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岸田さん、辞めて、という気持ちが奥さん同様日々強くなります。電気料金への補助金を8,9,10月だけ出すってか。ふざけとるなんでこんなに物価が高い時に、電気料金への補助金をやめるのかと思ったら、急にまた出します、て。たった3ヶ月。しかも7月暑いんですけど。国の予算は70兆円を超えたのに、前年のあまりは30兆円。野党からの質問に、岸田首相は、それは繰越金で・・・て、余ったのが繰越金になるんでしょうが。しかもそれを取っておいて、前年同様税金を取るなんて、一体どこに税金を使うつもりなのか。また、先日イタリアで、ウクライナへ新たな支援とか。財布が違うと言いたいのでしょうが、外国に大盤振る舞いをする前に、物価高に大増税で苦しんでいる自国民を見捨てるなんて、一刻も早く首相を辞めて下さい。自国民の中でも、若い人や低所得層がギリギリを通り越している現状なら、外国へのお金を自国民に回すのが筋でしょう。自民党の中にもまともな人がいるから、そういう人達を中心に政治を進めて欲しいですね。だって、野党で良い所あります❓ただ、青山繁晴さんが言っていましたが、青山さんを総理戦に立候補させない為に、推薦人下ろしが始まっているそうです。新しい(正しい)考えを嫌う層が多そうですね。国会議員が無税でもらっているお金が多過ぎる。それをあくまで守ろうとしている人達がいるのだろうけど、文書費は未だに廃止されないから、それだけでも年間1200万円で、庶民の年収を軽く超えてる。それ以外にも、無税のものも沢山ある。どうして、お金が掛からない政治を、という方向に考えが向かないのか。共産党以外がもらっている政党交付金だって、私達の税金から出ている。自民党は160億円以上。余っても返すことはごく稀。税金から160億円以上1つの政党に渡っているなんて、頭がくらくらするわ。日本の国力を弱めようとする圧力に、結局逆らえないのかな、日本の首相は。いつもポチっと応援ありがとうございますにほんブログ村にほんブログ村
2024.06.30
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紫式部は「源氏物語」の作者として、彰子の侍女として迎えられましたそれは間違いないと思うので、ここで疑問が。紫式部は宮仕えをしたことがないはずなのに、どうして「源氏物語」で宮中のことを描けたのでしょうか❓父の為時は、花山天皇が春宮だった時に漢文を教えているので、宮中に上がったことはあるでしょう。父に宮中の殿舎の様を聞けば、大体の造りはわかると思いますし、それぞれの殿舎の細かいしつらいを描いてはいなかったかな、と思うので、主に人間を描いていけたのかな、とも。ただ、桐壺の更衣が局々の女房達にいじめられたような出来事で、こなたかなた心を合わせて、桐壺が天皇の元に上がる途中の道の扉を閉めたり、廊下に汚い物を撒いて通れなくしたり、という描写がありましたね。これは想像でも書けるのかな❓為時は一時、村上天皇皇子の具平親王家に仕えたことがあるとか聞きます。やはり家庭教師のようなことをしていたようです。その為、紫式部も具平親王邸に女童(めのわらわ)、或い若い女房として仕えたことがあるのではないか、という説もあります。それなら、具平親王邸は内裏ではありませんが、立派な邸であったでしょうから、内裏のイメージはつきやすかったかもしれません。尤も内裏の中でも、後宮について詳しくないと、「源氏物語」の最初は書けないかな、と思います。為時が具平親王邸によく通っていたことは事実で、後に頼通の妻に、具平親王の娘を望んだ道長から、紫式部は相談をされています。が、為時は道長(頼通)と具平親王の間に立って動くことはしませんでした。こういう時に、上手く動けないんですね、為時、て。道長と紫式部 と宰相の君宰相の君は、”あの”道綱の娘です ここで、道長が具平親王家について訊ねたことに注目してしまいますね。何故なら、父親が通っていただけでは紫式部には親王家のことはわからない訳で、やはり紫式部が具平親王家をある程度知っていたからこそ、道長も度々式部に聞いていたのでしょう。特に、紫式部は女性ですし、学識もあったなら、親王の娘達に仕えたであろうことは想像出来ます。道長が聞きたかったのも、具平親王の長女で後に頼通の妻となる隆姫のことでしょう。道長に聞かれたことを、式部は「紫式部日記」に、「(道長に)相談されて、心の中では色々考えさせられた」と書いているのが引っ掛かります。当時の風習として、元の主人について言いふらさなかったというポーズもあるかもしれませんが、頼通との結婚に反対だったのか、何を考えさせられたのかが疑問です。紫式部とはどちらの家も身分が違うので、反対の仕様もないはず。ほんの短い文章ながら、これが日記の中にあるのは意味があるからでしょう。彰子の敦成親王の誕生を主として書かれた「紫式部日記」ですが、清少納言も含む女房達の批評が、恐らく後から入ったり、自分の身の上を書いたりと、本当に個人的な日記にもなってもいます。やはり、若い頃に具平親王邸に仕えたことがあったと見ても良いのかな。いつもポチっと応援ありがとうございますにほんブログ村にほんブログ村
2024.06.29
