし、文章は比較的平明ながら、現代語訳が付いていませんので、古文の知識がないと、細かい言い回しなどで少々ハードルが高い部分はあるかも知れません。)
2010.11.24
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ペヤング、バレンタイン用に「ギリチョコやきそば」発売うまいのかまずいのか、私も食べてないので分かりません ・・・こんなのもある模様。あんまり食べたくないな~
2016.12.12
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於もひをく言能葉なくて徒井爾行 道盤満よハしな類爾ま可せて 如水(花押)黒田官兵衛孝高 如水円清 (くろだかんべえ・よしたか じょすい・えんせい) 辞世思ひおく言の葉なくてつひにゆく 道はまよはじなるにまかせて真筆短冊福岡市博物館蔵思いを残し置く言葉など今さら何もなくて終ついの行き先に私は行くその道にもう迷うことはあるまい。なるにまかせて、行き当たりばったりで。註戦国乱世を駈け抜け、晩年に「如水(水の如し)」と名のった人の超俗洒脱な三昧境を示し、軽妙で涼やかとさえ見える非凡な辞世の一首。
2014.12.21
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吉井勇(よしい・いさむ)ゴンドラの唄いのち短し 恋せよ乙女紅き唇 あせぬ間に熱き血潮の 冷えぬ間に明日の月日は ないものをいのち短し 恋せよ乙女いざ手をとりて かの舟にいざ燃ゆる頬を 君が頬にここは誰も 来ぬものをいのち短し 恋せよ乙女波にただよふ 舟のやうに君が柔手やはてをわが肩にここには人目の ないものをいのち短し 恋せよ乙女黒髪の色 あせぬ間に心のほのほ 消えぬ間に今日はふたたび 来ぬものを作曲:中山晋平大正4年(1915)芸術座公演「その前夜」(ツルゲーネフ作)劇中歌(歌唱:松井須磨子)。註ロマンティシズム(浪漫主義)を基調とする歌誌「明星」派の歌人であった作詞者らしく、明らかに与謝野晶子の影響下にある情熱的な歌詞である。やは肌のあつき血汐に触れも見でさびしからずや道を説く君くろ髪の千すぢの髪のみだれ髪かつおもひみだれおもひみだるる
2011.12.17
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正岡子規(まさおか・しき)ベースボールの歌 久方のアメリカ人びとのはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも国人くにびとととつ国人と打ちきそふベースボールを見ればゆゝしも *若人わかひとのすなる遊びはさはにあれどベースボールに如しくものはあらじ九つの人九つの場をしめてベースボールの始まらんとす九つの人九つのあらそひにベースボールの今日も暮れけり打ち揚ぐるボールは高く雲に入りて又落ち来きたる人の手の中になかなかに打ち揚げたるはあやふかり草行く球のとゞまらなくに打ちはづす球キャッチャーの手に在りてベースを人の行きがてにする今やかの三つのベースに人満ちてそゞろに胸のうちさわぐかな明治31年(1898)、新聞『日本』に発表。歌集『竹の里歌』(明治37年・1904)所収註この歌発表の時点でまだ「野球」という訳語は確立していなかったが、なんと正岡子規自身が、本名の「升(のぼる)」をもじって、「野球(のぼーる)」という筆名を名のっていた。久方の:「天(あめ)」「雨」などに掛かる枕詞(まくらことば)。とつ国人:外国人。ゆゝし(ゆゆし)も:不穏な殺気がみなぎって、ぞくぞくするなあ。「も」は詠嘆。* 「近時、第一高等学校と在横浜米人との間に仕合(マツチ)ありしより以来、ベースボールといふ語は端なく世人の耳に入りたり」と別の随筆にある。さはに:たくさん。打ち揚ぐるボールは高く雲に入りて:揚げ雲雀(あげひばり、ヒバリの雄の求愛行動)に擬(なぞら)えているのだろう。なかなかに打ち揚げたるは~:中途半端に打ち上げた球は結局どうなってしまうのか危ういなあ、草原の中を留まらずに転がってゆくけれども。グラウンダー(ゴロ)。打ちはづす球キャッチャーの手に在りて:ファウル球がキャッチャーの手にあって。ベースを人の行きがてにする:「ホームベースにランナーを行き難くする」の意味の上古語(万葉集)的表現。三つのベースに人満ちて:満塁のチャンスもしくはピンチで。そゞろに(そぞろに):気もそぞろに。そわそわ、わくわくと。
2013.03.04
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西行(さいぎょう)心なき身にもあはれは知られけり 鴫しぎ立つ沢の秋のゆふぐれ新古今和歌集 362世俗を捨てて執着の心がない身にももののあわれはおのずと察せられるのだなあ。鴫が飛び立つ沢の秋の夕暮れ。註心なき:出家して世俗への執着を捨て去ったため、もはや情趣を解して喜ぶ心がなくなったこと。現代語「心ない」の「思いやりや思慮分別がない」という意味と全く無関係とは言い切れないが、ニュアンスは大きく異なる。 タシギウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2014.12.02
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橘曙覧(たちばなのあけみ)たのしみはあき米櫃こめびつに米いでき今一月ひとつきはよしといふとき志濃夫廼舎しのぶのや歌集 独楽吟どくらくぎん楽しいのは、空だった米櫃に米の蓄えが出来、あとひと月は大丈夫だという時。
2009.02.01
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