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くまんパパ 自由律俳句のおけいこ栄養がほとんどない胡瓜きうりを好む蛾を叩き殺して蟻の餌にやる麦秋に大臣が首を括つた睡蓮が妬ましい正午草原の朝ハードボイルドな卵だどうせあと三十年妻と君が好きだねむのきがねむたき芹は直射日光が嫌ひだほそいふともも交流抵抗インピーダンスけつこう合ふおまへたちがいのちだTBSが楽天になる
May 29, 2007
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純文学作家として円熟期にある、保坂和志氏の「書きあぐねている人のための小説入門」は、大変面白い本である。 私は小説家になる意思も能力も時間もない男であるが、広い意味での文学ファンとして、非常に示唆に富み、ためになった。この本に限らず、“小説入門”、“小説論”のたぐいの本は、表現論とともに、最終的には高度な人生論にならざるを得ず、書いている人ももちろん一流の文学者であるから、非常に面白くてためになるものが多い。中村真一郎氏の「小説入門」(光文社文庫)も、ちょっと古いが、小説の歴史が俯瞰の視点で一望できてすばらしい。折に触れて読んでいる、枕辺(まくらべ)の書である。ついでに言うと、私のもうひとつの枕頭(ちんとう)の本は、小林秀雄の畢生の名著「本居宣長」である。定評ある、史上最高の評論本であると同時に、最高の睡眠薬である。必ず眠くなるさて、小説形式には、すでにそれ自体に小説固有(プロパー)の抒情性というか、一種のバイアス(偏倚)がかかっており、けっこうそれが陥穽(わな)なのだ、というようなことが書いてあった。例えば、彼女は彼に、さよなら、と言った。・・・と書かれていると、これがもう“今生の別れ”というか、ウルウルの“永遠性”みたいなものを帯びてしまうというのだ。実作者ならではの、思わず笑っちゃうぐらい鋭い指摘だと思う。だから、こういう文章の延長線上に成立する「世界の中心で愛を叫ぶ」みたいな小説は、一番安直でお手軽なシロモノであり、私はそんなお涙頂戴の新派劇みたいなのは書けないし、死んでも書かないのだ。・・・とまでは書いてないが、まあそんな風にも取れる趣旨のことが書いてあった。小説形式自体が帯びている、そうした“負の抒情性”を“予感”させる文章さえ書きたくない、というのだ。なるほどと思う。純文学作家として、まことに志が高い発言だと思う。そんなわけで、保坂氏の作品は、玄人筋や見巧者(みこうしゃ)の読者からはきわめて高く評価されている反面、一般の(ウルウルしたい、泣きたい)小説ファンからは、ダラダラしてて即物的で、どこが面白いのかサッパリ分からん、とも酷評されている。・・・その結果、当然金にもならない ・・・が、それでいいのだ、と思う。短歌や俳句なんか、さらに固有の抒情性が強くて、これを利用したり排除したり、つまり、つかず離れず振り子運動したりしながら何とかかんとかやってるわけだ。石川啄木の短歌なんて、もう最初から最後までイジイジウジウジジトジトヂメヂメしていて、「いわゆる短歌的抒情」の塊である。はっきり言って、私は大嫌いである。同様に、「昭和の石川啄木」を自称した寺山修司も大嫌いである。ただ、この二人には熱狂的なファンが付いており、こういうことをあまり書くと、このブログは炎上する恐れもあるので、口を噤(つぐ)むことにする短歌・俳句には、「なんでも鑑定団」バリの、マニアックな面もある。一部の好事家にはたまらない世界だが、ほとんどの人にとっては「ナンノコッチャ?」の世界。俳句ってものの固有の抒情性は、もの凄く、狂おしいまでに研ぎ澄まされた、究極の、極限の叙情性である。僕は短歌もどきは詠むが、自分では逆立ちしても俳句は詠めないと思う。だが、俳人という人々を非常に尊敬しており、世界最高の詩人群だと思っている。なにしろ、五・七・五の、たった17文字(正確には17音節)の枠しかなく、おまけに正統派俳句の場合は必ず季語を入れなくてはならないから、ひたすら言葉を削ぎ落とし、研ぎ澄ますしかないわけだ。それが詩の表現には、かえっていいんだね。「理(理屈)」を入れる余裕はなく、また入れるのは大野暮のコンコンチキだとされるから、そういう方向で修行していると、皆多かれ少なかれ詩人になる。禅や瞑想の、悟りの境地みたいなものに近づく場合も多い。言葉が研ぎ澄まされた果てに、一つの確乎とした宇宙が立ち現れる。大抵の場合、静謐な、寂寞とした、永遠(とこしえ)を身にまとった、スローモーションのワンショットのような抒情である。俳句は、その“教祖”松尾芭蕉が、地元の大名・藤堂家の殿様の近習まで勤めた、れっきとした伊賀の武士であったこともあり(忍者・上忍説も無視できない)、寄らば斬るぞの武士道に近い凄みがある。本気でやるつもりなら、修行も厳しい。