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⭐道長闇落ち❓予告で、道長が「(彰子の入内を定子のお産に❓)ぶつけよう」と、怖そうな声で言っていたので、ここで道長闇落ちかと思ったみことです。どうかな❓愛する娘が生贄のように不本意な入内をせざるを得ないので、それが腹立だしくてのセリフでしょうか❓これまでも、定子への嫌がらせについては一切取り上げられなかったですが、この先定子はもちろん、自分の家の邪魔になる者は、脩子内親王だろうが、敦康親王だろうが、三条天皇だって遠慮なし、その皇子で春宮に決まっていた敦明親王だって遠慮なしの嫌がらせの嵐。これを総てスルーするのとしたら、それはこのドラマが「光る君へ」であり、主題がまひろと道長の恋愛だから、ということでしょう。そうすると、清少納言を罵倒する内容もスルーか、或いは、某かの力によって仕方なくそう書くとか。まぁ、定子のサロンを下げろとか、そんな圧力でしょうか❓⭐モードは先例に従わない実資がよく言うのが、「先例に従って」。宮中儀礼については、先例の通りに行わなければならない、というのが大前提でした。でも、みんながみんな総ての儀礼について知っているはずもなく、若い人は経験がないので、予め教えてもらったりしなければなりません。そうでないと、これは、過日借りた「小右記」の中に書いてあったのですが、あまりに酷く間違えたり、間違いばかりであった場合、殿上人達は「あごが外れる程笑った」。これが帝もいたような行事だったかどうかは忘れましたが、酷いですよね。女房同士のいけず、嫌がらせはしょっちゅうだったようですが、男性もこうとは貴族なのに、品も格もあったものじゃない。よく調べて練習してこない方も悪いとは思うけど。でも、三条帝辺りから、先例を破ることも多くなってきます。と言うか、モードに関しては、先例は関係ないようで、女性はもちろん、男性が衣装に凝るのも良いとされました。勾欄に掛けた裾に刺繍で様々な絵柄を描いていたようです裾だけでなく、ここでは見えませんが、下の方に重ねている衣服に凝るのがおしゃれでした。色とか、叩いて艶を出すとか。「駒競行幸絵巻」久保惣本 (頼通の屋敷で行われた今でいう競馬の催し)特に道長の娘達に関してで、道長自身も結構派手好きで、娘達の入内に際しては、衣裳はもちろん、几帳、衣装箱、その他の家具・調度類総てそれまでと違った意匠を凝らしました。過剰な程の装飾、と言えば良いかな。「栄花物語」では、「いまは昔の例に従わず、新しいのが好まれるので・・・」みたいに書いています。衣装についても、前に書いたように 刺繍をしたり、銀で袖口を飾ったり。後冷泉帝の時代になると、鏡を袿に縫い付けて月に見立てたり、有名な和歌を刺繍で衣装に字を書いたり・・・と趣があるを通り越して、文化の爛熟が見られます。あ、これは、普段の服装ではなく、歌合せ(和歌の会)などの行事の時です。(C)NHK三条帝で思い出しました。道長の次女姸子との間に禎子内親王が生まれた時、道長へのおもねりもあったのでしょう、三条帝は本来親王にしか贈らない剣を早速届けています。これは、その後受け継がれていき、現在も皇室では皇子が生まれても皇女が生まれても剣を贈りますね。⭐伊周が行ったとされる「大元帥法(たいげんのほう)」。詮子と道長を呪詛したとされる件で、この大元帥法は天皇しか行うことが出来ないものでした。それも罪に問われました。この大元帥法を終戦間近に行ったので、ルーズベルト大統領が急死したというのは、奥さん、本当ですか❓確かにルーズベルトは急死しましたよね。明治維新以降は宮中では行われず、ルーズベルトの時も神官や僧侶が、これは記憶が不確かですが、伊勢神宮に集まって調伏したとか・・・。怖い・・・。いつもポチっと応援ありがとうございますにほんブログ村にほんブログ村
2024.06.26
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一条帝は、定子と詮子の間で苦悩したようですね。その所為か、定子が亡くなった時は行成を前に、嘆き悲しんだ一条帝ですが、詮子が亡くなった時はさほど悲しんだ様子が書かれていないようです。それで、今では詮子が定子に良くしなかったので、亡くなった時、息子から冷たい反応をされた、とされています。 (C)NHKこれは、大河ドラマの考証をしている倉本一宏さんの説でもあります。というより、もしかしたら、倉本さんの考察が一般化したのかも。調べていないので、わかりません。私が持っている倉本さん著の「一条天皇」(2003年初版・2004年二刷)の中には、詮子が亡くなった時、道長は「思い嘆くこと極まりなし」「権記」と書いてあるのに、一条帝に亡くなった時の様子、その後の葬儀一連を行成が報告すると、一条帝は翌年の正月の戴き餅という行事を行う公卿を任命するだけで、母宮に関しての言葉はなかったようなのです。詮子は亡くなる5日前に行成邸に渡ったので、最期の様子は行成がよく知っているのに、それも訊ねなかったようです。病が重くなってから、一条帝は母宮を見舞っているし、そこでは泣いたりとまだ40歳の母親が重い病に罹っていることを嘆いています。 (C)NHK特別母親に冷たい訳でもないとは思いますが、大人になるにつれて、今の男性もそうだと思いますが、母親が煙たくなったことはあるでしょう。更に、詮子は道長を何かと立て、政治にも口出しをしたので、途中から煩わしく感じたことはあったかもしれません。道長を関白(実際は内覧ですが)にしたり、彰子を中宮にして一帝二后にすることを、道長から頼まれて詮子は一条帝を説得する役割も果たしています。また、正月には、帝は親の元へ行幸(朝観の儀)するのが普通ですが、998年から詮子が亡くなる1002年まで、この朝観行幸が行われていないのです。詮子の体調が悪かったこともあると思いますが、5年間一度も無かったのは意外です。亡くなった人の方が、心に強く残りますよね。一条帝の定子に対する愛情はいや増し、過去のことを悔いることもあったことでしょう。それにしても、やはりこのドラマの衣裳担当の方でしょうか、緑が好きみたいですね。詮子が入内した時、まひろが宮中に上がった時、そして今回は清少納言の唐衣がコバルトブルー的な緑で綺麗でした。 (C)NHKいつもポチっと応援ありがとうございますにほんブログ村にほんブログ村
2024.06.25
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4年前の兄 弟 弟のKは、何でもくわえる年ごろのようです。 いつもポチっと応援ありがとうございます👄にほんブログ村にほんブログ村
2024.06.23
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まだ彰子は入内していません。これで、年内までに紫式部の人生の大半を描けるのだろうかと、少々心配なみことです。 彰子に白楽天「新楽府」を教える紫式部(右)。彰子は小袿ですね。私、写真を切ってしまいましたが、紫式部は後ろに長く裾を引いているので、唐衣・裳を着けているようです。覚えていますか、奥さん❓新楽府には、庶民の社会批判や風刺が収められているので、施政について参考となる書で、一条帝も紫式部が新楽府を読んでいるようだと言っていましたね。あと、お産時、みんなが真っ白け、の絵巻も先日のブログに載せましたので、お暇な時に是非どうぞこれからいよいよ彰子の入内となりますね。彰子に帝の妻は務まらない、と言っていた道長が、どのように変わるのか、どうして彰子を入内させようとなったのかに興味があります。彰子は数えの12歳で裳着(女子の成人式)をし、入内します。彰子の裳着には、従姉である中宮定子からも贈り物がありました。また、実資は知らなかったので、当日道長邸に行かなかったことを、後で人を通じて道長から注意を受け、困惑しています。前回の放送では、居貞親王(後の三条帝)が、定子が困っているようだから、何か送ってやれ、と言っていましたが、定子は親も兄弟もいなかったけれど、そこまでは困っていなかったようです。脩子が生まれた時、一条帝から遣わされていた女房に沢山の贈り物をしていて、その女房から水臭いことを、と言われています。誰がやりくりしたのかはわかりませんが、中宮としての物は与えられていたので、生活に困ることはなかったと思います。 (C)NHK赤ちゃんまで、どの子も可愛い「光る君へ」実資も定子は出家したので、もう中宮ではないとして、その後敦康親王を産んでも、「世の人は、これを『横川の河聖(かわひじり)』と言う」と、日記に記しています。私が若い頃、この一文の正確な意味は不明とされていましたが、今では、変わり者の横川にいある聖=僧に例え、定子が出家しているにも拘らず、子供を産んだことを嘲笑したとされています。「出家らしからぬ尼」と言う意味だと、佐藤有貴氏は書いています。出家した定子から生まれた親王だったので、実資はこんな書き方だし、道長に至っては、当日の彰子の女御宣旨の方が遥かに大事なので、日記には何も書いていません。でも、ここで親王が生まれたので、公卿達も形勢がどうなるかわからず、敦康親王誕生時にはお祝いに駆け付けています。敦康親王が生まれたこの日は、彰子が入内後、女御宣旨を受けた日と重なり、貴族達は両方のお祝いにあたふたしたようです。貴族達も勢力を見極めて自分の動きを決めるので、とても難しい状況でしたね。いつもポチっと応援ありがとうございます👶にほんブログ村にほんブログ村
2024.06.22
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今度は、ブログを書いている途中にパソコンがデバイスの異常が・・・ということで自動的に再起動となり、タイトル以外が消えてしまいました。もう、買い替えでしょうか。それより、2019年に買ったスマホを買い替えたい昨日は母のいるホームに行って、パソコンでの作業をし(パソコンを40年以上前から得意としていた母も、最近は目が疲れてダメなのだそう)、まだ残っている本や家具を買い取ってくれるお店に電話をして、見積もりを依頼しました。昨日は元気に行けました。何も考えずに出かけたのが良かったかな。お夕飯の後、ソファに座っていたら、急に心臓がバクバクバク。下でも向いたっけ❓いや、向いていない。まぁ、そのうち収まるでしょう、と思ったら、全然収まらない。心拍数は110位。主人に言っても、原因がわかる訳、ないですよねー。そのうち心臓の辺りが痛くなってきた。でも、痛みは不安になる程ではない。痛みよりは、このバクバクを、誰か止めてやだなー、これ、どうなっちゃうの。と思いながら、今日は日中は梅干しの🍙を食べただけだったので、お水を飲みました。一応、小さなペットボトルに麦茶を入れて行ったので、途中でも飲んでいましたが・・・。お水を飲んだら、収まってきましたあー、良かった大分経ってから、主人が、「大丈夫か」と。覚えていたんだ。でも、主人らしく、すぐ大騒ぎしないので助かります。お風呂は止めて、寝ました。でも、0時過ぎまでソファにいました👅いつもポチっと応援ありがとうございますにほんブログ村にほんブログ村
