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『各所のクライマックスの雄大で圧倒的なエネルギーは、信じられないほどだ。-山崎浩太郎氏』グッドオール(グッドール)の《トリスタン》が復活する。1995年に海外盤で発売されたCDが廃盤になったあと、10年近くも入手難だったのだから、待望の復活である。よく間違われるが、この演奏は原語のドイツ語版である。英語訳詞版は《ニーベルンクの指環》(CHANDOS)だけだ。そして、スケールは大きいが間延びした部分も少なくない《指環》や《パルジファル》(EMI)とは対照的に、この《トリスタン》には、弛緩する部分がまったくない。深く呼吸し、大きくうねりながら、全曲が滔々と流れてゆく。そして各所のクライマックスの雄大で圧倒的なエネルギーは、信じられないほどだ。例えば第2幕の〈愛の二重唱〉の終わりの大爆発。こんな凄い演奏はフルトヴェングラーもクナッパーツブッシュもC.クライバーも、誰もやっていない。また第3幕のトリスタンの死の「痛さ」と、それを嘆くイゾルデの悲しみ。それらすべてを呑み込んでいく長大な〈愛の死〉。グッドオールという人の波瀾の人生は、この《トリスタン》を人類に遺すためにあったとさえ、思う。イゾルデ役エスター・グレイの、渾身の絶唱も忘れがたい。[文;演奏史譚 山崎浩太郎氏]----------------------------------------------------------12月6日にタワーレコードで入手可能だそうだ。はてなダイアリーのあるかたのブログで今日初めて知った。HMVにはいまのところ載っていない。これはさっそく聴いてみなければいけない。
2006.11.26
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すっかり出不精になった。それとともにデブ症になった。これではライトの Debth Note に名前を書かれてしまう。 ダイエットをしなくてはいけない。わずか一年弱で100kg超の体重から50kg台へのダイエットに成功した女性がいる。その名をマリア・カラスという。伝説のカラスのダイエット法をご紹介しよう。寄生虫の一種、“さなだ虫”を食べては虫下しを飲む、これを繰り返したそうである。一週間で3kgという驚異的なペースで体重が減っていったという。どなたか試みてみる人いますか?P.S.写真はサンザシの花。コンブレーにたくさん咲いている。本文とはまったく関係ありません。
2006.11.23
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天文学者ぼくは幼い頃から星空を眺めるのが好きだった。冬ともなれば午後3時ころから暗くなるこのデルフトの町では夜の5時ともなれば、もう真っ暗で夜空にはそれこそ降って来るほど大量の大小さまざまな星が光り輝いていて、そうだ、あの星座がオリオンだ、あれが北斗七星だ、とさまざまな物語のことを思って、母に早く寝なくてはいけないと注意されるまで、ぼくは飽きることなく夜空の星を眺めて楽しい時を過ごすのだった。長じて16歳を迎えた春のこと、ぼくは織物業者だった父の伝手を頼って、天球儀の権威のベルナルド師に就いて、それからは学者として、母に夜更かしを怒られることもなく、心ゆくまで、星の研究に没頭することが出来るようになった。そんな穏やかな学究生活を送っていたぼくにとって、あの9年前の『火薬庫大爆発』ほど、衝撃の大事件は無かった。デルフトの街のほぼ半分を壊滅状態にしてしまった、火薬庫の爆発と、それによって引き起こされた大火事による災害は、ぼくが星の研究を続けていくことが、この大災害で苦しむデルフトの町の人々にとって、何の役にも立たないのではないか、そういう思いからぼくは抜け出すことが出来なかった。そのようなぼくの暗いこころを元気付けてくれたのは悪餓鬼フェルメールの一枚の絵だった。ぼくより4歳年上の、あの悪餓鬼フェルメールは、幼い頃は勉強はちっともしないで悪戯ばっかりしていたくせに、絵だけは馬鹿みたいに上手かった。そんな悪餓鬼フェルメールが炎上から免れたデルフトの町を精緻に、心を込めて、一心に描ききることによって、デルフトに住む人々のこころに生きる勇気と希望を与えてくれたのだ。一枚の絵がこれほどの希望と勇気を与えてくれるとは…。フェルメールの一枚の絵によって再び天空の研究に真剣に取り組めるようになったぼくは、そうだ、あの悪餓鬼だったフェルメールさんに、感謝の思いを込めて、ぼくが真剣に天球儀を眺めながら研究に打ち込んでいる姿を描いてもらうと決めたのだった。フェルメールさんに依頼してから約一年、出来上がったこの絵にぼくはとても満足している。
2006.11.15
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オランダの画家フェルメールは、現存する作品中、風景画を2作品しか残さなかったが、では他の作品で彼が描いたのは何だったか?彼は人物を描いた。この作品は『絵画芸術』と題され、画面左に、頭には月桂冠を冠り、右手にはトロンボーンを、左手には黄色い革表紙の分厚い本を持つ女性がポーズをとっており、それを背を向けた画家が絵に描いているところが描かれている。キャンバスにはポーズをとる女性の月桂冠が描かれている途中だ。いわゆる「アトリエの画家」がテーマの作品。第二次世界大戦中はヒットラーの手中に在ったという。
2006.11.12
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オランダの画家フェルメールはその生涯において、二つの風景画を描いた。「デルフトの眺望」と、この「小路」である。オランダは長いあいだ、スペインの圧政から独立しようと、ハプスブルグ家スペインと戦ってきた。そんなオランダはプロテスタントの国、市民の国だ。画家のパトロンになる大教会(カソリック教会)もなければ、大貴族もいない。新築なった家の居間に架ける絵としてオランダ市民が好んだのは風俗画だった。なぜ室内風俗画を好んで描いたフェルメールが風景画を二つだけ、描いたのだろうか?