侘び、寂び、枯淡、孤独の表現に向いており、これが俳句形式が備えている固有の抒情かも知れない。笑いや理屈を入れたい人には、形式的には酷似している「川柳」という道もあって、そちらに向いている人もいる。短歌の方は、もっとずっと自由だ。いわゆる詩(詩情 poem)はもちろんだが、喜怒哀楽、全てOKだ。だから、東京・下北沢あたりでは、「絶叫歌人」なんてものも出没したりする。何でもあり、と言っていいくらいだ。五・七・五より七・七の14文字が多いだけで、全く質的な違いがある。理屈、論理、あるいは思想も、かなり入れられる。古今和歌集の大歌人・大江千里(おおえのちさと)の歌なんか、よく読むとけっこう理屈っぽいとも言える。また、エロス方面が得意だ。和歌も含めれば、俳句より歴史は遥かに古い(文献で確認できるものだけで、少なくとも1300年前から存在していた!!)が、むしろ「青春」や「恋愛」などとの馴染みがよく、表現としては若々しい。なにしろその歴史的淵源は、アジア少数民族に今なお広く存在する風習「歌垣」(山の中の「合コン」みたいなもの)だとされているのだから、当然かも知れない。「和歌、やまとうた」と呼ばれるようになってからも、「相聞歌(そうもんか、相互に贈答した恋歌)」が最も古い伝統を持つことは明らかだ。だから、万葉集と俵万智の共通点は、“青春の胸キュン”だ。先日も、武田晴信(信玄)が、下手な和歌で由布姫(諏訪御料人)のハートをつかんだばかりだこの場合、純文学小説では排除される“負の抒情性”が、総動員され発揮されたりする。さらにいえば、アニミズム(汎神論)風な原始宗教みたいな「言霊(ことだま)」の共同幻想さえ垣間見せることもある。しかも、和歌・短歌の“総家元”は、言ってみれば日本国天皇である。言い換えれば天皇のご道楽であるから、格調が高いことは言うまでもない。ちなみに、今上陛下の御製は、さすがにおおどかで帝王の御作にふさわしいが、特に皇后陛下の御歌は、お世辞抜きで本当に手練(てだれ)で、大変な名手であらせられる。読むたびに感服している。ご指導は、自ら大歌人である岡野弘彦・國學院大學名誉教授(読売新聞歌壇選者)である。そんなこんなで、和歌・短歌って、何かもうあらゆる意味で至れり尽くせりざんすね。というわけで、一生の趣味にするなら、短歌が一番いいに決まっているのである。・・・なんか我田引水・竜頭蛇尾な文章でした
May 25, 2007
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結社「短歌人」入会にともない、これまでの全作品をブログから削除しました。ご了承ください。
May 18, 2007
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心読むロールシャッハの図のごときローズマリーの花し真細密まぐはし自宅にてけさ撮影。註花し:この「し」は強調の間投助詞。特に深い意味はない。まぐはし:「くはし」は、精緻細密で美しいことをいう古語。やや意味が変わって現代語「詳しい」になった。それに接頭辞「ま(真)」がついた形。
April 14, 2007
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どつちみち昭和育ちの僕らゆゑ熱き桜の散り急ぐ宵
April 13, 2007
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人あらぬ街の公園ポスターの候補者らのみ桜と笑ゑみつ(拙作)近所の宇都宮市・千波町「千波公園」にてけさ撮影。春のエレクシオン くまんパパ県議会議員選挙はうららなるべた凪(なぎ)なれば楽しめずけり人あらぬ街の公園ポスターの候補者らのみ桜と笑(ゑ)みつ近所より党細胞がゐなくなりしづ心なる春の選挙(いれふだ)中学の一級下の女史候補あなただけが生き甲斐なのよ後輩の候補者来ありつまらない選挙だねえと一笑に付す変はり者の泡沫候補ご近所で親子代々変はり者なる東京都ブラウザ上で折りたたむやうに折りたたまれる少数石原氏優位は実(げ)にも益荒男の指導力(リーダーシップ)悪源太ゆゑ
April 8, 2007