2024.06.21
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2回もUPしたはずのブログが無い、てどーゆーこと❓折角書いたのにぃ何を書いた、て、UPできるかわからないけど、もう1回。「光る君へ」に出ている女優、俳優さん達の顔が似ている件です。最初は綺麗だなぁ、イケメンだなぁ、と思い、そのうち、またこういうお顔❓と。誰の好みなのかな、と。女優さんは、円融女御遵子、実資妻婉子女王、伊周妾光子等。丸顔でお目目パッチリ。俳優さんは、公任、一条帝、伊周、三条帝等。イケメンぞろい。はじめは、私が年取ったので若い人達の顔が同じに見えてしまうのかな、と思ったのですが、若い人が、同じ顔のタイプばかりなので、最初は区別がつか無かった、と言っているのを聞き、やはりそうなんだと思いました。公任、超イケメンですね。これからもこういうタイプの人達が出演しそうなので、目の保養をさせてもらいます・・・ついでに老眼も良くならないかな。いつもポチっと応援ありがとうございます👓にほんブログ村にほんブログ村
2024.06.19
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昨夜はひっさしぶりの外食でした。先月母の米寿のお祝い会はありましたが、私としては幹事でもあり(予約しただけだけど)何としても行かなくては、という気持ちでした。で、今日は、このチラシを一昨日見て、 「明日のお昼にでも行こうか」と言ってしまったのが運のツキ一昨日は気分が良かったのです。埼玉ではのどぐろはなかなか食べられない・・・昨今はそれなりのお店に行けば食べられるけど、ので、のどぐろとか聞くと、取り敢えず食べたくなります。でも、朝から何となく脱水気味だったので、お昼は止めてもらいました。で、夕方。どうする❓みたいな雰囲気。すると、途端に具合が悪くなったような感じになる私もうね、呆れますよね、米寿の会の時大丈夫だったのに、急に不安になる。しかもあの時は電車に乗って行き、昨日は内の車なのに。でも、行きました。のどぐろは無くなり次第終了、みたいなこと書いてあったので、5時半過ぎに家を出ました。6時少し前に着き、お店はまだ空いていました。私は、”とんでん”初めてです。来ました、来ました 右上に、最後にかけるだし汁がありましたっけ。誰かが言っていた通り、のどぐろが割りとちゃんとした量載っていて、嬉しい。薄っぺらくもなかったし。以前は一夜干しののどぐろを取り寄せたので、甘みをとても感じましたが、こちらは甘みは感じない代わりに、脂が乗っていて美味しかったです。最初は塩だけをつけて、それからわさび醤油と小ネギやごまを乗せて、最後にだし汁でした。日本人の所為か❓わさび醤油が美味しかったりしました(^o^)他の料理を頼んだ長男に少し上げただけで、完食🩷お陰様で、楽しめましたいつもポチっと応援ありがとうございますにほんブログ村 にほんブログ村
2024.06.16
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今日は、お風呂場の床の隅のゴムパッキンなのかな❓が黒ずんでいるので、そのお掃除をば。こんな感じ カビキラーやキッチンハイターでは取れなかったので、ググったら、漂白剤と片栗粉を混ぜてペースト状にしたものを塗ると良いと。漂白剤50mlに片栗粉を50g。こんな風に。 それをパッキンに塗り、ラップは勿体ないのでスーパーのビニール袋を切り開いてパック。 こちらは洗面台❓の下 30分~1時間置いたら流します。ここで注意片栗粉が固まってはいけないので、水で流しましょう。 ライトが必要だったかな❓綺麗になりましたでも、うちは折戸式の扉なのですが、このレールが本当にすぐに汚れる。茶色や黒の、垢と汚れが混ざった物かな、こちらはすぐ取れるけれど、私がマメではないのが困ったものいつもポチっと応援ありがとうございます🛁にほんブログ村にほんブログ村
2024.06.15