2006.11.11
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ミントジュレップは、バーボンウィスキーとミントの葉の、爽やかで冷たい、いかにも夏にふさわしいカクテルだ。まずグラスの中でミントの葉二、三枚を砂糖と一緒につぶし、香りを出す。そして、細かく砕いた氷をびっしり詰める。そこへバーボンを注ぎ、たっぷりと冷えるまでよくステアする。最後に、緑色のミントの葉とレモンのスライスを飾れば出来上がりだ。そんなミントジュレップを彼の兄の鈴木とぼくは夏の初め、七月初旬の頃、当時住んでいた湘南の海を眺めながら一緒によく飲んだものだった。しかし彼の兄、ぼくの友達の鈴木は、大学卒業を目前にして、運転免許を取って間もなく、交通事故を起こして、あっけなく死んでしまった。それ以来、ぼくはミントジュレップを飲んだことがない。今日、十数年ぶりに彼に会って、彼がミントジュレップを飲む姿を見て、彼の兄の鈴木のことを思いだそうとしたが、なぜか大破した車の残骸だけが目に浮かんでしまって、彼の兄の顔は夏の終わりの台風を待つ風のなかに、うまく像を結ぶことが出来なかった。そうだ、来年こそは、きっと夏の始まりにミントジュレップを飲もう。そうすれば、元気だった鈴木とぼくが、ふたりの失われた時を超えて、ぼくの心の中に、生き生きと蘇ってくるだろう。夏の終わりのミントジュレップは、来年の夏への挽歌なのかも知れない。ぼくはそう思った。 ー了ー
2006.11.09
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海を前にして飲むアルコールは、とても心をなごませてくれる。わたしは波の音と快い酔いに、ゆったりと身をゆだねていった。 しばらくして、ミントの葉の入ったグラスを、バーテンダーが男のテーブルに運んで行った。ミントの葉の緑が鮮やかで、こちらにまで爽やかな香りが漂ってくるようだった。わたしはミントジュレップを飲むために顔を上げた男と目が合って、思わずハッとした。「あれ、き、君は鈴木君の弟さんじゃないか!?」まだ若さの残っている顔を、男は一瞬ぼんやりさせた。それから、目を細めてわたしを眺め返した。「ええ、ぼく、鈴木ですが…」「ほら、ぼくは昔、この辺りで君のお兄さんと一緒に」「ああ、兄貴の友達の…」「そう、お兄さんの友達の●●だよ。どう、よかったら一緒に飲まないか」ええ、と男はうなずき、自分の酒を取りに奥のテーブルへ足を向けた。つづく。
2006.11.08
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「ご馳走さまぁ」真ん中のテーブルで食事をしていた、地元らしい若い男の子と女の子のカップルが立ち上がった。奥の男は、相変わらず背中を見せたままだ。ギィーッ、パタン。鎧戸の音が、わたしを感傷から現実に引き戻してくれた。「オンザロック、もう一杯」奥の調理場に向かってわたしは声をかけた。先刻とまったくおなじように、間延びした返事が返り、そしてバーテンダーがのんびりとフロアに姿を現した。「台風、明日あたりきそうですね」彼は愛想をいい、それから、先刻よりはウィスキーがたっぷり入ったグラスをテーブルに置いた。若いが、なかなか気のきく男だ。「俺もこれ、もう一つ」奥のテーブルにいた男が、調理場へ戻るバーテンダーの背に声をかけた。「ええっと、ミントジュレップでしたね」振り返ったバーテンダーの顔は、面倒くさいなあ、と言っているようだった。が、わたしと目が合うと、慌てて笑顔をつくった。ミントジュレップか…。確かにあれは、手間のかかるカクテルだ。わたしはいくらかバーテンダーに同情しながら、三杯目のウィスキーに口をつけた。つづく。
2006.11.04
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白いペンキがところどころはげ、なんとも侘しい海沿いの酒場だった。鎧窓から見える海までが、なにか白ちゃけてゆがんで見える。「ウィスキーください、オンザロックで!」無人のカウンターに向かって、わたしは空のグラスを上げた。「はーい」ドアの向こう、調理場の方からのんびりと、どこか間延びした男の返事が返ってきた。十五年ぶりに訪れた酒場だった。フロアには、昔ながらの丸い木のテーブルが数卓、無造作に置かれている。客は私を含めて四人。背中を向けた男が奥に一人。中央にカップルが一組。そしてわたしは、海に面した窓のそばのテーブルに腰を降ろしていた。「つい十日ほど前までは、若い子たちであふれていたんですがね。」料理人を兼ねたまだ若いバーテンダーが、ウィスキーと一緒に、ぼやきともなぐさめともつかない言葉を残して去った。 窓から見える海には、人影がまばらだった。低気圧が近づいているせいか、青い空を白い雲が飛んでいく。海面も三角に波立ち、その頂が白く崩れている。つづく。
2006.11.01
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