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Blief explanation on Tanka poetry for foreign visitors.Thank you for your visit and welcome to Daddy Bear's "Tanka 短歌 poem" weblog site "Uta No Okeiko (The Study of Tanka)".Tanka is modern, contemporary and ethnic poetry of Japan.It is generally composed of 31(5,7,5,7,7) syllables (みそひともじ misohitomoji) in Japanese languege.This poetical form is based on "Waka 和歌 (or Uta 歌, Yamato-uta 大和歌)" traditional poetry of Japan that really goes back more than 1300 years at least.This traditional literature always grew under the aegis of Emperor of Japan Court (or "Emperor System").We Japanese feel beauty, elegance and a kind of (supreme) spirituality of it.I think Waka tradition and Tanka modernity originated by great Tanka and Haiku poet Masaoka Shiki 正岡子規 (1867-1902) is continuous, but some poets don't think so.It is probably a matter of view and subtle difference, well,well.Then, enjoy it.田児の浦ゆうち出でてみれば真白にぞ不尽(ふじ)の高嶺に雪は降りける山部赤人 (万葉集318、西暦700年頃)Tago no ura yu uchiidetemireba masiro nizo Fuji no takane ni yuki wa furikeruYamabe no Akahito (Akahito of Yamabe, Manyosyu No.318, about AD700)Coming out from Tago's nestle cobe,I gaze :white, pure whitethe snow has fallenon Fuji's lofty peakリービ英雄訳Translated by Hideo Levy 2004
February 12, 2007
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「ただいま」とあいさつすれば「ただいま」と三つ返事が来るあたたかさ俵万智「『寒いね』と話しかければ『寒いね』と答える人のいるあたたかさ」より正しくは「おかえりなさい」と言うんだよ なんてどうでもいいような冬
February 9, 2007
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「変じゃない?」心配そうに妻が問うウチの娘はにんじん好きでいとおしく思い当たりし遺伝かな我もにんじん好きな子なりき実写版ペコちゃんだよね赤いベロ出して微笑むわが姫御前(ひめごぜ)は現代かなづかい使用に踏み切りました。・・・ってほどご大層なことでもないけど。
February 4, 2007
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長歌冬ごもり僕の山下達郎と妻の竹内まりやとをかはりばんこにとりかへて聴くぞをかしき長き夜なる反歌めづらけき夫婦(めをと)なりけり仲良きか良からざるかは我知らねどもヴェランダで煙草燻らせ勘(かんが)へぬ獏たる夢と漠たるあしたおぢさんはかくもゆつくり歩き得ず自分探しの無間地獄は
January 12, 2007
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良きことが訪れるがになんとなう温(ぬく)き気分の初春の宵快感が僕の体を突き抜けた「いいこいいこ」を娘にされて「いやよ」とか拒みの意味の「いい」とかをきつぱりと言ふいい反抗期Slow Love and success ゆるやかな坂道だから手に手を取つて竹内まりや「スロー・ラヴ」冬を越す生きものたちの逞しさ清(すが)しと思ふ寒げなれども長塚節「たらちねの母が吊りたる青蚊帳をすがしといねつ弛みたれども」電線にひなたぼつこの雀の子やれ木枯しをふかせたまふな小林一茶「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」、「やれ打つな蝿が手を摺る足を摺る」リヒテルの平均律を流しつつ麦焼酎に酢橘搾れり本文( )内はルビ(振り仮名)。青字は引用、自註。© Nohara Sakamoto 2007 All rights reserved.