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奥さん、ここ数日蒸し暑い日が続いていますが、関東は今日は33℃の予報です。各地で暑いと言われていますから、くれぐれも気を付けましょうね⚠️さて、出産前の定子と清少納言は白い服を着ていましたね。後ろの屏風も白っぽかったと思います。 当時は、お産が始まったら、皆でワイワイ屏風や几帳を白に替えました。御帳台と呼ばれる柱で囲まれた貴人の寝所。ここで、お産。彰子のお産を書いた「紫式部日記」にも、道長の息子達や四位、五位の官人達も手伝って室内のしつらえを大急いで城に変えたとあります。もちろん、衣服も白に替えますが、これは女房達だけだと思われます。男性は近くにいたようですが、産所に入らなければ良かったようです。不確かですが。女性はそれこそ、袴以外は白。お産が終わって7日間は白一色で、8日目に普段の服に戻ります。ここでも室内の装飾を変えるのは大変そうですね。 うちにある「紫式部日記絵巻展」のカタログから。上の方、御帳台の中で横になっているのが彰子、それを覗いているいるのが紫式部。近くの女房達もみな白の装束です。白だけと言っても、二陪織物が許されている人は織り模様を凝らし、許されていない人は裳の腰の部分に銀糸を使った刺繍を施したり、服の袖口に銀を塗ったりして、少しでも他人と違う意匠を試みました。和歌の会等はもちろんですが、こうして服にも拘るのが女房達の心得のようなものになっていて、あまりに手を加えていなかったり、みすぼらしいと他の女房達が陰で笑いものにする、といったこともあったようです。女性が衣服に拘るのは昔も今も同じでしょうね。お産がそろそろだと言う頃になると、日頃は実家にいがちだった女房も駆け付ける為、いつもより多い人数が部屋にいることになり、皆裳や唐衣まで身に着けているので、どれが誰の裳かもわからず、身動きもままならないという有り様だったと「紫式部日記」にあります。そして、これが彰子の2人目のお産の時は、なんと史上初、袴も白にしたとか。第一子は夏の終わりのお産だったので、袿もあまり重ねられなかったようですが、この度は11月末だったので、綾織物、二陪織物、固紋や浮紋、と様々だったそうです。この『袴も白く』は、彰子の妹達のお産でも倣ったそうです。京都の夏は暑いので、当時女性はこんな格好もしたようです。うすものの、今でいうかとりや絽でしょうか、涼しい素材1枚だけ着るのです。大胆ですよね。道長の末子嬉子も妊娠中にこの格好でいたのを、衣服から透けて見えるふっくらしたお腹やお乳が・・・なんて書いてありますから。透けて見られるのもOKなんですね。 これでも袖や袴が暑そうだけど🐽まひろが一度宮中から下がる時、裳に模様が無かったようにも見えました。清少納言は、前に後ろから撮った映像がありましたが、裾の方に草木かな❓の模様がありました。まひろの裳にも模様があったのかもしれませんが、控えめにして、まだ貧乏らしさを出していたかも。ただ、裳の裾の方は写らなかったので、わかりませんが。でも、唐衣は二陪織物だったのですよね、固く織った物ではなかったけど。衣装の一番上に着るだけに、生地にも織り模様にもみな拘ったようです。 勅許が要るのは、唐衣も同じだと思うのですが・・・。「光る君へ」では、有職故実をかなり大事にしているので、考えてのことだとは思います。いつもポチっと応援ありがとうございます👘にほんブログ村にほんブログ村
2024.06.14
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大河ドラマ「光る君へ」ですが、NHKが出している公式ガイドブックを見て、先の話を挙げている人もいるようです。で、それを見てみたら、ビックリあくまでドラマなので、史実通りに作らなくて良いのですが、歴史上有名な人物程そうなると驚きますよね、こちらは。で、何に驚いたのか、て紫式部の娘が道長の子だとあら~、ありそうで、それは無理だろうと思っていましたが、もし、本当にガイドブックの粗筋がそうなっているのなら、そう話は進んでいくのでしょう。 スゴイ。感嘆。ひたすら感嘆。大石静さん、思い切ったのねー。自由に想像を膨らませ、創作しましたね。でも、大河もドラマ。”ドラマティック”なんて言葉もあるのだから、いっそ現実離れした方が見る方は楽しいでしょう。そうなると、ここから先は、何があっても驚きません。元々、2,3回見たところで、まひろと道長の恋愛はドラマとして楽しむ、と決めていたので、そこに、歴史が、いや、逆だ、歴史上の事件に2人の恋愛がどう絡んでいくのか、かな。いえいえ、2人の恋愛は歴史上の事件と全く関係なく展開することが出来ますね。そうなると、益々フリーダム🚀(もう宇宙まで飛んでいけ~)2人の子供であっても、まひろが一人で育てるしかないのだから、特別交流が増えるとも思えません。今まで通り、心の友、というスタンスでしょう・・・か❓もう全然私なんかには読めません。奥さん、どう思います❓あー、驚いた。いつもポチっと応援ありがとうございますにほんブログ村にほんブログ村
2024.06.12
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2024.06.11
