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命を惜しめ。何度も土方歳三は近藤勇に言った。組織のために人を殺した男は、自分の友であり、新選組の局長に、今までとはまるで別のコトバを言っていた。そのコトバ。そのコトバの意味をもっと前に彼は気付くべきだった。試衛館の八人のうち、勇とともにいるのは歳三、一人となる。もしも皆は今、そこに居たら、流山に皆が居たとしたら、彼らはきっと、勇を助けてくれただろう。五年前、中山道、本庄宿。先番宿割を任され途方にくれる勇のもとに、試衛館の面々は颯爽と現れた。それぞれの個性を生かして浪士組に宿を割り当てたものだ。人の力とはそういうものだ。滝本捨助が、勇のピンチを救ったように。歴史に「もしも」はあり得ない。だが歴史の背後には歴史が続いている。始まりの点から現在へ、ずっと、ずっと。生きているのだ。お孝さんが沖田総司を叱っている。アリンコを握り潰した総司に。彼を守り抜こうと絶えず懸命な彼女だからこそ、本当に、アリンコも踏まないように避けて歩いているかも知れない。新政府軍の制服を着る、加納鷲雄。伊東甲子太郎の傍らにいた男は大久保大和と名乗る近藤勇を見つめていた。眩いほどに正々堂々と座している。その男は、ゆっくりと微笑みを浮かべ、彼の苦悩を察するように正体を明かしたのだ。命を惜しめ。だが彼は嘘がつけない。彼は嘘がつけないのだ。ずっと、そうであったように。嘘がつけない近藤勇、他人の痛みを知っている近藤勇。だからこそ、試衛館の面々は彼に力を貸した。友人たちはそんな彼が好きだった。友人たちだけではない、彼を知る多くの人がそうだったのだ。大久保大和と名乗りながら、近藤勇は、有間藤太に本心を明かす。有間もまた、勇だと見抜きながら見過ごそうとしていた。それでも、歴史に「もしも」はない。山南敬助が、井上源三郎が生きて居たら。沖田総司が元気で、藤堂平助も隣りに居たら。永倉新八も原田左之助もそこに居たら。もし、勇と和解した伊東甲子太郎が生きていたら。そうすれば加納鷲雄は、官軍に非ず、徳川の世も続いていたかも知れないのだ。多摩では、総司が試衛館を継いで、神社では再び皆が集い、頭に瓦をつけて試合をしていた。斎藤一や島田魁たちも顔を揃えている。おたまちゃんや、茂くんもいる。だが、流山にて。勇は歳三と今生の別れを交わしていた。一年間に及ぶ物語が終わろうとしている。お幸さんと近藤つねさんが鉢合わせしたときも、皆が勇を嘘で助けようとしたが、彼は嘘をつかずに本当のことを自ら話した。そして流山でも、近藤勇は嘘をつき通せずに、自らの運命を受け入れていた。命を惜しめ。そのコトバの意味を歳三はもっとはやく気付くべきだった。この物語の中で、勇と歳三、二人の青年は、歴史を動かした多くの人物と出会っていたのだ。ならば、他の人生があったはずなのに。過去は現在に続いている。現在は未来に続いている。この物語にある宝物がゆっくりと心に染みてくる。歴史に「もしも」はないのだ。それが、生きているということ。アリンコが生きているように。みな、生きている。追記:今回はあまりにもカッコイイお話で、目を白黒させてました。自ずと日記の表現も「クサく」なり、照れながら書いておりました(笑)加納に見せた香取・近藤の笑顔で、このドラマの近藤勇がキレイにつながりました。「ああ、俺、嘘はもうつけない」という香取の表情と、三谷脚本に見終わった今も、目を白黒させています。
2004.12.05
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母親に連れられてアーロン少年がやってきたのは京劇学校。もう、勉強しなくてもいいから、なんとなく彼は嬉しそうだ。でも、母親は哀しい顔をしながら契約書にサインをしていた。さぞ、貧しい家庭だったのだろう。京劇を学ぶ代わりに、息子の衣食住は保障される。デカ鼻の子供は後のジャッキー・チェンである。1962年、アーロンは9歳。京劇学校の年長者、サモ・ハン・キンポーは13歳。ユン・ピョウもいる、まだ6歳だ、幼い。香港明星を演じる子供たちがとてもよく似ている。厳しいユー先生を演じるのはサモ・ハン・キンポー、子供たちを怒鳴り、指導しながら、愛情深く見守る暖かい恩師の姿があった。子供たちの笑顔が明るい。京劇学校に送られてくるのはワケありの子供たち。先生のいないときはバカ騒ぎ、一般の家庭の食料を盗もうとしてりする。だが芸を学ぶ時は真剣である。信じられない角度で曲がり、回転し、狂いなく着地する、バネのような身体と、お腹から出される声は、強く、しかも澄んでいて、世界に行き渡るかのように轟いている。最初は拙かったPainted Faces京劇の派手な化粧もやがて上手くなってゆく。親もない、家もない子供たち、いつも笑顔を忘れず助け合っている。明るい笑顔だ。心から笑っている笑顔に見えた。京劇のみを学んできた子供たち。学校に通い、家庭で育った子供たち。何も違いはない、何も。要は、何を育み、収穫してきたか。京劇を学ぶ代わりに彼らは、一般の教育を受けることなく過ごしていた。いつも同じ服装、髪型、履き物。差別の対象ともなってゆくが、ユー先生は彼らに誇りを持つことを教える。それだけの芸を彼らは培っていた。連日の舞台の素晴らしさ、興味深いのは、夜、学校を抜けだし、彼らがディスコで踊りくるっている姿だ。縦横無尽、明らかに他とは違っている動きだった。ただし、アーロンの恋は、環境の違いで、あえなく散ってしまったが。時代の移ろいは激しい。京劇の衰退、ウー先生の同窓のスタントマンの死。学校は閉校を余儀なくされる。生徒たちの行き場を必死に探すユー先生。彼はスタントの事務所にあの三人を推薦する。サモ、アーロン、ピョウ。彼らの初の仕事は虐殺される中国人。カメラが主役に向けば、ベテランスタントは起きあがるが、三人は監督のカットがかかるまで、死の苦しみを表現して演じ続けていた。それが、ウー先生の教え、芝居が続く限り、最後まで演じる、監督がカットというまで、芝居は続いている。全て彼らには、当然のこと。仕事を失ったユー先生は、誘われていたアメリカへ旅立つ。厳しかったユー先生、何度も怒られ、叩かれ、だが生徒たちは別れを惜しみ続けていた。1991年の映画、その時はまだ、ユー先生は、アメリカで後進の指導をされていたという。もちろん、三人の香港明星の活躍は周知の通り。この学校の卒業生たちはスタントを含め多くの方々が映画で活躍している。明るい、子供時代の笑顔。彼らは多くを育み、実りを収穫した。厳しい修行だったというのに、本当に、明るい笑顔。真剣に生きていたのだろう。
2005.02.02
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