January 11, 2007
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わが髪を撫で可愛いと笑まふ子にくまのとうさんありがたうさん生きるとは君と一緒に気持ちよくなるといふことかも知れないねさつき、メイ、しはすしもつきかむなづき君の生まれし月を教へよ古本屋探せどあらず「タイタンの妖女」なりけりヴォネガット著の午前四時二十四、五分前なるも詠むべき言葉探せどあらずロバート・ラム「長い夜 25 Or 6 To 4」(シカゴ)/藤原龍一郎「とりあへず『つらき日暮れ』と書きてのち言葉さがせどさがせどあらず」などてかは知らねど不意に思ひいづジョージ・ハリソン慈愛の人を本文( )内はルビ(振り仮名)。青字は引用、自註。© Nohara Sakamoto 2007 All rights reserved.
January 4, 2007
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ややマニアックな話題かも知れないが、非常に遅まきながら、最近世界のディーヴァ(歌姫)Enyaにハマっている。ファンの方には、今ごろ何言ってんのよと笑われそうだが。この世のものとは思えないぐらい美しい作品群の中でも、とりわけ君のように美しく優雅な(誰に言ってるんだ?)名曲“Afer Ventus”の翻訳に、ここ数日取り組んでみたが、この歌詞は、何とラテン語(古代ローマ公用語)でごじゃりまする!!!make it through(成し遂げる)ことができれば、たぶん本邦初訳(!)になるかも知れないところであるが、私はラテン語の文法入門書は持っているが、辞書は持っていないのである。無謀とは、こういうことを言う。・・・その代わりといってはなんだが、かなり本格的な英和大辞典とイタリア語辞典は持っているので、それを頼りに調べたところ、名詞の類いはある程度解読することが出来つつある。ほとんど、江戸時代の「ターヘル・アナトミア(解体新書)」を手探りで翻訳した杉田玄白らの「蘭学事始」の世界である。またシュリーマンの楔型文字(だったっけ?)とかエジプトの象形文字(ヒエログリフ)の解読みたいなものである。まず初っ端、タイトルのイの一番目の単語、Aferが分からない(笑)。どうやら前置詞くさいが、早くもお手上げである。ただ、Ventusは、さすがラテン語の正嫡の末裔である現代イタリア語にもよく保存されてて、Ventoが「風」である。こんな具合で、一行目Mare nubium. Umbriel.は、 海 曇 蔭であることが判明した。Umbrielは、英語Umbrella(日傘)と語源的に関係があることは明らかだ。また後のほうに出てくるZephyrusは、知っていた。ゼフュロス神は、ボッティチェルリの名画「春(プリマヴェーラ)」や「ヴィーナスの誕生」にも出てくる、若い男の姿をした神で、地中海地方に春を告げる早春の西風(の神)である。日本語の「東風(こち)吹かば匂ひ起せよ梅の花」の東風(こち)と、風向きは逆だがニュアンスは似ている。スペイン語訛りの「セフィーロ」は日産車でおなじみ。英語訛り「ゼファー」も、確か男性化粧品か何かの名前になっていたと思う。そんなこんなで、この詞は、エンヤの歌に多い、海と航海、帆船などのイメージ(人生を象徴している)が鏤(ちりば)められていることはだいたい分かった。全く断念したわけではなく、今後も徒手空拳の悪あがきをしてみるつもりだが、とりあえず皆様には中間報告まで。・・と思ってたら、英語Webに英訳が載ってた。これなら私にも訳せます。ちょっとお待ちを。――すごくいい感じの詞なんで、お正月に掲載します。Afer VentusMare nubium. Umbriel.Mare imbrium. Ariel.Et itur ad astra.Et itur ad astra.Mare undarum. Io. Vela.Mirabile dictu. Mirabilia.Mirabile visu. Mirabilia.Et itur ad astra.Et itur ad astra.Sempervirent. Rosetum.Afer Ventus. Zephyrus.Volturnus. Africus.Et itur ad astra.Et itur ad astra.Etesiarum. Eurus.Running verse:Suus cuique mos. Suum cuique.Meus mihi, suus cuique carus.Mememto, terrigena.Mememto, vita brevis.Meus mihi, suus cuique carus.(Translation:African Wind)Sea of clouds. Umbriel.Sea of showers. Ariel.And we go to the stars. And we go to the stars.Sea of waves. Io. Vela. Amazing to say. Marvellous. Amazing to see. Wonderful.And we go to the stars.And we go to the stars.Always fresh. Rosetum. African Wind. Zephyrus. Volturnus. Africus. And we go to the stars.And we go to the stars.Etesians. Eurus. Running verse:Each has its own habits. Each its own.Mine to me, its own to each is dear. Remember, life is earth-born. Remember, it is brief.Mine to me, its own to each is dear.