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昨日の大河ドラマで、入内した元子や義子に対して一条帝が関心を示さないので、倫子が帝と元子を我が家に呼んで・・・となりましたね。一応書いておくと、帝が出かけることを行幸といいますが、臣下の屋敷に赴く時、屋敷の臣下は、それぁ、もう大騒ぎさとなります。家中を磨きたて、遣り水をさらって綺麗にし、何なら建て替えをして、帝を迎えます。つまり、行幸はあんな風にこっそりとは行えません。さて、元子を一条帝と会わせてくれると言うので、父親の顕光は道長に深く、ふか~く感謝する途中で遮られていましたが(笑)、前に書いたように、顕光はちょっとズレている人で、周囲からはそう言う目で見られていました。カンニングペーパーを見ながら行事を進めても間違え、皆嘆息。三条帝に関する儀式では、道長がやんわり辞めるように言っても聞かずに行い、失態だらけで道長も実資も日記に罵倒したり、間違いを総て書いていては、筆が擦り切れる、と呆れ返っています。他にも、彰子の第二親王のお祝いの席では、親王への贈り物を壊してしまい、周囲の人達のほうが真っ青になったことが、「御堂関白記」や「紫式部日記」にあります。また、お酒を飲み過ぎて”年甲斐もなく”(この時65歳)女房にしつこく絡んでいると、「紫式部日記」にも書かれており、よく人から笑われたり呆れられたりしています。こんなん、持っていました。五島美術館、あ、そうだ、日本文学科の友達と一緒に行ったんだった 酔った顕光の態度はこんなんだったかな、と。実は、これ、説明では公任となっています。皆酔っぱらっていたので、公任もそうだったのかな❓ついでに実資も乱れた雰囲気の中、実資が女房の袖口を数えている姿が、人より優れていると、紫式部は書いています。中には、これは過差(贅沢)を禁止する法が度々出されているのに、特に道長家ではこれを破って贅沢を娘や女房達にさせていたので、実資は女房が袿を多く着過ぎていないか、数えている、なんていう説もあります。こんな場でそうでしょうか❓因みに、頁の間に挟まっているのが、顕光だということです。見えないかな❓ そんな顕光の娘達ですから、ちょっと私達は不安になり・・・ませんか❓でも、前に書いたように、元子は一条帝の寵愛を受けています。彰子入内後も、彰子はまだ12歳でしたから、帝は昼間は彰子の局に、夜は元子と一緒に過ごしたようです。何かおかしなこと (^-^; はなかったようです。一条帝亡き後は、村上天皇の息子である為平親王の子源頼定の妻となり、娘を2人産んだようです。 元子の妹に延子がいます。こちらは、昨日のドラマに出ていた居貞親王の長男である敦明親王を婿に迎えます。まだ、親王が春宮になる前のことです。こちらも仲が良かったようで、子供も3人❓生まれ、顕光の堀河邸で暮らしていました。敦明親王は一旦は春宮になったものの、周囲からの圧迫、或いは周囲からの無関心により自ら退位することを道長に何とか伝えます。自分の2人目の孫を春宮につけたかった道長は感謝して、明子腹の寛子を敦明親王の妻とします。これで、親王は延子邸には滅多に来なくなり、嘆き悲しんだ延子はある日、鼻や口から血を流して亡くなったと「栄花物語」にはあります。実資は、心労が原因だろう、と書いています。可哀想ですね、これでは父と一緒に悪霊にもなるでしょう。顕光は死後、道長の娘達に祟ったので、「悪霊左府」と呼ばれるようになり、道長一家には恐れられました。だから、恨みを買うようなことはするもんじゃない、と言いたいところですが、この孫が春宮になった時点で、他の系統が天皇になる可能性がなくなり、道長も一息つけたという状態になったのでしょう。いつもポチっと応援ありがとうございますにほんブログ村にほんブログ村
2024.06.10
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道長には2人の妻がいましたが、その子供達の扱いにははっきりした区別がありました。倫子の娘達・・・彰子・姸子・威子・嬉子 全員入内(春宮妃を含む)明子の娘達・・・寛子 廃太子された敦明親王=小一条院(院待遇)と結婚 尊子 源師房(後の右大臣)の妻 唯一皇室と関係ない結婚倫子の息子達・・・頼通・教通 どちらも大臣・関白明子の息子達・・・頼宗 右大臣(倫子腹長男・頼通に協調して) 顕信 出家(出世の登竜門である蔵人頭になれそうだった のに、三条天皇がそれを翻したor乱暴事件を起こした顕信 に道長が激怒して就任を認めなかったからとも言われていま す) 能信 頼通に徹底的に反発・喧嘩して、道長からも叱責さ れたり・・・で、権大納言まで 長家 倫子の養子となり、行成、実資、斉信等から娘の婿に、 と大人気でしたが、最終官位は権大納言。 (C)NHK更に、詮子の四十の賀(40歳のお祝い会)で、頼通と頼宗がそれぞれ別の舞を舞ったのですが、頼宗の舞が素晴らしく、見ていた一条帝も衣を与える程で、他の公卿達も次々と衣装を頼宗の舞の師に与えました。これを見た道長は機嫌を損ね、部屋に入って出てこなくなってしまいました。同じ息子なのですがね実資は、これは、倫子は正妻なので、正妻腹の頼通より頼宗を誉めたことに対して怒ったのではないかと書いています。帝からの再三の呼びかけで、やっと出て来る、というような態度もとるのが道長です。また、この時、先に怒ったのは倫子だったとする説もあります。何故かはわかりませんが、道長の兄道隆は、自分の初めての子である道頼を全然気に掛けなかったので、見かねて兼家が初孫の道頼を養子にしたほどです。因みに、伊周は異例のこととはいえ、父道隆により内大臣にまで登りましたが、道頼の最終官位は権大納言でした。道隆には道頼の次、伊周の前にもう1人、次男が生まれていますが、こちらは庶子(私生児)としての扱いで、最終官位も正四位下・左近衛中将で、公卿にすらなれませんでした。 ✨公卿とは 大臣、大納言・中納言・参議・三位以上の官人のこと道長は、倫子とかなり気が合ったらしく、結婚後は先に結婚した明子より倫子の方を正妻扱いしています。2人の妻は、後見する親がいた倫子と没落した明子とは違いますが、それでも2人共皇族の血を引いてすし、子供をこのようにハッキリ区別する理由はよくわかりません。明子は詮子が大切に育てたという説の他に、詮子の上級女房であったとも言われていますから、そうだと倫子を上に見るかもしれませんね。また、子供達それぞれの性格や人柄を見て、入内させるか、大臣にするか・・・というのも、親の立場では案外難しいものなのかもしれません。多分、倫子との方が目指すところも、気も合ったのかなと。倫子の積極的・活動的な面は道長と協調し、更に母譲りで気配りが非常に細やかだった面も、道長や娘達の出世、宮中での立場を良くしたと思われます。ドラマではまひろを忘れられない道長ですが、もう倫子とバッチリのカップルだったようです。いつもポチっと応援ありがとうございますにほんブログ村にほんブログ村
2024.06.07
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ボビンレースを始めて・・・1年半弱でしょうか。最初は折り方の図が読めないので、お手本の動画を見ながら、1つ1つの過程を文章にしたり、最後に糸を閉じるのですが、閉じる糸の目がわからなくなって、もうテキトーにするしかなかったりと散々でした。が、それでも止めるまでにはいかず、何とか今日まできました。最近も難しくて困っていましたが、最初の頃に織った物復習がてら、紅茶ポットやらを乗せるレースを織ることにしました。いやぁ、サクサクいけますね。やはり、少しは進歩していたのか、図を見ればわかるし、織り方も不安はありませんでした。まぁ、出来栄えについてはそこそこですがね。やっぱり予習より復習が大事、でしょうか❓中学・高校生だと予習をすれば、授業が復習となりますが、この年では、それは無理🐽最後につなげる目も、小さいのでわからなくなりがちなので対策を講じ、今ではわかるようになりました。最後に閉じる目とはこれ赤い丸の中です。これでも、初心者用のデザインなので、太目の糸を使っています。 丸を大きく取る為に、1回ねじっているのを直してから(小さくて直せなかったら諦めてそのまま)、2本で1組になっている糸の左側を丸に通し、輪を作ります 輪の中に右側の糸を通して、キュッとしめます その後、2本の糸を固結びします。 写真と工程、合っています❓ (^-^;最後は糸を短く、短く切り、レースを裏返して出来上がりですお見せする必要もないのですが、下は織っている間にわからなくなったり、目をすっ飛ばしたりしたド初期のもの。折角織ったので、自分がソファで飲む飲み物を乗せています。次は、これを織り直しましょうか。 マジでひどいですね💦いつもポチっと応援ありがとうございますにほんブログ村にほんブログ村
2024.06.04
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ドラマは長徳の変で中関白家が没落し、伊周等の母高階貴子が亡くなるという悲しい結末となります。貴子役の板谷由夏さんの演技は涙を誘いましたね。 (C)NHK兄弟は地方へ左遷され、母を失った定子は初めての子を身ごもります。しかし、定子が髪を切ったことで、僧を呼んでの正式な出家ではなかったものの、当時、特に女性が髪を切るということは、強く出家を意味したと思われます。また、この後皇女を産んだ定子が一条帝に呼ばれて宮中に参内した時、一条帝はこれまで同様に定子に構うのを、定子は”あるまじきこと”として拒んだ、と「栄花物語」にあります。これから見ても、定子自身が絶望のあまり出家を決意したことがわかります。さて、定子周辺は、「中宮様は出家されていない」と言っていたようですが、世間では定子は出家したと思われ、それでは帝に妻がいないと言う状態なので、それまで中関白家に遠慮して、というか、道隆が他の女性の入内を認めなかった為、他の女御はいなかったのですが、ここで、一条帝の跡取りを作るべく、女御達が入内していきます。これは、母である詮子の意向もあったようです。一条帝時代、春宮は冷泉系の居貞親王でした。一条帝は円融帝の息子ですから、皇子が生まれれば居貞親王の次の春宮に立てることが出来ます。まず、公季(きんすえ・道長の叔父に当たる人・でも兼家の25歳年下の異母弟なので、道長との年の差は10歳)の娘の義子と顕光の娘の元子が入内します。公季は妻が親王の娘、顕光も妻は内親王なので、義子も元子も天皇家の血を引く、定子よりも高貴な生まれです。その後、一条帝の乳母で一時道兼の妻でもあった繁子が、道兼との間に生まれた尊子を入内させます。こちらは、母の身分も低く、一条帝が乳母の気持ちを汲んで入内させてあげた形なので、寵愛もなかったようです。この義子の入内を、兄の娘を入内させて息子が生まれれば、と期待した道長の意向だったとする説もあります。でも、翌年彰子が入内していますから、それはどうかな❓元子は、父親に似ず魅力的な女性であったようで、一条帝も寵愛し、それは義子より勝っていたとあります。