December 29, 2006
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古塚の松美しき立夏かな夏野来て封人の家のくらがりに万緑の火の山へ牛放ちたり黒塚の岩を人這ふ青嵐牛追の角笛霧の那須野より袈裟懸けに神杉つなぐ烏瓜米づつみ枝に結びて山始牽かれきし牛つながるる若草野蛇姫の住みし二の丸梅ひらく間伐の杉ごろごろと蝮蛇草
November 22, 2006
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俳人で伯父の鈴木朗月(ろうげつ、本名・甲子郎)が、句集「初謡(はつうたひ)」を上梓しましたので、本人の許諾を得て一部抜粋でご紹介します。朗月は、1924年(大正13年)生まれ、栃木県庁の土木畑を歴任するかたわら、昭和50年ごろから俳句に親しみ、現在俳人協会栃木県支部幹事。「万象」同人。また、それに先立ち昭和30年に入門した能謡曲(うたい)では、昭和48年、宝生流教授免許。各地の能舞台、薪能などで活躍した。俳人協会・第41回全国俳句大会(平成14年9月)選者特選句受賞。平成17年6月、栃木県俳句作家協会・七木賞受賞。 今年82歳になるが、いたって元気かつ朗らかで頭脳明晰。甥である私には、昔からとても気さくで心優しい伯父であるが、こと俳諧においてはその句境は厳しく、完全主義の権化とすら見え、畏敬しています。なお、短詩型文学である俳句・短歌をはじめ韻文(詩)は、分からなさ・難解・晦渋性もその味わい・余韻のうちと心得ますから、下手な解説は付けません。(順不同)梅園の羽衣の松古りにけり春の水山際を出てほとばしる巫女も出て陽明門の煤払ふ氏神の裃借りて初謡小開きの扇にのせし能の笛薪能投げて広がる蜘蛛の糸邯鄲の能見て睡る薄着かな白鳥座真上にはずむ能囃子年若の師に叱られて寒稽古声張りて小鼓を打つ業平忌酔ふほどに沙翁を語る月の客姫女苑笑ひ閻魔の屋根に咲く吊橋がきらひで行けず葦簾茶屋秋草を丹波の壷にあふれしむチューリップ見てわらんべが踊り出すまた一つ古本屋閉づ西鶴忌風呂吹に始まる婚の口固め殻付きの生牡蠣食べて婚約すこの時婚約したのは、私の従兄弟である。特に親しみを感じる句である。
November 22, 2006
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Days In The Lifeきょう僕は新聞で読んだよ京都長岡京の運送業の父親と内縁の妻が3歳の子供を餓死させたがりがりに痩せこけた子供を見て男は女に「このままじゃ死んじゃうからやめてくれ」といったが継母の女は「そうやね」といったきりだった死ぬとは思っていなかったんだそうだ僕は君のスイッチをひねってあげたいきょう僕は新聞で読んだよ福岡筑前の13歳の少年が首を吊って自殺した素直で頭のいい子だったが教師からも同級生からもいじめ抜かれてたった一人の友達に気持ちを打ち明けて逝ってしまった自分の家にも居場所はなかったらしい僕は君のスイッチをひねってあげたい朝8時に飛び起きてテレビを点ける コニちゃんと子供たちが垂乳根の母が釣りたる青蚊帳をすがしといねつたるみたれども――長塚節(母が吊った青いかやを爽やかだなあといって寝た、たるんでたけどね)なんて歌っているビーンスタークの「つよいこ」をぬるま湯に解かして260cc(キュービカルセンチメートル)のあたたかいミルクを作るまだねむねむの子供たちを揺り動かして起こすのは僕の役目だやっとの思いで哺乳瓶を銜えさせて