彰子入内前は道長もどうしようもなかったのですが、999年に彰子が入内すると、義子や元子は宮中に上がれず、天皇とも会えなくなります。そんな時、彰子が里邸に下がっている時に天皇は元子を呼びましたが、道長を憚ってか、元子は夜に参内し、明け方には里邸に帰っています。また、道長もこの元子の参内を詳しく日記に記しています。この後、道長や頼通の養女・娘が入内すると、他の女御達が男児を産まないようにする為か、他の女御は数年間も参内出来ないという状態がしばしば見られます。元子は妊娠しても、結局は流産だったと思われます。「栄花物語」には、お産をした元子のお腹からはただ水だけが流れ出たと書いています。想像妊娠とも違うし、もしかしたら、奇形が生まれたとか、死産だった(死産はよくあることでしたが)とか、何か普通では起こらないようなことが起きたのでは❓と思われます。今は、流産とすることもありますが、産み月に生まれているので、流産ではないですね。道長の娘達は中宮になった為か、夫を亡くした後もそのままですが、元子と尊子は、一条帝没後再婚をしています。でも、元子に男性が通っていると知った父の顕光は、元子の髪を切ってしまい、これは当時の人々も避難しています。元子の相手は、村上天皇の皇子為平親王の息子であり、血筋も人柄も良かったからです(ちょっと女性問題を起こしたことはありますが)。女御が再婚をしてはいけない決まりもなかったので、顕光の行動は行き過ぎ、と見られたのでしょう。いつもポチっと応援ありがとうございますにほんブログ村にほんブログ村
2024.06.02
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定額減税なんて何の意味もない年4万円だけど、住民税非課税世帯にはほとんど恩恵ゼロ。所得税減税も、非課税世帯は元々所得が低いから恩恵が少ない。一方税金が新たに掛けられるもの、値上がりするものの方が多く、実質大幅増税ですよね、奥さんおまけに給与明細に書け、て、どんだけ恩着せがましいの。総務関係の人の仕事は増えて迷惑なだけ。それより、増税分も併記するべき。書ききれないと思うワ。何がひどい、てこれだけ国会でもSNS上でも増税止めろと言われているのに、岸田さんと財務省が耳を貸さない点。目も見えないのでしょうね。定額減税じゃなくて、消費税を撤廃するか減税すれば、我が家の様な低所得層こそ、そして国民全部が助かることが何故わからない。森林環境税とか言ってるけど、これ、復興税が終わるや否や創設されたわけで、しかも2年前から支給はされているけれど、39%が使われていない。・・・使われていないのに、更に取る。子育て支援金も払わされる。でも、肝腎の子育て家庭からも徴収でしょ❓計算した人が言うには、もらう金額より子育て支援金の税金の方が高いと。もー、脳みそがあったら、こんな制度は考えつかないでしょ。また、国と企業、個人の資産は併せて9700兆円を超え、それに海外資産が418兆円強、外貨準備額約189兆円、経済収支は20.6兆円の黒字と、財務省が国会で答弁しているのですが。それを把握しているのに、日本は借金国だ、税金を上げねば破綻する、と言い続けるの❓しかも日本は通貨発行を自国でしているのに。かてて加えて、増税を閣議決定で決めてしまう、て、岸田さん、あんたいつから独裁者になったの❓(怒)それで、何千万も何十億ももらったりキックバックされたりした自民党議員は所得税ゼロ、今に至っても払う気なし。これで、国民が納得しますか、てことよね、奥さん。5万円から記入、てやましいことがないならば、1円からが国会議員としては常識です。また、領収書等は7年間保存が決まりなので、10年後に公開、てとっくに捨てた後でしょう❓これも、10年後に、と言うのがわからない。やましいところがないなら、毎年ちゃんと公表しましょうよ。中国大好き議員も多く、太陽光発電もかなり賄賂な流れているようだけど、世界遺産の土地にまで太陽光発電が既に計画済み、貴重な水源地は中国人によって買い取られているけど、どうして売ることが出来るの❓アメリカかな、外国では、相手国の土地を購入出来ない国に対しては、自国の土地を売らない、という決まりもあるとか。つまり、全土が共産党のものである中国は、外国人に対しては土地を売らないので、外国では、中国人には土地を売らないという所もあるそう。何故、日本はどんどん中国人に土地を売っているの❓これ、徐々に侵略を進められているということですよね。増税については、青山繁晴さんが説明しています→こちら16分~ですが、何故財務省が増税するのかは、24分52秒~。話が逸れました。更に、更に、アメリカがウクライナに払う支援金を日本が肩代わり、というかウクライナは戦争で破綻するので、アメリカは支援金を回収出来ない、その時は日本が貸すと。それを、先だっての訪米で岸田さんが了承したと。んな、アホな。まだまだ、そして、いつまで日本はアメリカのATM❓アー、岸田さん、とに角腹立つ。はよ、辞めて。経済とか詳しくないので、間違っている点もあるかと思います。予め、ごめんなさいm(__)mいつもポチっと応援ありがとうございますにほんブログ村にほんブログ村
2024.06.02
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