お目覚めのミルクをおいしそうに飲む娘たちの顔を見ながら僕は夢見心地きょう僕は新聞で読んだよ大阪岸和田で15歳の少年が殴る蹴るの暴行を受けた上餓死寸前で発見された父親はこわ面のヤクザみたいなDQN(ドキュン)だったが本当は現実に直面できない弱虫の駄目男だったんだろう真っ暗な部屋の鮮やかなブルーシートの上に放置された少年の体は生きながら半ば腐爛し始めていたという僕は君のスイッチをひねってあげたいジョン・レノン、ポール・マッカートニー「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」(ザ・ビートルズ)より。「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブバンド(ペパー軍曹の孤独心倶楽部楽団)」所収。© Nohara Sakamoto 2006 All rights reserved.
October 29, 2006
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い ち ご ミ ル ク を く れ た き み 四十年近く前うちは僕をタラオとする磯野家みたいだったからコカコーラは三世代の家族そろって何かの儀式よろしくこわごわ飲んだお爺ちゃんとお婆ちゃんは薬臭いと苦虫を噛み潰したような顔でこのマッカーサーが持ち込んできた異国の飲み物を唾棄するように貶して二度と飲もうとしなかった僕も正直言って三ツ矢サイダーの方がおいしいと思ったかっぱえびせんが新発売になったときを覚えているこれはすぐ虜になった初代のイメージキャラクターは噺家の柳家小せんだった小せんえびせん かっぱえびせん 一度食べたらやめられないちなみにカルビー製菓の名は かっぱえびせんにカルシウムとビタミンBが豊富だということから名づけられた 真偽のほどは知らないそれらはともかく東鳩からいちごミルクが新発売になったときさっそく教室に持ち込んで 僕にも一個くれたのはきみじゃなかったっけ?ずいぶん長い付き合いになるねえもう三十年以上も たまに会ったり 思い出したり 忘れ去ったりしている一度 とんでもなく親(ちか)しくなる機会さえあった僕はそのとき心の準備が出来てなかった申し訳なく思っているで そのいちごミルクは 空前絶後にうまかったあれ以上うまいお菓子に あれ以来出会ったことがないもっとも 男というものは成長するにつれて自然と甘いものが苦手になるものだ 不可思議な現象だねたぶん生物学的には メスと子供に必要な糖質を与えるためだよ科学は万能ではないが大抵のことは説明できる なめてはいけないオスは種の遺伝子を保存するために自分という個体を犠牲にするようにプログラミングされている ああ愛しき大河ドラマそれにつけてもおやつはカール君の研究社英和中辞典はすべてのページにアイロンが掛けてあって手に持つとふわふわゆらゆらさらさらぱらぱらと捲れて机に置いてもふかふかに脹れていたねとはいえ 研究社の各種英和辞典は 文学的な単語が足りないはっきりいうとエッチな単語が しっかりと排除されているのが不満だ教育的配慮か何か知らないが 情報操作されているような被害妄想さえ感じる英和辞典の中からエッチな単語を探し出すのは 思春期の男の子の(女の子も?)大きな楽しみの一つだ実を言うと僕は密かな英和辞典評論家なのだやっぱりそういう点では S社のP英和中辞典が一番だ なにしろこれはアメリカのR大英和辞典の縮刷版という性格も併せ持っているからね今 猫も杓子も大修館のジーニアスかい さもなくば学研のアンカーふん つまらん(ここ 大滝秀治さんの声色で)あのド秀才の学年のマドンナを何のためらいもなく猫みたいなあだ名で聞こえよがしに呼んでいたのも多くの場合きみだったのではなかったかきみの茶目っ気と人懐っこさと人徳は二十世紀の七不思議だ学者になり人妻になったきみを こないだ街で見かけた冴えない顔して歩いていたこっちも二日酔いで不精髭を剃り忘れていたので 声を掛けなくてよかった松任谷由実の卒業写真の歌詞だと声を掛けられたんだっけ?この点はネットで調べればすぐ分かることだけどどっちみち なかなか歌の文句のようにはいかないよね
October 25, 2006
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嵐 の 夜 と 龍 の 夢テレビを見てないから現代人じゃないと思うラジオは聴いてるけれど野球もサッカーも興味がないから変人だと思う相撲は好きだけどその代わりに夢を見ているこんなにも穏やかな秋の夜長にふさわしくないムソルグスキーのような嵐の一夜にメガロポリスと龍の夢を見た繰り返し繰り返し僕の夢に現れてくる北の大地の漆黒の中に高光る平安の京が僕といふ鳥の俯瞰する視界の中に碁盤目みたいに整然と煌いているすると突然鳴り渡る伊福部昭のアイヌの旋律の重厚な響きそうだ 「モスラ対ゴジラ」の音楽だわが密かに心酔していた最も信頼できる具眼の映画評論家の金坂健二が日本映画のトップ1に挙げていた隠れた名作だフランス文学者の中村真一郎 福永武彦SF作家としてデビュー直前の星新一らがああでもないこうでもないと寄ってたかって作り上げたメルヒェンモスラの卵の鎮座するインファント島の白日夢から古関裕而のあの歌謡ショーみたいなテーマ曲を駆逐して成ったその音楽は四十年後の僕の魂に今も鳴り続けている文楽は見に行くものでなく聴きに行くものだというポール・マッカートニーは映画は見るものでなく聴くものだと言ったそうだ 僕にとっても映画館の暗闇は伊福部昭のコンサート会場だ戦争と平和 北海道と東京 日本とアイヌとを一身に体現した骨太な男の七人の侍では百姓を演じていた大部屋役者たちと日劇ダンシングチームによる東宝原住民(かつては土人と呼ばれた)と酋長円谷英二による東宝自衛隊が露払いを務めて十分なアトモスフィアが醸し出されてのち核戦争の悪夢を身にまとったゴジラがかつてムー大陸が沈んだという南太平洋の共同幻想の中から徐ろに立ち現れるいけない鳥爺のわしは龍の話をしていたのだつたその龍は唐突に炎のように僕の眼前に姿を現わし僕の視界と身体に絡みついただがこれはカラミティではなくリアリティなのだった とは単なる駄洒落だ龍の巨大な躯体は燦然と輝きながら中空にのたうち回りその尾のひと振りが都市に鎧袖一触するときビルディングは咆哮し電線はスパークして蒼ざめた仄めきを放ち別世界からの警告がくっきりと闇夜に示されるそして都市の夜景の上に飛翔し躍動し天空へと昇り去った稀に見る瑞夢というべきだろうフロイト、ユング、アドラー、シェルドンもびっくりの僕の意識の深いところから涌き出てきた根源的な力の顕われ惜しむらくは またはあろうことか それとも あにはからんやさもありなん 何でもいいが 龍の顔はキングギドラそのままだったギドラって何だ 銀河のドラゴンか ギラギラしたドラゴンか何にせよドラゴンに変わりはないから僕は身を任せて揺れているそしてあの神話のヤマタノオロチが二重写しになつて銀河の光が漣となって零れ落ちてくるようにとめどなく僕の体の中へ流れ込み流れ込み流れ込んでくるのだった おしまい
October 24, 2006
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